借り物の力   作:ジベた

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01 「今の世界は楽しい?」

 ――違う。欲しかったのはこんな力じゃなかった。

 

「うおおおおお!」

 

 俺に向かって雄叫びを上げながら一夏が突っ込んできた。純白のIS“白式”を纏い、ISエネルギーで構成された刀をがむしゃらに振るってくる。

 ……遅い。遅すぎる。

 白式の単一仕様能力“零落白夜”は対ISにおいて最強の攻撃力を誇っていることは間違いない。だが所詮は刀だ。技量が伴わなければそこらの鉄くずと変わらない。

 

 当たらなければ何も意味がない。

 

 今の俺には一夏の刀の軌跡が手に取るようにわかる。推進機を噴かせるまでもなく、上体を逸らしながら少し後退するだけで一夏の斬撃は空を切る。

 

「くそっ! どうして当たらないんだ!」

 

 一夏の悔しさで歪んだ顔を見ると、胸の辺りがチクリと痛む。

 

 ……それはな、一夏。俺が卑怯者だからなんだ。

 

 ここからは遠い世界でのことだ。俺に馴染みの深い6畳だけの世界で遭遇した不思議な体験から全て始まったんだ。

 

 

***

 

 

 暇だった。退屈だった。左手で頬杖をついて俺は机上のディスプレイを見つめている。ほぼ固定された体のうち、マウスを握っている右手だけが忙しなく動いているが満足のいく結果は得られていない。

 

「何か面白いことねえかなぁ」

 

 普段巡回している動画や小説の投稿サイト群の新着をチェックし終えて呟く。生憎、今日の更新は無かった。いきなり一日の予定ががら空きになってしまい、溜め息と共に背もたれに身を預ける。ギシッと負荷のかかった音が聞こえても容赦はせず、そのまま天井の木目を視線でなぞっていた。

 

 俺にはしたいことがない。将来の夢なんてものを昔は持っていた気がするが、今ではそれが何だったのかすら思い出せない。だって、夢に向かって頑張ったところで俺程度の力で実現できるはずがないだろ? 現実という意味を知ったのは高校の受験の時だ。たぶん、俺の心はその時には既に折れていたのだろう。行きたくもない進路の先に未来が見えるはずもなく、俺は自分だけの狭い世界に閉じこもったんだ。

 

 狭い世界の中で俺は電子の海を放浪していた。俺の世界の唯一の窓口からは違う世界の情報が手に入れられる。その中でも“物語”は俺の興味を引いた。

 人の頭の中で生み出された世界だった。絵や文字、音などで作り出される異世界は、自分でない人間を疑似体験させてくれる。鑑賞している間だけは俺ではない人となって、時にはスポーツを通して熱い友情を結んだり、時にはかわいい女の子と付き合い、時には世界を救ったりした。純粋に楽しかった。しかしながら、終わる度に現実に引き戻されて、俺もこうだったらなと自分を責める。

 

 なんとなく窓の方に目を向けてみる。2階の窓から見える景色は隣の家だけ。窓の近くに行けば道路と青空が見えるけれど、夏の日差しをガラスごしでも浴びたくはなかった。まだ日は高くなる。エアコンで冷えた空気を少しでも温めたくなかった俺は気怠く立ち上がり、ブラインドを閉めてパソコンデスクに戻る。その際に床に積み上げてあったマンガやラノベの山に足を引っかけて崩してしまった。

 

「ちっ、めんどくせえ」

 

 バラバラと床に散らばった本の山のせいでイスが引けない惨状となったので仕方なく整頓を始める。一度読んで飽きてしまった本たちだ。部屋の容量にも限度があるのでそろそろ出張買い取りにでも来てもらおうか。

 1冊1冊手に取っては懐かしいと思いつつも、内容が頭に残っているため最初と同じ感動は得られない。本当に感動するものは何度読んでも良いものらしいが、少なくとも崩れた山の中には無い。そういったものは今は近寄れない本棚に大切にしまってある。記憶を消してまで読みたいと思わせる名作も無いのでダンボールにでも詰めてしまおうかと考える。だが俺の手はとある一冊を目にしたときに止まってしまった。

 

 ……これって何だったっけ?

 

 機械のような鎧を四肢に着け、右手に刀を持ったポニーテールの少女が書かれた表紙だった。タイトルは“IS インフィニット・ストラトス”。確かに読んだはずなのだが、内容が頭に浮かびそうで浮かばない。しかし一度読んだのなら少し読めば大体思い出せるはずだ、と表紙を開く。カラーページを数ページめくったところで思い出した。

 

 そ、そうだった! アニメを見て鈴ちゃんが気に入って買ったんだ。

 

 今まで忘れていた。アニメが終わってからも俺の中に悶々と残っていた彼女への思いが、普段は手を着けないラノベに手を伸ばさせたんだった。

 また彼女を見たいがために7冊のまとめ買いをした俺に待っていたのが、俺を苦しめることになろうとは思っていなかったが……。

 いや、別に主人公に俺の好きなヒロインと結びつけろなんて言うつもりはない。俺には縁のないことだが、男が女を一人選ぶなんてのは自然なことだ。

 問題は、鈴ちゃんの出番が少ないことだ!

 

 さくっとイスの引けるだけのスペースを空けると早速、パソコンに向かう。まずは復習を兼ねてまとめwikiの舞台設定、登場人物に目を通す。記憶に残っていないということは俺にとって原作に価値が無かったからに他ならない。鈴ちゃんの出てくる二次創作を漁るしかないじゃないか!

 知識の前準備完了。あとは作品を見つけるだけ。まずは適当に『IS 二次創作 凰鈴音』と打ち込んでエンターキーを押す。

 

 だが、画面に並べられたページ名に集中したその瞬間――

 

 俺のボディに机の引き出しがストレートを打ち込んで来やがった。

 

「ぐはっ……!」

 

 反動でキャスター付きのイスは後ろに追いやられ、床に散らばっていた本に引っかかり、イスは俺を乗せたままひっくり返った。投げ出された俺は積まれていた本に頭から突っ込み、ドサドサと背中に本がなだれ込んで埋もれる。

 ……何がどうなってる?

 体の上に乗っている本を払いのけ、痛む腹をさすりつつ立ち上がる。何が起きたのかは知らないが、今は鈴ちゃんへの愛が蘇っているうちに物語を探さなきゃいけない。パソコンデスクに戻ろうと振り返った。

 

「ハロー!」

 

 ディスプレイが直接見えるはずの位置であるのに、画面が全く見えない。俺は目を擦る。目に入ったゴミではないらしい。ゴミにしては珍妙な形をしているなとは思ったんだ。それに、机の引き出しから出てきてるし、俺を突き飛ばしたんだから幻覚の類でもないだろう。

 

「どう、驚いた?」

 

 驚く……? そうか、これはビックリ箱だったのか! 誰も訪ねてこない一人暮らしの俺の部屋に誰が仕掛けるのかは甚だ疑問ではあるが細かいことだ。それにしても最近のビックリ箱は出来が違うなぁ。ウサ耳のようなものを着けているが本物の女性みたいだ。音声は録音なのかな? 口の動きとピッタリだなんて手が込んでる、うん。

 

「ねぇ、何か言ってよ」

 

 ほほう。俺が言葉を返していないことを理解できるのか。俺よりもコミュニケーション能力が高そうだな……などと馬鹿なことはさておき、何を言うべきか迷う。べ、別に女性の前だから腰が引けてるわけじゃないんだからね!

 

「少しは答えてくれてもいいじゃないか。近藤(こんどう)宗雄(むねお)くん?」

「フルネームで呼ぶなっ!」

 

 なんだ? なぜ俺の名前が出てくる? 目を背けていたが、俺の机の引き出しは厚さ5cmほどしかないのに、成人女性の上半身が引き出しから出てきているなんて異常すぎる。今、目の前で何が起きているんだ?

 

「お! やっと返事してくれたね? こんどうむ・ねおくん」

「わざとらしくそこで切らないで!?」

「細かいことは気にしない、気にしない。恥ずかしがったら負けだよ」

「頬を赤くしてそう言われても困りますけどねぇ……」

 

 名前でからかわれるのは慣れない。それも女性に面と向かって言われたのは初めてだった。想像以上にダメージを負った俺はその場に崩れ落ちる。ああ、視界が滲んでるや。再びこの悲しみを背負うことになろうとは……。

 ガックシと項垂れる俺の肩にポンと手が置かれる。

 

「大丈夫。名前だけで人生は決まらないよ!」

 

 いつの間にか女性は俺の傍にまで歩いてきていた。ちゃんと足の先まであったんだ。どうしよう、涙が止まらない。俺の机の引き出しはどうなってしまっているんだ? 上半身だけに留まらず、全身が出てきたなんて完全に俺の理解を超えてる。

 俺は意を決して机に寄り、引き出しの中を覗き見る。……いつもの引き出しだ。アハハ、と乾いた笑いしかできない。

 

「ねえ、何か面白いことでもあったの?」

「そんなわけない。何も面白くなんかない」

 

 夢でも見ているとしたら質の悪い夢だ。どうせ夢だったら鈴ちゃんを出せよ、俺の脳味噌よ。

 とりあえず引き出しを閉めて、イスに座り直す。気を落ち着かせるために、まずは本人から話を聞いてみることにしよう。直接向かい合うのは気後れするため、ディスプレイと向かい合いつつ後ろに居るであろう女性に話しかける。

 

「で、お前は何者なんだ? どうやって俺の部屋に入った? 何が目的なんだ?」

「私? 私は……女神様?」

 

 なんで俺に訊くんだよ!? 声に出すと話が進まないので、無言で先の言葉を待つ。画面に書いてある文字には全く意識が向けられなかった。

 

「コンドウム・NEOくんの机の引き出しを出口に指定して飛んできたんだけど、ちょっとタイミングが悪かったみたいだね? ごめんね」

「……お前の謝罪なんてどうでもいいから、用件だけ済ませてさっさと出てってくれ」

 

 呼び名が悪化している気がするがスルーする。下手にかまった方が自分を追い込む気がするし、目的が聞ければ状況が変わるはずだから自分から話題を逸らす必要はない。

 俺の机の引き出しをワープの出口に使うという意味不明な手段で部屋にやってくる奴を追い出せる気がしなかった俺は、奴が自分から出ていく方向に持っていくしかないのだ。

 

「用件……かぁ。実はさ、私ってキミと同じなんだよね」

「はぁ? 何が?」

「暇だったんだよ」

 

 マウスを握る右手が硬直する。目は画面を捉えているが内容まで読めるような状態じゃない。

 背後にいる意味不明な技術を持った自称女神様は暇を持て余しておられる。ここで初めて俺は正体不明な女性にずっと背を見せ続けていた自分の愚かさに気づいた。直接目を見て話す恥ずかしさ云々よりも先に、自分の身の安全を気にしろよ……。

 暇だからなんて理由で俺に危害を加えるとは考えたくないが、今会ったばかりの破天荒な女性を放置するのは危険な気がした。不本意ながらもイスを回転させて向き合うことにする。

 

「それで? 俺に共感してくれた女神様は俺に何かしてくれるの?」

 

 向き合ってみて実感したが、俺は思ったよりも会話ができるようだ。かれこれ2年ほど人と肉声で話していないが、意外とそれまでの経験が役に立っているらしい。

 俺は女性の顔を正面から見る。今まで聞こえてきていた声の質から察していた印象は“脳天気”だった。だが、俺と目が合っている彼女は喜怒哀楽をどこかに置き忘れてきた能面のような顔をしている。彼女は俺を見つめたまま口だけを動かした。

 

「今の世界は楽しい?」

 

 急に目の前の女性に親近感を覚えた。なるほど、確かに似ているところかもしれない。当然、俺の回答は一つだけだ。

 

「つまらないね」

 

 何かする気が起きず、何もしない毎日が続いて楽しいはずがない。かといって楽しみを探しに行こうという気概もなくダラダラと閉じこもるだけの生活だ。いずれ早いうちに破綻することは目に見えていても動けなかった。

 世界がつまらない。それは自分自身をつまらない人間だと自覚しているからなのだろう。

 

 俺のただの一言に女性は何度も頷いてみせた。先ほどまでの無表情はどこかへと消え去り、口元が横に広がる不気味な笑顔を形づくる。反射的に身を引くと、イスの背もたれと机がぶつかった衝撃が背中を襲った。――嫌な予感がする。

 

「じゃあ、違う世界に行かない?」

 

 やっぱりそうだ。関わり合いになってはいけないタイプの人間だ。このまま『あの世に送ってあげる』と言われても違和感がまるでない。

 左を見る。ベッドを挟んだ向こう側にブラインドを閉めた窓がある。しかし、ここは2階だ。俺の身体能力では飛び降りるのも難しい。

 右を見る。部屋の出口が見えるが、そこまでの道のりは積み上げた本が崩れたことによって塞がってしまっていた。

 逃げることは不可能。やはり正面のコイツが自分から出て行くようにし向けないといけないようだ。それには適当に会話をしておく必要がある。

 

「へぇ……どうやって行くのか知らないけど、俺はどこに行ってもつまらなく感じると思うぞ」

「どうして?」

「そりゃあ……俺ができることなんて高が知れてるからさ」

 

 たとえ世界が変わっても、俺程度の人間では今と何も変わらないさ。高校の受験程度で失敗して心が折れた俺だ。きっと何も楽しくはないだろうな。だからだろうか。彼女が続ける言葉に惹かれてしまったのは……。

 

「キミが望む力が手に入っても?」

「何……?」

 

 何を言っているのか理解できない。そんな俺のわかりやすい困惑を察したであろう自称女神様は得意げに胸を張り豊満な胸が揺れる。

 

「流石に頭を良くするとかは人格に影響が出て別人になっちゃうんだけど、腕力を強くするとか動体視力を強化するとかの肉体的なことや、魔法みたいなことができるようになる超常的なことならどうにかできるよ」

「マジで?」

 

 俺が魔法を使える、だと……? 普通ならそんなバカなと思うところだろうが、現にコイツの引き出しワープを目の当たりにしていた俺は既にその気になっていた。いいよね、テレポート。石の中には行きたくないけど。

 

「でも、その世界にあると不都合なものってのもあるから……オプションで変なのをつけると変な世界に行くことになるよ」

 

 つまり、魔法を手に入れたら魔法がある世界に行くことになるわけね。じゃあ、先に世界を決めればいい。

 

「質問なんだが、違う世界ってのはこんなのでもいいのか?」

 

 俺は机の上に移動させてあったISのラノベを自称女神様に見せつけた。創作物の世界に行くという夢物語。さすがに無理だろうとダメ元で訊いてみた。

 

「お? いいのを選んだね~。多分説明は要らないだろうから要望を言ってみてよ」

「そうだな。折角だから俺はこの物語の中に入ってみたい。できれば主人公の一夏が小学5年生の時に同級生でありたいね。当然、男のIS操縦者で、人知れず専用機を持っているってのもいいかも。専用機の性能は、とりあえず速いの。いっそのこと瞬間移動でもいい」

「オッケー! お安いご用とはこのことなんだよ。他にも適当にサービスも付けちゃう」

 

 結構無茶を言ったつもりなのだが出来てしまうのか。さあて、もし本当に実現したら、俺はIS世界で何を成すのか……なんちゃって。

 

 成功しても失敗してもどう転んでもいいやと軽い気持ちでいた。

 

 自称女神様がグリップとトリガーのついた金属製の筒状のものを取り出すまでは……。

 

「え、と……それは何?」

「そうだった! ちゃんと名前呼ばないといけないよね。お約束だった」

 

 自称女神様は水色のワンピースの腹部に不自然に付いている白い半円のポケットに筒をしまうと、再び手をポケットに突っ込んだ。ちなみに言うまでもないことだと思うが、ポケットのサイズと筒のサイズは合っていない。ポケットから手が出てくる際に、その手には消えたはずの筒が握られていた。彼女は得意げな顔で高らかに叫ぶ。

 

「“もしもバズーカ”!」

 

 どこからかパンパカパーンと効果音が聞こえてきた。

 へぇ……バズーカなんだ。一体それで何を撃とうと言うのかね?

 

「じゃあパーッと逝っちゃおう!」

「待て。冷静になろう。俺は一体何をされるんだ?」

 

 ノリノリな女神様に俺の声は届いていないようだった。これが私の言葉よ、と俺にバズーカの砲口を向ける。

 

「よせええええ!」

 

 もう止めることも逃げることも出来なかった。

 砲口から光が見えた後、俺の視界はブラックアウトした。

 

 

***

 

 

 ハッと気が付くとそこは既に俺の知る部屋などではなかった。

 アットホームな食堂という雰囲気の場所に俺は立っていた。

 

「あれ? ここは……?」

 

 辺りを見回しても見覚えのある場所ではない。立ち尽くす俺を、周囲の誰もが不自然に思っていなかった。

 

「おい、弾! さっさと次の料理を持ってってくれ!」

 

 カウンターに湯気が立ち上る料理が置かれている。奥にいた爺さんは間違いなく俺の方を見て言っていた。料理を持ち、食堂のお客と思われる人たちを「えーと」と口走りながら見回していると「ここだよ」と親切に答えてくれたため、そのまま運んだ。

 

 ……これは上手くいったということなのだろうか。奥にいる爺さんに「ちょっと抜ける」と言ってから外にでる。入り口を振り返り頭上の看板を見上げると『五反田食堂』と書かれていた。さっき俺は“弾”と呼ばれていたから、この世界で俺は“五反田弾”になったということなのだろう。確かwikiにも載っていた一夏の友人の名前のはずだ。……俺はISの世界にやってきたのだ。

 店の裏手に回り家へと入る。不思議なことに、俺にはこの家の知識がある。自分の部屋の位置もわかる。2階にある弾の部屋を物色して、現在は小学5年生であることを確認した。要望通りだ。

 

「だーんー! お爺ちゃんが呼んでるわよー!」

「すぐ戻るって言っといてー!」

 

 階下で母親に呼ばれ、俺はとりあえず爺さんの手伝いに戻ることにした。これからどうするのかは後で考えることだ。

 

 

 

 ――――翌日。

 

 今更すぎる内容の授業が終わって放課後になる。五反田弾としての記憶からもわかるのだが念のためクラスの名簿をチェックしたところ、一夏は同じクラスだった。生憎、鈴ちゃんは別クラスらしい。

 

「弾、帰ろうぜ!」

「ああ、そうだな」

 

 一夏に肩を叩かれ、返事をして席を立つ。

 幸いなことに既に一夏とは行動を共にしてる間柄らしい。あとは鈴ちゃんと一夏が知り合うイベントで俺が取って代わればいいから、一夏とはなるべく離れないように行動すればいい。いつ訪れるのかはわからないが、先は長そうだからじっくりといこう。

 

 ……そう思って廊下を歩いているときだった。

 

「リンリンってパンダの名前だよなー。笹食えよ笹」

 

 からかうような声が遠くから聞こえてきて俺は足を止めて辺りを見回した。幸先がいい。早速フラグ立てができるってことだな。一夏も反応しているようで声のした方へと足を向ける。

 

「悪い、弾。先に帰っててくれ」

「あ? 何言ってるんだ。俺も付き合うぜ」

「いいのか? 爺さんに叱られるぞ?」

「関係ないね」

 

 俺たちはランドセルをその場に投げ出して廊下を走った。すぐに女の子一人を取り囲んでいる4人組を発見。女の子のランドセルを持っている奴の背中に助走をつけた跳び蹴りをかます。

 

「なっ!? いきなりなにす――お、織斑!?」

「またお前か! 女子の味方ばかりしやがって!」

 

 むむ。何故か跳び蹴りをした俺よりも一夏にばかり目がいっているようだ。そういえば前々から一夏は結構問題児だったんだよな。

 まあ、男子の注目はどうでもいい。俺は床に落ちた赤色のランドセルを拾い上げる。

 

「ほい。これ、お前のだろ?」

 

 十中八九、鈴ちゃんなのはわかってるがいきなり名前で呼ぶのもおかしい。鈴ちゃんは礼を言うこともなく仏頂面でランドセルを受け取った。本当にこの子があの鈴ちゃんなのだろうか。明るさの欠片もない。

 

「くそっ! 先生に言いつけてやるからな!」

「ああ、もう勝手にしろ。しっしっ」

 

 俺が鈴ちゃんにランドセルを返している間に一夏は一人で4人を追っ払っていた。武術習ってたからとかいう理由でできる芸当なのだろうか。

 

 一夏も俺たちの元へとやってくる。そういえば俺は一夏が鈴ちゃんをいじめから守った話は知っているが、このとき何と言葉をかけたのかを知らない。

 

「大丈夫か? あいつらは名前で他人をからかうような最低な奴らだから、言われたことは気にしなくていいぞ、凰(()()()())」

 

 一夏、そのセリフはぜひ前の世界の俺にも言ってくれ。

 ――ん? だが、ちょっと待て。今、最後に何て言った?

 鈴ちゃんは目を丸くして一夏を見つめている。数秒間そうして固まった後、急速に眉をしかめる。もう、彼女の右手は動いていた。何の躊躇いも感じさせない吸い込まれていくような右ストレートが一夏の顔面を捉える。

 

「あたしの名前は(ファン)鈴音(リンイン)だっ!!」

 

 鈴ちゃんが男子4人を圧倒した一夏を一撃でノックアウト。大の字に寝る一夏を一瞥した彼女は俺をジトっと睨んだ後、「フンッ!」とそっぽを向いて歩き去った。

 

 ……あれ? もしかしてフラグ折れた?

 

 倒れ伏す一夏の傍で、俺は放心状態で立ち尽くしていた。


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