天才兎に捧ぐファレノプシス   作:駄文書きの道化

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Episode:04

 ハルのIS起動事件から時間が流れた。あれからハルはISに触れる事を禁止されていた。ただ知識をつける事を咎められはしなかったので、ISについて教えて貰ってはいる。

 ハルのやる事は変わらず束の身の回りの世話だ。今日も今日とてハルは束を喜ばせる為に夕食を作っていた。

 

 

「束、ご飯だよ?」

「うん。今行くー!」

 

 

 ドアをノックして声をかければ束が元気よくドアの向こうから返事をする。束の手を拭くおしぼりを用意しつつ、テーブルの上に食事を並べていく。

 最早、日常といっても差し違えない光景。だがハルは確実に不満を溜めていた。その理由はISで飛行した感覚を忘れられない為だ。故にISに触るべからず、と束に厳命されている今の状態はハルにとっては不満だった。

 とはいえ束が心配するような真似を進んでやりたい訳でもない。けれどISには乗りたい。ジレンマに苛まれて過ごす日々はかなりのストレスだった。

 

 

「さて、と。束がいない内にラボの掃除をしておかないと」

 

 

 だからきっと魔が差したのだろう。束が研究を終え、寝静まった後にラボの掃除をしていたハルが安置されているISに目をつけたのは。掃除の途中で見つけたのは、ハルがテストした第四世代の検証機が物言わずに佇んでいた。

 海に落ちた、と聞いていたが装甲には傷一つすら見えない。機体にはデータを取っていたのか無数のコード類が繋がれている。共に空をかけたISにハルは熱い視線を注いだ。ごくり、と唾を飲む音が誰もいない部屋に大きく響く。

 

 

「……きっと大丈夫なんだよな」

 

 

 確信がハルの中にはあった。だからだろう、魔が差してしまったのは。触れるだけ、と思ってしまったのは。

 そっとISの装甲にハルが手を置いた瞬間、ハルの意識は飲み込まれるように途切れた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 またここか。

 ハルは意識を取り戻した時、即座にそう思い浮かべた。身体がない。感じられない。自分がどこにいるのかわからない。

 だがいい加減慣れた。ハルは強くイメージした。いるんだろう? と誰かに語りかけるイメージを広げていく。

 

 

『――』

 

 

 反応はすぐさま返ってきた。まるで覗かれているようだ、とハルは思った。自分の隣にいるような、自分が中に収まっているような、やはり形容が難しい空間に何者かはいた。

 何者かは言っている。また誰かの名を呟いたようだ。身体があればハルは眉を顰めてた所だろう。

 

 

『前も言ったけど、千冬じゃないって』

『――?』

『だから僕はハル。ハルだよ』

『――? ――?』

『千冬なのにハル? だからまずは僕が千冬じゃないって事から理解してくれないかな?』

 

 

 何度も同じ問いを投げかけてくる声。まるで飲み込みの悪い子供を相手にしているようだな、とハルは思った。何度も声は千冬、と呼んでくる。

 その度にハルは千冬ではない、と教え込む。何度でも根気よく自分が千冬ではなくハルという名である事を認識させる。

 

 

『――』

『そう! そうだよ、僕はハル。千冬じゃない。良い子だね』

『―――?』

『どうして褒める、って…ちゃんと理解してくれたからだよ』

『――』

『理解する。そうだね、君は理解したいんだね。もっと知りたいんだね。だから僕が気になるのか。千冬と良く似ている僕が』

『――?』

『だから千冬じゃないって。ハルだよ』

『――』

『えー? うーん、千冬とハルがどう違うのかって? えーと……右手と左手ぐらい違う?』

『―――?』

『同じ手だけど同じじゃないんだって!』

 

 

 ハルの反応に声はすぐさま返答をする。もっと知りたい、ともっと教えて欲しいとハルにじゃれつくように何度も問う。

 同じ問いばかり繰り返されればハルも段々と面倒になってきて語調が荒々しくなっていく。苛立ちを隠さぬままにハルは叫んでいた。

 

 

「――だから千冬じゃないって言ってるだろ! この分からず屋!!」

「そうだね? 人の言いつけを破る子は分からず屋だねぇ?」

「……あれ?」

 

 

 そう、気が付けば叫んでいたのだ。辺りは先ほどの妙な空間ではなく、ISが鎮座されている研究室だった。何かが自分の首を掴んでいる感触にハルは油の切れたロボットのように首を振り向かせようとする。

 振り向いてはいけないと脳内では警鐘が鳴っていた。しかし振り返るしかなかった。何故ならそこには満面の笑みの束がいたからだ。ハルは顔色を真っ青に変えた。身体が知らずに震えだし、表情は引き攣ったものへと変わる。

 

 

「ハル?」

 

 

 笑みとは本来は攻撃的なもの、と思い出す。満面の笑みを浮かべた束はとても優しい声でハルの名を呼ぶ。

 なのにハルの身体は震えたままだ。その様はまるで蛇に睨まれた蛙の如く。そんなハルの様子を楽しげに束は見つめて嗤う。

 

 

「約束は守らないといけないなぁ。……ね?」

「は、はひ……」

「オシオキ、だよ?」

 

 

 ハルの悲鳴が研究室に響くまで、あと数秒。ハルの悲鳴はラボ全体を震わせるように響き渡るのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「まったく! ハルにも困ったもんだなぁ」

 

 

 苛立たしげにコンソールを叩きながら束は憂鬱げに溜息を吐いた。お仕置きを終えて“何故か”眠ってしまったハルをベッドに投げ捨て、ハルが触れたISの検査を行っていた。

 表示されたディスプレイを眺めて束は自分で煎れたコーヒーを啜る。口に含んでから顔を顰めた。まるで泥水のような味だと思い、自分で煎れなきゃ良かったと後悔する。

 束はコーヒーカップを置いて、気を取り直してデータを見る。表示されたデータを眺めて束は呟く。

 

 

「やっぱりおかしいよねぇ、これ」

 

 

 ISは搭乗者を得て、操縦者に合わせて自己進化していく。その為には搭乗者は長い時間をかけてISに経験を蓄積させて形態移行を行う。

 形態移行が起きたISは性能が劇的に向上する。更には搭乗者に合わせた特殊武装を発現する事も確認されている。現在、世界で研究されている第3世代のISは形態移行をせずともこの特殊兵装を搭載する事を目的とした実験機である。

 それも第2世代のISの形態移行のデータがあってこその研究だ。束にとっては既に通過した道である。そんな束が言う程、ハルという存在はおかしい。

 

 

「一般的に搭乗者がISに情報を蓄積させるのが1ずつとするなら、ハルは10……いや、もっとかな。僅かな時間と搭乗回数で情報を蓄積させられる」

 

 

 何故? と束は頭を傾げる。この現象は束の親友であり、最もISに近いと思われる千冬ですら起きえない現象なのだ。束が千冬と長年かけて行ってきた研究成果をハルは一足飛びに到達してしまったのだ。

 そして奇妙な場面にも出くわした。研究室に入るとハルがISに触れて立ち尽くしていたのだ。慌てて引きはがすと、まるで会話をしていたように叫びだした事。これは束にとっても興味深い事象だった。

 

 

「ISコアには意識がある。ハルはISコアの意識とコンタクトを取ってるの? なんで? どうやって? 親和性が高いから? そもそもどうしてそんなに親和性が高いの? 手段は? どうやったら意思疎通が出来るの?」

 

 

 わからない、と束は首を振る。もしもこれが何の関係もない相手ならば解剖してみたい位だ。だがハル相手では解剖なんて出来ない。むしろしたくない。

 

 

「……勿体ないんだよなぁ」

 

 

 ハルの能力は束にとっては魅力的過ぎる。彼がISを完全に乗りこなす事が出来たのならば束の研究は大きく飛躍する事は間違いない。ISに情報を誰よりも効率よく蓄積させる事が出来るのだから。

 だがそれは出来ない。通常のISにハルを搭乗させれば、ハルは千冬と誤認され、最適化の段階で千冬をトレースするようにコアが促してしまうからだ。これは人格に影響を与えかねない。絶対に認められない事だった。

 第4世代の試験機には束が開発中の“無段階移行<シームレス・シフト>”というシステムのプロトタイプが組み込まれている。これは通常、形態移行を行って進化するISの進化を常時行う事によって性能の向上を行う事を目的としたシステムだ。

 このシステムが搭載されていた為、通常の形態移行のような大幅な変化が起きず、ハルに与えられた過剰情報によって未完成だったシステムが動作を停止した。

 機能を停止した事によってハルの思考が千冬をトレースする現象が中途半端に終わっただけ、という不幸中の幸いなのだ。

 

 

「ハルがちーちゃんを超えるようなIS操縦技術や経験を得ればこの現象は無くなるんだろうけど……」

 

 

 そもそもISに乗る事が出来ないのだ。そんな状態でどうやれば千冬を超えるようなISの操縦技術や経験が身につくというのか。

 

 

「……ん? 待ってよ? そもそもハルが“今”のISに乗れないなら……」

 

 

 ふと、束は何かに気付いたようにコンソールを叩いた。新たに開かれたディスプレイには過去、束が開発・考案したISのデータが表紙された。

 束はその一つを展開してデータを確認する。更に他のデータも呼び出して二つのデータを交互に見直して脳内で検証を行う。そして束は思わずガッツポーズを取って叫び声を上げた。

 

 

「これなら行ける! よーし! 張り切ってやるよー!」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「束、怒ってるよな……。まさか立ち入り禁止にまでされるとは思わなかった」

 

 

 憂鬱げな溜息を吐き出してハルは肩を落とす。束からお仕置きを受けた際の記憶が何故か曖昧で思い出す事が出来ない。だが身体は覚えているようで、思い出そうとすると寒気がする。余程の事だったのだろう。恐らく思い出す事を拒否する程度には。

 つまりは束はそれだけ怒っているのではないかとハルは考える。だがハルは確信していた。ISと接触する事そのものには問題がないのではないか、と。

 

 

「でもあの様子じゃダメだろうなぁ。うぅ、食事も研究室に持ち込んで食べるし、一緒に食べてくれないし……」

 

 

 うじうじと呟きながらハルは溜息を吐く。束、また研究室に食事を持ち込むだろうからサンドイッチとかの方がいいかな、と束の食事の献立を考える。けれど一緒に食べてくれないんだろうな、と思って気が滅入る。

 再びハルが溜息を吐こうとした時だ。勢いよく研究室のドアが開いて束が飛び出した。目の下にはクマが出来ていて、髪はぼさぼさ、服もよれよれ。だが異様に眼光だけは輝いていてまるで幽霊のようだった。

 

 

「うわぁ!? た、束!?」

「……で、出来た。ハ、ハル、出来たよ……」

「な、何が出来たの!? それよりま、まずはしっかりして!?」

 

 

 飛び出してくるなり倒れた束をすぐさまハルは介抱する。せめてシャワーを浴びて欲しいと束を風呂に放り込み、すぐに食べられるように簡単な食事を用意しておく。

 カラスの水浴びの如く、すぐさま上がってきた束に作ったサンドイッチを差し出す。よほどお腹が空いていたのだろう、束はハルが用意したサンドイッチを詰め込むように食べていく。まるでリスのように頬を膨らませている束にハルは呆れたように視線を送る。

 

 

「何やってたの? 随分と籠もってたみたいだけど」

「んぐ……」

「あぁ、飲み込んでからで良いよ?」

「……ぷは。うん、ちょっとねー。で、ハル。反省したかな?」

「……はい」

 

 

 ハルを睨み付けながら束は問いかける。明らかに私怒っています、と顔をしている束にハルは罰悪そうに眉根を下げて顔を逸らした。

 

 

「反省してます」

「もう勝手にISに触らない?」

「触りません」

「絶対に?」

「絶対」

「本当に?」

「本当に」

「本気で?」

「もうっ! もう触らないって! ごめんって!!」

 

 

 よろしい、と束は笑みを浮かべて頷いた。だが、すぐに表情を真剣なものへと変える。

 

 

「ハル。約束だよね? 私が許可しないと死ぬ事だって許さないって」

「……うん」

「束さんがどれだけ心配したか、ハルにわかる?」

「ごめん」

「束さんは謝って欲しいんじゃないんだよ。もうしないって言う保証が欲しいんだよ」

「それは……」

「知ってるよ。難しいってね。だから信じさせて? 束さんに疑わせないで?」

 

 

 束は手をハルに向けて伸ばす。拳を握り、小指だけを立ててハルに向ける。

 束が差し出した手に、ハルは束の意図を察して自らの小指を束の小指と絡める。

 

 

「約束。もう1回ちゃんとしよ?」

「わかった」

「じゃあ行くよ? 指切りげんまん、嘘ついたら………殺す」

「殺す!?」

「指切った! 予約!」

「え!? 予約って何!? 指切るのを予約ってどういう事なの!? これって脅しだよね!?」

「約束だよ?」

「約束という名の脅迫だよ!?」

「まぁまぁ。じゃあハル、手を開いて?」

「次は何……?」

 

 

 怪しげに束を見ながらもハルは手を開いて束に見せる。差し出されたハルの手に束はそっと何かを置く。ハルの手に置かれたのはペンダントだった。

 ロケットペンダントを受け取ったハルの手を包むように束は両手で握る。身を屈ませてハルと視線を合わせて束は笑みを浮かべる。

 

 

「プレゼントだよ」

「プレゼント……?」

「私がどうしてISを作ったのか知ってるよね?」

「うん、本当は宇宙空間での活動を想定して開発されてた。束は宇宙に行きたかったんだよね?」

「うん。理由は色々とあるんだけどね? まぁ今はいいや。ISはマルチフォーム・スーツとして開発して発表した。そして完成したのが“白騎士”」

「ISの性能を世界に知らしめた最初のISだね」

「そう。そのペンダントは当時、白騎士を生み出す切欠になった一番最初のISコアと同じもの。今は生体同期型IS、って呼んでるけど」

「……え?」

 

 

 束の言葉に一瞬、ハルは何を言ったのか理解が出来なかった。呆然と自分の掌の上に乗るロケットペンダントに視線を送った。

 ハルの驚いた様子に束は悪戯が成功した子供のように笑った。

 

 

「ISコアに搭乗者の状態を認識させて、常に最適な状況を導き出せるパートナーとして成長させる。その延長線上の結果が白騎士であり、世界各国に開発されたIS達なんだよ。白騎士はね、私の夢を叶えて、ちーちゃんに最も適合する形態を選んだISコアの答えなんだよ」

 

 

 搭乗者と共に空を舞い、共に進化していく。ISコアが選んだ進化の道。

 その原型は白騎士であり、今もISコアのネットワークを通じて全てのIS達に受け継がれている共通認識。

 

 

「どんな状況にも負けない、進化していくISの源流はね、私の夢を叶える為に、ちーちゃんの思いを遂げる為に生まれてくれた大事な私の翼なんだ」

「……束」

「ま、世界には受け入れて貰えなかったんだけどね。んで、癇癪を起こして白騎士事件、と。私も若かったなぁ。まぁ、後悔はしてないけどね。そうしなきゃISは日の目を見る事はなかっただろうし」

 

 

 はは、と笑ってみせる束の笑顔には陰りがあった。

 束の顔を見てハルは眉を寄せた。世界にISが受け入れられなかった時、束はどんな気持ちを味わったんだろうか。白騎士事件を経て、ISが兵器として開発されるようになった時、束はどんな気持ちを抱いたのだろうか。

 束は翼と言った。空に羽ばたく為の翼は本来の目的とは異なり、兵器として生み出されていく。どんな気持ちで束は世界を見たのだろうか。ハルには推し量る事は出来ない。全ては束の胸の中だろう。

 

 

「ハルに渡したそれは言ってしまえば可能性の卵だよ。ISとしての機能は一切積んでいない無垢なISコア。だから、それはどんなものにも為りうるんだよ」

「そんなものを……」

「一緒にいてくれるんでしょ? それにハルはISを愛してくれた。IS達もきっとハルが気になるんだよ。だからハルに託すの。私の夢の卵をね」

 

 

 大事にしてね、と束は笑みを浮かべて言った。ハルは束から受け取ったペンダントに目を落とす。束の夢の卵にして、もしかしたら自分の翼に為りうるペンダントを握り込んで胸に当てる。

 重たい。こんなに小さなものの筈なのに凄く重たい。これは今も夢を諦めていない束の夢の欠片だ。それを託された意味と、託してくれた信頼がどうしようもなく重たかった。

 

 

「普段はISコアには触れられないようにロケットペンダントにしたけど、蓋を開けて中にあるコアに触れれば起動出来るから。あ、まだ開けちゃダメ。開けて起動させる時は束さんと一緒の時だけ。約束出来るよね?」

「うん。わかってる」

「ん。よろしい。じゃあ良いよ。触れてあげて、その子に」

 

 

 ハルの返答に束は笑みを浮かべてハルの頭を撫でる。そしてハルの手の上に乗せたロケットペンダントに手を添えて、蓋を開けた。

 ロケットペンダントが開けば中には球形でクリスタルが収められていた。クリスタルに触れるように指を伸ばす。ハルの指がクリスタルに触れた瞬間、ハルの意識は再び引きずり込まれるように落ちていった。




※ファレノプシス独自設定※

<生体同期型IS>
 この小説を書いている段階において、原作でクロエ・クロニクルが使用しているIS「黒鍵」しか存在しないISである。
 本作での設定ではISが兵器として確立する前のISの原型として設定されている。
 ISコアを装着者と同期させる事によって、装着者が望む最善の結果を導き出し、実行する為に進化していくISの特性を利用したISの原型。
 当初の開発協力者は織斑 千冬であり、彼女の特性と性質、願い。そして束の宇宙への進出という二つの願い叶える為に導き出された結果が零世代とも最初のISとも呼ばれる“白騎士”である。
 ハルに渡されたISコアはハルと同期する事によってハルの情報を蓄積し、新たな道を模索する事で束が「ハルが生み出すISの新たな形」を模索しようと目論み、開発された。
 本編で束が述べたとおり“可能性の卵”である。尚、ISコアは束が第4世代の実験機に使っていたISコアを流用している。

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