「それで、お前の鍛え方についてなんだがな」
場所は変わって用務員室、ゼロは百春を招き入れてソファーに座らせた。
「お前は今伸び悩んでいるらしいな」
「ああ、ここ最近いくら鍛錬しても強くなってる気がしないんだ……なんだか目の前に大きな壁がある気がするんだ」
楯無に鍛えられてからの百春は日に日に確実に成長していた。楯無の教えを吸収してはそれをすぐに次の訓練に生かしていた。
だがある日突然成長が止まった。その事は百春だけでなく楯無も感じていた。
何が原因であるのか二人は考えたのだが結論は出てこなかった。
「当たり前だろ、お前とあいつじゃ見てるモノが違う」
それなのにゼロは既に原因がわかっているらしい。
「わかるの?」
「ラグビーとアメフトって似てると思わないか?」
「え?……あ、ああ。確かに似てると言えば似てるけど。いきなりどうしたの?」
何が言いたいのかよくわからない。
「そういう事だよ。戦いをスポーツと考えれば、更識のやっている事はラグビー、お前がやろうとしている事はアメフト。似ているけど違う。だからお前の中で無意識にやっている事に対して違和感が生まれてしまって、成長を阻害している」
「……言いたい事は何となくだけどわかる。つまりは僕は僕にあってない事をしてたって事?」
「そういう事だ。だから俺はお前をしっかりと方向を持って教える」
「……」
ゼロはそんなことを言っているが、百春は本当にできるのかと疑っている。
「安心しろ、お前の戦いはわかっている。お前の戦いは誰かを守る為の戦いだ。俺たちとは違う。俺の戦いは殺す為の戦いだからな……方向は見えている。振り返ればいいだけだからな」
「信じていいのか?」
「任せろ、俺はお前の兄だ」
自信満々に見下すように微笑むゼロ。
「はは、それは心配だ」
「ハッ、ぬかしてろ」
二人は一度落ち着く為に目の前にあった熱い日本茶を飲んだ。
「まあ難しいこと言ったが、やる事は簡単だ。お前の肉体を超高速移動に耐えられるようにする事だな。お前、あの時肉体が精神においていかれただろ」
あの時というのは前回ゼロと百春が戦った時だろう。その際に百春は白式の機動に肉体がついていけずに倒れてしまった。
だからゼロは肉体を鍛える事を優先する事にした。
「幸い、この施設のジムは最新式の設備が整っている鍛えがいがある。まあ、短時間でどこまで鍛える事ができるかわからねえが、やるぞ」
言葉は軽いが目は真剣だ。
「お願いします」
百春は頭を下げた。兄弟という仲であっても、礼儀は必要なのだ。
「おう、任せろ。それに今日はもう帰って寝ろ。明日から早え」
時間は過ぎて消灯時刻、ゼロは全ての仕事を終わらせ、明日の準備を済ませると就寝準備に移る。
警備の方はしなくて良いのかと言われるかもしれないが、警備の仕事は生徒会──更識達の仕事なのだ。彼女たちが代わる代わるで毎夜警備を行っているのでゼロはしなくて良いのだ。
何故そうなっているのかと言うと、前任の轡木が老人だからそれを労わってのことらしい 。
軽めのストレッチを行って筋肉の緊張状態を解除する。今日はもうお終い、その事を自分の体にわからせる。
「ふう…….寝るか」
黒零の待機形態である漆黒のガントレット、アリサから貰ったネックレス、シルヴィアの形見である指輪を外して貴重品いれに入れる。
ベッドに向かおうとした時、部屋の扉を誰かがノックした。
「待ってろ、今開ける」
首を横に振ってゴキリゴキリと音を鳴らしながら扉に近づく。
ドアノブに手をかけてドアを開ける。
「来ちゃった、一緒に寝よ」
扉の前にいたのはジャージを着たアリサだった。学校指定のジャージなのだが、少しでもオシャレにしようというのがゼロの目から見てもわかる。
手には袋を持っており、中には着替えが入っている。
突然の来訪だというのにゼロは驚いている様子はない。
どうやってきたとも聞かない。抜け出してバレ内容にきたのだろう。
「あれ?驚かないの?」
「来るんだろうなぁとは思ってたよ。ティファの奴もそういうことするからなあ」
ゼロは確信はなかったが、アリサが来ることは予想していた。
本部にいた頃は今回のようにゼロの所に来て、二人一緒に寝ることがあった。
「へえ、ティファちゃんが。そう」
「まあ、入りな」
扉を大きく開けてアリサを中に招き入れる。
アリサは中に入ると手に持っていた袋を近くのソファーの上に置いた。
「着替えるなら、他所向いとくよ」
「別に見ても良いのよ、一夏くんなら」
ジャージのジッパーに手をかけるアリサ。誘っている。ゼロはもしこの場所が亡国機業本部の自室だったら、ガバッといっちゃてるのだろう。
だがゼロは壁を向いた。
流石にこの場所はマズイと思った。
「そういうのはそういう時に見るよ。今は、そうじゃない」
シュルリシュルリと肌と布が触れ合う音が聞こえる。壁を向いているが聴力は全力で背後にいるアリサに向けられている。
普段クールぶっているゼロも所詮は思春期なのだ。興味がないわけない。
「でもティファちゃんは最後まで見たんでしょ?」
ゼロは壁に両手をついて膝から崩れ落ちた。
それを言ったらお終いだと背中が静かに告げている。
醜い、数多の戦場を生き残って来たゼロもこの場所では一方的にヤられている。
あの時も一方的にヤられていた。
「怒ってるのか?」
恐る恐る尋ねる。
肩に手がそっと添えられ、後ろからアリサに抱きしめられる。
「大丈夫、変な話だけど一夏くんはそういう人だってわかってる。一夏くんは自分の大切な人を無碍にできない人だってわかってる」
耳の中を舐められるような艶のあるアリサの声が入ってくる。
「だからさ、今日はゆっくり寝よ」
アリサがゆっくり離れていく。
ゼロは振り返り、そこにいた寝巻き姿の彼女に思わず見惚れた。
何年もあってないうちに二人は成長した。だからかもしれないが、昔は何度もお泊りをしていたのだが、ゼロは新鮮な気持ちであった。
「昔はこうやって、一緒に寝ることもあったよね」
「そうだな」
明かり一つない暗闇、一つのベッドの中で互いの温もりを感じながら眠りにつこうとしていた。
「今日までずーっと夢見てた、一夏くんとこうやって眠れるのを。前はティファちゃんも一緒で、一夏くんが真ん中で三人で寝たね」
「そう言えばそういうこともあったな」
アレは小学五年生に上がる直前の出来事だった。ティファの家族が日本に遊びにきて、アリサの家にティファが泊まることになって、ついでに一夏も一緒に泊まった。
その際に三人で川の字になって仲良く眠ったのだ。
「あの時は楽しかったね。また、ティファちゃんも交えて三人で遊ぼうよ」
「そうだな。全部終わって、何もかもにカタがついたら三人でゆっくりしようか」
カタが着く時、それはゼロに纏わる因縁が全て終わる時。
「そうだ、今度ウチにおいでよ。パパもママも喜ぶし、それに私お姉ちゃんになったの。弟が生まれたんだ」
「……マジかよ」
多分この数週間の中で一番の衝撃的発言であったかもしれない。
「そっかぁ、アリサもお姉ちゃんか…………だったらさ、俺も今度実家に行くつもりなんだ。ついてきてくれるか?」
「実家って、あの家?」
あの家というのは、ゼロが誘拐される前まで住んでいた家のことだろう。
「いいや、違う。行くのは蝶羽の家だ」
ゼロは今学園では蝶羽一夏と名乗っている。
だがそれは任務で与えられた偽名ではなく、一夏の本当の苗字。
轡木と同じ、日本ではなく、世界の裏で遥か昔より根を広げていた一族の名前。
一日が終わる。