鮮血が顔にかかる。一瞬のうちに世界が曇る。
呼吸が止まった。叫びたい、しかし肉体がそれを許可しない。聞こえない慟哭を漏らす。
シルヴィアさんが俺を庇った。
俺の目の前には心臓の近くをランスで貫かれているシルヴィアさんがいる。
腕は力なく垂れ下がり、生気を感じさせない。僅かに残ったエネルギーを使用して俺を守ってくれた。
俺が弱いから。
「死に損ないが」
スカーラがランスを振り回して、突き刺さったシルヴィアさんを強引に抜いた。
地面に叩きつけられた。シルヴィアさんのISが解除される。シルヴィアさんの着ているISスーツには血がべっとりとついている。
急がないと、まだシルヴィアさんは動いている。助けないと。
俺の大切な人が死んでしまう。
幾らでも人を殺してきた。それでも大切な人が無事ならばそれで良かった。
でも今、死にそうになっている。
許せるモノか。
急いで助けなければ。
足掻いてもワイヤーはとけることはない。剣をコールして切り裂こうとしても手首ごと巻きつけられてしまっているために握る事ができない。最後の手段はISを解除する事だが、解除したらその瞬間にはワイヤーが巻きつくだろう。
「さあ、さっきは邪魔されたが今度はいかねえぞ」
スカーラが気を取り直してと言わんばかりにランスを振り回している。
終わりか。
そう思ったが、モニターに表示された情報を見る。
遅い……
次の瞬間、風を切り裂く音と共にワイヤーが撃ち抜かれた。両腕が自由になり、地面に落下した。五点着地の要領で着地の衝撃を軽め、直様動かないISを解除してシルヴィアさんの元に向かう。
「大丈夫!?お兄ちゃん!」
マドカ……エムが応援にきてくれたようだ。
それに続いて数機の反応、他のモノクローム・アバターのメンバーだろう。
「ゼロ、シルヴィアの治療をお願い。エム、ゼロの援護を」
スコールさんから指揮が飛んでくる。
俺がシルヴィアさんを抱え上げ、俺をエムが抱え上げて一時戦線を離脱する。
「エム、安全圏に離脱したら直様シルヴィアさんの応急処置にとりかかるぞ。これは……まずい」
俺の手に伝わってくるシルヴィアさんの鼓動が段々と小さくなっていく。何回も人を殺してきたからわかる。シルヴィアさんの命が途絶えようとしていることが。
数十秒のうちに安全圏に離脱することができた。そのまま付近のビルに入り込み、そこで応急処置をすることにした。
「エム、急いで応急具を出してくれ」
「落ち着いて、お兄ちゃん」
普段の俺ならここでお兄ちゃんと呼んだ事を注意するのだが、今の俺にそんな余裕はない。
エムが地面に布を敷き、そこにシルヴィアさんをねかせる。応急処置用の道具を受け取り、直様処置にとりかかる。
亡国機業では戦闘員の生存率をあげるために戦闘員ほぼ全員に応急処置用の医療道具が持たされている。
何度も何度も練習してきたことだ。
しかし。
「……やめな。もう無理だ」
治療しようとする俺の手をシルヴィアさんが掴んで止めた。その手は普段の力強さからは信じられないくらい弱りきっていた。
そしてわかった、シルヴィアさんがもう死ぬということが。
視える、燃え盛る火炎が既に今にも消えてしまいそうな火種になってしまっている。
俺は、何も言えずに手を止めてしまった。
「お兄ちゃん!」
マドカが手を止めてしまった俺を促す。早く治療してあげてと、シルヴィアさんを助けてくれと。
シルヴィアさんはマドカ、そして俺にとっても姉のような頼れる存在であった。優しく、頼りになり、困った事があればいつでも相談に乗ってくれて、アドバイスもしてくれた。
大切な存在だ。
俺も失いたくない。
けど。
「やめてくれ…………」
こんなちっぽけな言葉しか言えない。
惨めすぎる。
「それで……いいんだ」
シルヴィアさんが弱り切った手で指につけていた前の隊長の物だという指輪を取り外した。
「生を醜くしないでくれ」
そして俺の右手の親指にソレをはめた。指輪から伝わる冷たさは死を教えてくれた。
「一夏、ソレはあんたにあげる……お守り……呪いの指輪なんて……言うなよ。悲しくなっちまう」
シルヴィアさんが薄く笑みを浮かべた。その笑みは美しかった。
「言いません。大切にします」
零れそうになる涙を堪える。
「…………そうか、よかった。あんたは強いけど、弱々しさがあるからね」
シルヴィアさんがゆっくりと目を瞑った。唖々、そうなのか。
「シルヴィアさん!」
泣きっ面になっているマドカが叫んだ。
「マドカ……いい子にね。妹みたいで可愛かったよ。ありがとう」
「っはい」
マドカは涙を流しながら、強がりの笑みをした。
「シルヴィアさん、ありがとうございました」
言いたいことはたくさんある。感謝の念は積もりに積もって計れない。だからこの言葉を言った。
「うん、ありがとう…………」
その言葉の直後、シルヴィアさんの心臓の動きが止まった。ゆっくりと眠るように亡くなった。
頬にそっとふれ、優しく撫でる。生を失った肌は残滓が残っている。
そしてなにも言わずにシルヴィアさんの唇に唇を合わせた。
一瞬なのか永遠なのか、判断がつかなくなった。それだけ、愛を込めた。
ゆっくりとシルヴィアさんの身体に衣服をかけてから離れ、そして立ち上がる。
やらねばならぬことがある。
「エム、シールドエネルギーを半分よこせ。俺が行く」
ケリをつけなければ、それが手向け。
「待って!お兄ちゃんのISは半壊してるんだよ!それなのに今いっても……」
エムが俺を止める。
「だからだよ。だからこそ俺が出るんだよ。ケリをつけるために、示すために」
「…………戻ってきてね」
エムは諦めた様子で。シールドエネルギー移動用のチューブを取り出した。
ISを展開、チューブでISとISをつなげる。
エネルギーが送り込まれてくる。其の間に機体の現状を確認する。左手は完全に壊れているが他の部位はまだ使用することができる。装備はビームナイフ数本とビームブレード一本。殺れる。
数十秒のうちに補給作業は終了した。
「お兄ちゃん、戻ってきてね」
背後でエムがそう言った。
「わかってる、心配するな。シルヴィアさんを頼んだ」
ビームブレードを展開し、俺は再び戦場に向かった。