こころの狭間 少女と竜の物語   作:Senritsu

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第4話 つながる世界

 

 結論から言うと、その入り江にモンスターはいなかった。

 

 その代わり入り江には、途方もなく大きな竜の、白骨化した遺骸が鎮座していたのだ。

 風格が漂うその姿は、月明かりに照らされて、入り江と共に幻想的な雰囲気さえ作り出していた。

 

 直感で、「彼」だ、と思った。

 

 あの物語が実話をもとにしているというヨシの言葉も、もう疑わなかった。

 決定的な証拠が、今、目の前にあるのだから。

 

 しばらくの間、私は入り江の入口に突っ立って呆然としていた。

 その壮大な光景に見惚れていた、というのもあったのかもしれない。

 

 はっとしたときには、何分が経過していただろうか。

 長い間、無防備な状態になっていたことに気付き、すっと肝が冷える。

 だが、そのことでやっと幾分か落ち着きを取り戻すことができた。

 小さく深呼吸をした私は、入り江に足を踏み入れ、改めてその骸を観察した。

 

 

 真っ先に目を引くのはその大きさである。

 海竜種の骨格は特徴的な部分が多いので(ラギア種とアグナ種しかいない)すぐにそれだとわかるのだが……

 

「金冠サイズとかの比じゃないよねこれ……」

 

 遠くから見れば、縮尺を疑ってしまうかもしてない。

 私が狩猟した同種の個体よりも、二回り以上は大きいだろう。

 こんな大きさのラギアクルスが今も存在していたら、と思うと、小さく身震いしてしまった。

 

 

 ここまできて、遠くから全体像を見ているばかりだということに気付く。

 見物ばかりしていてはらちがあかない。現物を触ってみようと踏み出した。

 

 

 しかし、その足が不意に止まる。

 いつの間にか息も詰まっていた。

 

 ――気圧されてる。

 

 この強烈なプレッシャーはまさしく、「生態系の頂点に立つ者」であり、「孤島の覇者」のもの。

 その圧倒的な存在感に、漂わせる風格に、生き死にの境目などないのか。

 すぐさまその身を翻して駆け出してしまいたくなる衝動が、私の身を襲った。

 

「……でもね、ここまで来たら後には引けないんだ」

 

 そう呟いて、怖れを抱く本能に抗いながら一歩一歩進んでいく。

 私にだってハンターの矜持というものはあるのだ。見かけの圧力になどに屈しはしない。

 砕けて言ってしまえば、「死人に口なし」に近い考え方なのだが。

 

 

 ようやく遺体の元までついたときには、冷や汗でぐっしょりになっていた。

 別に初めての感覚ではない。眠っている大型モンスターに近づくときは、このような緊張を伴う。

 

「でも、それをまさかここでも味わうことになるとはね……」

 

 予想外の出来事に、神経がごっそり持っていかれた気分だった。

 

 いろいろあったが、ようやくこれを詳しく調べることができる。

 その骨を手で触ってみると、まだ硬質な感じが残っている。風化するほど長い年月外気に晒されていないのだろう。

 

「ってことは、死んでから10年くらいしかたってないのかな?」

 

 この入り江は風雨から遺体を守っているため、多少はは持ちがよくなったと考えると、それくらいが妥当なところか。

 これは、素材としてはかなり上質なものなのではないだろうか?

 モガ村で鍛冶屋を営んでいるアシェルダが見れば、目を輝かせて喜びそうだ。

 

 ところが、保存状態などを考慮しても不可解な点が一つ。

 

 ――どうして全身の骨格まで完璧に残っているのか?

 

 この理由を先ほどから考えているのだが、全く分からない。

 あの超大型古龍のものならともかく、普通なら死体の骨というものは一年もするとバラバラになってしまうものだ。

 いくらこれが規格外に大きいとしても、頭から尻尾の先まで骨が残っているなんて到底信じられない。

 

 逆に考えれば、白骨化した遺体に触れるものが一切いなかったことになる。

 

 モンスターの死骸が残らないのは、その肉を喰らうモンスターが噛み砕いたり、踏み潰たりするのが理由だ。

 ある程度まで砕けてしまった骨は、分解されて土に還る。

 このサイクルを繰り返すうちに、大型モンスターの遺骸さえ数か月後には跡形もなくなってしまう。

 

 そんな自然の摂理を堂々と破られては、混乱するというものだ。

 

「これの元が「彼」だったからかなあ……なんて、そんなわけないじゃん……」

 

 頭の方もだいぶ参ってきているようだ。

 無理もないよね、とため息をついた。狩猟のときよりも気を使っている気がする。

 

 いったん村まで帰って、休息をとった方がいいのかもしれない。

 

 そんな考えは、疲れた体にはとても魅力的でとても抗いきれるものではなかった。

 来た道を戻ろうと、視線を入り江の入口の方へと向けようと――

 ――そのときだった。

 

 

 竜の遺骸の首の方で、きらり と何かが光った。

 

 星の光の反射にしては、やけに明るすぎた。それだけなら気にしないで帰ってしまっていただろうとは思う。

 だが、私はその光に既視感を覚えた。

 それがいつのものであったかを考える前に、私は光った方へと歩いていった。

 

 

 そして、首の骨に、何かが吊り下がっているのに気付く。

 

「これは……?」 

 

 手に取ってみると、なかなかの重さがあった。

 擦り切れかかった紐で支えられているそれは、吸い込まれそうなほど深い藍色をしている。

 粗削りだが紐を通す穴まで開いており、星の光を跳ね返すくらい綺麗に磨かれていた。

 

 それは、まるで……

 

「誰かが作ったとしか、思えな――――!?」

 

 手に持っていたその「首飾り」が落ちる。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

   何がどうしたと私は言った?

 

    ――これを「作った」と私は言った。

 

 

   じゃあ、何がこれを「作った」?

 

    ――人か、アイルー。

 

 

   どうして、そんなものが竜の首にかかっている?

 

    ――……竜を愛していたからだ。

 

 

   こんなことが出来たのは、誰だ?

 

    ――……決まっている。ただ、一人だけ。

 

 

「――『妖精さん』だ……」

 

 

 

 相容れずも、確かな絆で結ばれていた、少女と竜のお話。

 

 物語と現実、ふたつの世界がつながった。

 

 頭の中で、いろんな想いがいっしょくたになって、溢れてくる。

 

 それは、戸惑いであるとか、懐疑心であるとか。

 

 そんななかで、唯一私が形にできたものは――――

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 今になって思えば、なんて姿を晒していたんだろう、と恥ずかしくなる。

 そんなことを考えている余裕がなかった、と言ってしまえば、まあ仕方ないとは思う。しかし、私はそれより前から、決定的なことをいくつも見落としていた。

 

 何故、遺骸には全身の骨「だけ」しか残っていなかったのか。

 

 切れかけていたとはいえ、あの首飾りが首に架けられたままの状態だった、ということは何を意味するのか。

 

 

 骨と同じく分解されにくい鱗などが、あの場所には一枚も落ちていなかった。

 これが意味するのはどういうことか。

 

 また、竜が首飾りをかけたまま死んだとしたら、外気に当てられ続けた紐は、とっくに切れていたはずである。

 それが今でも首に架かっているということから、思い浮かぶのは何か。

 

 

 この二つのどちらかにさえ気付いていれば、行き着いていたであろう事実。

 

 でも、私はそれでよかったと思っているのだ。

 

 もしあのときどちらかにでも気付いていれば、今の私はなかっただろうから。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 ざりっ、という音を耳にしたときには、もう遅かった。

 

「――――っ、あぅっ!?」

 

 ダツッという音と共に、右肩の辺りに鋭い痛みが走る。――防具の繋ぎの部分に撃ち込まれた!

 

 一瞬で身に迫ってきた危機に、一気に頭が覚醒する。

 

 動揺を刹那のうちにしまい込む。そして、大剣を抜刀しながら、右肩に刺さったままの何かを引き抜こうとして――

 

 とさっ、と膝から崩れ落ちた。

 

 ――手足に、力が入らない。

 

 急速に体の自由が失われ、視界がぼやけていく。

 普通は痛むはずの肩の傷は、痺れるような感覚以外が失われてしまっている。

 取りこぼした大剣が大きな音を立てて地面に倒れるが、それさえ遠くの出来事のように聞こえた。

 

「ねむ、り……どく?」

 

 してやられた。そう思う間にも、思考はどんどん鈍っていった。

 

  ――眠り毒を使うモンスターがいたのか?

 

  ――いつの間に後ろを取られていた?

 

 命の危機にあるというのに、頭が全くついてきてくれない。

 焦りさえも、形をもって表れる前に、塗りつぶされていく。

 

 せめて、攻撃してきた相手の姿だけでも確認しよう。

 僅かに残された力で振り返った。

 

 

 

 

   それから先に見聞きしたことは、夢だと言われれば信じていたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「――キミは、誰ダ?」

 

 


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