「優しいけど恥ずかしがりなだけ?」
「…………」
思わず本音が漏れてしまった。
「あ……ご、ごめんなさい!つい……」
「……キにしナイ」
少女はそう短く呟くと、ふいっとそっぽを向いてしまう。どうやら気にしているみたいだ。
同時に、私と同じラギアクルスの鱗を用いているのであろう蒼い外套が、ふわりと広がる。
その仕草がごく普通の子供たちのそれに似ていて、私は親近感を覚えた。以前会ったときの言動から、私は間違った印象を彼女に対して抱いてしまっていたようだった。
「そっか。ありがとね」
「…………」
その後、私がしばらく黙ったままだったので、少女はちら、とこちらを窺い見た。何かもの言いたげな目をしている。
彼女にとって、自ら声をかけることというのは、こちらの言葉に応対する以上に難しいことなのだろう。私は自然体で楽に構えることにした。実際の心の内はあまり余裕のある状態とは言えなかったけど(嬉しさなどのせいで落ち着かないのだ)これくらいならやってのけられる。
ここまで考えて、はて、と疑問に浮かぶことがあった。
今、あまりにもあっさりと会話が出来ているけれど、これはおかしいことではないかな、と。口調は片言になってしまっているけど、聞き取れないほどのものではなかった。
おとぎ話によれば、目の前の少女は私よりずっと年上で、尚且つヒトという種族と話すのは途方もないくらい久々なことなのでは?
言葉を使う必要のある機会が、目の前の少女に果してあったのだろうか。
そんなとりとめのない考えは、たどたどしい少女の言葉によって打ち止められた。
「――あやマッテ、オれいヲいワないトいけナイ」
それは彼女の口から飛び出した、予想だにしない一言だった。
「え、えっと……お礼を言われるようなこと、私したかな?」
少し面喰いながらも率直な疑問を投げかけると、少女は僅かに目を伏せて答える。
「…………ウミのカミさまヲ、ヤっつけテくレタから」
「――――」
つ、と息が詰まった。胸のあたりをとんっ、と叩かれたかのような感覚。
まさか、あのとき……
「――見てたの? 半年前の、あれを」
「……たタカいがおワって、さっテいくトころダケ」
「…………そっか。まあ当たり前だよね」
確かに、あのときの私はたったひとりで、とてつもない古龍種と戦っていたのだ。海も森もさぞ荒れたことだろう。
少女が感づいて、見に行くのは容易に想像できた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
深海に住まう古龍種ナバルデウス。別名、
その大きさは、かの砂の海の主ジエン・モーランに匹敵し、圧倒的なまでの生命力をもつ。
ラギアクルスを優に超える巨体から放たれる攻撃の数々は強力無比の一言で、特に水のブレスは深海から海面までその渦を軽々と届かせるほどだ。
比類なき力を持っていながら、それまでその姿を目撃されることさえ絶無だった伝説上の存在だった。
そんな龍がある日を境に、モガ村の近くの海底遺跡に居座ってしまった。同時に、モガの森周辺では地震が頻発するようになる。
モガ村に何度も被害をもたらしたその地震は、ナバルデウスが異常に発達した片角を遺跡に何度もぶつけていたのが原因だった。
当時、モガ村にはギルド本部から避難勧告が発令され、壊滅は必至とされた。
それを、私たちで阻止したのだ。ナバルデウスの撃退という方法で。
実際に戦いに赴いたのは私だけだけど、村人たちが決死の覚悟で整備した海中バリスタと
アイシャなど、ギルドの命令を無視するという重大違反を犯しておきながら、私を海底遺跡に向かわせたのだ。本当は私を止めて、避難を誘導する立場にあったのに。
村の願いを一身に背負った私は、みじめに負けて帰ってくるわけにはいかなかった。
戦いは二日間に渡って続いた。撃龍槍を発射した回数は実に三回にもなる。三十発以上あったバリスタの弾も打ち尽くしていて、ギリギリの状態での決着だった。
陸に上がってナバルデウスが離れていくのを確認した後、その場で私は気を失ってしまい、丸一日目を覚まさなかった。
再び意識が戻ったとき、そこは既に自室のベットの上で、看病をしてくれていたアイシャが泣きながら抱きしめてきたのが印象に残っている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「…………ん?」
まってまって、とあのときの自身の状態を思い出す。去り際だけ見てたとするのなら……もしかして?
「あのとき倒れてた私を運んでくれたのって……?」
「わタシだケど」
「…………うわー……」
思わず呻き声をあげてしまった。どうりであんな辺鄙な場所から私を見つけることができたのだ。彼女に背負われたのは、前回のあれが初めてではないということ。しかも意識がないのだからたちが悪い。
なんだか彼女にお世話になりっぱなしな気がして、とても恥ずかしかった。
そんな私の苦悶を知ってか知らずか、少女はやんわりと微笑んで言った。
「あレのせイで、トウさんがこわレテしまいソウだっタ。ダかラ、アりがトウ」
「ど、どういたしまして……」
父さんとは確認するまでもなく、彼女の背後に鎮座する遺骸のことだろう。おとぎ話の「彼」であろうものだ。
私が大海龍を退けたことで、彼女にとってかけがえのない大切な存在を守り抜くことが出来たのだ。それはとてもうれしい誤算だった。
気恥ずかしさのせいでどもってしまったけど、私はどうにか返答することができた。
その後、彼女は言葉を発しなかった。こちらの言葉を待っているような雰囲気だ。
いきなり本題に切り込もうとはあまり思えなかった。もっとこの時間を共有しておきたいという気持ちの方が大きい。
私は、他に気になっていた質問を重ねることにした。
「幾つか話したいことがあるんだけど、大丈夫?」
「あア、カまわナイ」
「それじゃあ一つ目。貴方は竜人族なのかな?」
おとぎ話の事実を確かめるための質問の一つだ。
人間か竜人族かの判定は耳を見ることが一般的だが、彼女の場合は長い銀髪に隠れて判別することができなかった。
私の言葉を反芻していた彼女は、しばらくしてからその意味を理解して答えた。
「タしかニ、わたシはリュウじんゾクなのダろウ」
そう言って、左手で髪をかき分ける。そこには、尖った形状をしている耳があった。竜人族に代表される特徴の一つだ。
かの種族は、その成長の仕方、寿命も人間と比べて遥かに長く、数百年生きている人物も少なくないという。
だとしたら、おとぎ話との年月の差異もクリアできたと見ていいのだろうか。
「ホかに、ナにカ?」
「うん、もうひとつ」
これさえはっきりとすれば、彼女はおとぎ話の少女で間違いないことがほぼ確信できる。
ただ、少女がそれを意図的に隠しているとしたら、嫌な思いをさせてしまうかもしれなかった。少し、言葉を濁す。
「あなたのその右手は……」
「アあ、これカ」
しかし、そんな私の憂慮とは裏腹に、少女はあっさりと私の質問の意味を理解して、答えた。
「わたシハ、カたほウノうでガないんダ」
そして、外套をめくって隠れていた右腕部分を露わにする。
そこには――――
「デも、コレがアルからコまルことハなイ」
肩から先から、無骨な形をした木の義手が取りつけられていた。
彼女にとっては、もう当たり前のことなのだろう。だから、別に私に隠す必要もなかったということか。悪い展開にならずに済んで、私は内心ほっとしていた。
「そっか……」
そして、分かったことがもう一つ。
巨大な竜の全身骨と、そこに住む片腕の竜人族の少女。
彼女は、おとぎ話の少女と同一人物だ。
私は既に確信していたので別段驚くこともないが、否定しようのない事実が分かったのは大きいように思えた。
それにしても、あの義手は彼女が自らの手で作ったのだろうか。だとしたら、手先がとても器用なのだろう。
よく見ると一本の棒ではなく、しっかりと関節部分で曲がるようになっているようだ。他にも所々に細工が仕組まれているように見える。
いったいどのような仕組みになっているのだろうかとじっと見つめていると、その沈黙を彼女は質問が終わったと解釈したようだった。
「とキどき、あナタをコノもりデみテた」
最初よりは気楽な様子で、私に話しかけてくる。
そしてその内容は、また私が知りもしなかった割と衝撃的な事実だった。
「え、本当? 全然気付かなかったよ……」
「トおクからミテたかラ」
少し考えてみれば、当たり前のことなのだろう。
私はモガの森にはもう何度も足を踏み入れていたから、この周辺を庭のように走れるであろう彼女が私を見る機会は多かったはずだ。
「ソラのオウさまモ、ワたシはタオせなカッた。けど、アなたガたおシテくれタ」
「うん」
空の王様とは、リオレウスのことだろう。
「だカラ――」
ここで、少女の目に僅かに迷いの色が混じったように見えた。小さく開きかけた口を一度閉じて、言うべき言葉を選んでいるようにも見える。
少し不思議に思ったけど、気にしないことにして黙することで先を促した。
彼女はしばらく逡巡していたが、やがて意を決したように口を開いた。
「ダかラ、ケンをカエせなカった」
「――――え?」
いきなり本題に切り込まれて、私は動揺した。今までの展開と今の言葉の、つながりが見えない。
「こコにキたのハ、アのケンをトリもどスためダトおもウ」
「え、えっと……うん。そうだよ。私は、あの剣を返してもらうために、ここに来たんだ」
「アノけんハ、ココにある」
「……でも、返せないっていうのは……?」
「いイヤ、カエせるケド…………」
困惑する私に向けて、彼女もまた辛そうな顔を浮かべて、言葉を続ける。
「ダけど……デキれバワたしタチをタスけてクれナイか」
「あ、あのっ!」
どうしてそんなに苦しげな顔をするのか、何を助けてほしいのか。
いきなり投げかけられた思いもよらない一言に驚きの声を漏らしたあと、それらのことを確かめようとした、その時だった。
海につながる道の方から、鋭い汽笛のような咆哮があがった。
ざわり、と全身が総毛立つ。
そして、目の前の少女の顔が、一瞬にして強張った。
同時に、私は瞬時に事態を把握した。今の咆哮は……ルドロスのものだ。数は分からないけど、恐らくこの入り江に侵入してきている!
海獣ルドロス、その名の通り、海に生息する獰猛な肉食獣だ。黄色いトカゲのような姿、体長は2メートル程で、群れを作って行動している。
どういった経緯でこの場所を知るに至ったのかは分からないけど、この入り江は彼らが住処にするには最適な環境だった。
そして、今更になってアイシャの言葉が蘇る。
『防具も道具も戻ってきて、武器だけが戻ってこない。そのことを逆説的に考えると、どうして返すに返せない状況に陥ってしまっているのでしょうか?』
――つまり、
少女がこちらに振り返るよりも早く、私は彼女の横を駆け抜けていた。少女が、驚いた顔を浮かべる。
「大剣はあっちだよね!?」
「え、あ、ウん。ダケド……」
「私が使う! この入り江を、お父さんを、守るんでしょ!?」
「ワ、わかっタ」
頷いた彼女は、懐から短剣を取り出してその左手にしっかりと握らせてから、私の後を追う。
「貴方も行くの!?」
「わタシだっテ、たタカえル!」
私の問いに即答して、彼女は外套を翻した。さっき見た義手を露わにする。
口を真一文字に結んだ彼女の顔は凛々しく、こんな状況の中でも冷静であることが分かる。戦闘に慣れているのが窺えた。
――当たり前か。
彼女はもう何度もここを守ってきたのだろうから。
恐らく炎剣は、ルドロスたちの侵入を拒むために砂浜に置かれているのだろう。そこに彼らが群れてしまっては回収が難しくなってしまう。
そして、この入り江に彼らが侵入してしまうと、あの遺骸を守りきるのがとたんに難しくなる。
少女は、剣を返しに行きたかった。でも、
あの獣たちを撃退するには、私の剣を使って牽制するしかなくて、私に剣を返しに行っている間に彼らが侵入してきたら、そのときこそ終わりだ。
なんという思い違い。
私の前に姿を現さなかったのは、拒絶ではなく、救援を求める無言のメッセージだった。
一カ月という時間が、重い悔悟となって私に押し寄せてくる。
(あと少し)
しかし、ぎりっと歯を食いしばって、後悔を置き去りにして、砂を蹴って走った。
腰に提げた片手剣の留め具を外して、いつでも抜刀できる体制に持っていく。
私は狩人だ。だから、出来ることを今やってみせる。
彼女の願いを守るためにも。
(間に合え――!)
私は、砂浜に向けて全力で疾走していた。
そういえば、このお話に奇面族の彼ら(チャチャとカヤンバ)は出てきません。
ストーリーの展開上、ソナタと彼らを出会わせるとあっさり問題が解決しそうな予感がしたので、あえて出場させませんでした。期待していた方には申し訳ないです。
……いや、初期プロットで存在を綺麗に忘れてたとかそんなわけではないですよ。