Cross Ballade(けいおん!×School Daysシリーズ)   作:SPIRIT

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ヤンデレ化した憂に、妹を人質に取られてしまった誠。
それを知った唯も、誠の家へ向かいます。



第9話『嫉妬』

「お姉ちゃんから、手を引いてくれますね」

 誠の目の前で、いたるに包丁を突き付ける憂。

 生唾を飲み込みながら、誠は静かに、しかしはっきりと、言った。

 

「…手を引かなくても、唯ちゃんはすでに『ごめん』と言っています」

「…」

「確かに、二股をかけた状態で唯ちゃんをその気にさせたのは申し訳ないと思ってる。

でも、唯ちゃんへの思いは、本当だったんです。

世界や言葉だって同じだった…。

誰を一番に取ることもできないまま、ずるずるずるずると流された揚句、この状態になったんですけどね。

それに…悪いのは俺一人で、いたるには何の罪もない。

いたるは命を奪われる理由なんて、何もないのに!」

 

 すると、憂はくすくすと笑いながら、

「貴方が命を亡くしたところで何も変わりません。死なんて一瞬の痛み。

それよりも、貴方の大切な人を失わせて、生き地獄に突き落とすのも悪くないと思って」

「…正気…ですか…」

「正気です」

「そんな…」

 呆然とする誠。

 

 くすくすと笑う憂。

 と、その時、

 ドンッ!!

 後ろから体当たりを受け、憂は思わず包丁といたるを手放す。

「いたる!!」

 あわてて誠は、前方に飛んで来たいたるを腕にキャッチする。

 包丁のほうは、床を大きく弾んで、やがて動きを止める。

 誠はいたるが生きているのを見て、大きく安心のため息をついた。

 

「いたるちゃん、大丈夫!?」

 声をかけてきたのは、言葉の妹、心。

「心ちゃん!?」

 

 向こうを見ると、憂が両腕を抑えられ、騎乗位で言葉に組み敷かれていた。

「離して! 離してよ!!」

「いったいどういうことですか!? 誠君の妹、それも子供を盾にとって!?」

 つかみ合う腕を振り回しながら、があがあと2人はわめいている。

「サンキュー、言葉!」

「あ、いえ…急いできて、何やら騒がしいと思ったから…」

 言葉は相手の手首を抑え、ぐっと力を入れていく。

 バタバタする憂の手足が、だんだんと静まっていく。

 やがて動きが、止まった。

 

 

「平沢さんの妹だそうですね。…とりあえず、秋山さんに連絡を」

 そうしたほうが、いいだろうな。

「ほ、包丁どうしよう…?」

 包丁を取った心はおびえながら話す。

 

「とりあえず、俺が預かる。この子とはじっくりと話したい。」

 誠は、とりあえず気分を落ち着けた。

 なるほど、憂は、信じられないぐらいにうなだれてしまっていた。

 

「あ…う…」

 その時、腕の中のいたるが寝がえりをうった。

「いたる?」

「あ…おにーちゃん…?」

 薄目でいたるは、呟くように答えた。

「良かった…無事だったんだ…」

 急にいたるは元気になって、誠の首に飛びつきながら、

「おにーちゃ! ハンバーグたべれる?」舌っ足らずな口調で話しかける。「あれ、このおねーちゃ、だれ?」

 

 いたるが指さしたのは、憂。

「あ…それは…」

 憂が襲ったことを、覚えてないのだろうか。

「いたる…何も覚えてないのかい…?」

「うーうん、おにーちゃんのおうちにきたら、きゅうにあたまがいたくなって、それっきり」

 どうやら、あまりに唐突だったので、その場の記憶がないらしい。

 

「この人はですね…」

 言いかける言葉を誠は制し、

「この人は俺の親友の妹さん。あ、それとこっちは、俺の友達の…」

「彼女です」言葉は遮る。

「頼むよ、恥ずかしいから…」

 顔を赤らめる誠に、言葉は

「いいじゃないですか」と制して、「いたるちゃん、よろしくね」と腰をかがめ、いたるの頭をなでる。

「はーい、よろしく!」

 いたるの笑顔に、誠も思わず表情をほころばせた。

 

 それを見て、言葉の表情が急に曇る。

「言葉?」

「誠君…正直…今の誠君の笑顔を見てると…」

「言葉…?」

「…平沢さんの影が、ちらついてならないんです。

誠君の笑顔が、そのまま、平沢さんの笑顔に見える」

「そう? 唯ちゃんの笑顔、やっぱりいいよな」

 にっこりして、誠は家へと入っていった。はしゃぐいたるの手を引いて。

 

 憂はうなだれたまま、その後に従う。

「何してるの? お姉ちゃん、入ろうよ」

 心が言葉に声をかけるが、

「…誠君の彼女、私だよね……」

 ぼそぼそと言葉は呟く。

「お姉ちゃん?」

「あ、ごめん、心。入ろうか」

 にっこりと笑顔を見せて、彼女も心と一緒に家へ入る。

 そして携帯を取り出し、澪に電話し始めた。

 

 

 風がゴトゴトとなる中。

 整理された部屋。つややかな木の床。

 丸いテーブルに向かい合うように、ソファーが置かれ、そこに放課後ティータイムが並んで座っている。

 ここは唯の家のリビングだ。

 ムギを除いた皆で、明日のことについて話し合っていた。

 純はすでに帰ってしまっている。

「とりあえずよ、みんな自由行動でいいんじゃね?」

 っけらかんと、律は結論を出した。

「そうはいきませんっ!」

 梓はいかにもヒステリックだ。

「何でだよ」

「あんな荒んだところ、私も先輩達も行ったらどうなるか! 私、本当に先輩達が心配なんですよ!!」

「いーじゃんか、彼氏づくりには持ってこいなところだしよ」

 律はへっへと笑う。意に介さないようだ。

 

「それに私も」澪が穏やかな口調で、「伊藤と桂のことが気になるし。ちょっと2人を見てみようと思うんだ」

「…マコちゃん…」

 ポケットの中のものを気にしながら、唯は聞こえないように呟く。

 梓はさらに顔を青ざめ、

 

「ますます嫌ですよ!! もう伊藤や桂に近づくのはやめてくださいよ!!」

「梓…」

「澪先輩! あんなに榊野に行くの嫌だったじゃないですか!! どこに行っちゃったんですか、あの時の澪先輩は!?」

「ま、住めば都って奴だろ」律は腕組みしながら、「成長したと思うぜ、澪も。その荒んだところに行っても動じなくなったんだからよ」

「おねがいですからー! 私は本当に…!」

 さわぎたてる梓の隣で、唯はうつむいたまま、無言になっている。

 今更自分が行っても、もう誠は…。

 

「唯」

「澪ちゃん」

 澪は、唯の心を読みとおしたかのように、

「伊藤のこと、あきらめてないんだな」

「…そうだよ…」

「なっ!?」ますます梓は血相を変えて、「何であんな奴が好きなんですか!? 二股も三股もかけるような、」

「梓!」澪は梓をたしなめ、「唯、あの時、『ごめん』って言ってたから、てっきりあきらめたのかと思ってたぞ」

「あの時は、頭の中を整理できなかったから」指をつんつんしながら、唯は言った。「あの時はあの人が傷ついているのを見て、あの人の汚点に気づいたけど…。

やっぱ、忘れられないよ」

「…なんだったらさ、唯も榊野に行ってみたほうがいいと思うんだ」

「いいの!?」

「いいのって、それは個人の自由だと思うぞ」

 澪は憐れむような目つき。それでも気遣っているのだと、唯は判断している。

 

「私はあくまで反対です」梓は唯の肩をつかみ、「あんなところに行って、あんな野郎に会ったら、唯先輩はどうなるか!」

「あずにゃーん、あずにゃんはマコちゃんに直接会ったわけじゃなくて、又聞きで評判を聞いているだけでしょ。マコちゃんのことわかってないよ」

「…一応、あの時の修羅場は横で聞いていました、甘露寺と」

「つーか澪」律は耳をほじくりながら「んなことしたら、桂が黙っちゃいないだろう」

「それは、そうだけど…」澪は困惑顔になり、「桂には以前話したけど、私は唯の友達でもあるし、唯の好きなようにさせてやりたいんだ」

「って、こういうのはやめさせるのが真の友情でしょ?」

「そーだそーだ、それにそんなあいまいな態度じゃ、伊藤になっちまうぞー!!」

「それは伊藤に失礼」

 

 ふとその時、澪の携帯から着信が届いた。

「はい、秋山です…桂…? え、はい…なんだって…!?」

 受話器を取った澪の表情が、どんどん強張っていく。

「あ、うん。ちょうどそこに唯もいる。わかった。すぐ向かうから。 場所は…原巳浜(はらみはま)か…ああ。桜ケ丘駅から乗れば30分ぐらいだと思う。ありがとう」

 電話を切って、切羽詰まった表情で、

「憂ちゃんが、伊藤の妹さんを人質にとったそうだ。唯から手を引かなければ、妹さんの命を奪うって…」

 

 普段温厚な唯の顔から、血の気が引いて行った。

「憂…!? どうして…!?」

「幸い、通りかかった桂が憂ちゃんを取り押さえて、妹さんも無事らしい」

「待って!! どこ行けばいいの?」

「原巳浜駅から、歩いて5分ぐらいのところらしい」

「そうか…いそごう!!」

 

 マコちゃん、怒ってるだろうな。

 唯は心が痛くてしょうがない。

 ガン! ガン! ガン!

 急に壁から大きな音がしたので、そちらを向く。

 リビングで、梓がガンガンと壁に頭突きをしている。

「い…い…いいかげんにしろォォォォォ……!!」

 男のような低い唸り声。

 思わず悲鳴を上げながら後ずさりする澪を、律と唯は抑えて、

「梓こわいぞ…」

「そんなにいやなら、あずにゃんは行かなくてもいいってば…」

「いいです、行きますから」

 むくれた表情で梓は従う。

 

 律は携帯を取って、ムギに電話をするが、

「どうしたんだ、ムギの奴も…連絡が取れない…」

「とりあえず、私は行く!」

 リビングを飛び出す唯を、

「まて、分からないだろ!? 私が道を桂に聞くから」

 澪が追いかけた。

 

 

 整理されているが、小さな電球がともるだけの簡素なリビングでは、4人がけのテーブルに丸椅子が追加され、5人座れるようにセッティングされている。

 下座で憂が抜け殻状態でうなだれている。斜向かいの席でいたるは、心と指遊びをしている。

「ねーねー、おねーちゃん、おねーちゃんもあそばないのー」

 いたるが屈託のない笑顔で憂に問うので、心はぎょっとなり、

「お、大人しくしててよ…この人には関わらないほうがいいって…」

「なんでー?」

「いいから。さ、遊ぼう」

 いたるは、うつむきっぱなしの憂を気にしながらも、心と再び遊び始めた。

 

 そんな様子を、奥のキッチンで言葉と誠は見ながら、

「…なんか、本当に何も覚えてないみたいですね…」

 言葉は顔をしかめて、呟く。

「どうやら、あまりに急だったみたいでさ。その時の記憶はないみたいなんだ。

まあ、凶器はとりあえず預かったし。まあ大丈夫だろう」

 ユニパックに入れた包丁を見て、誠は安堵の表情で材料を用意する。

「ずいぶん、落ち着いているんですね」

 

 一時の沈黙。

 驚いていないわけではないが、今日1日は様々なことが起こりすぎて、頭が鈍感になってしまっているのだろう。

 それに…なんといっても、この子は唯ちゃんの妹。

 もうすこし寛大になっても、いい気がした。

 

「驚いてないってわけじゃないけど…まあ、こうなってもしょうがないかな、と思って。

憂さんの言う通り、二股も三股もかけていた事実は否定できないさ。挙句唯ちゃんにキスされた時も、拒めなかった」

「あれは平沢さんから、勝手にキスしてきたんでしょ? しょうがないじゃないですか」

「…そうかもしれないけど、唯ちゃんの妹だしね。」

「そうですか…」

 

 エプロンをかけて、言葉と誠は、今晩の料理を作り始めた。

 誠は慣れた手つきで、玉ねぎをみじん切りにしていく。

「いたっ!」

「言葉?」

 言葉は、どうやら指を切ってしまったらしい。

「マキロンと傷バンならあるけど、使う?」

 誠がきくと、言葉は大きな目で、じーっと彼を見つめ、

「傷、なめてほしい、です…」

「え…。恥ずかしいよ。それにかえってばい菌が入るだろ。」

「ううん。なめてほしいです…」

 誠は困り果て、

「まいったな…」

 と呟きながらも、切り傷のある言葉の人さし指に顔を近づける。

「そのまま、目を閉じて、なめてほしいです」

 ずいぶんと注文が多い。

 しぶしぶながら頬を染めて、誠は目を閉じ、言葉の傷口にしゃぶりついた。

 パシャッ

 耳元で、カメラのシャッター音。

「?」

 誠は思わず目を開いた。

 言葉は後ろ手で何かをしまいながら、

「なんでもないですよ」

「そう…?」

 気にしながらも、彼は自分の仕事を進め、あっという間に野菜のみじん切りを終わらせた。

 続いて、セイロの横でハンバーグをこね始める。

 言葉はそれを横目で見ながら、

「そういえば、ハンバーグにセイロって使わないですけど…」

 誠はにっこり笑って、

「これはデザート用。何ができるかはお楽しみ」

 そう言いながら誠は、ひき肉に玉ねぎを混ぜ合わせ、ハンバーグを小さく、沢山つくる。

 何とか足りるようだ。

「ずいぶん数が多いですね」

「ああ。憂さんもいるし」

「わざわざごちそうするんですか…あんなことされても?」

 まあ、そうではあるが…。

 あの後の落ち込みようを考えると、ある意味普通の人間かもしれない。

 まして、あの子の妹さん。

 少なくともあの顔を見ると、何となくほおっておけない。

 

「電話と、メール…」言葉が、うつむき加減になる。「平沢さんや、西園寺さんから来ても、取らないでください」

「え、なんで…」

「着信拒否にしてください」

 彼は唖然となる。

 なんだか、自分と付き合うと、みんな同じになるなあ。

「そんなこと言われたって、唯ちゃんと連絡がとれなきゃ、唯ちゃん達はたどりつけないだろう」

「私が秋山さんと連絡を取り合いますから、大丈夫ですよ」

 いつになく、真剣な目つきの言葉。

「それは、できないよ…」

「え…」

「前に世界にそう言われて、挙句とりみだして分かったんだ。

俺にとっては、世界も唯ちゃんも、もちろん言葉も大事なんだって」

「そんなの…」

「世界に張られてさ、唯ちゃんにあんなこと言われて、すっごくぽっかり穴が開いた気分になってるしさ」

「……。

でも、平沢さんにはもう、近づかないほうがいいと思いますよ」

 言葉はそれ以上何もいわず、何かを考えているような表情で、一心不乱に玉ねぎを切り始めた。

 機嫌を損ねたか。

 でも、仕方ない。

「いたっ!!」

 あっという間に彼女、指を切ってしまったようだ。

 

 

 桜ケ丘から原巳浜までは、およそ30分。

 プラットホームの中で、唯は一刻一刻が長く感じられてならなかった。

 おまけに通勤客がたむろしている。その隣で、澪、律、梓が何か口論をしている。

 

 唯はこっそりと人ゴミの陰に隠れ、誠への携帯に電話をする。

 トゥルルルル…トゥルルルル…

 額が、汗ばむ。

 一時の、耳元に響く電話の後、

「はい、伊藤ですけど」

 男の低い、でもさわやかな声。

「…マコちゃん…私、唯」

「唯ちゃん…どうしたの、元気ないけど」

 あんなことをされて、気にしてないのだろうか。

 真っ先に気遣ってくれたのは、自分…。

「あの…ごめんね…。憂が…妹が迷惑をかけたみたいで…」

「そのことかあ」

 はははと笑う声が、受話器から聞こえる。胸がさらに苦しくなる。

 

「唯ちゃんは気にしなくていいよ。幸いいたる…あ、妹ね。無事だったしさ」

「ううん、ほんとひどすぎるよね…許してなんて、言えないよ」唯はしゃがれた声で、「怒ってる…?」

「怒ってるって…だから唯ちゃんがやったことではないし…」

 多少笑いを含む声。

 

 携帯を持つ手に、思わず力が入る。

「…マコちゃんは…」

「?」

「…優しいよね」

 心から、そう言えた。

「優しい…」受話器の声が、思案するような声になる。「だとすれば、それは相手が唯ちゃんだからかもしれない。他の人なら、たとえ言葉や世界でも、こうはいかないと思う」

「そうかなあ」

 自分のどこが、マコちゃんをそういう風にさせてくれているんだろう。

 考えても、彼女自身にはわからなかった。

 

「唯、来たぞ」

 澪が声をかけてくる。

 我に返って向こうを見ると、銀色、ブルーラインのローカル電車が目の前を横切り、停車した。

「あ、すぐ行くから、待ってて」

「うん。わかった。せっかくだから、ご馳走食べてかない? 言葉も来てるから」

「ほんと? ありがとう…」

 安堵の表情で、唯は携帯を切り、電車に乗り込む。

 顔につけた携帯が、少し濡れていた。

 

 

「秋山さんの家は、どこです?」

 七海と子分たちに取り囲まれながら、ムギは世界の家の中で、地図を見ていた。

「ええと…桜ケ丘の…このあたり…」

「わかった。あんた達はそちらをマークして。あんた達は桂を探るんだ」

 七海の子分は、落ち着いてうなずく。

 スポーツ特待生で女バスに入ってからも、生徒を仕切っていた七海は、こういうことには如才がないようだ。

 

「あの…私は、どうすれば…」

「ムギさんは私と一緒に、榊野の校門で待機です」

 七海は冷静な口調。

 逃げ場はない。

 放課後ティータイムの誰かと連絡を取りたかったが、いかんせん携帯が出せない。

 せめて、誰か一人でも来てくれたら…。

 無理だろうか。

 

「いったい七海…何しているのかしら」

「あれだけの人数を集めているから、大がかりなことだと思う」

 そわそわする光に対し、隣の刹那は、相変わらず無表情。

「世界…」

 光が声をかけるが、世界は布団にうつ伏せになったまま、応じない。

 

 と、

「私…」むくりと起き上がり、「私、ちょっと用事思い出した」

 低い声で、つぶやくようにいい、

「行ってくる」

 そう言って、外套を着ると、玄関の方まで急いでいく。

「世界、どうした?」

「用事思い出したんで、行ってくるから」世界は真顔で、「七海、あまりてあらなことはしちゃだめよ。今日も澤永をそそのかして、桂さんに危害を加えようとしてたって聞いたし」

「あ、いや、はは…」七海は頬を染めて、「まあ、おいおいな…」

「ムギさんも、無理しなくていいですからね。七海が暴走しそうになったら、止めていいから」

 確信に満ちた口調に、ようやくムギの緊張が、ほどけた。

「あ、待って西園寺さん! 私もついていくわよ。」

「あ、でも…ちょっと今日は、1人で行きたいんです…」

「伊藤さんや桂さんのことなら、私は平気です。あまり干渉しませんから」

「…でも、ごめんね…」

 懇願するムギに対し、世界は顔を赤らめて断った。

 

 そのまま、世界は夜の闇へ飛び出していく。

 再び孤立してしまったムギ。

「どこへ行くんだ?」

「伊藤のとこだね…」刹那は息をしながら、「七海、強引な方法を取らなくてもいいんじゃない。世界の思いが通じて、伊藤と元通りの関係になる可能性もあるわけだし」

「それもそうね」

 光も同調する。

 ムギは無言。

 すっかり、物言えば唇寒しになってしまっている。

「…うまくいくといいけどねえ…相手はあの牛チチ女だよ…」

 こめかみをかきながら、七海はつぶやいた。

「とりあえず、万が一の時の作戦。実行するつもりですよ、ムギさん」

「…そうですか…」

 ムギは、再びうなだれてしまった。

 

 

 プラットホームから、海が見える。

 ようやく原巳浜駅についた。

 

「あ、もしもし桂、いま原巳浜についた」

 澪が立ち止まって言葉と電話する時も、誠の家まで、唯は全速力で突っ走っていた。

「おい、待て唯! 大体お前、伊藤の家知らないだろ!!」

 息を切らして走りながら、澪は前方の唯に声をかける。

「ううん、こっちがきっとマコちゃんの家だよ!!」

 一種の直感みたいなものが、誠に絡むとよく働く。

 唯自身、ちょっと驚いていた。

「なんでわかるんだよ…あ、桂、今原巳一丁目の本屋の近く。…あ、そっちに行けばいいんだな。ありがとう」

 背後で澪の声を聞きながら、唯は直感の導くままに走っていた。

 

 

「やれやれ、持って帰っちまったよ…」

 風が少しやんだ中。

 自宅の玄関の電気をつけながら、泰介はつぶやいた。

 黄色く光る部屋に、無数のドラゴンボールのフィギュアが浮かび上がる。

 さわ子の左腕を肩にかけながら引きずり、学校から家まで連れてきた。

 彼女は弱っているものの、怪我も病気もないので、救急車を呼ぶこともできず、どさくさにまぎれて連れてきてしまった。

 弱みに付け込んだ感じである。

 

 さわ子は、

「ああ…止さん…もっとして…」

 相変わらずうわごとを呟いている。

「あー、どうしよ…まあ据え膳食わぬは男の恥ともいうし…1回だけなら…」

「たーいすけー、なーにやってんのー?」

 廊下の奥から声がして、彼の姉が玄関までやってきた。

「あ、姉ちゃん…」

「あら、誰その人。なかなかきれいな人だけど、怪しい人じゃないよね」

「って、祝福してよ!」泰介は悲しくなり、「学祭中なんだから、彼女ができてもおかしくないでしょ」

「はいはい、私は美人は信用しない性質なんで。どこの人?」

「どこ、と言われても…」

 

 直感でさわ子と思ったが、それを証明できるものは何一つ持っていない。

 もはや破れかぶれになり、さわ子の手持ちのバッグをあさり始めた。

「って、人のバッグを勝手にほじくるな…あれ?」

 姉は、バッグがら飛び出た一つの写真に目が行き、拾い上げる。

 檜の部屋をバックに、桜ケ丘の女子生徒5人とさわ子が、楽器を持ってそれぞれウインクしながら写っている。

 

「この人、桜ケ丘の人…?」

「あ、そ、そうだよ」泰介は、真ん中に写っている唯を発見し、「あ、それにこの真ん中の子、平沢さんっていうんだけど、誠といい仲なんだよ」

「伊藤君がねえ…なかなかかっこいいものね、あの子。あなたとは違って」

「一言余計だぜ」

 やっと怪しいものじゃないと、信用してもらえたようだ。

 鞄をさらに探ると、身分証明書も見つかった。

『桜ケ丘高校 音楽教師

山中 さわ子』

 緑色のカードに、はっきりと書いてある。

「ほら、桜ケ丘の先生だよ。怪しいものなんかじゃないだろ。せっかくだからさ、今晩この人を俺ん所に…あ」

 ぐったりしているさわ子を、姉は泰介から奪い、背におぶって、

「私が預かります。あんたと2人にしたら、何するかわからないし」

「待ってよ! 俺が連れて来たんだし、いいだろ!? それに榊野で童貞卒業しねえと恥ずかしいし!!」

 わめく泰介だが、どうすることもできない。

 

 

 古びたマンションの、銀のドアの前で、唯と澪は、息を切らして停止した。

 後から律と梓も追い付く。

 恐る恐る、唯は呼び鈴を鳴らした。

 ぴーんぽーん。

 誠の家の呼び鈴が、鐘をつくように聞こえた。

 

 がちゃっ。

 ドアが開くと、出てきたのは、誠。

「唯ちゃん…」

「マコちゃん…」

 思わず2人の、声がハモった。

 と、唯は耐え切れなくなり、

「ごめんなさいっ!!」膝をついて土下座し、「ほんと、憂が…妹が本当に迷惑かけたみたいで…!!」

「唯ちゃん…だから唯ちゃんがやったことではないんだから、そんな卑屈にならなくても…」

「ううん、妹の不始末は私にも責任があるもん! 本当に…本当に…ごめんね…」

 額を地面に必死にこすりつける唯。

 

 と、左頬がぽっと暖かくなる。

 誠が唯の視線まで腰をかがめ、そっと手を差し伸べていた。

「大丈夫。もういいよ」

 顔を上げると、誠は穏やかな微笑みを浮かべていた。

「マコちゃん…!」

 唯の眼がしらが、熱くなる。

「おにーちゃ! どしたのー!!」

 小さな子供の呼び声。

 ツインテール、3歳くらいの少女が玄関に立っていた。

 可憐で優しい顔だが、前髪などがよく誠に似ている。

「あ、この子が妹のいたる。あ、いたる、この子は俺の友達の、平沢唯ちゃん」

 思わず唯は膝をかがめ。

「ごめんね…憂が…妹が貴方に迷惑をかけちゃったみたいで…」

 何度もぺこぺこ頭を下げた。

「はー?」

 いたるはぽかんとした表情。

「ほら、いたるも覚えてないみたいだし、大丈夫だよ」

「それより」梓は少し、喧嘩するような口調で、「憂はどこ? 憂のことは申し訳ないと思っているけど、それはそれ。

大体あんたが唯先輩をその気にさせたから、憂もおかしくなっちゃったんでしょ。あの子はお姉さん思いだし」

「あずにゃん、その気じゃなくて、もともと私から好きになったんだよ!」

 たしなめる唯に対し、誠は無言。

 ある意味図星なだけに、答えられない。

 

「…まあ、こんなにいらっしゃってたんですね」

 誠の背後から、声。

 そちらを向くと、言葉と心。

「桂さん…。あれ、そっちの子は?」

「妹の心です。憂さんなら、向こうにいますよ」冷淡な声、冷淡な表情で言葉は唯を見据え、「全部なかったことにしますから、どうか、お引き取り願いますか」

「そんな…正直、マコちゃんにはホンっとーに申し訳ないと持っているし! 死ぬことだってためらわないくらいなんだよ!!」

「唯ちゃん、だからそんな卑屈にならなくても…」誠は苦笑いしながら、「とりあえず、憂さんもいるし、一緒に食事しない? 今日はハンバーグライスとスパゲッティーサラダだから」

「ほんとなんだね!! ありがとう!!」

 思わず気持ちが浮き上がる。

「おい、遠慮しろよ唯。 いやいや伊藤、悪いよ」

 澪が手をパタパタ振って前に出るが、さらに律が出てきて、

「ハンバーグは私も好きなんだ、食ってみたいぜ!!」

「律先輩も遠慮してくださいよ!!」

 たしなめる梓を無視してずいっと進み出た。

「あのね、私、その…マコちゃんの手伝いをしたいっていうか…」

 唯は指をつんつんしながら、恥ずかしげに囁く。

「え? いや、そんな、悪いよ…」

「でも! でも! 憂のしたこと、少しでも償えればな、と思うし…」

「まあ、」言葉はすました顔で、「誠君に直接手を下すのではなく、誠君の大事な人を奪って生き地獄に落とす、なんて言ってましたけどね」

 

 唯は胸をつかれた。

 床の湿り気がひざを這い上がってきた。

「言葉、それは…!」

 誠が言葉を抑える前に、思わず我を忘れ、唯は皆を背にして駈け出した。

 ドタドタドタ!!

 リビングに、憂。

「あ、おねえ…」

 パアンッ!

 言いかけた憂の頬を、唯は思いっきり張っていた。

 憂は椅子から、木の床にどさっと落ちる。

 

「何でそんなことしたの!?」唯の口調は、自分でも信じられないほど荒い。「そんなことをして、私のためになると思っていたの!?」

「…だって…伊藤さんが、お姉ちゃんを取っちゃうと思ったから」

 左頬が赤くはれ、憂の目には涙がにじんでいる。

「そんなことはないよ! それに、私からマコちゃんを好きになったんだよ!! 私はこの人を好きになって、嬉しいんだよ!!

なのに、貴方は…罪のないいたるちゃんにまで、迷惑をかけて…」

「…ごめんなさい、ごめんなさい…」

 うつむき加減で、声が震えている。

 憂は、かがんでいる唯の胸にこうべを垂れ、すすり泣きはじめた。

 昂った思いが、急にほどける。

 唯はほほえみを浮かべ、憂の背中に手をまわした。

 同時に、ちょっと信じられない思いがした。

 今まで、妹を殴ることなんてなかったのに。

 生まれて、初めて。

 

 一同もリビングに駆けつけ、唖然としている。

「唯が、殴った…」

 呟く律。

「田井中さん?」

「いつも唯って、憂ちゃんの世話になってばかりで、姉としての威厳も全然ねえのに…」

「やっぱり、好きな人ができると、人間って変わるものなんだろうな」

 澪は平沢姉妹を見て、つぶやく。

「唯ちゃん…」

 誠は呆然とするが、ふと思い出したことがあり、律に聞いてみた。

「そう言えば、あの人がいないですね」

「あの人?」

「キーボードが得意で、金髪で、眉がちょっと太い人」

「あ、ムギか! それがな、甘露寺に連れられて西園寺の所へ行ったきりなんだ。電話しても連絡とれねえし」

「世界のところか…。何しに行ったんだろう?」

「もとはと言えばあんたのせいでしょ」梓は詰る。「あんたと唯先輩がキスなんかするから、西園寺も図太ぼろに傷ついちゃったんじゃないの。ムギ先輩はその罪滅ぼしのために、行ったようなもんなんだからね」

「…そうなんだ…」

「私はお暇して、ムギ先輩たちのところに行ってくる」

 踵を返す梓に、

「まてまて、せっかくだから、梓は一緒に楽しもうよ。あたしが行ってくるから。正直西園寺はあたしも気になるしよ」

 律が止める。

「そうですか…」誠はちょっと、残念そうな表情になった。「じゃあ、唯ちゃん達は食べる?」

「うれしい、ありがとう!!」

 気持ちの浮き上がった唯は、思わず誠の腕に抱きつく。

 思わず顔を赤らめる誠。

 と、

 ぐいっ!

 唯の腕を、言葉がすごい力で、引き離していた。

 2人に向かう、冷たい眼光。

「「……!」」

 すまんねと、澪が言葉に謝る。

 最後に残った律と梓。

 ふと、梓の携帯から着メロが流れ、それを取ってみる。

「ん…?」

「どしたあ、梓」

「清浦から、メール。…西園寺がこっちにきてる!?」

「なんだって? …わかった、私もここに残る」

 

 

 街灯が暗い夜道を、明るく照らす中。

 自宅から最寄りの駅まで、世界は一心不乱に走り続ける。

 道行く人は、大学のアベックもいれば、仕事帰りのサラリーマンもいる。

 それをかき分けかき分け進み、ようやく駅にたどり着いた。

 

 すると携帯から、

『♪抱きしめてミスター つかまえてミスター♪』

 KARAの着うた。

「誠!?」

 蜘蛛の糸のような希望にすがり、世界は画面も見ずに通話ボタンを押した。

「おいーす、さーいおーんじー。律だぜー」

 間の抜けた声が、耳に。

「田井中さん…?」

 急に気持ちがしぼむ。

「梓から聞いたよ。伊藤とのところに向かってるって?」

「何で知ってるんですか?」

「清浦が梓にメールしてきてな、それで分かったのさ。

あんたもこりないねえ…浮気した元彼を慕って、また出直してくるなんて」

「…そんなの、どうだっていいじゃないですか…人の恋愛に、いちいちちょっかい出さないでください…」

 律の言葉に、多少癪に触りながらも、ゆっくり世界は答えた。

「いや、実はあたしたちもちょっとした用事で、伊藤ん所に来てるんだよ」

「な? どうして?」

「どうも憂ちゃん…あ、唯の妹ね。そいつが伊藤の妹を人質にとって、唯から手を引けと伊藤を脅したそうなんだよ」

「…そうなんですか? 平沢さんの、妹さんが…」

 信じられなかった。

「幸い、桂が憂ちゃんをおさえて、一件は落着したけどな。伊藤の奴、やってきたあたしたちもついでに誘って、みんなで食事会をすることになったのさ」

「そうですか。誠も、よく平沢さん達を誘いましたね」

「そんだけ伊藤も、唯が好きなんだろ。それに桂や澪もいるから、望みは薄いと思うけどな」

 ごもっともである。

 さらに気持ちが、しぼんでいった。

「だーいじょうぶだ、伊藤なんかよりいい男は、生きてりゃそのうち会えるって。あんたは結構いろんな人にコクられてんだろ? はっはっは」

 あっけらかんと笑う律が、何やら腹立たしい。

「やめてください。ずっと前から私は、誠のことが好きだったんです!」

「あー…」

「…もう、乗り掛かった船です。駅まで来ちゃいましたし」

「そうかい…。あ、それとよ。ムギはどうしてる?」

「ムギさんですか…?」

 

 あの人がつらい役割を、七海に頼まれていることには、薄々彼女も感づいている。

 だが…七海も、自分のためにそれを行っている。

 ……

「…ムギさん、結構つらい表情をしていました。きっと、望まない役割を引き受けることになって」

「え…?」律は何かを察したらしく、「あ、あんたたち、ムギに何をしたんだ!? 甘露寺も黒田も清浦も、何をしたんだよ!?」

「…わからないです…。ただ、今度会ったら、はげましたほうがいいと思いますよ。

そして誰か一人、ムギさんのそばにいていたほうが」

「まて! 何があったのか全然わからねえ!!」

「わからなければ、いいです。

それと、秋山さんは桂さんから手を引いたほうが、身のためになると思います。

あ、電車が来た。きりますね」

「…わかった。あたしは西園寺の家に向かう」

「え? でも、場所知らないでしょ。 模手原坂下(もてはらさかした)からすぐなんだけど」

「…そうだったな…」

 少し呆れて、世界は通話をオフにする。

『貴方が誠君のことを嫌いになった以上、誠君も貴方のことを嫌いになったでしょう。』

 言葉の言が、頭の中で響いた。

「大丈夫、だよね…。私が誠のことを好きならば、誠だって…」

 つぶやいてから、電車に乗り込んだ。

 

 

 誠はあらかじめ、何人来ても対応できるように、ハンバーグを小さくたくさん作っていた。

 ハンバーグが好物であるいたるはちょっと不満だったが、誠が自分の分を妹に渡したことで、落ち着いた。

 席が少ないのが気になったが、とりあえずソファーを使って、何とか間に合わせた。

 憂はいまだに落ち込んだままだが、梓が隣で慰めているようだ。

 

 律、心、いたるが食事をしながらだべっている中で、誠はデザートを作っている。

 3人とも、子供のように(心といたるは子供だが)はしゃぎまわって、誠の部屋に行ったり来たり。

「お、漫画! おお、『ワンピース』『幽☆幽☆白書』『るろうに剣心』。全巻揃えてんなんてすごいじゃねえか!」

「んー、なんだかわからないけど、おにーちゃんはすきだって…」

 いたるにつれ沿う形で、誠の部屋に行く律。

「勝手に人の部屋に入らないでくださいよ…恥ずかしい」

「そうだぞ律。大人しく食事しなって」

「いいじゃねえかよ。それに恥じるものなんかねーぞ。ワンピースは私も好きだしよ」

 赤面する誠と、注意する澪にも、律は動じない。

「ま、はまる物にははまるんですよ、俺も」

 

 ため息をつきながら、セイロを使って料理を蒸している誠。

 梓はむしゃむしゃ、ハンバーグを早食いしながら、

「おいしい…。あ、ま、誰にでも何か取りえがあるもんですね」

「梓」

 澪が仲裁するが、誠は多少癪に触りながらも、

「そりゃあね。のび太だってあやとりと射撃が得意なんだし、ドラゴンボールのヤムチャだって、野球がうまいだろ」

 とりあえず流す。

 

 と、唯がそばに来た。

 スパゲッティーサラダのクリームが、口の周りについている。

「あれ、唯ちゃん?」

「マコちゃん…私に、何か手伝えることある?」

 潤んだ目で、ドキドキしながら言っていることに気付いた。

 思わずぞくぞくしながらも、誠は、

「あ…そうだな…じゃあ、この生地にごまをのっけてくれる?」

「う、うん!」

「それより、口にクリーム付いてるよ」

「あ、ごめん…」

 

 誰も見てないのを見計らってから、唯は…。

 誠の頬に、キスをした。

 胸の高鳴りが、さらに激しくなる…と、急にひやり。

 言葉が、冷たい視線で彼を見ていた。

 ……

 澪が彼女を引っ張って席をはずした後も、彼は冷たい気持ちに、震えた。

「マコちゃん、こんなんでどう?」

 唯が明るい声をかけてきたので、思わず我に返る。

 座敷わらしのような笑顔である。

「あ、いいじゃないか。じゃあ今度は、生地をセイロの中に入れてくれる?」

 笑顔の唯と向かい合うと、意識しなくても笑顔が出る。

 だから、妹のことも許せたんだろうと、彼は改めて思う。

 生地をセイロの中にほうりこむ。

 唯と見て、一緒にくすくす笑いあった。

 

 

「ほんと、すまなかったな…。憂ちゃんがいたるちゃんに迷惑をかけちゃったみたいで。おまけにごちそうまでしてもらって」

 食卓から少し離れた、お風呂場の更衣室で、澪は言葉に声をかけた。

「…終わったことは、もういいですから。正直、憂さんだけ迎えて引き取ってほしいところでした」

 横顔、思案顔で、言葉は答える。

 

「それにしても、相変わらず唯には冷たいんだな」

「当然です。あそこまで誠君とくっついてくるんですから」

 澪は肩をすくめて、

「正直、貴方の独占欲が強すぎるんじゃないのか?」

「独占はしたいものです。誠君の彼女は、私ですから」

「…まあそうか。しかし、私達が帰ったあとで、ゆっくりと過ごせばいいんだと思うんだ」

「…」

「唯はただ、好きな人にスキンシップをかける癖があるだけで。伊藤は桂とのほうが付き合いが長いんだから」

「…貴方は、分かってません」

「え…?」

「私が、手を握られるのを怖がってる間に、西園寺さんは誠君を取ろうとした。同じようなことが、また起きないとも限らないんです」

「……」

「節度ってのを、明らかに破ってるでしょう、平沢さんは…」

「…そうだけどな…」

 

 言葉の疑りの目が、今度は澪に向く。

「秋山さんも…どうして、止めないんですか…?」

 思わず澪はそむけ、

「私は…唯の気持ちも大事にしたいし…。正直、伊藤がもう少しはっきりしてくれるといいんだけどな…」

「誠君は、優しすぎますから」

「はあ…」

「その分は私が、誠君にちょっかいを出す女の子を近づけないようにしないと。

もう少し平沢さんは、許そうかなと思ってたんですけど」

 苛立つ言葉の表情に、澪はひやりとしながら、

「頼む…唯はそんな奴じゃない…」

 

 

 やがて唯と誠が、キッチンから顔を出す。

「みんな! 食後のデザートだよ!!」

 緑の花で彩られた皿の上に乗っていたのは、10センチくらいの大きさの、ブタ顔の饅頭が何個も。

「ひょえーっ!!」

「かわいー!!」

 律と心がすっとんきょうに声をあげる。

 

「すごい…」

 それまでうつむいていたばかりの憂が、思わず饅頭を持ち上げた。

 押麦と黒ゴマで、つぶらな目がつけられ、細く伸ばした生地で鼻がつくられ、両脇に耳がちょこんとでている。

 白い生地から、ふわふわ湯気が出ている。

「これでも中身はアンコ。名づけて、『こう見えてアンマン』」

ニコニコしながら、誠は発表する。

「うわ、フェイクかけるのが憎いな…」

「伊藤さん…私も食べていいんですか」

 おどおどした表情で、憂は言う。

「いいよ」

「ホント! ありがとうございます!!」

「いいですけど、残して下さいね」心がませたことを言う。「お姉ちゃんや、秋山さんもいるんですし」

「はい…」

 みんなで、むしゃむしゃとアンマンを食べ始めた。

 

 唯と誠は、それを微笑みながら鑑賞し、

「可愛く出来たよね」

「そうだねー」

 にっこりと笑う唯。

 それを見て、誠は今までの唯の表情を、くるくると思い返した。

 必死に謝った時の、あの泣きそうな顔。

 憂さんに平手打ちした時の、あの真剣な表情。

 そして、心からの笑顔。

 全てがいちずで、穢れがない。

 汚したくない。

 心から誠は、そう思った。

 

「本当にありがとね! マコちゃん!!」

 唯は誠の首に腕を回そうとして…。

 両腕をつかまれた。

 続いて、横でえへんえへんと咳払いの声。

 言葉が、2人の横にいた。

 唯の腕を掴んで。

 澪も不安げな表情で、彼女の隣にいる。

「平沢さん…少し2人で、話しましょう」

 低い声。

 

 

 唯と言葉がでていったリビングで、澪は、

「お互い譲れないみたいだな…」

 誠は無言で、あらかじめ皿に盛っていたハンバーグとスパサラダを口にする。

「言っとくがね、」律は両腕を頭に組みながら、「西園寺もこっちに来てるみたいなんだ。いい加減はっきりしねえと、痛い目にあうと思うぜ」

「世界が…わかってますよ…」

 

 

「あのですね、平沢さん」

 誠の家の外で風を浴びながら、言葉は唯に、

 

「貴方が誠君に会うのは許したいんです。秋山さんのこともありますし。

でも、誠君は私と付き合っているんだから、あまりくっつくのは、やめてくれませんか…」

「…それは、どうかな…」

 重い口調で、唯は答えた。

「誠君も私が好きですし。貴方はあくまで『友達』です」

「それは…分からないと思うけど。」

 相変わらず疑心的な目を、唯はちらちらと目をそらしてかわす。

「わかりますよ。誠君のこと一番わかっているの、私ですから」

「そんなことはないと思う。

だって、憂があんなことしても、マコちゃんは笑って許してくれた…。

それは、憂が私の妹だったから。あの人や貴方じゃそうはいかないって、マコちゃんは言ってた…」

 言ってみただけだったが、誠の思いが自分に向いていると、唯は信じたかった。

 

「誠君は、すごく優しいですからね」多少嫉妬の混ざった目で、言葉は、「でも、私には、キスしてくれました」

「キスなら、私だって…」

「いっぱいですよ」

「そんなの…」

「唇だけじゃなく、胸も、おへそも、おなかも、背中だって…」

「え…?」

 唯は、嫌な予感を感じた。

「証拠だってあるんですよ」

 

 得意な表情で言葉が携帯を取り出した時、

 ドッドッドッ…!

 何やら階段を全力で駆け上がる音が聞こえる。

 そちらを向くと、階段から1人の小柄な少女が飛び出し、2人の目の前で停止する。

「…西園寺さん…」

「貴方はあの時の…」

 呆然とする言葉と唯に対し、世界は大きく息をして、

「はあ、はあ、はあ…2人とも、やっぱりいたのね…」

 ぎこちない微笑み。

「もう、誠には許してもらえないとは思ってるし…まだ誠への未練を残しているというわけではないけど…あれから誠、どうしてるかな、と思って」2人の視線から目をそむけながら、世界は言う。「いじけてさ、1人で部屋に引きこもってるかなーって、思ってたんだけど、貴方達がいるとはね。まあ田井中さんから聞いたけど」

 

 それを聞いて、ぷっと唯は吹き出して、

「要は西園寺さんも、マコちゃんのことをあきらめてないんだよね」

「バッ…! なんてこと言うんですか!!」

「ならば、戻ってくる必要ないじゃない」

 なんだかおかしくて、思わずくすくすと笑ってしまう。

 世界の顔は赤く、言葉は相変わらずの冷ややかな視線。

「ちょうどいいですね。西園寺さんも、みたほうがいいです」

 携帯を取り出し、カメラのデータを開く。

 言葉が2人に見せたのは、誠が彼女の指にキスをしている写真。首から先しか映っていないが。

 …というのは見せかけで、先ほど彼女が怪我したときに、誠が傷をなめているところを撮ったもの。

「「……!!」」

「誠君、私の指をこんなに夢中になって吸うんです」

「そんなの…」

 世界は目をそむけつつ、でも声は明らかにテンションダウンしている。

「指にキスって、王子さまがお姫様によくやるよね…」

 唯はショックというより、妙に興味深げな表情になった。

 ちょっと変わったキスだと思っている。

 言葉は浮かない表情になる。

 やはりこれだけでは、不足か。

 

 唯は、元気のない世界と、少しがっくりしたような言葉の顔をかわるがわる見て、思わず言ってしまう。

「ねえ…西園寺さんも桂さんも、『勝っても負けても遺恨なし』ってできない…?」

 張りつめた空気が、さらに怪しくなった。

「…それができないから、こうやって修羅場ってるんじゃないですか…」

 世界は、思わず呆れてしまった。

「ま、まあとりあえず、マコちゃん待ってるからさ、とりあえず食べようよ」

 唯はにっこりと笑う。

 世界も、思わず顔を赤らめた。

「…とりあえず、田井中さんじゃないけど、腹を割って話したほうがいいかもしれませんね」

 

 

 廊下を走る唯を背に、世界は、さりげなく言葉に切り出す。

 

「…なんとなく、分かる気がする」

「え?」

「誠が、この人に惹かれていった理由が」

 言葉の表情が、さらに曇った。

「なんというか…あの悪意のない笑顔…。あれを見ると、こっちまで心が洗われるような気がして…」

「そうですか?」

「え?」

「平沢さんなんて、駄目です」

「……」

 この人の意固地っぷりも、相変わらずというべきか。

 

 

「それにしてもよ」律はブタ顔のアンマンにかじりつきながら、「結局振り出しに戻っちまったじゃねえか。どうすんだよ、伊藤」

 もっともだ。

 自分も相変わらず決めることができないから、同じ賽の目を繰り返している。

 

「必ず決着は、付けるつもりです。…あれ、いたる、心ちゃん?」

 2人とも、ブタ顔のあんまんをみつめたっきり、一口も食べていない。

「…これ、かわいそうで食べられないよ…」

「あはは…そうだね。じゃあ、持って帰るのもいいかもね」

「いたる、おとーさんにたべさせたくない、これ」いたるは不満げだ。「あ、そうだ。

おにーちゃんにあげる」

「はは、ありがとう」

 満面の笑顔で、誠はいたるの頭をなでてやった。

 

 それを見つめる澪、律、梓。

「…やっぱり、悪い奴じゃないと思う、伊藤は」

 澪は肩をすくめて、律と梓に話す。

「澪…」

「澪先輩…」

 まばたきする2人に、澪は続けた。

「ちょっと優柔不断なだけで、誰かを思いやれる心はあると思うんだ。

どれだけ振り出しに戻っても、じっくり、マイペースで決めさせてやっていいと思う。

そうすれば、多分いい形で上がれると思うんだ」

「?」誠は振り向き、「何か言いました?」

「あ、いや、なんでも」

 澪は、顔を赤らめて答えた。

 

 やがて、唯、世界、言葉が戻ってくる。

「世界、どうして…」

 世界の顔を見て、誠は思わず言う。

「い、いやあ…誠、一人で落ち込んでるかなあって思って、来たんだけど…」

 世界は笑いながら、目をそむけた。

「西園寺…」

「田井中さん…」

 律は世界に近づく。

「いったい、ムギに何があったんだ?」肩をつかみ、「なあ! 澪や桂のことか!? いったい何があったんだよ!?」

 澪と言葉、唯と誠もそれを見て、あらぬ何かを感じ取っていた。

「ムギちゃんに、何かあったのかな…?」

 

 

「はあ…」

 誠の母は、彼に頼まれた買い物を手に提げながら、車を駐車場に停める。

 外に出ると、星一つない、灰色の雲が覆う夜空。

 マンションの入口に入ろうとすると、

「お前か」

 と低い声。

 振り向くと、長髪で縞の皮ジャン、筋骨隆々な男がいた。

「あなた…いや、沢越…止…!」

 かすかに寒気、嫌、吐き気すら覚えた…。

「何だよその口調は。ただいたるを連れ戻しに来ただけなのにさ」

 鼻で笑いながら、止はどす黒く濁った眼を彼女に向ける。

「…いたるを連れ戻したら、早く帰ってくれる? 誠だってあなたの顔なんか見たくないでしょうし」

「…言われるまでもねえ」

 おたがい淀んだ雰囲気のまま、2人は誠の家へと急いだ。

 

 

 

続く 

 




誠の母と共にやってきた男が、物語の最大の敵役にしてジョーカー的存在になります。
そうした中で、学祭1日目は終了するわけですが……。
最後まで読んでください。

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