Cross Ballade(けいおん!×School Daysシリーズ)   作:SPIRIT

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コンビニで知り合った平沢唯と伊藤誠。
ハイテンションで大喜びで誠にアタックする唯と、多少戸惑いながらも唯にひかれていく誠。
そんな中で、2人の初デートがはじまります。



第3話『前兆』

 唯の練習ぶりに、弾みがついた。

 誠と、話して以来、である。

『俺も、放課後ティータイムの演奏、楽しみにしていますよ』

 その言葉だけが、唯の頭に残り、何でもかでも、滅茶苦茶に練習したくなって、昨日よりは今日、今日よりは明日と、ものすごい加速度をもって、半狂乱のような獅子奮迅を続けた。

 部活では、ムギの茶菓子を一口で平らげ、いつものようにだべりもせず、すぐにギターの練習に取りかかる。

 それから休まず、水も飲まずに練習を続け、それから帰宅して、食事と入浴を済ませると、すぐにギターをとって、歌と演奏の練習を、深夜まで続けた。

 そんなに練習して、死んだように眠って、その翌朝は目覚まし時計が鳴る音と共にはね起き、朝食まで発声練習をした。

 もちろん、部員たちはおどろきおののく。

「おいおい、どうしちまったんだよ、唯だけは私の仲間だと思っていたのに……」

 いつもは唯と並んで、練習を始める時間の遅い律が、唖然と話しかける。

「何いってんの、ライブも近いじゃない。たまにはしっかりと練習しないと。それに、たまに泊りがけで練習することもあるでしょ?」

 唯は朗らかに、笑って答えた。

「唯ちゃん、私はもう少し、ティータイムの時間がほしいけどなあ」

 さわ子もあまり乗り気でない。

「さわちゃんたちはいいよ、マイペースで。私も、マイペースでやってるだけだから」

「これがマイペースと言えるかや。どう見ても躁状態だろうが……」

 律は呆れて、呟くように言う。

「いや、いや、よかったですよ!」梓だけが、大喜びである。「いつもいつも唯先輩、全然練習しないから困ったもんだと思ってたんですよ。やっと真面目になったんですね」

「ああ、あずにゃん、ひどい! 私だってやる時はやるんですからね!!」

 唯は、むくれてみせる。

「冗談ですよ。さ、一緒に練習しましょうか」

 梓は笑って、ギターの調整を始めた。唯もそれを見て、ギターのネジを回す。

 不意に肩をたたかれたので、そちらを向くと、澪がけげんそうな表情でいる。

「唯、最近変だぞ。何かあったのか?」

「べつに。ただ、ライブでは悔いのないように、全力で取り組んだほうがいいかと思って」

 あからさまな疑りの視線を向けられ、唯は思わず目をそらして、言った。

「澪先輩、いいじゃないですか。唯先輩があれだけやる気を持ってくれるなんて、初めてじゃないですか。私は嬉しい限りですよ」

 梓が満面の笑顔で、澪をたしなめた。

「……まあ、真面目になったのはいいかもしれないが、なんか私は不安でしょうがないんだ。いったい、何があったのやら……」

 しかし澪は、不安な思いを隠せなかった。

「さ、唯先輩、合奏の練習しましょうよ」

「そうだね、あと少し頑張ろう、あずにゃん!」

 梓の誘いに、唯は快い表情で答え、大車輪で演奏を始めた。

「ちょ、ちょっと唯先輩! 力みすぎです。トーンダウン、トーンダウン」

 

 

 そして、帰宅までの間、必ずコンビニに寄り道をする。

 誠に会うためだ。

 大体6時頃を目安に行けば、大体誠がいる。

「伊藤くーん!!」

「あ、平沢さん」

 いつも元気よく声をかけると、おだやかな声で、誠は返す。

 そしてお互い、笑顔を浮かべる。

 たまに世界や泰介と一緒にいたり、コンビニにいなかったりすることもあるが、たいていは一人で、夕飯のおかずを探している。

 実際は誠と唯の帰る方向は正反対なのだが、唯はうまくごまかし、誠と行動を共にするようにした。

 肩を並べ、誠の向かう榊野学園駅まで一緒に行くのだ。

 たわいもない話をしながら。

 

「そうですか、今年榊野に」

「はい。まあ、受験前にひいひいしながら勉強したんですけど、運よく合格してね。あははは……」

「でもすごいじゃないですか! 私も一夜づけで勉強しましたし。桜ケ丘がやっとでしたよ……」

 もっともっと、誠のことが知りたくて、誠が気付かぬうちに、彼のすぐそばに歩み寄る。もちろん誠は頬を染めて、

「あ、あの……人前だから、あまりくっつかないでくれません?」

「いいじゃないですか、伊藤君。たまには」

「ちょ、ちょっと……困るんですけど……」

「困っている伊藤君を見るのも、うれしいです」

 

 

 明るい蛍光灯が、リビング全体を白く照らしている。

 静かな部屋で誠は、世界と共に手製のシフォンケーキを食べていた。

 その中でも、唯の笑顔が、焼きついて離れない。

 改めて思う。

 行きつけのコンビニで見かけていた子だった。

 最初は地味だと思ったけど、あれだけ素敵な笑顔を見せる人は、初めて見たな。

「誠、何ボーッとしてんの?」

 世界が怪訝な目で尋ねてくる。学祭の会議が長いためか、少し不機嫌なようだ。

「ううん……。なんでもない」

「なんか最近、誠、変よ」

「そうか?」

「今頃なら、たぶん食前に私達、しているはずなのに」

 彼の顔がぽんと赤くなってしまう。

 というか世界、恥ずかしくないのか。

「な……! 恥ずかしいこと言うなよ……。別にいいだろ!! いつもそればっかりじゃお互い疲れるからさあ!!」

「まあいいけどね。学校の昼休みでもやりたがる貴方だから、ちょっと気になっただけだけど」

 世界の目が、若干厳しくなる。

 無視して誠はシフォンケーキを再び食べ始めた。

 そういえば、唯ちゃんと出会ってから、彼女の笑顔を見れたら十分で、最近特にしたいとは思ってないんだよな。

 不思議なもんだな。

 まあとりあえず、唯と親しくなっていることは知られていないらしい。

 彼は軽く、息をついた。

 

 

 そんな日々が続いた、ある日のことである。

 唯は手元の券をのぞきこんだ。

『喫茶店ベラ・ノッテ 

珈琲無料券』

 行きつけの喫茶店の割引券である。2枚ある。

 朝起きて、机の奥の奥から見つけたのだ。

 しかも、期限は今日まで。

 しまっている間に忘れてしまったものとみられる。

「あそこの珈琲、とてもおいしいからなあ。マコちゃんも好きになるかなあ……」

 ベージュ色の券を見つめながら、唯は独りごちた。

 朝食の席で、もう制服に着替えた憂が、唯に声をかけてきた。

「ねえ、お姉ちゃん、ベラ・ノッテの券って来た?」

 自分の行きつけの店だったのだが、妹の憂にも紹介して、しばしば2人で行った店だったのである。

 男の人と一緒に飲む。そう答えるのが妙に恥ずかしくて、

「いや、来てないよ」

 と答える。

「そろそろ来るころなんだけどなあ……またお姉ちゃんと、あのおしゃれな店で話したいなあ。」

 遠い目をする。

 心の一部で、罪意識みたいなものがうずきながらも、振り切って家を後にした。

 

 

 いつものような日常が続いた、午後。

 誠は例のコンビニで、漫画を読んでいた。

 世界は学祭の話し合い、言葉は委員会活動があり、あいているのは自分だけなのである。

 もっとも自分の役割は、学祭近くになって多忙になってくるのだが。

 実を言うとあまりここで、油を売る必要もないのだが、あえてここにいる。

 あの人が、来るかもしれないから。

「ま……伊藤くーん!」

 来た。

「またいつもの時間ですね、平沢さん」

 いつものようににっこりほほ笑み、誠は入口にやってきた。

 ふと、唯の表情に多少の緊張があることを、彼は悟る。

「あ、あのですね、伊藤君……」唯が、頬を染めてうつむく。「あの……とってもおいしい珈琲の無料券があるんですけど……今日、一緒、に、どうですか?」

 誠は唯が見せた、珈琲無料券を覗き込む。

 喫茶店ベラ・ノッテ。

 彼は珈琲通というわけではないが、あそこの珈琲は美味だという噂を結構聞いている。

 行こう行こうと思いつつ、なかなか行けない場所の一つであった。

「やっぱ……だめかなあ」

 唯が残念そうな表情になる。ほんと、彼女は分かりやすい。

「い、いやいや……俺もあいているし、大丈夫ですよ」

 唯を傷つけてしまうのが嫌で、誠は気がつくとうなずいていた。彼女はすぐににぱっと笑みを浮かべ、

「よかった! じゃ、さっそく行きましょう」

「あ、でも、ちょっと……人気のない道って、ないかなあ。」

 こんなところを世界や言葉に見られてはかなわない。

「そうですねえ、このあたりに細道があるから……」

 細道か……いささか恐喝のターゲットにもなりかねないが、まあ他人の目はごまかせるだろう。

 唯の案内するまま、誠はついていく。

「あ、あの……平沢さん。人前なんですから、あんまりくっつかないでくれません……?」

「いいじゃないですか、一緒にお茶するんですし」

 一定の壁を超えると、もはや唯、ためらいがないらしい。きつく誠の腕にしがみついて、顔をすりよせている。

 本当に子供っぽい。 

 周りの人が二人を見て、ぼそぼそと話しているのを、誠はすこし気にした。

 

 

「どうしちまったんだ、唯の奴…………」

 あごに手を当てながら、澪は帰路につく。

 いつもは唯、律と並んでなかなか練習せず、お茶とお菓子を食べながらダラダラしているのに。

 あまりにも、変わり過ぎだ。

 そう思いながら、桜ケ丘の正門を出て左に行き、目を見張った。

 唯が、彼女と同い年程の男子生徒と、肩を並べて大通りを横切っている。

 男子生徒の腕を引き寄せて。

「唯……。あれは、榊野の……?」

 いつの間に唯、彼氏を作ったのか?

 それも、榊野の男子生徒と。

「うわあ……ちょっと憎いな、唯の奴……」

 彼氏の赤らんだ横顔を見ると、なかなかの好青年に見える。ドキリとなる。

 ふと、彼氏を作るために、一生懸命本を読んでいた律の姿が思い浮かぶ。

 気になったので、2人を尾行してみることにした。

 

 

 件の喫茶店は、榊野学園駅東口を出て、すぐ右手にある。

 スターバックスやドトールコーヒーよりも高級な飾り付けと、クオリティ高い珈琲豆を仕入れており、一介の学生には手の届きにくい店である。

「はあー、到着うー!」

 幼子のような唯の口調。

「俺、ここに来るの初めてですから、ちょっと緊張しますよ……」

 誠は少し、ネクタイの位置を調整する。

 ドアの鈴の鳴る音とともに、唯と誠は中に入る。

 黒いブレザーの店員がゆっくり、深く頭を下げ、二人をテーブルに案内した。

「こちらへどうぞ」

 四人がけの丸テーブルに案内され、誠と唯は向い合せに座った。もちろん荷物は、それぞれとなりの椅子におく。

 誠の後ろには、30cm位はある花瓶があり、さらに奥には黒いグランドピアノ、そして窓がある。これならば、外から見えにくい。

「ここなら大丈夫だな……」

 つぶやく誠に、

「どうしたんですか?」

 と唯は聞く。

「あ、いや、独り言です」

 唯の後ろ側にはカウンターがあり、壁の棚には、ターコイズ色、エメラルド色のラベルで染まったティーカップ、ピーターラビットの描かれたものなど、様々なティーカップがびっしりと並べられている。

 このおしゃれなデザイン、静かな感じ、どれも唯のお気に入りなのである。

 ショパンの静かな音楽に耳を傾けながら、唯はにっこりほほ笑む。

 誠も、それにつられて笑顔を返した。

 

 

 何を話してよいものやら。

 迷いながら誠は、唯とメニューを覗き込む。

「うわあ、珈琲1杯で1155円……」

「無料券対象だから大丈夫ですよ。それに、値段が張る分だけ珈琲の質が良いということです。」

 唯も珈琲通というわけではない。

 ただ単に、高いものほど価値がある、そういう考え。

「コロンビアがこの店で一番のお勧めなんですよ」

「じゃあ、俺もそれで。よく来るんですか、ここ?」

「はい、いつもは妹と来ることが多いんですけど、せっかくだから伊藤君にも教えたいと思って」

「そっかあ、いいところを知ってるなあ。俺にも妹がいるし、今度連れてこようかな」

「伊藤君にもいるんですか、妹?」

「ええ。別れた親父に引き取られてるんですけど、どうも俺のほうに懐いていてね。よく家を飛び出してこちらに来るんですよ。

『おにーちゃんのはんばーぐー!』なんて、よく俺の手料理をねだってね」

 誠は笑いながら言った。父のことは、言い出したくなかったが。

「そう……ですか……」

 唯は、誠が料理できると聞いて驚きつつも、彼の家庭事情を聞いて、少し心を痛めた。

 でも料理もできるんだ。

 私なんか、妹がいないと料理も洗濯もできないのに。

 自分より年下なのにしっかりしている。

 それは父がいなくて、いろいろ苦労したからなんだろうなあ。

 一方の誠は、唯の表情が曇ったのを見て、しまった、と思った。

 なんか話しやすいからつい喋ってしまったが、複雑な家庭事情を誰か(まして異性)に話すなんて、自分も口がちょっと軽すぎる。

 話題変えないと、と思っていると、唯のほうから別の話題を持ちかけてきた。

「コロンビアはまろやかでね、コクがあるんですよ」

 あてずっぽう。

「へえ。俺は苦みの強い奴が、コクがあると思ってました」

 素人同士のトンチンカンな会話。思わず苦笑い。

 誠は、ちょっと気まずいな、と思い、新しい話題を思いついて、

「話は変わりますけど、平沢さんはいつからギターを習ってるんですか?」

「実は軽音部に入ってからなんです。

最初は軽音を、軽い感じの音楽しかやらないと思って入部したんですけど。口笛とか。

バンドだと知ってあわてたの、昨日のことのように覚えています。

迷いましたよ。その時はカスタネットしかできなかったし……」

 いや、カスタネットはともかく、口笛ってどうだろう……? 大道芸にはなりそうだけど。

 どうもこの子、かなりの天然と思われる。

「でも、ギターを高校1年から始めて、そこからリードギターを務めるまでに成長するなんて、すごいじゃないですか。めっちゃ練習したんですね」

「そんなことないですよ……」唯は思わず、顔を赤らめた。「部員が五人しかいませんからねえ」

「五人かあ……部員集めがちょっと大変そうだ」

「本当は伊藤君にも入部してほしいんだけど、違う学校だし、無理だよね」

「まあ俺、楽器を弾いたことないですし……」言いかけてから、冗談半分に話してみた。「あえていうなら、小学校の修学旅行の時に吹いたホラ貝ぐらいかねえ、ははは……。もしそれでも良ければ入部したいけど……」

「是非とも入部してほしいです! そしてホラ貝とカスタネットで、ぜひとも合奏したいですね! あははは!」

 カラカラ笑って唯は答えた。

「あ、いや、冗談で言ったんだって……」

 いちおう誠も笑い返す。

 ホラ貝とカスタネットって合うのかわからないし、そもそもそんな軽音楽があるわけないし、突込みどころが多すぎる。

 独特の感性の持ち主なんだな。

 でも、心を洗うような笑い声、自分と話すときのキラキラした瞳。

 俺のそばにいてほしい。

 一瞬そんな思いがよぎり、誠はあわててかき消した。

 

 

「ふう、旨かった」

 誠はコロンビアを飲み干し、自分の荷物を取ろうとする。

 唯は時計を見た。一時間しかたっていない。

 もう少し、話したい。

「も、もう少し楽しみませんか……? ほ、ほら……ケーキもあるし。 このチーズケーキ、以前妹と食べたんですけど、旨いんですよ」

「そうですか?」

「そ、それにほら、もうすぐピアノコンサートもあるし。是非とも聴いた方がいいと思いますよ。」

 思わず焦ってしまう。

「じゃ……じゃあ頼もうかなあ。」

 誠は思わずうなずいてしまう。

 母の帰りも遅いし、まあいいだろう。

「やった!!」

 唯は思わず立ち上がり、机をけり上げる。

 カランコロンとティーカップが揺れ、珈琲の残りの分がこぼれる。

「あ、しまった」

 唯が手を出す前に、誠がティッシュでコーヒーを拭いてくれた。

「ご、ごめんなさい……」

「いえいえ」

 優しく誠は微笑む。

 唯もつられて、笑い返す。

 やがてピアニストがやって来て、ピアノのコンサートを始めた。

 

 

「おお、綺麗な曲……」

 入口近くのテーブルの席で、ピアノの音に耳を傾けながら澪はつぶやく。

 この席と、唯と誠の席の間には大きな花瓶があり、お互いに見えにくくなっている。耳を傾けながらも、少し背伸びをして、唯と誠の様子をのぞき見る。

 結構、和気あいあいと話しているようだ……。

 どちらかというと、唯が自分から話して、誠がニコニコしながら聞いている構図になっている。

 まあ、女性って男性よりも口が達者で、話のネタを結構多く作るものだからな。

「唯……」

 ちょっとうらやましく感じた澪である。

 改めて誠の顔を見ると、再びドキドキがぶり返した。

 

 

 コンサートが終わると、もう夜の8時になっていた。

「うわあ、うまかったあ……」誠は、冗談半分に行ってみる。「二つの意味でうまかった」

「くすくす。よかったあ、ケーキも気に入ってくれて嬉しい」

 唯は思わず、はしゃいでしまう。

「! 言葉?」

 ふと、言葉の視線を感じた気がして、誠は入口のほうを向く。

 ……が、そこには誰もいない。

「どうしたんですか?」

 聞いてきた唯に対し、何でもないです、とだけ答えた。

「どうでもいいけど、口にクリームが付いてますよ」

 苦笑いしながら、誠はティッシュを取り出し、唯の口についたクリームをふき取ってやる。

 ティッシュを通じて彼の手のぬくもりが伝わり、唯の鼓動がトクトクと速くなった。

 ちょこちょこ羽目は外すのに、ついついスキンシップをかけちゃうのに、彼はにっこりして受け入れてくれる。

 なんだか自分より、誠のほうが大人っぽく感じる。

 自分より年下なのに、なぜだろう。

「そうそう、ケーキのお勘定はどうしましょう?」

「あ! 全部私が払いますよ」

 おもわず唯は声をあげた。

「で、でも……」

「いえいえ、今回は私が無理して引きとめちゃったみたいだし、せめて物施を……」

 話しながらカウンターへ行き、まとめ払いです、とレジの人に声をかけた。

とはいえ、珈琲ほどではないが、ケーキもかなり高い。

 2人分払うだけで、今月分の小遣いはなくなってしまった。

「ほんと、すみませんね……」

 すまなそうな誠の表情を見て、いえいえ、と首を振る。

「そんなことないです! 伊藤君がうれしいなら、すごく私もうれしいですよ!

こんな……こんな気遣いしか出来なくて、ごめんなさい」

 顔を赤らめ、唯は答えた。

 喜んでくれただろうか。

 

 

 唯はいつもの癖で、好意を寄せている人の腕にスキンシップをかける。

 日はもうとっくに暮れ、駅の入口からは、黒い闇と一直線にともる電燈が見える。

 唯も誠も、肩を並べて歩くこと、触れ合うことにいつの間にか違和感を感じなくなり、恥ずかしいとも思えなくなっていた。

 駅の改札口まで、2人は歩いた。

「平沢さん、ありがとう。今日はいい時間が過ごせました」

「うれしいなあ。またいつか誘うね! それでは、おやすみなさい!」

 後ろを向いた誠を見て、唯は思い出したかのように、

「あ、そうだ! 伊藤君!」

 携帯電話を取り出す。

「せっかくだから、メールでもお話しましょうよ。赤外線で私のデータ、送ります」

「じゃあ、俺も」

 誠はからっと笑って、青い携帯をとりだした。

 赤外線送信は携帯を近づけないとできない。

 携帯を近づけて、思わずお互いの手の甲が触れ合う。

「あれ、おっかしいなあ……。うまく出来ないや」

「あ、たぶん平沢さんの携帯には背中についているんだと思います。……やっぱり」

「あ、ごめんなさい……最近なかなか使わないもので」

「しょうがないですよ。おまけに送信するときはパスワードを入力しないといけないし、ちょっと腹立ちますよねえ」

「そうですねえ」

 携帯の赤外線受信部を近づけると、簡単にデータの送受信ができた。

「じゃ、これからもよろしく!」

「待っていてくださいね。学祭の日はベストな曲を聞かせますから!」

 そう言って思わず唯は、手を振った。

 誠も手を振って返しながら、改札口を通って行った。

 弾む気持ちで唯が踵を返すと、目の前に澪がいる。

 思わずぽんと顔が赤くなる唯。

「み、澪ちゃん……見てたの……?」

 澪は思案顔のまま、表情を変えず、

「なるほど、まさか唯、彼氏を作ってたなんて」

「い、いや、そういうのじゃないよ……」

 うつむいたまま、唯は答えた。

「唯も隅におけないな。あの人に気に入られたくて、練習を張りきってたというわけか。

 あの男、以前梓が言っていた人なのか? 彼女のいる、あいつ?」

「ち、違うよ……」

 思わず唯は、目を外した。

「だったら、いいけど。考えてみれば、唯もそんな年か」

 澪は半信半疑の表情だったが、これ以上問い詰めるのをやめてくれた。

「それにしても唯、いい顔で笑ってたね」

「え、そう……?」

「うん。私たちとしゃべっている時にも、あんな笑顔しないよ」

 自分でも気づいてなかった。

 誠と話している時、今までなかった朗らかな笑顔をしていたことに。

「ひょっとしたらあなたたち、似合うのかもしれないね……」

 頬笑みを浮かべながら、澪は言った。

 うつむいていた唯の頬が、ゆるんだ。

 似合う、かあ……。

 

 

 電車の車窓から、赤々とした紅葉と、黄色い銀杏の並木が見える。

 音楽を聴きながら席に座り、唯の屈託ない笑顔を、ぼんやりと誠は思い浮かべていた。

 肌のぬくもりや、感触よりも印象深い。

 あのいい笑顔。

 そして、赤子にも似たきれいな目。

 あれを見ていると、癒される。

 二股をかけているという罪意識を、一瞬だけ忘れることができる。それに甘えてしまっている、自分も情けないといえば情けないが。

 こんな自分に、どうして懐いてくれるんだろう。

 でも、そばにいてほしい。

 という思いがまた、頭をよぎったとき。

「伊藤!」

 強い声で、我に返る。

 甘露寺七海が、前に来ていた。

 自分より大柄な彼女が、強い剣幕で睨んでいる。

「ああ、びっくりした……甘露寺か」

「びっくりしたじゃねえよ! どういうことだ? 世界がいながら、桜ケ丘の女の子と付き合ってるってのは!!」

「お、おいおい……付き合ってるって、そういうわけじゃ」

「しらばっくれんじゃねえよ!」七海が詰め寄る。「現に駅前の喫茶店で、一緒に食事してたじゃねえか!」

 やっぱり見られていたか。

「い、いやねえ……。コンビニでよく見かける子なんだけど、喫茶店に誘われて、断れなくて……」

 誠があわてていると、

「とにかく、世界にこのこと、知らせたからな」

 と、そっけない七海の返事が返ってくる。

 すると誠の携帯から、音のしない振動が伝わってきた。このリズムを考えると、世界からだ。

 ぱっと携帯を開けてみると、こんなメッセージが。

『今夜誠の家に行くのはやめた。

どういうこと? 桜ケ丘の女の子と隠れて付き合ってるっての。

七海から聞いたよ。

今日は遅いから、明日じっくり説明してもらうからね』

 案の定、本当に、世界からである。

「ああ……」

 これから嵐が起こることを悟り、誠は頭を抱えた。

 

 

続く

 




今回の地の文の参考は太宰治の『トカトントン』。
世界がいながら唯といちゃついていたことがばれてしまった誠。
周りは当然、動じ始めます。
いよいよ修羅場、ですね。
世界と言葉、二人の動きがカギ。

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