Cross Ballade(けいおん!×School Daysシリーズ)   作:SPIRIT

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第2話『秋雨』

 秋雨は、今日の朝から降り始め、街路樹の楓を濡らしていた。

 そんな中、紺のブレザー、灰色のスカートの少女が2人、傘をさして歩いている。

 1人は、ショートボブで茶髪。もう1人は、同じく茶髪を後ろで束ね、ポニーテールのようにしている。

 ショートボブは、平沢唯。ポニーテールは、妹の憂(うい)である。

 双子の姉妹で、憂が髪をおろすと、唯と見分けがつかなくなる。

 唯はかなり雨に濡れ、癖っ毛になっていた。

「ホント」憂は、冷やかし半分にいう。「いくらギターが大事だからって、傘を落としてまでケースを守ることないじゃない」

「だって……ギー太(愛用のギターの名前)がぬれちゃうといけないし」

「ビニール巻けば、いいじゃん」

「気付かなかった……」

 天然ボケの唯だが、ここでもそれが炸裂した感じだ。

「そういえば、お父さんとお母さん、今度はどこに旅行するのかな?」

「次はベルギー、と言ってたなあ。時期によっては、私やお姉ちゃんも、行けるかもね」

 唯は聞いて、思わずはずみ、

「やったー! いつもいつも、お父さんとお母さんばかり旅行して、ずるいと思ってたんだー!」

 たわいもない世間話が続く。

 昼食の弁当は、いつも憂が作っているが、今日は憂が寝坊し、作る暇がなかったので、昼食をコンビニで買うことになった。

「そう言えば、お姉ちゃんが気にする人って、よくあのコンビニに来るんだよね」

「そうだよ、」と、唯。「私が2年になってから、しばしばコンビニで見かけるんだけど、とってもかっこいい学生さんなんだよ」

 言ってから、再びその人の顔を思い出し、ドキドキするのを感じた。今日は来るかな、どうかなあ。

「その人、多分榊野の人じゃないかな」

 と、憂は答える。

「え?」

「あのコンビニは、榊野とも近いからね。きっとそうだよ」

 憂の答えに、唯の胸はさらに高鳴った。

 やがて6坪ほどの、学生がたむろすコンビニが、左手に見えたので、唯と憂は入っていく。

 このコンビニから向こうへと5分ほど歩き、お稲荷様を左手にして右へ曲がると、榊野学園の裏門にたどりつく。

 はたして、問題の人間に、唯も憂も、会うことになる。

 

 

 会ったのは、入口近くで肩を並べ、漫画を読んでいた時。

「あ、来た」

 唯が叫び、憂も入口の方を向く。

 高ぶった唯の気持ちが、入口を見て一気にしぼむ。

 1組の男女がコンビニへと入った。

 1人は、スーツに近い学生服を着た、中肉中背、しかし顔立ちの整った好男子。

 女の方は、胸元に赤いスカーフ、白いYシャツを着て、セミロングヘアーに一本のアホ毛をたらし、朗らかな笑顔で歩いている。

 伊藤誠と西園寺世界である。

「誠、豆板醤チキンの味はどんなんだかねえ」

 と、世界。

「あれは食ってみたことがあったけど、辛すぎてどうも……」

 誠は、涼しい目を世界に向け、白い歯を見せて笑う。

 それを見て唯の気持ちが、さらにしぼんでいった。女を連れた誠を、唯は見たことがなかったのである。しかも誠の彼女は、かわいくてスタイルも良い人物。

「私、ちょっと味わってみるね」

 世界はそう言って、豆板醤チキンを2つ注文する。じゅうじゅうといういい音を立てて、豆板醤チキンが出来あがった。

 勘定のときに誠が、

「今日は、俺がおごるよ」

「えーっ、でも悪いよ!」

「まあまあ、今日は母さんも月給日だと言ってたし」

 誠は、特に気にしていない。こう、いつも女の子に優しいのだろう、と唯は思う。

「ホント、悪いね」

 世界は、照れくさそうな、でも、とてもうれしそうな笑顔で答えた。

 

 

 チキンを受け取り、弁当を買って、世界と誠は、並んでコンビニを後にする。

「やっぱり榊野の人だねえ……なんだ、もう彼女いるんだ」

 憂はどこか、ほっとしたような口調でつぶやいた。

「何となく競争率は高い気がしたけどね。私もドキドキしたし」憂は続ける。「残念だけど、あきらめた方がいいよ」

「やっぱり……?」唯が、泣きそうな表情になる。「私の初恋なんだよ……あきらめなくちゃいけないの?」

「そりゃあ、深入りして、相手の人間関係を壊すのはいけないでしょ? お姉ちゃんの気持ちもわかるけど……」

 最後に憂は、付け加えた。

「お姉ちゃんは、どんなになっても、私のお姉ちゃんだからね……」

 

 

 放課後、音楽室。

「はーあ……」

 唯は机に伏しながら、用意されたケーキをかじる。

 今日も軽音部では、唯、澪、律、ムギ、梓、それに、顧問の山中さわ子を加えて、手始めにティータイムが開かれていた。ただ、少し違うのは、律の机とムギの机に、本がうず高く積まれているということ。

「唯先輩」最初に口を開いたのは、梓だった。「思い人のことは、あきらめた方がいいです」

「えっ?」唯は、思わず顔をあげた。「どうして? というか何で知ってるの?」

「憂から全部、話は聞いてます。大体その人、もうすでに彼女いるんでしょ? 下手に唯先輩が首を突っ込んだら、相手の人間関係だって壊しちゃうんですよ! そしたら相手が困っちゃうんですよ!」

「だってえ……私の初恋なんだよお……好きで好きでしょうがないんだよお……あきらめられないよお………思えば思われるってこと、ないのお?」

 唯は、泣きそうな声をあげ、再び机に突っ伏してしまう。

「女は、初恋に情熱をかけるけれど、」続いて切りだしたのは、さわ子。「実りのないものよ。私なんか101回もプロポーズしたんだから」

「101回も!?」

 律が思わず、驚きの声をあげた。

「そう。101回『Say yes』って言ったけど、帰ってきたのはいつも『No』。でもそうやって女は美しく磨かれていくもの」

「いーやーだー、いーやーだー」

 机に突っ伏したまま、唯は地団太を踏んだ。

「はあ……」ムギがティーカップを口に近付けながら、「恋は盲目ねえ」

「そういえば、ムギ先輩、何持って来たんですか?」

 と、梓。

「榊野学園に関連する資料よ。生徒たちと交流するわけだから、むこうの生徒たちに関する情報を知らないと」榊野の学内新聞をめくり、運動部の記事を見せて、ムギは言った。「この人、知ってる?」

 ムギが指さした写真に写っているのは、短髪でボーイッシュなルックスの少女。

「誰ですか、この人?」

「この人、甘露寺(かんろじ)七海といって、バスケの特待生として榊野に入った人なのよ。彼女が入ってから、榊野の女バスはベスト4まで進出したり、破竹の勢いと聞いているわ」

「す、すごい……」

 梓も、うなった。

「私、この人に恋してしまったの……」

 ムギは顔を赤らめ、ぽーっとした表情になる。

 唖然とする一同。

 ムギの百合好きは、いつものことだが、それが本番で出るとまずいのでは……?

 しかも、『異性との付き合い方云々』言ったのは誰だ。

「勉強熱心だな、ムギは」

 律は手持ちの本をパラパラめくりながら、とりあえず言った。

 梓は、律の本をまざまざと見つめ、

「『男を口説く方法』、『血液型と理想の彼氏』、『本当に気持ちの…』、って、なんでこんな気持ち悪い本まで持ってきてるんですか!?」

「おいおい、せっかく彼氏を作るんだから、いい進展といい思い出をつくらないと。大体、彼氏とのアレは、大人への通過儀礼みたいなもんだぜ? バンジージャンプだぜ?」

 あっけらかんと、律は答える。

「何言ってんですか、律先輩! 17歳でそれはいけませんよ!! それは18歳を超えてから!!」

 まじめな梓は、思わず大声を張り上げた。律はそれを聞き流し、

「かたいこと言うなよ。ついでに彼氏1号は、映画版ハリー・ポッター最終章を、私と一緒にみることが可能でっせ」

「恋愛のナンパの考えてないで、もっと真剣に、ライブのことを考えてくださいよ、部長さん!」

 2人のやり取りを聞きながら、唯は『大人』と聞いて胸を突かれた。

 子供っぽい。

 これは幼いころはもちろん、軽音部に入ってからも続いた、唯の評判だった。

 正直、大人になりたいという思いが、なくもない。

 仮に女が、男との恋愛で、その結果のことで、子供から大人になれるとすれば、できれば成し遂げたいとは思っている。

 もちろん、相手はあの人がいい。

 横恋慕だと、わかっていても。

 残る澪は、相変わらず、ぼんやりとしている。ただし違うのは、いつものように浮かない表情ではなく、ムギと同じ、誰かを考えているような、ポーっとしている表情だということ。

「ま、まさか……澪先輩も恋煩い……?」

 いい加減にしてくれとばかりに、梓は、眉間にしわを入れ、苦虫をかみつぶした表情で尋ねた。

「うーん、そうだな、それに近いかな」

 澪は、答える。

『恋煩いに近いもの』

 というのはあながち、嘘ではない。

 ファーストフード店で会ってから、澪は桂言葉のことが、どうしても忘れられずにいる。登校時に、榊野の門を横切ったが、すぐ言葉が目についた。授業中でも思い浮かぶのは、言葉の愁いを含んだ表情ばかり。

 前世があるとすれば、つながりがあるのか、と思えるくらい。

「とりあえず、邪念を振り払うためにも、練習! 練習!」

 澪は立ち上がって、愛用のベースの調整を始めた。

「そうですね。ベストな演奏をしないと、人目ひけなさそうだし」

 続いて梓が、ギターの弦をいじる。

 唯は、いつものろのろしていて、練習の開始が遅いが、今日は普段以上に、練習する気になれなかった。

「そういえば」澪が切り出す。「榊野と桜ケ丘、たて続けにライブをやるとなると、演奏曲が足りなくならないか?」

「別にいいじゃねえか。足りなくなったら、今流行りのK-POPをアレンジするとか、策はいくらでもあると思うぜ」

 律は、特に気にしていない。

「何言ってんですか。私たちが作詞・作曲した曲だから、希少価値があるんじゃないですか」

 梓はすぐに反駁した。

「……まあ、時間が許す限り、私が考えてみるよ」

 澪がその場をうまく治め、練習を始めた。

「ねえ、ライブの時の服装、メイド服がいい? それとも水着? バニー?」

 さわ子が騒ぎ始めた。いつも手製のコスプレ服を、軽音部員に着せるのが趣味なのである。

「普通でいいよ、普通で。さ、うちらも始めるか」

 律は適当にごまかし、ドラムのスティックを持つ。

 唯は、もう正直、学祭のライブがどうなろうが、どうでもよかった。

 一つあくびをして、ケーキを丸ごと平らげた。

 

 

 雨脚は3時頃から、いよいよ激しくなっていく。

 そんな中、小さな進路指導室で、誠は本を読みあさっていた。

『14歳のハローワーク』、『迷うからこそ理系』。

『看護師になるには』、『ケアマネージャーになるには』。

 名の知れた大学の赤本も読んでみるが、難しすぎて1問ぐらいしか解けない。

 異性と付き合うようになってから、誠はここに来ることが多くなっている。

 かつては言葉、今は世界と、たて続けに彼女と接していると、妙に気疲れするのである。

 もてすぎるのも辛いのだ。

 その時は、普段行かない場所に行って、気分転換をしている。

 という気持ちが大半だが、正直、将来が心配という気持ちが、ないでもなかった。

 あまり授業態度は真剣ではないが、1か月ほど前から追い込みをかけるため、成績は中の上といったところ。

 とはいえ、成績と将来は別物。

 看護師をしている母の影響もあり、医療系に興味はあるが、自分のレベルで行けるのか。

 浮気症の父と別れてから、母は女手一つで自分を育ててきた。

 正直、父とは、もう会いたくない。

 というより、自分と母を捨てて、他の女に靡いた父を、思い出したくもなかった。

 こうしている間でも、通りがかりの男子生徒は、彼女の童貞卒業の、やたら騒ぎ立てている。

 馬鹿馬鹿しくてかなわない。

 そんなことよりも、こうして進路を決めて、仕事をする方がよっぽど、童貞から離れられるだろう。

 実は、すでに誠は、童貞を喪失している。

 言葉に「距離を置く」と言ってから、誠は世界と、『言葉と上手に触れ合う方法』といって、互いの体に優しく触れ合う練習をしている。

 ところが、それがエスカレートしてしまい、ついに関係を結ぶに至った。

 誠も世界も、『お互いのことは好き』『一回だけだし、それにこの段階で、童貞卒業も悪くない』と、その時は、思った。

 その直後である。世界から告白を受け、付き合い始めたのは。

 ところが最近、自分はあの時の感触を、もう一度味わいたくて味わいたくてたまらないのだ。

 そういう欲気が、むらむら起こると、なおさらに彼女の、童貞卒業の騒ぎ立てるのが、馬鹿らしく感じてならないのである。

 

 

「誠君」

 後ろから声を掛けられ、飛び上がらんばかりに、ぎょっとした。

 ふりむけば、言葉である。

 思わず読んでいた本を背の裏に隠す。

「言葉……」

「私、やっぱり……」言葉は、うつむき加減に言ってから、「誠君と、仲直りしたいです。またあの時のように、仲良くわらって、仲良く話したいです」

「あ……」誠は思わず「い、いや……俺も思わず、ひどいこと言ってしまったから。 言葉の気持ちを考えずに、言葉と触れ合いたいとばかり思っていたから……」

「私こそ、ごめんなさい」

 

 言葉は、小さく頭を下げた。誠は、彼女のその姿が、しおらしくてしょうがなかった。

 自分がいなくなってから、言葉がどれだけ、さびしい思いをしてきたか、想像するに難くなかった。

「ほんと、ごめんな……。こんなことになって……」

 何がごめんなのか、自分でもわからなかったが、思わず口走った。

「そんな……。私たち、まだ何ともなっていないと思います。ただ……ただちょっと、喧嘩しただけで」

 喧嘩なんて、そんなものじゃない。あれは自分が一方的に、距離を置く、と言っただけなんだ。誠はそう思い返す。

 ふと、世界の顔が、彼の頭に浮かんだが、懸命に打ち消す。

 これで冷たく拒んだら、言葉がどれだけ傷つくか。

「誠君の……都合にもよりますけど……」言葉は言ってから「学祭のときでいいんです、2人で回りませんか? それまでは無理して話さなくてもいいですから……学祭のときは、どうですか……」

「学祭か……午後は、その……軽音部のライブに行きたいから、その後でいいかな」

「私も、ライブを見ます。誠君が行きたいなら、一緒に、行ってみたいです。それから、お互いどんなものだったか話し合って、それから……」

 ライブの後なら、うまくごまかして、世界から離れられるかもしれない。誠はそう思ってから、

「ライブの後なら、大丈夫だよ。」

「じゃあ、学祭の日、待っていますから……」

 言葉は、周りをちらと見てから……

 誠の口にキスをした。

…………

 しばらく、誠は何もしゃべれなかった。

「これから……宜しくお願いします」

 言葉は、満面の笑顔で言い残すと、駆け足で指導室を出て行った。

 誠は、ぼんやりとしていた。

 男に触れ合うことを、あんなに嫌っていた言葉だったのに……。

 あまりに唐突なことだったので、その様子を、クラスメイトの甘露寺七海が見ていたことに、気付かなかった。

 

 

 教室では、学級委員を中心にクラスの皆が、学祭の出し物について話し合っていた。誠は、まだ戻っていない。

「世界! 世界!」

 七海が息せき切って駆け付けた時、世界は澤永泰介と話していた。

「どうしたの、七海?」

 世界は、目を丸くして尋ねる。

「あたしの中学の同級生である桂がさ、伊藤にキスしてたんだよ!」

「か……桂さんが……?」

「そうだよ……あのフェロモン女、よりにもよってあんたの彼氏を……」

「ま、まあまあ。桂さんは以前、誠と付き合ったことがあるし……」

 世界は、苦笑いを浮かべながら言った。

「何言ってんだよ。あいつ、男受けばかり良いからさ。伊藤だってどう転ぶかわからないよ。」

 七海は、女バスのキャプテンということもあり、人脈が広い。

「そうだ、澤永! ちょっと耳を」

「ん?」

 七海が泰介に、何かをそっと耳打ちする。泰介はたちまち喜びの表情を浮かべ、

「よーし、やったるぞ」

 と、つぶやく。

 それをするどく聞いて、世界は七海に尋ねてみた。

「何を話したの、七海……?」

「大丈夫、桂をあんたたちのところへ寄せ付けないように、根回ししただけだから悪いようにはならないよ。」

 根回し、と聞いて、世界は嫌な予感がし、

「あ、あんまり手荒なまねはよした方が……そりゃあ、誠を取られたくないけれど……」

 おっかなびっくりで、言った。

「いやいや、男ってもんは胸さえでかけりゃ、すぐコロッといっちまうからさ、足止めしておくにこしたことはないよ」七海は平然と言ってから、「じゃあ私、女バスの集まりがあるから、行くね」

「あ……忙しいのにごめんね」

 世界は、多少心配の入った笑顔で、七海を見送った。

「世界」

 中学生のような、小柄でスレンダーな体型、赤いリボンの少女が、続いて話しかけてきた。

 学級委員の清浦刹那。世界の幼馴染でもある。

「あ、刹那……」

「桂は、伊藤の周りにいつもいるし。伊藤も、完全に気がないってわけじゃなさそうだよ」

 クールでしっかりした刹那。人間観察にも長けており、その言は、事実に近いとみていいだろう。

「いや、でも刹那、誠は今、桂さんとは距離4置いてるって言ってたよ」

「でも、気にしているのは確か。昨日も4組に行っていた」

「ま、まあ……桂さんはクラスで浮いているからねえ。やっぱり、気になるのは当然でしょう。」

 誠の気が、言葉に向くのは嫌だけども、言葉の境遇もあり、世界は懸命に、割引いて考えようとする。

「まあそんなに言うのなら、聞き流していいけど」刹那はぶっきらぼうに言ってから、「ただ、気をつけたほうがいいと忠告しただけ。私は学級委員で、七海のような根回しはできないし」

 機嫌を損ねてしまったか。世界はそう思い、

「いや……刹那の忠告はありがたいよ。でも……」

 曖昧に、答えた。

 

 やがて、誠が戻ってきた。

「いやあ、ごめんごめん。ちょっと山本先生の説教をくらっちゃって……。でも時間内だったよな」

「伊藤、確かに話し合いは4時から始めると言ったけど、みんなその前に来ている。

皆に合わせるべきだよ。それに、今回は他校の生徒を招き入れるわけだし」

「清浦、ごめんな」

 刹那の注意に、誠は謝る。

 誠のそしらぬ顔を見て、世界の不安が、急に高まった。

 

 

 学級会が終わり、世界と誠の2人きりになった。

「誠……」

 世界が、乾いた声で話しかける。

「何?」

「今夜、誠のうちに寄っていい?」

 これが何を意味するか、誠はすぐ分かった。

 言葉の顔が、一瞬浮かんだが、脳髄に、血のなせる肉欲が、むらむらと攻め入って、言葉の影を消してゆく。

 しばらくたってから、

「ああ」

 と、誠は言った。

 

 

 その次の朝、誠は例のコンビニで、朝飯を買いに来ていた。

 母は看護師の仕事で、朝になっても帰ってこず、自炊が日課になっていたが、事を済ませた翌朝は寝過すことが多く、作る暇がなかったのである。世界も、昨日のことがばれないように、昨晩帰っていた。

 秋雨は、朝方止んで快晴に。

 しかし、誠の頭はそれに反比例して、もやもやがどんどん濃くなっていた。

 世界とした、その直後こそすっきりしたものの、しばらくしてから背徳感が、ついで言葉の満面の笑顔が、頭の中に住み着いて、離れなくなっていた。

 世界の顔と、言葉の顔が、誠の脳裏でかわるがわる浮かぶ。

 全く、浮気性の父を毛嫌いしながら、今の自分のやってることは親と変わらない。

 結局、自分は親父と同じじゃないか!

 早晩、よりを戻さないと、大変な事になる気がする。

 恋愛の行為のするよりも、この関係のよりをもどしたほうが、よっぽど童貞から成長できるように思えるのだ。

 しかし……。

 しかし、よりを戻すにも『どうやって』戻すのかが分からなかった。

 関係まで持ってしまった世界と、今更別れられるか?

 さりとて、言葉も拒絶できない。

 どちらかを切らなければよりは戻らない。惰性でこのまま続けるしかないのか?

 考えれば考えるほど、袋小路にはまっているような気がしてならなかった。

「よく……ここで会いますね」

 不意に横から声をかけられ、誠はそちらを向く。

 ギターケースを肩にかけた、茶髪でショートボブの少女がそこにいた。

 服装は、紺のブレザーに青いリボンという、桜ヶ丘の学生服。

 平沢唯であった。

「ええ……。そうですね……」

 誠は、どぎまぎして答えた。

 縁もゆかりもない、赤の他人から声をかけられたのだから。まして異性である。

 もっとも、榊野学園に入ってから、コンビニで結構見かけたが。

 唯のこわばった表情が、緩んだ。

 

 

 唯と誠は、肩を並べて、出た。

 誠は、いまだにドギマギとしている。

 一方の唯は、誠が自分に答えてくれたことで、満面の笑顔になり、「榊野学園の人ですか?」「あなたのお勧めの食べ物って何?」「私、桜ケ丘高校の人ですけど、結構榊野の人って、賢そうですねえ」と、矢継ぎ早ぎに話す。

「い、いやいや、僕はどちらかといえば劣等生の方……」

 多少、引きつり笑いを浮かべながら、誠は答えていく。

 唯のギターケースが気になり、今度は、誠の方から聞いてみた。

「もしかして、軽音楽部の人、ですか?」

 唯の笑顔が、さらに人懐っこいものになり、

「そうですよ!」

 と、はずみのある声が返ってくる。

「榊野の学祭でライブするんですよ。私はリードギターだから、一生懸命練習するつもりです」

 まったくの、本音である。

 唯の人懐っこい笑顔を見て、誠の緊張感が、少しずつほどけていく。それと共に、誠の頭の中にある、世界と言葉の影も薄れてきた。

「そうですか、俺の……」恋人も、と言いそうになって、誠は少し恥ずかしくなり「友達も、軽音部のライブを一番楽しみにしてるんですよ」と答えた。

「へっへー、嬉しいなあ」

「俺も、楽しみにしてますよ」

 一応の礼儀として、誠は言った。

 が、唯の声にさらに張りが出る。

「あなたに言われると、さらに嬉しいです!」

 別れる直前、唯は手を振りながら、

「待ってくださいね、必ず特上のライブを見せますから!」

 そのあと、唯は勢いで、自分の名前を名乗った。

「私、平沢唯っていうんです!」

「平沢唯さんですか。いい名前ですね」

 唯の率直さと、屈託のない笑顔につられ、誠も声に明るさを戻す。世界と言葉のことを、この時だけは完全に、忘れることができた。

「俺は、伊藤誠」

「伊藤誠君ですね。本当に、待っていてください!」

 張りのある声で、唯は答えた。

 

 

 1人になってから、唯は歓喜の悲鳴を上げた。

「や……やったあっ……! 誠君が……マコちゃんが、私のライブを楽しみにしているって…………!」

 冷静に考えれば、それは礼儀としての方便とわかるようなものだ。しかも初めて話した人間に、勝手にあだ名をつけるのもなれなれしい。

 しかしまあ、『恋は盲目』というやつであり、まして天然ボケの多い唯である。

「やっぱり、思えば思われる、なんだね」

 昂然として踵を返し、唯は学校へ戻っていった。

 

 

続く

 

 




第2話です。ようやく唯と誠が接近しました。
地の文は太宰治の『グッド・バイ』をベースにしています。
『動の唯』と『静の誠』、あるいは『明るい唯』『悩める誠』として対照的に2人を描いたつもりですが、どうでしょう。
(当然唯攻め誠受けになります。)
この2人の出会いから、人間関係は一気に動き始めます。


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