Cross Ballade(けいおん!×School Daysシリーズ)   作:SPIRIT

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けいおん!×SchoolDaysクロスオーバー小説第15弾。
いよいよ最終章。
榊野学祭、そして平沢唯と伊藤誠の恋愛も決着を迎えます。
唯と誠、そして周りの人たちはどうなるのか?
ここでは……あえてあらすじは省かせていただきます。



最終話『交差譚詩曲(クロスバラード)』

「唯! 伊藤!!」

 澪が休憩室に飛び込んだとき、彼女は思わず息をのんだ。

 薄暗い部屋の中で、唯は鼻水と涙をぐずつかせながら、ベッドの上で制服の上着を着なおし、誠は気まずそうにちらちらとそれを見ている。

 後からやってきた言葉と梓も、2人を見て体を固まらせた。

「……………!!」

 こりゃ、してないと言っても信じてもらえないかな……。

 上着を着る唯と、呆然としている3人を見て、誠はそう思った。

 

「ふぇぇぇん……。澪ちゃあん……」

 ふらつきながら寄ってくる唯を、澪は思わず抱きしめる。

「唯……。伊藤とは、どうなったんだ?」

「振られちゃったよ……」唯は泣きじゃくりながら、「私は、マコちゃんに求めてほしかったのに……マコちゃんは桂さんのことが好きみたいで、裏切ることはできないし、それで桂さんに勝ったことにもならないって……」

「そうですか?」言葉は横からその様子を見ながら、誠の方へ向き直り、「誠君、魔が差したというのならば、すっぱり言っちゃってください。今更私、責める気は毛頭ないですから」

「ほんとか?」誠は少し胸のつかえが下りた感じで、「本当に、してないから。今となっては俺は、言葉しか見えてないから」

「誠君……」

「本当に、今までさんざ裏切ってしまって、ごめんな……」

 誠の目は、真剣。

「……はい」

 その目を見る言葉の目にも、曇りはない。信用しているようだ。

「ホントに?」低い声で梓が「怪しいものねえ」

「中野、本当だってば。」

 誠はどうせ分かってもらえないだろうと、半分考えながらも、落ち着いて弁明する。

 梓は相変わらずである。

 

 澪は表情を消して、すすり泣く唯と、困惑する誠の様子をかわるがわる見る。

 キョトンとする言葉、梓。

「本当……だよな。」

 口を開く澪に、皆は目を瞬きさせる。

「秋山さん……」

 思わず声を出す誠。

「今まで2年間、付き合ってたからわかる。

 唯は見栄は張るけど、嘘はつかないから、大丈夫」

「そうですか……」

 言いきる澪に対し、言葉はうなずく。

「いや、ミエとウソって同じようなもんだと思うけど……」

 梓は思わず毒づいた。

「ぐすぐす……」

 唯はひたすらに、泣き続ける。

 初めての恋、そして、初めての失恋だった。

 

 

数分前―

 近づく唇。

 自分の鼓動と、興奮を隠しきれない唯の吐息。

 

 だが……。

 誠の中で、何かが崩れた感があった。

「……こんなこと……」

「……え……?」

「こんなこと、求めてほしくなかった……。唯ちゃんが、俺に……」

 近づいた口から思わず目をそむけ、誠は目をつぶった。

「求めてほしく、ないって……?」

「唯ちゃんは、俺の中の唯ちゃんは、純粋で穢れないままでいてほしかったんだ。

こんなことは、求めてほしくなかった」

 

 唯はハッと我に返った。

 自分が何より求めていたことなんだけど、誠自身は求めていなかった。

 それは……。

「その純粋さや笑顔に、何より癒されたから。

純粋さは、ずっと保っててほしかったんだ」

「じゃあ、求める私は嫌いってこと……」

「好きではないことは、確かだな……」誠は入口を見ながら、「それに……そんなことをしたって、唯ちゃんが言葉に勝てるわけじゃない。

どんなことをしても、言葉への思いは変わらないんだ。

さんざ言葉のこと、裏切ってしまったから……これ以上裏切ることは、できない。

「マコちゃん……」

「こんな俺を好きになってくれて……俺を好きになって嬉しいって言ってくれて……ありがとう、唯ちゃん……。

そして、ごめん……」

 言いきってしまってから、誠は思わずぎょっとなった。

 唯の目には、涙がいっぱいたまっていた。

「そんなぁ……。やだよぉ……。つらいよぉ……」

 そのままベッドに、唯は泣き崩れてしまった。

 胸の痛みが、さらにひどくなった。

 それでも……。

 それでも、耐えるしかない。

 その時、

「唯! 伊藤!!」

 澪が言葉・梓を連れてやって来たのであった。

 

 

 すっかり、窓の外は赤くなっている。

 唯を抱きしめたまま、澪は休憩室を後にして、廊下に出る。

 後から、誠と言葉がゆっくりと出てきた。

 誠の表情は浮かないが、言葉には多少憐憫を含めながらも、喜びの顔がある。

 

 待っていたかのようにムギもやってくる。

「決着……ついたのね。」

「ああ。」

 泣きじゃくる唯と、上手く言えない誠にかわり、澪が結末を説明する。

「そうでしたか……」

「ちくしょー! 全然彼氏なんて出来やしねえ……んお?」

 偶然ゆえか、律も通りかかった。目の前に澪の胸のあたりですすり泣く唯を見て、少々動じてしまい、

「おい、何かあったのか?」

「ああ、澪ちゃんの話によれば、」ムギが代わりに答える。「唯ちゃん、伊藤さんに振られてしまって……。伊藤さん、こちらの桂さんと付き合いなおすそうよ。」

 すると律の表情は、すぐに冷めたものになり、

「あーはいはい。末永―く爆発しちゃってくださ……あいたたた!!」

 ぼやき口調の律を、澪は思いっきりつねった。

「はは、すまないね。律はなかなか彼氏が作れなくて、ジェラシー入ってるんだわ」

 弁解する澪に対し、ふと言葉が、

「秋山さん……今回の件では本当にお世話になりました。ありがとうございます。

それと、私のこと『桂』ではなく、『言葉』でいいですよ」

「そうか……わかった。私も『澪』でいいぜ」

 こんな会話をする。

 

 横で誠はそれを見て、少し微笑む。

 彼女にもようやく、友達ができたらしい。

 この2人は、これでいいのだ、と思った。

「よかったな、伊藤……」

 穏やかな表情の澪を見て、彼は、

「もしよければ俺も、みんなとこれから仲良くしていきたいんで、放課後ティータイムファンクラブに入れてくれませんか?」

「そうだな」

「ええ、構いませんよ」

 澪とムギは、笑顔で答えた。

 律と梓も黙認する。

 

 ふと誠は、さわ子先生が自分の父親に襲われたことを、皆に打ち明けなかったことを思い出した。

 話そうかとすると、言葉が心を読んだのか、

「誠君、言わぬが花ということもあります。

放課後ティータイムや平沢さんと付き合いたいならば、言わないほうがいいと思いますよ。」

 小声で進言してくる。

 それもそうなのか。

 でも、言わなければ……。

「1つ、言っていなかったことがあるんです」誠は低い、重い声で、「放課後ティータイムの顧問、確か、さわちゃん先生と言ってましたよね」

「ええ……そうですけど……」

「実は、友達から聞いたのですが……さわちゃん先生が、俺の親父に襲われたらしくて。

ホント、ごめんなさい」

 深々と彼は、頭を下げた。

「ま、誠君……」

 言葉は少し呆れた表情で、伏せた彼の表情を見る。

 悔恨と無力感で、目を思い切りつぶっていた。

「え……」

 唯以外の4人は思わず呟く。

 唯は耳に入っていないのか、相変わらず泣いてばかり。

 しばらく、沈黙が流れた。

 するとムギが前に出て、

「実は、私もSPからちょっと聞いていました」

「え……」

「でも、心配しないでください」ムギは微笑みを浮かべながら、「先ほどさわ子先生の電話を、私もらったんですけど。元気な声でしたよ。気にしていないみたいです。

だから、心配しないでください」

「本当に大丈夫なんですか?」

 と、誠。

「ええ。上機嫌だったわ。きっと何か、いいことでもあったんでしょう」

「そう……ですか……」誠は多少安堵したものの、気がかりでならなかった。「さわちゃん先生にも謝りたいしな……」

 そう言ってから、背後の足音を感じて振り向く。

 

 見覚えのある顔がやってくる。

 世界だった。

「誠……」

 言葉とくっつく彼を見て、思わず彼女は声を上げた。

「世界……」

 言葉が世界の前に大の字になって立ちふさがる前に、世界は目を潤ませ、はっきりした声で、言った。

「私……。誠を好きになったこと、後悔してないからね!

たとえ血がつながっていても、兄妹であっても、私、誠のこと、忘れないから!!」

 誠も、唯も、言葉も、これを聞いてきょとんとなった。

 『血がつながってる』『兄妹である』

 全然わけがわからなかった。

 律だけが、伏し目になる。

 言うことだけいうと、そのまま後ろを向いて、世界は駆け去った。

「……西園寺さん……」

「……世界……」

 唯と誠は、思わずつぶやいた。

 

「伊藤!」

 唯を抱きしめたまま、澪は一瞬、誠と見つめあう。

 穏やかだが、やや口ごもる澪。その表情は、切なさが混じっている。

「秋山さん……」

「伊藤……。

幸せに……なってくれよ……」

 悲しげな表情で、囁くように言ってから、澪は目をそむけた。

 誠は、そんな澪と、彼女の胸元で泣き伏す唯を見て、心が冷える気分になっていた。

 でも、それはしょうがないんだ。

 それが優しさということもあるかもしれない。

 これで、いいんだ。

「……じゃあ俺、ちょっと3組の手伝いをしなければいけないので、行きますね。これからもよろしく。」

 そのまま、彼は一度も振り返ることなく、言葉とともにさっそうと去って行った。

「伊藤……」

 呟く澪。

 窓を見ると、緋色の夕日が榊野の校舎を照らしていた。

 

 

 つるべ落としに夜が来て、街が七色のイルミネーションを輝かせていたころ。

 ムギの会社の系列のホテルの、高級レストラン。

 穏やかな光が、白い部屋を照らし、それを分厚いガラスが取り囲む。

 ケーキバイキングに来たのだが、ずっと唯は泣いてばかり。

 皆がじろじろと見るので、すぐにトイレに行ってしまった。

 律はもう少し彼氏づくりを粘ると言って、榊野に残っている。

 残りの3人で5人がけのテーブル席に座り、夜景が空の星のように輝くなかで、めいめい好きなケーキを食べ始めた。

 

「唯先輩、大丈夫でしょうか……」

「あれからずっと泣きっぱなしだな……。でも、そっとしておいた方がいいかもしれない」

 唯を案ずる梓に、澪は静かな声で言った。

「伊藤も言葉を彼女と決めたからには、言葉に嫌がらせをする人もいなくなるよな……」

 呟く澪に、ムギははっとなり、

「あ、澪ちゃん……」

「ん?」

 

 ムギは、急に席を立って、澪の前に膝をつき、

「実は甘露寺さんに、澪ちゃんの家を教えたの、実は私なの!

甘露寺さんが澪ちゃんに目を付けているのをわかっていながら……。

本当に、ごめんなさい!!」

 太い眉をすぼめながら、ムギは床に額をぶつけるほど深く、土下座をした。

「ムギ……」澪は思わず瞠目しながら、「もういいよ……」

「本当、もうこれ以上榊野生徒と付き合うの、いやになっちゃいましたよ」梓は一口ケーキをやけ食いしながら、「でも、付き合わなければいけないんですよね」

「でも梓ちゃんだって、清浦さんとは気兼ねなく話をしていたそうじゃない」

「清浦は学級委員ですからね。ましな方ですよ」梓はケーキについてきたポッキーを口にくわえながら、「あれから、沢越止はどうなったんですかね……?」

 すると、ムギが、

「私の会社で、去勢の手術をする予定ですよ。もう二度と同じことを繰り返さないように」

「おいおい、昔の宦官じゃないんだからさ……」

「被害を受けた人たちのなかには、さわ子先生以外に、桜ケ丘の生徒たちもいるみたいですけど……」

「何ですって!?」

「そういえば、曽我部先輩からその話を聞いたな……」

 驚く梓に対し、澪は背筋に寒気を感じながら答えた。

 ムギも、雰囲気をぶち壊したとわかり、

「ま、まあ、とりあえず、精神的なバックアップはするつもりよ。ただ、止にやられても、みんなそれを苦に思ってないみたいなのよね……」

「は? なぜ!?」

「相当な床上手か……」

 澪は呟く。

「それから、伊藤さんのために、マスコミにはチップを渡しておいたの。

必要以上に話を広めることのないように」

「至れり尽くせりだな……。むしろそのほうがありがたいけれど。

伊藤もこれ以上、お父さんのことで苦労したくあるまい」

 呟く澪に、ムギは、

「伊藤さんのこれからの生活に支障があったらまずいから。沢越止に預けられている妹さんもいるそうで、伊藤さんのお母さん、引き取るという話だし……」

「いたるちゃんか。そうだな。いたるちゃんのためにも、事は小さく収めておいた方がいいな」澪はチョコレートケーキを口に入れながら、「そういえば、ファンクラブに入った人は意外と少なかったな。律の奴は、これから定期的に一緒にお茶会を開くとか言っていたけど」

「甘露寺さんは、りっちゃんが除名するかどうか考えるそうよ。

……それにしても、恋なんて、しないほうがよかったのかな……。

誰も好きにならなければ、裏切られた時にこんな悲しい思いってしないし……」

 

 ムギの表情が、どんより暗くなる。

「い、嫌、大丈夫だって。私ももう気にしてないし」

「そうですよムギ先輩。今回は相手が悪かっただけですよ」

澪と梓がフォローをするが、ムギはうつむいて落ち込んでしまった。

「……私、誰とも恋しない……」

 そう呟いて、黙々とケーキを食べていく。

 こりゃ、ちょっとひどい人間不信だな。

 尊敬していた人に裏切られ、あれだけ持っていた思いを、粉々に粉砕されたんだからしょうがないか。

 澪と梓は、顔を合わせてため息をついた。

 

 雰囲気が暗くなったと悟ったのか、ムギも話題を変えて、

「そう言えばさわ子先生、沢越止に襲われたって話だったけど、伊藤さんにも話した通り、さっき電話をした限りでは、元気そうだったのよ」

「さっきも聞いたけど、本当なのかな……」

「それで、榊野1年3組の澤永泰介っていう人をファンクラブに入れるように、先ほど電話があったの」

「澤永……?」澪はふいと思い出し、「言葉を襲った奴か? そんな奴入れて大丈夫なのか?」

「そうなんですか?」

「まあ、とりあえず私が撃退したけど……」

「さわ子先生は、何としてもファンクラブに入れたいと言っていたわね。りっちゃんにも相談するけど、なんとかできないものかしら……」

 

 

 夜になって、榊野学園の校庭では、キャンプファイヤーが行われていた。

 井の字型に組まれたまきの中で、炎が煌々と燃え盛っている。

 その前で、カップルが2人ずつ、フォークダンスを踊っている。

 

 律はすっかり疲れ切り、打ちひしがれたとばかりに人ごみの中を歩いていた。

「くぁーーーるぇーーーすぃーーー……」

 片っ端からストライクゾーンに入った男達をナンパしたのだが、全然だれも振り向いてくれなかったのであった。

「ちくしょー! こんな美少女になぜ誰も振り向いてくれないんだよぉ……」

 愚痴りながら歩いていると、2人さみしく、篝火を見つめている世界と刹那に会った。

「おう、西園寺! 清浦!」

「……田井中さん……」

 空元気を振りまく律に対し、世界の声には何やら力がない。

「何だ、まだ伊藤に振られたことを気にしてんのか?」

「……ええ……」

世界の声に、元気はない。

「世界はずっと、伊藤のことが好きだったから。気持ちを少しは分かってあげて」

刹那がフォローしてくる。

「そうかそうか、じゃあ非リア充なのはあたしと同じだな。

あたしも全然彼氏ができねえよお……。本当はHTTファンクラブ第1号は彼氏にする予定だったのにぃ……」

「そうだったんですか」世界はきょとんとしつつ、「私が第1号じゃだめですかね」

「ま、まあそういうわけじゃねえけど……」

「まあ、田井中さんに彼氏ができたら、第1号の座をその人に譲るつもりでいますよ」

「はは……心遣いわりいな……」

 ふと律は、世界が誠にかけた最後の言葉「私、誠を好きになったこと、後悔してないからね!」を思い出した。

「それにしても、あんなこと言うなんて……。伊藤も唯もわけがわからなかったみてえだけど」

「分からなくていいんです。ただこの先、どこかで思い出してくれたらいいな、と思って」

 

「……」律はちょっと考えてから、「あー! こうなったら踊ってうさを晴らすぞ!! ほら、西園寺、行くぞ!!」

「え、ちょっと田井中さん!!」

 世界の腕をひっつかみ、律は堂々とキャンプファイヤーの前に出てくる。

 当然、皆の視線が2人に集中する。

「あれー? 一応榊野と桜ケ丘のペアだよね」

「でも女同士じゃないか」

「いいんじゃない? この際何でもありで」

 皆皆が噂する中、世界は顔を赤らめて体を丸める。

 律はやけになり、

「うっせーやい! 同情するなら彼氏くれ!!」

「田井中さん……。昔のドラマじゃないんだから……」

 突っ込む世界に対し、律は自分から世界の手をつかんでリードを始めた。

「ちょ、ちょっと田井中さん! 速すぎますよ」

「いーんだよ! こんくらいのスピードがちょうどいいの。さ、踊りまくるぞ!!」

 律のリードに、世界はきりきり舞いになる。

 世界より小柄な律が(律が154cm、世界が155cm)踊りを引っ張るその姿は、傍から見ても奇妙な光景と言える。

 くるくる回る、スリーステップをそろえる、手を握る……。

「あーもう、すっかりやけになっちゃってますね……。ま、いっか!」

 世界も開き直り、律のペースに意識してあわせ始めた。

 元々ダンス慣れしているのか、走り気味の律のペースにもすぐに追いつく。

 

 3分ほど2人が踊った後、急に見物者の雰囲気が変わり始めた。

「お、男女カップルがまたか」

「おお・・・しかも桜ケ丘と榊野のカップルかよ!」

「おお!! 待ちに待ったヘテロカップル1号、ついに誕生か!!」

どやどやと皆が騒ぎ立てる中で、そのカップルがキャンプファイヤーの前に姿を現す。

「え……?」

「あ……」

 その2人の顔を見て、律と世界は動きを停止し、これでもかと言わんばかりにドン引きした。

 

 

 トイレの中で、両手で顔を隠して、ずっと泣き続ける唯。

 初めての恋、そして、初めての失恋。

 ずっとそれが頭の中を占め、つらく悲しくてならなかった。

 外からカップルの話声も聞こえる。この中は白い光がちょっとともるだけ。

 それが、さらに唯の気持ちを鬱にしていった。

 便器に座って、ずっと泣き続けてから、半刻程過ぎた時。

 目が乾いて痛くなった時、偶然唯の視界に左手のひらが入る。

 薬指には、誠がくれた銀色の指輪が。

 何故だか急に腹が立って、思わず、便器の中に捨てようと、無理に外して腕を振り上げた。

 

 が、しかし……。

 手を放す瞬間、思いとどまった。

 利き腕の指先で、銀色に輝く指輪を見つめながら、唯は呟く。

「これ……。マコちゃんが、一生懸命作ってくれたんだよね……」

 今日の朝、彼の部屋で食事をしたことが、ふいと思い浮かんだ。

『これはシルバークレイをこねて作るんだけど、割と簡単に作れるんだよ』

『ねえ、これ1つもらっていいかな?』

『うん、いいよ』

『やった、ありがとう!』

 自分が喜んだ時、誠もとてもうれしそうだった。

 彼は、自分も好きだったのだろう。

 だから自分に、こんなきれいな指輪を渡してくれた。

「マコちゃん……」

 真っ赤になった目を拭うと、指輪を元の左薬指にはめ、唯は立ち上がった。

 そのまま、トイレを後にする。

 

 

 窓が部屋の光を反射し、鏡のようにうっすらと中の景色を映している。

「ただいま」

 唯は皆が座っている、白いテーブル席に戻る。

「おかえり」

 皆、暖かい声をかける。

「唯先輩も」梓はフォークを持ってないほうの手で頬杖をつきながら、「伊藤のことなんか忘れて、ケーキ食べましょうよ」

「……」

 

 唯はぎこちない笑顔を浮かべながら、ケーキを取ってくる。

 そのまま、黙々とケーキを食べ始めた。

 みな、不安げな視線で彼女を見る。

「唯、さみしいのは私も同じだからね」隣の澪は、息をついて真顔で、「言葉が伊藤のところへ行ってしまったし……それに……」

「それに?」

「私の初恋も、終わっちゃったから」

 急にぼんやりした表情で、澪は窓の方を向いた。

 窓には、高層ビルが並び立ち、七色のイルミネーションが至る所で輝いている。

「澪ちゃん、どうしたの……?」

 心配げな表情で、ムギが聞いてくる。

 唯ははっと気づいて思わず、囁いた。

「もしかして……澪ちゃんも、マコちゃんが……?」

 すると澪は、顔を赤らめ、うつむき加減でうなずく。

 皆、少し仰天の表情になる。

「でも、言葉のことがあるし、本人の前では言えないさ……」

 そう呟いて、澪は猫背でうなだれてしまった。

 

 そうか。

 彼女もずっと、我慢していたんだ。

 そう思うと、次の瞬間、

『私、誠を好きになったこと、後悔していないからね!』

 と言う声が頭に思い浮かんだ。

 そうだ。

 2人とも、思いを我慢して……自分の思いに決着をつけてたんだ。

「澪ちゃん!」唯はギュッと澪の肩をつかみ、「私、決めたから! もうマコちゃんのことで泣かないって!! だから、澪ちゃんも元気出してくれる?」

「唯……」

 ポカンとする澪だが、唯は真剣な思いであった。

「ね! もう泣かないから!!」

 赤い頬、赤い目でじっと澪の目を見つめる唯に対し、

「ありがとう。でも、気を遣わなくていいんだ。私が勝手に抱いた思いだから」

 思わずぎこちない笑顔で、澪は答えた。

「うん……。じゃ、思い切って食べて食べて楽しもう!!」

 急に元気を出し、唯は声を張り上げる。

「何ですか唯先輩。さっきまでずっと泣いていたくせに」

「そうね。甘い物をたくさん食べれば、嫌なことも忘れるでしょう」

 半分呆れ顔の梓に対して、ムギは穏やかな表情で答えた。

「じゃあ、律には悪いけど、楽しむとしますか」

 再びケーキを取ってきて、皆皆食べ始めた。

 唯は、榊野の方角の街を見て、独りごちた。

「マコちゃん……これからも、友達として付き合っていけるよね……」

 

 

 家の灯りが、街並みをともしていく。

 誠は言葉と腕を組みながら、自分のマンションの廊下を歩いていた。

 足にねん挫をしていたので、3組の学祭実行委員会も同級生達も、早めに帰してくれた。

 自分の選択が正しかったのかどうかはわからない。ただ、少なくとも唯は、あれからずっと泣き続けていた。

 言葉は、彼が作ったブローチと指輪をはめている。

 自分が選ぶことを決めてから、ずっと嬉々としている。

 これで、いいのかどうか……。

 そう思いながら、誠は組んでいないほうの腕で、杖をつきながら歩いていく。

 ところで……

 どうもさっきから、殺気のこもった視線を感じる。言葉が豊満な体を押しつけてきても、どうも安心できなかった。

 

「誠君」

 言葉が神妙な顔で話しかける。

「?」

「元気ないです。

怪我もしてますし、疲れも残ってるんですか?

あるいは平沢さんを振ったことを、まだ気にしているとか」

「そういうわけじゃないけど……。ずっと誰かに見られている気がして……」

「ストーカー……というわけではないですよね。平沢さんはそういうことをする人には見えないし……。そうそう、心には一緒にフォークダンスを踊れなくなったと連絡しなきゃ」

ストーカー……そんなことをされるほど、やましいことはしていない気もするが。

 

 静かに、小ぢんまりとした家の中に入る。

 すると、母がさびしげな表情で、ぼんやりと明かりのともるリビングにいた。

「母さん……」

「だけじゃないわよ」

 母の指さす方を向くと、いたるが何も知らないとばかりに、元気にリビングを走り回っている。

 ドタドタという音がひどく、そのため、玄関のかぎが解除されるゴチャッという音が、皆には聞こえなかった。

 いたるは今回起こったことを、何も知らないようだ。

 でも、それでいいんだ。

「誠……足、どうしたの?」

「ああ、親父に突き落とされてけがしたんだけど、大したことはないさ。ただのねん挫」

「あの人が……。そう。あの人も、逮捕されたそうね」

「……どうしてそれを?」

「琴吹さんという人から聞いてるわ。……でも、これでよかったのかもしれないわね。

もう2度とあの男に襲われる人がいなくなるわけだし。

琴吹さんは、襲われた人には最大限ケアすると言ってたけど」

 暗い微笑みを浮かべる母に対して、誠は、

「……そうだな。もう親父に迷惑を被る人はいない。

それに、これからいたると一緒に暮らせるんだから、それでいいのかもしれないな……」

「琴吹さん、マスコミが必要以上に騒ぎ立てないようにするって言ってたけどね……」

「まあ、この先取材が来ても、堂々としたほうがいいな」

「私も何とかしますので、誠君も、お母さんも元気出してください」言葉が2人の間に入って、「いたるちゃんが感づいちゃったら、まずいでしょう」

「あ、ああ」

「そういえば」母は、一番聞いてほしくないことを聞いてきた。「唯ちゃんは、どうしたの?」

唯の泣き顔が浮かび、誠は思わず黙ってしまう。

「……そういうことね。」母は彼の隣の言葉を見て、全てを理解したようだ。「結局貴方は、言葉さんが……」

「ねーねーおにーちゃ!」いたるが母の声を遮り、無邪気な笑顔で誠に聞いてくる。「おとーさん、しごとでがいこくにいくっておかーさんからきいたよ。おにーちゃとこれからくらせるってほんと?」

「……ああ……これからしばらく、母さんとお兄ちゃんと、いたるとで暮らすことになったのさ。」

「ホント? わーい! おにーちゃといっしょだー!!」いたるは喜んで、さらにぴょんぴょん跳びはね、「いっしょ! いっしょ! 

おにーちゃーといっしょ! おふろもいっしょ! ねるときもいっしょ!

いっしょ!! いっしょ!!」

 騒ぎはじめた。

「こらこらいたる、下の人に迷惑になるから、跳ねない跳ねない。お兄ちゃんもよかったと思ってるよ。いたると一緒になれて」いたるにつられて笑いながらも、彼は母を案じ、「ところで母さん、夜勤はどうするの?」

「そりゃ、あんなことがあったわけで……大丈夫、すぐ行くから」

 すでにスーツ姿に着替え、バッグも用意してあるが、母の声は低かった。

 すると、いたるがまばたきをした後、つっつと玄関の方へ行ってしまう。

「いたる、どうした?」

 思わずリビングから声を上げる誠。

「あれー?」いたるは玄関に行った後、素っ頓狂な声を上げる。「きのうのおねーちゃ、どうしてここにいるのー?」

 気になって玄関に急ぐと、そこには、学生服姿の平沢憂が。

 

「あれ、憂さん」

 誠は思わず、声を上げた。

「……玄関開いていたから、ついつい入っちゃった……」

 声に力がない憂。

「そう? 鍵はかけたと思ったんだけど……」

 誠も言葉も、憂が鍵をこじ開けるための針金を持っていたことには気づかなかった。

「伊藤君……お姉ちゃんを振ったそうね」

 チクリと、彼の胸が痛んだ。

 無言で、うなずいた。

「お姉ちゃんがどれだけ、貴方のことを好きだったか、分かる? キスまでした仲なのに……」

相変わらず低い声で、厳かな表情で話しかけてくる憂。

「わかってたよ……」誠は唯の泣きじゃくる顔を思い出して、「俺が唯ちゃんに謝ってから、唯ちゃん、ずっと泣いてたし……。

でも、ここまで来て、やっとわかったことがあるんだ。

唯ちゃんは好きだけど、恋人とかいう思いではないんだ。

恋人として付き合いたいのは言葉だって……やっとわかった。」

 憂は彼の言を聞いているのかいないのか、目を急に潤ませて、

「お姉ちゃんを泣かせるなんて……!!」

 

パンッ!

 

 強烈な平手打ちが、誠の左頬を襲った。

 母も、言葉も、いたるも唖然となる。

「伊藤君なんか嫌い……!!」潤んだ目でそこまでいってから、憂はぷいっと顔をそむけて、「でも、お姉ちゃん、これからもずっと、伊藤君を求めてくるでしょうから……拒まないでよね……」

「憂さん……」

 張られた頬を、誠は抑えつつも、黙って憂のセリフを聞くしかない。

 これだけ言って、彼女は踵を返し、外に出ようとする。

「憂さん!!」あわてて誠は、「俺も……これから唯ちゃんとずっと接していきたいんだ!! 友達として!!

唯ちゃんの笑顔で、癒されるから……純粋になれるから……!!

振っちゃったことを、少しでも償いたいと思うし……。

その……唯ちゃんと友達になることを、許してくれて、ありがとう!!」

 誠は深々と、頭を下げた。

 憂は呟くように、

「友達として、お姉ちゃんを泣かせないであげてね……」

 そのまま、外へ出て行った。

 

 ガチャリ。

 重い、黒いドアがしまる。

「あの子、とても大胆ね……」

 母はポカンとしつつ、

「ほんと、無茶な人です」

 言葉は、ため息をひとつ。

「でも……」誠は頬を押さえたまま、「憂さんの気持ちもわかるよ。

ずっと俺のことを好きだった唯ちゃんを泣かせちゃったわけで。

俺だって『妹を泣かせる男がいたら俺が殺してやる。』と思うもの。ジャイアンじゃないけど」

「結局」母は微笑を浮かべながら、「それが貴方の選択なんでしょ。言葉さんが一番好きだってことが。

1人に絞ったということは、選んだ人だけではなくて、拒んだ人にも誠実なこと。

憂さんのいうことも気にしない。唯ちゃんにも誠実なのだから。

もうあの男とは違うのよ。

もっと自分の決断に自信を持ちなさい」

 誠は、自分に言い聞かせるように

「そうだな……。もう俺は、親父とは違う道、自分の道を歩いて行ってるんだよな……」

「そうよ。自分を信じればいいの。

やっぱりあなたは、私の子。

なんだかんだいっても、着実に自分の道、いい道を歩いて行っているのよ」

 にっこりほほ笑んで、母は、

「じゃあ私、夜勤の仕事があるから、行くね。言葉さんも、この子をよろしくね」

身支度を整えると、すぐにマンションの入り口を出てしまった。

 

「誠君……」

「言葉……」

 いたると言葉と、3人きりになった。

 左頬に残った痛みは治まらず、憂の怒りと悲しみが半々の表情も、泣きじゃくる唯の顔も、頭の中に残っていた。

「平沢さん……大丈夫でしょうか。あれからずっと、泣きっぱなしだったけど」

言葉が口を開く。

「言葉……?」誠は目を瞬きさせながらも、「そうだな。学校休んだりしないかな……」

「でも……」言葉は桜ケ丘の方角を向きながら、「平沢さんは優しい人だから、私のために泣いてくれた人だから、きっと、私達のことをわかってくれると思うんです。

そしていつか、平沢さんと澪さんと4人で笑いあえる日が来ると思ってます。

きっとその日は近いと思いますよ」

「そう……だな……。信じれば、いいんだろうな……」

「そうです。その通りですよ」

 にっこり言ってから、2人はいたるの遊び相手をすることになった。

「こうしてみると私達、家族のようですね。誠君、いたるちゃんのお父さんっぽいし」

「じゃあ言葉が、お母さんということになるのかな。」

「えへへ……」言葉はぽっと頬を染めて、「いつか、そうなれたらいいな、と思ってます。

この指輪は、一足早いけど結婚指輪だと思っていますよ」

「言葉……。ちょっと気が早いぞ」

 誠も、言葉の笑顔に頬を赤くする。

 彼は桜ケ丘の方向を見据えて、呟いた。

「唯ちゃん……。また、俺に笑いかけてくれるかな……」

 

 

 それからのことである。

 今度は榊野学祭の後に行われる桜ケ丘の学祭に向けて、練習を続ける放課後ティータイム。

 だが、演奏するとちぐはぐになる。

 唯のギターに強い思いがこもっている一方、ムギのキーボードには力がない。

 

「あー、だめだだめだ!!」梓が再び不満を言う。「これじゃあ演奏にならないよ!!」

「落ち着け梓」澪がフォローをする。「まだ時間はある。ゆっくり着実に練習をすればいいと思うんだ。……それにしても唯、お前は張り切っているよな」

「うん……」唯はどこか、さびしげな表情で、「きっと今度の学祭、マコちゃんも来るだろうから……。恥ずかしくない演奏をしたいんだ。」

「唯……」

「もう彼女になれないって、分かってはいるけれど。

それならばせめて、マコちゃんに思いっきりいい演奏を聞かせたいと思ってるんだよ」

そう言って、笑顔を見せる唯だが、その中の悲しさが、皆にはひしひしと感じられていた。

「唯先輩……」梓は唯の瞳を、じっと見つめながら、「これは私の気のせいかもしれませんけど……少し大人びたように見えますよ」

 ふと、コンプレックスを乗り越えられたような気がして、唯の気持ちが急に浮いた。

「ほんとに?」

 思わずニカっと笑顔を浮かべる。

 ギュッ

 梓に抱きつき、

「ありがとう! 私、少し大人っぽくなりたかったんだー!!」

「ああもう、くっつかないでくださいよ! やっぱり大人げないや唯先輩は……」

 梓は呆れる。

「私も同じ気持ちだよ、唯」澪もまた、唯と同じ悲しげな笑顔で、「伊藤や言葉に、いい演奏を聞かせたいさ」

「だよね、澪ちゃん……」

 

「まっ、これはこれで1つの決着じゃねえの? ……ところでムギも、ちょっと音楽に力がねえな。」律がムギに話を振る。「やっぱり、甘露寺のことがどうしても残っているのか」

「ええ……。挙句澪ちゃんに、痛い思いをさせちゃって……」

「いや、私はもう気にしてないって。」

 澪があわてて言うが、ムギは、キーボードを視界に入れてうなだれてしまう。

「ムギちゃん……」

 皆戸惑っていると、律がムギの両肩をぽんとつかみ、

「おいおい、ムギ。甘露寺に裏切られたのがそんなにつらいなら、それを反面教師にして親切になればいいじゃねえかよ。そして甘露寺を追い越してふっきっちまえばいいだろうが。

とはいっても、あの甘露寺じゃねえよ。ムギが思い描いた『理想の』甘露寺にさ。

学祭前は、本当にいい人だと思っていたんだろう? そしてバスケが得意なさわやかガールだとさ」

「りっちゃん……」

 ようやくムギが、小さく笑みを浮かべた。

「ムギ先輩、いっそ財力でひねりつぶすというのはどうですかね」

 梓が何気にトンデモなことを言ってくる。

「いや、そんな乱暴な……。とはいっても、ちょっと痛い目にあってほしいというのが私の正直な気持ちかな」

 澪は、たしなめているのか賛成しているのかよくわからない。

「……まあ、私が直々に話すぜ。」

 律がまとめ上げる。

 

「ねえ……」急に梓が、「大人になるって、どういうことですかね。」

「は……?」

「榊野生徒達、童貞卒業のなんのってうるさかったから。

でも結局、唯先輩を見て思うんですね。

大人になるっていうのは、恋愛をかなえることでも童貞卒業することでもなくて……。

新しい場所に行って、いろんな人に触れ合って、もまれて、

それを積み重ねることで、大人になっていくと思うんです……。

今回の榊野学祭のように……。

私はまだ、やっぱり愚痴ったり文句言ったりで子供っぽいかなあ、と思うけど」

「……」

「いきなり何を言ってんだよ」

「いや、唯先輩も、その点で大人びたかなと思って……。何より、童貞卒業のなんの言ってる榊野生徒がばからしく思ってさ」

「梓、それをあいつらの前で言っちゃだめだぞ。一種の文化なんだから」澪は彼女をたしなめてから、「じゃ、練習しますか」

「ま、色々あったけど、今回は今回でいい思い出になったのかもな。

マブダチも新しく出来たし、人助けもしたしよ」

「そうだな」

 律が朗らかな口調で話すと、澪がうなずく。

 律は一方で、携帯でメールを入力していた。

 七海宛に。

 

 

 薄暗い部屋の中で、黒板の前にスクリーンが垂れ下がる。それを見て、皆皆がどよどよと騒いでいる。

 ここは榊野学園の視聴覚室だ。

 そこで、女バスの打ち上げが行われている。

 部員たちに混じって、世界がちらちらと教卓のほうにあるスクリーンを見つめる。

 

 その隣で、七海は携帯のメールを読んでいる。

「どうしたの、七海?」

「田井中さんからメールが来てる。……なぜムギさんを脅して、自分のところに組み入れようとしたのか、なぜ秋山さんに手を出そうとしたのか、腹を割って話がしたいって」

 世界は、重い口調で、

「私が間に入ろうか? 田井中さんと私は話が合うし、私が話せば、あの人も分かってくれるかもしれない」

「いや……まあ私の独断でやったことだから、談判ならタイでするつもりだよ。

それより世界、大丈夫なのか? 伊藤に振られてから、昼飯も全然のどを通らないみたいだが」

「だ、大丈夫大丈夫……。まずは女バスの打ち上げを楽しみましょうよ。」

 とはいっても、皆皆からすれば元気がないように見えるのであろう。

 

 すると、アナウンスが流れた。

『皆さま、学祭お疲れ様でしたー!

特に、先生達に内緒で休憩室の設営に回ってくれた皆さま、ご苦労様ですー!!』

「お、始まった」

 呟く七海だが、次に続いたアナウンスは、きわめて衝撃的なものだった。

『実は、その休憩室にこっそりカメラを設置しておりまして、それをこっそり見ちゃおうというのが、今回の打ち上げのメインイベントだったりします』

「な……!!」

『彼氏持ちの子は、思い出を思い出すもよし、彼氏のいない子はそれを見て楽しむも良しと言うことで、さっそく放送するとしますか』

「待ってください! それって休憩室の中を映していたってことですか!?」

『ええ。甘露寺さんがおにーちゃーんって甘えてる声もバッチリと。

……あ、早いな、もう流れてる。』

 スクリーンで、その映像が流される。

 周りから上気する、失望とあざけりの声。

 七海は、声にならない悲鳴をあげて、その場にうずくまった。

 凍りついた表情でそれを見る世界。

 スクリーンに映ったのは、七海と彼氏が休憩室で行為をする映像であった……。

 

 

 放課後ティータイムと榊野生徒達の、合同お茶会の日。

 桜ケ丘音楽室では、律と世界が向い合せで、榊野の男子生徒の写真を並べながら話をしている。

 その横で、刹那・梓が隣り合わせでケーキを食べているが、光はケーキも食べずに机に突っ伏している。

 

「律さんって、彼氏にこだわりとかないんですか? 年上がいいとか、優男風イケメンのほうが好みとか」

「あーあー、あたしゃ別に何でもいいよ。イケていて優しくて、話していて面白い相手ならさあ」

「何でもいいというのが、一番選びづらいんだよなあ……」世界は頭をちょっと抱えながら、写真を選び出し、「じゃあこの、男バスキャプテンの宇野先輩なんてどうですか? なかなか背も高くてかっこいいし。吹奏楽部の海部もいいと思いますよ。とってもおしゃれだし。

……あ、でも海部は私と同じクラスで、ちょっと興味はあるんだよなあ……」

「おいおい、じゃあ世界、さっさと誘っちまえよ」

「そうはいかないんですよ。ちょっと心の準備がいるんです」

「そういえば」律は世界の目をじっと見つめ、「世界、伊藤のことはふっ切ったんだな」

ふっと世界の表情に翳が走った。静かな声で、

「いつまでもめげててもしょうがないし。私もまだまだ、これから高校生活を楽しむ時期なんだしね……」

「やれやれ」刹那が紅茶に口をつけながら、「学祭の後、2週間も食事がのどを通らなかったくせに」

「言わないでよー! 刹那―!!」

「あはは、ま、いーじゃんかよ。あんたになら伊藤でなくとも、絶対いい彼氏できると思うぜ」

 律が言うと、刹那は再び、

「結局榊野の中でも、平沢さんと伊藤は玉砕したって評判になったからね」

「まあそうね。唯先輩も彼氏に振られたと桜ケ丘でも噂になってるもん」

 刹那の隣の梓は、ぶっきらぼうに話す。

「それにしても、」刹那はチーズケーキをフォークで切りながら、「結局私は、最後まで敵に塩を送る形になっちゃったけど、よかったのかな……」

「まあいいよ。」世界は刹那に答えて、「それが、刹那の選んだ選択なのだから。私は刹那が選んだ道は、間違っていないと思うよ」

「ほうほう」律はにやりと笑みを浮かべ、「ま、それでいいんでねえの?」

 

 刹那と梓が会話するその傍らで、なぜかムギがバスケットボールを持ってドリブル・フェイクの練習をしている。

 よく見ると、壁にバスケットのゴールがかかっている。

 ムギが設置したのだ。

「ムギさん、何でこんなところでバスケの練習してるんですか?」

「これ?」ムギは少しひきつった笑顔で、「甘露寺さんに、少しでも近付きたいかな、と思って……。私の中では、やっぱり甘露寺さんは、さわやかな女バスのエースだもの……」

目を遠くするムギを見て、急に周りの雰囲気が重くなる。

「そう言えば、甘露寺はどうしたんだ?」

「実は、」世界は深刻な顔になり、「彼氏と休憩室で……しているところをビデオに撮られていて、学祭の後の打ち上げで、皆の前で見せられてしまって……。

顧問にもチクられたから、レギュラーの座をはずされたそうです。人望も失ったみたいで……。

家でずっと寝込んでいるようです……」

「そうですか……」

 ムギは注意深く表情を消した。悲しいとか、気の毒とか言う雰囲気も出てはいるが。

「なるほど。それで談判を断ったのか」律は脱力して言う。「そうか……」

「あれこれやることやってましたからね」

梓は多少、呆れた。

 

「……そう言えば、平沢さんと誠、結局プラトニックな関係で終わったみたいですね。」世界が話題を変えて、「隠しカメラで、沢越止が平沢さんを襲おうとしたのも写っていて。誠が止めたみたいです」

「そーかそーか」

「どちらかと言えば平沢さんに彼女になってほしかったかな。……でも、誠が桂さんを選ぶなら、仕方ないかな」

「ま、今となってはどうでもいいよ。でも唯先輩と伊藤がプラトニックな関係で終わったのはよかったと思う」

 と、梓。

「ビデオを見た人達は、『ヘテロカップル誕生と思ってたのに、すかしかよー』って不満げだったけど。結局誠は、桂さんをこれ以上裏切ることはできないんだそうで」

 刹那は紅茶をグイッと飲み干すと、

「……そう言えば、平沢さんも秋山さんもさっきから来ないけど、どうしたんだろう?」

「伊藤と桂と、一旦図書館で落ち合ってから行くって。借りたい本があるそうだよ」

 

 梓は、気になったことを打ち明けてみることにした。

「そういえば、桜ケ丘と榊野のヘテロカップル1号って誰になったの? 唯先輩と伊藤がああなったことを考えると、該当者なし?」

「……今にわかるわよ」

 話題を変えた梓に対して、隣でずっと机に突っ伏していた光が、低―い声で言った。

 それを聞いて、律と世界も、顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。

「な、なんかやな予感……」

 呟く梓。

 その時、急にドアがバタンと開いて、

「みんなー! こんちゃー!! 私、榊野学祭で彼氏作ったから、紹介するねー!!」

 ハイテンションな声で、顧問の山中さわ子が音楽室に飛び入り、

「やっほー!! さわちゃんの彼氏の澤永泰介でーす!!」

 榊野学生服のまま、澤永泰介が後からスキップで部屋に入ってきた。

「この子とはウマが合うのよ!! 102番目の新しい彼氏、できたー!!」

「意気投合、したーっ!!」

 肩を組みながら、さわ子と泰介はガッツポーズを上げる。

 ポカンとするムギ。飄々としている刹那。

 後の皆は口をあんぐりと開けて、2人を見つめる。

 梓はこの世の終わりとばかりに、手にしているショートケーキをぽとりと落とし、光は無言で、幽霊のようにふらりふらりと部室を出て行く。

「ヘテロカップル1号の景品も、もらったーっ!! パルコの高級チョコ、おいしいよねーっ!!」

「まあねー!! ……ところでそう言えば、秋山さんいない……? どうも苦手なんだよなあ、あの人……」

「ん? 泰ちゃん、どうしたのよ。」

「俺、ちょっと秋山さんが苦手でさ……」

「そうなの。ま、少し遅れるそうだし、すぐ慣れるわよ。あの子も奥手だし。

あ、そうだ、泰ちゃんのために特別な服を作ったから、着てみてよ。」

「えー! さわちゃん、どんなどんな!?」

エルビス・プレスリー風純白のフリルを取り出して、泰介に着せながら、さわ子は、

「唯ちゃん、残念だったみたいね……。伊藤君は私と話がしたいと言っていたけど、ちょっと考えなおしてもらうことってできないかしら」

「いやいや、それは要らぬ節介だろう。桂さんを恋人にするというあいつの決意はもう固いみたいだし。まああいつによれば、平沢さんとは友達以上恋人未満みたいな関係になってるとさ。いいんじゃねえの?」

「そう……」ミック・ジャガー風の黒いジャケットとGパンも出しながら、「そう言えば、もう1組のヘテロカップル候補はどうなったの? 確か足利君と、あとは……」

「ああ、加藤さんと真鍋さんか。何でも、真鍋さんは遠縁先で亀仙流を身につけ、加藤さんは海でうっかりゴムゴムの実を食べ、その能力を駆使して足利争奪戦に臨んだらしい……」

「亀仙流とゴムゴムの実って本当にあったの……というか、その力で争ったら、半径30キロは確実に荒れ地にならない?」

「まあね。お互いかめはめ波とゴムゴムのバズーカの撃ち合いだったからねえ……」

 

 長々と話すさわ子と泰介の話を、皆は聞いていない。

「あははは……」

「澤さわカップル、見事成立か……」

苦笑する世界と律に対し、

「き……清浦……幻覚剤、ない……? 一年分、いや、二年分……」

「中野、ないない。」

震える声で言う梓、飄々と答える刹那。

続いて向こうで「お゛お゛お゛お゛……!!」という光の唸り声が響いた。

 

 

 秋風はやみ、さわやかな青空が浮かんでいる時。

 唯と澪、誠と言葉は、榊野ヒルズの中央広場で落ち合った。

 その場所では噴水がわき、アベックがところどころでたむろしている。

「マコちゃーん!」

「唯ちゃん!」

 一目見るなり、唯と誠は朗らかな声を上げ、お互いに笑顔を返した。

「マコちゃん、借りたい本があるなんてびっくりしたよー!!」

 左薬指の指輪をちらつかせながら話す唯に、

「なーに、手塚治虫の漫画だよ。びっくりすることなんてないよ」

 誠は、唯に似た微笑を浮かべて答えた。

 恋愛が実らぬ形で終わっても、気兼ねなく話ができることに、2人とも驚きながら話を続ける。

 学祭以来続いていた誠の足の痛みも、いつの間にか治っていた。

 隣の澪は、微笑を浮かべているが、目の下にクマができ、ちょっと元気がない。

 かたや言葉は、誠の右腕に抱きついている。彼が自分のところに戻り、すっかり明るくなったようだ。

 

「言葉ぁ……」

「澪さん、どうしたんですか?」

「お礼のプレゼント、高級ショコラはありがたいんだけど……『四丁目の夕日』はやめてくれない? 私、ホラー映画は苦手なんだよ……」

 言葉はあわてて、

「あ、ごめんなさい! でも四丁目の夕日はホラーよりも人情系の側面が強い映画だし……」

「あのさ、言葉……」誠は半分呆れる。ホラー映画なんてちょっと女の子が好みそうなものではない。「ジャンプ系の漫画とかじゃ駄目なの? 俺達の学校では流行ってるだろ?」

「あ、じゃあ『金魂』があります!!」

「金魂!?」唯はパッと目を輝かせ、「私も『金魂』好きなんだ。気が合うねえ、桂さん!」

「へえー、ちょっとびっくりです」

 言葉の声には嬉しさがこもっている。

「いや、『金魂』は私はちょっと……」

「あははは……」

 意気投合する唯と言葉に対し、澪と誠は思わず苦笑。

 

「伊藤も」澪は誠に、「足の方は大丈夫なのか?」

「ええ、痛みはすっかり無くなりました。やっぱり、唯ちゃんの笑顔に癒されたからかな」

「そうか……。唯って、いい笑顔するもんな。

それと、マスコミに追われたりしてないか?」

「いや、大丈夫です。ムギさんだけでなく言葉も、いろいろ手を尽くしてくれてますし……」

「そっか……よかったな。」

「気遣いありがとう。」

「そう言えば、澪さん」言葉が澪の方に向き直り、「実は澪さんのファンクラブに入ったんで、今朝曽我部さんに挨拶してきたんですけれど、よろしくと言っていました」

「そうか……。曽我部先輩もファンが増えるのはうれしいと言っていたしな」

「秋山さん? ファンクラブ?」

「あ、そうか、マコちゃんには話してなかったっけ。澪ちゃんにはあるんだよ、桜ケ丘にファンクラブが。

桂さんも入ったとなると、よりにぎやかになるかも」

 訳のわからない誠に対して、唯がにこやかに説明する。

「じゃあ俺も、入ってみようかな……」

「いや、初めての男になっちゃうから、みんな緊張しちゃうかもよー」

 誠が興味を示すと、唯は嬉しそうに冷やかす。

 中央広場に、4人の笑い声が響いた。

 

 図書館でおのおの好きな本を借りて、皆外に出る。

 噴水は相変わらずライティングを帯びて盛んに沸いているが、アベックは少なくなったようだ。

 唯は誠の隣で歩きながら、鼻歌を歌う。

♪でもね 会えたよ 素敵な 天使に♪

 思いがけずわいたフレーズを口ずさむ唯に、誠は、

「何その曲?」

 小声で話しかける。

「あ、これ……」唯は思わず顔を赤らめ、「ふいと思い浮かんだ歌のフレーズなんだけど、まだまだ固まってない。大丈夫。気にしなくていいから」

「そうなの?」

「おいおい、その歌私も始めて聞いたぞ」

「『天使』って、ちょっとベターなフレーズですね」

 誠だけに話したつもりだったが、澪と言葉も耳ざとく聞いていた。

「澪ちゃんも桂さんも首突っ込まないでよ、マコちゃんだけに話したつもりだったのに」

 くすくすと笑う澪と言葉につられ、唯と誠も思わず笑顔を見せる。

 気がつくと、4人で笑いあっていた。

「そうそう、実はね……詞・曲ともにまとめたものがあるの。……聞いてみたい?」

「唯ちゃんの作った曲ならば、何でも」

 顔を赤らめて話す唯に、誠はくっくと笑いながら応答する。

 唯はギー太を取り出し、噴水の近くのベンチに座った。

「桜ケ丘の学祭で演奏する予定なんだけどね。言っとくけど、聴いていいのはマコちゃんだけ」

「「「は!?」」」

「冗談冗談。みんなに聞かせるから、聞いてね。名付けて『クロス・バラード』!」

「そっか……。たのしみだなあ……」

 誠は思わず、唯に向って、彼女に負けないぐらいの笑みを見せる。

 3人が見守る中で、唯は指輪越しに誠を一瞬見つめる。

「それ、唯ちゃんによく似合うね」

 すると誠が、満面の笑顔で言ってくる。

「マコちゃんの作ったものだから、似合うんだよ」

 唯も負けず劣らずの愛嬌のある笑顔で、答えた。

(マコちゃん……)(唯ちゃん……)

((大好きだよ……!!))

 そして唯は、ギー太を取り出し、演奏を始めた。

 ギターの音が風に流れ、雲ひとつない空へと昇っていった。

 

 

 

終わり 

 




 というわけで、無事終わりました。Cross Ballade。
 どういうエンドにするかは知恵熱出るくらい結構悩んでました。

 でもやっぱり、青春物の基本はほろ苦さを残しつつ、笑顔とハッピーエンドだ。やっぱり犠牲者が出てしまってはハッピーエンドにならないということで、このエンドにしました。
 自分が描きたかったのはジャンプのコラボ漫画のような展開と結末だったので、やっぱり後悔してません。

 ほろ苦さを出すという点で、唯が誠に振られるという展開はかなり早い段階で決まっていたんですよね。正直結ばれてほしかったんで、泣く泣くだったけど。
 その後は世界か言葉のどちらかをえらぶ、けどぼかす……と考えていたんですけれど、世界が誠を好きになる理由がちょっと弱かったので、思い切ってガラガラポンにしました。
 その後の世界の扱い方はちょっと困ったけどね。

 今まで読んでくださってありがとうございました。
 そして最後に、これからもけいおん!とSchool Daysをよろしくお願いします。

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