Cross Ballade(けいおん!×School Daysシリーズ)   作:SPIRIT

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けいおん!×SchoolDaysクロスオーバー小説第14弾。
 狙われた平沢唯、父親を必死で止めようとする伊藤誠、壊れた言葉を元に戻そうとする秋山澪。
 それぞれが動く中、物語は大詰めを迎えます。誠は唯を、澪は言葉を守れるか?
 


第14話『唯誠(ゆいま)』

「……く……!」

 誠は手すりをしっかりつかみながら、足の痛みに耐える。

 とっさにつかんだので、階段から8段下に転がり落ちるのだけは免れた。

 しかし、その拍子に右足首をねん挫してしまう。

 何とか姿勢を直し、足を痛めない形で座り込む。

 野次馬もそのことに気づいているようだ。

「大丈夫ですか?」

 通りかかった人たちが何人か、気にかけて周りに寄ってきていた。

「いえ、大丈夫です……」

 周りに心配かけないようにと、誠は手すりを使って立ち上がり、よろよろしながら階段上のところに行く。

 

 と、その時、

「あのう……伊藤さん……ですよね……」

 野次馬をかき分け、一人の少女が湿布薬を持ってやってきた。

 金髪で、やや垂れ目。桜ケ丘生徒の格好をして、眉がたくあんのように太い。

「ええ、そうですけど……」

「私は、琴吹紬と言います。

沢越止を調べているうちに、息子の1人に貴方がいると知りまして……。

今回沢越止を捕えるために、SPを出したのは私と、父の会社です」

 誠はムギの顔を見て、頭の中で引っかかっていた記憶を引き出し、

「……もしかして、唯ちゃんや田井中さんの言ってた、ムギさんですか?」

「ええ」

「それにしても、ずいぶん用意がいいんですね……。俺も正直、親父を何とか止めたいと思ってたんだけど」

「まあ、大がかりのほうがいいですしね」ムギは話題を変えて、「実は、SPの待合室にいた唯ちゃんがいなくなってしまって……。伊藤さんなら知っていると思うのですが。どこにいるかご存知ですか?」

「唯ちゃんが!?」

 誠は小声で驚きの声を漏らす。

「ええ、ちょっと目を離したスキにいなくなったそうで……。ひょっとしたら、沢越止に襲われているかもしれなくて……」

「実は俺も、唯ちゃんとはぐれてしまって……。SPが引き離しちゃったこともあるけど」

「そうですか……」

深刻な表情になるムギを見て、誠は奥歯をかみしめる。

 すっかり不安と、父親への怒りでいっぱいになってしまっていた。

「親父……俺を殺そうとしやがった……」

 思わず口から、自分でも驚くようなドス声が出てしまっていた。

「え……」

「実は、親父の奴に、階段から落とされそうになって。

とりあえず手すりを用いて、助かったんだけど……」

「……伊藤さん……」

ムギの憐れみの目を受ける。

 ありがたいような、辛いような、そういう思いを背負いつつ、誠がとりあえず携帯を取り出す  と、着信メッセージが残っている。

 唯からだった。

『マコちゃん、今どこ? こちらは3年4組の教室を出たとこ。今すぐ会いたいよ!』

「唯ちゃん……」

 ムギはそれを横で聞きながら、

「着信があってから、そんなに経ってないみたいですね。無事だといいんだけど……」

「心当たり、あります?」

「考えられるのは、休憩室ですね。とは言ってもたくさんあるし、どこにいるのやら。

利用されやすいところだから、部屋の全てをSPが2人1組で監視して、大丈夫だとは思うんですけれど……」

「そうですか。見落としがなければいいのですが……」

「あ、動かないで」

 ムギは誠の靴と靴下を脱がせ、赤く腫れた右足首に湿布を貼ってやる。

 ひんやりした感触とともに、痛みが薄れていった。

「……とりあえず、これでなんとか歩けそうです。フォークダンスは無理だろうけど。ありがとう」

「いえいえ、当然のことです」

物腰の柔らかいムギの横で、再び彼は立ち上がった。

 

 出発しようとすると、

「あれ、伊藤じゃねえか。それにムギさんも」

 急に声がする。

 2人ともそちらを向くと、野次馬の中で七海が、長身の彼氏の腕を組んで立っている。

「甘露寺さん……。そちらは彼氏ですか……?」

「ま、まあね……。昨日はデートしそびれちゃったんで、今度こそと思ったんだけど……」

 笑う七海に、ムギは肩を震わせ、

「なんで……なんで私や貴方を慕う皆さんにあんなことをさせて、自分はのうのうとデートなんかしてるんですか……!?」

 潤んだ声で空笑いしながら、自分より背の高い七海に詰め寄った。

 彼女はバツが悪そうに、

「ああ、そこは、まあ、悪かったと思ってますから……。一段落したら、ラーメンでも何でもおごってあげますから……はは……」

「おごれば済むという問題じゃありません!」ムギの目には、涙が光っている。「私……本当にあなたにあこがれていたのに……どうしてこんなことをするんですか!!」

「ああ、ああ……」

 七海は何も言えなくなる。

 この2人に何があったのか、誠は全然わからなかったが、

「とりあえず」誠が慌てる七海に、「桜ケ丘の平沢唯ちゃんがどこにいるか、甘露寺、知ってるか? ……わけないよな。」

「平沢さんだよね。そういえば見たな」

「何だって!?」

「3階の廊下に出ていたのを見かけたよ。あんたを探していたようだった」

「そうだ! 甘露寺さん、彼氏といるってことは……!」ムギは再び七海の肩をつかみ、「一体どこで休憩を取っていたんですか!?」

「え、あー……」彼女は頬を染めて、恥ずかしげに「3年2組の休憩室……」

「! たしか……!!」

 ムギはぱらぱらとSPの資料をめくる。

 休憩所のある場所について調べているのだが、3年2組の休憩室だけが載っていない。

 おそらく見落としがあったんだろう。

「しまった……!! SPが多分、見落としたんだわ……!!」

「じゃあもしかして、そこに親父と唯ちゃんが……!!」

「急ぎましょう」

 ムギと誠は、野次馬をかき分けて走り出そうとする。

 

「待て伊藤!」

 その時、七海が彼の腕をつかむ。

「悪い、いまそれどころじゃねえんだ!」

「大事な話だっ!!」声を張り上げて七海は怒鳴った。「世界はどうした? あんた、世界の彼氏じゃなかったのかよ!!」

「は……?」

 誠は思わず、足を止めてしまう。

「世界自身は、平沢さんにあんたを譲るって言ってたけど……。

あんた、世界に何かしなかったのか!? それで世界が弱気になったんじゃねえのか!?」

「違うよ!! ただ……」今は固まった世界への思いを、彼は七海に対して、打ち明けていた。「世界とは……所詮、友達でしかなかったんだ……。

今まで付き合ってたけど、やっぱり喧嘩することが多くて、心の底から好きになれなかった。

好きだけど、好きじゃないんだ」

「……本当かい……」

 七海の真剣な声に、彼は多少、後ろめたい気持ちになりながら、彼女の手をほどいた。

「……ああ……」

 それを聞いて、半分呆れ気味の表情で、七海は目をつむる。

「伊藤さん、早くしてください!! SPの人たちも、3年2組の休憩室をなんとしても探して!!」

 今度はムギが、誠に対して声を上げる。トランシーバーを取り出してSPに連絡しつつ。

 急いでムギの後を、誠は追った。

 走ろうとするが、一歩一歩進むたびに右足が痛み出し、思い通りに進めない。

「ムギさん、甘露寺と何かあったんですよね? 世界がムギさんのことを気にしてましたし」

「あ……気にしないでください。こちらの問題なんで」

 声をかけるが、はぐらかされてしまう。

「伊藤の奴……」

 後に残った七海は、世界を案じつつ、呟いた。

 集まった野次馬も、蜘蛛の子を散らすように去って行った。

 

 

 ブシュウウウウウッ!!

 校庭で騒がしく人々の話が聞こえるなか、コーラの噴く音が空気をつんざく。

「ほれ、見事な暴発だろ」

 500mlのペットボトルから、噴水のごとく勢いよく噴き出るコーラを見て、律はやったとばかりに胸を張る。

「……まあ、昔聞いたことがあります。メントスをコーラに入れると暴発するって」

 他の女子生徒達も、唖然としながら律の相手をしている。

 周りはけげんな顔をしながら、横を通り過ぎていく。

「って、んなことしている暇ないだろ!!」

 リーダーと思しき人が、あわてて声をかけてくる。

「待て待て、まだまだ隠し芸はあるんだぜ。ほら、マギー審司よろしくビッグイアもあるしー、それから……」

「さっきから私達の邪魔ばかりしているけど、もしかして貴方も、桂や秋山さんの味方なんですか!?」

 ぐいっとリーダーが進み出て、血走った目で律を睨む。

 律は苦笑いしながら、

「いやあね、友達っていうか、腐れ縁っていうかね…ほっとけない仲というかね、あははは…」

「まさか、あなたも邪魔をするっていうのなら…どうなるかわかってますね…」

「いや…それは…はは…」

 律の笑顔が、だんだんとひきつり始めた。

 やベえやベえ、このままだと大変だ。

 

 そう思っている時、

「待って」抑揚のない、飄々とした声。「七海は、どこにいるの?」

 刹那が無表情で、中に入ってきた。

「清浦!」

「貴方確か、1年3組の学級委員の清浦さん……」

 グループの1人が、まばたきをする。

「まあね」刹那は感情のない声で、「七海、たぶん1日目は彼氏とデートしそこねたから、2日目は遊んでると思うけどな。七海の監視のない中で、貴方達が懸命になる理由って、ある?」

「あー…」

 生徒の一部が、顎に手を当てて考え始めた。

 うまいところついてくるな、と思いつつ、律は校門の入り口を見る。

 世界が、何かを考えているような表情で、うつむいている。

「西園寺……」

 一方の刹那は、強い視線で七海一派を見つめているが、

「いやあ…七海さまは顧問にも信用されていてさ、レギュラー選びの権限持ってるって話だし、逆らったら私達…」

 言い返されてしまっている。

「って、そういう問題じゃないだろ」続いて一派のリーダーが怒鳴る。「とにかく、この人も貴方も、さっきから私達の邪魔ばかりしているけど、桂や秋山さんの味方なのか!?」

食いしばった歯の間から、しゃべっていた。

「やべえやべえ…」

 律が尿意を催すほど怖気づいていると、メールが届いたという携帯振動がくる。

 こそこそとその中身を見て、彼女はさらに青ざめた。

「唯の行方が分からなくなった…。沢越止にやられたらどうなるんだよ…!! 伊藤も何やってるんだよ…!!」

 思わずとんとんと足をふみならしていた。

「うーん、別に味方と言うわけではないけれど…。ただ、七海がいないのに、貴方達が一生懸命になる必要はないのではと思っただけ」

 一方で刹那は、飄々と答える一方、小声で律にもアドバイスを出していた。

「慌てて行っても、平沢さんの居場所は分からないでしょ? 私達は私達で、今ここに集中しましょうよ」

「でも…もし唯が襲われちまったら、どうするんだよ…」

 律は冷や汗が出そうになりながら、小声で答える。

「伊藤や他のみんなに、期待するしかないよ」

 

 

 押し倒され、思い通りに動けないまま、唯は制服のボタンを外されていく。

「嫌! 嫌!!…うっ、また…!!」

 暴れ出すと、再び体に、痛みとしびれが走る。

「大人しくしてもらおうか。声を出されると困るのでな」

 動けなくなった唯を、再び止はひんむき始める。

 至る所に防音用の壁が置かれ、誰も来ないように思えた。

 

「やめろーーーーーーーーーーっ!!」

 急に、大きな声。

 思わず反応する2人。

 突然入口から飛び出したのは、誠だった。

 バキッ!!

 そちらを向いた止の頬を、誠は思いっきり殴っていた。

 それでも怒りの思いと、息苦しさがおさまらなかった。

 止はベッドからはじき出されて倒れ、薄暗い床を転がる。

 そのポケットから、黒いリモコンのような装置が落ちた。

 スタンガンだ。

 おそらくこれで、SPや唯を怯ませていたんだろう。

「これは、スタンガン。貴方…!」

 後からやってきたムギがそれを拾い上げ、怒りの目で止を見る。

 続いて来たSP2人が、気を失っている憂と、ベッドの唯を保護する。

 そのどたどたした音で、憂は目を覚ました。

 誠の視界に、Yシャツ姿の唯が一瞬、見えた。

 白いベッドで横になったまま、体を押さえて震えている。

 それを見てさらに誠の怒りが、胃から頭へと這い上がり、倒れている止の胸ぐらをつかみ、拳を振り上げた。

 

「…お前か…」

 止は不敵な笑みを浮かべ、ため息をつく。

「親父…!!」誠は奥歯をくいしばり、その間から「よくも唯ちゃんを…!

そして、俺を殺そうとしやがったな…!! 人でなしが……!!!」

 ヒューッ、ヒューッと息をしながら、喘ぐように言う。

 上着を脱がされ、Yシャツの第1、第2ボタンが外されている唯は、横にうずくまったまま体を押さえて震えている。

「いつもそうやって、母さん以外の女に手を出しやがって! 床上手かどうか知らないけど、母さんをどれだけ傷つけたか、分かってるのか!? そして、唯ちゃんにまで……!!!」

「何を言っている! お前も同じだろ!!」

 ハッと彼は胸をつかれ、それを振り切ろうとして止の顔面を殴る。

 それでも、ナメクジのようにずるずると止の声が頭に残る。

「あんたと俺は違う!!」

 休憩室に、誠の怒鳴り声が響き渡った。

 止は頬を押さえながら、

「同じだよ。萌子から聞いたぞ。

桂言葉と付き合っていながら、西園寺世界とも関係をもったんだってな。

そして今は、この子に対して躍起になっている」

 再び胸をつかれる誠。

 世界、言葉、そして唯の顔がかわるがわる浮かぶ。

「伊藤さん、この人の言うことに耳を傾ける必要はありません。

気にしなくていいんです! 貴方は沢越止とは違います!!」

 ムギの言葉も、全く耳に入らなかった。

「所詮俺の血かねえ。」

「……!!」

 バキッ!!

 また誠は、我を忘れた。

 勝ち誇る止に対し、横っ面に拳をぶつけた。

「な……殴る必要、ないじゃないですか。現に伊藤さん、唯ちゃん気遣ってくれてるし・・・。認めなくていいんですよ」

 さらに焦りながら、ムギはフォローを入れてくる。

 

 が、誠は拳を下ろして、深呼吸をする。

 そして筋が弛緩したかのように腕を垂らして、気持ちを落ち着けると、しっかり、そしてきっぱりと答えた。

「認める。確かに俺は、ずっと隠れて皆と付き合ってた。

世界も言葉も、そして唯ちゃんも好きだったから。

あいまいな態度のまま、みんな失いたくなくて、みんなと付き合っていた」

 その途端、誠の気持ちは重くなった。

 自分のはっきりしない態度で、どれだけ世界や言葉や唯を傷つけてきたか、胸がキュッと鳴る思いがした。

「だったら!」

 せせら笑う止を彼は制し、

「今までの俺が、弱くてふらふらしていたから。

みんな好きだったから、流されるままにこの関係を続けていた。

でも……もうこれ以上、このままではいられないって、いつも思ってたんだ!!

あんたと俺は違うから!!」

「なら、自分の好きな人を言ってみなよ、今ここでさ!!」

 止は片方の眉をあげて、彼をなじる。

「!!」

 誠は再び、胸をつかれた。

 いつも悩んでいた答え。

 今まで、いくら悩んでも出せなかった答え。

「俺が本当に好きなのは……」

 だが……。

 なぜか今は、その答えが単純な気がしていた。

 しかも、答えは1つしか、思い浮かばなかった。

 

「……言葉だよっ!!」

 

 止も、唯も、ムギも、一瞬、あっけにとられた……。

 沈黙が、しばらく流れた。

「あ、言っちゃった……」

 誠は、自分で自分に驚いていた。

 今までずっと、答えられない質問だったのに。

 わからない。

 なぜこんなに分かりやすく。かつ自分の気持ちが透明に見えたのか。

 大嫌いな父親の前だから、出てしまったのだろうか。

「……ふん、ならば俺が唯に手を出すのを、あんだけムキになって止めることはなかったんじゃないのか。」

 止は毒づく。

「あんたは……したいだけだろ……。今までも母さんをほおっておいて、沢山の女の人に手を出して、子を作らせて……!!

あんたなんかに、唯ちゃんを汚させはしたくなかった……!!」

 目をそらさず、誠は止の目を睨んだ。

「……自分のあいまいな態度で世界や唯ちゃん、もちろん言葉だって傷つけたのは申し訳ないと思ってる」誠は続ける。「でもそれは、みんな好きだったからなんだ。

それでどちらとも選べなくなって、ずるずるずるずる今まで関係を続けてきたんだけど。

それではいけないとわかっていながら。

唯ちゃん、ほんと、謝る」

 誠は震えている唯に向って、頭を下げた。

 唯は、聞いているのかいないのか、潤んだ目で彼をちらりと見た。

 SPが出てきて、

「伊藤さん、もういいでしょう」

 そっと肩をたたく。

 ごつい体格の割に、口調は礼儀正しい。

 誠の手をどけ、顔を上げた止の手に手錠をかけた。

 

 続いてムギがやってきて、逮捕状を見せながら、

「貴方を、警察に連行します」

「……まさか、逮捕されるとはな。俺にはコネがあるんだがね」

「そうはいきません。私の会社の重役にまで手を出して。

幸い、父がじかに警察庁に出向いたら、すぐ逮捕状を出してくれましたよ」

 ムギは無表情だが、声に憤りがこもっているのを、周りはすぐにとる。

「まさかそんなコネがあるなんて、思ってもみなかったけどよ」

 止は脱力して、手錠がかけられた腕を下ろす。

 誠の怒りが冷め、右足の痛みが急にひどくなり、立っていられず、誠はベッドの上に腰かけた。

 ちょうど唯の隣。彼女が寄ってきている。

 気になって見ると、唯は悲しさと安堵が入り混じったような顔をしている。

 服も乱れたままだ。

 そばに、無理やり脱がされた紺色の上着が、ひしゃげている。

 

 

 校庭。

 律・刹那と七海一派がぎゃあぎゃあ争っていたころ、世界は一人、自分のしたことに関して考えていた。

 元々は自分から桂さんに近づき、誠と親しくなりたいという思いで誠を紹介した。

 それがちょっとした偶然から、彼と関係を持ち、本当の気持ちを押さえられなくなってしまった。

 ちょっとしたボタンの掛け違いではあったんだけど、それで桂さんに誠を譲れなくなってしまって……。

 でも、全てのほとぼりが冷めた今、思う。

 それでよかったのだろうか。

 あの時、桂さんとけんかした時も、自分は感情的で理不尽なことを言っていた。

 誠を譲りたくなくて。

 でも、誠自身は……。

 自分が彼を独占しようとすると、怒ってしまった。

 そこまで考えた後、もう一度、校庭のほうを見た。

 そこでは、田井中さんと自分の親友が、七海の配下の人間を止めようと話しこんでいるようだ。

 田井中さんは自分をかばってくれたけど、同時に桂さんのことも助けようと思っている。

 自分は……。

 誠が平沢さんとキスしたことに、つい怒って彼に手をあげてしまった。

 でも結局、平沢さんにかなわないと思い、彼女に譲ることにした。

 とどのつまり、結局桂さんには冷たくしたまま。

 でもそれで、よいのだろうか。

 …………

 

 

 律と刹那が皆を止めている間。

 壊れた言葉を何とかしようと、澪は彼女を強く抱きしめたまま、心のうちで頭を抱えていた。

 するとメールが届く。

 ムギからだった。

「唯がいなくなった……? よりにもよってこんなときに……!!」

 思わずがたがた震えてしまう。

 でも…………。

 中途半端なところで、作業を中断していいのだろうか。

 言葉だって壊れていると言うのに。

 どうにかしなければ。

 外でガヤガヤと声が聞こえる。

 七海の配下が、何やら自分達のことでさわいでいるようだ。

「頼む、律……! ムギも梓もなんとか唯を見つけてくれよぉ……」

 呟く澪。

 切羽詰まった挙句、やぶれかぶれになり、言葉のポケットを見る。

 人のを勝手にみるのは常識外れとも思った。

 が、今はそれどころじゃない。

 言葉のポケットを探ると、純白の携帯がある。

 伊藤から連絡はないものかと思って、思わず取り出した。

 カラーン。

「!」

 すると、一緒に手製のブローチと指輪が床に落ちる。

「これ……ひょっとして、伊藤が渡した……」

 見る限り、七宝焼きで作った代物だが、非常に光り輝いて、形も整っている。

 おそらく、最上級のものを彼女に渡したんだろう。

「伊藤……きっと、桂が本命なんだよな……。そうでないとな……。ははは……」

 思わず澪は呟き、ついでに携帯を見てみる。

 幸い、留守番着信と新着メールが届いていた。

 誠のだ。

 思わずメールを開いてしまう。

 それを見て……安堵の表情になる。

 それから言葉の耳元に、囁くように言う。

「桂! 伊藤からメールが来てる。見てごらん。」

 澪は言葉の耳元で、囁くように手紙の内容を読んだ。

 

「『言葉へ

 

まず最初に、ごめんなさい。

ずいぶん迷惑をかけてしまった。

本当は俺、言葉のことが好きなんだ。

つい世界や唯ちゃんに迷ったりしたけれど……。

考えてみれば、最初につき合ってたのはお前だったね。

その責任をきちんと取らなければいけなかった。

言葉は、俺が隠れて世界と付き合ってた時でも、唯ちゃんとキスした時でも、変わらずに俺のことだけをずっと見てきたんだよね。

愛想を尽かさず、いたるがピンチの時でも助けてくれていたよね。

俺、すっかり忘れていた。

お前にここまで思われていることに。

本当にすまなかった。

 

でも今、親父は唯ちゃんを狙っている。

唯ちゃんのことが一番好きというわけじゃないけれど、親父が絡んでいる以上、ほおっておけないんだ。

だから、今は言葉と付き合えない。

許してくれ。

 

もし言葉が俺のことを好きならば、全てが終わってひと段落したら、俺と付き合いなおしてほしい。

でも、もし言葉が、唯ちゃんを気にしている俺が嫌だったり、俺に愛想を尽かしているなら、無理をすることはない。

俺とは別れてかまわないよ』」

 

 見やすいようにデコメがいたる所にちりばめられた、派手なデザインである。

「な……。伊藤が一番好きなのは、唯ではなくて貴方なんだよ」澪は続ける。「ほら、わかるだろ。伊藤は貴方のことが好きなんだよ。唯よりも好きなんだ。

ここで頑張れば、桂、伊藤の彼女になれるんだぜ。

だから、戻ってきてくれよ! な……!」

 抱きしめたまま、背をぽんぽんと叩いて、澪は震える声で言った。

 そして、ぎゅっと腕を締めつける。

 くっつき魔の唯を笑えないな、と一瞬思った。

 

 そのまま、一刻経つ。

 ふと、言葉の体が、急に暖かくなったように思えた。

「秋山……さん……秋山さん……?」

言葉の、蚊の鳴くような声。

 ようやく彼女が、我にかえったようだ。

「桂……今の話、聞いてたか? 伊藤は唯より、貴方のことが好きだって、メールに書いてあったんだ」

 澪の話を聞いているのかはわからないが、再び言葉は、自分の携帯に届いた誠のメールを黙読する。

「誠君……。やっぱり、私のことが好きだったんですね……」

 言葉は、ギュッと白い携帯を抱きしめた。

 澪は、とりあえず安堵の息をつく。

 ふと急に、唯の泣き顔が浮かんだ。

「そうだ、唯は!?」

 思いついたように澪は、唯に電話をしようと携帯を取り出す。

 その一瞬、唯に本当のことを言ったらいいのかどうか、ちょっと迷った。

 

 その時だった。

 どさどさと七海一派が入ってきて、

「おまえら、悪いけどここから出すわけにはいかないなあ」

 8人ほどやってきて、周りを取り囲んでしまう。

 遅れて律と刹那が、追うようにしてやってくる。

 七海配下の合間から、律と刹那はちらちらと2人を見ている。

「あ……貴方達……!」

 呆れと混乱のこもった声を出す澪に対し、

「すまねえ澪!! 止められなかった!!」

「学級委員の私と部外者の田井中さんの力じゃ、止められるのはここまでみたい……」

 謝る律と、愚痴をこぼす刹那。

「さて、ヤキいれてやりますか」

 血走った目で迫るリーダーに、澪は後ずさりして、思わず尻もちをついてしまう。

 

 

 その時であった。

「待って!!」

 甲高い大声が、体育館の中に響く。

 入口の方からだ。

 そちらを向くと、世界が真顔で、戸をつかみつつ立っていた。

「みんな! もういい!! やめてくれる!?」

 世界は、律と刹那を通り過ぎ、七海配下に向かって仁王立ちになった。

「あれ」榊野の女子生徒は口々に「君、1年3組の西園寺だよね。七海が言ってた」

「私のこと、知ってるんだ……」世界は戸惑いながらも、「まあとにかく、もうこれ以上、桂さんに手を出さないで! 桂さんは私の友人だから……」

「ほう……」

 横で律は、感心のため息を上げた。

「は? 七海さんの話では、桂は貴方と彼氏を争ってるって聞いていたけど」

「あ、それはちょっと前……。でも、今は桂さんに譲ることにしたの。七海は私のためにこんなことをやってるんでしょ? 私の頼みの方が七海の頼みより優先。ね、頼むから」

 柏手を打って、世界は懇願した。

「世界……」

「ほう……」

 刹那は面食らった表情で、律はそう来たかという顔立ちで、その様子を見ていた。

 言葉を襲おうとした生徒達は、また皆で相談を始めた。

「どうする?」

「かといって、七海さまに相談なしでは……」

「あ、でも、一連の首謀者は西園寺さんだって聞いたし。甘露寺さんは西園寺さんの意向を受けて…」

「一応謝って、手を引いておくか。引こう」

 やがて皆、ごめんねといいつつ、そそくさと立ち去ってしまった。

「ちょっと待ちなよ。甘露寺さんの意向を聞かなくちゃあ」

リーダーはあわてて、その後を追う。

 冷めた視線で、律・世界・刹那はそれを見送る。

 

 

「マコちゃーーーーーーーーーーーん!! 怖かったよーーーーーーーーーーーー!!!」

 いきなり唯が、ベッドの上で泣きながら誠に抱きついてきた。

「あ、ちょっと、唯ちゃん……」

 誠はどぎまぎする。

 それでも思わず、胸の中の唯の背に、腕を通していた。

 今まで、何度も感じられた暖かさ。

 唯の頬を伝わる涙が、誠のスーツをぬらす。

 それでも、こんなヘタレな自分を愛してくれて、嬉しかった。

 自分が、言葉だけでなくこの子を愛したことも、間違っていなかったような気がした。

 同時に、胃が重苦しくなってくる。

 これから自分も辛いこと、でも言わなければいけないことを言う必要があるのだから。

 その中で、憂の暗い表情と視線がジンジン感じられたのが気になったが。

 

 ムギは2人と憂を、興味深げにかわるがわる見た後、

「じゃあ私、沢越止を連行しますので」

 休憩所からムギは、止とSPたちと一緒に去って行った。

 唯を誠と2人きりにした方がいいと思ったからだった。

「あ、もしもし……誰です? ……え、HTTファンクラブに入りたい人がいる?」

 小さくムギの声が、聞こえた。

 SP達が去ったあとで、唯と誠、そして憂は3人だけになった。

「伊藤君、お姉ちゃん……」

 憂の声は低い。表情もどんよりしている。

 不気味に、沈黙が流れた……。

「……憂。ちょっと場を離れてくれる? マコちゃんと、2人で話がしたいから……」

 唯が誠に抱きついたまま、憂に声をかけた。

「……でも、お姉ちゃん、沢越止に襲われてショックだと思うし……」

 憂の表情は、浮かない。

「大丈夫だよ。マコちゃんと2人でいれば、心が落ち着くし」

 するとムギが踵を返して戻って来て、ぐっと強く憂の腕をつかむ。

「今は2人きりで、話をさせてあげましょう」

「でも……」

「あとはもう、2人の思いにゆだねるべきよ。大丈夫。伊藤さんは悪い人じゃないし。唯ちゃんも、私達より伊藤さんといた方が落ち着くみたいだし。まかせましょうよ……」

 憂は暗い顔でうなずくと、ムギと一緒に休憩所を離れていった。

 

 

 ガヤガヤと、外は相変わらず話し声が聞こえている。

 外側のにぎやかさとは対照的に、体育館では静かな時間が流れていた。

 七海一派は、まだ戻らないようだ。

 ムギからメールが届き、澪達は、止が逮捕されたことを知った。

 ようやく皆、安堵の表情になれた。

「どうする?」

「この場合は、その場を離れた方がいい」刹那は落ち着いた口調だ。「宮沢達がまた戻ってきて、襲ってくるかもしれないから」

 学級委員の彼女の言うことに、従ったほうがいいだろう。

 

 皆、体育館を出て外に出る。

 日は中天を通り越して、傾いていた。腕時計を調べると、午後2時。

 生徒達の数も、やや少なくなってきている。

「いまさら、気づくのが遅いのかもしれないんですけど……」言葉は、陽だまりのような明るい表情になっていた。「誠君がいなくても、私は一人じゃないんですね……。秋山さんがいますし、考えてみれば、ずっと心も気を使ってくれていたし」

「はは、そうだね」澪は思わず、笑った。「心ちゃんや私だけじゃないと思うな。桂を育ててくれたお父さん、お母さん。それに律や西園寺や清浦だって…桂のことを案じたから、わざわざあの人達を止めてくれたんだと思う。

貴方の、笑顔が見たいから。

貴方が苦しんでいるのが、耐えられないから。」

「オイオイ、なんでそうなっちゃうの?」律が赤い顔で、横から口を出す。「私は澪が危険に会うのはまずいと思ったからだよ。でもまあ、思いっきり感謝しなさい」

「私も、こういうやり方が好きではないから止めただけ」

 2人を見て、澪はくっくっと笑う。

 世界だけが、黙っていた。

 それに目もくれず、言葉は、

「ありがとうございます。もし…もし万が一誠君に振られても、私、もうくじけません。泣きませんから。

だって、秋山さんや、みんながいるって、分かりましたから…」

「いやいや、伊藤は貴方のことが好きって言ってるんだよ…そうだ、唯と伊藤は?」

 思案していると、メールが来る。

 

 ムギからだ。

 しかし澪は、そのメールを見た時、表情が変わる。

「え…? 2人とも、3階3年2組の休憩所にいる…。2人きりにした? お互いの思いを確認しあうには、それしかない?」

 ムギからのメッセージに驚く。

「誠君…!」

 言葉は、校舎に向かって駆け出していた。思わず澪も、後から追う。

「桂、伊藤は本当に桂を思っているから、多分伊藤は唯を拒むと思うんだが…」

「そんなことないです。誠君は、優しすぎますから……きっと、平沢さんを拒まないと思うんです。」

「そんなの……」

「たぶん、平沢さんと……!」

「くっ!!」

 言い終らないうちに、澪は、かけ足を速めてしまっていた。

 昇降口から、あっという間に階段を上っていく。

 言葉は、留守番着信を開く。

『もしもし、言葉、どこだ? 誠だ。今そっちに向かってるから、返事してくれ』

「それは?」

「誠君からの着信。誠君、私のこと……。私も、誠君の思いに気付かなかったから……」

「そういうわけでは、ないと思うけど……」

 苦笑いする澪だが、すぐに気を取り直して、3階の休憩室に向かった。

 

 

 かけ足を速めた澪と言葉と異なり、律と世界・刹那の足取りは、後を追ってはいるものの、ゆっくりしている。

 そのまま、校内の玄関に入った。

「急がねえのか?」

「いや、もうこうなったからには、もういいでしょう。私はもう、当事者じゃないんだし」

 心配する律に対し、世界は大きく息をして答えた。

「それにしてもよう、まさか西園寺が、桂へのいじめを止めるとはな……」

 ニヤッと笑って語る律に対し、世界は目を伏せている。

「さっきも言ったけど、誠の彼女になれない以上、私が桂さんを遠ざける理由はありませんから……。

ちょっと気まぐれに、『いい人』になってみただけです」

「いーじゃんかよ、伊藤もみんなも好感を持つと思うぜ、あんたに」

「でも……桂さんは女子からは嫌われてますし。それに、七海には悪いな、と思う」

「あいつね……」にこやかな顔を消して、律はため息をついた。「今度あんた達も呼んで、桜ケ丘でティータイムを開こうとも思ったんだけど、どうしようかな……」

「いえ、余計な気を使わなくても……。七海のこともありますし……」

 

「なーんか言ったか、世界?」

 きびきびした声。

 噂をすれば影、七海であった。彼氏と思しき長身の男性と、腕を組んでいる。

「七海……」

「宮沢から話は聞いているさ。桂への攻撃をやめてくれと、あんたが言ったって」

「……」

 世界は少し、むっとなった。

「それでいいのかよ?」

「……もういいの……」彼女はうつむき加減に、小声で言う。「誠とは、うまくいかなかったし……それに、平沢さんを見てたら、この人にはかなわないな、って思っちゃって。

平沢さんと付き合ってる時の誠……平沢さんと一緒にいた時の誠、嬉しそうだったなあ……」

「そんな自信なさげで、どうすんだよ!?」

「いーんじゃねーの?」律が口を挟んできた。「うまくいかなかったって、西園寺自身が言うんだからさ」

「まったく、桂の奴に何言われたんだか……」

「だから、違うって言ってるだろ!!」律の声が、急に荒くなった。「いつもそうやって、全部桂のせいにして、ムギまで巻き込んで陥れて!!

ムギは本当にあんたにあこがれてたんだぞ!! それを粉々にぶっ壊しやがって!

もういいだろ!! 終わりにしてくれよ……」

「部外者の貴方に何がわかるんですか!?」

「違う!!」大声で遮ったのは、世界だ。「……たぶん本当は誠、私のこと、好きじゃなかったんだよ。

好きだったのは、そしてつながってたのは、ただ体だけだったって、思うんだ。

平沢さんが誠と付き合ってると思いこんで、怒って、桂さんにも八つ当たりして……。こんな心の狭い女、いないよね……」

 好きだけど好きじゃない。誠がそう言っていたことを七海は思い出して、

「そんなことないって、伊藤や桂が……」

「そこまで自分を卑下しなくたっていいだろう」言いかけた七海を、律は静止する。「ただ縁がなかった、それだけじゃねえのか」

「田井中さん……」

 まばたきをしつつ、世界は言う。律は再び笑いながら、

「縁があるか、ないか。結局はこれに尽きるだろ。

西園寺だって伊藤でなくとも、いずれ縁のある男を見つけると思うぜ。

さて、行くか」

「どこへ?」

「ナンパ。私も見つけたいしよ、いけてる彼氏」

「待って!」世界が止める。「平沢さんはいいの?」

「いやあ、もう疲れちまってな。それに、あいつを選ぶかどうかは伊藤が決めることだぜ。私たちが口出しできることじゃねえよ。止も逮捕されたみてえだし、もう厄介なことにはならないと思うぜ。

あいつら、さんざん私らを振り回したんだから、せめて最後ぐらい、自分でけじめをつけさせねえと。

それと、いい男がいたら紹介してくれ。じゃ、後で」

 律は手を振り、遠ざかっていった。

 

 携帯からメールが来たので、とってみる。

「やれやれ、澪の奴……。どこまでおせっかいなんだか」

「律先輩!」

 突然声をかけられる。

 梓がそこにいた。

「おお、梓か。大丈夫、沢越止は逮捕されたそうだぜ。唯が襲われる心配はねえよ」

「ムギ先輩から聞いています……。じゃないです、唯先輩と伊藤はどこに行ったんですか!?」

「ああ、ムギによれば、2人きりで3年2組にいるみたいだぜ」

「な!? 2人きりにさせたんですか!? まずいじゃないですか……」

「追いかけるのか!?」

「律先輩だって、言ってたじゃないですか! 2人にとっては一種の縁だって」

「そんなこと言ったかな……?」すっかり忘れていた言葉を、律は思い出し、「ああ、それは澪と桂の話だったんだけどさ。

桂は悪い噂が絶えねえし、多分孤立無援じゃないかと思ってさ。澪のような味方がいたほうがいいと思ったんだけど……唯と伊藤もそうか」

「自分で言ったんじゃないですか……」梓は半ば呆れ気味に、「私は、唯先輩があんな奴と付き合うなんて、まだ許してませんからね!」

「分かった。それだけ思うのならば、止めに入ってもいいぜ。私は止がいなくなった以上、唯と伊藤の2人の思いにゆだねるけどな」

「……わかりました。ありがとうございます」

 深々と頭を下げると、梓は突っ走ろうとした。

「梓ちゃん!!」

 横から、通りかかった憂に声をかけられた。

「憂……」

「私も最初は、あの2人を引き離したいと思ってたんだけど……。

やっぱり、ムギさんの言う通り、ここは2人の気持ちにゆだねるべきだと思う」

「何言ってんの!? あんな奴に唯先輩を取られちゃっていいの!?」

「でも、お姉ちゃんは伊藤君が好きだから……。伊藤君は分からないけれど……」

「私は、あんな奴に唯先輩を取られたくはないな。それにこれ以上、唯先輩と親しくなったら嫌だし」

「でも……。お姉ちゃんは伊藤君を求めている。今回沢越止に襲われた時も、泣きついたのは私じゃなくて、伊藤君だった……」

 私じゃなくて、と言った時の声は、妙に低い。

「だからどうしたっていうの!? ほら、行くよ!!」

 ためらう憂の腕を引っ張り、梓は突っ走る。

 

 

 誰もいない、薄暗い休憩室。

 しばらくずっと、唯と誠はベッドの上で抱き合っていた。

 服を整えていない唯。その白い胸元が、大きく見える。

「……」

 誠のどぎまぎが、ドキドキに代わっていた。

 そのまま、一見すると平淡にも思える時間が流れていく。

 それでも、時間がきわめて長くなったように、彼には思えた。

 自分の胸の中ですすり泣く唯を見ていると、唯に言わなければならないことを、言うのをやめようかとためらってしまう。

 しかし、父の顔が浮かび上がった瞬間、何か吹っ切れたような気持ちになる。

「……落ち着いた、唯ちゃん?」

「……うん……」

 涙と鼻水ですっかりくしゃくしゃになってしまった顔を、唯は上げた。

 ハンカチで顔を拭いて、彼女は穏やかな表情になる。

 吹っ切れている今、そして彼女が落ち着いた今、打ち明けなければ。

 そう思って、彼は、真顔で、切りだしていた。

 

「ごめん……さっき言った通り、俺は言葉のことが好きなんだ。

唯ちゃんも好きだけど……。友達以上の思いはないんだ」

 

 その後、非常に不気味な沈黙が流れた。

 唯は、何を言ったらいいのかわからなかった。

 誠の言ったことが、まるっきりの冗談だと信じたかった。

「……あのね、唯ちゃん。」最初に口を開いたのは、誠だった。「今言ったとおりだから。俺は、言葉のことが好きなんだ。

もっと早く言いたかったんだけど、気持ちがふらついてばっかりだったし……唯ちゃんががっかりして傷つくのかと思うと……」

 今更ながら彼は、自分の優柔不断を恥じていた。

 けれどこれ以上、父と同じ轍を踏みたくはない。

 そう思って、腹をくくった。

 やがて唯は、静かに、

「……それは、桂さんに言われたからじゃないの?

『止さんと同じ道を歩みたくないなら、最初につき合ってた自分を捨てたりはしない』って……」

「それは……」

「それは違うと思う。マコちゃんが本当に好きな人を選べばいいんだよ」

 唯は、誠と同じ真顔になっている。

 なるべく、理屈を並べ立てて、彼を引きとめようと思った。

 さっき言ったことは嘘、あるいは勘違いなんだ。

 マコちゃんは私が好きなんだ。

 そう自分に、言い聞かせていた。

 

 

 澪と言葉は、唯と誠を探して榊野校内を一緒に疾走していた。

 2手に別れたかったが、まだ七海の息のかかった生徒がいないとも限らない。

 急いで3年2組の教室へと向かっていた。

「澪先輩!」

 横から梓が、憂を連れて追い付いた。

「梓、どうしたんだ!?」

「どうって、あの2人を止めに行くんですよ!!」

「……私は、お姉ちゃんの気持ちを尊重したいけどなあ……」

 呟く憂に、

「おいおい、憂はあんな奴に唯先輩を取られちゃっていいの!?」

「いやだけど、でもね……」憂は窓を見ながら、「お姉ちゃんと伊藤君が2人でいた時、2人ともすごく楽しそうだったんだよ。

2人で一緒に料理をしていた時、2人ともうれしそうだった。

そして、2人とも自分に正直になってた」

「……」

「邪魔するのは悪いなあ、と思う……。

私はちょっと、学園祭を楽しんでくるから。3人で行ってきて……」

 踵を返して、いかにも鬱といった感じで憂は去って行った。

「……!!」梓は呆れながら、「もう憂なんか知らない! ……伊藤め、私の唯先輩に手を出したら……!」

といいつつ、澪と言葉を追うような形で走り続けた。

 

 前を走る2人は、こんな会話をしている。

「……何でこんなに皆さん、平沢さんを気にするんですかね? 桜ケ丘生徒って、レズが多いんですかね……」

「いや違うって……」

 呟く言葉に、澪は苦笑いしながら答えた。

「みんな唯が心配なのさ。私だって、唯が沢越止に襲われたのか不安だったし。でも唯が伊藤の気持ちを無視して、手を出しちゃったら困ると思うよ」

「誠君は、私が好きですからね……平沢さんが手を出しては困ります」

その場で澪は、上手く皆の気持ちをまとめ上げるが、言葉は思わず毒づいてしまう。

3人は、目的地へと急いで行った。

「唯……」

「誠君……」

 

 

 初めての沈黙の長い会話を、唯と誠は続けていた。

「唯ちゃん……」

「言ったじゃん、昨日。『俺も、本当は』って。

私のこと、好きなんでしょ」

 そうだった。

 あの時、悲しい顔をした唯を見ていられず、つい引きとめた。

 言葉も好きであり、唯も好きだった。

 どっちも好きで、どちらもそばにいてほしかったんだ。

「そうだよ。言葉も好きなら、唯ちゃんも好きなんだ……」

「だったら!」

「でも……」

 誠は、今まで自分で気づかなかった自分の思いを整理し始めた。

「唯ちゃんも好きだったんだよ。きれいな目で、いい笑顔だからさ。

その笑顔は、俺を純粋にさせる力があるんだと思う。いや、あったよ。

でも……このまま俺と付き合ってたら、大好きな唯ちゃんが壊れそうな気がしてさ……。

それなら、友達のままでいようって思ったんだ。」

「そんなことない!! マコちゃんに出会ってなかったら、今の私はないと思う。

マコちゃんの前だから、いい笑顔だって出来たんだよ!!」

「ううん」誠は首を振って、「俺なんかがいなくても、例えば学祭で演奏した時も、みんなの前でいい笑顔を見せていた。独りでも君はいい笑顔ができる。

そんな唯ちゃんに、俺はふさわしくないと思うんだ。

だから、友達に戻ろう」

「そんな……」

 唯は思わず、目を伏せた。

「それに言葉は、俺が世界と付き合っていても、唯ちゃんとキスした時も、変わらずに俺のことを見てくれていた。

見捨てずに、憂さんがいたるを襲ったときだって、俺を助けてくれた。

俺はずっと、自分に向けられた愛情に気づかなかったんだ」

「……私だって……」

「唯ちゃんのことは好きだから。大事には思ってるから。友達として、これからも接したいって思う……」

 言いかけて、誠は言葉を失った。

 

 唯の目には涙がにじみ、額には血管が浮かんでいる。

 彼女は、耐えられなかった。

「ずるいよ……マコちゃんは……!」

「ずるいって……」

「私をその気にさせて、今更別れようなんて……!」

 今度は誠が目を伏せ、

「はっきりしない態度だったのは、本当にすまなかった……って」言い終らないうちに唯の両手が、誠の両肩をつかんでいた。「ちょっと何するんだよ。……痛い! 右足くじいてるんだぞ。」

「このまま黙って去れないよ!! マコちゃん!」

 片手を外し、唯はスカートのポケットから、あらかじめくすねていた、あれをだした。

「!!」

「……これ、使って……!!」

 誠は、愕然となる。

 避妊器具だ。

 どこから取ってきたのか、分からないが。

 ……そうか、ひょっとして、言葉を助けようとして休憩室に行ったときに……!

 そう思うと、急に胸が高鳴り、体が火照り始めていた。

 唯もそれに感づいたのか、誠の肩にぐっと力を入れる。

 思わず彼女は、バランスを崩してしまった。

 

「きゃあ!」

「うあ!」

 何かにつまずき、平沢唯と伊藤誠は重なって倒れ込む。

 誠は強く背を打った気がするが、クッションみたいなものがあって痛くはない。

「つーっ……え……?」

 気がつくと誠は、白いベッド(本来は保健室にあるもの)の上で、唯に肩を掴まれ、組み敷かれている。

 薄暗い部屋。そこに男女が2人きり。

 唯は誠の胸のあたりで、顔を預けた。

 そう言えば、始めてキスした時も、彼女は体をそうやっていたな。

 妙なデジャビュに駆られそうな思いを、必死にふっ切ろうとする。

「おい、やべえよ」

 肩をふりほどこうと思って、誠は急にゾクリとした。

 見交わした唯の顔は紅潮し、目は潤んでいる。

 大きな胸元が、目をそらそうとしても視界に入ってくる。

 何を求めているかはすぐに分かった。

 雰囲気に流されそうな自分を、誠は必死に押さえ付けた。

 彼女の目は真剣なようだ。

 もう望みはかなわないと、分かっているはずなのに……。

「や、やめようよ……」

「一回だけでいいから……」

「でも……」

「あと少しなんだよ!マコちゃんと恋人でいられるのは!!」

 唯が普段考えられないほどの大声を出す。

「トーンダウン、トーンダウン。ばれちまうよ、唯ちゃん」

 誠が必死になだめた。

「ごめん……。でも、あたしの気持ちもわかって……」唯が潤んだ瞳で続ける。「あと少しで、全部諦めなくちゃいけないんだよ、マコちゃんのこと。

せめて最後にマコちゃんが……マコちゃんの思い出が欲しい。

あたしじゃ、西園寺さんや桂さんの足元にも及ばないかもしれないけど、後悔したくないの……。

お願いだから……」

「唯ちゃん……」

 誠は、自分の頬どころか身体全体が火照っていることに今気がついた。

 そして、誠に体を預けている唯も同じように熱くなっていることに。

 長い長い沈黙の後、誠の顔に唯の顔が近づいて……。

 

 

 

最終話へ、続く 

 

 




ふう、やっと終わった。
 榊野学祭2日目、大詰めです。
 止と誠の戦いに決着がつき、そして誠の迷いにも、ピリオドがうちこまれる。
 そこから唯と誠はどう動くか。
 そして皆は、2人をどういう思いで見送るのか。
(その前に唯と誠が結ばれるかどうかだなァ……。)
 まだまだ恋愛・成長ものとしては及第点とは言えないけど、話もうまくまとまりそうです。
 余談ですけど、今回のサブタイトルである『唯誠』は、『ただ一つの真実』という意味に2人の名前を引っ掛けたものですが…どうでしょう?

 今更だけど、書いて学ぶことはたくさんありました。
 想像して、アイディアをメモ書きして、話の構想を立てて、書いて、推敲して。
 やっぱり大変でした。
でも、書いてよかったと思っています。
 この作品のモチーフはCROSS EPOCH。
 それぞれのキャラが交流しつつ、学祭を乗り越えていく……という話にしたかった。
 唯と誠は、CROSS EPOCHでいうなら孫悟空とルフィに当たるから、力を入れて恋愛ものにした けれど……まだまだ恋愛に関する知識も経験も不足ですね。
(ちなみに律と世界はブルマとナミかなと思ったけど、根拠はありません。)
 いつか、しっかりとした物語にしていきたいと思っています。

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