金剛(壊)   作:拙作者

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もう、お詫びの言葉も御座いませんの9話目投稿。
本当に申し訳ないです。そろそろハラキリですかね……

※かなり長めです。疲れたり、気分を悪くされてしまいましたら無理せずお戻り下さい。
 特に後半部はほぼ会話無しになってしまうため、かなりの負担になってしまうおそれがあります。
 くれぐれもご注意ください。


8 鎮守府防衛戦・序

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「――ん?」

 

 袴富士少将の鎮守府内の応接室。

 到着した時からそこに腰を据えて話を進めていた青年提督は、我知らずに訝しげな声を発していた。

 

「――どうしたの、司令官?」

 

 その声を耳聡く聞きつけたのか、ソファーの隣席に腰掛ける暁が顔を向けてくる。

 そして、それは暁だけではなかった。

 同じ場の響・雷・電もこちらを向いていて。

 対席に居る袴富士少将・明石・長門にしても同様。

 どうやら、思いのほか大きな声を出してしまっていたらしい。

 

「(大事な話の最中だというのに……!)」

 

 そんな自分に対し、青年提督は舌打ちする。

 

「何か、気がかりなことでも?」

 

 話の腰を折られたのに、嫌な顔1つ浮かべずに此方へと気を配れる。

 それは、袴富士少将の人の好さを証明していると言えるだろう。

 そんな彼に対して申し訳なさを感じながら、青年提督は返答を返した。

 

「いえ、何でもありませんよ。話の腰を折ってしまい、申し訳ありません」

 

 にこやかな表情を浮かべて謝意を述べる。

 ……それが少将に対する心配りによって形作られたものであるということを、青年提督の艦娘である第六駆逐隊の面々は即座に見抜いた。

 

「……大丈夫なの?」

 

 気遣いで彩った大きな眼を向けてくる雷。

 他の3人にしても思いは同じなのか、配慮を込めた視線を向けてきた。

 

「(……全く、敵わないな)」

 

 こちらの機微を即座に汲み、気遣ってくれる――

 本当に、自分には勿体ないほどよくできた娘達だ。

 自身への不甲斐なさと、彼女達への感謝が合わさった苦笑を内心で浮かべながら。

 しかし青年提督は、その場凌ぎのような返答しか返せなかった。

 

「心配を掛けてすまないね。なに、問題無いさ」

 

 今、自分の身に起こったことについて、自分でも説明できないのだから。

 

「(……さっきのは、なんだ?)」

 

 先刻の感覚。

 思考の隙間に、チクリと針が突き刺さったかのような……そんな形容し難い違和感。

 理屈ではどうにも説明できない奇妙な感触。

 敢えてソレに名を付けるのであれば――

 

「([虫の知らせ]だとでも言うべきか)」

 

 今まで読んできた文献の中で、そんな語が出てきたことがあった。

 曰く――良くないことが起きそうな時に、五感を超える感覚でその予兆を感じ取る、だとか。

 

「(……まさか、ね)」

 

 そんなことを思いついた己を、青年提督は心中で笑い飛ばした。

 提督としての適性は持つものの、それ以外は至って平凡な人間。

 そんな自分が、そのような超感覚を持っているわけがないではないか。

 きっと、今、袴富士少将と進めている話の重さに緊張が空回って。

 そうして、いかにも何かを感じ取ってしまったかのような錯覚に陥ったのだろう。

 ――そう。今は大事な話の最中なのだ。

 

「(集中しろ)」

 

 自身にそう言い聞かせ、身を置いている今の場へと青年提督は意識を注ぎ込む、

 

 ――だが。

 粘り付くような不安は胸中に纏わりつき、より一層絡み付いてくる。

 言葉にできない焦燥感が、じわじわと膨れ上がってきて。

 

「さて。じゃあ、話を続けようか」

 

 故に、袴富士少将のその発言には救われた。

 実際に言葉が発されたことによって、強制的にでも意識をそちらに向けることができたから。

 ……或いは。こちらの状態を察してくれた少将が、タイミングを見計らって声を掛けてくれたのかもしれない。

 第六駆逐隊の4人にこれ以上心配をかけぬように――彼女達には気取られぬように目礼だけで感謝を返しつつ、青年提督は言葉を発した。

 

「ええ。先程お伝えした通りですが……」

 

 小さく唾を飲みながら会話を続ける。

 ……この後に続ける言葉は、とても厚かましいものであるから。

 

「――46cm三連装砲を一式、お譲り頂きたいのです」

 

 その発言に、袴富士少将と明石はやや目を丸くし、長門は僅かながら表情を硬くさせる。

 青年提督の発言は、室内に小さくない波を立てた。

 だが、それも無理なからぬことだ。

 今、言葉にしたモノは、それだけの重みを持つ存在だから。

 

 ――46cm三連装砲。

 かっての大戦の折から今に至るまで、この国の軍艦というカテゴリーの中で頂点に立つ2隻――戦艦「大和」と「武蔵」。

 その両巨頭の主砲として搭載されていた、最大最強の砲。

 他の砲とは一線を画したその存在感は、艦娘が顕現するようになった現代に至っても全く揺らいでいない。

 直撃させれば大型艦ですら一息で屠る破壊力。

 使いようによっては海戦の趨勢を一撃の下に制圧できる、超大火力兵装――

 

「……なるほど、ね」

 

 青年提督の言葉を受けた袴富士少将は――けれど、相槌を打ったものの、即座に返答をしない。

 それも当然だ。

 ――大きな力を手にするには、それだけの代償を支払わねばならない――

 それは、この砲とて変わらない。

 

 艦娘と同じく、彼女達の装備も、かっての大戦時の情報を写し取り、資材を投じてそれを具現化することによって製造される。

 ただし、どのような兵装を産み出したのかは完成したその時になるまで解らない。

 資材の量や分配によって、ある程度の種別までは絞り込むことはできるが……その先は完全に運任せになり。基本的に、強力な武装ほど出現し難い傾向にある。

 ――そんな中でも、46cm三連装砲の出現率は極めて低い。

 膨大な資材を投じても、結局、一式もできなかったということが当たり前のように起こる。

 大量の資材を有するこの鎮守府もそれは例外では無く。

 製造できている46cm三連装砲は微少で、主力艦隊ですら持てる艦が限られている。

 

 それだけの貴重品だ。いくら袴富士少将とはいえ、逡巡するだろう。

 1つ息をつくと、問い掛けてきた。

 

「聞くまでも無いと思うけど……やはりそれは――」

 

「……ええ。――【彼女】に任せる予定です」

 

 46cm三連装砲という桁外れの決戦兵器を預ける――

 それは、自分達の命運の大部分を託すということと同義。

 だが、青年提督には何ら迷いは無かった。

【彼女】――金剛ならば、それだけの技量も度量も十分すぎるほどに備えているから。

 これは、青年提督だけではなく、第六駆逐隊の4人も含めた総意だ。

 

 ――だって。【彼女】は、信じることができるから。

 

 ……そんな迷いの無い瞳を受けて、袴富士少将はどう思ったか……

 己の片腕である秘書艦の明石に問い掛ける。

 

「46cm三連装砲の在庫は、どうなっていたかな?」

 

「ええと……配備未定のものが、一式ありましたね」

 

 その問答は、こちらの要望を却下する方向のものではなくて。

 つまり、それは――

 

「――少し、待ってくれ」

 

 そうやって抱きかけた希望は、硬いその声に遮られた。

 その発言は少将を挟んで明石の反対側に控えている長門からのもので。

 冷静さを纏ったその声音と表情が示しているのは――

 

「この鎮守府の戦力を束ねている身からすると、この話は承服しかねる」

 

 ――拒絶、だった。

 凛々しげな鼻梁に浮かべている泰然さ。

 そこには、取りつく島も無くて。

 

「長門……」

 

 答え方が余りにも冷たいものに聞こえたのか、幾らか抗議の意を込めた袴富士少将の呼びかけに、長門は僅かに視線を落とす。

 彼女自身、このような返答をなすことに心苦しさを覚えているのだろう。

 

「……すまない。私とて、お前達の頼みにはできるだけ応えたい。……だが」

 

 再び上げた目に宿っているのは、確固たる信念。

 

「46cm三連装砲は、この鎮守府の主力艦隊にすら行き届いているとは言い難い。……戦場を共にする彼女達の武装の充実分を、まず確保したいんだ」

 

「……」

 

 その言葉に、少将は口を閉じる。

 長門の反対意見の根底にあるのは、同じ鎮守府内の仲間への思い遣り。

 そこに、口を挟めるはずもない。

 長門は続けた。

 

「それに、未配備分の一式にしても多くの対価を払っている。資材を集めるために遠征艦隊の皆が奔走し、彼女達の整備に旗艦である明石は身を粉にし、提督は身を切って費用を投じてくれている。その他にも多くの者が力を添えてくれて――そうやって、やっと、できたものなんだ。――それを簡単に譲渡するのは、この鎮守府の第1艦隊旗艦としては、頷けない」

 

 提督や仲間への配慮と、戦力の長としての誇りと責任感。

 長門の言葉は、硬く、そして重くて――

 

「……そう、ですか……」

 

 青年提督は、そう返すのがやっとだった。

 私利私欲など微塵も無い気高さと矜持。

 それを前にして、思考の中で組み立てていた説得話術が崩壊していく。

 ……しかし、こちらもそう簡単に退くわけにはいかないのだ。

 どうしたらいいのか解らないが、まずは口を開いて――

 

「それなら――」

 

「……のです」

 

 けれど、発言は別の言葉によって遮られた。

 

「……え?」

 

 青年提督は弾かれたように視線を転じる。

 発言を遮られたことによる不愉快さなどでは無い。

 あるのは――驚愕。

 今の声を発したのが誰かなど、間違えるはずもない。

 ……けれど、俄かには信じられなかったのだ。

 このような場面で、彼女が発言するなど。

 それは他の者も同様だったようで。

 青年提督と同じく、驚きと共に目を向ける。

 

 今の言葉を発した者――電へと。

 

「……なの、です……」

 

 電は、下を向いていて。言葉もよく聞き取れない。

 内気で、引っ込み思案で――そんな彼女だけに、このような場で発言するのは大きな負担になっている。

 今までの電ならば、その負担に耐え切れなかったかもしれない。

 ……けれど。今は、退けない理由がある。

 ――だから。

 

「……お願いします、なのです……」

 

 電は、顔を上げる。

 大きく柔らかな瞳は、真っ直ぐに前に向いていて。

 重圧で挫けそうになる。きっと、身体も震えているだろう。

 ――それでも、退けないのだ。

 

「お願い、しますっ……!46cm三連装砲をっ、金剛さんにっ……!」

 

 ――身を挺してこの命を救ってくれた【彼女】のために。

 上手く口が回らない。言葉が紡ぎだせない。

 ……でも、止めない。

 

「この先、電達は……金剛さんに、いっぱい、背負わせてしまうのです……」

 

 弛まぬ鍛錬を積み、幾多の実戦を乗り越えてきた第六駆逐隊。

 その実力については疑いの余地は無い。

 ……それでも、駆逐艦という艦種故の弱点――低火力・低耐久力については克服しきれない。

 そんな彼女達が、この先増々激しくなっていくであろう戦いを乗り越えていくには、戦艦である【彼女】――金剛の力が不可欠だ。

 艦隊唯一の大型艦。

 それは、つまり。深海棲艦との通常の会敵海戦の際には、【彼女】1人に頼り切りになるということで。

 艦隊の、鎮守府の命運を、ただ1人で背負う――それは一体、どれほどの重圧と負担になるのか。

 

「……金剛さんは……」

 

 そんな【彼女】を、自分達は否が応でも矢面に立たせることになる。

 敵への攻撃の要になる――それは同時に、敵からの攻撃の最優先標的になることを意味している。

 計り知れない責任を負い、敵の刃に身を晒して――

 ……けれど。【彼女】は、何一つ不満を見せずに受け入れるのだろう。

 何故なら――

 

「金剛さんは……あのヒトは、優しいからっ……!」

 

 ――そう。

 柔らかな眼差しも、暖かな言葉も持たない【彼女】。

 だけど――【彼女】は、誰よりも何よりも優しいから。

 

 そんな【彼女】に対して、自分ができることは殆ど無い。

 だから、せめて少しでも楽になるように。

 

「お願いします、なのですっ……!金剛さんに、46cm三連装砲を……!」

 

 感情の制御が効かず、いつしか電の大きな瞳からは涙が伝いだす。

 理を以て語り合うべき場に情を持ち込むことがどれだけ妨げになってしまうのか、電とて解っている。

 ……それでも、言いたかった。言わずにはいられなかったのだ。

 

「……む……」

 

 決死の電の嘆願に、今度は長門が押し黙る。

 強者であることは認めていたが、消極的な電がここまで正面から相対してくるとは……

 そこに込められた気迫は、とても真摯なもので――

 

「とりあえず、一息入れよう」

 

 空気を解すように、袴富士少将が口を挟んだ。

 

「君達の気持ちは十分に解った。こちらとしても検討したい。そのために、少しだけ席を外しても構わないかい?」

 

「ええ。ご厚意、感謝致します」

 

 彼らが席を外すことで、この応接室には青年提督と第六駆逐隊のみが残されることになる。

 そうやって、5人だけの場を提供してくれたのだ。

 その配慮に青年提督は頭を下げる。

 それに小さく頷くと、袴富士少将は明石と長門を伴って席を立ち、扉を開いて出て行った。

 足音が小さくなってゆき、やがて聞こえなくなる。

 そうして、部屋に訪れる静寂。

 

「……あ、あの……」

 

 それを破ったのは、電だった。

 先程の威勢が嘘のように身体を縮こまらせて。

 

「……ごめんなさい、なのです。口を挟んじゃって……お話を滅茶苦茶にしちゃって……」

 

 本来の内向的な性格故に責任を感じているのか、視線を下に向け、目を不安で揺らして。

 

 青年提督は腰を屈め、そんな電と向かい合う。

 

「……電」

 

 呼び掛けに、電は体を震わせた。叱責への恐れと、申し訳なさで。

 ――そんな彼女の頭に、そっと硬い感触が乗せられた。

 

「……え?」

 

 電が顔を上げれば、青年提督の手が頭に乗せられていて。

 彼が今浮かべている表情と同じように、労わるように撫でてくれる。

 優しげな視線を電の目線に合わせ、青年提督は口を開く。

 

「――ありがとう。よく言ってくれたね」

 

 そこに込められたのは、温もりに包まれた誇らしさと嬉しさ。

 仲間のために懸命になった電を、青年提督は心底、誇りに思っている。

 己自身に負けず、この場にいない仲間への情を胸に、思いを出す――そんな勇気を持つ電のことを。

 

 そして、それは3人の姉も同様。

 

「何を謝ることがあるんだい?」

 

「……響お姉ちゃん……」

 

 静かな次姉の言葉には、末妹への誇らしさが宿っていて。

 

「電も一人前のレディーとして成長してるのね。まあ、まだ暁には及ばないけど!」

 

「いっつもさっきぐらい元気だと良いんだけどね~」

 

「暁お姉ちゃん……雷お姉ちゃん……」

 

 茶化すような長姉と三姉にしても、それは同じ。

 

「司令官さん……お姉ちゃん……っ」

 

 周りからの温情に、電の涙腺は再び緩んで。

 

「さてと。ここいらで金剛に連絡をとってみようか」

 

 電が決壊する前に、青年提督は話を進めた。

 懐から通信端末を取り出し、鎮守府へと繋げる。

 ある程度の時間毎に、確認通信を入れることになっているからだ。

 ……とはいっても【彼女】は喋れないので、もっぱら電文か、または【彼女】の息遣いを感じつつ此方が一方的に話す形になるが。

 それでも、精神的に疲労した電のケアにはなるだろう。

 簡単な確認が取れたら、電に通信を代わってもらおうか。

 そう思い、回線を開こうとして。

 

「……え?」

 

 青年提督は、表情を凍らせる。

 端末から聞こえてくるべき電子音は発されず、耳に入ってくるのは歪で耳障りな音ばかり。

 

「(……繋がらない?)」

 

 交信の設定を間違えたのかと思い確認するも、そんなことはあろうはずもなく。

 理解の範疇外の出来事に、思考が固まり、首筋が焦りで汗ばんでいく。

 

「(どういうことだ……!?)」

 

「――司令官」

 

 その様子から、予想外の事態が発生したことを悟ったのだろう。

 第六駆逐隊の4人が、憂慮の色を表情に浮かべていて。

 その中でも沈着な響が問い掛けてくる。

 

「どうか、したのかい?」

 

 とは言え、響の声音にも憂患が滲み出ている。

 

「――いや……」

 

 事実を伝えれば、著しい不安を4人に植え付けることになる。

 かといって、誤魔化すなどということは断じてできない。

 なら、どう伝えるべきなのか?

 

 ……青年提督がその答えを出す前に、事態が動いた。

 

 応接室の向こうから、ドタバタという慌ただしい音が聞こえてくる。

 床版を踏み抜くような音に、青年提督は訝しげに視線を向けた。

 その目線の先――応接室の瀟洒なドアが、勢いよく押し開かれる。

 

 そこには、つい先程出て行ったはずの袴富士少将の姿があって。

 しかし、その姿は明らかに普通ではない。

 大粒の汗を額に浮かべ、荒い息を吐き、肩を大きく上下させている。

 きっと、全力で走ってきたのだろう。……何かを、自分達に伝えるために。

 それが緊急性に満ちたものであろうことは、少将の様子をみれば一目瞭然だ。

 

「(一体、何が……)」

 

 問い掛けようとした矢先、ふと、青年提督の脳裏に先程のことが甦る。

 46cm三連装砲のことについての要望を述べる前。

 気のせいであるとして切り捨てた、あの感覚。

 

「(……まさ、か……?)」

 

 青年提督の体に、悪寒が奔った。

 

「……今。こちらへ帰還中の遠征艦隊から連絡があった……」

 

 そして。袴富士少将から放たれた言葉は、その悪寒を決定付けるもので。

 

「――君達の鎮守府へと向かう所属不明の艦影が、複数見受けられたということだ」

 

 そう。

 青年提督の感じた[虫の知らせ]は、的中してしまったのだ――

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 降り始めた雨は瞬く間に本降りになり、吹き荒れる風が高波を巻き上げる。

 そんな悪天候のせいで暗くなっている海上に浮かぶ、1隻の艦影。

 いくらか老朽化が目立つ小型の艦船。それは、鎮守府内に備え付けられた避難艇だった。

 今、その船内には、鎮守府内の全妖精達が乗り込んでいる。

 その全員が揃っているかどうか確認するのは、リーダーである妖精の役割だった。

 

 ……それにしても。

 作業のかたわら、リーダー妖精は、思わず憂いの溜息を吐いた。

 もしもの時のために鎮守府に設置されていた避難艇だが、まさか実際に使う日が来てしまうとは……

 改めて直面している事態の深刻さを痛感しつつ、人数確認のための点呼を取る。

 ――欠員は、無し。

 通信の結果、その事実を確かめると僅かながら安堵の息を吐きかけて……それを呑み込む。

 こんなところで安心している場合では無い。

 無事に現状況を乗り切れるのか、重要なのはここからなのだ。

 その為に不可欠となってくる存在が、【彼女】。

 ……なのだが。

 リーダー妖精は、視界を転じた。

 海には豪雨と強風が荒れ狂い、空には一面を覆う黒雲から雷鳴が轟く。

 ――そんな中に、【彼女】は居た。

 身を竦めてしまずにはいられない自然の暴威の真っ只中に身を置き。

 鎮守府に得体の知れない異変が迫りつつあるという現状況に際しながらも。

 それでもなお、微塵の動揺も見せない。

 展開した艦上に何も語らぬままに立ち続けるその姿に……自分達とは全く違う存在であるということが改めて浮き彫りになった。

【彼女】は、異質なのだ。

 

 その【彼女】が先程から顔を向けているのは――先刻まで自分達が居た場所である鎮守府。

 一体何を思っているのか、何を考えているのか……微動だにしないその姿からは何も読み取れない。

 その様子に、苛立ちが募ってゆく。

 こんな時だというのに全く動かないとは、どういうつもりなのだろうか。

 自分達に指示を出したのは他ならぬ【彼女】であるのに、だ。

 

 ――[各員、避難艇に搭乗]――

[総員退避]という指示が記された後に、別の紙に続けて書かれたその文字に従い、こうして避難艇に乗り込んで海上に出たというのに……肝心の【彼女】自身が、動かない。

 

 そんな状況に、精神が膨れ上がって暴発してしまいそうで。

 けれど、それをリーダー妖精はすんでのところで抑えた。

 とりあえず、落ち着こう。

 このような不透明かつ危機的な局面では、少しでも冷静な判断力が必要になる。

 気を取り直すべく大きく深呼吸して――

 

 ――次の瞬間。

 大気が、引き千切られた。吐き出した吐息が溶ける間もなく。

 前触れも無く突如として轟いた轟音によって。

 

 鼓膜を震わせる衝撃。掻き乱された空間。

 響き渡る爆音に身を竦ませながらも、リーダー妖精は弾かれたように顔を動かす。

 この事態を引き起こした発生源へと。

 身体の内部まで攪拌されるかのような大音響と、波打つ空気。

 ……これほどのエネルギーを発することのできる存在など――この場には1人しかいない。

 

 顔を移動させた、その先。

 ――果たして、リーダー妖精の推察を裏付けるような光景が飛び込んできた。

 

 豪雨と雷鳴が轟く海上に浮かぶ、【彼女】の巨大な艦影。

 その前部に備えられた大口径の主砲の1門が、今は上方を向いていて。

 黒々と広がる砲口からは、焦げた熱気を漂わせる硝煙が立ち昇っている。

 ――それは砲撃が実行されたということであり。そして、放たれたのは只の砲弾ではない。

 上空に向けられた砲口の先には、雲に包まれた暗雲を背にして鮮やかに花開く彩色光。

 荒れ狂う暴風雨の中であっても鮮明に煌めくその光の明滅は、自らの存在を一際に誇示している。

 それは破壊を目的とした通常弾ではなく、自らの位置を外部に知らせるための特殊弾――信号弾だ。

 目に映ったその一連の光景を、リーダー妖精は呆然とした面持ちで眺める。

 ――【彼女】が、宙に向かって信号弾を撃ち上げたという、その事実を。

 

(なんてことを……!)

【彼女】の信じられない行動に、リーダー妖精は愕然とする。

 信号弾は、己の存在を第三者に遠くからでも把握してもらうための手段だ。

 そのため、目に付きやすいような配色が成されたりというような工夫が用いられている。

 ましてや戦艦の主砲弾を用いたものなら規模も効果も桁違いであり、【彼女】の放った信号弾は、水平線の向こうからでも見た者に余すところなく此方の存在と場所を教えるだろう。

 

 ……そう。今この瞬間にも、この場所に迫っているであろう[異変]に対して。

 

 付近に友軍もおらず、近海域に警邏中の艦隊もいないこの状況下。

 先程の信号弾を観測できる位置に居るのは、そいつらだけだろう。

 加えて、【彼女】が撃ち上げた方角にも問題がある。

【彼女】の主砲砲口が向いているのは、自分達が避難すべき方向である後方の味方勢力圏とは全くの真逆――つまり、[異変]が来襲するであろう方角に向けられている。

 わざわざ、相手が近付いてくる方に向かって信号弾を撃ち上げる……これでは、発見してくれと言っているようなものだ。

 それが味方に対してのものならば良い。

 だが、間違いなく味方ではないであろう相手に対してのこの行為は――自ら危険を引き寄せる自殺行為にしか思えない。

 

 息を1つ大きく吸い込むと、リーダー妖精は操舵手に指示して避難艇を動かした。

 ……海上に実体化している【彼女】の船体へと近付けさせるように。

【彼女】に対しては極力、近寄らないようにしているが……今は、そんなことを言っている場合では無い。

 ――問いたださなくては。

 自分達をこのような状況に置いておいて、一方で自身は沈黙したままで。

 その上、無謀ですらない信号弾の発射。

 ……どんな目的があってこんな行動をとっているのか、その意図を。

 

【彼女】の船体の横に、避難艇が寄せられた。

 それを確認するとリーダー妖精は艇外に出て、そちらへと移り、歩を進める。

 目指すのは甲板上に居る【彼女】のところだ。

 その意図を、確かめるために。

 ……もっとも。

 異次元の存在である【彼女】を相手にしたところで、何も得られるものはないだろう。

【彼女】には、自分達の言葉は届かないのだから。

 自嘲ともつかない力無い表情を浮かべたリーダー妖精は、甲板へと足を踏み入れ、背を向けている【彼女】の後ろから回り込んで――

 

 ――【彼女】は直立して腕を組み。その眼は、閉じられていた。

 瞑想しているかのような、静謐なる様。

 

 こんな悪天候・悪条件の中でも聳え続けるその姿に、思わず言葉を失う。

 ――そんなリーダー妖精の気配にとうに気付いていたのか、【彼女】は、ゆっくりと開けた目を向ける。

 こちらへと据えられた、がらんどうの両目。

 何の輝きも宿していないその瞳孔が……次の瞬間、一気に接近してきた。

【彼女】が身を屈めて近付いてきたことにより、距離が縮まったのだ。

 視界の中に大きく迫る、黒曜石のような【彼女】の瞳。

 

 その生気をまるで感じさせない眼差しに、リーダー妖精の背筋は凍りつく。

 やはり、今まで【彼女】と距離を取っていたのは正しかったのだ。

 近付こうなんて、思うのではなかった。

 ――だって。【彼女】は、こんなにも怖い。

 今まで[距離]という壁を隔てて緩和することのできていた恐怖が、間近で接することによって実感を伴って突き付けられる。

 何も灯していない、その瞳が。

 自分達の持つ感応能力でも全く機微を感知できない、その思考が。

 まるで、底無し沼のように此方を呑み込んでしまいそうで……

 

 心底から湧き上がってくる慄きに耐え切れず、リーダー妖精は顔を背けようとして――

 ――その時、【彼女】が動いた。

【彼女】の首が、左右に振られる。

 小さく、ゆっくりと。

 

(……?)

 

 予想だにしない【彼女】の動きに、リーダー妖精は、逸らそうとした目を止める。

 人形よりもなお作り物めいた眼球と、微塵も読み取れない思念。

【彼女】の所作は、先刻と何一つ変わらない。

 ……だが、一連の動きの中には、見落としてはいけない何かが有るような気がして。

 

 そう思考するリーダー妖精さんを余所に、【彼女】は行動を起こした。

 纏っている巫女服の懐に手を差し入れ、そのまま腕を突き出してくる。

 突然の動作に思わず身を固くさせながら、リーダー妖精は、その腕の先に目をやった。

 白く滑らかな指先に挟まれている、折り畳まれた紙。

 ……どういうことなのか。

 問いかける視線を向けても、【彼女】は黙したまま。

 受け取れ、ということか。

 戸惑うままに【彼女】の指先から紙を受け取り、リーダー妖精は折り目を開いて――

 

(……!)

 

 その眼が、見開かれた。

 そこに書かれていたのは――地図。

 いや、ただの地図では無い。

 達筆な筆跡で書き込まれているのは、この周辺海域の細やかな情報。

 水深・水質・海流等の諸要素が漏れなく記された、航海用の地図――海図とも言うべきものだった。

 手書きでありながら最新機器にも劣らぬ精度で描かれたそれは、【彼女】の非凡さを証明している。

 

 ……だが、リーダー妖精を驚かせたのはそこでは無い。

 この図は、ある地点へと向かう道程が書かれている。

 どれくらいの時間で潮の流れが変わり、どの海流がどんな動きをしているのか――

 それらは全て、目標地点へ如何にして安全・確実に辿り着くかという観点で描き出されたもの。

 その目標地点がどこかについては、言うまでもない。

 青年提督と第六駆逐隊が向かった先であり、自分達がこれから避難しようとしていた場所。

 袴富士少将の治める鎮守府だ。

 そこへ向かうための命綱とも言える、この1枚の海図。

 ……ここで、それを自分に託すということは……

 リーダー妖精は、【彼女】へと目を向ける。

 呆然とした視線に返されたのは……僅かな、けれどしっかりとした頷き。

 何も浮かべぬ眼。何も語らぬ口。

 ――けれど今、それらは言語よりも雄弁に語っていた。

 

 ――【彼女】は、ここに残るつもりなのだ。自分達を先に行かせて、1人だけで――

 

 そんなことをする必要は無い。それより、一刻も早く退避行動に移れば良い。

 それこそが最も合理的であり、理に適った行動だ。

 ……だが、リーダー妖精は考えを止める。

 早急な退避。それは本当に可能なのか?

 自分達が異変を捕捉したのはつい先程。

 つまり、それまでの間に相手には十分すぎるほど時間があったわけで。

 その間に、想像以上に此方との距離を詰めている恐れが高い。

 もし相手に高速艦や航空戦力が存在したら、途中で追い付かれてしまう可能性もある。

 ――それでも【彼女】なら何とかなるだろう。

 平均以上の防御力と高い速力を兼ね備えた船体は、生半可なことでは沈まない。

 捕捉されて攻撃を受けたとしても、振り切れる公算が大きい。

 

 だから、【彼女】は早急に撤退行動に入るべきだ。

 ……なのに、【彼女】はそうしない。

 その理由を示しているのは、2つの疑問点。

 

 何故、自分達を自らの船体ではなく、避難艇に乗せたのか。

 どうして、信号弾を撃ち上げたりなどしたのか。

 

 自分達を乗せなかったのは、足手纏いになるから?

 それなら、最初から何の指示も出さずに自分達を置いて逃げれば良い。

 囮にしたいから?

 そうなら、1枚きりの避難場所への詳細な海図を渡す必要など無い。

 ……だったら、別行動を取ろうとした目的は……

 

 そして、愚行としか思えない、先程の信号弾の発射。

 その軌跡は、【彼女】の位置を相手に知らしめてしまっただろう。

 それを元にして、相手は殺到してくる。

 目的地――この鎮守府の防衛戦力である【彼女】を無力化するために。

 その間、相手の耳目は【彼女】に集中し、他の事項への注意力は低下する。

 ……仮に。小型艦艇である避難艇が先に離脱していたとしても、気が付くかどうか。

 例え気が付いたとしても、直ぐに索敵の手を回す余裕は無いだろう。

 

 これらのことから導き出される答えに思い至り、リーダー妖精は愕然とする。

 少し前までの自分なら、そんなことは在り得ないと一笑に付していただろう答え。

 だが、そう考えれば色々と辻褄が合うのだ。

 

 自らの船体では無く、避難艇に乗るように指示したのは、自分達――妖精全員が戦火に巻き込まれないように安全を確保し、無事に逃がすため。

 自らの船体に乗せないのも、そのため。

 もし自分達が搭乗していた場合、敵に追撃された際の銃砲撃で犠牲者がでるのは確実。

 それを、避けたかったから。

 信号弾を撃ち上げたのは、迫りくる相手を自らに引き付けるため。

 

 ――【彼女】は……自らが囮となり、自分達を落ち延びさせようとしているのだ――

 

 ……都合の良すぎる考えだろうか?

 微動だにしない【彼女】の表情からは何も窺えず、喋らぬ口は何も語ってはくれない。

 こうして相対している今でも、感応能力を使っても何も感じ取れない。

 

 …けれど。こちらに一直線に向けられた目線は、偽りの無い真摯さが籠っている。

 それこそが、何よりの証明。

 表情も作れず、言葉にもできず、表にも出せない……けれど懸命な一途さ。

【彼女】は、機械ではなかったのだ。

「異質」ではあるかもしれないが、「異常」ではない。

 自分達が感じ取れないだけで、【彼女】には心があったのだ。

 

 自分達は、お世辞にも【彼女】には優しくなかった。

 露骨に距離を取り、コミュニティから遠ざけて。

 ……そんな自分達のことを、【彼女】は考えてくれていたのか。

 

 ……やっと、繋がった。

 そして。やっと、解った。

 

『【彼女】は、信頼することができる』

 

 ――青年提督と第六駆逐隊が言ってくれていた、その言葉の意味が。

 

 その【彼女】に対してのこれまでの仕打ちを思い返し、リーダー妖精は身体を震わせる。

 自分達は、今まで何という対応をしてきてしまったのか……

 限りない自責の念で、押し潰されてしまいそうで――

 

 そんなリーダー妖精に対して……

【彼女】は何も言わず。ただ、視線と身体を元の位置に戻し、背を向けた。

 それは一見すると、何の気遣いもない冷たい動作に見えるかもしれない。

 ……だが。リーダー妖精は気付いていた。

 それはきっと、無言の配慮。

 こちらが傷付いている時、言葉を掛けたり行動を起こしたりはせず、敢えて何も触れない。

 そういう優しさもあるのだ。

【彼女】が今見せたのは、まさにそれ――形の無い暖かさ。

 鉄面皮の奥に秘めた温もりが、痛いほどに身に染みて――

 こちらへと向けられた物言わぬ背中に、通じぬと解っていながらも思わず声を掛けたくなる。

 謝罪か、或いは感謝か。

 けれど、それをリーダー妖精はぐっと堪えた。

【彼女】は、背を向けたまま一向に振り向く素振りを見せない。

 ……それはきっと、[早く行ってくれ]ということ。

 そこにあるのは、口にせずとも伝わってくる【彼女】からの確かな信頼。

 きっと無事に落ち延びてくれる、と。皆を頼む、と。

 

 留まりたい気持ちはある。

 戦略的に見れば、生き残るべきなのは【彼女】の方なのだ。

 ……けれど。そうやって残っていては、【彼女】の思いを無駄にしてしまう。

 すぐに退避し、目的地である袴富士少将の鎮守府へ行き。

 そこに赴いている青年提督と第六駆逐隊に状況を伝え。

 そして、彼らと共に一刻も早く戻ってくる――それが、自分達にできることだ。

 

 だから、ここで止まっている時間は無い。

 なおも胸中に燻る未練を振り払い、リーダー妖精は身を翻した。

 振り返らずに一直線に避難艇へ向かう。

 ……後ろを見たら、足が止まってしまいそうだから。

 

 転がり込むようにしてリーダー妖精さんは避難艇に戻る。

 ――その船上には、乗員である妖精さん達が顔を揃えていた。

 彼女達の視線は、【彼女】の船体甲板に向けられている。

 恐らくリーダー妖精が【彼女】の元に向かってから、固唾を呑んで今までの遣り取りを見守っていたのだろう彼女達の顔には、今、感情の乱れが浮かび上がっている。

 避難艇から【彼女】の船体甲板まで、ある程度離れているが……これくらいの距離であれば、妖精さんの視力ならそこに立つ人物の一挙手一投足まで見ることができたろう。

 つまり、リーダー妖精とほぼ同様の立場に立つことができたということを意味する。

 だから、彼女には、全員の気持ちが手に取るように解った。

 ――悔恨と、無力感。

 どうして、【彼女】にあんな対応をしてしまったのか。

 なぜ、無機質さの奥深くに隠された温もりに気付かなかったのか。

 そんな後悔と自責で一杯で――

 

 だからこそ、こんなところで止まっている暇は無い。

 自分達はこれまで、【彼女】に対して見るに堪えないような対応をしてきた。

 ……だから、これから先、その愚行を【彼女】に償っていかねばならない。

 ――その為にできるのは、こんなところで自虐に浸ることでは無い。

 自分達が、やるべきことは――

 ……態々言うまでもない。

 妖精さん達は全員が避難艇船体の各場所へと散らばる。己の、成すべきことを成すために。

 

 ――それから、時間を置かずして避難艇が動き始めた。

 船体の向きを変え、舳先を【彼女】とは逆方向に向ける。

 妖精さん達の乱れの無い連携の元で、出航準備は瞬く間に整った。

 そのことを確認すると、リーダー妖精は再び避難艇の船上に出る。

 ……せめて、出発の前に【彼女】の姿を目にしておきたくて。

 そんな彼女に続き、他の妖精さん達も後に続く。

 誰が何を言う訳でもなく。けれど、思うことは共通している。

 ――これから【彼女】が迎えるであろう事態に対して、自分達は何もできない。

 ならば、せめて。出立の前に、姿を納めておくのが最低限の礼儀だと思ったから。

 

 そうして甲板に出た彼女達は、視界に映る情景に目を丸くした。

 本体である巨艦の甲板上で先程まで背を向けていた【彼女】が、今はこちらを向いていて。

 驚いたのは、その動作。

 腕を伸ばし、肘から曲げた先を額の方向に伸ばしていって。

 ――【彼女】は、こちらに敬礼を向けた。

 その敬礼は、ひどく不器用で。

 形だけ真似ただけで細かな所作がまるでなっていない、不格好な動作。

 かっての軍艦を原体とする艦娘ならば誰もが当然のようにできる行為が、【彼女】はできない。

 それは、【彼女】がまっとうな艦娘ではないことを、これ以上ないほどに証明している。

 

 ――それが、どうした。

 そこに、どんな問題があるのか。

 例え動きが拙くとも、籠められた気持ちは痛いほどに伝わってくる。

 ぎこちないながらも、ひたむきに向けてくれた思い遣りが。

 自らが最悪の状況に置かれながらも、こちらに手向けてくれた懇切さ。

 一体、どれだけの強さと優しさがあれば、それだけのことができるのか。

 

 妖精さん達は、全員が敬礼を返す。

 示し合わせたわけでもなく、ただ、気持ちが1つになっていた。

【彼女】の限りない懐の深さを、改めて実感し。

 そうして、思いを新たにする。

 

 ――絶対に、【彼女】を沈めさせたりなどさせない、と。

 

 そのためにも、できることは1つ。一刻も早く此処から離れること。

 残りたいという気持ちを拳を握って堪えると、妖精さん達は機敏な身のこなしで避難艇の各担当場へと就いた。

 彼女達から入力された各操作に従い、機関動力を作動させて身を震わせた避難艇は、一拍の間を置いて勢いよく海上を滑り出す。

 

 船内の妖精さん達は、誰も後ろを振り向かない。

 振り向けかずとも、【彼女】はこちらを見守ってくれているだろうことが解る。

 ……それだけで、十分。

 今は、ただ自分達の成すべきことを――

 

 大切な仲間を救いたい――その思いを乗せて、避難艇はひた走る。

 間に合うことを、必死に祈りながら――

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 




ここまで来ていただいた方、誠にありがとうございます。
そしてご負担をお掛けして大変申し訳ありません。
後書きという名の懺悔につきましては、同時投稿のもう一話の後に述べさせて頂きます。

……ただ、この先は……地獄デスヨ……覚悟はデキテマスカ?
ワタシは……デキテナイデス!

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