IS/SLASH!   作:ダレトコ

89 / 129
第八十九話~四十七秒先の攻防~

 

 

 「鈴が……!」

 

 鈴のISの新しい力が、一時はあの鉄壁の強度を誇る更識先輩の水の守りをとうとう抜くかと思われた、その瞬間。

 鈴と更識先輩の間で突然、濁った水が突然沸騰したような、水蒸気爆発特有の篭った爆音の連打がまるで流れ落ちる滝のように響き渡り脳を揺らした。

 

 本日何度目になるかわからない音響攻撃に顔をしかめながら、濛々といかにも熱を帯びていそうな蒸気が立ち込めるフィールドに何とか目を向けると、IS自体にダメージこそ無さそうなものの熱せられた装甲から蒸気を噴出しながら倒れ戦闘不能になった鈴の甲龍と、そんな鈴に背を向け残った簪に向かって悠々と歩を進める、未だ全くの無傷の更識先輩のミステリアスレイディの姿があった。

 

 ……いくらなんでも強すぎる。圧倒的不利かと思われた四対一の状況を、ほんの三分足らずでひっくり返してしまうとは。甘く見ていた、これが本物の国家代表かと俺が改めて戦慄していると、そんな相手に最早一人で立ち向かわなければならない、更識先輩が着々と向かっていっている、簪の方に自ずと目がいった。

 

 簪は先程までの火のような勢いは何処へやら、完全に戦意を喪失してしまったかのように見えた。一度更識先輩に吹き飛ばされて以降、アリーナの外壁際にへたり込んだまま、焦点の定まらない目で更識先輩を見つめたまま動けない。

 一方の更識先輩の方も、余裕綽々といった様子は変わらないもののどこか表情がいつになく硬い。それにあの人ならその場から態々動かなくてもあの蛇腹剣を起動させれば動かない相手なんて簡単に攻撃できる、自身が宣言した時間にまだ猶予があることに対する余裕かもしれないが、それにしてもあの水の防御が既にない状態で、動こうとしない相手に自分から近寄るのは変だ。そういえば生徒会室の出来事の時から、ちょっとした違和感はあったが……あの二人、何か俺に及びがつかないような確執があるんだろうか?

 

 「くっ……! あの代表候補生、なにをやっているのだ! まだ、果し合いは終わっていないというのに……!」

 

 そんなことを考えていると、箒の焦りと苛立ちを孕んだ声が耳に入ってくる。まぁこと戦いの最中に戦意を喪失するなんてのはこいつにとっては言語道断だろう。この状況が気に食わないのも無理は無い。俺としても戦意を失った相手を一方的に弄るような展開は好かない。学園祭のことは惜しいが、ここまでやられた以上もう代表候補勢側の負けは動かない、倒れた鈴のことも気になるし、出来ればこの辺りで切り上げるよう更識先輩に気をきかせて欲しいところだが……

 

 「そうだ。白煉、更識先輩のプライベートチャンネルに繋げられな……白煉?」

 

 箒には怒られるかもしれないが、仕方ない。

 思い至って携帯に小声で声を掛けるが、返事は無い。不思議に思って、改めて携帯の表示を見る。

 ……そして、そこで俺は漸く。いつの間にか、白煉が待機している状態を示す待ち受け画面端の青い目のシンボルが消えていることに、気がついた。

 

 

~~~~~~side「簪」

 

 

 『無様ですね。まぁ、貴女が諦めるのは勝手ですが。偶然にも戻ってきた彼女との唯一の繋がりだったISで、彼女に自分のことを伝えたいと言っていた貴女の言葉は偽りだったのですか?』

 

 「……?!」

 

 殆ど挫けかけていた私の心を引き戻したのは、急にプライベートチャンネルから響いた、聞き覚えのある『声』だった。

 ……それは、最近倉持技研に所長が連れてきたおかしな、けどちょっとからかうと面白い人の紹介で知り合った、彼の遠い親戚の子らしいIS好きの小学生の女の子の声。とても博識なようで偏った範囲にしか知識がなくて、それでいて何処か必死に背伸びしようとしているところがちょっと可愛くて、なにより言葉なんて出なくても私の伝えたいことをわかってくれる、不思議な少女。名前は、確か……

 

 ――――れ、恋ちゃん?! ど、どうして……?!

 

 『っ! だからその呼び方は……! ……いえ、こちらの事情など瑣末な問題です。それに質問しているのは私です。貴女は、私に嘘を言ったのですか?』

 

 ……そんな訳、ない。

 夜、眠れずに思わず布仏の家から抜け出した日に偶然出合った変な女の人と知り合い、その結果触れることが叶ったISは、私が当初願っていたものとは全く違っていたけれど。

 

 ――――おし、今日からアンタはこの子と一緒だ。いいか、覚えときな。アンタがこの子じゃなきゃ出来ないことが沢山あるのと同じで、この子もアンタじゃなきゃ出来ないことがいっぱいある。ISってのはそういうモンだ、これからこの子の未来を広げてやれるのは、何千何億と人間がいるこの世界の何処を探したって、アンタだけしかいないのさ。

 

 そんな得意そうな彼女の言葉を受けて。

 何もかも無くして、守ってくれる人は確かにいたのに一人ぼっちになった気になって。自身のレーゾンデートルすら見失いかけていた私は、例えそれが人為らざるモノだとしても、『私』だけを必要としてくる存在が一つでもあるなら、ちょっとだけでもその子の為に頑張ってみようと思った。

 

 こうして始まった、私のIS乗りとしてのスタートは、所長があんな人なのもあって大変だったり苦労することも多かったけれど、振り返ってみれば楽しかった。それにISのお陰で、私のために一緒にこの世界に来てくれた虚さんや本音とも話せるようになって、あの人はいなくなってしまっても私と一緒に歩いてくれる人がいることに、やっと気づくことが出来た……私はISが大好きになったんだ。

 

 ――――初めまして……ってのも、変な話かな。私が更識十七代目党首、更識楯無です。一応、今ロシアのIS国家代表もやってて兼任になっちゃいますけど、それでも更識の名に恥じないよう、精一杯やらせて貰う所存です。布仏の家には先代が鬼籍に入り、当代である私が不在になった後にも家を守り続けてくれた、更識にとってはいくら感謝してもしきれない程の恩があります。それにこれから、更識復興という成果を以って最大限報いていきますので、これからも変わらぬお付き合いを宜しくお願いします。

 

 そんな中、髪も目の色も、変わり果てた姿になりつつも、私が知っている面影を確かに持っている、『あの人』がある日突然、私の前に現れた。その人は当然のように自ら更識を名乗って……やはり当然のように、私を『布仏』と呼んだ。そして私を、あくまで恩ある分家の娘の一人として扱った。

 勿論帰ってきてくれたことは嬉しかった。けれど同時にすぐに前みたいに戻れる、と期待していた私は、あの人のこの対応に内心仕方がないと思いつつも、やっぱり落ち込んだ。

 

 でも、奇しくもISが、もう家族ではなくなった私達をまだ繋いでくれていた。お陰で同じ学校にこれた。学校そのものはあまり楽しくなかったけれど、あの人と同じ場所にいれるというだけで、私にとっては充分価値があった。後は出来るなら。

 

 もう、戻れないにしても。せめてこの人が安心出来るように、一人のIS搭乗者になった私を、見て貰いたい。

 

 ……今の今まで、その一念でずっと打鉄弐式の調整を急いできた。その成果でメキメキ力をつけていくこの子に相応しい私になれるように、鍛錬も怠らずにやってきた。それなのに――――

 

 『……肝心の彼女が、貴女のことを欠片も理解していなかった、と?』

 

 ――――う……

 

 恋ちゃんの声に痛いところを突かれ、反論も言い訳も出来ずに思わず俯く。

 けれどこの大人びた女の子は、そんな私のささやかな逃げすら許してくれない。

 

 『それは、当然でしょう。ハンデを負っているとかいないとか、それ以前の問題です。それを聞いたら、きっとマ……一夏兄さんも、同じことを言う筈です。貴女は今この瞬間まで、彼女に貴女自身のことを伝える努力を少しでもしてきましたか? 彼女が言うように、会話が出来ないことを言い訳にしてこなかったと言えますか? ……人は良くも悪くも変わります。そんな人を完全に理解するなんて、いかな優れた存在にも易々とは出来ません。簡単に理解出来ている、なんて言葉を吐けるのは、それこそ思い上がっている何よりの証拠です。困難なのを承知の上で、努力を続けていくしかないのです』

 

 すかさず、そんな厳しい調子で怒られる。うう、小学三年生に人間関係のことで叱られる高校一年生ってどうなんだろう……ん、でもこれって、最後の方って私のことじゃないよね? 違う誰かに対する私怨が入っているような……

 

 『……無論、貴女自身努力してきたことを否定するつもりはありません。だからこそ言っています。今、貴女がしようとしているのは、そうして自身を危険に晒してまで行ってきた努力を結局自身の裡に閉じ込めたまま何処にも行かせない行為です……貴女は、それでいいかもしれません。ですが貴女のために、他の何よりも貴女の身を案じた上でその無理な努力に応えてきた存在が、今傍にいる筈です。そんな『彼女』を蔑ろにすることを、貴女は望むのですか。仮にそうであるなら、私はこの先、貴女とのお付き合いを考え直させて頂くことになりますが』

 

 ………………あ。

 けれどそんな言葉の矢先、やっぱり厳しいけれど、怒っているような、それでいて何処か信じるようなその次の言葉で、私は今になって、馬鹿みたいに気がついた。私は、結局。あの人が私のことをわかっていないことそのものが、ショックだった訳じゃないのだと。

 いや……勿論、それも大きな要因だけれども。いざあの人のISの強大な力を目にし、更にそのことを知った上でもっと怖くなったことがあって、それが最後に私の心を折ったのだ。

 

 つまり……私が何よりも信じてる、ISを扱う私の力と、私という人間を扱うこの子の力。その今の私にとっての最高を以ってして、この人の心に何も届かせることが出来なかったとしたら。

 その時点で私が今まで必死に積み重ねてきた、今の私にとっての全てといっても過言ではないものを失ってしまいそうで、それがどうしようもなく、怖かったんだって、やっと気がついた。

 

 ――――届くかな?

 

 けど、恐怖の正体に気がつけたところで心そのものが強くなれるわけじゃない。寧ろ、それの形がわかったところでわかりやすい弱気が顔を出してくる。だから、少しでもそれを和らげようと、今近くにいて応えてくれる存在と、他でもない『この子』に、思わず問いかけた。

 

 『保障は出来かねます』

 

 ……この子、頭は歳不相応にすっごくいいんだけど、空気は読めないって言われてそう。自分で嗾けたんだからこんな時くらい、察して嘘でも大丈夫の一言でも言ってくれればいいのに。

 

 『ですがこういう時、兄さんはこう言うでしょう。『こういうことは、当たって砕けるのみだ』、と。正直なところ彼のこの言葉のは、私には未だに良く意図が理解出来ないのですが……貴女が彼と喋れないなりに意思疎通を図ろうとした『努力』は、少なくとも彼には届いていました。一見些細で無価値に見える行いも、人の営みという枠の中では決して無意味にはなりません……私の本来の立場上、あまり賢明なこととは思えませんが、最近、そう思うようになりました』

 

 けど。無意味にはならない、か。

 うん……本当は、そんなことで良かったのかもしれない。きっと私はこんなに頑張っているんだから、相応に報われなければならないなんて勘違いをして。自分の中で、勝手にハードルを絶対に跳べない位置まで引き上げていた。その努力は、目的こそあの人のことだけども、それ自体は結局あの人の方向を向いていなかったにも拘らず、だ。

 知らず知らずの内にその最初の部分から、私は間違えつつあったんだ。

 

 まだ、怖い。でも、そこまで気づけたらもう、ここから何もせずに挫けるのはイヤだ、間違えたままはイヤだ、なんてほんのちっぽけな勇気が湧き上がってくる。やっぱり、ダメなのかもしれない。でもそうすることは意味が無いことじゃないと、背中を押してくれる存在がいる……今の私には、それで充分だ。

 

 『結構です……全く、こんなことは本来であれば私の領分から大きく逸脱した行いです。これっきりにして貰いたいものですが……貴女の仰ることもご尤も。彼の了承すら取らずに自身でこのような選択をした責任は最後まで取るべきだと認識します。よって――――』

 

 ――――え?

 

 やっと、そこまで私が至れた矢先。

 世界が変わる。ハイパーセンサーによって鋭敏化した五感が今まで以上に研ぎ澄まされ、体が一気に軽くなる。戦闘情報を表示する画面の端にいつの間にか瞳を閉じた青い片目のシンボルが表示され、間違いなく一人の時よりも処理が軽くなって使いやすくなっているのに、それでいて体の半分を誰かに乗っ取られているような、快感と不快感が同居した不思議な感覚に全身が襲われる。

 

 『『貴女』ではなく。あくまで貴女のことを想う『彼女』のために、束の間ですが手をお貸ししましょう。未完成ながら、彼女を通じてここまで至れた『識』の担い手……その意味すら未だに知らない貴女の愚かさを、貴女が想う相手に『理解』して頂くために』

 

 その感覚に戸惑う私に、そんな声がかけられる。

 ……これはこの子……恋ちゃんによるものなんだろうか? だとすれば、一体この子は何者なんだろう? 疑問は尽きない。けれど――――

 

 『……これも、貴女が無価値と断じた行動から生じた結果です。貴女はただ逃げ込む場所が欲しかっただけと否定しましたが……それでも少なくとも彼女と、ISが好きだという貴女の裡にある声は、私にも届いていましたよ。かんざし、さん』

 

 ……きっと少なくとも私よりも真っ直ぐな、いい子なんだってことだけは、その最後の、何処となく恥ずかしそうに名前を呼ばれた瞬間に伝わってきて。何の根拠もないし、結局それ以外のことはわからないけど、この不思議な感じはきっと悪いことにはならないと、信じることが出来たんだ。

 

 

 

 

 顔を上げる。

 ――――随分と、長い時間立てないでいたような気がするけれど。どうやら『彼女』と話していたのは、ほんの二秒にも満たない時間の間に行われていたこと、らしい。『あの人』は、こちらの変化に気がつかないまま、未だ歩いてこちらに向かってきている。

 良かった。それなら……間に合うかもしれない。

 

 「おや……? どうしたの、簪ちゃぁん? 諦めちゃったんじゃないの? 別にいいのよ、ここで参ったしちゃってもさ。まぁ怪我はしないとはいえ、痛いのはヤでしょ? ほら――――」

 

 ……あの人がこちらの変化に気がついた。なら、どの道猶予は無い。あの人の挑発の言葉も耳に入らないくらい、目を閉じて傍にいる私のパートナーといつものように『交わる』。

 

 ――――打鉄弐式が、改めて今私達の中にある『もの』を教えてくれる。その中から、あの人に対抗するための武器を検索する。

 イメージインターフェイスに頼った兵装の運用精度は相手の方が遥かに上。だからISの基本性能の応用……PICの拡張機能『和泉』、ハイパーセンサー強化、特殊展開の『藤』だけでは届かない。

 

 よって――――切り札は自ずと、当初過去を求めていた『私だけに』与えられた、皮肉みたいな力。所長に単一仕様能力『もどき』と云われた、三つの中で私が現状一番梃子摺っている『あの力』に絞られる。

 ……躊躇が無い訳じゃない。織斑君と戦った時みたいに、己の限界を見誤ればその時点で自身を保てなくなる能力だ。今まで何度も迂闊にこれに手を出してその度にこの子に守られ、昏倒しては所長に怒られてきた。けれど。

 今ある『全部』をあの人にぶつける為に。それでも私は、頭の中にある『紫』の起動プログラムのスイッチを入れた。

 

 ――――ISは現行存在する467機のコア全てが行った『あらゆる』戦闘情報を共有、記憶している……そう、本当に、あらゆるもの。その中には、本来であれば絶対にありえないようなものすら含まれる。この最後の力は、謂わばその『ありえない』ものを、こと『打鉄弐式』の関してのみ掬い取ることに特化したもの。広大な情報の海を泳ぎ――――今より『先』。あらゆる『可能性』を内包する『未来』の戦闘情報を取得する。

 

 ――――っ!!

 

 『不可能』を実行する能力使用のツケは直ぐにやってくる。情報量のオーバーフローによる、想像を絶する頭痛。この『(じょうほう)』を吐き出すか、飲み込むことが出来なければ、それはそのまま『気管(だいのう)』はおろか『(げんしのう)』を侵して情報の海で溺れる羽目になる。即ち、引き際を間違えることはそのまま廃人になることを意味する。

 そうなることの恐怖も頭痛も、いつまで経っても消えない。けれどこの時ばかりは……そんなことが些細なことに思えるくらい、高揚感がこみ上げてくる。

 

 処理出来る(のみこめる)。いつもだったら出来て精々十秒先までだったのが、三倍以上に拡張されてる。それなのにこんなに苦しくないのは初めてだ……私だけの力じゃない、恋ちゃんのお陰なのはわかっていても、未だ覗いたことすらない領域に手が届くことに、目の前のあの人のことすら忘れそうになるくらい胸が高鳴り、満足してしまいそうになる。

 でも、ダメだ。それでも足りない。三十六秒でも足りない。私が求めている『可能性』は、この中にはない……まだ、先へ。もっと、前に……!

 

 『……っ!! いけません! それ、以上は……!』

 

 恋ちゃんは止めようとしてくる。してくれる。無茶をしているのはわかってる、けど、あの人がそれ以上に無茶苦茶なんだ。

 ……本当に、こんなのってない。『今』を基点とし、あらゆる可能性を踏まえたこれから三十六……いや、四十秒以内の未来のどの分岐にも、私が勝利できる『道』が一つもない、なんて……!

 

 『……かんざし、さん』

 

 ――――あ……

 

 また、恋ちゃんにたどたどしく名前を呼ばれる。さっきみたいに怒っているようで、信じているような声。それで、馬鹿みたいに焦っていた自分に気がつく。

 

 ――――ごめん。私、また間違えるところだった。大事なのは、これで終わりにしようなんて楽をしようとすることでも、あの人をどうこうしたいとか、そういうのじゃなくて。

 

 これで、何もかも終わりなんかじゃない。寧ろこれからなんだ。だから……自分自身が後悔しないこと。未練とか課題だらけでも、今この場で納得できる結果を、出すこと。そのためには――――

 

 今度こそ、答えは出せた。これ以上は必要ない。それでも、まだ先に行けるかもしれなかった場所に対する名残惜しさを感じながら、私は瞼の裏にある私だけの世界に別れを告げた。

 

 

 

 

 目を開ける。

 目の前にいるあの人は、未だ薄く笑いながら私に向かって話しかけてきている。

 

 ……聞こえない。いや、聞こえているけど、それは音として処理されるだけで頭まで声として届いてこない。

 取得できた戦闘情報は今より四十七秒分。情報は獲得して終わりでは意味がない、頭痛はまだ続いている。ここから先はあの人との戦い以上に、何処まで溢れ出る情報内圧に耐え切れるかという自分自身との戦いでもある。余計なものを頭に入れている余裕は無い。

 

 ――――いこう、打鉄弐式。

 

 今までずっと一緒に頑張ってきた大事な存在に呼びかけて、

 

 『……私は『紫』の情報内圧によるダメージ緩和、及び『泡沫情報』管理、運営サポートに徹します。それ以外手は出しませんし、これ以上もう口も出しません。貴女の為すべきことを、為してください』

 

 最近出来た、でもやっぱり大事な友達のそんな声を聞きながら。私は声にならない感謝の言葉を一言を口にして、あの人に向かって飛び出した。

 

 

 

 

 私が動くのと同時に襲ってくるのは、鞭のようなしなやかさを持ち、それでいてこちらの装甲をシールドごと削り取る鋭さも併せ持つ黒い暴風のような刃の乱舞……流石はあの人。一見隙だらけのようでいて、迎撃のタイミングには一分の遅れもない。あの武器の本当に怖いところは、実際に見えている場所と全く『違う』ところに被弾する、ただの蛇腹剣ではない得体の知れないところにある。けれど。

 

 ――――その手品のタネは、もう『知っている』。正体は、やはり『水』。所謂気体としての『水分』は、基本透明で、かつ完全な球体として大気中に浮遊する。いわば一番身近にある、天然の『レンズ』なのだ。

 あの武装は、大気中の水分密度どころか配置まで分子量単位で精密に操れるIS本体の能力を利用し、刃付近に常に放出されている霧状の水をレンズにして周囲の可視光を無茶苦茶に捻じ曲げ、こちらから見える『像』を大きく狂わせることで、刃本体がある位置と目視で認識できる位置との間に大幅なズレを生じさせ対応出来なくするもの。その性質上視界が広く、かつ細かい動きに反応できる程体感する感覚のズレは大きくなるため、360度周囲を見渡せ、動体視力も大幅に向上させるハイパーセンサーを、ある意味逆手にとったあの人らしい発想の武器だ……最初私達に存在を感知させずに二組の人に不意打ちしたり、一組の金髪の人のレーザーを曲げてたのも、多分この力の応用なんだろう。

 

 尤も、そんな力の正体がわかったところで、普通ならこれを完全に見切れるようになるわけじゃない。人の感覚は視覚からきている部分が大きい、そこからまず騙されてしまうと、わかっていても完全に適応するのはとても難しい。これを小細工なしで掴み取って見せたあの銀髪の子は、素直に凄いと思う。私には出来ない。

 だから、私は私のやり方で。この自分だけに与えられた特権を使う。一秒先の情報を閲覧……本来の運命どおり『初撃を被弾する自分』を参照。当たる前の刃の位置、なんかではなく。私が避け損ね、刃が『当たる場所』を見極める。

 

 ――――そこ。

 

 「……!」

 

 本来なら肩の装甲を大きく抉った一撃を、私の『夢現』で絡め取られ、あの人の表情からあの不適な笑みが消える。

 けど、呆気に取られているのは表情だけだ。最初の『当て』が外れたところで、あの人には常に『次の手』がある。こうしてる間にも動きを止めたラスティーネイルからは白い霧が濛々と放出され私を包もうとしている、このままでは二秒後には先ほどの銀髪の子の二の舞になる。

 

 ――――!

 

 だから手を止めない。夢現を絡め取ったラスティーネイルごと地面に叩き付け、それでもギチギチと嫌な音を立てながら近寄ってこようとする蛇腹剣を、自身もダメージを受けるのも構わず周囲の霧ごとミサイルを至近距離で炸裂させて吹き飛ばす。衝撃の弾みで絡め取ったラスティーネイルには逃げられたけど、どの道あのままではこちらも危なかった。それにその刃の境目の一部からは頚動脈を切られたかのように、噴水のように青く煌く水が噴出している。

 ……これでSEの残量はもう半分を切った。だけど、この一撃でラスティーネイル内部に存在する配水管と放水ノズルを、ほんの一部だけど破壊した……『十七秒』時点での情報が確かならこれであの武装の速度と撹乱能力は今より相対的に十パーセント程低下する。それ単体で見ればあまり当てに出来る戦力減少ではないが、それでも『あの瞬間』まで持たせられる可能性を持つ泡沫情報は大幅に増える。こちらに有利な要素は何一つ無駄にならない。

 

 ――――っ……!

 

 現状自身の行動に間違いはないことを確認したところで、間発入れずに水の槍が唸りを上げて飛んでくる。

 だけど、来ることはわかっていた。余裕をもってそれを避けながら、反撃のミサイルを撃ち込む。

 

 ――――!

 

 それらは全て、逆巻く水の防御とラスティーネイルに受け止められ空中で四散する……大丈夫、こんな普通の攻撃が通らないなんて『紫』に頼るまでもなくわかりきっていたこと。大事なのはこの状態を一秒でも長く続けること……相手に『攻めさせない』ことだ。それを意識した上で、絶えず移動しながら『当たらない』ミサイルを常に放ち続ける。

 

 「……成程、ね」

 

 そして『三十一秒のところで気づかれる』……こんな悪いことまで情報通りっていうのはちょっと納得いかない。けれど、

 

 ――――させない。

 

 「っ!!」

 

 『三十二秒目にラスティーネイル。左足上部に被弾する』……本来『起こる筈』のピンチはそのままチャンスになる。抉るような一撃を『和泉』で滑らせ、

 ……観測事象、変化。『和泉』によってラスティーネイルの軌道に乱れが発生、現状から0.54秒後に『ミステリアスレイディ』までのミサイル侵攻ルートを確立……捕捉(ロック)、既に終了……!

 

 ――――行って!

 

 「ああ、もう……!」

 

 情報通り。ラスティーネイルでは防げない攻撃は、あの人は防御に水を使うしかない……だから、わかっていても『まだ』、この私の采配は破れない……!

 

 「ふふ、でも楽しくなってきたっ! なら……!」

 

 私のミサイルの着弾と同時に、あの人の『水』が蒸発したように一気に霧散し……同時に、私は周囲を無数の水泡(爆弾)に囲まれる。

 ……『清き情動』。あの人の間合いで発動された以上、逃げる方法はない。これは、そういうもの。まさに必殺技という表現に相応しい威力を持った力だ。

 でも、そうくることも既にわかっていた。そして……この力はその威力の代償に、一時的にあのミステリアスレイディの水による鉄壁の防御能力を放棄するものであることも。だから、なんの滞りもなく。

 

 「……! 地面の中にミサイルを……?! そっか、さっきまで当たらないミサイルを撃ち続けていたのは、これの接近を誤魔化すための……!」

 

 布石を打たせて貰う――――避けることも守ることも出来ない力なら、発動する前に力の源泉を狙い撃ちする。

 あの人の水は、あの人自身の意思に関係なく、本体に少しでも危険が及べば防御を最優先するようになっている。いくらあの人でも、これだけの大規模な攻撃を防御と同時には行えない。よって――――

 

 ――――!

 

 ……成功は必然。私の周囲の大量の水泡は爆弾としての機能を果たさないまま、守りを失ったあの人の足元だけが大爆発を起こした。

 

 

 

 

 ――――まだ。

 

 『紫』の力がなかったら、ここで思わず一息ついてしまっていたかもしれない。

 でも、私の中の『情報』は、ここまでしても今だあの人にダメージはないことを教えてくれる。

 

 「――――驚いたわ。まだあなたには何も見せていない筈なのに、私の手管はおろかその弱点まで、全部看過されているかのよう……これが、あなたのISのチカラ、なんだね」

 

 そして爆煙の中から、私の情報に寸分違わぬ姿のあの人とミステリアスレイディが姿を現す……その手には、一見あの人の丈の二倍以上はあるかという、到底あの人の華奢なISでは扱えそうにないくらい巨大で、淡い水色の光を放つ四つの長い菱形の水晶がクローバーの葉のように一部の基点を中心に連なる、十字架を模したような機械槍が携えられていた。

 

 あの武器がここで出てくることまではわかっていたが……『紫』の四十七秒ではここまでだった。過去のあの人の試合の映像でも、あんな武装は見たことがない。大事なのはここまで凌ぐことだったとはいえ、あれがどういったものか全くわからないのは、今まで情報アドバンテージだけで辛うじて多少優位に戦えていたところがある分非常に苦しい。

 

 「でもこっち……『蒼流旋』のことも、さっきまでみたいにわかってるかな? 簪ちゃん」

 

 あの人は、まるでこちらのそんな心情に気がついているみたいに、巨槍を軽々と構えながらニッコリ笑う……いや、多分自分でもわからない内に表情に出ていたんだと思う。大抵、私がそうなんだろうと思ったときには、十中八九あの人は感づいている。

 

 ――――けど。まだ、終わってない。

 

 効果時間が終了し頭痛こそ次第に収まってきてはいるが、脳を酷使した代償はそれでは終わらず、今度は凄まじい眠気と倦怠感が全身を覆っている。今すぐにでもその場に倒れ込みたい衝動を辛うじて抑えられているのは、偏にここまで来るのに支えてくれた子達が私にしてくれたことを無駄にしたくないからだ。

 

 「あれあれぇ……? さっきまでの勢いはどうしたの? もしかして、疲れちゃった? まぁ、ここまで頑張ったご褒美に休ませてあげたいトコではあるけど……もうあんま時間もないし、こっちから行かせてもらうよ?」

 

 ――――くる。

 

 何がきても対応できるよう、夢現を構えたまま防御の体勢を固める。

 でも、『先』のことがわからなくなり、体調も万全ではなくなった今。そんなものでは最早その場凌ぎにすらならないことを、私は直後あの人の姿が忽然と消え失せた時点で気がついた。

 

 ――――!

 

 直後、青い閃光に飲み込まれたかと思った瞬間凄まじい衝撃を正面から受ける。こっちは完全に相手を見失っていたのに、あの人は敢えて間正面から一撃を打ち込んできたのだ。

 守っていたのに、受け切れない。その一撃だけで夢現は真っ二つに砕け、私と打鉄弐式はゴムボールのように地面を二、三回バウンドしながら弾き飛ばされていた。

 

 『ま、まさか……あの機体で『瞬時加速』を……?! あの白兵武装をスラスターにして……サードフォーム再現のため第三世代兵装以外の殆どを切り捨てた機体の基本機能を『後付武装(イコライザ)』で補完するのが、あの機体本来の在り方だった訳ですか……! か、かんざしさん! まだ規定時間になっていません……辛いでしょうがもう少し、耐えてください!』

 

 ……ああ、良かった。恋ちゃんがいなかったら、きっとこのまま落ちてるところだった。

 先ほどまでの頭痛とは明らかに性質の違う、あの人の一撃を受けた痛みに歯を食いしばりながら、何とか倒れた体を起こす。目の前には、巨槍を振り抜いた直後のように斜めに構えたあの人が立っている。青い水晶の槍は、気づけばあの人の右腕にラスティーネイルによって鎖を巻きつけるようにして固定されていた。そして地面に対して横に伸びる部分の内の片割れが割れたように大きく中央部分から上下に開き、その中には神秘的な槍そのものとは対照的な、物々しいジェットノズル状のスラスターが四基、槍に対して垂直に展開され、噴射口内部にはSEが循環していることを示す青い光が湛えられている。

 

 受けた攻撃自体は単純明快。『瞬時加速(イグニッション・ブースト)』の圧倒的推力を乗せた、あの機械槍による直線的な突進攻撃。

 ただそれだけの攻撃で、受けたダメージは甚大だった。絶対防御まで発動したのかSEは残り僅か、全身に走った衝撃は特に脚部フレームに致命傷を与え、パワーアシストも満足に働いていない。タネが割れたところで、これでは次が来ても回避は難しくなった。

 

 ――――あと、少し……

 

 勝てないのは当然だ。『紫』も結局、過去最高の四十七秒先の未来視を以ってして、私があの人に勝つ泡沫情報を一つも見つけることが出来なかった。でも、『まだ』、倒れられない。本当なら一撃で力尽きていても不思議じゃない攻撃を、この子はこうして何とか耐えてくれた。私だけが弱音を吐くわけにはいかない。

 

 「……これで、終わらせる気だったんだけどなぁ。あなたが怪我しないように、ちょっと手心加えちゃったのが仇になっちゃったか。でも――――」

 

 槍の穂先が、私の方を向く。既に展開していたスラスターはカシン、という音と共に配置が切り替わり槍の穂先とは逆方向を向き、もう片側の部分も同じように展開――――これで、計八基。槍に生えた一対の翼のように広がったスラスターが、青い光を周囲に放ち始める。槍を構えるあの人の姿は、まるで私に向けて巨大な機械弓を引き絞っているかのようだ。尤もその威力はボウガンどころか滑腔砲が玩具に見えてくる程のものだが。

 

 ……大丈夫。次が直撃でも、ほんの数秒間だけ持てば、取り合えず私の目的は達成できる。

 朦朧とする頭でそう考えながら、『和泉』の力場を今持てる力の全部を使って前面に最大展開する。元々防御に使うものではない、強い力を真正面から受けたら多分耐えられないだろう。けど、その性質上この力の表面ではあらゆる慣性質量は『滑り』、安定した状態で存在出来なくなる。あの槍による攻撃であるなら多少なら、受けるダメージを軽減出きる筈だ。

 

 「――――今度こそ、お仕舞いだね。『かんちゃん』」

 

 ――――え?

 

 けど。そんな私の最後の一手は、最後の最後で間に合わなかった。

 だってプライベートチャンネルから、呟くように微かに響いてきたあの人の声は、八年前。今の冷たいあの人じゃなく、確かにいつも私を守ってくれた――――

 

 ――――!

 

 衝撃――――完成途中の『和泉』の盾は、あの人の水と比べたら、本当にただの紙切れみたいに呆気なく破れ。比喩でも何でもなく、ジェット機に撥ね飛ばされるように、私はまた為す術なく吹き飛ばされる。

 恋ちゃんの、必死に呼びかける声を、何処か遠くに聞きながら。危なかったけれど、何とか目的を果たせたことに微かな安堵を抱いたところで、アリーナの外壁に叩きつけられ――――私はとうとう、『負けた』。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。