IS/SLASH!   作:ダレトコ

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第七十二話~『家族』との距離~

 

~~~~~~side「セシリア」

 

 

 「全く……流石に貴女、失礼ですわよ。今日会ったばかりの女性の服を問答無用で脱がすなんて……」

 

 「あ、あははは。ごめんなさい、つい……でも熱があるときはあれが一番いいんですよ、気持ち良かったでしょ?」

 

 「それは、まぁ……って、そういう問題ではなく……!」

 

 「大丈夫ですって、変な声出ちゃったのは誰にも言いませんから……流石にあれは私も焦りました。すっごい綺麗なだけじゃなくて、敏感なんですね、お肌。ちょっと乱暴にやっちゃいましたけど、痛くなかったです?」

 

 「いえ、特には……だ、だから!」

 

 ああもう、何だかこの娘と話してると調子が狂う。何処かチェルシーに似てるところがあるかもしれない、この一度調子に乗り始めると一気に畳み掛けてくるところなんて特に。

 

 「でも、大分顔色良くなったみたいで安心しました。これなら、明日には動けるようになりますよ、きっと」

 

 「……それは、どうも」

 

 更に話題を変えたいと思った矢先にこんなことを言われてしまったら、もう出掛かった文句の一つも言えやしない。そもそも本気でわたくしのことを心配してくれているのは態度や表情から伝わってきたので、今まで抵抗できなかったのだ……本当に、やりにくい。

 

 「あの……本当、さっきはごめんなさい。私、助けて貰っちゃったのに、あなた達のこと悪い人と勘違いしちゃって……こんなことになったのも、元はといえば私が不用心だったせいですもんね。こんなことでお詫びになるなんて思ってないですけど、何かあったら言ってください。私、なんでもしますから」

 

 が。そう思っていたところで、向こうからチャンスがやってきた。なんでもして頂けるというのなら、まずはすぐにでもベッドから解放させて貰ってチェルシーに……

 

 「……………」

 

 そこまで考え始めて、彼女の方を見る。真剣な瞳だった。

 後から思えば余計な煩悶だったのかもしれない。どの道多少良くなったとはいえ、今のわたくしの状態でまともな話し合いなんて出来る筈がなかったのだから。しかしわたくしは結局それを見て先程の一瞬で頭に浮かんでいた計画を、長い苦悩の後最終的に放棄せざるを得なくなり、大人しくベッドに横たわった。

 

 「えっと……セシリア、さん?」

 

 「ランさん、だったかしら? 少し休みます……寝付けるまで、ご迷惑でなければ先程の続き、お願いできますかしら」

 

 「?」

 

 「貴女の嫌いなお兄様の話のこと……結局さっきは、わたくしがこうなってしまったせいで最後まで聞けなかったでしょう?」

 

 「え、ええー……そんな、それこそ迷惑じゃありません? かんっぜんに愚痴ですよ?」

 

 「いいんですのよ……わたくし、もう血の繋がった家族がいませんの。だから、他の方の家族の話を聞くのは好きなんです……わたくしの両親は、生前もあまり仲のいい夫婦ではありませんでしたから」

 

 「……なんか、ごめんなさい」

 

 「謝らないでくださいな。謝罪や同情が欲しくて、こんな話をしたわけじゃありません」

 

 「はい……」

 

 自分の両親のことを話したのが悪かったのか、先程の勢いはどこへやらすっかり気落ちしてしまった蘭さんに、迂闊な事を言ったと少し後悔しながらわたくしは唇を噛んだ……本当に上手くいかない、やっぱり調子が悪い。最初に話したときみたいに、気を遣って欲しくなくて切り出したのに、却って気を遣わせてしまうなんて。

 正直なところその彼女の様子から、わたくしから頼んだもののあまり期待はしていなかったのだが、それでも蘭さんは律儀にも少しずつ語り始めてくれた。

 

 「……私、こう見えて小さい頃はあんまり丈夫じゃなかったんですよね。だから昔はよく体を壊して、さっき私がセシリアさんにしたみたいなこと、よくお母さんにやって貰ってたんです」

 

 しかし、内容は先程聞いた愚痴とは違うもので、それも思いがけない内容だった。

 ……この彼女が昔は病弱だったなんて話、先程までの体力を間近で見せられた立場としては、にわかには信じ難い。

 そう思ったのが顔に出たのか、蘭さんはわたくしを見ながら苦笑する。

 

 「けどまぁ、そんな私でいたのは、私が覚えてる限りじゃほんの短い間です。お兄は先程言ったとおり、昔っから腕白小僧でして。私は寝てなくちゃいけないってのに、よく勝手に家から連れ出されてはお兄の悪事の片棒を担がされたもんです。それこそ街中を走り回りながら……そんなことを続けてたら、嫌でも病弱なんかじゃいられなくなりました。そういう意味では、ちょっとだけお兄には感謝してるんですけどね、ほんのちょっとだけ」

 

 「あら。その口ぶりじゃあ、貴女も案外楽しんでいたのではなくて? 腕白なのはどちらかしら?」

 

 「心外です。私は寧ろ、いつもお兄の横暴を止めようとしてた側なんですから……けど、そうですね」

 

 「……?」

 

 と、やっぱりお兄様の悪口を続ける蘭さんがあまりにも楽しそうで、わたくしはちょっと意地悪なことを言ってみた。

 すると彼女は案の定拗ねた様に口を尖らせて抗議してきたが、直後に少し寂しそうな顔になり、

 

 「確かに、楽しかったです、あの時は。いつもさっさと寝入ったフリしながらお布団被って、お兄が部屋に入ってくるの待ってましたから。あの頃の私は、他の子みたいに出来ることが『出来ない』ってずっと言い聞かされてて、我慢してましたけど。お兄だけは、私がその『出来ない』ことをするのを、許してくれる人でした。私はそれが嬉しかったんだと思います。けど……」

 

 まるでもう戻らない昔を思い出すような。そんな口調で、話を続ける。

 

 「私の体が丈夫になって、『出来ない』ことが一つ一つ消えていって……とうとう最後の一つも無くなって。『出来る』ようになったことが嬉しくて、お兄にも認めて貰いたくて私、色々頑張りました。けど、そうして結果を出すと褒めてくれるのはいつも別の人で……お兄はそんな私を見て、喜ぶどころかショックを受けたような顔してて。最後の方は私と顔を合わせるのも嫌みたいで、私を避けて……友達を巻き込んで喧嘩ばっかりして、怪我したりして。私は……そんなお兄が許せなくて喧嘩になって、お兄は家から出て行っちゃいました」

 

 「そう……ですの」

 

 彼女の話を聞きながら、考える。わたくしの見解からすれば、こんな出来た妹さんを持ちながらちゃんと彼女を見ようとしない、お兄様に明らかに責があると思う。

 けれど今となっては少しは、彼女のお兄様の気持ちもわかる。最初は小さくて弱い雛鳥だったけれど、時間と共に成長し立派な羽を獲得し、自分の力を必要としなくなった妹。そんな存在を身近で見ていてそれを誇らしいと思うと同時に――――

 

 もう、彼女の中に自分の居場所はない、と。そう感じてしまう気持ちは、きっとあったでしょうね……

 

 ……わたくしとしては、勝手にそんなことを自覚されて避けられる側にしてみれば、それはとても身勝手な感情だと思うけれど。

 もしかしたら、或いはわたくしの両親も、かつては彼女達兄妹のような関係だっただろうか……

 

 「私、自分があの時間違ったことを言ったとは、今でも思ってないんです。だってお兄だったら、頑張れば絶対私なんかより皆に認めて貰えるのに、勝手に自分の中で全部諦めて間違った方に行こうとしてたんですから……けど、それも今も偶に、一人で部屋で朝起きる時とかに思うときがあるんです。もしかしたら……このまま寝たふりしたまま起きてこなければ、昔みたいにお兄が私を連れ出しに来るんじゃないかって」

 

 わたくしがそうして自身の両親のことに思いを馳せている間にも、蘭さんは淡々と放し続ける。気がつけば、その可愛らしい大きな瞳には光る何かが湛えられていた。

 

 「でも実際にそれを試してみても、いつも決まってちょっと経った後にお母さんが起こしに来て、私はちょっと遅刻気味に家を出ることになって……その時になって気がつくんですよ、馬鹿みたいに。お兄、いなくなったんだなーって」

 

 「……………」

 

 「あ、あはは、ほんっと、馬鹿ですよね! 別にセシリアさんのご両親みたいに亡くなってるとかそんなんじゃなくて、今もどこかで馬鹿なことやってるだけなのに、こんなこと思うなんて。そうですよ、あっちが勝手に出てったんだから、別に私は――――」

 

 「蘭さん」

 

 正しい家族の在り方なんてわからない。そんなわたくしの口から、余計な口出しはしたくなかったけれど。

 蘭さんの声が震えだしたところでとうとう我慢できなくなって、わたくしは自分の答えを彼女に伝えることにした。

 

 「関係ないと思いますわよ。現実に会えるか会えないか、なんてことは。例え相手が身近にいようがいまいがどの道心が通じていないなら、それは『いない』のと大差はないのではなくて? ……そういう点では、貴女とわたくしに大きな違いがあるとは思えません」

 

 「! ……それ、は」

 

 「否定しますの? ……ふふ、そうでしたわね。違いがあるとすれば、貴女にはまだチャンスがあるということですわ。少なくとも貴女のお兄様は、まだ貴女の手の届くところにいますもの」

 

 「あ……」

 

 「自分が正しい、そう思うのは大いに結構。寧ろ短い間でしたけれど、その間でわたくしが知ることの出来た『貴女』という女性がそう信じたことなら、絶対に貫くべきです……ですが、それと強がって自分の本当の気持ちを隠してしまうことはまた別ですわ。言えばいいじゃないですの、『戻ってきてください』って。自分に正直になることは、『負け』じゃありませんの……わたくしはそれを、一夏さんに教えて頂きました」

 

 「一夏さん、に……?」

 

 まるで意外な名前を聞いたように目を丸くして、蘭さんが顔を上げる。

 ……そう言えば、知り合いなんでしたっけ。本当に、世間は案外狭いものだと思う。いや……或いは、必然だったのかもしれない。わたくしの口からこんなことを他人に言うなんて、今までの自分自身に対する皮肉もいいところだけど。まぁ偶には、こんなのも悪くはない。

 

 「早くいってらっしゃいな、まだ、捕まえられるうちに。さっきタオルを持ってきてくれたチェルシーからこっそり聞きました、先程までいらっしゃった、あの殿方がそうなんでしょう? ……わたくしは大丈夫。心配せずとも貴女の言う通りにしてこのまま休みます。貴女がそこにいては、逆に気が散って眠れませんわ。わたくし、眠るときは近くに人の気配があると落ち着きませんの。一時期は寝首を掻きにくる不届きな輩に狙われていましたので」

 

 せっかくこちらが背中を押してあげているというのに、何か躊躇う様にわたくしを見る蘭さん。なので、半分冗談交じりにそんなことを言いながら寝転がったまま背中を彼女に向けて拒絶する。彼女がすべきことを怠るのに、わたくしを言い訳になんかさせてあげない。

 それでも彼女はしばらく迷っていたようだが、

 

 「うわーーーーー!!」

 

 やがてこちらの鼓膜が破れるかと思うくらいの大声を張り上げると、弾ける様に立ち上がって部屋をあっという間に走り去っていった。一度決断すると一直線な気質のようだ。狸寝入りを決め込んで様子を伺っていたわたくしは、そうして誰もいなくなった部屋で一人溜息を吐いた。

 

 ――――大丈夫。そんなに心配せずとも、上手くいきますわ。だって、あの方は貴女を心配してここまで来たんでしょう?

 

 どうでもいい相手のために、自分よりも強大な相手に立ち向かうことなんて普通は出来ない。なら、絶対に脈はある。後は彼女と……彼女のお兄様次第だろう。

 

 「ふふ……わたくしも、我ながら随分丸くなったものですわね。自分のことで手一杯という時に、他人の心配なんて」

 

 そこまで考えて、最早今となっては自分が今置かれている状況も大して気にならなくなってっきている自分に呆れ返って思わず一人ごちる。やはり、予想外の出来事の結果とはいえ、今日知った人達と再会できたことは、自分で思っていた以上にわたくしに余裕を取り戻させてくれたようだ。しかし、それにしても……

 

 「信じたことなら、絶対に貫くべき、か……」

 

 こんなことを、意識もせずにポロッと言ってしまうなんて……本当、酷い皮肉。今他でもない自分自身が、それが出来なかったと自覚しているのに。後悔は……多分、してる。かといって、間違ったことを言ったとは思っていない。彼女はきっと、それを実現できるから。ただ自分が、もう二度と取り返すことが出来ないだけなのだ。

 

 ――――わたくしも、一度でも……もし両親に望んだことをありのまま、ちっぽけな矜持で自分を偽らずにぶつけることが出来ていたら。今、何かが変わっていたんだろうか?

 

 全ては終わってしまったこと、答えなんて出そうにない。

 けれど一度そんなことが頭に浮かぶともう堪らなくなって、枕に顔を押しつけて目を閉じる。眠れないかもしれないと思ったけれど、体は自分で感じていた以上に疲れていたのか、そうすると幸い眠気はすぐにやってきた。

 

 ――――君の、味方でいてあげるから。

 

 眠りに落ちる直前の、一瞬にも永遠にも思える浅いまどろみの中。

 自問自答を続けるわたくしの頭には、恐らくわたくし自身よりも、わたくしのこと信じてくれていたお父様が遺したその一言が、ずっと響き続けていて。

 

 ……なら、わたくしが自分を信じられなくなかったから、お父様はいなくなってしまったの?

 意識の中で笑うお父様にそう問いかける。けれど彼はいつもみたいに、何処か寂しそうに笑うだけで。そうしてわたくしは結局、最後まで返事を貰えることなく眠りに落ちた。

 

 

~~~~~~side「一夏」

 

 

 「馬怖い馬怖い馬怖い……」

 

 「その、だな……これで良かったのか? 一夏」

 

 「……おおう」

 

 ラウラ達を送り、セシリアのお屋敷に戻る帰り道に、箒(紅焔)から『作戦成功』の一報を受けて向かった先で俺がみたものは、虚ろな目で倒れこんだまま、何か良くわからないことを念仏のように呟いて動かない弾と、そのすぐ脇で困ったように屍と化した弾を見下ろしている箒の姿だった。

 

 「……何事?」

 

 「いや、お前から連絡を受けて、屋敷から逃げ出す彼を止めようとしたのだが……お前の友ということで手荒なことはしたくなかったが、私の制止を無理矢理振り切ってバイクで走り去ろうとしたので」

 

 「したので?」

 

 「……少し、本気を出した」

 

 「……………」

 

 俺と箒の間に気まずい沈黙が走る。お陰で箒の馬のブルル、という息を吐き出す音だけが妙にその場に生々しく響いた。

 ……うん、深く追求するのはやめにしよう。そもそもこんな街中までどうやって誰にも見咎められずに馬でやってきたのかとか、気にしだしたら果てのないことが多すぎる。

 

 「ああ、わかった、ナイス。最後に無理聞いて貰って悪かったな箒。蘭の件だけど、お陰さまでなんとかなった。だから、早くその馬戻して来い。赤焔から聞いたぞ、何してたのかは知らんけど、そいつ出先で持ち逃げしたんだろ? なんなら一緒に俺が謝ってやるから」

 

 「失敬なことを言うな! 同意の上で借り受けただけだ……だがしかし、確かに急ぎだったので上手く相手には伝わらなかったやもしれん。早く返しにいくに越したことはない、が」

 

 いや、お前のコミュ力でその自覚なら100パー伝わってねぇから。こいつは本当に急いだほうがいいかもしれん。こっちの事情を解決するために動いて貰ったが為にこいつがパクられる事態になるというのはあまりにこちらの目覚めが悪すぎる。

 これは、もう今日は帰れないかな。半ば覚悟していた事とはいえ、それがほぼ確定的になりつつある空気に気を重くしながら、俺は弾達だけ先に帰して俺は行けそうにない旨を鈴に報告しようと携帯を取り出そうとし――――

 

 「……む。一夏、誰かが来るぞ。走ってくる」

 

 「……!」

 

 箒の指摘に遅れること数秒。身に覚えのある誰か……蘭の気配を間近にキャッチした俺は、その場に死体となった弾を残したまま、反射的に箒の襟首を引っつかんで近くの茂みに引き摺り込んだ。

 

 「なっ……何をすっ……!」

 

 「シッ! ……なんだかんだでこのシチュエーションが作りたくてお前にあいつの足止め頼んだんだ。ちょっと予定と違うけど、まぁ不味くなりそうだったらすぐに止めに入るから、今は黙って見守ってやってくれ」

 

 「? ……よくわからんが、お前がそこまで言うのであればそうしよう」

 

 「助かる」

 

 このとっさの奇襲の反撃として危うく先程負傷した腕に関節技で止めを刺されかけたが、俺の真剣さがなんとか伝わったのか、すぐに大人しくなる箒。そしてそのまま、俺達は息を潜めて相変わらず地面から起き上がれない弾に蘭が追いつくのを、二人で見守ることにした。

 

 「……なにやってんの? バカお兄」

 

 「ら、蘭?!」

 

 弾が、蘭に声をかけられて漸く正気を取り戻す……一方蘭は倒れこんだ弾を養豚場のブタを見るような冷めた目で見下ろしている。幸先は良くないかもしれない。

 

 「何そんなところで転がってるの? 交通の邪魔なんだけど。誰彼構わず踏まれて喜ぶ変な性癖にでも目覚めたの? それだったらもっと人通りの多いときにやったほうがいいと思うよ?」

 

 「ざけんな、人を勝手に変態扱いすんじゃねぇ! ……しゃーねーだろ、戦国時代の騎馬隊の亡霊に襲われてたんだから。畜生、俺馬舐めてたよ。速いじゃねーか」

 

 「はぁ? 何目開けたまま寝言言ってんの?」

 

 「う、嘘じゃない! 本当さっきまであそこに……あれ?」

 

 訝しむ蘭に対して慌てた様子で、先程まで箒の黒毛の馬がいたところを指差す弾。だが既にそこには何もいな……って、おい?!

 

 「おい箒?! 馬逃げてるぞ!」

 

 「問題ない……先程片がついたなら戻ってもいいかと尋ねられたので、良しと伝えたら自分で帰った。賢い奴だ」

 

 「マジかよ……」

 

 馬ってそういう動物だったか? ……いやよそう、仮にそうなら本日の不安要素の一つが向こうからいなくなったことになってくれるんだから、考えるだけ寿命の無駄だ。あれはきっと未だ開拓されていない日本の秘境からやってきたUMAって生き物だったんだ。

 

 「……頭大丈夫? 病院行く?」

 

 「っ! ……うっせーな!! 大体テメエ、無事だったんならとっとと家帰れよ! 今何時だと思ってんだ!!」

 

 「こっちは心配してあげてるんじゃん!」

 

 「大きなお世話なんだよクソイモ!」

 

 「何よバカお兄!」

 

 ……いかん、現実逃避に走ってるうちになんか早くも駄目な感じになってきた。だがここで諦めて俺がさっさと介入してしまえば、この場は収まっても根本的な解決にならない。折角の機会なだけにそれは少し勿体無い。よって、

 

 「とう」

 

 「っ……!」

 

 適当に小石を一つ引っつかんで弾に投げつけた。狙いはバッチリ、いい感じに弾の頭にスコーンとヒットする。そして前につんのめり、こちらに気がついて睨みつけてくる弾に『大人になれ年長者』の視線を送る。

 弾は『テメエ人事だと思いやがって』と視線を返してくるものの、それでも何処か拗ねたように蘭に向き合ってくれた。軌道修正成功。

 

 「……ったく。ホント、可愛げのねー妹だよ。こんなんなら、助けになんて来るんじゃなかった」

 

 「……そうよ。私、もうお兄のお世話になんて……」

 

 「でも……無事で良かった」

 

 「!」

 

 本当は、一番最初に蘭を見つけたときに言いたかった筈の言葉。照れて明後日の方を見ながらぶっきらぼうにそう言い放つ様子は見てて格好悪いことこの上ないが、それでも弾は本人を前にして、確かにそれを口にした。今までのあいつのことを考えれば上出来過ぎる。

 実際蘭はその思いがけない一言で完全に次に言おうとしていた悪態を見失った様子だった。尤も、照れ隠しで蘭の方を見ていない当の弾はそのことに気がついていない。

 

 「知ってるよ。テメエがもう、一人でも何でも出来る奴になったってことくらい。でも俺に言わせりゃ、テメエはいつになっても昔の弱っちいチビのままなんだからさ……あんま心配かけんな、鬱陶しい」

 

 だから、そんな言葉を残してまたさっさと逃げようとする。けれど――――

 

 「……お兄!」

 

 蘭は、それを許さない。背中を向けて走り去ろうとした弾の背中の服の裾を捕まえて、弾の足を止めさせる。

 

 「……んだよ?」

 

 「私……その。私、ね……」

 

 が、出来たのは行動するところまで。蘭は自分の本音を中々言葉に出来ずに、弾の背中を掴んだままもたつく。

 

 「――――! ――――!」

 

 そうして中々状況が進展しない内に、横では箒がもどかしそうに腕をブンブン振り回し始めた。

 普段あまり見られない、野次馬根性丸出しなその姿は少し微笑ましくもあったが、流れ弾がガツガツ飛んできて当てられている身としては完全に鬱陶しさがそれに勝る。つーかぶっちゃけかなり痛い。

 

 「……お兄にね。帰ってきて――――」

 

 「おっそ~~~~~い!!!」

 

 「!」

 

 が、なんとか俺の我慢のリミットが限界値に達する前に、何とか蘭が間に合ってくれるかと思った時、それは起きた。

 蘭の後方から突如現れたツインテール状のナマモノが、大声を張り上げながら二人の間に割り込んだのである。

 

 「あのバカ……!」

 

 すっかり和解ムードかと思われた瞬間に入れられたその横槍に、思わずそう漏らさない訳にはいかなかった。

 

 「り、鈴?! お前なんで……?!」

 

 「え、鈴……戻ってきてたの?」

 

 実際二人とも完全にあいつに気を取られて先程までのいい感じの空気が完全に消し飛ぶ。

 んで、当のこっちの事情など知らん鈴の方は、そんなこともいざ知らずに暴れ始めた。

 

 「蘭が助かったって聞いたから今度こそご飯の準備して待ってたってのに、何で帰ってこないのよ! もうすっかり冷めちゃったじゃない、全部温め直しよ!」

 

 「いや、だから俺は五反田食堂(あそこ)には行くつもりねーし……」

 

 「その、病人のお世話をしなくちゃいけなくて……」

 

 「あーもー! アンタ達ってホント兄妹揃って意地っ張りなんだから!! 心配する方の身にもなんなさいよ! ……兎に角来る! 弾、いつもの我侭、今日は聞かないからね。あんたの分まで作ってあるんだから。来ないと許さないから」

 

 「……! ざ、ざけんな、クソジジイのいる所なんて死んでも行くもんか。俺は自由を手に入れたんだ!」

 

 五反田兄妹はツインテールを逆立てて怒る鈴にすっかりタジタジな様子だったが、話が五反田食堂に行くところに行き着いてから露骨に弾が難色を示し始め、最後には傍らに倒れたバイクで逃走するべく走り出そうとしたが、

 

 「逃がすかドラァ!!」

 

 「ばるすっ!!」

 

 すぐさま鈴の強烈な跳び蹴りを背中に受け、直後に目をやられそうな断末魔をあげて吹っ飛び動かなくなった。それはかつてのいじめっ子といじめられっ子の見事な下克上の構図だった……といってもあれは後に、最後の方の悪質ないじめは弾の下っ端を気取ってた連中が、弾が鈴をからかっているのを見て始めたもので、弾の方もそれをやってた動機が動機だけに庇えず引っ込みがつかなくなってたっていう事情があったということが判明していたりするので、まぁこの力関係は見かけの割にヘタレである弾からガキ大将という肩書きが外れてしまえば、至極当然のものであるとも言えるかもしれない。

 

 「蘭。連れて行って」

 

 「はーい」

 

 と、俺が昔を思い出してしみじみとしている内に、完全にのびた弾を蘭が鈴の指示でズリズリと引き摺りながら連行していく。

 ……ん~。これまた、予定と違うけど。

 

 「~~~~~♪」

 

 ま、一応弾を五反田家に行かせること自体は成功してるし。蘭も嬉しそうだからいいか。

 鼻歌交じりで去っていく蘭を見送りながらそう判断し、箒と一緒に茂みの中から脱出する。

 

 「はわぁ!!」

 

 ガサガサとゴキブリのように茂みの中から姿を現した俺達に、鈴は一瞬腰を抜かしかけたようだったが、なんとか体勢を立て直した。

 

 「あ、あんたらなんてトコから出てくんのよ! それになんで箒がいんの?!」

 

 「あいつらのこと、今回のことでもしかしたら上手くいきそうだったから影で見守ってたんだよ。箒も協力してくれてた」

 

 「あ~……ひょっとして、あたし空気読めてなかった?」

 

 自らのタイミングの悪さを、俺達のじめっとした雰囲気で今更ながら悟る鈴。頼むぜ、そうじゃなくてもお前含めて厄介な人間関係抱えてる連中が知り合いには多いんだ。少しくらい俺の心配事を減らすのに協力してくれよ。でも、今回は……

 

 「まぁ、結果的には凡そ上手く行ったからいいさ……で、鈴。結局遅れたから、俺の分はなしか?」

 

 鈴は流石に気がついてからは少し気まずそうにしていたが、俺の返事と冗談めかした質問に気がついて意地の悪そうにニヤッと笑う。

 

 「さぁ、どうしよーかしらー? 確かにあんたに関しては遅かったらお預けって話だったもんね?」

 

 「……頼む、許してくれ。正直腹ペコだ、もう十時間くらい何も食ってない」

 

 「一日くらい何も食べなくても人は死なないけど」

 

 「労働には対価を。不当な賃金の不払いには断固として抗議する。ストライキだ」

 

 「別にあんたが働かなくてもあたしは困らないけどね……はいはい、わかりましたよ。箒も来なさい。一人くらいなら増えても大丈夫なくらいはあるから」

 

 「……いいのか?」

 

 「遠慮すんな。言ったでしょ、あんたには心から『参った』って言わせてやりたい、って……あれって、別にことISに限ったわけじゃないのよ?」

 

 「……成程、挑戦という訳か。いいだろう、受けて立つ」

 

 「……なんの話をしてるんだお前ら?」

 

 なんで飯をご馳走になるって話でこんな剣呑な空気になるんだろう……まぁいいや、怖いし下手に触れないでおこう。それに飯の話になって急に腹が悲鳴を上げ始めた、兎に角今は食うことしか頭にない。だからさっさと先に五反田家に向かうべく歩き出そうするが、

 

 「一夏」

 

 「……うん?」

 

 鈴に後ろから呼び止められる。振り返ると鈴は少し照れたように視線を逸らすと、

 

 「……ご飯より先に戻ったら怪我を見せること。それと、お説教だから」

 

 ちょっと拗ねた様子で、箒には聞こえないよう小さな声で、そう言った。

 

 「へーい」

 

 幸い大方の予想通り骨までいくようなもんではなく、精々ムチウチ程度のもので、今となっては痛みもほぼ引いていたが心配させてしまったからには仕方がない。ここは大人しく言うことを聞いて、こってり絞られることにしよう。これで締めになる分には、そん位の小さな不幸くらいなら全然容認できる。

 そう、経緯はそうあれ、蘭は無事に戻ってきた。織斑一夏の忙しい一日はこれで終わりを迎えて、明日からはまたいつもの日常が帰ってくるんだから。

 

 

 

 

 ――――と、ここで話が終われば実に理想的だったのだが。

 いや、箒を交えての幼馴染一同揃っての、遅すぎる夕飯を囲んでの騒ぎは、昔話に花を咲かせたり、最近のお互いあったことを報告しあったりしてなんだかんだでとても楽しかったのは間違いない。弾と蘭も相変わらず少しぎこちないながらも思いの外いい雰囲気で、このまま解決できるかと思ったのだが。

 

 「……弾、テメエ……! 誰の許しを得て俺ン家の敷居を跨いでやがる……!」

 

 「……ハッ! まだくたばってなかったのかよ老いぼれ。悪かったな、まさか入るのに店主の許しが必要な程上等な飯屋だとは思わなくてよ……!」

 

 「テメッ……出て行けこの出来損ないが!」

 

 「ッ……! ああ、言われなくてもそうしてやるよ! アンタの汚ねぇツラ見てるとどんなに美味いモンも一気にゲロマズになるからな!!」

 

 「お爺ちゃんやめて! あ……待って! お兄!!」

 

 ……俺としたことが蘭が無事だったことで気が緩んだのか、厳さんのことをすっかり失念しており。

 帰ってくるなり途端に、俺でも手がつけられないくらい弾と大喧嘩になり、弾は再び五反田家から飛び出していってしまうというケチがつくことになってしまった。

 そしてそのままその場は自然とお流れになり俺は自宅に戻ったものの、その夜弾は、こちらにも戻ってはこなかった。

 

 

~~~~~~side「セシリア」

 

 

 深夜。

 あれからすっかり一度寝入ってしまったわたくしは、人の気配を間近に感じて目を醒ました。

 とはいえ、今ここにいる人間はわたくしを除けば一人しかいない。自ずとそれが誰のものかは理解できた。

 

 ――――それに、わたくしが過去にこんな夜中に人のベッドに潜り込んでくるのを許した存在は彼女だけだ。だからわたくしは、確認も取らないまま彼女に声を掛けた。

 眠っているなら、起こすのは少し申し訳ないと思ったけれど。それでもわたくしは、どうしても彼女に確認しなければならないことがあったのだ。

 

 「……今日のことについて色々と言いたいことはありますが、それらは取り敢えず、今はいいですわ……ですが、『アレ』だけは絶対に見逃す訳にはいきません。チェルシー、何故貴女が『ゴールデンドーン』を持っていますの?」

 

 「……………」

 

 「……チェルシー?」

 

 だが、ことここに至ってわたくしは漸くチェルシーの様子がおかしいことに気がつく。

 起きてはいるようだが、わたくしの首に深く手を回して抱きついたまま反応がない。そして、

 

 「……っ、……ぅ」

 

 泣いている。わたくしが起きていることに気づかずに、声を押し殺し、大粒の涙を流しながら。

 そんないつもは見れない彼女の様子に戸惑い、わたくしはついそのまま次の言葉を失う。

 

 「……さい。ごめんな……さい。ごめんなさい、お嬢様。アーサーさ、ま……私、わたし……」

 

 そうして動けなくなってしまっている内に、チェルシーは泣きながら何度も何度も、わたくしとお父様の名前を口にして謝り続ける。

 ……そんなに謝られたって、どうしていいか、わたくしにはわからない。だって彼女は少なくともわたくしには、何も悪いことなんてしていないんだから。それに寧ろ……

 

 ――――お嬢様って、アーサーさま似ですよね。

 

 昔、チェルシーがよくわたくしに対して言っていた言葉。けれどわたくしは両親の仲が悪化していくのに伴いそれを言われるのが酷く嫌になり、一時期は一方的に避けたりもしてしまったけれど、それでも彼女は根気強くわたくしの面倒を見てくれていた。

 そしてあの鉄道事故の日。両親の死を肉親であるわたくし以上に悲しみ、わたくしと、わたくしの居場所を誰よりも率先して守ってくれた彼女。そんな彼女を尊敬すべき一人として認識しだしたのはあの頃だけど……

 

 『アーサー、さま』

 

 『……?』

 

 両親が存命だった頃は、お母様から許可が出たとき以外はきっちり公私を分けていた彼女が頻繁にそれを破ってわたくしのベッドに潜り込んでくるようになったのもこの頃からで、流石にこのいつもの様子から、彼女が今までひた隠しにしてきた気持ちを嫌でも推し量らない訳にはいかなくなった。

 

 チェルシーがわたくしの家で働き始める前、お父様とどういう関係だったのかは知らない。そもそも当事者でもないわたくしが、こんなことを感じるのは筋違いもいいところなのかもしれないけれど。

 

 ――――そうはわかっていても、どこか彼女に負い目を感じてしまうのは。わたくしが彼女の大事な想い人に対してずっと、不孝を働いてきたから、なんだろうか。

 

 ――――……

 

 ……静まり返った部屋に、チェルシーの押し殺した嗚咽だけが響く。

 結局何も知らないわたくしは、彼女からISのことを聞き出すことも、謝り続ける彼女を安易に許すことも出来ないまま。

 その晩は、ただどうすれば彼女がいつもの陽気で暢気な笑顔を取り戻してくれるだろうかと、答えの出ない思考だけをずっと繰り返していた。

 

 





 五反田兄妹、譲歩するも台無しになるの巻……別にこの二人が嫌いなわけではないんですが、解決編は今回はお預けに。セシリアさん……に限った話ではないんですが、本作ヒロインは裏で未だに色々面倒な事情抱えてる娘が多いです。今回で何となく悟った方もいるかもしれませんが、セシリアのそれに関しては、今作では同郷のあの人が関わってたりします。

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