~~~~~~side「蘭」
「……それで、どういうわけかロープで拘束されたまま一向に目を覚ます気配のない彼女を放っておけず、かといって自分もその場に留まれないので保護……もとい『拉致』してきたと?」
「あう……お、お嬢様。その表現には些か誤解がありますのです」
「だまらっしゃい、紛れもない事実でしょうが! それにそんな明らかに口調の乱れた貴女の言葉など聞くに値しません……もう、貴女はどうしてそうなのですか?! 普段は品性公正で優秀な使用人だというのに……その、なにか突発的なアクシデントに見舞われると兎に角銃でなんとかしようとする致命的な悪癖さえなければ、わたくしも本当に一人の人として尊敬していますのよ?」
「あは、あはは。お褒めに預かり光栄です」
「褒めてません!!」
「とほー……」
「ん……」
まどろむ意識の中、誰かか言い争う……というより、片方が一方的に叱り付けられているような声が聞こえてきて、私は目を醒ました。
……なんか、お布団が信じられないくらいフワフワしてる。油断しているとそのまま二度寝してしまいそうだけど、時間がないから起きなきゃ……時間?
「あれ……? ここ、何処……?」
本格的に意識がはっきりしてきて、やっと私は自分が全く心当たりのない場所で寝いていたことに気がつく。時間が知りたくて携帯を探すが、何処にもない。
何処かで、落とした? 何処で……いやそもそも、私はどうしてこんなところに?
「あら? ……御目覚めになりましたか。この度は我が家の郎党がとんだご迷惑をお掛けして本当に申し訳ありません。つきましては……」
「……へ?」
そうして状況がわからず、ベッドから上半身を起こしたまま大混乱する私の傍らに、先程の声の主と思われる金髪の、外国人の女の子が進み出てきた。
……凄い可愛い。なんていうか、本場のフランス人形がそのまま人になったような、綺麗な白人の外国人の見本みたいな女の子で、同性なのに話しかけられて少しドキッとしてしまう。
……じゃなくて!
「えっと、その……私……」
ああダメ、本当混乱し過ぎて言葉が出てこない。大体、私なんでこの子の部屋と思しきところで今まで寝てて……
「!」
そこまで思い至ったところで、やっと記憶が戻ってくる。
……そうだ、私は今日ちょっといつも読んでる雑誌の新刊目当てに近くのコンビニに出かけて行って、そこで一夏さんに会ってちょっと話して、その後……
「……そうだ、そろそろお手伝いの時間だから、って」
帰ろうって思って、ちょっと近道しようとして裏道に入ったところで急に後ろから誰かに羽交い絞めにされて、布みたいなものを口に押し当てられて、急に意識が遠くなって……
「あ……」
記憶が出揃い、一番新しいそれを明確に思い出したところで、体の震えが止まらなくなる。そうだ私、あそこで……
「捕まって……!」
瞬間、私の傍らにきた女の子から逃げ出そうとした。しかしベッドは壁際にあり、傍らを占拠された現状では逃げ場がなく。
結果的に私は壁を背にして、嫌でも彼女と相対しなくてはならなくなった。
「……成程。チェルシーの話は、ある程度は本当だったようですわね。どうやら、大変なことに巻き込まれておいでだったのは確かなようです」
「こ、来ないで……!」
「お願いします、落ち着いてください……信じて頂けないかもしれませんが、わたくし達は貴女に狼藉を働いた一味の仲間ではありませんの」
「信じらんないよ、じゃあ何なの?! 私をどうしてこんなところに連れてきたの? 帰して、家に帰してよ!!」
「それは――――」
理不尽な暴力で、何処なのかすらわからない場所につれて来られて、目の前には全く知らない外国人がいて。
そんなこと、今まで一度も経験したことのない私はすっかりパニックを起こしてしまい、困った顔で話しかけてくる女の子の言葉も耳に全く入らずに、ただただ目の前の現実を拒絶することしか出来なくなった。
……そんな状態だったからだろう。壁を背にしていたはずなのに、気がつけばその女の子とは違う、もう一人に背後に回られていて。
「え、やっ……か、は……」
両肩に、白い綺麗な手が置かれた。そう気がついた次の瞬間には既に息が出来なくなっていて、必死にもがいても逃げられなくて、次第に視界が狭くなっていく。
――――私、死んじゃうのかな。
意識が薄れていく中でそう思った時、一番最初に浮かんだ心残りが、結局お兄と最後まで仲直り出来ないまんまだったなぁ、っていうのが、ちょっとなんか負けたみたいで嫌で。
けど結局そんな意地みたいな感情だけで、私が助かるわけもなく。最終的に、為す術もなく私はまた落ちた。
~~~~~~side「セシリア」
「……チェルシー! 貴女は……!!」
買い物帰りに、リンゴの代わりにチェルシーが連れて来た少女は目が醒めるなり、わたくしの説得も空しくやはりパニックを起こしてしまい。
わたくしが苦心しているうちに、そんな彼女の背後に回ってあっさり絞め落としてしまったチェルシーに、わたくしは声を荒げた。
「仰りたいことはわかります、お嬢様……ですがこれは、私の招いた事態です。私の不始末の事後処理を、そうでなくともお忙しいお嬢様にこれ以上背負わせるわけには参りません」
「使用人の不始末の責任を取るのは主人として当然の義務ではなくて?」
「主人のお役に立つことが使用人の仕事です」
「……いいでしょう、チェルシー。わたくしのやり方に文句があるということでしたら、彼女が特に問題なく寝付いているのを確認し次第外で先程の続きをしましょう。貴女がこの件に関してどう責任を取るつもりかを聞かせて貰います。宜しいですわね?」
「……わかりました」
「では、彼女のことを診てあげて。わたくしは、外で待っていますわ」
「はい、お嬢様」
わたくしの指示に対してお辞儀を返すチェルシーに、わたくしは一瞥もくれずに外に向かう。
……どうも、いつかの自分と同じだ。面白くないことがあまりに重なり過ぎて、ストレスで自分を見失いつつある。そんな状態で、これ以上ここで彼女と話したくはなかった……どの道、問題のほんの僅かな、悪足掻きのような先延ばしなのは、理解できているけれど。
――――本当……どうすれば良かったのかしら?
自分自身で選んだ選択に後悔はしたくないが……今となっては、もう少し上手いやり方があったのではないかと、思わない訳にはいられなかった。
それ位、今わたくしが置かれている状況は、良くないものだった。
問題そのものについて言及するには、わたくしが報告のために一度祖国に帰国した一週間前まで遡らなければならない。
久々に実家に帰ったわたくしは、まるでそれを珍しいことに待ち侘びていたかのように訪れた親戚一同に笑いものにされた。
原因は先日の臨海学校の際、わたくしが関わった『事件』に関することでわたくしが本国に提出した報告書にあった。
わたくしはあの時、明らかにわたくしの『ブルーティアーズ』の姉妹機である、『サイレントゼフィルス』による狙撃を受けて、武装の大部分を破壊された。しかしその報告を、国は頑なに認めようとせず、『ミサイルの命中を搭乗者が誤認した』という形で報告を捻じ曲げてしまったのだ。
……正直なところ、悔しいが無理もないと、わたくし自身思ってしまう部分もなかったとはいえない。件の狙撃は、それだけ『人間離れ』していた。元々のレーザーの偏向能力でさえ、搭乗者の視界の範囲内でしかレーザー偏向を行えないもので、それでさえ成功者は現状誰一人としていないほど、制御難易度の高い技術なのだ。それをよりにもよって何処の誰とも知れぬ輩が、ISの索敵範囲外からの狙撃で、その上確実にこちらの戦力を奪う驚異的な精度を以って適応させることに成功させたというのだ。
こうして実際にBT兵装の開発計画の一翼をテストパイロットとして担っているわたくしにしてみれば、それこそ今まで積み重ねてきた実績を丸ごと否定されるような所業。こうして身を以ってその脅威に晒されていなければ、否定する側に回っていたかもしれない。
しかし、いくら認めたくないとはいえ、その場の感情で起きた事実を曲げる事は出来ない。そう覚悟して、一字一句嘘偽りなく起きたことを書いた報告書だった。それなのに――――
――――BT兵装の適応実績も碌に結果が出せないどころか、挙句の果てに国に対してあんな戯言が書かれた報告書を提出するとは……結局、オルコットの娘は適正だけでものの役にたたない箱入り娘だったということですか……。
あの時言われたその言葉を思い出すと、未だに腸が煮えくり返りそうになる。わたくしは嘘は言っていない。軍部が調整中だと強硬に主張しているサイレントゼフィルスは、事実今祖国の何処にも存在しないのだ。しかしそれを根拠にしても、わたくしの報告書が『全くの出鱈目だ』という、意見は最後まで覆ることはなかった。
そして結局最終的にすごすごと引き下がるしかなかったわたくしを、あのハイエナのような親戚達が見逃す筈もなく。
最初こそ毅然と対応したもののとうとうそれも我慢の限界、チェルシーをはじめとする使用人達以外味方のいないあの家にいることに耐えかねたわたくしは、BT兵装の適応率上昇のための研究と訓練を名目に日本のIS学園に戻ろうとした。
この判断には、ちょっとした目論見もあった。あの時レーザー狙撃による攻撃を受けたのは、わたくしだけではなかった。だからIS学園にいる、あの時共闘した友人達か、教師陣に証言を依頼できないかと考えたのだ……ただ、結局そんなのは建前で。今となってはわたくしには、認めるのは少々不本意だがやはりあの場所が自分の居場所で、皆の所に早く帰りたかったのだと思う。
だがここでわたくしは一つ大きなポカをやらかしてしまった。一般生なら兎も角、国の代表である代表候補生であるわたくしが、予定よりも早くの帰省を行うというのがどういうことかを完全に失念していたのだ。結果、わたくしは学園の受け入れ準備が整うまでIS学園に戻ることを許されず、今はわたくしを心配して二学期の開始までという条件でついてきたチェルシーが、どういった経緯なのかは知らないが話を通して見つけてきてくれたこのお屋敷で、IS学園の返事が来るまで待機することを強いられていた。
「ふあぁ……」
……そうじゃなくても腹立たしいことこの上ない状況なのに、この眠れもしないのに襲ってくる強烈な眠気も、わたくしの苛立ちに拍車をかけた。正直な所この国の時差はわたくしにはかなりの負担だった。それだけを言い訳にするつもりはないが、一学期の初頭イライラが収まらなかったのはそれも一つの原因であるのは間違いない。一月前位に漸く慣れてはきたものの、この間の帰国でもうすっかりわたくしの体内時計は再び狂いだしてしまっている。それだけならまだ良かったが、今日は何かそれに加えて妙に気だるい。
今日は本国から持ってきていた仕事も一段落つき、眠れないだろうけれどそれでも今のままでは体が先に参ってしまうので、一日だけでもゆっくり過ごそうと決めていた――――その矢先に、これである。いくらなんでもあんまりだ。
だからせめて今までのストレスの発散ついでに、思い切り叱りつけてやるつもりだった。けれど……訳もわからぬまま連れて来られた、あの赤毛の子のことを考えれば、そんなわたくし自身の都合は一度置いておくべきだ。
そこまでなんとか自分を落ち着かせ、言いつけた用件を済ませて部屋から出てきたチェルシーと、わたくしはもう一度話し合ったが、
「……それで、異論は何かありますか?」
「ぐぬぬ……」
チェルシーは犯した失態については相変わらず素直に認めたものの、その後の対応策については完膚なきまでの正論を突きつけられ、わたくしはまたしても無残に敗れた。
「だから、何度も言ってるでしょうお嬢様……不味いんですよ、正攻法は。そうじゃなくてもIS学園に入れない現状で、この国の警察に事情聴取されたなんて事実を作ったら、それこそ取り返しがつかないことになります。今回のことでわかったでしょう、連中はいくらでも自分達の都合の良いように、『事実』を捻じ曲げてしまうって」
それがチェルシーの主張だった。言っていることは尤もだ、この状況で更に弱みを作るのは、確かに今のわたくしにとっては致命的と言っていい。
しかし……
「それは、そうですけれど……なら、貴女はどうするつもりですの?」
「全部『悪い夢』だった、ってオチにして貰います。次に目が醒めたら自分の部屋にいて、明日からはまた世はまたこともなし、ってね」
「上手くいくとは思えませんわ、そんなの。それに……」
こちらの都合で一方的に迷惑を掛けたのに、謝罪もなしに『なかったこと』にしてしまうことなんて、許されるんだろうか?
そんなことを考えたのが顔に出たのか、チェルシーはわたくしを見ながら深々と溜息を吐きながら言葉を続ける。
「……私、お嬢様は正しいことを仰っていると思いますよ。けど、生憎正しいことだけしてれば、誰もが得を出来る訳じゃないんです。例の報告書の件なんて、正にそうだったじゃないですか」
「………………」
痛い所を突かれ、今度こそわたくしは反論出来ずに唇を噛みながら黙り込む。
それをわたくしが納得したととったのか、チェルシーは話は終わりだとばかりにわたくしに背を向ける。
「まぁ、私は好きですけどね。お嬢様のそういう真っ直ぐなところ……大丈夫ですよ。本格的に行動を起こすのは日が落ちてからになりますが、絶対に上手くいかせます。お嬢様は何も心配せずに、お休みになっていてください……こちらに戻られてから一睡もしてなくて体調を崩していらっしゃること、隠してるつもりでしょうけどわかってますからね? 養生なさってくださいな」
「……!」
気づかれて、た?
その事実に呆然としている間にチェルシーは促眠効果のあるハーブティーを淹れて来ます、と言い残してさっさと去っていってしまい、わたくしは一人で広い廊下に取り残される。
「本当、敵いませんわね」
去っていく背中を見送りながら、思わず一人ごちる。
お父様の知り合いの娘ということでわたくしが物心ついた頃から傍にいた、しっかりしているが少し変わり者の少女で、その時から既にわたくしにとっては最初の姉のような存在だった。時間の経過につれわたくしが彼女の身長を追い抜き、主人と使用人という関係に変わっていっても、その立ち位置だけは、未だに変化する様子がない。だからこそ、一時期は意固地になって、IS学園に入ってからは立派に自立するから余計な心配は無用、未だにベビーシッターが必要な小娘だと侮られたくないからあまり連絡は入れてくるなと意地悪を言ったこともある。
……今思えば、それこそ子供みたいな見栄の張り方だったと当時の自分を恥じる気持ちしか残っていないが。しかしそう自分を見つめることが出来るようになったからこそ、どれだけ彼女が『大人』だったのかというのが最近になってわかってきて、だからこそ焦っているような、複雑な気持ちもあった。
――――そう、早く、誰もが認める女性にならなくちゃいけない。所詮『オルコットの小娘』という認識しか持たれていない今のわたくしでは、世の中から認めて貰えない、だからこんなところで立ち止まってる場合じゃない、のに。
「あ……」
何かやらなくちゃいけない。心ではそう思っていても、心労と体の疲労の両方は思った以上にわたくしから体力を奪っていたようで、こうなれば予定を前倒しして二学期開始以降に手をつけようと思っていた課題に取り組もうと歩き出そうとしたところ、強い眩暈に襲われる。
それでも壁に手をつき、しばらくの間は持ちこたえたものの、結局気だるさと異様に重くなる頭を支えられずに、最終的に床に倒れこんでしまった。
――――ああ、ダメ。こんなところで眠ったら、お母様に怒られる。
反射的にそんなことを思い浮かべたところで、もうあの人はこの世の何処にもいないことを思い出す。
それを自覚してしまったところで、いけないと思いつつも感情が抑えられず、自らの不甲斐なさに涙が溢れ出てくる。
――――ごめんなさい、お母様……セシリアは、オルコットを守れないかもしれません。
しかしどんなに気が昂ぶっても、心底疲れきった体は起き上がることを拒否していて。わたくしは今まで何があっても口にはしなかった、そんな弱音を心の中で母に告白しながら、睡魔に唆されるまま自らの目を閉じた。
――――――――……
――――お母様の声が聞こえる。ああ、いつもの『あれ』だ。お父様に言われるまま部屋に戻り、お母様が一方的にお父様を詰っているのをベッドの中で聞くのは、いつしかわたくしの日常になった。
強い母に、不甲斐ない父。そんなことを繰り返していれば、そんなイメージが定着するのにそう時間は掛からなかった。わたくしも、いつも力のない笑みを浮かべているお父様を次第に倦厭するようになり、お母様もそんなわたくしに何も言わなかった。けれど、まるでそのことが面白くないとでも言うように、あの人はますます苛立つようになり、日々夜のお父様への詰問も酷くなっていった。
……それを思うと今となっては答えの出ないことではあるが、あれはお母様なりにお父様を激励しようとしていたのでは、と考える時がある。あれだけギスギスした関係だったにも拘らず、結局あの二人は最期まで一緒だった。それに……
『君は彼女の娘だもの、絶対に強い子だ。だから……顔を上げて。涙は隠さなくてもいいんだ。けれど、君が信じた『正しい』ことだけは、決して曲げてはいけないよ。大丈夫、誰かがそれを笑っても、僕だけは――――』
確かに、頼りなくて、口下手で、自慢のお父様と口を大きくして言うことは間違っても出来なかったけれど。
どういう訳か本当にわたくしが挫けた時には一番最初に傍にいて、勇気をくれる笑顔を向けてくれる人で。あの人のそんなところにだけは、わたくしもきっと惹かれていた。
でも今は、彼がそんな人だったからこそ、あの無責任な一言が恨めしくて。だから、
――――嘘吐き。
次第に遠くなっていく、今となっては懐かしいあの二人のやり取りを聞きながら、わたくしはそう呟いて自身の夢に別れを告げた。
――――――――……
……どのくらい眠っていたのか。感覚としてはそう長い時間は眠っていないと思う、体は相変わらず酷く重い。
しかし気がつけばわたくしはベッドの中にいて、部屋は暗く静まり返っている。窓からは光が差し込んでおらず、既に日が落ちていること示していた。
「あ……良かった。気がつきましたか?」
「え……?」
軽く身を起こそうとすると、すぐに誰かがわたくしが寝ているベッドを覗き込んだ。
……一瞬チェルシーかと思ったが、明らかに彼女とは違う声だった。誰……?
「もう……びっくりしましたよ。こっそり逃げ出そうと部屋から出ようとしたら、思いっきり人が倒れてるんですもん……これでも結構焦ったんですからね?」
「貴女は……」
暗闇に目が慣れ始め、漸く目の前にいる少女の姿がはっきりわかってくる。あのチェルシーが今日拾ってきた、赤毛の日本人の少女だ。
「貴女が、わたくしをベッドまで運んでくれましたの?」
「迷ったんですけどね。ちょっと触ってみたら凄い熱だったから放って置けなくて……まー悪い人だったとしてもこうして人質に好き勝手にされるような人なら、怖がる必要もないかなーって、もう開き直っちゃいました」
「それで……わたくしの目が醒めるまで、診ていてくれていた、と?」
「まあ……そうなりますね」
少女は私の問いに、悪戯っぽく舌を出しながらそう答える。
……最初パニックを起こして泣き喚いていた時は歳相応の少女かと思ったが、これで意外とアグレッシブなところもあるらしい。こうして見ている限りは可愛らしい少女なのに、人は本当に見た目に依らないものだ。
「それは……大変申し訳ないことをしました。しかし、貴女もあれから随分早く御目覚めになられたのね」
時計を見れば、わたくしが廊下で意識を失ってから一時間程経過していた。つまり彼女はあのチェルシーの絞め技から、それくらいの時間で復帰したことになる。
「あ、あはは。あの時はテンパっててあっさりやられちゃいましたけど、私って本当は結構絞め技には強いんです。小さい頃結構悪ふざけで技掛けてくるバカ兄がいましたから」
「まぁ、それは酷いお兄さんですのね。貴女みたいな素敵な妹さんにそんな仕打ちをするなんて」
「そうなんですよー!! ホンット、信じらんないですよね。時が時ならもう完全にセクハラですよ、死刑です死刑」
「セクハラ……?」
その彼女の種明かしに対してわたくしが返した答えに何か感じるところがあったのか、少女は何やら気炎をあげてここぞとばかりに兄に対する不満をぶちまけ始める。わたくしは最初こそ彼女の勢いに押されてしどろもどろになったが、彼女の語る兄君なる人の狼藉の数々に次第に我慢できなくなり、彼女の兄君は酷いという弁を肯定して頷くことに傾倒するようになった。彼女はそれに気を良くしたのか矢継ぎ早に言葉を続けるが……
「ん……」
「あ……」
一度倒れてから、わたくしの体は本格的に不調を訴え始めていた。段々と彼女の言葉が遠くなり、頭がフラフラと揺れているのに気がついたところで、赤毛の少女はわたくしの様子がおかしいことに気がついてあわてた様子で頭を下げる。
「ご、ごめんなさい! 体調良くなのに私の身内の愚痴なんて聞かせちゃって」
「いえ……わたくしは大丈夫……」
「そんな真っ赤な顔で何言ってるんですか! ……あーもう、診てあげるにも、私じゃ何処に何があるかわからないし! えっと、さっきのメイドさん連れてくれば……」
言いかけて、赤毛の子の顔が引き攣る。少なくとも一度首を絞められたのだ、チェルシーを怖がってしまうのは、まぁ仕方のないことだろう……チェルシー?
ここでチェルシーのことを思い出して、わたくしは漸く今の状況が何かおかしいことに気がつく。倒れてから一時間。チェルシーは、お茶を淹れたら戻ってくると言っていた。彼女がお茶を淹れるのにそんなに時間が掛かる訳がない、彼女に何かあった……?
――――……!
「ひゃあ!」
「……!」
そう思い至ったところで急に据え置きの電話のベルが鳴り、赤毛の子がいきなりの高音に驚いたように飛び上がる。
わたくしは電話を取ろうとしたが起き上がることが適わず、そんなわたくしの様子を見て、赤毛の子は少し迷ったような素振りを見せながらも、それでもおっかなびっくり受話器を取った。
『お嬢様ですか?! 賊です!! 恐らくそこにいる少女を狙っての襲撃です、真っ直ぐそちらに向かっています! 私も直ぐにそちらに向かいます、お嬢様は急ぎ彼女を連れて退避を――――!』
途端に、受話器を取っていないわたくしにまで聞こえるくらい大きなチェルシーの声が部屋に響き、驚いた赤毛の子は取った受話器を取り落として、それにつられる形で執務机に置かれていた電話の筐体も落下、電話が切れてしまう。
「わ、わた、し……?」
……違った、受話器を落としてしまったのは、驚いたからじゃない。彼女はチェルシーの言葉を聞いてから明らかに顔色が悪くなり、体も小さく震えている。
ここにはわたくしと彼女しかいない以上、チェルシーの言う『そこにいる少女』とやらが、誰なのかは考えるまでもないこと。彼女はそれを知った上で脅えてしまっているのだ。
「……くっ!」
わたくしは咄嗟に起き上がって彼女を部屋から連れ出そうとしたが、一度立ち上がるのが限界だった。熱に浮かされた頭が直ぐにふら付き、立っていることが出来ずに床に膝をついてしまう。それと同時に部屋の照明が何の前触れもなく突然消える。
どうやら電気系統を落とされたらしい、非常電源があるのは確認しているが、それだけではこの家の本来の防犯機能は十全には回復させられない。それを理解したうえでのこの一手なら、相手は間違いなく危険な人間だ、事態は一刻を争う。
チェルシーは彼女を拐かしたらしき者達を逃がしてしまったと言った、迂闊だった……そんな事態になった以上、その者達が彼女を再び攫いに来るかもしれないことくらい、予見しておくべきだった……!
「……仕方、ありません。お行きなさい、早く!」
……この様では、わたくしは逃げ切れそうにない。だからせめて、赤毛の少女だけでも先に逃がそうと、わたしは彼女に出来る限り大きな声で彼女を促した。しかし……
「……!」
彼女は青褪めた表情のまま、そんなわたくしを何処か焦ったような様子で眺めていたが、やがて何かを決意したように唇を結んだかと思うと、
「な……ちょ、ちょっと?! 何を……!」
その決して大きくはない背中でわたくしをおぶると、迷わずドアを開けて走り出した。
「何を……何を、しているのです?! 狙われているのは貴女なんですよ? 見ず知らずの……いや、貴女に酷いことをした方達の仲間かもしれないわたくしなんて、放っておけばいいではないですか……!」
彼女のその突拍子もない行動の意図が掴めず、わたくしは背負われたまま赤毛の少女を問い詰める。
「そんなの……! 目の前で……! 苦しそうにしてる……! 女の子を……! 放っておいて……! いい理由になんて……! なりません……!」
彼女は全力で走って息を弾ませながら、当然のようにそんな答えを口にした。
わたくしはその予想もしなかった彼女の返答に、思わず言葉を失う。立場を考えれば、彼女の方がわたくしの何倍も心細くて、恐怖で押しつぶされそうな状況である筈なのに。どうしてこんな……強く在れるのか。
「で、出口……?! そうだ、出口って何処です?! どう行ったら外に出られるんですか?!」
「……だから、降ろして貰えませんこと? わたくしならもう大丈夫ですから……」
「信じません、さっきだって立つのがやっとだったじゃないですか! いいから早く教えてください!」
と、わたくしがそんなことを考えているうちに赤毛の子が慌て出し、このまま黙っているわけにもいかなくなる。やはり降ろして貰うべきだろうと声を掛けるも、彼女は少なくともお屋敷から出るまでは絶対に離さないと頑なに拒み、最終的にはついにわたくしが折れることになった。
「……廊下を真っ直ぐ。突き当たりに階段がありますからそこを一番下の階まで降りて下さい」
「了解です!」
私の案内を受けて、少女は特に疲れた様子もなく廊下を疾駆する。人一人背負っているというのに中々の速さ、これなら賊に追いつかれるより前に逃げ切れるかも――――!
――――!
が、そんなわたくしの考えが、まるで甘いと告げるかの如く。
わたくしを背負った少女が階段まで辿り着き、そこを降りていこうとしたその瞬間、行く手を遮るかのように、刃渡り10cmはあろう大きなナイフが近くの壁に突き刺さった。
長らく更新が止まってしまい誠に申し訳ありません。調子が戻ったわけじゃないんですが、折角構想あるのに書かないのは勿体無いかなということでちょめちょめ続きを書き始めております。
セシリアと蘭危機一髪回。謎の敵に追い詰められた二人の運命はいかに……引っ張るようで申し訳ないですが、次回は一夏視点に戻ります。構成的には後五話以内くらいで夏休み編は終わればいいなと考えてます。