IS/SLASH!   作:ダレトコ

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第六十六話~夏休み戦線・追~

 

 「蘭が、店の仕込みを手伝う時間になっても帰らない?」

 

 午後四時。昼は終わりに差し掛かれど、まだまだ太陽が頑張る真夏の昼。

 エアコンの修理も無事終わり、帰っていった業者と入れ替わるように織斑家に掛かってきた、五反田家からの一本の電話。

 それが、本日最大のトラブルの引き金だった。

 

 

 

 

 『そうなのよ……あの子、今までそんなこと一度もなかったから、ちょっと心配になってね』

 

 「確かに、あいつが店のことすっぽかすなんてちょっと普通じゃないですね……わかりました。俺、実は今日三時間位前に近場のコンビニであいつに会ってるんです。店のことがあるのにそっからあいつが遠くにいくこともないと思うんで、今から俺の方で少し探してみますよ」

 

 『ごめんなさいね、度々ご迷惑を掛けて……全く、これでもし知らん顔で帰ってきたらあの子には久々にお灸を据えてやらなくちゃね』

 

 「はは、別に迷惑だなんて思ってないんでお手柔らかにお願いします。あいつもなんだかんだで年頃の女の子ですし、色々思うところもあるんじゃないですかね」

 

 『もう……弾の事といい織斑君は家の子にちょっと甘すぎるんじゃない?』

 

 五反田家の肝っ玉お母さん、蓮さんとそんな一連の会話を済ませた後、俺は直ったクーラーの前でダラケモードに突入した弾をさっさと蹴り起こす作業を開始した。

 

 「オラ起きろ居候仕事だ」

 

 「嫌だ俺はヘイブンを見つけたんだ動きたくない働きたくない……! つーかほっとけばいいじゃんよ、どうして俺があの可愛げの欠片もないクソイモをこのクソ暑い中探し回んなきゃなんねえんだよ……」

 

 「クソだろうがミソだろうがお前の妹だからに決まってんだろうが。あんまグダグダ言ってやがるとパワーMAXカッターコンボを叩き込むぞ」

 

 「それ普通に十割逝くからやめてくれ。わぁーたよ、働けばいいんだろ……ったく、お袋や蘭にはダダ甘な癖にどうして俺には真っ先に蹴りが飛んでくんだよ、差別良くないぞ」

 

 「たりめーだ、全うに生きてるおばさん達と家出中で出席数すらギリギリの不良が社会的に同等に扱われる訳ねぇだろ。悔しかったらちったあ全うになってみやがれ」

 

 「うっせえテメエは俺の親かってんだ……町の方見てくりゃいいか?」

 

 「じゃあ俺は反対側だな、先に出てる……サボんじゃねーぞ?」

 

 「わかってる!」

 

 そうしてゴネる弾を何とかその気にさせ、一緒に蘭を探しに行くことになったところまでは、まだまぁ若干珍しいことであるにせよ、まだ日常の範囲内で収まる事態の筈だった。

 が、それから近場で蘭が行きそうな所を当たり、一通り空振りしたところで再び蓮さんから入った電話。

 

 「どうしたんです、蓮さん? 蘭、帰ってきたんですか?」

 

 『どうしよう織斑君、蘭が、蘭が――――」

 

 「なっ……!!」

 

 ――――誘拐された。

 

 その一言で、最早状況は完全にそれから逸脱してしまったのだと、俺達は思い知ることになる。

 

 

 

 

 「――――警察に連絡は?」

 

 『だけど……蘭の携帯から掛けて来て、警察には知らせるな、って……』

 

 「そんなん誘拐の常套句じゃないですか。公僕だって馬鹿じゃないです、そう言われたことも話せばきっとそれなりの手を打ってくれます。いいですか、直ぐに電話して彼等の指示に従ってください」

 

 『え、ええ……』

 

 取り敢えず動転した様子の蓮さんを何とか落ち着かせ、電話を切る。その段になって、携帯を握る漸く自分の手が洒落にならないくらい震えているのに気づいた。

 ……何とか今のところ取り繕ってはいるものの、正直俺も気が気じゃない。蓮さんと話している間冷静でいられたのは、僥倖としか言いようがなかった。

 

 ――――落ち着け。

 

 有事にこそ平常心。そう自分に何度も言い聞かせ、深呼吸を一つ。

 そうして呼吸が落ち着いてきたところで、蘭のことを知らせるため弾に一報を入れる。

 弾は連絡を入れたその時は相も変わらず億劫そうな様子だったが、いくら俺達が探したところで見つかりっこないことを伝えると態度を一変させた。

 

 『はぁ……?! 何だって、誘、拐……? なんでだよ! なんで、蘭が……!』

 

 「落ち着け、弾」

 

 『これで落ち着いてられっかよ、蘭が、妹が誘拐されたんだぞ……? 畜生っ!!』

 

 振り絞るような声と同時に、スピーカーから入る音にアスファルトを蹴る音が混ざり出す。弾が走り出したらしい、何処に向かう気かは知らないが、今こいつを独走させるのは不味い気がしてつい俺も釣られて走り出す。

 

 「待てよ、お前どうするつもりだ?!」

 

 『あいつを探しに行くに決まってんだろ、近場にいねぇなら足を取りにいって探す範囲を広げる!』

 

 「無茶だ! 大体どうやって探す気……ちょっと待て」

 

 言いかけて、ふと考え込む。

 ……蘭を探す手立ては、俺達には本当に全くないと言えるか? 少し前までの俺ならいざ知らず、今の俺には、こういったことに強い味方がいて……

 

 「……白煉」

 

 『……まぁ、そうくるとは予想していました。ですが、流石に彼女に関する情報が何もない状態では私にも手に負えませんよ』

 

 「アドレス帳にある蘭の電話番号じゃ不足か?」

 

 『それでわかるのは『五反田蘭』本人の所在ではなく、あくまで彼女の『携帯電話』の現在位置です……完全とは言えません』

 

 「いや、十分だ。犯人は蘭の携帯から蓮さんに身代金の要求をしてる、少なくともそいつを追っかければ犯人にはブチ当たる……もしその場に蘭がいなくても、そいつをとっ捕まえて蘭の居場所を吐かせればいい」

 

 『それこそ、警察に任せるべきなのでは? マスター自身が危険を冒す必要性は……』

 

 「わかってる……だけどごめん、白煉。何とか冷静でいようとしたけどダメみたいだ。少なくとも、俺にとっても妹分のあいつに手を出した連中を一発殴ってやらなくちゃ気が済まない程度には今の俺はキてる」

 

 そう言って白煉の諫言を途中で遮り、恐らく俺以上に火がついている状態であるだろう弾と再び回線を繋ぐ。

 

 「……蘭の居場所の方は何とかなりそうだ」

 

 『本当か?!』

 

 「ああ。けど俺も行くからな、弾……絶対に一人でつっ走んじゃねーぞ?」

 

 『三十秒以上は待たねーからな!!』

 

 そんな無茶振りと共に電話が切れ、同時にスピーカーから白煉の諦めたような溜息と共に、GPSの位置情報に画面が切り替わる。

 

 『位置、出ました。現在位置と速度から、ターゲットは恐らく現在も車で移動中です』

 

 ……そりゃ弾の判断が正解だったな、人の足じゃどの道どうやったって追いつけない。

 

 『一応、事前に確認しておきますが。ISは……』

 

 「……使わない。緊急時の際の使用は認められてるっていったって、人のいる場所で展開すれば騒ぎになるし、いくら隠そうとしたって国家単位で管理されてるISは使用履歴が記録で残されるからどうやったってバレちまう……結局、使っちまえば一年前の焼き増しだ。また、俺の知らないところで誰かが責任を取んなきゃいけなくなる」

 

 『そこまでわかっているのなら、尚更関わるべきではないのでは?』

 

 「……………………」

 

 正直なところこいつの立場を思えば悪いと思う気持ちもあるが、もう意思を曲げるつもりはない。二度目の諫言に、沈黙を以ってその意だけを返す。

 

 『……了解です。いい加減、こういう展開にも慣れました。ただ、一つだけ条件を飲んで頂きます。マスターの身が危険だと判断した場合、私の方で即座に『白式』の展開を行います……構いませんね?』

 

 「……わかった。任せる」

 

 本当は不服だが、それが白煉の最大限の譲歩だとわかっているのでそれを飲み込む。

 

 『それとこちらは提案ですが、事を起こす前にせめて千冬様に状況を話しておくべきかと……彼女が賛成するとは思えませんが、マスターがそれこそ一年前のことを繰り返したくないなら彼女を蚊帳の外に置くべきではないでしょう』

 

 「そう、だな……悪い」

 

 こっちは本当に迂闊だった。白煉に侘びを入れ、すぐさま千冬姉に掛ける。

 ……出ない。コールは鳴っているので電源は切ってないようだが、寝てるのか?

 

 「くそっ……!」

 

 いつまで経っても出ない電話を鳴らしていても仕方ない、一度電話を切って考えを纏める。

 千冬姉はずっと学園で仕事をすると言っていた、少なくとも学園にいるのは間違いない筈。

 ……学園に掛けるか? だがIS学園はプライバシー保護の関係で教務課に掛けても本人確認に偉く時間を取られる。一刻を争う現状ではその手順は出きればショートカットしたいが……

 

 「そうだ、箒!」

 

 考えがそこに至ったところで、休み中に連絡を取れるよう、休み前に箒に自分と同じ型式の携帯を持たせたのを思い出す。あいつなら今学園にいる筈だし、普通の生徒だったら物怖じする寮長室に踏み入れるだけの度胸もある。何より気心知れてるぶん貸し借りについてもあまり気にする必要がない……適任だ。折角だし休み中一回くらい遊びにでも誘おうかとやっておいたことが、思わぬ形で功を奏した。早速電話を掛ける

 

 ――――……

 

 やはりコールは鳴るが、中々出ない。事態が事態だけに気が急いているのも間違いなくあるんだろうが、待ちの時間が物凄く長く感じる。

 そうしてやはり一度切って少し経ってからもう一度掛け直すか、と考え始めたところで、漸く通話が繋がった。

 

 『なんだ?! 今取り込み中だ、急ぎの用件でなければ後に――――』

 

 スピーカーの向こうから響く、やけに久しぶりに感じる箒の声は何処か切羽詰っているように感じた。

 

 「箒か?! 悪い、今IS学園にいるんだよな? 千冬姉に繋いでくれないか、何度掛けても出ないんだ!!」

 

 尤も、それはこっちも同じだ。どうやらそれは向こうも察してくれたらしく、大人しくこちらの話を聞いてくれる。

 だがこれ以上先はトントン拍子とはいかなかった。箒は間が悪いことに今丁度IS学園にはいないらしく、少なくとも千冬姉とすぐに連絡が取れる状態ではないらしい。

 

 ……しょうがない。結果的に事後報告になっちまう可能性は大いにあるが、千冬姉の携帯に留守電入れて……

 

 『……待てまだ切るな! 何があった、千冬さんに何の用がある?』

 

 なんて考えているうちに、箒のおせっかいに捕まった。

 巻き込むことには正直抵抗があったが、一方的にこちらの言い分を聞かせておいて今更何でもない、お前には関係ないで納得するような奴じゃない……っていうか、んな真似をもし箒にやられたら俺だって納得しない。

 そういう訳で、どうせ向こうも取り込み中、話したところで関わらせることにはならないだろうとタカを括って、若干の逡巡の後事情を話してしまった。

 

 『いや……そういうことなら頭数は多いほうがいいだろう。私もすぐそちらに向かう』

 

 ……そんな斜め上の返事が返ってくることなんて、予想も出来ずに。

 

 「な、ちょっと待て! お前にそこまで頼んでは……!」

 

 止めようと声をあげるも、既に通話は切れていた。

 くそぅ、なんであいつはいつも肝心なところでこっちの話を聞かないんだ!

 

 掛け直して馬鹿な真似をしないよう言い聞かせようとしたが、その瞬間不意に前方の車道から突っ込んできた大型バイクの運転手に服の首根っこを掴まれて数十メートル引き摺られ危うく窒息しかける。

 こんな鬼畜行為を平然とやる奴は、俺の知り合いでは一人しかいない。

 

 「……殺す気かこの外道腐れ赤髪! その調子乗ったクソ色の髪を根こそぎ毟り取って丸坊主にしてやろうか?!」

 

 「地毛だつってんだろエセ八方美人! テメーがいつまでもチンタラやってんのが悪いんだろうが、さっさと乗れ!」

 

 「くそっ、後で覚えてろよお前……!」

 

 先程の蛮行について言いたい事は幾らでもあったが、今はそんなことで揉めてる場合じゃない。弾に促されるまま後ろに跨り、ヘルメットを受け取ろうとして、

 

 「……?」

 

 弾が持ってきていたのは、俺の分のヘルメットだけではなかったのに気がつく。手にした途端ズシリとくるこの重みは、間違いない。これは……

 

 「人の私物勝手に持ち出しやがって、なんのつもりだよ弾!」

 

 「文句言われる筋合いねーんだけどな。行くつったのはお前だしカチコミに行くのに丸腰でどうすんだよ?」

 

 「つってもこんなモンぶら下げてたら誘拐犯より俺等がパクられるのが先になっちまうじゃねーか!」

 

 「その辺は心配すんな……連中にまざまざと捕まるほど俺のテクは温くねーんだからな!!」

 

 「うぉっ!!」

 

 『守親』片手にあたふたする俺を余所にバイクが急発進し、バランスを崩して転落しそうになるが何とか堪える。

 そうしている内にも速度はぐんぐん上がっていき、あっという間に大きな道に差し掛かかった。

 

 「蘭は何処だ一夏! こっから何処に向かえばいい?!」

 

 「だから落ち着けってんだ! ……右だ、そのまま直進して三つ目の信号を左折!」

 

 「……おう!」

 

 弾の車と車の間をすり抜ける様な運転に肝を冷やしながら、いい加減もう覚悟を決めた。早く追いつけるならそれに越したことはない……正直俺も冷静な判断が出来ているか自信がないが。

 

 ――――待ってろよ、蘭。直ぐ行くからな。

 

 そう心に誓い、弾に定期的に支持を出しながら白煉が表示している赤い光点を追いかける。

 時間は午後六時……既に日没が、すぐそこまで迫っていた。

 

 

~~~~~~side「鈴」

 

 

 代表候補生なんてのになった以上相応の責任が伴うってのは理解出来るし、その椅子に座り続けるには相応の代償だって必要ってのもわかってるけど。だけど……

 

 ――――あ~、くそ。あの年増、あたしをあんな冷房もないサウナみたいな部屋に十日間も監禁した上に報告書なんて口頭でどうとでもなるモン延々と書かせやがって。今度会ったらあの無駄に高そうなファンデの中にカメムシ仕込んで泣かせてやる。

 

 職務中のあの待遇には流石に不平不満の一つも出るというものだ。まぁ、なんとかそんな中でノルマをキチンとこなしたからこそ、こうして予定より早く日本に戻ってこれた訳だけど。

 

 そう、あたしは今日IS学園に戻る。けどその前に、お母さんのところと、休暇中で一回実家に戻っている筈の一夏の家に一回顔を出そうかな、とそう思っていたんだけど……

 

 「ふむ……確かにこれは……だが見る限りあまり保存の利きそうな食材ではないな。あくまで市民の嗜好品、常備食には向かん……その辺りは持ち帰って担当部署と相談してみる必要があるか」

 

 さぁ行こうと思ったところで何か変な白人に捕まり、今あたしはその予定を大きく変更される形でそいつにつき合わされている。

 

 発端は、空港のチェックアウトを済ませ免税店の前を通りがかった時だった。正直あたしにとってこの人種は見た目だけでは歳が把握し辛いのだが、それでも私よりは幾ばくか年上に見える、未来からきたアンドロイドが掛けているようなサングラスを掛けた白人の女が、免税店の店員と揉めているのを見かけたのだ。

 

 『ない、だと……! 馬鹿な、この国の銘菓ではないのか! 何故ない?!』

 

 『も、申し訳ございません! 本日とてもご好評を頂きまして、品切れになっていまして……』

 

 正直なところ係わり合いになりたくなかったというのが本音なのだが、どちらも本当に困った様子だった上に、詰め寄っている客の眼力がサングラス越しで尚凄まじく、完全に店員さんの方が竦み上がってしまっていてちょっと可哀想だった。それにその白人の探しているものを扱っている場所に個人的に心辺りがあったというのもあり、つい仏心を出してしまったのである。

 で、その白人を今こうして空港近くの物産店まで案内し、今に至るという訳だ。ちなみに今そいつは目当てのものを無事見つけ、即座に二箱買い込むと、その場で一つを開けて中身を吟味している。

 

 「そーいうのは外でやんなさいよ、店の人困ってるじゃない」

 

 「っと、これは済まなかった。邪魔をした」

 

 見咎めて注意すると素直に応じる。融通はあんま利かないようだけど、話のわからない奴ではないっぽい。私も特にここで見るようなものはないので、箱を抱えて店を出て行くそいつを追いかけた。

 

 「お前にも迷惑をかけたな、礼を言う……ええと」

 

 「凰鈴音。鈴でいいわ……ったく、よっぽど切羽詰ってたのね。こんな自己紹介なんて、最初にするものでしょ?」

 

 「別に急いでいた訳ではないんだが、始めからどうも予定が大きく狂ってな。どうも見通しが甘かったようだ、この失点を次回には活かさくては……しかし中国人だったか。てっきりこの国の人間だと思っていたが」

 

 「それも半分正解なんだけどね、ハーフだから。この辺りも昔は結構来たし、それなりには詳しいの。ま、役に立てたみたいで良かったわ」

 

 「ああ、本当に感謝している……っと、名乗るのが遅れたな。私はクラリッサ・ハルフォーフ。ドイツで公務に就いている者だ」

 

 「公務、ね。便利な言い回しよね、それ。アンタ、あんまお役所仕事してるって感じには見えないわよ?」

 

 「その辺りはあまり追求しないで貰えると助かる」

 

 「……それ、『あたし』がってコトじゃないわよね?」

 

 「ふ。さて、どうだろうな」

 

 うっわ、前言撤回。こいつ悪い奴だ、それも相当に。

 

 「何、そんなに警戒するな。お前には借りが出来た、仮に今ここで私の敵になったとしても一撃目から急所は狙わない程度の手心は加えるとも」

 

 「その例え何一つ安心できる要素がないんだけど」

 

 「敵になるのか?」

 

 「時と場合に依るわ」

 

 「くく、この私に対してそんな物言いが出来るとはな。面白い奴だ、気に入ったよ。それに筋も良さそうだ、私と仕事をしてみる気はないか?」

 

 「お断り。アンタ個人はともかく、生憎アンタの国は嫌いなの。そんなトコの公僕なんて冗談じゃない」

 

 「ふられたか。まぁ仕方ないな」

 

 クラリッサは何処まで本気だったのかは知らないが、特に残念そうな様子も、あたしが故国をはっきり嫌いと言ったことを気にした気配もなく引き下がる。そして、引き摺っているスーツケースから地図を取り出した。

 

 「何?」

 

 「いや、この辺りには詳しいと行っていただろう? 重ね重ね申し訳ないのだが、ここに向かう上で最適な交通手段を教えて貰えないだろうか」

 

 「ふ~ん、ちょっと待って……ん?」

 

 クラリッサが指しているのは、見覚えのある地名……一夏の家の最寄駅だった。

 特にはっきりした理由はないのだがそれがちょっと気になって、少し探りを入れてみる。

 

 「こんなとこに何の用? ベッドタウンではあるけど観光で見るようなモンはないと思うわよ?」

 

 「……ここの近くに個人的に一度会ってみたい人物が住んでいる。済まんがそれ以上は言えない」

 

 「そっか……ま、いいわ。丁度私もここで降りるの、一緒に行きましょ」

 

 「それは助かる、宜しく頼む。この借りはいずれ必ず返そう」

 

 「気にしないで。困った時はお互い様よ」

 

 が、やっぱりというか、大したことは教えてくれなかった。だけどまぁ話をした限りじゃ、若干物騒な雰囲気を纏ってはいるものの地元で悪さをやらかしそうな感じの人間とは感じられなかったので、大丈夫だろうと判断。兎に角目的の駅までは、このドイツ人と連れ立って向かうことになった。

 

 

 

 

 「へー……その上司のために、ねぇ」

 

 「ああ……」

 

 移動中の、モノレールの車内。

 不味いかなとは思いつつ、暇潰しにあたしはクラリッサに色々尋ねてみたのだが、以外にも彼女はやけに楽しそうに色々と話をしてくれた。

 

 ……それによれば彼女には年下の上司がいて、元々無趣味で仕事以外に関心がなかったその上司が、最近になって色々なものに興味を持ち出したらしい。しかしその興味を持ち出したものというのが、いずれもこの日本に来ている間に知ったものらしく、今までクラリッサが持っていた知識だけでは、久しぶりに故国に帰ってきたその上司の話についていけないことが多々あったらしい。仕事に関しては全てにおいて完璧を以って善しとする彼女にはそれがどうしても許せなかったらしく、改めて足りなかった知識を補完と、その上司がこの国において特に好んでいるものを職場に導入するための調査を行うために、態々休みをとって遠路遥々日本にやってきたと言うのだ。あの物産店で買っていた生八ツ橋も、どうやらその一環らしい。

 

 「ちょっと以外ね」

 

 彼女の話を聞いて、始めに思ったのはそんなことだった。

 

 「? ……私は何か可笑しなことを話したか?」

 

 「いや、そういう訳じゃないんだけど……アンタのその話が、あたしが勝手に持ってたアンタのイメージと少し違ってたってだけ。要するに、ゴマスリの材料探しに来たんでしょ? そういう姑息なコトするような奴には見えなかったなーって」

 

 「ああ、そういうことか」

 

 そんな私の反応に、クラリッサは最初不思議そうに首を傾げたが、続く私の言葉を聞いて得心がいったような顔で頷いた。

 

 「一つ誤解を解いておこう。これはあくまで私の矜持を保つため、そして彼女個人のためにやっていることで、私自身の出世や野心のためにこんな真似をして取り入ろう等とは考えていない。そもそも……こんな言い分は彼女に対して失礼だが、あの人はそんな機嫌の一つや二つでこちらがいい思いを出来る程、私達の組織において必ずしも大きな力を持っている訳ではない」

 

 「え? ……ホントに、『それだけ』の為に? そりゃ、アンタは完璧主義者ってのはわかったけど、それにしたって限度ってモンがあるでしょ。結局は赤の他人のために、そこまで出来るものなの?」

 

 「……私はな、本来であれば『在り得てはいけない』奇跡によって、生かされた人間なんだ。その時から『完璧』であることは、私にとって主義ではく義務に変わった……だって、そうだろう? 摂理を曲げてまで生き延びた以上、そのことに対する責任を負わねばならない。私はそれだけの価値があった人間だと、証明し続けねばならない。そうでなければ、それに従って死を受け入れるしかない人々に対して申し訳が立たない……わかってはいたが、それは正直なところ私にとって重荷だった」

 

 クラリッサはそこで一旦言葉を切り、何処か遠くを見るような目で窓の外を眺めながら、呟く様に続ける。

 

 「だからこそ眩しくて、救われた。かつての力も地に落ちて、他者の評価に振り回されて。それでも尚、私のように後ろ向きな動機ではなく、他でもない自らの存在意義のために『完璧』で在り続けようと……いや、更に上を目指し続けて努力を絶やさないあの人の姿が。だから尊敬し、陰ながら応援していたが……私に出来たのはそれくらいだった。究極を求めての探求というものには果てがなく、自身を自ら泥沼に沈める行いに等しい。だから、誰もが息をするために何処かで必ず『妥協』する。しかしあの人は、誰もそのことを許さなかったから、ずっと自分ではそれが出来なかった。私はそれに気がつくのが遅れて……結局、私達の知らない場所で溺れていたあの人の手を最初に握ったのは、外から来た人間だった。実に情けない話だ」

 

 「………………」

 

 その言葉には言葉そのもの以上に後悔や自嘲が滲み出ていて、あたしは思わず言葉を失う。同時に、先程の自分の言葉を後悔した。

 ……こいつにとってのその『上司』は、私が持ってる社会の認識なんかで汚していいような存在じゃ、なかったんだって。

 

 「そんな負い目があったからなのかもな、あの人の『少女』としての貌を知ったとき、力になるべきだと、そう思ったのは。だがそんな僅かな私の力添えさえ、本当は必要なかったのかもしれない。一時は『彼女』の存在が大きすぎて周りが見えていないような時もあったが、それでも『息』が出来るようになったあの人は日々今まで得られなかった時間を取り戻しているように感じる。私以外の人間も、そのことに気がつき始めた……確かに、歩みそのものは遅くなったかもしれない。だがきっと、そんなことは代償にしてはちっぽけ過ぎる程度のものなんだ」

 

 「……そっか。で、必要ないかもと思いつつも、結局アンタは全力でその人を甘やかしてる訳ね?」

 

 「今のをどう聞いたらそうなる……どうやらお前とは大きく見解の相違があるようだ、誘いを蹴られたのは寧ろ僥倖だったか」

 

 「えー、でも今の話聞いたら誰だってそう感じると思うわよ普通。それにあたしは逆にちょーとだけ、さっきのアンタの話に乗ってみるのも面白そうだなって思ったけど」

 

 「ふん……全く、今日の私はどうかしている。よくも他人の前でこんなつまらん話をしたものだ」

 

 すっかり拗ねてしまったのか、最早すっかり窓の外に意識を移してこっちを見ようとしないクラリッサ。

 いい歳してそんな子供みたいな態度をする彼女を茶化しているうちに、目的の駅に到着した。

 

 「着いたみたいね……じゃ、あたしはここまででいいかしら?」

 

 「ああ。世話になったな」

 

 「いいって。あたしもちょっとは楽しませてもらったし……?」

 

 そのことを確認し、モノレールから降りてクラリッサに別れを告げて本来の予定に戻ろうとしたあたしは、ホームの窓から見えた一つの光景に違和感を覚えて言葉を途中で止めてしまった。

 

 ――――五反田食堂が休業中?

 

 ……もう少し前ならまだしも、夕飯目当ての客が集まり始めるこの時間になって、常に年中無休のあそこがまだ開いていないというのは、昔からあの店を知る人からすればかなりの異常事態だ。実際道行く何人かの人が、扉に掛けられた看板を見て戸惑っているのがわかる。

 

 「何か、あった……? ごめん、あたし行くから」

 

 「凰……?」

 

 そのことに何か嫌な胸騒ぎがしたあたしは、クラリッサへの挨拶もそこそこに早足で歩き出した。

 

 

 

 

 「そんな……蘭が?」

 

 「ええ……」

 

 時間にしては、嫌ってくらい静まり返った五反田食堂の店内。

 最初は留守かなと思ったのだが、中から人の気配はするので何度か扉を叩いたところ、漸く扉を開けてくれた蓮さんはとても青褪めていて、事情を聞いてあたしまでそれをうつされることになった。

 

 「お、おじさん達は?」

 

 「こんな一大事にじっとしていられるかって、飛び出していっちゃったわ……いつ、犯人から次の電話がかかってくるかわからないのに……」

 

 なにそれ? ……ったくこの家の男は揃いも揃って鉄砲玉なんだから。家に残される女の気持ちになってみろっていうんだ。

 幸い私服を着た警察官の人が何人か店内で待機しており、蓮さん一人という訳ではなかったが、それでも彼女は不安を隠せない様子だ。

 

 「元気出してください、おばさん……大丈夫です。きっと警察の人達が、すぐに助け出してくれますよ」

 

 「うん……そう、ね。そうよね」

 

 そんな蓮さんを放っておけるはずもなく、あたしは彼女が落ち着くまでここに留まる決意をすると、あらかじめ戻ると連絡を入れていたお母さんに着くのが遅くなる旨の連絡を入れようとし、携帯の電波が立っていないことに気がついて、蓮さんに断り一回店の外に出た。

 そして改めて電話を掛けようとしたところで、店の壁に寄りかかり、何やら黒くてゴツい大型無線機のダイヤルをグリグリ操作しているクラリッサを見つけて思わず手が止まる。

 

 「……アンタなにやってんの?」

 

 「先程のお前の様子が気になったのでな、あまりいいことではないとわかっていたが後をつけて盗み聞きさせて貰った……どうやら、大分のっぴきならない事態になっているようだな。お前には借りがある、事態の打開に協力しよう」

 

 「は、はぁ?! アンタに何ができるって……」

 

 そこまで言いかけたあたしに、クラリッサは相変わらず左手で操作に集中しながら、右手の人差し指を自分の唇の前に押し当てて黙るように指示する。同時に無線機から、あの電波が繋がった際に出る特有の高音が響き始め、それに混ざって人の声が聞こえだす。

 

 「警察無線を盗聴している……この国の警察は優秀だな、既に凡そ犯人を特定できているようだ。問題は現在の居場所だな……まぁ、そちらも追々捜査していくとするか。お前はお前の方針通りここで彼女についていてくれ、その間に私は私のやり方で人質を救出してみせよう……人質の名前は、ラム? ……いや、ラン・ゴタンダで合っているな?」

 

 「え、うん、合ってる、けど……ホント、何者なのよ、アンタ……」

 

 「言ったろう? ……ただのしがない一公務員さ」

 

 あたしの問いに対して茶化すようにそう答えると、クラリッサは無線機をスーツケースに放り込んで歩きだした。

 ……やっていることこそこの上なく怪しいが、何故か力になってくれるという言葉に嘘はないように思えた。だから、

 

 「信じて、いいわね?」

 

 クラリッサの背中に、そう投げかける。

 彼女は振り返らずに、ただ片腕を持ち上げて任せろ、と応えた。

 

 ――――その背中は、そんじょそこらの口だけの男よりよっぽど男らしくて。悔しいけど少し、カッコ良かった。

 

 





 投稿を始めさせて頂きまして、一年にして最近ちょっとスランプを実感してます。でもやる気自体はありますので、周期は遅くなるかもしれませんが執筆はのんびり続行する所存です。

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