IS/SLASH!   作:ダレトコ

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第六十一話~狂演目の幕は降り~

 

~~~~~~side「???」

 

 

 はぁ……疲れた。

 今まで仕事をサボってきたツケなのかもしれないが、それにしたって勘弁して欲しい。こんなことをする為に、私はここにいる訳じゃないのだから。

 

 「あ……探したんですよスコールさん。何かあったんですか? いつもなら最低でも十人は詰めてるのに、今日は来てみたら誰もいなくて……」

 

 と、漸く一段落ついたと思って息を吐いたところで、どうやらドクトルBがやってきてしまったらしい。すぐ後ろに護送と護衛を兼ねたエムを伴って、明らかに丈の合っていない白衣を纏い裾を引き摺っている、眼鏡を掛けた十歳くらいの東洋人の少年が、私のいる部屋を覗き込んだ。

 

 「見ないほうがいいわよ、貴方にはちょっと刺激が強いかも」

 

 「……!」

 

 忠告はしたが、どうやら遅かったらしい。ドクトルBが、部屋の奥に横たえられたものを見て息を飲むのがわかった。

 

 「彼らに……何が?」

 

 「さぁ、私にもわからないわ。ちょっと外が騒がしいなー、って思って様子を見にきたらなんかよくわからないこと叫びながら取っ組み合いを始めててね。放っておいても埒が明かないから全員気絶させてここに担ぎこんだんだけど……ダメね、目を醒まさす気配はないわ。仮に目を醒ませても、あの様子じゃもう正気じゃなくなってるかも」

 

 「そんな……」

 

 私の返事に青褪めながら、ドクトルBは部屋に入ってきた。それと同時に、部屋に一つだけあったテレビの電源がひとりでに入り、スピーカーから声が漏れ出す。

 

 『済まぬ『盟主』、我輩の落ち度である。我輩の専用チャンネルの一部を知らぬ間にジャックされた、どうやらそれを通してこの場所の人間に脳を狂わせるウィルスを直接流し込まれたようだ。それに気がついて制御を取り戻した時には既に手遅れであった』

 

 「……やってくれるね。何かしらアクションを起こすだろうとは思って警戒してたけど、まさかここまでするなんて……君は悪くないよ。全部、僕の見通しの甘さが招いたことだ」

 

 『……それともう一つ、悪い知らせである。『帽子屋』のプログラムが消失、福音のジャックに使用した素体のサルベージ・デコードも失敗。バックアップも先程軒並み焼き切れた……実質もう奴は完全に消去されたと見るべきであろう』

 

 「………………………」

 

 自分が作った仲間の一人の消失を知り、俯いたまま拳を強く握り締めるドクトルB。実体のない存在であるとはいえ、製作者として思い入れのようなものがあったのだろう。

 が、程なくして力なく顔を上げると、彼は私に向き直った。

 

 「スコールさんは大丈夫だったんですか? ワーミィの話を聞いた限りじゃ、ここの場所の人間全員を狙った攻撃だったみたいですけど」

 

 「私……? ん~そういや、なんか久しぶりに今何語で思考してるのかわからなくなって混乱しそうになった時があったけど、あれって攻撃されてたのね。ヘブライかアイリッシュゲール辺りかなーって当たりをつけたところで、どうせ考え事なんて自分でわかればいいやってなって思考を放棄したら気にならなくなったけど」

 

 「……はい?」

 

 私の言うことが理解できないといった様子で首を傾げるドクトルB。

 ……何かおかしなことを言ったかしら? これって多言語話者(マルチリンガル)にとってはなくもないことだと思うし、彼だって経験がない訳じゃなさそうだけれども。

 

 「この女が非常識なのは今に始まったことじゃないだろう。今更驚くな」

 

 と、二人で首を傾げあっている所に、実に失礼なことを言いながら割り込んでくるエム。この子は今回の仕事から外されてから妙に気が立っている、元々無愛想な子だが最近それに拍車がかかった。

 ……大体パスカルといいこの子といい、一度この組織における私の認識というものを一度正しておくべきなのかもしれない。

 

 「は、はいわかりました。兎に角、スコールさんはなんともないんですね?」

 

 貴方もはぁ、とか言いながらあっさり納得しないで欲しいのだけれど……まぁ、いいか。

 

 「私自身は、ね。でも痛手じゃないとは言えないわ、代わりに私の手足を軒並み捥がれたようなものだもの。彼等の代わりになる人材なんて、そう簡単には見つからないわよ……だから、織斑千冬はともかく、篠ノ之束を敵に回すのはまだ早いって言ってなかったかしら?」

 

 「……そうですね、『鍵』が完成したからといって、成果を急ぎ過ぎたことは否めません……まさか彼女がここまで過激な手段に訴えてくるとは想定していませんでした」

 

 「根底的に甘い人間なのは確かだけど、それでも一度癇癪起こして母国を世界地図から消そうとした女よ、寛容さを求めちゃダメでしょう……大体何もかもコトの責任を全部『なすりつける』為に、彼女のネーミングセンスを丸コピーしたプログラムを用意した上で本人に喧嘩を吹っかけるような真似をしたんだもの。そりゃあ相手が聖人か菩薩でもない限り怒るわ。まぁ、急ぎたくなる気持ちはわからないでもないけれど」

 

 魂を抜かれたように、目に何も映さずただ天井を見つめているだけの自分の部下達を見て改めて溜息を吐く。

 懸念ごとは一つ……これでこの小さな『天才』が、怖気づいてしまうかどうか。だからできる限り言葉を選んで確認をとることにする。

 

 「状況はまぁ、大体ワーミィが言った通りよ。収穫は……なかったこともないけど全体で見れば『天災』一人のお陰で大損害。『計画』を見直す必要があるかしら?」

 

 「……いいえ。『検証』が取れなかったのは確かに痛いですけれど、一度失敗した以上似たような機会が直ぐに巡って来るとは思えません。行動に移すべきでしょう」

 

 「~~~~~♪」

 

 が、その懸念は取り越し苦労だったらしい。思惑通りの返事に思わず口笛が漏れる。

 エムが非難がましい目で見つめてくるのも構わず、私はコートハンガーに吊るしていたコートを羽織った。

 

 「そうと決まれば話は早いほうがいいでしょう? ここを片付けたら早速オータム達の監督役として日本に発とうと思うのだけれど、問題ないかしら?」

 

 「そうですね……お願いします。ただ、スコールさん」

 

 「ええ、わかってる。『実験機は使うな』、でしょう? ……言われなくともそのつもりよ。流石に私でも、現状アレは部分展開でさえ手に余る『モノ』ですものね」

 

 「不備が多いのは自覚してます、申し訳ありません……現状じゃリアクターの出力にフレーム自体が耐えられないんです」

 

 「パスカルだけ戦闘が可能なくらい調整が進んでるっていうのはちょっと納得いかないけど……まぁ、別に待つのは構わないわよ。この状態でも全く『使えない』訳じゃないし」

 

 「……え?」

 

 ……おっといけない、口が滑っちゃった。これはまだ秘密にしときたかったのだけど。

 ついテンションが上がって饒舌になった自分を軽く戒め、私はポカンとした表情のドクトルBにウィンクを一つ送ると、取り合えず廃人になってしまったここの人間の事後処理のために部屋を出ようとして、

 

 『待て』

 

 無粋な、抑揚のない声に呼び止められた。

 

 「……なにかしら?」

 

 『お前は重要なことを話していない』

 

 「心当たりがないわね」

 

 『……とぼけるな。現場にいなかったとはいえ、監督の役割をしていたのはお前だ。今回の作戦、我々は早い段階で本懐を遂げたにも拘らず『無駄に』長引いた……粗方『帽子屋』自身が遊んだこともあるだろうが、お前はそれを諌めることが出来る立場にいた筈である』

 

 ワーミィの声は、相変わらず抑揚がないが何処か苛立ちのようなものを隠せないでいる。

 ……成程、そういうこと。

 

 「私が早く切り上げていれば……最低限以上の成果も見込めたし、貴方の『兄弟』が消されることもなかった。失敗の責任は私にあると、そう言いたいのかしら? 自分の失態を棚上げして?」

 

 『我輩の失態を押し付ける気はない。だが最終的に『こうなった』ことに対して犠牲になった者達を悼みもしないお前の態度に納得出来るかどうかはそれとは別だ』

 

 「私だって別に私に責任がないなんて思ってはいないし、彼等を悼んではいるわよ? ただ私の場合、そういった感情が表に出ないだけ」

 

 『……良く言う。お前、自分が今『笑っている』ことに気がついているのであるか?』

 

 「……?」

 

 言われて顔に手を当て、漸く自分の歪んだ口元に気がつく。

 参った、別に彼らのことを笑っている訳ではないのだが、これではワーミィの不興を買うのも仕方ない。まぁ私の『コレ』は三年前父親の葬式の途中、思い出し笑いで思い切り爆笑してしまい周囲を引かせた時から直らない物だと直感しているし、今更意識して直すようなものでもないと思っている。

 

 「……ご忠告有難う。次からもう少し気の遣い方っていうのを少し考えるように心掛けるわ。それに今回の責任は貴方の失敗も込みで纏めて私が負う。『ウェザー』には事実を嘘偽り無く報告するわ。取り合えず、今はそれで見逃して貰えないかしら、ワーミィ?」

 

 『判断を下すのは我輩の領分ではない』

 

 「そう。ならこの話はこれでお終い。貴方だって別に過ぎた事を今更謝って欲しい訳じゃないんでしょう? どうせ私が知っていることなんて貴方だって知っているんだし、彼らが知るべきことは貴方から話してあげれば済む事でしょう」

 

 『……ふん』

 

 未だ釈然としない様子のワーミィの声を背中で聞き流して歩き出す。

 が、扉に手をかけた瞬間に一つ伝え忘れていたことを思い出し、振り返らないままドクトルBに告げる。

 

 「あ、そうそう。貴方に前もって言われてた、あの坊やのISの件だけど……」

 

 それが表す所の意味を、私自身は良く知らない。結局私はただの搭乗者であり、彼や彼女のような卓越した……いや、箍の外れた『天災』の域まで、悔しいことに知識では届かない身。だから直感した事柄だけを、簡潔に伝えることにした。

 

 「やっぱり、貴方の言った通りと見てほぼ間違いないでしょうね……私から見ても、あの機体を『本当に』動かしてるのは搭乗者の意思じゃないように思えるわ」

 

 「…………」

 

 彼は直ぐには返事を返さなかった。随分と長い間、噛み締めるような沈黙の後、

 

 「……うん、うん。わかってるよ『パパ』。同じだね、お姉ちゃんと『同じ』だ。あはは、嬉しいなぁ、また『きょうだい』が増えるなんて」

 

 俯きながら、虚ろな目でうわ言のように何処にもいない『誰か』と話し始める。

 ……流石にもう慣れたけれど、いきなり『スイッチ』が入るとやはり正直少し引く。それに少し不快でもある、元々頼まれていたこの件の、何処がそんなに『面白い』のか、私にはわからない訳だし。楽しいことを独り占めされるというのは、私がこの世で最も嫌いなことの一つだ。

 

 だからさっさと戻ってきて貰うことにする。何か気を引けるような話題……

 と、そうだ。ISの話で思い出した、これを渡しておかなくちゃ。

 

 「ああ、あとパスカルからの預かり物よ……尤も、彼女帰りにもっと大物仕留めてた癖にそっちはコアごとバラバラにしちゃってるみたいなのよね、どういうことかしら」

 

 そう言ってISコアを取り出す。一人でニヤニヤしながらトリップしていたドクトルBは、それを見てハッとしたような反応の後、漸く目に光が宿る。一応掴みとしては成功、か。

 

 「い、いや、彼女の判断は正解ですよ……篠ノ之博士の最近の作品は、兎に角性質の悪いものが多い。鹵獲に成功したところで、最悪却ってそれを起点に今回と全く同じ攻撃を仕掛けられる可能性もあります」

 

 「ふ~ん、それは大変ね。まぁ、どちらにしても私達が持っていたところで有効に使えるものでもないし、引き取ってもらえるかしら」

 

 「う……はい」

 

 ドクトルBは私が差し出したそれについたものを見て露骨に顔を顰めたが、それでも何とかおっかなびっくり受け取ってくれた。

 ……さて、私の用件はこんなところだろう。未だにISコアを手にわたわたしているドクトルBと、仏頂面のエムを部屋に残し、今度こそ私は部屋を後にする。

 

 ~~~~~♪

 

 と、扉を閉めて歩き出そうとしたところで、懐の携帯が鳴った。

 全く、一気にこうも忙しくなると流石にウンザリしてくる。まぁ、楽しい分には忙しいっていうのはまだ容認できるネガティブさではあるのだけど。

 と、いけないいけない。さっさと着信の表示を確認、相手は――――

 

 「随分と早い連絡ね……そんなに今回の『仕事』の結果が気になるのかしら、私達のスポンサーさん?」

 

 挨拶もせずに電話に出る。ことはビジネスとはいえ、相手が必要としないと認識していることなら、こちらも気を遣う必要はない。相手は案の定、私の態度を特に気にした様子もなく話を切り出した。

 

 『いえいえ、元々そちらに無理をしてまで頼みたい用件でもなかったですから、失敗についてどうこう言うつもりはありませんよ。今回は新しい依頼に関する相談です』

 

 彼は何でもないことのように仕事の結果を既に知っていることを口にすると、

 

 『『エリザベス・ミーティア』としての貴女の手を少しお借りしたいんです……恐らくこれは、貴女自身の利害とも一致する依頼だと思うのですが』

 

 特徴である、心底楽しそうな浮ついた声で、私に次の『仕事』を依頼した。

 

 

~~~~~~side「千冬」

 

 

 『……というわけで、単一仕様能力を発揮した『紅椿』と第二形態移行を果たした『白式』の二機によって事態は収束。良かったじゃない、ちーちゃん』

 

 「良い訳があるか。結局無傷で済んだのは一夏一人、後の連中は大なり小なり負傷した。その中でも特に程度の酷い二人の仲の一人は他でもないお前の妹だぞ」

 

 『それについては言い訳出来ないなぁ。『絢爛舞踏』があんな形で発現しちゃったのはちょっと予想外でさ……どうも、『本来後になって発現する』筈の、あの子本来の『単一仕様能力』と混ざり合って、私が本来予期してた能力と違う形になっちゃったみたいなんだよね。その結果エネルギーの需要が配給に追いつかなくなって、ジェネレータが異常活性しちゃったの。いっくんで上手くいったからいけると思ったんだけど、やっぱり『単一仕様能力』からISをデザインするっていうのはまだ課題が多いなぁ……うん、残念だけど、しばらくの間はほむちゃん経由であの能力はロックすることにする。ちーちゃんからも、箒ちゃんに謝っておいてくれないかな』

 

 長かった臨海学校二日目の夜が明け、空が白み始めた頃。

 満身創痍で帰ってきた馬鹿共に一通り雷を落とし、休ませるため各自部屋に叩き込んだ私は、漸く一休みできるかという頃合を見計らったかのように掛かってきた束からの電話に対応していた。

 ……正直それをすることさえ、現状今後のことを考えると億劫だったのだが、今回こいつも事態を収束させるために動いてくれたようなので、邪険にするわけにもいかなかった。尤もそのやり方は篠ノ之の件を筆頭にあまりにも問題が多かったので文句を言ってやりたい気持ちもあった。

 

 「……ふん。どうだろうな、結局この結果はお前にとっては思惑通りだったんじゃないのか? あの妙な無人機やらウィルスやら余計に手を尽くしてまであの機体を成長させようとしていたのは他でもないお前だろう」

 

 『う~ん、やっぱちーちゃんにはわかっちゃうか。でも残念、いっくんの件についてはぶっちゃけちゃうとあんま上手くいってるとは言えないんだよね。ちーちゃんも見たでしょ、第二次形態移行した白式の機体を』

 

 「………………」

 

 確かに見た。そうして私が感じたことは、私が思っていた以上に私に驚きを与えなかった。

 きっと私はかつてこいつが言った通り、あの機体を始めて見たその瞬間から、なんとなくその事実を確信していたのだと思う。

 

 『あの子の為に完璧にフォーマットした筈なんだけどなー……結局あの子は、成長するにつれて『元の形』に近づいていくみたい。いや、結局本質は元の形のままなのかもね。成長した訳じゃなくて、元々あったものが必要に駆られて『開放』されただけ。武装も能力も誰かのお下がりか借り物、そういったツギハギの中身で満たされているようで、その実は空っぽの器のまま』

 

 「束、一夏は……」

 

 『そう怒んないでよ。あの子じゃない、あの子の機体の話……でも、無関係って訳にはいかないかもね。ISの自意識は一個の自我であると同時に搭乗者の心の写し鏡だし、そうじゃなくてもあのコアは特別。最初に私が作ろうとした、『インフィニット・ストラトス』ってモノの形に、一番近い存在だから』

 

 「……やはり、そうか。お前が開発に最も心血を注いだ、ISのファーストナンバー。そのコアが、白式には転用されているのか」

 

 それは、昔から束と付き合いのあった私が必然的に関わってきたものでもある。

 といっても、事実私が『使った』ことがあるのは一度だけ。その時はあまりに突然だったのと、束から以前から聞かされてた『それ』の実像との食い違いに大いに戸惑ったことを覚えている。そしてその認識の正体は、私の知っている限り、こいつが始めてやらかしてしまった失敗に依るものだったと、後になって知った。

 

 『あはは、懐かしいでしょ? 『白鷹』は、ちーちゃんが一番最初に『作った』武装だもんね。マッハ10もの極超音速での飛行を可能にする高速巡航後付武装』

 

 「あれには本当に嫌な思い出しかないがな……」

 

 『まぁ『絶対防御』はあれのお陰で出来たみたいなものだしねー……全く、あの防衛プログラムが出来るのが少しでも遅れてたらいくらちーちゃんでもまっくろくろべえになってたところなんだよ? 本当、無茶したよねー』

 

 「ああ、日本全土を焦土に変えて余りある量のミサイルを日本に向けて発射するなんて、私以上に無茶というか阿呆な真似をした馬鹿がいたからな。あまり後先や手段を考えてはいられなかったんだ」

 

 『……あれについては本当に馬鹿なことしたと思ってるよ。ちーちゃんには感謝してる』

 

 「……別に、責めてるわけじゃない。お前があそこまで我を失ったのは、私にも責任の一端がある」

 

 そう、こいつは確かに失敗した。だが、その失敗の原因はこいつ自身にあるものではなく。いくら稀代の天才のこいつでもどうしようもないことが引き金だった。結果その事実がこいつを狂わせ、そして皮肉にもそうして引き起こされた凶行から、この国を救った。

 ……あの時はまだ、やり直せると思った。結果として一人たりとも犠牲は出なかったのだから、それで事は収まるだろうと楽観していた。それがいけなかったのだろうか、それともあの出来事をそもそも未然に防げなかった時点でどうしようもなかったことなのか。私とこいつは、未だまともにお互いを見れずにいる。一夏に言ったことは、あいつを庇うためでも何でもない。一年前にこいつとやりあったのは、本当にただのきっかけに過ぎなかったのだから。

 

 『ねぇ、ちーちゃん』

 

 「……なんだ?」

 

 昔のことを思い返し、黙り込んでしまった私の気を伺うように束が話しかけてくる。その声色は何処となく、底抜けに明るかった始めて会った頃のこいつのようで、私はつい無防備にその声に応えてしまった。

 

 『今の世界は、楽しい?』

 

 「………………」

 

 それは、かつてよくこいつが口にした言葉だった。当時の私はこの言葉が出るたびにまたかと呆れた後、思い思いにその時の答えを口にして、こいつは私がなんて答えても心底楽しそうに笑っていた。

 今回も、そうやって適当に、思ったとおりの答えを返せばいい。そう思うが、長らくこいつの口から聞かされるその言葉には何処か私では預かり知れないような大事な意味があるような気がして、ついそうするのを躊躇った私は、

 

 「……お前は、どうなんだ」

 

 そんな、私らしくもない卑怯な返事を口にした。

 

 『私……? う~ん、私はさ、もうそういうのは、いいかな、って』

 

 「?」

 

 『昔はさ、世界には私の知らない楽しいことが、きっともっと何処かにある筈だって信じてたんだ。正論や常識なんてものを振りかざして偉そうにしてる人達が否定してる世界が何処かにあって、その中には毎日違う明日が待ってる、皆が笑顔になれる場所もきっとある筈って信じてた』

 

 それも、こいつが昔からよく言っていたことだった。それを改めて今こいつ自身の口から聞かされて、私は漸く気がついた。いや、きっと目を逸らしていただけなんだろう。皆が笑顔になれる世界が何処かにあると信じること、それは裏を返せば……

 

 『けど……やっとわかったんだよ、そんなものはないって。ううん、人から見れば天井知らずで果てがないように見える空には、凡そ500キロメートルっていう数値化できる『果て』があって、その先には人が踏み込めない冷たい海があるだけだって、とっくの昔に知ってたのに、ずっと見ない振りをしてただけ』

 

 少なくともこの『世界』は。

 こいつが望んでいる、誰もが笑顔になれる世界では、ないということではないのか。

 

 「何を……そんな結論は、もうとっくに出ていることじゃなかったのか。けれどお前は、いくら私が否定しても、それなら今の世界を作り変えればいいと笑い飛ばしていただろう」

 

 だが、私はこいつがそんな結論に達してしまったことを認めたくはなかった。

 

 ――――ちーちゃんが大事にしたいのはさ、本当にいっくんなの?

 

 だって、こいつは『できる』人間だ。かつての私に、何もかもわかっているつもりでその実自身の目さえ開いていなかった事実を突きつけて目を覚まさせてくれた。そのやり方は一見突拍子もなく乱暴なようで、最終的には巻き込んだ誰かを幸せに出来る奴なのだ。

 そんな奴が出した答えがかつての私と同じだなんて、そんなことを認めてしまえば、今の私は……

 

 『……うん。そうしようと、思った。ちーちゃんに会うずっと前からそうできたらいいなって、出来ることを続けてきたよ。そう、他の人には出来なくても、私には出来たことがあった。私一人に出来ることで、世界中で今泣いてる人達が笑顔になれるなら、それは最高に『楽しい』ことじゃないかって、信じてた』

 

 「信じて、いた?」

 

 『だけどさ、結局、私のしたことは結果が伴わなかった。一時的に助けられる人はいたよ? けど、それだけ。ううん、それどころか状況は却って悪くなるばっかりだった。砂漠に雨を降らせる為に開発した技術は一年後には細菌兵器をばら撒くための装置に転用されて、食糧問題解決のために考えた植物の成長プロセスのスパン短縮技術がジャガイモじゃなくて麻薬の原材料を育てるために使われたり、孤児院で子供達の面倒を見てる盲目のおじいさんに星を見せてあげたいと思って義眼を作ってあげたと思えば、次の日にはそれを私が作ったものって嗅ぎ付けた奴らが孤児院にいた子供達ごと皆殺しにして奪いとって人殺しの道具にしちゃったりとか……私のやったことはね、最後には巡り巡って、助けた人以上の数の人を殺したり不幸にしたりした』

 

 「な……」

 

 出会う前から、こいつが『そういう』研究をずっと続けてきていたことは知っていた。しかし、長らくそんな話は一度も聞いたことがなかった。だって以前のこいつはいつだって、私の前では夢見がちな理想主義者で在り続けたんだから。

 

 『でも……下手に助けられた人がいたって事実のせいで、諦めがつかなかった。何もしないよりは絶対にマシだし、いつかもっといい結果が出せるだろうって、そんな疑問に蓋を被せて見ない振りをし続けたけど……そうやって作ったものは、やっぱり皆おんなじ結果を生んだよ。この世界の、ほんのちょっぴりの人を幸せにして……その幸せになった人の何倍もの人が、泣き顔になった。そんなことを何度も何度も、馬鹿みたいに繰り返して……『今度こそ大丈夫』って、信じて作ったISも最後にはあんなくだらないモノに成り果てて、挙句の果てに私が本当に守りたかった人達まで傷つけた』

 

 だから疑うことすらしなかった。いつも目の前で笑っているこいつの、私と相容れないからこそ尊いと感じたその在り方を。

 ……少し、考えてみればわかることだった。賢明なこいつが、私程度がたどり着ける結論など、とうに導き出していない筈がないのだ。つまり、束は――――

 

 『その時になってさ、漸く気がついたの。世の中の人を皆、幸福にすることなんて出来っこなくて、結局私が求めた『楽しさ』は手に入れることは出来ないものなんだな、って。だって、人って『そういう』生き物なんだもん。幸福に『慣れて』しまうの。だから、どんな『救い』もその場凌ぎにしかならなくて、そのそれ以上のその場凌ぎを求めて平気で馬鹿なことが出来ちゃう……結果、そうじゃなくても限られた椅子を、僅かな満足のためにいくつも独占しようとする……元々そこに座っていることが出来た人を、蹴落としてまでね。そんな生き物が中心になって治めてる世界で皆を幸せにするなんて、どう考えたって出来っこないじゃない』

 

 とっくの昔に、理想と現実の乖離と向き合う為に苦い果実を味わい続けていて。

 それでもかつての苦しんでいる私の前で、世の中は捨てたものじゃないと、虚勢を張り続けていたのだろうか。

 

 『……だから、やり方を変えようって決めた。人が生きられる世界はここにしかなくて、人の在り方だってそうそう変えられるものじゃない。なら――――』

 

 「――――違う!」

 

 そんなことを思った時、私は束の言葉を遮って反射的に叫び声を上げていた。

 最初に出会った時から抱えていた、こいつの闇。それに今まで気が付けなかった、気が付こうともしなかった自分自身に対する自己嫌悪で死にたくなったが、今はそれよりしなければならないことがあると思ったのだ。

 

 『……え?』

 

 「……人の価値観を勝手に決めるな、少なくとも私はお前に『救われた』。その事実さえ、あれば良かった」

 

 『……!』

 

 私は、今更こいつのように強がることは出来ない。それをするにはあまりにも遅すぎた。

 それなら、私に出来ることはなんだろうか。必死に考えて、そんな言葉を口にした。こいつが私を救った事実は変わらないと、そう言う位しか、出来なかった。

 

 『あ、あは、あはは。な、何言ってるんだろう、私。こんなこと、ちーちゃんには、絶対に話さないって、ずっとそれだけは守って、きたのに……ごめんちーちゃん、私、なんか色々上手くいかなくておかしくなってるみたい……今の、全部忘れて。お願い』

 

 「…………………」

 

 が、そう言った途端に、束は急に我にかえったように仮面を被り直してしまう。

 いや、先程までの独白は、本当に鬼の霍乱だったのだろう。こいつにしては本当にらしくなく、忘れてくれと頼む声は裏返って震えていた。

 そんな束の反応で、一気に後悔が押し寄せる。何を言っているんだ、私は。こんな言葉はこいつにとって何の救いになどなりはしない。私がこいつの言うところの『椅子』に座るために誰を蹴落としたかなんて、ことは。私自身が、誰よりもよく知っていた筈なのに。

 

 「束、私は……」

 

 『いいんだよ、ちーちゃんは笑ってて。私に心から誇れることがあるとすれば、それはあの時ちーちゃん達に出会えて助けてあげられたことなんだから……こんなの押し付けがましくて勝手なのはわかってる、でもお願い。そのことすら、自分の中で大事に出来なくなっちゃったら私、本当に自分自身が許せなくなる』

 

 「……ッ!」

 

 本当に卑怯な女だ、そんなことを言われたらこっちが何も言えなくなるのを、わかった上で平気で言ってくるのだから。それでいて自覚がないのだから尚のこと始末に負えない。結果、私はこいつの思惑通り零れそうになる言葉を歯軋りしながら飲み込むことになる。

 

 『ありがとね。やっぱ、ちーちゃんは優しいなぁ』

 

 挙句の果てにこれだ。ふざけるな、こっちはまだ何も言っていないというのだ。

 

 「……なぁ、束。私に、何かお前にしてやれることがあるか?」

 

 ……と思いつつ、こんな言葉が出てしまう自分もまぁ、甘いのだろうが。

 

 『うふふ、私達絶交中じゃなかったの? じゃあ私が寂しいって言ったら、ここまで飛んできて慰めてくれる?』

 

 「…………………」

 

 『……なーんて、ね。もう、無言で困るのやめてよ。電話越しでも、ちーちゃんのそれはわかりやすいんだからさ……冗談だよ、冗談。そりゃあちーちゃんといっくんが自分の意思で来てくれるなら大歓迎だけど、私の為だっていうんならそんなのはお断りだよ。安い同情なんかのために時間を使える程、お互い暇じゃないでしょ?』

 

 「ああ。だが無理をしている訳でもない」

 

 『ダーメ。私ちーちゃんの『ソレ』だけは信用しないことにしてるんだから……大丈夫。コソコソ嗅ぎ回ってるネズミさんさえ除去すれば、もう私の『やりたいこと』は次の段階にいけるところまで来てるんだから。ちーちゃん達はその時が来るまで、今の世界を楽しんで』

 

 「待て……お前、今度は何を企んでいる?」

 

 『企んでいるも何も……私の『最初の目的』を達成するための計画の続きだよ。言わなかったっけ?、人が人であるが故に、全員が幸せになることができないのなら――――』

 

 束は躊躇ったように一度言葉を切ったが、それも束の間。すぐに、次の言葉を口にした。

 

 『――――人が、『人』じゃなくなればいい、って』

 

 「……? それは、どういう……」

 

 その言葉の意図を測りかね、聞き返したところで、私は既に通信が切れていることに気がついた。どうにも、あいつは肝心なところで強引に会話を終わらせるのが最近の悪癖になりつつあるような気がする。

 

 「……くそ。向こうの都合で勝手にこっちを振り回す癖に、いつも肝心なところは一人で背負い込みやがって。心配をするこちらの身にもなってみろというんだ」

 

 繋がらなくなった通信機を悪態を吐きながら叩きつけると、近くの椅子に腰を下ろして束が先ほど口にした言葉を思い出す。

 

 ――――人が、『人』でなくなればいい――――

 

 それが、どういう意味かはわからない。だがその言葉を頭の中で反芻すると、手に嫌な震えが走った。

 ――――そうだ、昨日あいつがラウラを迎撃するのに使用した、黒い繊維のようなもので形成された黒い腕。あれを斬った時、この腕に返ってきた『感覚』は。

 

 ―――― 一年前の、『あの日』。初めて人を『斬った』時に感じたものと、全く同じではなかったか。

 

 『束、これは、なんだ……?』

 

 『ああ、ちょっと面白い研究に関わる機会があってね。その時覚えたことをちょっと応用して作ってみたものだよ……ねぇちーちゃん、私達より大きな、例えばアフリカゾウみたいな生き物でも、やろうと思えば知覚や意識を全部残したまま、コレくらいの、直径5センチ足らずの『別のいきもの』に変換出来るって言ったら、信じる?』

 

 「……ッ!!」

 

 一瞬昔のことを思い出し、嫌な想像をしかけて、首を振ってそれを頭から追い出す。

 まさか。あいつ自身、そう言った後すぐに笑い飛ばして、そんな『つまらない』ことは仮に出来たとしてもやるわけないと言ったのだ。どんなに追い詰められたとしても、そこまで道を踏み外せる奴ではない筈だ。だから、この『感覚』はきっと、私自身が鈍ったせいだ。

 

 ――――そう、思いたかった。そうでなければ、きっと。

 もう、私達の道は。二度と交わらないまま、このまま離れていってしまうのではないかという、漠然とした不安があったのだ。

 

 





 後二話くらいで新章に入れそうです。第二章『Wings of flame』(仮称)は、更識姉妹の話を中心に、亡国機業の目的や第二回モンド・グロッソで起こったことの真実、そもそもISとは何なのか等、山積みの『謎』を序所に明らかにしていく内容になる予定です。

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