『拝啓。IS学園生の専用機所有者一同様――――』
臨海学校二日目の朝。
流石にいつもよりは遅いが、それでも起床時間の一時間前に俺は起きた。
だが気がつけば千冬姉は隣に居ず、携帯にはこんな走りのメールがきており。
起床時間がやってくるなり、館内放送で今日の演習が中止になったことが言い渡され、俺達IS学園生は部屋で待機しているよう『命令』された。
なにか緊急事態が起きていることは、直ぐにわかった。
『ワタクシ共は本日、皆様のために特別な場を設けさせて頂きました。場所は当地点から50キロメートル東の海上、演目は『銀の天使』との舞踏となっております。何卒お時間を割いて頂き、会に列席くださいませ。皆様のご来訪を心からお待ちしております――――』
「……白煉、このメールはなんだ?」
『……正確には『メール』ではありません。電子ネットワークを介在して齎される情報は、私が常に監視しています。この情報端末が私の制御下にない僅かな時間を的確に見計らい、それ以外の方法でこの文書を作成した存在がいます』
……何? それじゃあ、俺が寝てる間に部屋に忍び込んで俺の携帯を弄って行った奴がいるということか?
いくらこっちは寝ていたとはいえ、流石に気がつくと思うんだが。それに俺の何倍も感覚の鋭い千冬姉だっていたんだぞ?
『いえ……ここのセキュリティは事前に確認させて頂きましたが、万全でした。何者かが物理的にこの端末を弄ったわけではないでしょう』
「……それって、どういうことだ? じゃあこの文章を作った奴は、どうやって俺の携帯を弄ったんだよ?」
『……わかりません。マイスターのデータバンクにもない『技術』です、現在マイスターに解析を進めて頂いています』
「……!」
束さんにも、わからない『技術』だって?
それは俺にとって、少なからず衝撃だった。自分の中では、こういった得体のしれない技術についてはあの人の右に出る人間なんていないと思っていたのに……
『それは兎に角……マスター、まさかこのふざけた文書の招待に応じようなどとは考えていませんよね?』
が、そんなショックを受けた俺の態度が気に食わないのか、若しくは自分にもわからないことで旗色が悪いと見たのか、白煉はすぐに話題を変える。
「当たり前だろ、こんな胡散臭いメール……」
おまけに送られてきたのが得体の知れない技術を持っている連中で、何を考えているかわからないとくれば尚更だ。なんのつもりでこんなモンを送ってきたのかは知らないが、精々待ちぼうけて貰おう――――
そう自分の中で結論を出し、さて今日一日部屋の中でどう過ごすかな、と考えを巡らせ始めた辺りで、部屋の扉を叩く音が聞こえた。
「誰だ……?」
千冬姉かと思い、扉を開けてみると、そこには今ここに来ている知り合いの代表候補生達が揃い踏みしていた。
「何だよお前等? 今部屋で待機って指示があったろ。見つかったら大目玉じゃ済まないぞ」
「ええ、それは、わかっているのですけれども……」
「なんか知らないけど、意味わかんないメールが来てたのよ。悪戯かもって思ったけど、専用機持ち全員に同じ内容のヤツがきてるみたいだし、ひょっとしたら今あたし達が足止め喰らってるのと何か関係あるかもしれないでしょ」
「ああ、私もそう思ってな。兎に角現在私達の監督である教官に相談しようと思って来たのだが……」
こいつ等にも、か。
しかし、すぐそこに思い至って行動できるとは流石だ。今日一日部屋でのんびり出来るかなんて考えていた俺とは大違いである。
「そっか。でも来て貰ったところ悪いけど、千冬姉は今いないぞ、夜のうちにどっか行ったみたいだ」
「そうですの……困りましたわね」
「つーかこのメール、『代表候補生』じゃなくて『専用機』持ちって書いてあるのが気になってたんだけど……一夏、まさか、アンタにもきてたりしないわよね?」
鋭い。こういう直感に関してはこいつ凄いんだよな、隠し事がし辛いんだ。
「ああ、俺にもきてる……兎に角ここだと見咎められる。上がれよ、部屋の中で千冬姉が帰ってくるのを待――――」
「……部屋の外には一歩も出るなと、言っておいた筈なのだがな」
「……!」
不意に怒りの篭った、低く轟く声が廊下に響き渡り、俺の背筋が思わず冷える。
部屋の前で困惑顔をしていた代表候補生達も、一律硬直して動けなくなる。
――――未だに反感を持っていてある程度耐性のある鈴すら問答無用で固める程の殺気。こいつは久しぶりに血を見るかと俺はすぐさま覚悟を決めるが、幸いそれはあまり長続きすることなく収まってくれた。やめてくれ心臓に悪い。ラウラなんて早くも泣きそうだぞ。
「……仕方がない、状況が変わった。どの道これから呼びに行こうと思っていたところだ、丁度いい。お前達、私の部屋に入れ」
また前触れもなくいきなり現れ、部屋の前で立ちすくむ鈴達にそんな声を掛けながら俺とすれ違いに部屋に戻っていく千冬姉は、どういう訳か。
――――今まで見たことが無いほど、酷く疲れた顔をしていた。
代表候補生二人(鈴は結局前に出なかった)は、千冬姉が部屋に戻り座り込むのを見計らうと、すぐにメールのことを打ち明けた。
それを聞いた千冬姉は珍しく酷く驚いた顔をすると、セシリアから受け取った携帯からメールの内容を確認して険しい顔をし、さらに今ここにいる全員に同じ内容のメールが届いていることを確認すると、
「――――!」
今にも奥歯が砕けてしまうのではないかと心配になるほど歯を食い縛り、先程に勝るとも劣らない凄まじい殺気を周囲に放った。
「ひっ……!」
鈴はギリギリ踏みとどまったが、セシリアは竦みあがってしまい、ラウラは怯えて俺の後ろに逃げ込んだ。
……ここまで剣呑な千冬姉は、俺が知ってる限りでもそう見た事はない。向けられている対象が俺なら、俺も間違いなく震え上がっただろう。
「……ふざけた奴らだ。最初からそのつもりだったということか……いいかお前達」
が、千冬姉はまた何とかそれを押し止め、それでも怒りを押し殺しているのがはっきりとわかる声で、俺達に告げた。
「今から私が言うことを誰にも言わないと約束出来る奴だけ、この場に残れ。出来ないのなら、このメールをこの場で消してここを立ち去ってくれ……私個人としては、後者をお前達に望む」
――――…………
静寂が部屋を支配する。全員戸惑っている様子だったが、誰も部屋を出て行こうとはしない。
各々自分達にこんなメールが送られてきた意図が気になっているようだ。俺も千冬姉の様子が心配で、千冬姉が望んでいると言っているにも拘らず、それをする気にはならなかった。
千冬姉はそんな俺達を一人づつ睨み付け、それでも意思が変わらないことを確認すると、最後に大きく溜息を吐き、
「失敗したよ……最初からお前達とは無関係だと言うべきだった」
そう呟きながら、薄いカードのようなデバイスを着ているスーツの胸ポケットから取り出した。IS学園の授業でも偶に使われる、空間投影ディスプレイのデバイスだ。
千冬姉がそれにスイッチを入れると、何枚かの報告書のような文章と、まるで鳥のような一対の銀の翼を背負った、見たことのないISの写真が空間に投影される。
「ハワイ沖で飛行演習を行っていたアメリカ、イスラエル軍共同開発のIS第三世代機、通称『
――――!
一気に空気が緊張する。それもしょうがない、ISの暴走なんて聞いたことがない話だ。おまけにその暴走したISが、よりにもよってこの日本に向かっているというのだ。
「しかし……そのような情報が、何故教官のところに行くのです? 確かに不備のこととはいえ、軍の情報が出回るには早すぎる気がします」
ラウラが手を上げて千冬姉に質問する。それに対する千冬姉の回答は、さらに俺達の度肝を抜いた。
「その『銀の福音』の到達予想地点が、現時点ではこの、今私達がいるIS演習場だからさ」
周りの全員が息を呑むのがわかる。が、千冬姉の話はまだ終わってはいなかった。
「だが、それだけではまだ、情報がこちらに開示される要素としては弱い……偶然とも言い訳が利くからな。だが……そうもいかなくなった。現時点でも『銀の福音』暴走の原因はわかっていないが、それを行ったらしき人間からの犯行声明があった。米軍でもマスコミでもない……こともあろうか、『IS学園』。それも、この旅館の通信機材に、だ」
そう言って、千冬姉はまた置かれたデバイスを操作する。すると、空間に新しいウィンドウが一つ表示され、
「こいつは……!」
そのウィンドウに書かれている文書の最後に、見覚えのあるイラストを見つける。俺や鈴達に届いたメールの最終行に付け足すように書かれていた、値段の書かれていないタグのついた、赤いシルクハットのイラストだ。
「勿論自衛隊に連絡は入れたが、基地からここまでは距離がある、福音が到着するまでに間に合わん。私達教師陣で対応しようにも、用意できる訓練機は機動力で奴に大きく劣る。『これ』の通りに奴らが行動するなら万一防衛線を突破された場合大惨事になりかねん……連中の指名に従うのは非常に業腹だが、他に手がない。救援がくるまで、お前達に対応を頼みたい」
苦虫を噛み潰すような声の千冬姉の話を聞きながら追ってその声明の内容の方を見ると、俺達に来ているものとは違った。そしてそれは、読めば読むほど、こちらを青ざめさせるような内容だった。
「今から『銀の福音』が該当地点に到着しパーティが終わるまでの間、招待した人間以外の者からの妨害を受けるか、若しくは到着地点に一時間以内に誰も現れなかった場合……日本の市街地を『福音』で無差別に攻撃するだと……!」
極めつけはこれだ。何が『来訪を心からお待ちする』、だ。あの招待状の送り主は、最初から俺達が行く以外の選択肢を用意なんてしていなかったのだ。
「ふざけやがって……!」
漸く、先程までの千冬姉の怒りの意味を理解する。本当に胸糞の悪い話だ。
「ええ、全く同じ思いです。それに、無関係でないと言われた意味もわかりました……わたくしは乗ります。このような、無辜の人々を盾にしたやり方はなにより嫌いですの。二度とこのような真似が出来ぬよう、思い知らせて差し上げますわ!」
そう言って一番最初に気炎をあげながら立ち上がったのはセシリアだ。
「……この情報を見た限り、相手は軍用ISだ。私達の専用機とは規格もスペックも違う。そんな敵と、この一刻を意争う状況で戦わなければならないとなると……競技用リミッターの解除は間に合わない、パッケージはあるにしても戦力的に心もとない。教官、他の情報はないのですか? 敵の兵装、出来れば構造上の弱点のことまで分かれば良いのですが……」
ラウラも本格的に軍人の顔になって話に加わる。セシリアに比べると慎重そうだが、戦うこと自体に関しては積極的らしい。代表候補候補生は、ラウラのような例を除いても、程度の違いこそあれ基本軍人と同じようなカリキュラムの演習を受けていると聞く。それはどうやら事実のようで、振って湧いた実戦にも拘らず二人の目に迷いはない。
鈴は二人が千冬姉が持ってきたデバイスを弄りながら相談する中、一人ずっと黙ってその様子を見ていたが、
「織斑先生……この作戦、一夏も参加しなくてはいけませんか?」
いきなり、あらゆる感情を殺した声で、そんなことを、言った。
「鈴、お前なに言って……」
「一夏はまだ、ISを操縦するようになって日が浅いです。競技ISの演習ならまだしも……こんな殆ど実戦に近い場所に連れて行くのは、あたしは反対です」
「鈴!」
鈴は俺の抗議を全く耳に入れず、ただ千冬姉だけを強い視線で捉えながら、俺が足手まといだと告げる。
が、この鈴の言葉には、千冬姉より先程まで話し合っていた二人が反応した。
「一夏さんにはもうわたくし達とも互角に渡り合えるだけの実力があるではないですか! 足を
引っ張ったりはしませんわ!」
「それに敵ISのSE上限値を考慮すると、今回の演習のために支給されている追加パッケージがあることを考慮しても尚火力的に厳しい。その点ISであれば相手を問わず一撃で戦闘不能にする『白式』の『零落白夜』があれば戦略に大きく幅が出る。弟には出来たら参加して欲しい」
「……足手まといよ、セシリア。最近はアンタに一夏はろくすっぽ勝ててないじゃない。データは見たの? 『福音』はアンタと同じ、オールレンジ攻撃が出来る遠距離戦志向の機体よ。それにラウラ、『零落白夜』並みの火力なら、あたしの『甲龍』の追加パッケージにあるわ。あたしが決めれば問題ないでしょ」
「一対一の試合の話をしないでくださる? 今回はチーム戦ですわ! 遠距離攻撃に対応出来ない点は、わたくし達がフォローすれば宜しいでしょう?」
「……『剣龍殻』か? 簡易データは見た、確かにあれであれば瞬間的には『灰色の鱗殻』をも上回る火力を発揮出来るだろうが……『零落白夜』に代えられるものとは思えんし、今回の作戦には向かん。使うな。長期戦も考慮に入れなければならん可能性のある作戦であれを使うのは愚策だ」
……ヤバいな、まだ千冬姉のデバイスの情報全部読み込めてなくて話に割り込めない。
でも急がないと。後で共闘する以上、この場は冷静に、穏便に話し合わないといけないのに、流石に一度に二人に反撃されては沸点の低い鈴では――――
「じゃあ、何?! アンタ達二人は、死ぬかもしれない場所に一夏を送り出して平気なの?!」
遅かった。鈴がとうとう癇癪を起こす……って、何? 俺が、何だと?
「そ、それは……」
「そんなことにはならん! 弟は私がこの身に代えても守る!」
鈴の言葉にセシリアはたじろいだが、ラウラが逆に食って掛かった。俺は、割り込まないといけないのに、
「そんな口先だけで守るだなんて言わないでよ! 『零落白夜』が欲しいからってさっきまで言ってたじゃない! 強い『武器』が欲しいだけなんでしょ?! 人を戦場に連れて行く言い訳にそんな偽善めいた言葉を使わないで、反吐が出る」
「ッ!!」
鈴の言葉で思い切り動揺してしまい、前に出る機会を失った。
「……なら貴様はこの作戦が失敗してもいいというのか? もし弟を連れて行かずに私達が失敗し、『福音』が罪のない人間を殺して回るような事態になれば、弟が死ぬよりも辛い後悔に苛まれることになるとは思わないのか?」
「その過程は無意味だわ、私は『失敗しない』……なんだ、そんなこと考えてるなんて、軍人の癖に負け犬根性丸出しなのね。一夏を連れて行きたいのも、ホントは自分が死にたくないからってだけじゃないの?」
「貴様……言わせておけばっ!!」
鈴の挑発めいた言葉に、今度はラウラまでも冷静さを失い始める。
……くそっ、こんな不毛な言い争いしてる場合じゃないんだ、止めないと。
そう思って今度こそ前に出ようとしたところで、
「そこまでだッ!!」
千冬姉の強烈な一喝が、問答無用で二人を黙らせる。やはりこの人は凄い。
そして千冬姉は先程まで言い争っていた二人には目もくれず、まっすぐ俺に向かってきて、平坦な口調で
「……自分で決めろ、織斑。今は一分一秒も惜しい。こんなことで時間を使いたくはない」
そう言った。
……俺だけ選択権があるって、甘くないか? まぁ、答えは既に決まっているけれども。
「……やるよ、『やらせてくれ』。ここまで知っちまって、俺だけ知らん顔で降りるなんて出来るわけない」
鈴を納得させるため、『やらせてくれ』に特に力を込めて言う。
意思が伝わったのか、鈴は一回強く唇を噛んで俺を睨み付けたが、やがて諦めた様に目を伏せた。
……ゴメン、心配してくれたのに。だけど俺も、お前等だけ行かせるなんてしたくないんだ。
「……わかった。では、十分後に東に向けて出て貰う。敵は現段階で通常時でも亜音速での飛行が可能な機体だ、ことに当たるのは音速飛行時における戦闘経験のある者が――――」
「ちょっと待った! ちーちゃん」
「!」
突然だった。
最初に見えたのは、見覚えのある黒いノイズだった。
それが千冬姉の空間投影デバイスが投影したウィンドウから噴出す煙のように広がった後収束し、人の形を作ったと認識できた頃には、既にその人はそこに立っていた。
「束さん……?」
「おはよう、いっくん。また会えたね……今日も、なんか余計なのが『いくつか』いるみたいだけど」
束さんはそうまず俺に挨拶すると、胡乱そうな目で代表候補生三人を見回し、まぁいっかと呟いて笑顔に戻る。
が、三人の方はそれでは納得しない。特に初対面でいきなり千冬姉の背後に現れた不審者に対してラウラが反応した。
「貴様何者だッ!」
目に強く警戒の色を浮かべ、ラウラは束さんに向
――――!かっていく。が、その瞬間。
「ラウラ止せ!」
「!」
無性に嫌な予感がして、ラウラを引き止めた。が、既に遅い。
ラウラの足音に黒いノイズが水溜りのように広がったかと思うと、
突如その中から無数の真っ黒な『人の腕』が伸び、ラウラに襲い掛かった。
「なっ……」
そのあまりに異様で不気味な光景に、流石のラウラも一瞬戸惑い反応が遅れる。不味い……!
――――!
が、その刃物のように伸びた無数の腕が、ラウラの体を貫くことはなかった。
いつの間にか千冬姉が自分のバッグの中から引き抜いた刀が、それを余すことなく斬り飛ばしたからだ。余りに鮮やかな一閃は斬った音すら残さず、両断された腕は直ぐにノイズに包まれて消えていく。
「わお。お父さんのコレクションの中でもとっておき、妖刀村正『
「……こいつは私の教え子だ。勝手に手を出さないで貰おうか」
「それはそっちの心構え一つでしょ……唯でさえちーちゃん達以外の連中なんて関心ないんだから。『叩かれる理由』をそっちから増やしてさえくれなければ何もしないよ、こっちだって面倒臭いし」
「……お前達三人は下がってろ。見ての通りだ、こいつは危険だ」
そう言って、代表候補生三人を下がらせる千冬姉……当にその通りではあるのだが、明らかに何かヤバそうな黒いオーラのようなものが出ている刀を片手に持った教師が言っても説得力がない。実際三人は今はあの得体のしれない『腕』を引っ込めた束さんより千冬姉に怯えているように見える。
「それで、束? 何の用だ、見ての通り私は今とても忙しいのだが」
「その仕事のことだよちーちゃん。本気? 本気でいっくんにこんなことをやらせるつもり?」
「……お前には関係ない」
「大有りだよ、いっくんは私の弟でもあるんだし。それに親友が間違ったことをしそうなら正してあげるのが優しさってモンでしょ?」
「何だと……」
束さんは、眉間に皺を寄せ睨む千冬姉に背を向けると、千冬姉から俺を遮るように移動する。
……刀を持った千冬姉のあんな顔を見てちっともビビらないのは、俺が知ってる限りではこの人だけだ。まぁ、だからこそ千冬姉の親友なんてやれたのかもしれないけれど。
「……ちーちゃんはさ、『一年前』と全く同じ間違いをしようとしてるよ。ちーちゃんは後悔しなかった? ……私はしたよ、すっごく。だから、今まで積み重ねてきたものを、全部『捨てる』覚悟までした……っていうかさ、この『在り方』って、最初はちーちゃんが言ってたことでしょ。私と違って、ちーちゃんは『戻る』だけでいいのに……どうしてちーちゃんはそんな簡単なことが出来ないのかな」
「決まっているだろう……! それが『間違っている』からだ!」
「えー……私はそうは思わないけどなぁ。大事な人が守れればいいじゃん。手の届く範囲の世界が、幸せならそれでいいじゃん。そのために周りがいくら不幸になったって、その事実を私達が『知らなければ』全部済む話だよ」
「束……!」
「ねぇ……いっくんも、そう思わない?」
背後で怒る千冬姉など意に介さず、束さんが俺の前に立って顔を覗き込んでくる。
いつの間にか、俺より小さくなってしまって。
俺のせいで、変わってしまった人が。
「いっくんが頑張る必要なんてないんだよ? 『全部自分のせいだ』なんて、背負いこむ必要もない。悪いのはいっくんを利用して得をしようとした馬鹿な連中と……いっくんや、箒ちゃん一人守れなかった癖に、八方美人でいようとした、駄目なお姉ちゃんなんだから」
「ち、違う!」
もう俺に、この人を否定する権利はない。かといって、自分の罪をこの人に押し付けることだけは納得できない。
俺は回らない頭で、必死に否定の言葉を吐く。
「なんで束さんのせいになるんだよ……束さんは何もしてないじゃないか。いや……それどころか、一度あそこで死に掛けた俺が助かったのは、束さんのお陰なんだろ? 普通だったら助からなかったって、医者が言ってた。束さんは俺の命の恩人なんだ、守ってくれてるじゃないか」
「……ううん。私が救えたのは『命』だけ。お父さんが言った通り、一度失えば誰にも絶対に取り戻せないもの。だからそれだけは絶対助けるんだって躍起になって……他の全部を蔑ろにして、いっくんを一人にした」
「それは……!」
「仕方ない、って? そうかもね、私はいっくんの近くにいたら却って危険に巻き込む可能性があったし、ちーちゃんにしたって事情があった。だけど、それはいっくんだって同じ筈……『仕方なかった』んだよ、いっくん。いっくんが何処の誰を守れなかったのかは知らない。けどさ、命は確かに取り返せないものではあるけれど、同時にいつか必ず消えてなくなるものでもあるの……その誰かの『いつか』が、いっくんよりほんの少しだけ早かっただけ。もう、『そういうこと』にして自分を許しちゃってもいいんじゃないかな?」
「……!!」
思わず激昂しかける自分自身を必死に抑える。
『仕方がない』? ……ふざけんな、そんな言葉で割り切れるくらいなら俺は、俺は……!
「束……それ以上は、『許さない』」
「……ちーちゃんが言うなら。ま、こんなことで何とかなるんなら初めからやってるしね」
最早最後通牒とでも言うような、千冬姉の凄みの利いた声に、束さんもとうとう降参のジェスチャーをしながら俺から離れる。が、
「だけど、最初の意見は変えないよ……いっくんを行かせるのは『反対』。他に行ってくれる人がいるんでしょ? 任せちゃえばいいじゃん」
「……いや。お前がここに来た時点でもうこいつらに任せる必要もなくなった。『暮桜』を返せ束、私が出れば済む話だ」
「出来ない相談だね。確かにちーちゃんとあの子ならあんなポンコツ楽勝だろうけど……今度また勝手なことして、『前』と同じ処遇で済むかな? あの時とは状況違うし、今度こそ確実にいっくんを取り上げられるよ?」
「ッ……!」
「……だからさっさと自由になっちゃえって言ってるのにさ、ちーちゃん。別に今からでも遅くないよ、私と一緒に行こう? いっくんも一緒にさ。そうしたら直ぐにでも返してあげるよ、ちーちゃんの『専用機』をね」
「……その話には乗らないと何度も言っている!」
「なんでさ? ……ちーちゃんのことだから、ちーちゃん自身はともかくいっくんを私みたいな立場にしたくないから? 普通の暮らしをさせてあげたいからかな?」
「いい加減にしろよ貴様……!」
ヤバい、千冬姉が本当に『キレてる』。今にも束さんに手にした『人喰』で斬りかからんばかりの剣幕だ。
……なにより、これ以上この二人が言い争っているところなんてもう見たくない。そうじゃなくても元々二度と見たくないと思っていた光景なんだ、早く止めないと――――
「そこにいるのは誰だッ!」
「……!」
突然千冬姉が部屋のドアに向き直り怒声を張り上げ、束さんは先程の『腕』を足元から出現させ、鞭の様にしなるそれで瞬時にドアを三枚に下ろす……全力で喧嘩しているにも拘らず、こういう時にはとっさに協力できるのは付き合いの長さが為せる技だろうか。
そして、束さんが壊したドアの向こうに見えたのは。
「……………………」
目の前のドアが壊れたことなんて、全く意に介していない程呆然と立ち竦む、箒の姿だった。
「……!」
先程ここに急に現れてから、千冬姉の殺気を中てられても柔和な笑顔を崩さなかった束さんの表情が、ここにきて初めて凍る。
「ほ、箒ちゃん、聞いてたの……? 何処から……」
「……姉さんから貰った、これを眺めていたら……姉さんが近くにいるって、教えてくれたような気がして。それで、姉さんの気配を辿ってみたら、この部屋から姉さんの、声がして……」
目の前のドアの残骸を踏み越え、箒はフラフラと夢遊病患者のように、こいつらしくもない足取りで束さんに向かっていく。
「……どういうことだ姉さん? 『積み重ねてきたものを、全部捨てる覚悟をした』? ……それは、どういう意味だ?」
箒は釈明を求めたが、表情を見ればそんなことをそもそも要求していなことが俺にはすぐわかった。
今箒が欲しいのは釈明じゃない。『否定』だ。
「…………」
だが束さんは、そんな箒の耳に届く言葉にも、本当に投げかけたい言葉にも答えず。
ただ何処か、悲しそうに目を伏せると、箒から逃げるように視線を逸らす。
「姉さん……!」
「……これが最後だよ、いっくん、ちーちゃん。『正しい選択をして』……例えそれが原因で、世界中から二人が後ろ指を指されることになったとしても……私だけは、二人を肯定してあげるから」
「ッ! 待て束! 話はまだ……!」
「答えてくれ! 姉さ――――」
そして、そのまま俺達に背を向ける。千冬姉と箒は、どの様子から束さんが立ち去ろうとしているのを感じ取ってか大声で呼び掛け、阻止しようと駆け寄るが、
――――……
ブツン、と、千冬姉の持ってきた空間投影ディスプレイが表示していたウィンドウが、まるでテレビが断線したかのような音と共に真っ黒になり、それに俺たちが一瞬気を取られた間に、既に束さんは現れた時同様突然に、忽然と姿を消していた。
「……クソッ!!」
「姉、さん……」
それを確認して、千冬姉は心底苛立たしげに『人喰』を鞘に戻すと壁を殴りつけ、箒はショックのあまり足の力が抜け、その場にへたり込む。
――――これから、もしかしたら命を懸けた戦いをしなくてはならなくなるかもしれないという時に。
そうじゃなくても微妙だった俺達の足並みは、突然現れた俺のもう一人の姉によってさらに掻き乱される結果となり。
だが、それでも絶対に立ち止まるわけにはいかず。俺達は皆心を何処かに置き忘れてきたような表情のまま、ただ来たるべき作戦の準備を始めることになった。
もうなんとなく察した方もいるかもしれませんが、本作における束さんは『先天的無関心』というより『後天的人間不信』です。経緯については福音戦後にでもちょっぴり描写するつもりです。まぁこうした背景にはここで反対する束さんっていうのをやりたかったのもあるのですが。
次回から戦闘回になります。十話以内にはなんとか収まりそうですので、どうかダレずに今後もお付き合い頂けると幸いです。