「ひ、酷い目に遭った……」
千冬姉に連れて行かれた海底散歩は、わかりきっていたことだが景観を楽しむ余裕などなく、『呼吸が出来ないと苦しい』という事実をただ嫌というほど思い知るだけの、何も得るもののない不毛な行軍となった。十分間隔で水面を行き来していた俺と違い、ボンベなしで三時間もの間水面に上がってこなかった我が姉が、本当に人間かどうかを改めて疑いもした。
「せ、生還できただけでも大したものですわ」
「まぁ千冬姉のしごきにしちゃ温いほうだったからな今日のも。それとセシリア、無理せず座席の方行くか、さっさと足崩しちまうかしろ。見てるほうが痛い」
「ななな、なんの事だかわかりませんわ! なんのこれしき、わたくしにはなんともなくってよ!」
声が引き攣っている以上その強がりはなんの意味も持たないぞ。一体なにがこいつをここまで駆り立てるのか。
今日一日の自由時間も終わり、今は夕飯時。
夕食を摂る場所は多国籍なIS学園らしく、座敷と座席を選べる方式だったのだが、どういう訳か今までの人生で碌に正座なんてしてこなかった筈のセシリアとラウラが座敷に行った俺についてきて、俺の隣の席を占拠したのだ。ちなみに鈴は二組で別のグループ、箒には声をかけたのだが、食欲がないとかで断られた。
箒は海にも来てなかったので正直少し心配になったのだが、話を聞いてみるとなにやら服が脱げなくてとよくわからないことを言い、姿を見せず俺が部屋に入るのを頑なに拒んだ。
……俺なんかしたかなぁ?
「あ、あの二人はともかく、付き合いの短いラウラさんに遅れを取る訳には……」
「ラウラがどうしたって?」
「? 私に何か用か? ……ほら弟、私の刺身をやるぞ。お前が美味いといっていた『本わさ』もたっぷりつけてやった。口を開けるのだ」
「うおっ、赤身が薄緑色に……ラウラ、流石にここまでくるといくら美味くても罰ゲームの領域だ」
「そうなのか?」
「くっ、言った矢先に……! おまけに彼女は既に足を崩しても定着したイメージを損なわない立ち位置を確保出来ているのが憎くてたまりません……!」
「せ、セシリア顔、顔。だから無理するなって、正座なんて別に出来なくてもこういう場所なら恥ずかしくないんだぞ?」
「そうだぞ。弟は私に任せ、お前は座席の方に行くがいい」
「ま、負けるもんですかっーーーー!!」
まぁそういう訳で、この面子で飯を食うことになったのだが。どちらも性質は違うとはいえ、基本的に大人しいタイプなので静かに食事が出来ると思ったのだが、ラウラが必要以上にこっちに構ってくるのと、セシリアがどういう訳かラウラに対抗意識のようなものを燃やしているようで、想像以上に騒がしいことになった。
「そろーりそろり」
そしてまた何か状況をややこしくしそうな娘が一人、背後からにじり寄ってきた。
どういう現象が起きているのか、何を着ても何故か腕の部分がダボダボになる一組の癒し担当、布仏本音さんことのほほんさんである……ん、逆? まぁどっちでもいいだろ、俺もなんか『おりむー』とか変な名前で呼ばれてんだし。
本人はアレでばれていないつもりなのかもしれないが、口から擬音を出しながら近寄ってきている時点でアウトだ。
……いや、ラウラのダンボール偽装に気がつかなかった時点で俺も人にダメだし出来る立場じゃないんだが。でもあれホントにわからなかったんだよ、どういう訳か。
しかしどうするかな。雰囲気で良からぬことを企んでいそうなのはなんとなくわかるが、気配は辿っているしいざとなったら止めればいいか……と思ったのだが。
のほほんさんの視線が程なくして俺から外れる。俺のミスは最初から、のほほんさんの狙いが俺ではなかったことに気がつくのが遅れたことだ。
のほほんさんのターゲットは……俺の右隣で飯を食っているのか脚の痺れと戦っているのか最早わからない状態のセシリアだったのである……!
「だっ……ダメだやめろッ! そんなことしちゃあいけないッ!!」
とっさに叫ぶが既に時遅し。
「えいっ♪」
のほほんさんは、今セシリアの部位で最も触ってはいけないところ、即ち足の裏を、平気で攻撃した。悪魔か。
「うきゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
直後。セシリアの凄まじい絶叫が座敷に轟き、
「飯も静かに食えんのか、この馬鹿たれどもがァーーーーーー!!」
それでとうとう怒りが有頂天になった千冬姉に、俺達は飯の途中にも拘らず廊下に叩き出された。
……いや、俺は悪くなくね?
空気が綺麗だ。
最初にここについてバスから降りた時、感じたのがまずそれだった。
……だったらきっと、夜はよく『見える』んだろうな。そう思ったのは、どうやら正解だったらしい。
「……ふう」
我ながら行儀が悪いとは思うが、もうこれは性分だ、仕方がない。
俺はなんだかんだで飯を確保した後、皆と別れると一度部屋に戻って浴衣から自分のジャージに着替え、窓から旅館を抜け出して、近くの出来るだけ空の開けた、草場にゴロリと横になった。
「……星空は嫌いなんじゃなかったのか?」
……おおう、いきなり見つかった。まぁ部屋が同じだし、そうじゃなくてもこの人には気配でバレちまうわな。
「嫌いだよ、大嫌いだ」
「……やれやれ、どこで私の弟はこんな天邪鬼になったのやら。だったらなんでこんなことをしているんだ?」
「……なんでだろうな?」
「私に聞くな、馬鹿者」
そんな軽口をお互いに交わすと、千冬姉も俺に習い、草場に寝転がった。
「……服汚れるぞ?」
「お前もな」
「俺は自分で持ってきたやつだからいいんだ」
「良く見ろ、私も着替えてきている」
「……どの道洗うのは俺なんですけど」
「なにも問題はないな」
このクソ姉……!
「……虫に喰われるぞ?」
「お前もな」
「……俺は喰われにくい体質なんだ」
「私と同じ血が流れていることを忘れているな。私もだ」
「…………」
「……そう邪険にするな、私だって転がって星を見たくなる日だってある」
「一人になりたいんだ」
「却下だ」
理不尽極まりない。これが巷では世界最強だのブリュンヒルデだの言われている我が姉である。
「……わかったよ」
「それでいい」
まぁ結局最後は許してしまう俺自身にも問題がないかと言えば嘘になるが。
「そもそもだな、私がこんなところに逃げてきたのは元はといえばお前のせいだ。私が横で転がるくらい許すくらいの責任はとれ」
「はぁ? なんだそれ?」
「お前の友人の小娘共だよ……全く、あの年頃なら仕方ないところもあるとはいえ、まだ遊び足りないようでな。お前目当てのがいくらか部屋の前でウロチョロしているんだ。部屋で寛ごうにも、あれでは気が散って適わん」
「ああ……」
怖いもの知らずもいたもんだな、千冬姉がいることわかってて突貫するとは。いくら男が物珍しいたって、遊ぶ相手なんていくらでもいるだろうに。でも、それなら。
「千冬姉が相手してやりゃあいいじゃんか、暇を持て余してるならさ」
「面倒だ」
身も蓋もない。ダメだこの教師。
「だが……そんな友人が、ここで出来るとはな。まぁ前からの知り合いがいくらかいるとはいえ、お前も環境に大分順応してきたじゃないか。どうなんだ、今の知り合いで気に入った奴とかはいないのか?」
「質問の意図が図りかねる」
「大したことじゃないさ、コレを作る気はないのかということだ」
そう言って俺に見えるように腕を上げ小指を立ててみせる千冬姉。オイ。
「教師が不純異性交遊勧めてんじゃねぇ」
「だが興味がないというのも男としては不健全だろう。実際のところどうなんだ?」
言われて、自分の中で気になる異性というものを思い浮かべる。
……顔は、直ぐに浮かんでくる。けれど、それだけだ。いない。もう、そいつは何処にもいない。
「…………」
結局質問には答えず、俺はそのまま黙り込んで空を見つめるのに集中する。
だが千冬姉はそんな俺の態度に、答えを見出したらしい。
「……死んだ人間は戻らないぞ。どんなに愛していても、こんな景色から思い出を拾おうとしても……絶対に戻りはしない」
「……わかってる」
人に限らず、死んだ命はもう取り返しがつかない。だからこそ喪失は悲しみを生み、奪えば業を負う。救えなければ……拭えない後悔を残す。生きることはそういったことと向き合うことだと、俺は昔剣を教わった人から教えられた。それは千冬姉も同じ、だからこそのこの千冬姉の言葉なんだろう。
確かにそんな教えを受けていながら、死んだ人間のことを引き摺り続ける俺は、門下生失格なのかもしれない。
だけど、そうだとしても……
「それでも……好きだったんだ」
「…………」
千冬姉の返事はない。
……失望されただろうか? けれど、それが素直な気持ちだった。
何もかも失った気になって打ちのめされて、誰も自分なんて必要としてくれないと思い込んで泣いていた自分に、手を差し伸べてくれて。
千冬姉の他に、初めて守りたいと思って、約束を押し付けて……恐らく自分の身代わりになって死んだ、名前しか知らない女の子。
箒や、鈴。このIS学園にやってきてから仲良くなったセシリアや、シャルル、ラウラだって確かに好きだ。それぞれ色んな問題を抱えてはいるけれど、それでも皆、今見上げている空に浮かんでいる星々みたいに、自分自身で輝いて自分の存在を示せる奴等だ……俺には少し眩しいけれど、それでも一緒にここで学ぶことが出来て、出会うことができて良かったと心から思う。
けれど……こうして頭を空っぽにして、空を見上げている時。自然と思い出すのは、彼女達じゃない。
笑顔が見たい。
声が聞きたい。
また……あの暖かい手を握りたい。
思い出の中の姿を思い出して、そんな気持ちになるのは、あいつしか、いない。
これが、世間一般でいう『恋』ってものなのかは、碌に経験のない俺にはわからないけれど。仮にそれがそうなのだとしても、確かめる手段はもうない……全てはもう、一年前に終わってしまった。
「はは……なんでだろうな、俺はあいつに裏切られたのに。あいつは俺のことなんて、なんとも思っちゃいなかったってのに。仮にあいつが今生きてたところで、相手になんかされるわけないのに……こんなん、卑怯だ。一人でさっさともう手の届かないところに行っちまったってのに、あいつはまだ俺の『心』を返してくれない」
満天の星。一生あっても数え切れないくらい、馬鹿馬鹿しい数のそれの中に、きっとあいつはいる。
そう信じて、あのシャルルと話した晩、そうしたように呼びかける。
「なぁ……レイシィ、何処にいるんだよ? ここからじゃわからないんだ。もう一度呼んでくれよ。一人じゃ立てなくなった腑抜けの俺に、手を貸してくれよ……忘れられる筈、ないじゃんか。俺……どうすれば、またお前に会えるかな……」
別に、悲しいわけじゃない。
特に寂しいわけでもない。ただ、会いたいだけ。それだけの、筈なのに。
昔俺に泣くなと言った、何ものにも変えられない大事な人の前で。気がつけば俺は涙を流していた。
~~~~~~side「???」
『新しい翼の調子はどうだ、ナタル?』
「絶好調よ、イーリ。このままどこまでも飛んでいけそう」
「~~~~~~~~♪」
『……今のはなんだ?』
「この子も気に入ったって」
『……ったく。一応軍用機ってことになってるんだ、なんとかならないのか、それ。元はといえばそいつの『それ』のせいで翼部装甲のデザインが見直されたのを忘れるなよ。鼻歌で敵に見つかるなんて笑い話にもならないぞ』
「ごめんね、半分は私の責任……この子があんまりにも、楽しそうにするものだから」
『へいへい、妬けますねー』
アメリカとイスラエルの共同開発、最新第三世代型ISフレーム、『銀の福音』のテスト飛行。
『銀の福音』のISコアは米国が保有している中でも屈指の出力を持つ強力なものだが、当初から強い『自我』があることがわかっており、フッティングの段階で多くのIS操縦者を受け入れようとせず、開発が難航していた。
このような曰くつきの機体のテストパイロットの仕事が来た時は、正直不安だったのだけれども。幸いなことに私とこの新しい相棒の相性はバッチリ、私達は直ぐにお互いを気に入った。
……まぁ、だからこそわかったことも多い。この子はそもそも戦いには向いてない性格なのだ。それをただ、『出力が強い』なんて理由で『兵器』として運用するということが、私には不満だった。しかし……所詮テストパイロットに過ぎない私がどうこう出来る問題でもない。
私の仕事は、強い力を持つこの子を『正しく』しっかり教育すること。そう意識して気合を入れ直す。
「~~~~~~~~♪」
「……もう。本当に、その歌がお気に入りなのね。またイーリに怒られるわよ?」
「――――…………」
「ありがとう。いい子ね」
「~~~~♪」
「やっぱりダメか」
『真面目にやれ』
「ほら、怒られちゃった」
『福音』は、新しい翼に変えて貰ったばかりでゴキゲンだ。私も仕事中にも拘らずつい嬉しくなって、この子のハミングに合わせて歌い始めてしまう。
「Amazing grace――――」
「~~~~~~~~♪」
『……シンクロ率13%、機動性が6%、それぞれ向上……これで『上がる』ってのが納得出来ねェよ。もう嫌いだお前等』
「あはは、だからゴメンって。だけど、最高速度の計測演習なら速いに越したことはないんでしょう?」
『ああ。もうあたしも開き直ったよ。もうこの際喉が枯れるまで叫ぶでもなんでもしやがれ。その動きを維持したまま音速の壁さえブチ破ってくれさえすりゃあそれでいいや。それ以外は要求されてない」
「余裕♪ ……さあ、『福音』。五秒であの水平線を越えるわよ」
「~~~~~~~~♪」
『……好きなだけ遊んでいいとは言ってないからな?』
『銀の鐘』……スラスターと砲塔、二つの機能を備える『福音』の第三世代兵装の出力スロットルを引き絞る。
この空の下で、私達より自由に飛べるものなんてあり得ない。そんなことを思いつつ、私と福音は上機嫌で空の向こうを目指そうとした。その時。
私達は、突然飛来した鮮血の様に紅い光に、為す術なく胸を貫かれた。
『狙撃?! 馬鹿な! 最低でも半径二千kmをカバーする『銀の福音』のレーダーにはなんの反応もなかった……す、水平線の向こうから亜音速で飛行する福音を狙い撃ったってのか?! おい、応答しろ! ナタル!』
慌てた様子のイーリの声が、随分遠くに聞こえる。
ISには、強固なシールドも、SEの消費を引き換えに搭乗者を守る絶対防御の機能もある。レーザーの一発や二発、受けたところで戦闘不能になるなんて、あり得ない筈、なのに。
私と、福音は。たった一発のレーザーで胸を撃たれただけで動けなくなり、海に向けて落下を始めた。
――――なんなの、これ……?
痛みはおろか、衝撃すら私には伝わらなかった。この子は、完璧に私を守ってくれた。
なのに、まるで体が自分のものではなくなったかのように動いてくれない。
『――――接続成功です。『こんなこと』をキーにして、ワタクシをISに潜り込ませる『ワーミィ』の手管も中々のものですが……なによりも恐れるべきは、この狙撃を一発で成功させて見せた『御方』の姉君でしょう。全く、本当に恐れ入りました』
それでも必死に四肢をなんとか動かそうとする私の耳に突然、気取った話し方をする、男の声が届く。
「あ、あなた、は……」
『おや、御麗しいご婦人相手に挨拶もなしとはとんだご無礼を……申し遅れました、ワタクシは『
「な、なにか知らないけど……そんなの、許すわけ……」
『まだ『意識』がありますか。随分と、この天使に似て意思の強いご婦人だ。許されるのなら、もう少し貴女とはお話をしてみたいものですが……『ゲーム』における公平性を規すために障害は、須らく除かねばならないのでね。申し訳ないですが、しばしの間『退場』して頂きましょう……良い眠りを』
「――――ッ!」
突如私の視界が、布か何かを被せられたようにブラックアウトする。既に遠のき始めていた私の意識は、それを契機に本格的に落ちていく。
「~~~~~~~~!!」
聞いたこともない、福音の声が聞こえる。
私達は、今この世界の誰よりも、近くにいる筈なのに。
福音は明らかに、私を見失って泣いていた。
「ここ、だよ……ここに、いるよ……」
必死に呼びかけながら、私は福音を止めようとした。けれど。
『さて……『マッドティーパーティ』の準備会の始まりです。たかが準備と侮るべからず、パーティはそのものよりも、準備の方が楽しいものです……さぁ楽しみましょう、皆様』
そんな私の努力も空しく。
福音は私の意志に反して、西に向けて飛び始めた。
「~~~~~~~~!!」
聞いているこちらが胸が苦しくなるような、悲痛な叫びを空に響かせながら。
いよいよ福音戦開始です。今のところ総力戦らしく主人公は勿論、ヒロイン全員に見せ場を作る……作りたいと思っています。その分福音も相対的に強化されてしまいそうですけれども。