~~~~~~side「箒」
「海、か」
一夏達が海に遊びに出かけて、大体一時間くらい経ったのだが。
私は、未だに海に出かけることが出来ずにいた。本当であれば、今日一日はずっとここで過ごしたかったのだが……
「篠ノ之さん? 皆と一緒に行かないんですか?」
部屋を覗き込んできた、山田先生に見つかってしまった。こうなってしまっては出て行くしかない。
……まさか、私に合う水着が今日まで見つからず終いになるとは流石に想定外だ。クラスの者には良く羨ましがられるが、なにがいいというのだ、この脂肪の塊の。無駄に大きいせいで剣を振る際に邪魔になるわ、肩は凝るわ、合う下着や服の選択肢が狭まるわで、これのお陰で得をしたこと等、少なくとも今までの人生では一度もない。
「この際だ。少し絞るか……砂浜での鍛錬は、足腰が鍛えられるというしな」
そう思案し、荷物の中から竹刀を取り出し立ち上がる。
……今でこそ、大分一組には馴染めたとは思うが、それでも大勢が集まる喧しい場所というのは元来、私は苦手としている。海についたら人気のない場所を探して……
「箒ちゃ~~~~~~ん!」
「!」
突然、私以外誰もいなかった部屋の筈なのに、背後で人の気配を感じ取る。
直ぐ背後を取られた私は、殆ど反射的に、手にした竹刀を気配がする方向に叩き込んだ。
「その……済まない。いきなり背後に立たれると、ついやってしまうんだ」
「だ、大丈夫。私は大事な妹から貰ったものなら、例えそれが痛みでも快感に変えられるお姉ちゃんなの」
「姉さん……」
五年ぶりにもなるかという私達姉妹の再会は、いきなり私が姉さんの頭に大きな瘤を作ってしまうという実にとんでもない形での幕開けとなった。
「……やっと、会えたね箒ちゃん。ごめんね、今までほったらかしにして。元気だったかな?」
「……うん。私、は」
言いたいことは一杯あった筈だった。
けれどいざ、本人を前にすると、言葉は中々出てこなくて。その代わりに、違うものが目から溢れ出てくる、あ、あれ……
「ね、姉さんごめん。私、私……!」
「……いいんだよ、箒ちゃん。それだけで十分。箒ちゃんの、好きなようにしていいんだよ? 私は何があっても、箒ちゃんの味方だもん。箒ちゃんが泣きたいなら抱きしめてあげるし、箒ちゃんがそんな泣いちゃった弱い自分自身のことをなかったことにしたいなら」
姉さんは、そんな私をそう言って優しく抱き締めてくれて。
「全部……忘れるよ?」
「う……あ……ねえ、さん。姉さん…………!」
昔のまま。小さい時に抱かれた時に確かに感じた温もりと、全く同じ暖かさがそこにはあって、その事実を知ったところで私はもう限界だった。
「さ……寂し、かった、よ……お父さんも、お母さんも、居なくて……やだよ、何処にもいっちゃやだ……!」
「……ごめんね、箒ちゃん。本当に、ごめんなさい」
私は今までずっと作ってきた、『自分自身』すら保てずに、ずっと昔、一夏や千冬さんに出会う前までの時の、泣き虫な自分に戻ってしまったように、子供みたいにずっと泣き続けることしか出来ず。姉さんはそんな私の頭を撫でながら、そんなことなんてしなくていいのに、ずっと私に謝り続けた。
「ご、ごめん姉さん……」
「だからいいって。泣いてる箒ちゃんも、久しぶりで可愛かったよ」
「うう……」
……結局、私はあの後一時間近く泣き続けて、漸く落ち着いた頃にはもうすっかり海に行きそびれてしまっていた。尤も、もうその気もすっかりなくなっていた。今まで出来なかった分、時間の許す限り姉さんと一緒にいたい。けれど……
「姉さん。仕事の方は……」
「……それはもう気にしないで。そんなことよりずっと、大事なものがあるって、ホントはもうずっと前に気づいてたの。けど私、それでも中々諦められなくて……結局あんなことになるまで、見切りをつけられなかった。でも、今は違う」
「……姉さん?」
姉さんは、姉さんのままだ。けれど、どこかうわ言のようにそう呟く姉さんはどこか私の知っている姉さんと乖離があるような気がして、私は少し戸惑う。
しかし、その後姉さんの言った言葉は、そんな戸惑いをあっという間に吹き飛ばした。
「ねぇ、箒ちゃん……昔みたいに、一緒に暮らさない? お父さんと、お母さんと一緒にさ」
「え……?」
どういう、ことだろう? 父と母は、重要証人保護プログラムで……
「ああ、ごめん。急過ぎたね。あのね、箒ちゃん。箒ちゃん達の保護なんて名目で、実質私に対する交渉材料として私の家族をバラバラにした人達は、もう皆私が懲らしめたの。お父さんとお母さんももう私が助けて、今は一緒に暮らしてるんだよ」
「……!」
「だから、箒ちゃんもどうかな、って……」
「私、は……」
少し前までの私だったら、何も考えることなくこの姉さんの提案に首を縦に振っていただろう。しかし、今となっては……
「……ちーちゃんやいっくんの傍にいたい?」
「!」
姉さんは、そんな迷う私の心を見透かしたように言葉を続ける。
「うん、箒ちゃんがそうしたいなら、それでいいよ。箒ちゃんの好きなようにすればいい。箒ちゃんは今までずっと我慢してきたんだもん。これからは、そんなことをする必要もないんだよ」
「……ありがとう、姉さん」
「お礼なんて言っちゃダメ……これは本当なら、当たり前のことなんだから」
言いながら、とうとう姉さんが私から離れる。
……少し、名残惜しいが、あまり我侭を言って困らせたくもない。唇を噛みながらそれを受け入れようとしたところで、手を握られた。
「? 姉さん?」
「目、瞑ってて。今までずっと、一人で頑張り続けた箒ちゃんに、お姉ちゃんがとっておきのプレゼントをあげる……会えなかった間の五年分の誕生日プレゼント……今年の分には少しだけ早いけど、受け取ってくれるかな?」
「…………」
拒む理由はない。私は何も言わずに、態度で返事を返した。
「ありがとう……」
姉さんはくれるほうの側の筈なのに、そう私にお礼を言って。
すぐに姉さんが握っていた、左手首に何かが巻かれる感触があった。
「目を開けていいよ」
そう声を掛けられて、左の手首を見る。
「これは……」
そこにあったのは、金と銀の鈴が括り付けられた、赤い紐のアクセサリーだった。
腕を動かすと二つの鈴がぶつかり合って、澄んだ綺麗な音をたてる。
「……気に入ってくれた?」
姉さんが心配そうに覗き込んでくる。感極まって返事は出来なかったが、姉さんはわかってくれたらしい。直ぐに、屈託のない笑顔を浮かべる。
「良かった。色々考えたんだけど、やっぱり箒ちゃんに似合うものにしたくてね……うん、美人さんになった。綺麗だよ箒ちゃん」
「うん……ありがとう、大事にする」
「あはは、そうして貰えると嬉しいな……もしこれから何あったら、それを私の代わりだと思って強く願って。きっと箒ちゃんを守ってくれるから」
「わかった」
姉さんは私の返事に満足そうに頷くと、今度こそ、私の腕を放した。
「あ……」
その途端、少しだけ後悔に襲われる。もしあそこで迷わなかったら、これからずっと、姉さんと一緒に居られたかもしれないと思ったから。でも、姉さんには叶えなくちゃならない夢がある。自分が枷になっては駄目だ。
けれど、姉さんはまたしても、まるでそんな私の気持ちがわかっているかのように、私の目を覗き込む。
「まだ、お姉ちゃんと離れたくないかな?」
「わ、私はもう平気だ!」
「もー強がっちゃって。でもそんな箒ちゃんも可愛い……わわ、ちょっと待って! 謝るから照れ隠しで竹刀を持ってこようとしないで!」
……もう。なんでこの人は、大事なところでこっちをからかってくるんだろう。
まぁ、まだ一緒に居て欲しいのは……その通りだけれど。
「……じゃあ、行く前に一つ。箒ちゃんがおっきくなる前から、ずっとしたかったお話があるの。聞いてくれる?」
「ああ……姉さんの話、聞きたい。また、誰かを助けるための発明のこと?」
「ううん……もっと、大事なこと。箒ちゃん、箒ちゃんの名前ってさ、誰がつけたのか知ってる?」
「……父さん達じゃ、ないのか?」
「うん。箒ちゃんの名前をつけたのは、私。私がお父さん達にお願いして、箒ちゃんが生まれてきた日に名前をつけたの」
……そうだったのか。小さい時は良くこの名前を男子達に掃除用具だのなんだの言われてからかわれ、どうしてこんな名前をつけたのか父に問い詰めたことがあったが……冤罪だったのだな、道理で父も答えられなかった訳だ。
いや、今は勿論、つけたのが誰であろうと、家族から貰った名前だ。不満はないのだが。
「しかし、なら姉さん。姉さんはどうして、私に箒という名前をつけたのだ?」
「あれ、不満だった? ……そういえばいたねー小学生の時箒ちゃんをモップ扱いしてた不愉快なのがさー。馬鹿だよね、箒ちゃんの名前は、そういう意味じゃないのに」
「え……?」
「『箒星』……それが、箒ちゃんの名前のルーツ。箒ちゃんの名前は、お星様の名前なんだよ」
「! それって、前、に……」
『箒ちゃんの名前はね、お星様の名前なんだよ』
ずっと昔。いつだったかも、もう思い出せないが、それは私が確かに以前、姉さんから聞いた言葉だった筈。
「あ! 覚えててくれたんだ、嬉しいな。まぁでも、あの時はまだ箒ちゃんはちっちゃかったから、意味までは良く分からなかったんだろうね……もう、今となっては知ってるかもしれないけど、『箒星』って言うのは『彗星』のこと。彗星はね、とっても長い、長ーい旅をするの。こんな小さな、太陽系なんていう括りに生涯縛られ続けるのが決まってる、私達の住んでる星よりね」
姉さんはまるで自分自身の夢を語るように、両腕を広げて目を瞑り、熱っぽく話す。何かに夢中になったときの、姉さん特有の話し方だ。
「……私はね、ずっと、一人でも多くの人が、笑顔でいられるような、そんな場所を作りたかった。でもそれって結局は、一つのことに縛られ続けなければ出来ないと思ったの。あの時の私はそれでも良かったし、生き方を変えるつもりもなかったけれど……それでもきっと、そんな一生かけても遂げたいって思えるような目標を放り出しても、自分の知らない世界へ行くための『旅』がしたいって気持ちが何処かにあったんだと思う。だから……そんな、私じゃどうあっても叶えられない『夢』を、これから生まれてくる自分の妹に、託したかったんだろうね」
「…………」
が、その様子に何処か違和感を感じた。私はその正体を必死に探し、
直ぐに、違和感の正体は仕草ではなく言葉の中にあることに気がついた。
「……だから、結局さ。私は、自分から零れ落ちた夢の名前を、箒ちゃんにつけたってことなんだ……幻滅したかな? そんな身勝手な理由で、自分の名前を決めたお姉ちゃんに」
「そんなことはない!」
それだけは確かに言える。確かに、人によってはがっかりするような内容かもしれない。
けれど、私はその、姉さんが当初から持っていた『目標』を、心から誇りに思っている。だからそれを達成する為に捨てなくてはならなかったのが私の名前であれば、私がそれを代わりに叶えようと心から思える。しかし、気になったのは。
姉さんが、その『目標』を達成する為に必死だった自分を、まるで『過去』のことのように話していることだ。
「……姉さんも、覚えているか? 私がまだ……小学生に上がる前の誕生日。姉さんが私に言ったこと」
「うん。覚えてるよ。箒ちゃんは……」
――――……
『箒ちゃんはね、『彦星』様が連れてきてくれたんだよ』
七月七日。私の誕生日であり、世間では七夕と呼ばれるその日。
父が持ってきてくれた竹に短冊を吊るしながら、姉さんは当時、ものこころついたばかりの私に、唐突にそんなことを言った。
『ひこぼしさま?』
『うん。箒ちゃんが生まれる前の年のこの日にね、私彦星様にお願いしたの、『妹をください』って。そうしたら、本当にこの日に私は箒ちゃんに会えた。願いを叶えてくれんたんだよ』
『ひこぼしさまって、なあに?』
『そっか、箒ちゃんはまだ知らないっけ。彦星様っていうのはね……』
そこから姉さんが、七夕に関する逸話を話してくれた。それを聞いた私は……あまり思い出したくはないのだが、確か酷く泣いて、姉さんを困らせたのだ。
『きょうしか、あえないの?』
『うん……』
『おほしさまがみえないと、あえないの?』
『うん……』
『かみさまは、ずっとゆるしてくれないの?』
『うん……』
『……うええぇぇ』
『わわわ! ど、どうして泣くの箒ちゃん?!』
『だって、だいすきなのにあえないなんて、かわいそう……』
『…………』
が、姉さんはそんな私前でしばらく戸惑った後、急に笑顔になると、
『お姉ちゃんに任せなさい!』
と、胸を叩いて言い放ったのだ。
『……え?』
『お姉ちゃんに出来ないことなんてないんだよ! ……そうだね、今はまだ無理だけど、いつか絶対、あの彦星様がいるところまで飛んで行って、彦星様と織姫様が毎日会えるようにお姉ちゃんが天の川に橋を作っちゃうよ!』
『ほんとう?!』
『ホントホント! 任せて箒ちゃん!』
『じゃあ、いけるようになったら、わたしもつれてって!』
『うん、勿論だよ! けど、行ってどうするの?』
『ひこぼしさまに、おれいをいうの。おねえちゃんのいもうとにしてくれて、ありがとう、って』
『……!』
――――……
……そうだ。
姉さんは昔、よく私に御伽噺をしてくれた。まだ小さかった私はその話を一々真に受けて、姉さんに無理なお願いばかりして、良く姉さんを困らせた。しかし姉さんは、私がそんな無理を言った時は困りながらも何処かとても嬉しそうにして、全部自分がなんとかすると、その度に約束してくれた。
「姉さんは……一度も私を否定しなかった。私の『夢』を守り続けてくれた」
「……当たり前だよ。箒ちゃんは、私の『夢』の塊だもの。それを、私自身が否定なんて出来る訳ない」
「それは、私も同じだよ」
「箒ちゃん……?」
「私が姉さんの『夢』なら、姉さんは私の『夢』を叶えてくれる人なんだ。私はもう、空の向こうに彦星様も織姫様も、天の川だってないってことも知ってる。あの時の約束は、叶わないものだってこともわかったけれど……それでも、失望なんてしたことはないんだ。だって姉さんが追いかけてるものは、そんな私の『夢』が束になっても適わないくらい尊いものなのも、わかるようになったから」
「…………」
「姉さんに何があったのかはわからない。今まで何も手伝えなかった身の上で、勝手な言い分なのはわかっているけれど……夢を諦めないで欲しい、姉さん。私が姉さんから零れ落ちたものなら、姉さんさえ胸を張って進んでいてくれるなら、私も自分自身に誇りを持てる。私は――――」
篠ノ之束の妹だと。そんな大事な言葉を、私は途中で見失う。何も言わずに私の言葉を聞いていた姉さんが、見たこともない表情をしていたからだ。
――――姉さん、なんで……そんな幸せそうなのに、今にも泣き出しそうな顔をするんだ――――
そうして私が、言葉に詰まった瞬間だった。
姉さんが纏っていた白衣から真っ黒なノイズが漏れ出し、IS学園で使われている空間投影ディスプレイのように、何もない空間に真っ黒なモニターを映し出した。何か赤いものが映っているのがわかるが、揺らぎが酷くここからではわからない。
『……姉妹水いらずんとこ悪いマム。『例のネズミ』が動き始めた、やっぱ狙いは『この辺り』だ。マム本人か……『アイツ』のどっちかは、まだわかんねーけど』
「前者ならネズミさんには相当優秀なソフトウェアがあるね、くーちゃんの情報撹乱を振りきるなんて」
『なんつーかな……こりゃあオレの勘だけど、多分既存の電子媒体以外を『触角』にした追跡っぽいんだよな。気持ちワリー、何処行っても煙みたいにくっついてきやがる』
「んー……そうなると、面倒だけど一度ラボに戻って解析してみるしかないか。私でも『手持ち』じゃ限界があるしね」
『『向こうの方』だった場合の守りは?』
「直ぐ戻るよ……それにちーちゃんがいれば大丈夫でしょ」
『『暮桜』取り上げておいて無茶振りするよなぁ……親友なんだろ?』
「うん……大切な、友達。だから信頼してるの」
恐らくモニターの向こうにいる『何か』と会話している内に、姉さんはモニターから溢れ出す黒いノイズに包まれ、次第に姿が霞始める。
「姉さん!」
「ごめん箒ちゃん、急用が出来ちゃった。残念だけど、まだちょっと私には『宿題』が残っちゃっててさ……大丈夫、直ぐに終わるし、そうなったらまたいつでも会えるようになるから。待っててね」
言葉を続ける間にも、どんどん姉さんの姿は薄れていく。私は必死に手を伸ばすが、
「じゃあね、箒ちゃん。会えて嬉しかった……後最後に、その服もとっても似合っているよ♪」
私の指が触れる前に。そんな言葉を残して、姉さんは忽然と姿を消した。
「姉さん……」
幼馴染だけじゃなかった。姉さんも今、明らかに何か私に言えない様なことを抱えている。
それがわかっているのに、自分に出来ることはない。自分自身のあまりの無力さに私は自己嫌悪に陥り、テーブルの上に置かれた手鏡に映る自分を見るのも嫌で、それをひっくり返そうとして――――
逆に、それを覗き込んでしまった。
鏡に映っていたのはIS学園の制服ではなく、昔姉さんが話してくれた御伽噺の中でも特にお気に入りだった物語の主人公が着ていたような、ファンシーなエプロンドレスを着せられた私だったのだ。
「姉さーーーーーーーーーん!!」
最早本人には届かない、私の絶叫が部屋の中で木霊した。
――――そうだ、私の姉は……
どんな時でも、こういったお茶目を忘れない、困った人種なのであった。
本作における篠ノ之姉妹の関係をどこかでやっておきたいと思って入れた回になります。お姉ちゃん子な箒はなしでしょうか? 七夕のエピソードは箒の誕生日が七月七日と知ったときからずっと考えていた話だったりします。