いくら味に絶対的な自信があったとはいえ、結局日本の『甘さ』のなんたるかについて疎い西洋人であるセシリアのところに、侘びの印として日本の甘味を持っていったのは、正直大きな賭けだったのだが。
「~~~~~♪」
最初は恐る恐るの一口目という感じだったセシリアの様子が、二口三口と進む内に最後は鼻歌交じりになりだしたことから、俺はこの作戦に成功の手応えを感じ取っていた。篠ノ之印のおはぎの味は人種が違っても十分通用することが証明された瞬間だった。
……しかしセシリアがご機嫌なことに関しては万々歳なのだが、やはりあまり面識のない女の子の部屋というのは緊張するものだ。というか元々こういう部屋だったのか持ち込みなのかどうなのかは知らないが、今まで俺が使っていた部屋と内装が明らかに違う……天蓋つきのベッドなんて初めて見たぞ俺。
それにカップを始め、小物とかも一々高そうなものばかりだ。座るように促され、そのまま淹れて貰った紅茶も、信じられないくらい上品な香りがする。値段の方はあまり考えたくは無い、おはぎ程度じゃ元がとれない額なのはほぼ確実だ。そういう意味でも益々俺の緊張は濃くなる。
「紅茶サンキュな。料理のほうは……ちょっとアレだったけど、やっぱこっちのほうは本場の人間だけあって美味いな、感服したよ」
「ええ、こちらは小さい時から嫌ってくらい仕込まれましたから」
「俺も番茶とかだったら自信あるんだけど、紅茶はなぁ~……良かったら教えてくれよ、俺もいい加減食わず嫌いしてないでこっちの分野にも手を出してみたいんだ」
「構いませんけれど……紅茶に関しては、わたくしの採点は辛いですわよ?」
「上等。そんくらいじゃなきゃ挑戦する意味が無い」
「うふふ、頼もしい限りですわ。まぁ、時間があったらということで」
もう黙っていても無駄に緊張するだけだと判断した俺は、おはぎに夢中なセシリアの手元を見ながら会話を出来るだけ続けることに集中した。向こうも機嫌良く乗ってきてくれるのでやりやすく、こっちの緊張も漸くある程度ほぐれてきたところでタッパーの中身が無くなった。
「あ……」
なんだかんだで一人で全部食っちまったなこいつ。
それに気づいたのか、セシリアも空のタッパーを前にしてどんどん真っ赤になっていく。
「も、申し訳ありません、あんまり美味しかったものですから、つい……」
「いやいや、眼福でした。美味そうに食べてくれるセシリア見てるだけでこっちはお腹一杯だよ」
「うう……」
こっちの言葉は本心からのものだったが、それでもセシリアは顔を真っ赤にして小さくなる。
……まぁ確かにあのがっつき方はあまり淑女らしいとは言えなかったが、セシリアは淑女云々の前に年頃の女の子である。多少あんなお茶目なところがあるくらいのほうが可愛い。
……とギザな男ならここまで口に出来るのだろうが、俺は生憎自他共に認めるヘタレであるからして口にはしない。それにこいつの場合口にしたら却って怒られそうだ。
「……ええ本当に、美味しかったです。なんというか、今まで食べたことのない甘味というか……一夏さん、これは何処でお求めになりましたの?」
「あれ? 言ってなかったか? 知り合いからもち米お裾分けで貰ったからさ、ここんとこやっと時間作れるようになったから、自分で作ってみたんだよ」
「……一夏さんが?」
ああ、久しぶりだったが我ながら会心の出来だった。まぁ俺の腕云々よりもレシピがいいのが大きい、重さんの料理は思い出補正を抜きにしても、未だに完璧と言い切れるほどの代物だからな。一応一時期あの人の弟子を名乗った身としては、いい加減なものはつくれな……
「……はぁ」
――――セシリアがまた落ち込んでしまった。
なんでだろう、今度はあからさまな地雷を踏んだりこっちがキレたりした心当たりは今のところないんだが。
「……どうしたんだ? 何か悩みがあるなら相談に乗るぞ?」
「いえ、悩みというか……わたくしの周囲の環境にいる方々のレベルの高さに軽く絶望しているだけですわ……」
「?」
なにやら良くわからないことを言ってどんよりしてしまうセシリア。
先程まではあんなに機嫌良さそうだったのに、これだから女の子ってやつはわからない。
……しかし参った、出ていく口実を逃したぞ。この状態のセシリアを放って出て行くのは後味が悪い。かといって何か気の利いたことを言おうにも、何が地雷になるかわからない現状では下手に動けない。
そんな感じで俺がどうしたらいいかわからず途方に暮れていると、
「…………」
「…………」
ふと、悩めるセシリアと目が合う。
そうなるなり、セシリアはしばらく何やら葛藤するように眉間に皺を寄せて唸り始めたが、それをしばらく続けて俺がそろそろ逃げ出したくなった頃合に漸く口を開いた。
「……一夏さん。貴方を見込んで、恥を承知でお願いしたいのですが……」
「お、おう。なんだ?」
「わたくしに……料理を教えてくれませんこと?」
「……はい?」
――――とある、テスト明けの放課後の学生寮にて。
本当IS学園入学に始まり、人生とは何が起こるかわからないもので。これがどういう訳か本場イギリスから来た貴族のお嬢様に、こともあろうか俺が料理を教えることになるまでの顛末だった。
――――そうして、一週間後。
……何? 時間が飛ぶのが早い? ……しょうがないじゃん、顛末を報告するのさえ気が滅入るような内容なんだ、これくらいカットしてないと正直やってられないんだ。
……しょうがないな。じゃあダイジェストでパッ思いつくところを。
――――――――・・・
『……なんで野菜の皮剥かないのセシリア?』
『剥かない方が綺麗じゃありませんの』
『うん、じゃあそれは百歩譲って許す。でも切りもせずにそのまま鍋に放り込むのは許しません。やり直し』
――――――――・・・
『だからジャガイモは芽とろう? 腹壊すよ?』
『……茹でるだけじゃなかったんですの? それに芽なんて出てませんわよ』
『目には見えないところにあるんだよ、芽だけに……ああ、そんな冷たい目で見ないで』
――――――――・・・
『一夏さん! この玉葱は不良品ですわ! 皮を剥いたらなくなってしまいましたもの!』
『とことんお約束を外さない奴だなお前?! それでいいんだよ、皮のところを食うんだ……ってそっちじゃない白いほうだ! おわっ馬鹿目を擦るな悪化する!』
『うえーん』
――――――――・・・
『……塩と砂糖間違えるとか馬鹿なの?』
『い、一夏さん段々辛辣になってきてません?!』
――――――――・・・
……うん、大体こんな感じだった。俺はもう疲れたよ……
何が一番大変だったかって、セシリアのやたら見た目に拘りそれ以外を疎かというより完全に何処かにおいてきてしまうところを矯正することだった。最初の授業の時など、向こうが持ってきた食材の中に明らかに人の食い物ではないものが混じっていた時は流石に戦慄した。
……それが具体的にどのようなものであったかは、本人の名誉のためにも永遠に俺の胸の内にしまうことにしている。
ただまぁ、幾多の尊い食材達と、俺の頭の血管数本分を犠牲にした対価程度の成果はあげられたとは思う。なにせ何とか『食える』程度のものは作れるようになったからな。
「うむ……これなら食べられるな、あれから一週間でここまでくるとは大したものだ」
「味付けが一夏テイストってのは気に入らないけどね……」
お陰で今日こうして前と同じ面子に声を掛け、満を持して実施したリベンジは一応の成功を収めることが出来た。鈴が少し複雑そうな顔をしていたのが少し気になりはしたが、不味いものははっきり不味いと言う奴なので失敗というわけではなさそうだ。
「…………」
そして当のセシリア本人は、二人が自分が作ったサンドイッチを食べている様子を、自分の分に手をつけるのも忘れて感無量といった様子で眺めていた。心なしか目が少し潤んでいるようにも見える、確か材料に玉葱はなかった筈だが。
「改めて感謝致します、一夏さん……ご講義頂いた際は正直何度か心が折れかけましたが、お陰でこの日を迎えることが出来ましたわ」
「俺がどうこうじゃなくてお前が頑張ったから生まれた結果だよ。良かったじゃん、『美味い』って言って貰えてさ。お前って普段こういうことする立場の人間じゃないかもしれないけど、偶にはいいだろ、自分で作るのって」
「……はい」
少し照れたように俯きながら、セシリアは心から良かったと思っているのがわかるような、今まで見たことのないような綺麗な笑顔で返事を返した。
……ヤバい、可愛い。
元々綺麗な奴であることはわかっていたが、基本的に頭に血が上った時以外は出来る限り体裁を取り繕おうとする奴なので、こんな素直な笑顔を見れる機会は貴重だ。この一週間で一緒にいる時間が増え、若干距離が近くなった感があったのだが、それにしたって不意討ちだった。
つい照れてしまい、反射的に距離を置こうとする。
が、そんな俺の様子を知ってか知らずか。
セシリア嬢はこともあろうか、その笑顔のまま逃げようとする俺の袖を捕まえ、上目遣いで俺の顔を覗き込む。
「……! な、なんだよ?」
「ええ、『美味しい』って言って頂けたのは、とても嬉しかった。ですがわたくし、まだ一番そう行って頂きたい人から、その言葉を貰えてませんの」
「へ、へぇー。そいつは誰だい? 良かったら俺がそいつのところまで届けてきてやろうか」
「必要ありませんわ。だってその方は……」
セシリアはそこまで言うと、自分が作ったサンドイッチの入ったバスケットを手繰り寄せ、その中からサンドイッチを一つ取ると俺の口元に差し出した。
「今わたくしの目の前にいるんですもの」
「ぬ……近い、セシリア近い!」
「食べてくれるまでは動きませんわ」
「わ、わかったよ……」
前と違って『食えるもの』であることはわかっている、たたらを踏む必要はないが、こんな綺麗な奴に近くで見つめられながら食ったところで緊張して味なんてわかりそうにない。
けれどそれでは納得しないという様子で梃子でも動こうとしないセシリアに、俺はとうとう折れた。セシリアが差し出してきているサンドイッチを、そのまま齧る。
「……うん、美味い」
やっぱり当初の予見通り味なんて殆どわからなかったが、少なくともあの一週間前の吐き気を催すような邪悪な味でないことは確かだ。なにより、ほぼゼロ距離から刺さる期待に満ちた視線には勝てなかった。
「~~~~~!」
俺の返事を聞くなり、飛び上がりこそしなかったが感激した面持ちで唇を噛むセシリア。
……修行の後期らへんはもう普段の面体も忘れてズタボロに言ったような気がするので、恐らく散々苛めた俺に一矢報いたのが嬉しいんだろう。
「……うふふ、最初はどうなることかと思いましたけど……結果的には大成功ですわね。チェルシーには、後でお礼を言わないと……」
「?」
俺がそんなことを考えている内に、セシリアがなにやら機嫌良さそうにブツブツと何か呟いているのに気がつく。それはまぁ、料理の方は成功と言って差し支えない出来だろうけど……誰にお礼を言うって?
「セシリア?」
「……あっ! な、なんでもありませんわ! ところで一夏さん、相談があるのですけれど……」
俺の怪訝そうな様子に気がついたのか、セシリアは慌てた様子でこちらを振り返った。
そして何やら先程とは打って変わって、今度は何処か緊張した面持ちで話しかけてくる。
「どうかしたか?」
「その……もし、一夏さんが良ろしければ、これからもご教授を賜――――」
「ここにいたか!」
が、俺がそのセシリアの言葉を最後まで聞くことはなかった。
セシリアが言いかけた途端、屋上から下の階に続く扉が勢い良く開け放たれ、聞き覚えのある声が響き渡ったからだ。
「ナイス」
先程までの俺とセシリアのやり取りを、飯もそっちのけで頬を膨らませながら見ていた鈴が、この乱入を待っていたと言わんばかりにニヤリと笑う。
……なんだってんだ、一体。
「さ、探したのだぞ! なんで何時ものように、食堂にいないのだ!」
「お、おう?」
その突然現れた闖入者は、怒ってこそいないようだが少し不機嫌そうな様子で俺に突っかかってくる。一瞬なんでこいつ俺の昼時の所在地把握してるんだと怪訝に思ったが、そういえば一時期ストーキング紛いのことをされていたことを思い出す。
「もう怪我のほうはいいのか? ボーデヴィッヒ」
実に二週間振りくらいになる再会だった。今日が退院だってのは知らなかった、千冬姉は向こうから頼んでおいてこういう情報の融通を全くしてくれない気の利かない姉だ。
「ああ、もう何処も問題ない。至って快調だ」
俺の問いに対し、ビシッと姿勢を正して健全であることをアピールしながら応えるラウラ。
驚いたな、全身の筋肉が断裂したと聞いていたのでもう少し掛かると思ってたんだが。俺のような特殊な条件がある訳でもないのに驚異的な回復力だ。
「それに、私には果たさなければならぬ務めがある……いつまでも伏せっているわけにはいかん……」
「務め……?」
そういやこいつ軍人だったっけ、本国からの要請かなにかだろうか?
こんな時くらい休ませてやってもいいんじゃないかとは思うが、仕事となればそうもいかないんだろう。
「そうか、大変だな……まぁ頑張ってくれ。正直ドイツ軍のことなんてわからないけど、なんか俺に出来る事があったら言えよ、相談くらいだったら乗るからさ」
「う、うむ、そうか、良かった。その……今更、こんなことを言えるような立場ではないのはわかっているが、それでも恥をしのんでお前に頼みたいのだ」
「俺に?」
う~ん。確かに千冬姉には邪険にはされないだろうとは言われていたが、まさかいきなり頼みごとをされるとは正直予想外だ。一体なんだろう?
「あの……その。こ、この姉に『友達』ができるよう、手伝ってくれ『一夏』!」
ラウラはしばらく、頭に?マークを浮かべる俺を前にして気まずそうに拘泥していたが、待つこと三分程で、漸くそう切り出した。
が、その肝心の言葉は一瞬自分の日本語能力が麻痺したのかと思うくらい訳がわからなかった。しかし突如降って湧いたラウラと親交を持つチャンスを逃がさないためにも、頭の中で必死にラウラの言葉を反芻し噛み砕く。
「え、え~と……『この姉』? 千冬姉に友達が出来るように手伝えってこと?」
「違う。今ここにいる『姉』だ」
ラウラの言葉を受けて周囲を見渡す。普段から親交のあるメンバーが数人。千冬姉はいない。
……どういうことだろうか。ラウラを見ればいかにも何を疑問に思うことがあるのかといった顔だ、こんな表情をされるとやはり俺の方がおかしくなったのではないかという気になる。
「……『姉』とはどういうことだ? 織斑師範代は今ここにはいないのだが……」
と、ここで俺の疑問を箒がラウラに尋ねてくれる、やっぱりこいつは困った時に頼りになる。けど師範代呼びはここではやめたほうがいいぞ。偶にお前間違えるけど、千冬姉は顔にこそ出さないがその時結構恥ずかしそうにしてるんだからな。
一方ラウラの方は、その問いに対して少し眉を顰めながら答えた。
「……何故ここで教官の話が出てくる? いや、教官が一夏の『姉』なのは確かに間違いないが……この国では、歳さえ上なら別に血の繋がりがなくても『姉』を名乗っていいと聞いたのだが……やはり何かこの話は間違っていたのか? クラリッサもこの間電話で『家族が出来た』と言ったら、何をどう勘違いしたのか知らんが部隊総出で慌てて乗り込んできたし……」
「何……? ちょっと待て。その確かに間違っちゃいないけど何処から仕入れたかわからない偏った知識は置いておくとして……誰が、誰より年上だって?」
漸く話が見え出したが、今度は別の意味で衝撃を受けて俺は思わずラウラに詰め寄る。
ラウラはそんな俺の様子を不思議そうに見ながら首を傾げ、
「お前の誕生日は教官から聞いている、9月27日なのだろう? 私が生まれたのは、書類上ではお前より丁度一ヶ月早い。『姉』と名乗るには何の問題もない筈だ」
「なん……だと……!」
いや……学年が同じ時点で同年代ってことは理解していた筈なのだが……それこそ時間にして一ヶ月程度の差だとしても、こいつが俺より年上? ……この赤いランドセルを背負っても何の違和感もなさそうな奴が? いざ電車に乗ろうとして子供料金で切符を買っても、駅員さんに到底声を掛けられそうになさそうな体型のこいつが、俺より年上だというのか?
見渡せばその場にいた、ラウラ以外の面子も口をあんぐり開けてポカンとしている。
良かった、衝撃を受けているのは俺だけじゃないようだ。
「ふむ……どうやら漸く理解したようだな。つまり、そういうことなのだ」
が、どういう訳かラウラは俺らの様子をを肯定的に受け取ったらしい、満足そうにウンウンと頷く。元々空気の読めない奴だとは思っていたが、どうやら普通に天然モノだったらしい。
「い、いやちょっと待て?!」
「……嫌なのか?」
いや、嫌というかまだ今の状況が理解できていないというか。
……あとだな、その、急に凄い不安そうに上目遣いで見つめてくるのやめてくれ、お前そういうキャラじゃなかったろっていうか、俺はまだ何もしていない筈なのに、何故か俺が悪いことをしたかのような罪悪感を感じるのはなんでだ?
「……そうか。一夏が、嫌だというのなら仕方がないな。そうだな、あれだけこちらの都合でお前を貶めておいてこんなことを言い出すなんて、虫がいいにも程があるな……すまなかった、今の話は忘れてくれ……」
そうやって俺が予想もしなかった変化に戸惑っている内に、当のラウラはまたしても一人で勝手に話を進めて、煤けた背中を見せながらヨロヨロと立ち去ろうとする。
「ちょ、待て、待てって! その姉が云々はまぁ、わかったよ。納得はしてないけど理屈はわかった。でも、なんでだ?お前、俺のことを認めないだのなんだのずっと言い続けてたじゃんか」
だが俺はラウラが下の回に通じる階段の向こう側に消える前になんとか持ち直し、慌ててラウラを引き止める。
「……そんなことを態々聞くのか? お前と一対一で戦って敗れた以上、私が一人でそんなことを言い続けてなんになる……物事は結果が全てだ。ああした形でしっかりと優劣が決まったのなら、私はその結果に従う」
「そんな物言いでこっちが納得すると思ってんのか?」
それだと、結局こいつ自身は俺のことを内心は認めていないようにも取れる。
また何かの拍子に俺がこいつに負けるようなことがあれば、前の状態に逆戻りしてしまうかもしれない。
「む……言い方が悪かったか。ええと……その件は、もう決着がついた。私がお前を認められなかったのは、お前ではなく、私自身の問題だったのだ……そのことに大分、気がつくのが遅れた」
「ん……まぁお前のその問題とやらはよくわからないけど。とにかくもう、ところ構わず噛み付いてきたりしないってことでいいんだな?」
「あ、当たり前だ! その……そのことは済まなかった。そこの……二人にも謝る。謝って済むことではないのはわかっているが……」
が、そんな不安を覚えたのも束の間。ラウラは俺達に向かって、ペコリと頭を下げて今までの非礼を詫びた。
……少し前までであれば、考えられなかった行動だ。それに表情も何処か憑き物が落ちたような感じで、今まで放っていた氷のような雰囲気も今では大分柔らかくなっているのに気がつく。
――――本当に、こいつももう問題ないのかもな。
そんなことを考えていたのを、まるで見透かしたように。
気づけば箒が俺の横に移動してきて、珍しくはにかんだように微笑みながら俺を見つつ、
「……それで、どうするのだ一夏? 向こうはこうして謝罪してきたが、まだこいつに対する遺恨を引き摺る気か?」
こいつにしては、どこか意地悪な質問をした。
……いや、だから俺個人としてはもう水に流したいことではあるけれども。直接被害を被ったのが俺本人じゃないからなんとも……
「……あたしはいいわよ、許しても。けど一個だけ条件があるけど」
「ええ。わたくしも鈴さんと同意見です」
と、そこで俺の視線が泳いだのを察知してくれたのか、代表候補生二人が空気を読んでくれる。
「うん……こちらも、端からただで許して貰おうとは思っていない。条件とはなんだ?」
二人の提案に、ラウラが顔を上げる。若干緊張した面持ちで、あくまで真剣な眼差しで二人を見据える。どうやら本気で無条件でこの二人の条件とやらを飲む気らしい……俺だったらとてもおっかなくて少なくとも内容を聞くまではそんなことは言えない。
「ふ~ん……ホント、いい感じになったわねあんた。そうね、じゃああたしから。あたしの『条件』はね……」
そんなラウラの様子を感心したように見つめると、立ち上がってラウラの強い視線に負けじと張り合うようにラウラに近づき、至近距離で睨み合うと
「再戦。一度はしてやられたけど、二度目はそうはいかないわよ。いつかちゃんとした場所で、あたしともう一回戦いなさい。それが、あたしの『条件』」
そう言ってラウラの鼻先に指を突きつけた。
……わかっちゃいたが、なんともこいつらしい決着のつけ方だ、見ていて清々しい。
「……わたくしこの後に自分の『条件』を言わないといけませんの?」
……後先考えずに動いて人のハードルを無駄に上げていくのも相変わらずである。
が、セシリアも一度は文句を言ったものの直ぐに気を取り直したように咳をすると、
「では、次はわたくし。ご存知かもしれませんが、わたくしは貴女の所属している一組のクラス代表を務めさせて頂いてますの。わたくしもラウラさんには遅れを取りましたが、それとクラスの和を乱すことは別。いくら『今のところ』実力がわたくしより上とはいえ、わたくしの『クラス代表』としての言葉には従って頂きます。宜しいですわね?」
しゃんと背筋を伸ばし、堂々とそう言い放った。
こいつも最近ダメなところを見たばかりだが、こういうここぞというところで決めるところは格好いい。それに『今のところ』を思いっきり強めに言った辺り、こいつも再戦する気に違いない。
「ああ……わかった」
ラウラもラウラで、二人の言った条件を恐らく言葉の裏にある真意もなにも全部ひっくるめて理解した上で、『受けた』。
代表候補生二人はそれを確認して、何も言わずに微笑みながらただ頷いた。
……参った、こいつら俺が拘泥してる間に全部解決させちまいやがった、こんなことになるなら最初から心配なんてするんじゃなかった。
「一夏」
止めは俺と一緒にその一部始終をみていた箒の呼びかけ。
……へいへい、わかってますよ。
「OK、その二人がそう言うんなら、もう俺から言う事は何もない……その姉とか弟とかよくわからん理屈はともかく、仲良くやろうぜ、『ラウラ』」
「……! 本当か!」
途端にラウラの表情がパッと輝く。なんかセシリアといい、今日は普段見れなった表情がやたら色々と見られる日だな。こいつも前からこんな歳相応の子供みたいな表情が出来る奴だったら、態度があれでも大分周囲の反応は違ったろうに、って……!
「うおぅ!」
俺が返事をした段階で、ラウラはなんと、すでに俺に向かって物凄いスピードでダッシュしていた。俺はラウラの屈託のない無邪気な笑顔なんてレアにも程があるものに意識を奪われすぎて対処が遅れ、そのまま飛び込んできたラウラを、座ったまま足の上に乗っける形で受け止めた。
「お、おいラウラなんのつもりだ……!」
「何もかかしもないだろう。姉弟だったらお互いの膝の上にのったりするのは当た前なのだろう? クラリッサはそう言っていた……おお、そうか。これではおかしいか、私は姉なのだから、私が膝に乗せねば……」
こいつの歪んだ知識の元凶はそいつか、誰かは知らんが一発殴らせろ。
いや、そうじゃなくて……!
「いやいい断る」
今でこそこいつの体格が小さいお陰で上手いこと収まっているが、この構図が逆になればそれはもう絵的に犯罪か児童虐待にしかならない。訴えられたら確実に負ける、俺はまだ綺麗な体でいたい。
「だが、姉としては……」
「だからいいって、気にするな。『駄目な方』を支えるってのは、何も年長者の専売特許ってわけじゃない……俺らの『姉弟』の在り方じゃ、特にな」
「む……私は駄目な姉だろうか?」
「ダメダメだ。出来る姉ってのは、相手がいくら気に入らない奴でもむやみに喧嘩を吹っかけにいったり、無駄にツンケンして周りから浮くようなことはしない」
まぁ実を言うなら家の姉も昔はその不合格者の部類だったのだが。
「ぐぅ……そ、そうなのか。気をつける」
チョロい。こんな素直な奴だったのか……待てよ、そうとなれば千冬姉から頼まれた任務の遂行のためにも、ラウラのこのよくわからない勘違いは利用できるのでは……?
「……やはり、簡単ではないとは思ってはいたが……私は諦めないぞ、立派な『姉』になって教官の『家族』になるのだ!」
そんな思考を巡らせていたところで、ラウラがそんなことを呟いたのを耳にした。
そして思い出すのは、あの学年タッグトーナメントから三日後の夜、千冬姉が言っていた、妙に思わせぶりな言葉。
『……これから頑張れよ、『弟』』
……成程、黒幕は思わぬ身近なところにいたわけだ。いいさ、アンタの思惑通りってのに思うところがない訳ではないが、今回は乗ってやる。
「……どうかしたか?」
「うんにゃ、なんでも……まぁお前がそこまで決意してるなら、これからの成長を期待させて貰おうか。宜しく頼むな、小さな『姉さん』」
俺は取り合えずそう決心し、何も言わない俺を怪訝そうに覗き込んでくるラウラの頭を不意打ち気味に撫でた。
「ふなっ! な、何をする!」
「『弟』としてのスキンシップの一環のつもりなんだが」
「や、やめろっ!! そ、それは普通に考えて『姉』がすべきことだろう!」
そう言って撫でられながら俺の頭に手を伸ばそうとするラウラ。しかし流石に恥ずかしい俺はその手を頭を左右に振って掻い潜る。
「なんで避けるんだ!」
「わかってないなぁ、姉ってのはそんなに簡単に弟の頭を撫でてはいけないんだ。弟が増長するだろ?」
「そうか……だが、これでは……威厳が。姉としての威厳がぁ~~~~……」
俺の言葉に手を伸ばすのを断念するラウラだが、それでも何か譲れないプライドのようなものがあるのか、顔を赤くしてジタバタし始める。しかし頭を撫でられるのはまんざらでもないのか、決して逃げようとはしない。そんな心中の葛藤がそのまま全身で表されている様子は見ていて面白い。
が、流石に調子に乗り過ぎた。プライドが本能に屈したのか、ラウラの抵抗が次第に鳴りを潜めてフニャフニャになり始めたところで、今まで口をあんぐり開けたまま硬直して俺とラウラのやり取りを静観していた連中からストップが入った。
「納得がいきませんわー!! わたくしの今までの一週間はなんだったんですのよー?!」
……その時何故かセシリアが一番怒っていたのが、少し気になりはしたが。
ともあれ、我が姉によってある程度意図されたこととはいえ、俺は思わぬ形でラウラの手綱を握ることに成功した。
と、そこまでで終われば良かったのだが、俺はこの後ラウラから、こいつが千冬姉にとんでもない無茶振りをされていたことを聞かされ、クラス内外ともに心象の悪いラウラのイメージ改善のために働かされることになる。
……俺も一回弾に習ってグレてみようかな。いや、割と本気で。
ラウラ「これからお前を私の嫁にするといったな? あれは嘘だ」
というわけで、セシリア編後半をお送りしました……後半違う人に乗っ取られてる? ごめんなさいちょっと何言ってるのかわかりません(震え声 結局セシリアさんは自分の中ではこんなキャラになってしまうのでした。好きな方には改めて申し訳ありませんでした。
ラウラは原作通りにするのもちょっと意外性がないし、どうしようかと迷走した結果義姉キャラにしようという毒電波をキャッチし採用しました。なんといいますか、至らないなりに背伸びしようとする女の子って好きです。小さければ尚善……おやこんな時間に誰か来たようだ。