あの更識先輩を伴い実家に戻った日から、一週間後。
当初からその存在が懸念されていた中間考査が、とうとう終わった。終わってしまった。
いやホント色々な意味で。
「だから一々落ち込まないの。あんたはそうじゃなくても特殊な状況だったんだから、最初の内は仕方ないわ。次で挽回することを考えなさい」
鈴は慰めてくれているようでニヤつきを隠しきれていない、そういえばテストの点数でこいつに負けるというのは俺の今までの経験上今日まで一度もなかった……
「屈辱だっ……!」
「わーはっはっ、ねぇどんな気持ち? 小学生の頃から馬鹿馬鹿言い続けてきた相手にテストの点数で負けるってどんな気持ち?」
こいつ一年のアドバンテージなんて反則で勝った癖に調子こきやがって……!
「上等だ表に出ろ」
「あーごめんごめん怒った? まぁあたしより『馬鹿』なことが公になっちゃったあんたを哀れんで今日はこのくらいにしといてあげ……ひゃーーー!! む、『百足』はやめて! 謝る、謝るからっ!」
事の発端は、最早完全に本来の調子を取り戻し一組に遊びに来ていた鈴とそんなやりとりをしていた時に起こった。セシリアが俺達の間に割り込むように話しかけてきたのだ。
「ちょっと宜しいですこと?」
……初対面の時を彷彿とさせるような台詞回しだった。
尤も当時と比べれば刺々しさに関しては天と地ほどの差があるのだが、それでも有無を言わせない迫力のようなものを反射的に感じ取った俺はくすぐり地獄に遭わせていた鈴を放り出しすぐさま対応する。
「どうかしたか?」
「ええっと……ですね」
「?」
こいつにしてはどうも歯切れが悪い。何か、人のいる場所では言いにくい相談事だろうか?
「ここ不味いなら移動しようか?」
そう思って立ち上がりながら提案するも、
「いえ、結構です! その……一夏さん!」
セシリアはそれを断ると、後ろ手に持っていたバスケットを前に突き出し、俺の机に置いた。
「今日は、いつもと趣向を変えてお弁当にしてみましたの……ですが、少し作り過ぎてしまいまして。一夏さんも、一緒に如何ですか?」
「へえ……」
珍しいお誘いだった。いや、食事に誘われること自体は別に珍しくなかったのだが、全部食堂だったからな。そもそもセシリアに料理が出来るというイメージ自体なかった、生粋のお嬢様オーラの出てる娘なのでそういうのは全部使用人とかにさせているイメージが先に立つ。
……しかしまぁ、寮生活してる身で生活能力皆無ってことはないか。俺の姉が異常なだけで。
「丁度いいや。俺も今日弁当だったんだ、お互いにお手並み拝見といこう……そうだな、折角だし外で食おうぜ、屋上とか」
「一夏のお弁当……? ねぇあたしも混ぜて貰っていい?」
弁当という言葉に鈴が反応する。
……そんな期待すんなよ、なんせ食材の買出しに行けるようになったのが最近で料理するのも久しぶりだし、テスト終了の開放感からなんとなくやってみたかったってノリで作ったあり合わせだから正直相当手抜いてんだ。こんなことになるならもう少し気合を入れてやるんだったな。
「なぁ箒、お前もどうだ? いつまでも答案用紙と睨めっこしてたって結果は変わらねーぞ?」
「ぬ……むぅ。そうだな、私も行こう。元々そうするつもりでいたのだ」
ついでに俺と同じく成績が残念組で、机で帰ってきたテストの結果を眺めながら黄昏ていた箒に声を掛けると、一つ返事で了解が返ってくる。元々こいつは弁当持参する習慣があり、外で食べるのが好きな奴なので、俺の提案はこいつを誘うことを織込んでのものだった……今間違いなく一番気分転換を必要としているのはこいつだからな。
「むむ……箒さんに、鈴さんも一緒ですか。まさか私の実力を一夏さん処か彼女達にまで知らしめるチャンスがこんなに早く巡ってくるなんて……流石はチェルシー、侮れませんわ……」
あっという間に集まった面々を見て、何処か計算通り、といった感じでほくそ笑むセシリア。
それに少し嫌な予感を感じ取りつつも、それだけ自分の料理に自信があるのだろうと俺は自分を納得させると、弁当の入った鞄を手に取り一同と共に屋上に向かうことにした。
「卵焼き頂き~♪」
「箸を使えこの猿!」
「監督不行届けだな……しっかり教育しろ保護者。罰として私からも没収だ」
「誰が保護者だ……ちょ、箒お前まで……?!」
各々弁当を開けていざ食事という段になって。
開幕実に三秒にも満たない時間で、俺の弁当箱から黄色の色彩が消えた。
もうやだこの幼馴染達。
「むむむむむむむ」
セシリアさんもなんかさっきからこんな調子で俺を睨んでるし。俺が一体なにしたってんだ。
「ん~♪ 相変わらず甘くてフワフワ。しっかり半熟にしてあるのもポイント高いわ、やっぱ一夏の卵焼きはレベル高いわねー、母さんでもこの味は中々出せないわよ」
「ったく……まぁ根っからの料理人の娘の舌を満足させられたなら本望だよ」
自分で食えなくても作ったものを褒めて貰えるのは嬉しいものだ。鈴の言葉に少しだけ顔の筋肉を緩ませながら、俺は漸く自分の弁当に箸をつけ……
「……なんだこれは。出汁の味が濃すぎる、鈍ったな一夏」
ようとして、直前で手が止まる。
「……なんだと?」
「鈍ったな、と言ったのだ。自分で出汁をとらなかっただろう。何故こんな基本的なところで手を抜く、お前はそんな男ではなかった筈だ!」
「ぐっ……」
勝手に食っておいてその言い草はどうかと思うが、手を抜いたと言われればその通りなのが痛い。
元々俺のこの手のスキルは箒の母親、重
しかし……
「お前が凝り性過ぎんだよ、箒。過ぎたるもまた及ばざるが如しって、重さんに言われなかったか?」
そう言って箒の重箱から豚の角煮を箸で摘んで口に放り込む。
その一連の行動を見てハッとする箒を余所に、俺は自分の予想が大当たりだったことにほくそ笑む。
「……やっぱり。相変わらず『火を通しすぎ』だぜ箒、肉が硬い。これも多分重さんから見たら落第だぞ」
「わ、私のそれは手を抜いた結果ではない! 楽な方向に逃げて全体の味を落としているお前と一緒にするな!」
「『やり過ぎて』味を落としちまえば同じことだと思うがね」
「ぬぐぐ」
「うぐぐ」
箒の重箱から角煮を摘み、『普通にこっちもおいしいじゃない』と呟く鈴を無視し、立ち上がって額をぶつけて睨み合う俺と箒。やはりこいつは気は合うのだが同時に俺にとっては天敵だ、やはりここは一度はっきり白黒つけて……
「むむむむむむむむむむ!」
……と、そこまで思考がヒートアップしたところでセシリアの謎の唸り声が聞こえ、一気に頭が冷える。
見れば箒も似たような状況のようだ。そうだよな、飯の時に喧嘩なんて行儀が悪いよな。
「すまんセシリア。箒があまりに石頭なもんだからついイラッときちまった」
「許せセシリア。一夏があまりに腑抜けなものだからつい頭に血が上った」
その実お互いに遺恨を残しつつ座る。俺は箒と睨み合いを続けながらも、折角だしセシリア自慢の弁当を貰おうかとバスケットのサンドイッチに手を伸ばし……
その先を、鈴が差し出したなにやらグチャグチャの赤い物体の入ったタッパーにより遮られる。
セシリアが何か信じられないようなものを見る目で鈴を見るが、当の鈴はそんなセシリアの様子も何処吹く風、
「はい、卵焼きのお礼。遠慮せずに食べなさい。あたしの酢豚よ」
「ああ、酢豚だったのかこれ。相変わらずグロいな……」
最後の方は本人に聞こえないように呟くと、俺は鈴の差し出したタッパーに箸をつけようとして、
「正気か?!」
「お考え直しください!」
先程の不機嫌な様子も何処へやら、なにやら青ざめた箒とセシリアに止められる。
「……どーいう意味かしら、それ」
そしてその二人の様子に加速度的に不機嫌になっていく鈴。
……ああもう、だからわざわざ気を使って見た目には触れないよう小声で言ったのに台無しだ。
尤も鈴には悪いが、この見た目はそう言われるに値するだけの破壊力は十分秘めている代物だと食おうとした我ながら思う。
「いや、これ確かに見た目は酷いけど美味いんだよ。こいつ、一応料理人の娘だけあって味付け『だけ』は確かなんだ」
そう言いながら二人の静止を振り切りタッパーの中身を口にする……うん、美味い。
その様子を見て二人は怪訝そうな表情をしたものの、恐る恐るタッパーに手を伸ばし、俺に続いた。
「あら美味しい」
「うむ……食感に違和感はあるが確かに味はいい」
「ふふーん、そうでしょ」
上々な反応に鼻高々な様子な鈴。
いや……これ褒められてるかといえば微妙なところだぞ。だから料理人の娘がいつまでもこれはどーなんだって言ったじゃねぇか。
「……くっ」
しかし何か思うところがあるのか、鈴の手料理が美味いとわかった途端に心なしか何処か打ちひしがれた様子で小さくなるセシリア。その後で今度は箒の弁当に手を伸ばし、益々それが大きくなる。
「そんな……わたくしが、このわたくしが……! こんなに心から『逃げ出したい』等と思ったのは、生まれて初めてっ……!!」
最後には何か余裕が無さそうな表情でブツブツ呟きだした。
……大丈夫だろうか?
「え~と。じゃ、じゃあ俺、セシリアの弁当いただいちゃおうかな~?」
ワザとらしく声をあげながら、今度こそセシリアのバスケットに入ったサンドイッチに手をつける。見た目は普通……というか、かなり美味そうなサンドイッチだ。それにサンドイッチを不味く作るというのは一種の才能がないと出来ない所業と聞く、いくら学園きっての才媛と言われるセシリア嬢も、そんな余計な才能までは併せ持ってはいないだろう。
――――ああ、元々はきっとそんな軽い気持ちで手を伸ばしたのがいけなかったんだろう。
セシリアのサンドイッチを一口齧った俺はその瞬間意識が飛び、気がついたときには目の前の金髪の胸倉を掴み上げていたのだ。
「ちょ、ちょっと一夏!」
「どうしたというのだ?!」
いきなりの事態に慌て鈴と箒を余所に、俺はこんな『災厄』を生み出した張本人に怨嗟の言葉を吐き出す。
「忠告だけしておく。俺がこの世で我慢ならんことが二つある。一つは冷えた味噌汁、そして食い物を粗末にし調理を騙ってゴミを量産する――――クソ野郎だ」
食べ物を得られる有難さというものを幼少から教え込まれてきた俺は、漫画とかでよくあるポイゾンクッキングなんて言って食材を平然とゴミに変える展開がどうしても許せない人間である。平面の世界でのノリでさえそれなのだから現実にそれをやられた際の怒りは筆舌に尽くし難い。
「何を言っている……! 兎に角やめんか! セシリアが目を廻しているぞ!」
「止めるな箒! こいつは、こいつだけは……! 俺達の祖先の士がが代々守ってきた畑で取れたものでこんなものを作ったんだぞ……!」
そこいらの教えについて同じ師を持つ箒は、それを聞いてセシリアのサンドイッチを一口口にし、
「覚悟しろ毛唐」
激怒。当然の如く俺の側に加わった。
「ちょ……箒までやめてよ?! ホントに収拾つかないじゃない……! せ、セシリア~~!!」
鈴の悲鳴が響き渡り、各自弁当を持ち寄っての昼食はなんともしまらない形でのお開きとなった。
……いやまぁ最終的には本当に涙目になってしまった鈴を見て、俺が箒共々正気に戻る形で決着となったわけだが。なんというか、今回は反射的にキレてしまったが、その後ずっと沈んだ様子のセシリアを見て流石に悪いことをしたかな、という気がしてきて、その日俺はどう埋め合わせをするか、授業もそっちのけで考えることになった。
~~~~~~side「セシリア」
「チェルシ~~~~!!」
『……その様子では失敗でしたか。いやはや、サンドイッチが失敗するというのがどのようなものなのか逆に大変興味深いものではありますが、ここは詳しく聞かないほうが良さそうですね……』
チェルシーの立てた作戦は失敗、わたくしはその日の授業が終わり次第部屋に引き篭もり、ことの顛末を半泣きでチェルシーに報告していた。
「なんで上手くいかなかったんでしょう……色合いはとても綺麗に出来ましたのよ、ただ、食べられないというだけで」
『……食事という場面において後者が致命的であることにもう少し早く気づかれれば良かったのですよ……そういえばお嬢様のお母様も体裁や外見を気にして本質的なところで失敗をなさるお方でしたね……私も迂闊でした』
「わたくしは……どうすれば。一夏さん、本気で怒っていらっしゃいましたわ……」
『だ、大丈夫ですよ! 以前お嬢様のお話をご拝聴した限りでは、少し沸点が何処にあるかわからない方ではありますが懐の広い方だと伺っておりますもの、謝ればきっと許してくださいますよ!』
「そうかしら……」
どんよりとした気分でベッドに沈み込み、受話器を握ったまま枕に顔を埋める。
……どうにも上手くいかない。こんなことになるくらいであれば、最初からチェルシーの話になんか乗るんじゃなかったと後悔を始めたところで、
コンコン
と、遠慮がちに部屋のドアをノックする音が響いたのに気がついた。
「どなたかしら……? チェルシー、申し訳ないけれど」
『はい。なにかありましたらまたお電話くださいね』
チェルシーとの電話を切り、来客が誰か確かめるために部屋のドアに向かう。
「どなた……?」
「……俺だ。セシリア、ちょっといいか?」
―――― 一夏さん?
来客が誰かは声で直ぐにわかった。このまま開けるかどうか少し迷ったが、それも一瞬。
先程のチェルシーの言葉を信じ、昼のことを謝罪するためにわたくしはドアを開けた。
「一夏さん!」
「セシリア!」
そこにいたのは、まごうことなき一夏さんその人だった。
わたくし達はお互いの名前を呼んでしばらく見詰め合った後、
「申し訳ありませんでした!」
「すまなかった!」
二人同時に、頭を下げた。
「……はい?」
「……あれ?」
そして、それからしばらくして。今のこの状況に、二人揃って首を傾げることになった。
「いや……ついカッとなっちまったからとはいえ、事情も考慮せずにお前の作ったもんをゴミ扱いしたのは悪かったと思ってさ……」
「そうですわね……流石にあれは少し傷つきましたわ」
「……だから、悪かったよ」
「お気になさらず。結局わたくし自身も食べられずに捨てるしかありませんでしたもの、事実ですわ」
「いやほんと申し訳ない」
別にこちらは怒っているわけでもなく、むしろ申し訳なく思っているのになにやら冷や汗をかきつつ何度もペコペコと頭を下げてくる一夏さん。
……この人のこういうところは見たくない。へこへこしている殿方を見ると、どうしてもお父様を思い出す。だから、わたくしも自分で意識しないうちに不機嫌なのが顔に出てしまっているのかも……
「まーだからさ。どう埋め合わせするかって今日ずっと考えていたんだけど、考えてみれば俺って個人的にセシリアのことあんま知らないって気づいてさ。結局わかりやすいものにすることにしたんだけど……」
「え? は、はい、なんですの?」
「……お前偶に人の話聞いてないことあるよな」
むう。それは、話を聞いていなかったのは申し訳ないとは思うけれど。
元はといえば、一夏さんの態度のせいなのに。
「……あーはいはい俺が悪かったから無言で睨まないでくれ怖い。兎に角ほら、さっきのお詫びにこれ貰ってくれないか?」
私の無言の抗議を受けて何処か決まりの悪そうに頭を掻きながら、手に持っていた布に包んだ包みのようなものをこちらに手渡してきた。
「……これは?」
「おはぎ。お前甘いもん好きだろ? 本当は洋菓子系の方がいいかなと思ったんだけど、あっちは俺門外漢だし、買ってくるのもちょっと違うかなって思ってさ。生モンだから早いところ食っちまってくれ、量が多かったらルームメイトの娘にでも分けてやるといい」
一夏さんの説明を聞きながら布を取ると、丸くて黒い塊のようなものがいくつか入ったタッパーが出てくる。
「これが……食べ物ですの? それも、お菓子なのですか?」
「あ~……お前見るの初めてか。う~ん、確かに洋菓子に比べりゃ見た目は地味だろうけど、重さん直伝の俺の大好物だから味の方は保障するぞ。お茶と合うんだよこれ。なんだったら今食ってみるか?」
「そうですわね。折角持ってきて頂いたのですし、有難く頂戴しますわ。一夏さんもどうですか?」
「……なんか俺が食いたいみたいに聞こえた? いやそういう訳じゃなくてさ……」
「いえいえ、遠慮なさらず」
「うわー」
日本のお菓子――――興味深い。
すぐに味見してみたい衝動に駆られるも、折角来て頂いたお客様をもてなさずに返しては英国淑女の面体が立たないと思い直し、わたくしはなにやら『さ、流石に女の子の部屋に入るというのは……』とごねる一夏さんを寮の部屋に引っ張り込んだ。
――――チェルシーの言ったとおり、この人はあんなものを食べさせたわたくしを許してくれた。
その事実に申し訳ないと思いながらも頬が緩むのが止まらなくて、彼の腕を取りながらも、そんな顔を見られないようにそっぽを向きながら。
『粘着系男子の15年ネチネチ』というPV付きの動画を友人に薦められ、ボカロはどうもあの独特な声質が好きになれず興味を持てなかった自分は渋々見に行ったのですが……最初の方は笑いつつ、締めで見事に涙腺を持っていかれました。あれだけ短い時間で一つの物語を人に伝える技術は凄いと思います、ジャンルこそ違いますがああいった作品を作りたいなと思った今日この頃です。
……と長々と関係ない話ですみませぬ。定番の料理回をお送りしました。お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、各キャラの料理スキルについてもちょっとした変更があったり。
一夏&箒:プロ並み
箒は昔出来なかった設定が確かあった筈ですが変更しました。この二人は師匠が同じことと自他共に認めるライバル関係ということもあり、それぞれ得手不得手こそあるものの基本的に色々な分野におけるステータスが拮抗しています。
セシリア:見た目良好、味死亡
鈴:見た目奇怪なオブジェ、味良好
セシリアは凡そ原作通り、鈴は昔から成長していない設定に。別に二人で対比させたかった訳では……ない筈。
後半の欧州組二人についてはまた機会があればということで。次回でセシリアの話も締めて臨海学校編にいきたいと思います。