友達、そしてルームメイトを当然に失ったことは、あいつの内情を知っているだけに正直堪えた。
俺自身なるべく表に出ないように努めたものの、流石に箒を初めとした付き合いの長い奴等には流石に引き摺っていることが分かってしまうようで、色々気を遣われるのが却って辛かった。
未練がましくシャルルの番号には何度も電話したのだが、あいつがIS学園を去って以降、同室になったその日に交換した番号は既に登録を消されていて、その度に無機質な機械音声の返事を聞く羽目になった。
流石に電話くらいは繋がるだろうと思っていたので、これには大いに焦った。しかし焦ったところで何が出来る訳でもなく、俺は結局、漸く一人部屋を手に入れたという状況を喜べる訳もなく、日々を悶々としながら過ごした。
そんな中、あの学年別トーナメントから、三日後朝のこと。
その日は、朝から妙に先生方が慌しく走り回っているのが印象に残った。
いつもなら寮監も兼ねている千冬姉も、その日は食堂に顔を出さなかった。
そして、他の生徒達より早めに教室に赴いたところ、山田先生に呼び止められ、急遽今日の授業が中止になったことを聞かされた。
「はい? なんでです? 何かあったんですか?」
「ごめんなさい、職員全員に召集がかかってまして、私もこれから向かうところでまだ詳しいことは知らないんです。明日からは通常授業に戻りますので、今日は部屋で自習していてください」
そんなやり取りをしたあと他の先生に話を聞こうにも捕まらず、釈然としないまま寮に戻った俺は、勉強する気にもなれずそれとなく部屋につけられているテレビのスイッチを入れた。
「……特番?」
こんな時間からやってるなんて珍しいとなんとなく関心を持ってぼんやりと眺めていたが、不意に心当たりのあり過ぎる単語がいくつも聞こえてきて俺は思わず跳び上がった。
『――――世界初のIS男性操縦者は未だに重傷とのことで、IS委員会は今後もドイツのIS開発部の責任を追及していくとのことです』
『加害者の少女もさぞ怖い思いをしたでしょうね。こちらも全治2ヶ月の大怪怪我で療養中とのことですよ……全く、搭乗者を部品の一部とくらいしか認識していないんでしょうか。命に別状はなかったのがせめてもの救いですが、一歩間違えば大惨事ですよ』
あの、三日前の試合の内容がニュースで取り扱われていたのだ。
内容はIS学園における模擬試合でドイツ製のISが暴走、試合をしていた二人のIS操縦者が大怪我をしたという非常にざっくりとしたものだったが、必ずしも間違いとは言えないものだった。
……未だに重傷というIS男性操縦者というのは俺のこと……なんだろうな。確かに大怪我ではあったものの、現にこうしてピンシャンしている身では実感が湧かないのだが。
というか、基本的IS学園内で起こったことに関しては情報規制が敷かれるのではなかったか? いくらなんでも、情報が表に出るのが早すぎやしないだろうか?
「あーもう。消そ消そ」
混乱は晴れないまま、頭を掻き毟りながらテレビの電源を落とす。
直接名前は上がってないとはいえ、こういったことで自分のことがメディアで取り扱われるというのはあまり気持ちのいいものじゃない。
「あのニュースの話は後で千冬姉に聞くとして……やっぱ、勉強するか」
そう頭を切り替え、腰を上げる。
が、それと同時に。
「一夏!」
叫び声と共に部屋のドアがブチ破られ、
~~~~~♪
携帯の、全く聞き覚えのない着信音が鳴り出した。
「箒ィ! 入る時はノックしろっつっただろ! 白煉! テメーまた勝手に人の携帯の着音ジーレンジャーの変身テーマにしやがったな!」
「ノックしただろう!」
まー語源的には間違ってはいないが。お前はどうして何をするにもそう全力投球なんだ。つーかどうすんだこれ、風が吹き込んでくるんだが。
『ジーレンジャーじゃありません、オメンライダーです。あんな変身と叫んでおきながら色違いの全身タイツを纏うだけの集団と一緒にしないでください』
……その発言は色々と敵を増やすぞ白煉、戦隊物馬鹿にすんな……駄目だ、突っ込みが追いつかない!
俺は聖徳太子じゃないんだ、どっちかは後にしてくれ!
「白煉留守電!」
その一言で着信音の方は何とか一旦収まる。後は箒だ。
「で、なんだよ?」
「先程ニュースを見たのだ。お前が重傷だと言っていた……」
「この通り何処も問題ないわけだが」
「そ、そうか……全く、驚かすな」
「驚かされたのはこっちだ。あとどうすんだドア、今日職員さん達忙しそうだし対応してくれそうにないぞ」
「すまん……」
冷静になったのか自分のしたことを省みて小さくなる箒。まぁこちらも一応俺のことを心配してやったことのようだしあまり責めるつもりはない。
用件は済んだようなので、今度は携帯の方を確認した。
「げっ……」
着信履歴の数が凄いことになっていた、この一分かそこらで一気に来たらしい。何人かは留守電になっていることを確認してメッセージを残してくれたり、メールを送ってきたりしてくれていた。内容を確認すると、凡そ箒と似たような用件だった。
普段から手広く親交の輪を広げていた結果といったところだろう、嬉しく思う気持ちはあったが、シャルルのことで気分が落ちている今は、これに全部対応しなくてはならないと思うと少し気が重くなった。
「どうかしたか?」
俺の表情が固まったのがわかったのか、箒が声を掛けてくる。
「お前と同じだよ、マスコミのいい加減な情報掴まされた友達からのお見舞い連絡……全部メールで済ませちまいたいトコだけど、クラスメイト位には顔出したほうがいいよな」
「そうだな、行って来い。私はその間この扉を何とかしよう」
「……大丈夫か?」
「任せろ」
妙に自信満々な箒に却って不安を覚えながらも、結局俺はクラスメイト達に自分が何ともないことを知らせるために部屋を出ようとする。が、
「いち……ぶっ!」
「げうっ!」
ドアがなくなりただの四角い穴と化した部屋の入口から一歩踏み出そうとしたその瞬間、箒と同じように切羽詰った様子で走りこんできた鈴と激突した。
いくら勢いがあったとはいえ、所詮体重の軽い鈴の体当たり程度なら余裕で受け止めることが出来たのだが……
「!」
その時は運が悪かった。衝撃を受け流すために半歩下げた右足が先程倒れた部屋のドアに引っ掛かり、結果一気にバランスが崩れて俺は鈴と一緒に転倒した。鈴こそ受け止めることに成功したが俺はドアの角に後頭部を打ち付けて流血し、それが中々止まってくれず結局頭に包帯を巻いた状態で挨拶回りをする羽目になった。
クラスメイト達を却って心配させることになったのは、言うまでもなかった。
「……その頭はどうした?」
「……不幸な事故だったんだ。聞かないでくれ」
「そうか」
その日の夜。
今日見たニュースのことについて千冬姉と話がしたくて、消灯時間ギリギリまで寮長室の前で千冬姉を待ったが結局千冬姉は現れず、諦めて部屋に戻ったところ向こうからやってきてくれた。
出会い頭にそんな軽いやり取りを交えつつ、俺は外見上は元に戻ったものの、その実立てつけが悪くなったように梃子でも動こうとしない部屋のドアを蹴り開け千冬姉を部屋に迎え入れた……まぁ素人の仕事にしちゃ上出来だ。
千冬姉は疲れていることを隠す様子もなく、部屋に入るなり遠慮なく椅子に座ってくつろぎ出した。
「また随分グロッキーだな。マッサージするか?」
「……出来れば頼みたいが遠慮しておく。この部屋で寝るわけにはいかん」
とはいえ、ダラケモードになっても一応教師としての最後の矜持はあるっぽい。
「OK、じゃあ飲み物持ってくる。麦茶でいいよな?」
「酒がいい」
「……これで本当に俺が酒を持ってきたらどうせ討伐粛清なんだろ?」
「雷撃掃討だな。ああ、それでいい。すまんが頼む」
「ナチュラルな一言で弟を罠に嵌めようとするなよ……了解」
俺は謀られても裏切られても泣いちゃう弟なんだぞ。
……と、冗談を交えつつ、棚からコップを適当に二つ見繕って冷蔵庫に向かい、背中を向けたまま会話を続ける。
「しかし珍しいな。千冬姉が出向いてくるなんて」
「同居人がいる部屋においそれと姉としては出向けんだろう。オフの時まで教師として振る舞ってられるか、面倒臭い」
この人は根本的に教師という職業に向いていないんだと思う。
どいういう経緯で今の職に就いたのか一回訊いてみたくはあるが……今はやめよう、濃い話になりそうだ。
「で? 今日はどうしたんだよ? 朝は顔出さないわ、職員さん達は皆忙しそうだわ、授業は前触れもなく休みになるわで……」
「……話すと長くなる上に、そもそも生徒に話していいことではないんだが……まぁいい、今から言うのは愚痴の独り言だ。それが偶々、近くにいた弟に聞かれてしまったとしても、弟の不用意な好奇心が生んだ不幸な事故の範疇で収まるだろう?」
……この外道教師め、と心の中では思いつつ、話には興味があるので文句は言わず、コップに麦茶を注ぎながら沈黙を以て続きを促す。
「全く、本当にくだらない仕事だった。今日ほどやってられないと思った日は人生でもそうなかったな……」
そんな一言を皮切りに、千冬姉の『独り言』が始まった。
あのニュースを見た時点でなんとなく予想はついていたが、早い話、例の学年別タッグトーナメントで起こったことの情報が、どうやら外部に漏れた、ということらしい。
そのお陰で今日はIS学園にいる娘を心配した親達の対応から、情報を外部に漏らした犯人捜しとてんてこ舞いで、職員達にとってはIS学園始まって以来の厄日と言える日だったようだ。
「ちなみに一番最初に連絡してきたのは、あの『デュノア』だったそうだ。こちらの話を一切聞かず、『息子をそんな危険な場所に置いておくわけにはいかん』の一点張りで、シャルルの正式な退学手続きを要請してきたらしい……本人だけ先にさっさと引き揚げさせておいて良く言う。あの娘の親父とは思えない程の食わせ者だよ」
「ふざけやがって……」
思わぬところで意外な名前を聞いて思わず歯軋りする。
千冬姉も何か思うことがあるのか心なしか辛辣な口調だった。が、俺の表情を見て気を遣うように表情を和らげた。
「……余計だったな、今のお前にデュノアのことは……」
「構うなよ、独り言なんだろ。それにもう引き摺っちゃいねえよ」
「どうだか、な」
強がりを言った俺の内面を見透かすように、千冬姉は麦茶の入ったコップを受け取りながら真剣な目で俺を見つめてくる。
俺はその視線に耐えることが出来ず、思わず目を逸らしてしまう。
「……わかりやすい奴だな。一応心配して来てやったのは正解だったか」
「……うるせえ」
「やれやれ、素直じゃない弟だ……ほら、もう貰うものは貰ったんだからあっちにいったいった。私は独り言を続けたいんだ」
「へいへい、壁とでも話してるからお好きにお続けなさってくださいな」
そのまま踵を返して自分のベッドのあるところまで引っ込む。辛気臭い顔を見られたくなかったので邪険にされたのは却って有難かった、
尤も向こうもそれを察してくれたのかもしれない。
俺が仕切りの向こうに引っ込んだのを見届けてから、千冬姉は話を続けた。
「……今回の件。ここも散々だったが、ここ以上に偉い目に遭わされた所がある。何処だかわかるか?」
――――独り言じゃなかったのか。まぁいいや。別に無視する理由もない。
「なんとなくは。ニュースでも散々な言われようだったからな」
「だろうな。違法なシステムを自国ISに搭載した挙句試合中に暴走させ、その搭乗者とよりにもよって世界唯一の存在であるIS男性搭乗者に大怪我を負わせた……元々欧州はISの開発競争が激しい。尤もそれがここ数年であの周辺諸国のIS技術の大幅な向上に繋がっているから悪いことばかりではないが、結局のところは数に制限のあるコアを巡っての潰し合いのような状況になっているからな。虎視眈々と相手が弱みを見せるの待っているハイエナの集まりが、見逃すネタじゃない」
「……でも、システム自体仕込んだのは束さんなんだろ。完全にとばっちりじゃないか」
「元はといえば、あれを造ったのはドイツのIS開発機関らしい。それをあいつが利用した形になるから全く連中に非がないと言えばそうでもないのだが……それにしても十分すぎる報いを受けた。つい数時間前、『イグニッション・プラン』からドイツの第三世代機が外されると発表があった。いくら強力な機体でも、違法なシステムを搭載している可能性のある機体を欧州の防衛統合計画に加える訳にはいかないということらしい。ドイツはIS開発の最前線から一晩で降ろされることになった……PIC技術において他の国が持ちえないノウハウを持ってる国だ、開発権の取り上げは見送られるだろうが、それでも信用を失った以上、現状から前の立場に戻るのは相当厳しいだろうな」
千冬姉の声は、何処か迷っているような印象を受けた。
本当に言いたいのは、ドイツがこれからどうなるかとか、そういった話ではないんだろう。
何か話を続けながら、どうやって自分の切り出したい話題に持っていくか考えているような、自分の中で情報を整理している感じの話し方だ。
「……束さんを、責めてる?」
だからなんとなく、自分が感じ取った、千冬姉の『言いたいこと』を予想して、ポツリと口にしてみた。
千冬姉は、途端にしばらく押し黙り、その後やはり何処か心ここに在らずといった様子の返事が返ってくる。
「……そりゃあそうだろう。元はといえば、あいつが大人しくしていれば何も起こらなかったんだ。それに、あいつが……」
「? 悪い、最後なんて言った?」
千冬姉が呟くように口にした最後の言葉が聞き取れず、それが何か大事なことのような気がして、思わず聞き返す。
が、千冬姉はコップを置いて大きく伸びをしながら、
「いや……いいんだ。束の話はやめだ、あいつのせいで今日あれだけ苦労したかと思うともう名前を聞くだけで腹が立ってくるからな」
と、話をはぐらかした。
一年前に大喧嘩して別れて、今は絶交中なんて口では言っているものの、千冬姉は未だにかつての無二の親友を憎みきれていないきらいがある。
……当たり前だ。全然息が合っていなくて、衝突も絶えなかったが、なんだかんだで仲のいい二人だった。性格も気質も正反対の二人なのに、お互いがお互いのことを認めていた。その関係を、全部。俺が……壊した。
「……ごめん」
その言葉を言うべきでないことは、わかっていた。千冬姉が、望まないから。
それでも、例え二人が俺の罪を認めてくれなくても、俺は二人に謝りたかった。
「……全く、だから私の前で束の名前を出すなというんだ。お互いに不快な思いをするのがわかってるだろう」
「ああ」
千冬姉はやはり取り合わない。
もう全部バレてるのに、それでも俺の前では『束さん嫌い』を演じ続ける。
もしかしたら……今こうして話している『千冬姉』でさえ、本来の『織斑千冬』では、ないのかもしれない。
けれど、そうだとしても構わない。俺が『織斑千冬』の弟であることは、千冬姉がどんなに自分を取り繕っていたとしても変わらない事実なのだから。
「そもそもドイツの話をしたのはあいつとは関係ない……ラウラの、ことだ」
「あ……」
そんなことを思っていたのも束の間、もはや独り言とはなんだったのか、椅子から立ち上がり麦茶を呷りながら仕切りに寄りかかるようにしてこちらを見ている千冬姉の答え合わせで俺は我に返る。
……予想を外した上に地雷まで踏んでたのか俺。駄目だ俺、やっぱ開き直る前に姉の思考を正しく理解出来るようにならんといかん。
それにしても、ラウラ、か。
「……実際、あいつへの風当たりはどうなんだ? 当事者の一人じゃないか」
名前を聞かされて、確かに不安になった。最悪、この学校に居られなくなるとか、そういったことになったりはしないだろうか。
……尤も、完全に馴染めていなかったので逆にその方があいつ自身にとってはいいのかもしれないが。千冬姉のことだけは引き摺りそうだ。
「あいつはVTシステムについて何も知らなかったからな。寧ろ何も知らずに危険な機体に乗せられた被害者として認識されている、特に処罰の対象になるようなことはない。専用機を引き続き所持できるかについては些か怪しいが……少なくともあいつの『シュバルツェア・レーゲン』からは既に『VTシステム』の完全な除去が認められている、本国との折衝次第では何とかなるかもしれん」
なんだ。仲は良くないとはいえ、知り合いが自分と関わったことで処罰云々とかになったら流石に目覚めが悪いから心配になったが、ほぼ問題ないじゃないか。
と、少し安心したのが顔に出たのだろう。千冬姉はジト目で俺を睨んだ。
「安心するとこじゃないぞ馬鹿たれ。結局、あいつ自身がここに馴染めていないことは何も解決していないのだぞ……それに、あいつ自身にお咎めがないとはいえ、あいつがやらかしたことが発端で祖国が窮地に陥っている事実は変わらん。今のところあいつは何も知らないが、今日のことを知ったら責任を感じて落ち込むだろう。元々自分のこと以外あまり関心を持たない奴だが、凰程自国に対してドライになれる奴でもない」
うん、まぁ教え子として心配なのはわかるよ。
あいつが被害者ってのも間違いじゃないし、同情してやってもいい。
だが、千冬姉が俺にこんなことをわざわざ話すってことは……
「俺に、あいつがここに馴染むのを手伝えってこと?」
「物わかりのいい弟は嫌いじゃないぞ……随分不服そうだな。試合であれだけ叩きのめしておいてまだ遺恨があるのか」
いや、そういう以前の問題なんだが。確かに鈴達の仇は討った。後は本人達次第だが、俺個人としての恨みつらみはもう今のところ特にない。
だが……
「俺が助力を申し入れてもあいつが受け入れるとは思えないぞ」
その一言に尽きる。
箒は俺にしかラウラは救えないと言った。ずっとその意味を理解できないままラウラと戦い、結局最後までわからないまま戦いは終わった。実際、戦いの最中は考えている余裕なんてなかった。あれからあの試合を見ていた娘達は俺のワンサイドゲームだったと口を揃えていうが、俺に言わせればラウラにこそはったりで強がったものの、あの試合は一か八かの作戦で、一度も失敗の許されない綱渡りのような戦いの流れを運よく拾えたようなもので、完全勝利というには程遠いものだったのだ。
だから戦闘中はただ『勝ちたい』という想いだけで相手のことを慮ることなど出来ず、結局最後までラウラには恨まれたままだったような気がする。
と、自分の中ではあの戦いで出せた答えはその程度のものでしかなかったことからの発言だったが、そう言った途端千冬姉はジト目から一転、
意外そうな顔で俺を見た。
「なんだ、自分で自分のしたことに気が付いていなかったのか。思っていた以上に鈍いなお前は」
「はぁ?」
「私はただ『負かせてやれ』としか言わなかったろう。最初から小難しいことなんて考える必要なんてなかったのさ。お前は私の弟としてどんな動機であれあいつに『力』を見せてやれば良かったんだ」
「そりゃあ、結果的に勝ちはしたけどさ……」
「……そうだな、あれからあいつに会っていないなら実感できないのは仕方ないか。ラウラが復学したら話してみるといい、前ほど邪険にされることはないと思うぞ」
「う~ん……」
そう言われても初めて会った時から敵視されていた状態だったので、棘のとれたラウラというのも逆に想像できない。
けれどまぁ、例え少しでもあの態度が改善するというのであればこちらとしても万々歳である。
「わかったよ、千冬姉がそこまで言うなら。まずは一回話してみる」
少し悩みはした。そうじゃなくても一人若干コミュニケーションが不自由な幼馴染を抱えている身だ。だがあいつはもう殆ど俺の手を借りずにやっていける瀬戸際まで来ているし、あの基本的に敵は作らないものの『特別な人間』も積極的には作ろうとしない千冬姉が、珍しく目をかけている奴と出来ることなら仲良くなりたいという気持ちもあり、結果的に俺は千冬姉の話に乗ることにした。
「すまんな。お前の他に頼める奴がいないんだ」
「一組の連中なら千冬姉が命令すれば割と喜んで従いそうだけどな。ま、弟として姉から頼られるってのは悪い気はしないけど」
「……姉、か」
呟きと一緒に千冬姉が一瞬怪しげな含み笑いのようなものを浮かべたような気がして、俺は思わず座ったまま後ずさる。
……あれは経験上、何か悪いことを企んでいるときにする顔だ。
「なんだよ?」
「いや? 別に……これから頑張れよ、『弟』」
「お、おう?」
自分から頼んでおいて何処か他人行儀な言い回しが引っ掛かったが、千冬姉なりの照れ隠しだろうということで自分を納得させる。
「と、いかん、忘れるところだった……頑張りついでに、もう一つ頼みたいことがある。こいつにサインを寄越せ」
そうして俺が千冬姉の態度に恐々としていたところ、千冬姉は不意に思い出したように仕切りから首を引っ込め、一枚の紙切れを持って再び顔を出すと、それを俺に向けて指で弾いて飛ばしてきた。
「なんだこれ?」
「お前のIS学園からの外出を認める書類だ。前からずっとここに缶詰は嫌だと言っていただろう。そいつにサインすれば、日中17時までという制限はつくが、オフの時なら自由に学園外に出られるようになる……尤も一応大事をとって最初の外出の際には護衛をつける約束になってる、出るときは事前に私か山田先生に言うように」
「おお!」
とうとう来たか、ここにいても特に衣食住には困らないのだがそれだけで娯楽が乏しく、それに部屋に簡単なキッチンや冷蔵庫があるのに食材や調理用具の買い出しに行けず自分で料理を作れないのがずっと不満だったのだ。
……尤も今日までずっと禁欲生活を送ってきた訳でもなく、鈴や千冬姉の差し入れに随分助けられてきたのだが。しかし、それにしても……
「よくこの時期に許可が出たな」
「この時期だからこそ、だ。度重なる事件や事故のせいで、IS学園内も絶対に安全ではないという意見が内外共に出始めていてな……お前の行動範囲を制限するのは監視こそ容易にするが、同時に位置を特定されやすくなるということでもある。まぁ私は今回の件は十中八九束の仕業だと思っているが、IS学園内部から情報を流している者が存在する確率もゼロではないことも考慮すれば、多少お前が動ける範囲を増やしておいたほうがいいという結論になったらしい」
「お偉いさん方も随分と束さんに振り回されてるんだな、可哀想に……」
「まぁそんなこちらの事情はともかく、ようやく缶詰から解放されるんだ。実家を長いこと空けているのを気にしていただろう、今度の休みにでも見に戻ったらどうだ?」
「いや、千冬姉には言ってなかったけど、実はもう我慢しかねてその辺の事情は既に解決し……」
そこまで言いかけて、ハッとする。
このところシャルルのことを引き摺って調子が良くなかったのは、千冬姉にも見破られていただろう。
もしかしたら、この際だから一度学園を離れて気分転換してこいとのお達しなのかもしれない。だったらここは空気を読むか。
「……そうだな。実家の方もだけど、久しぶりに友達に会ってくる。ここにサインすればいいんだな?」
「確かに。じゃあ三日後で申請を出しておく。先程もいったが護衛をつけるから勝手に行くなよ」
「護衛なんて千冬姉がきてくれりゃあ一発解決じゃんか」
なんせ人間はおろか熊や虎さえ睨んだだけで震え上がって一目散に逃げて行ったという逸話のある人だ。因みに虎は知らないが熊の方は俺が小学生の頃一緒に山にキャンプに行ったときに起こった実話だったりするから笑えない。
「今週はIS学園から動けん。言質はとったし束が動くことはないだろうが、念のためISが襲来してくる可能性も考慮して、国家代表クラスの人間を一人つける予定になっている。万が一にも危険なことにはならない筈だ」
うおぅ、流石に近所巡り程度にそこまでされると少し恐縮する。まぁ約束ってことならしょうがないか。
「わかった。じゃあお言葉に甘えて、明々後日は精々ガス抜きしてくることにするよ」
「といっても、休み明けは中間考査だ。あまりはしゃぎ過ぎるなよ」
「……嫌なことを思い出させるなぁ」
「こっちも一々言いたくはないが、これも弟を落第させないための姉心だ……とはいえ、もう理論の方は捨てろ。付け焼刃で何とかなる分野じゃない。お前の小テストの出来を見る限り工学が比較的強いから、この辺りでどれだけ伸ばせるかが勝負だと思え」
「ん~まぁそれはわかってる。結果に期待しろ……とは言えないけど、せめて赤だけは回避出来るようにする」
「ああ、点数については最初から期待していない。が、妥協だけはするなよ」
「後で自分が後悔するような結果を残すな、だろ?……大丈夫だよ、俺も中途半端で投げ出すのは好きじゃない」
「フ……半人前の癖に学生であることを放り出そうとした奴がよく言う。まぁいい、精々破滅の日まで足掻くがいいさ」
そんな一々ムカつくことをのたまいつつ、俺から許可証を受け取ると、用は終わったとばかりに大きく伸びをしながら立ち上がる千冬姉。
「部屋に戻るか?」
「ああ、明日も早いし正直もう眠い。ここらでお暇させてもらおう。麦茶、ごちそうさま」
「お粗末様。忙しいからってあまり無理すんなよ」
「何、やれる範囲で息は抜いているさ。お前こそ、根を詰め過ぎて体調を崩すなよ」
「……人にあれこれ押し付けておいて良く言うぜ」
「それはそれ、これはこれ、だ」
そんないい加減なことを言い残し、千冬姉はあの立てつけの悪い扉を何事もないように自然に開けて、そのまま部屋を出て行った。
「息抜き、か」
千冬姉の背中を見送ったあと、降って湧いた明々後日の外出の機会のことに思いを馳せて、ふっと呟いた。確かに、丁度いいといえばいいのかもしれない。
この部屋で一人で勉強していると、嫌でもかつてここで一緒に過ごしたルームメイトを思い出す。
諦めたわけじゃない、いつかまた、最悪助けに出向いてでも再会するつもりではいるが……あいつが自分の意志でここを出ていき、連絡も取れない今は、俺に出来ることはない。
それなら悶々と一人で悩んでいるよりは、また何処かで会えた時にシャルルをがっかりさせないよう、前を向いて笑っていた方がいい。
「そうと決まれば……何をするか決めておくか。どうせ、実家の掃除なんて大してやることないだろうし……」
結局その後は、千冬姉にああ言ったのにも拘らず碌に勉強せず、明々後日の遊びの計画を練ることにほぼ時間を費やしてしまった。それでも気はあまり紛れなかったものの……久しぶりに、少しだけ。楽しい気分になった気がした。
老獪徒手空拳。なんで千冬姉があんな電波ソング知ってるんだなんて突っ込みは無粋です。初めて聞いたときはサトリナさんになんつーモン歌わせるんだと思ったものですが何度か聞いていたら洗脳されてきました、いいぞもっとやr(殴
次回はとうとう念願のお出かけ回になります。