IS/SLASH!   作:ダレトコ

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第三十六話~師弟、親友~

~~~~~~side「ラウラ」

 

 

 目を醒まして最初に見たのは、白い天井だった。

 

 「……!」

 

 現実に戻ってきたのか? それともまだあの『声」が見せている記憶の中なのか?

 それを確認しようと私はとっさに身を起こそうとしたが、

 

 「むぐっ!」

 

 試みようとした途端全身を身の毛がよだつ様な激痛に襲われ失敗する。

 

 「……大人しく寝ていろ。全身の筋肉繊維の所々が断裂している、しばらくはまともに動けんぞ」

 

 「!」

 

 あまりの激痛に言葉も出ず身悶えする私に、そんな声が掛かり転がったまま振り返るが、

 その瞬間またしても前進に電撃が走り、思わず涙が零れる。

 

 「……だから動くなというのに」

 

 「ひょ、ひょうはん!」

 

 痛みと、思いがけない人が目の前にいたことで声が裏返る。

 そこにいたのは、片手で頭を抱えながら私の顔を覗き込んでいる、教官だった。

 

 「気がついたか。無事……というわけにはいかないか。だが、後遺症は残らない。ここの優秀な医師達に感謝するんだな」

 

 「あの……教官。ここは……?」

 

 「IS学園専属の国立総合病院だ。全く、お前は存在そのものが軍事機密の塊だからな、病院一つ担ぎ込むにも余計な手続きをさせられた……面倒な仕事だ。金が良くなければ誰が続けるか」

 

 「も、申し訳ありません。お手数をお掛けしました」

 

 元々不機嫌なように見えることの多い教官だが、今はそれに輪を掛けて不機嫌なように見える。

 いつもなら思わず後ろに一歩下がってしまうような状況だが、今の私に逃げ場はない。結果、兎に角謝ることしか出来なかった。

 

 「構わん、面倒は嫌いだが、慣れている。非常に不本意な事だがな……と、そんなことよりもだ。ラウラ、今の状況がわかるか?」

 

 「思い出せるのは、私が……織斑一夏と戦い……敗北したところまで、です」

 

 「そうか……」

 

 そこから後の『声』に関することを話そうかどうか迷ったが、あの時気を失ったのなら単に自分が見た夢のようなものであった可能性は捨てきれず、不確かな情報を教官に話すことは躊躇われて、取りあえず今は黙っていることにした。

 私の返事を聞いた教官は、なにやらしばらく考えるような素振りを見せたが、すぐにまた厳しい顔で私に向き直った。

 

 「なら、その後起こったことを教えてやろう。お前が織斑に敗北した瞬間、お前のISに仕込まれていた『VTシステム』が発動。お前と織斑はそのまま交戦、その結果お前は搭乗者を無視した違法システム使用の反動、織斑はISの突発的な異常に見舞われ絶対防御が沈黙、そんな状態でお前と戦ってどちらも重傷を負い、ここに担ぎ込まれたわけだ」

 

 「お、織斑一夏は無事なのですか?」

 

 「失血が酷かったが、幸い姉弟で同じ血液型の私がいて事無きを得た。傷の方は問題ない、あいつのISは特別製でな。先程様子を見に行ったら既に傷跡一つ残っていない状態だった、正直あそこまでいくと少し薄気味悪さを覚えるくらいだ」

 

 「そうですか……」

 

 「ああ。少なくとも現状では間違いなくお前の方が重傷だな、色々な意味で」

 

 「…………」

 

 教官の言った、『色々な意味』という言葉。

 そこに含む意味がわかならいほど、私は愚かではなくて、返事も返せず、目を伏せ教官から目を逸らす。

 だが、教官は逃げることを許さず、

 

 「……何故お前が敗北したのか、わかっているな?」

 

 触れられたくないことに、踏み込んでくる。

 

 「……申し訳ありません、教官。教官の名前に泥を塗るような、無様な敗北を……」

 

 「勘違いするなよ、ラウラ。お前が『負けた』こと自体、私は全く気にしていない……むしろ、お前はいい時に負けた。苦いだろうが、その泥の味を覚えておけ。それを忘れなければ、お前は私のようにならずに済む」

 

 「し、しかしわ、私は……! 教官のように、なりたくて……!」

 

 「確かに、私は『勝ち』続けたさ。だが……それは少なくとも私にとっては、必ずしもいい方向ばかりに転がらなかったよ。最後には後悔ばかりだ……『勝ち』に捉われるな、ラウラ。強さを求めるお前にとって、結果を残すことがどれだけ大事なものかはわかっているつもりだが、勝つことが当たり前になればそれに拘り過ぎて、本当に大事なものが見えなくなるぞ……かつて、その本当に大切なものを失いかけた、私のようにな。そうなってからでは遅いのだ」

 

 「そ、そんなこと、言わないでください。教官、は……」

 

 誰よりも、強くて。

 完璧で、弱いところなんて、あってはならない。

 そんな人が、自嘲の言葉を口にするのが嫌で、私は耳を塞ごうとする。

 が、教官はそれを許さず、私の腕を掴んで私のことをじっと見つめた。

 

 「こら。お前はまだ私の質問に答えていない、その前に話を拒否するような真似は許さん」

 

 「! そんなこと、答えるまでもないことです! 私が……」

 

 言い掛けて、口を噤む。負けた理由なんてはっきりしている、けれど教官の前でそれを口にしたら、この人に失望される、見捨てられると思って。

 けれど教官は逃げることなど許さぬとでも言うように私の腕を離さず、私はしゃくりあげながら、なんとか続きの言葉を紡いだ。

 

 「私が、弱かったから……!」

 

 「やはり、な。お前は、そういった結論を出してしまうか」

 

 教官は私の返事を聞き、呆れたように溜息を吐いた。そしてその直後、

 

 「この馬鹿者が……!」

 

 鋭い声で私を叱責し、拳を振り上げる。

 元々碌に体が動かない上、急な事態に対処出来ず、私は迫る鉄拳を前に目を瞑ることしか出来ない。

 

 しかし目を瞑ったまま、いくら待っても衝撃はやって来ず、

 コツン、と、頭に何かが当たる感触があっただけだった。

 

 「え?」

 

 恐る恐る、顔を上げてみれば、そこには初めて会った時のように、厳しくも何処か優しげな微笑みを浮かべながら私の頭を撫でる、教官がいた。

 

 「なんて、な。お前のそういうところを正せなかった、いや、理解する努力さえしなかったのは、私の責任だ。だがな……流石に人に一年も手間を掛けさせておいて、自分が弱いなどと言われれば腹も立つぞ。それでは、何か? 私が一年間、お前を鍛えたのは、全く無駄な事だったとお前は言いたいのか?」

 

 「そ、そんなことは! ただ、私が、教官の期待に添えるだけの器ではなかったというだけで……」

 

 「期待? 確かに金は貰っていたが、ドイツ軍に属した訳ではない。当時の私は仮初の客に過ぎなかった。だから私がお前を個人的に鍛えた事に対する見返りなどいらんし、お前のやることに一々結果も求めない……ただ、お前に対して余計なおせっかいを焼いてみて、そうした結果それを乞われたから応じた。私からすれば、最初からそれだけの話だった」

 

 「そんな……それ、では……教官は、私の、ことなど……」

 

 「……だから一々そんな捨てられた子犬のような目をするな。私に期待されなければ強くなれんか?……それでは順序があべこべだろう。お前が一番最初、私に個人指導を頼んだ時、なんと言ったか覚えているか?」

 

 「ええと、その……」

 

 「……その様子では覚えていないようだな。『孤独に負けない力、一人で生き抜く強さが欲しい』と、お前は言ったんだ。その言葉を良くも悪くも直接受け取った私は、お前に必要なのは『私』ではなく『力』だと信じた……だからお前がかつての自信を取り戻せるようになるまで鍛えるのが私の役目、それ以降はお前に関わるまいとその時決めていた。だから、必要以上にお前に入れ込むまいと、思っていたのだが……」

 

 「……!」

 

 ……その通りだ。当時、ヴォータン・オージェの移植手術で力を失った私を、見てくれるものは誰もいなくて。

 必死に、表には出ないようにしたが、悔しくて、寂しくて。

 そんな感情を抱くのは自分が弱くなったからだと信じ、手を差し伸べてくれた教官に望みを聞かれて、私はそう答えた。

 だが、結局私は。

 最初に抱いたその決意を忘れ、気がついたときには教官に縋りついていた。

 情けないと、自分でも思う。しかし、もう傍に誰かがいてくれる暖かさを知ってしまった私は、戻りようがなかった。だから、

 

 「いいです……『力』も、『強さ』もいりません。だから……私を見捨てないでください。一人に、しないでください。もう……嫌です。寂しいのも、ひとりぼっちも」

 

 かつて、力を失う前の私が聞いたら卒倒するような言葉が、出てきてしまう。

 今までだったら、最後の最後で、今までずっと保ってきた矜持で、この一線だけは間違いなく踏み越えなかった。

 けれど、もう無理だ。

 だって、こんな暖かさを教えられた後で、あんなものを見てしまって。

 喪失の絶望の深さを、嫌というくらい思い知らされて、どうして一人でいることに耐えられるだろう?

 

 「お願いです、お願い、ですから……!」

 

 身を切るような痛みが全身に走るのも構わず、何とか腕を動かして、泣きながら教官に縋りつく。

 教官はそんな私をどう思ったのか、しばらく驚いたように目を見開きながら見ていたが、

 

 「……馬鹿者は、私か。お前の弱さに気づいていたくせに、お前が私にそれを悟られるのを望まないだろうと思ったばかりに、そのことから目を逸らし続けた。お前は最初から、私だけを見ていたのにな」

 

 何処か自嘲するような声でそう呟くと、私の手をとる。

 

 「教官……?」

 

 「ああ、自信を取り戻させるまでが役目、だと思っていたが……その結果今回のように『自信』だけの未熟者が調子に乗って恥を晒すのを私のせいにされるのも業腹だ、考えを改める……見捨てるなと言ったな? 笑わせるなひよっこ。しばらく私がいないうちに、自分が私の手等掛からないほど、一人前になったとでも勘違いしたようだな。あの試合の内容も、強い弱いの問題ではない、全てはお前自身の驕りが齎した結果だ。今回は見逃してやるが、今度似たような思い上がりをしたら尻を腫れ上がるまで叩いてやるぞ?」

 

 「はうっ!!」

 

 そしてそのままギリギリと手首に食い込む、教官の指。

 元々筋肉が断裂しているのと、万力のような力で握られる痛みに耐えられず、私は思わず情けない悲鳴をあげてしまう。見れば教官は先程までの、何か考え込むような表情は何処へやら、訓練中、少しでも私が調子に乗ったときに見せる、さてこいつをどう料理してやろうかといった内心が滲み出るような微笑を浮かべており、それを見た私は冷や汗を浮かべ反射的に逃亡を図ろうとして、今自分が置かれている状況が袋小路であることに気づく。

 

 ――――み、見逃すと言ったではないですか、教官!

 

 そんな言葉も出せないほど慌てふためき、ただわたわたと身を捩る。

 教官は一頻りそんな私の様子を眺めた後、唐突に堪えられないといった様子で笑い始めた。

 

 「ははは! さっきまで泣いてた奴がなんだ。お前本当に私に見放して欲しくないのか? 調子に乗ってる、と小言を言われることもなくなるんだぞ?」

 

 「きょ、教官!」

 

 苦しそうに腹を抱える教官を見て私はようやくからかわれたことを悟り、抗議を込めた視線と声を飛ばす。顔が熱い、今頃私の顔は真っ赤になっていることだろう。

 情けないが、この人のあの表情だけは駄目だ。どんな状況でも条件反射で全身が危険を察し逃げろと訴えてくる。尤も逃げ切れたことは経験上一度もない、この人は生粋のサディストだと思う。

 

 そうやって一頻り恥をかいた後、私は漸く教官の言葉を頭で反芻する余裕が出来たものの、そこに込められた意味を察して、思わずポカンとしてしまう。

 

 「教官は……私を見限ったのではないのですか? こんな……結局、一年間教官のご指導も身に入っていないような人間を、見捨てずにいてくれるのですか?」

 

 「お前は人の話を聞いていないな。最初からお前のやることに結果など求めていないと言った筈だが。まぁ、お前が身になっていないと言うのならもう一度叩き込んでやるから覚悟しろ……前回は仕事のついで、今度は自分が恥をかきたくないからだ。そこのところを、勘違いするなよ」

 

 そう言って今度はあからさまに私から視線を逸らす教官。

 そんな初めて見る教官の様子を見て、私はあの、『声』が去り際に残した言葉を思い出す。

 

 ――――人間である以上、どんな奴でも失敗はするし、馬鹿みたいな勘違いだってする――――

 

 この人が私の元から去ったのは、そもそも私を見限ったのではなく。

 この人なりに、私のことを理解しようとし、考えた結果とった行動で、今も私とどう向き合うか、答えが出せずにいるんだろうか。

 いいや、それとも。

 もしかしたら、私と同じ――――

 

 「いや、勘違い、か。そうだな……勘違いしていたのは、私だな」

 

 「? 何をですか?」

 

 思わず思考の海に沈みかけたところで、教官の声が私を現実に引き戻した。

 教官は照れているのか、未だに私と目を合わせようとしないまま、何処か昔を思い出すような表情で続ける。

 

 「いや……一人が嫌な癖に、自分から誰かと交われなくて、寂しくて泣いていたお前を、私は最初、弟と重ねて見ていた……つもりだった。が、違ったな。お前は一夏というより、かつての私に良く似ていた。だから放っておけない反面……きっと、直視するのが怖かったんだ。結局、お前の本質に気づいていながらも、お前の言葉を曲げずに受け取ったのは、私がお前から逃げ出したかっただけなのかもしれない」

 

 「!」

 

 「確認だ。邪魔をしたら拳骨だからな……聞いての通り、私はこんな、他人を慮ることが出来ない上に、自分の犯した過ちに対して醜い言い訳しか出来ないようなつまらない人間だが……そんな人間から指導を受けることに、不満はないか?」

 

 普段だったら、例え予め念を押されていても、遮ってでも受け止めようとしなかった、教官の自嘲の言葉。

 だが、何故かこの時だけは、元々考えていたこともあり、私は何処か不安そうな響きのある、この教官の言葉をすんなりと受け入れた。

 

 ――――こんな不器用なところがある人だなんて、知らなかった。

 いや、知ろうとしなかっただけなんだろう。私にとって、教官は完璧な存在だった。

 完璧な存在でなければ、ならなかった。

 

 けれど、今は。

 良くも悪くも、私達は似ているんだと。そんな確信を、教官の口からも、聞くことが出来たから。

 全部、受け入れた上で、私は最初から決まっている答えを口にする。

 

 「はい! これからも、よろしくお願いします!」

 

 「……そうか、わかった。後悔するなよ」

 

 「それはこちらの台詞です、教官。後になってからお前なんて知らんなんて言っても意地でも喰らいつきますから!」

 

 「言うようになったな、こいつめ」

 

 そう言って乱暴に私の頭を撫でる教官。

 髪はグチャグチャになったが、私はこの感触が嫌いではなかった。思わず、久しぶりに素直な笑みが零れる。

 

 「なら、早速宿題を出すことにするか……ラウラ、すぐにとは言わん。そんな表情を、私以外の、他の連中にも見せられるようになれ」

 

 が、その直後に与えられた課題によってそれもすぐに固まってしまう。

 

 「……は、はい……」

 

 「……なんだ、先程までの元気はどうした? 私には出来て他には出来ないということはあるまい? それとも、まだこの学園の連中に対して侮りがあるのか?」

 

 「いや、そういう訳では」

 

 この学校の、主に学生が持っている認識について、蔑視が完全に消えたかといえば嘘になる。

 だが、そんな認識を持っている学園に在籍する生徒に実戦で完膚なきまでに敗れた以上、私にそのことについて文句を言う資格はない。

 それに、その当事者である織斑一夏を始め……そんな生徒ばかりではないことに薄々感づいていながら、どうせ根は同じものだろうと決め付けていたところもある。

 しかし、それにしても……

 

 「そうでないなら……成程、恥に、矜持もあるか。確かに、あまり羽目を外されるのも困るが……お前は少しくらい毒されろ。お前は私を見て、強くなりさえすれば人なんていくらでも自分を見てくれるなどと思っているようだがな、評価するだけの刺さるような目等、三日もすればうんざりするようになるぞ? いい機会だ、少し周りに合わせるということを覚えていけ。今のお前にはわからんかもしれんが、例えそれが取るに足りんような力しかもっていない人間だったとしても、味方というのは多いに越したことはない」

 

 「はぁ……」

 

 「まだ一ヶ月間無人島でサバイバルしていた方が楽だとでも言いたげだな?」

 

 「……何故私の考えていることがわかるのですか、教官」

 

 「全く……私が言うのもなんだが年頃の娘がそれはどうなんだ。いいかラウラ、命令だ。学園に復帰し次第、一ヶ月の間で、学年を問わずIS学園内で最低十人以上の生徒と交友を持つこと。一ヶ月後、お前が交友を持った生徒の名前と一定の個人情報を私に発表して貰う。出来るな?」

 

 「わ、私は間諜向けの個体としてデザインされていません、そのようなことは向いては……」

 

 「馬鹿者、仕事ではない。あくまでも友好的に、向こうからパーソナルデータを譲渡してもらわなければ無効だからな……とはいえ、お前は今までクラスメイトとの交流すら怠ってきたからな、大分心証の下がっているお前が今から一人でやり遂げるには確かに若干重荷かもしれん。サポートくらいはこちらでつけてやろう」

 

 「本当ですか?!」

 

 「ああ……これは本来であれば私の専売だが、一時特別に許可してやる。体調が良くなったら、顔を合わせ辛いだろうがこれを名目に『あいつ』に近づいてみろ……恐らく、邪険にはされん筈だ」

 

 そう言ってニヤリと笑いながら私に耳打ちする教官は、まるで新しい悪戯を思いついた子供のようで。

 私はただただ、耳元で囁かれる教官の提案に、目を丸くするのだった。

 

 

~~~~~~side「千冬」

 

 

 最初は、流石に気まずいのか私の提案を中々飲もうとしなかったラウラだが、最後に何の気なしに付け加えた、私の一言を聞いた途端、

 

 「はい! 頑張ります!」

 

 と、急に態度を翻し、積極的な返事を返してきた。

 ……わからん。いったい何が奴の心の琴線に触れたのか。

 まぁいい、これで少なくともこいつ『個人』のことはなんとかなるだろうと、私は話も半分にラウラの病室を後にした。

 ラウラには何度も引き止められたし、私としても改めてあいつと向き合う覚悟を決めた以上、話してやりたいことはたくさんあったが、それは次の機会だ。愉しみは、後にとっておくものだ。今は……

 

 「あいつの周りのこと、か」

 

 幸い生徒を始めとする当時試合を観戦していた人間は、前回の事件で対策がなされていたのもあって事が終わるころにはほぼ全員避難しており、事の全てを見た人間は殆どいない。

 だが、ほぼ完治したとはいえ、ラウラが世界でただ一人の貴重な男性IS操縦者を『殺しかけた』ことは紛れもない事実だ、これほどの大事を、隠蔽しきれると思うほど、私は楽観的ではなかった。

 『VTシステム』に関する事情聴取は行った、ラウラ自身は、自分のISに該当システムが搭載されている事実を知らなかった。いや、そもそも最初から、ラウラのISには『VTシステム』等、搭載されていなかったのではないかと私は踏んでいる。

 

 ――――最悪の場合、『束』の名前を出す。それで、少なくともラウラだけは、助けられるかもしれない。

 

 そんなことを考えながら、病院を出るのと同時。

 明らかに私が設定していない着信音が、携帯電話から流れ出す。

 

 「……あいつまた勝手に人の着信音を!」

 

 明らかに今の気分にそぐわない、陽気な曲に神経を逆撫でされながら、私はさてどうしてやろうかと考えながら、悩みの元凶と電話を繋いだ。

 

 「束……」

 

 『……やっほ、ちーちゃん。調子はどうかな?』

 

 「『お蔭様』で絶好調だ。直接お前に会って様子を見せられないのが残念なくらいだな」

 

 『そっか……良かった』

 

 だが、いざ電話が繋がった束の様子はいつもと違って、私は直ぐに気を改める。

 ……こいつは、感情が昂ぶると逆に大人しくなる傾向がある。私に言わせれば、今の状態は十分『危険域』だ。

 こいつが爆発した場合、碌な結果になった験しが、私の記憶では少なくともない。そうともなれば、慎重にならざるを得ない。

 

 『いっくんは……大丈夫、だよね?』

 

 「ああ、こっちは本当にお蔭様でな……束、私の言いたいことはわかっているな?」

 

 『うん、わかってる。謝って許されることじゃないかもだけど、ごめんねちーちゃん。いっくんにも、後でちゃんと謝っておくね』

 

 「やはり……今回もお前の仕業か。いい加減教えろ束。一夏をあんな茶番劇でIS学園なんかに放り込んでISを持たせ、あんな無茶な形で介入してまであいつを『戦わせたい』理由を」

 

 『ありゃ、やっぱちーちゃんにはお見通しか……でも、ごめんね、ちーちゃん。『まだ』、ちーちゃんには言えない』

 

 「……束!」

 

 『ホントはさ、ちーちゃんに、隠し事なんてしたくないんだ。でも……本当に、ごめんなさい。今の私には、ちーちゃんにこのことを伝える勇気が、ないんだ』

 

 「……束?」

 

 明らかに落ちていく束の声のトーンに、私は思わず『あの日』を境に縁切りした、この旧友のことが心配になった。こんなに思いつめたような様子の束は、それこそ十年ぶりになるかもしれない。

 

 『でもでも! 安心して、ちーちゃん! 大丈夫だから! 最後は絶対、ちーちゃんも、いっくんも幸せになれる未来にしてみせるから! 今はね、その為の準備をしてるんだ。だからそれだけは、信じていて欲しいの』

 

 「私のため、だと? どういうことだ?」

 

 が、そんな調子も束の間、まるで先程までの調子を取り直すように、明るい調子で話す束。

 思わず苛立つ。知りたいことが、何一つわからないことからくるそれじゃない。

 こいつが今、明らかに私に対して虚勢を張っていることがわかるからだ。

 縁切りをしておいて、思うようなことではないかもしれない……だが、私達の関係は本来、そんなもので取り繕うようなものではなかった筈だ。

 

 「……ふざけた話だ。事情も話せないのに絶対に幸せになれる、だと? 今時怪しげな新興宗教の勧誘でももう少し具体的な話をするぞ。お前がなにを企んでいるかは知らんが、今お前がやっていることは少なくとも私にとって迷惑でしかない。そんなくだらんことで思い詰めるくらいなら、さっさとやめてしまえ、束。元来、お前は一つのことに執着するような奴じゃないだろう」

 

 『あはは、やっぱ優しいね、ちーちゃんは。うん、迷惑掛けてるのもわかってるよ。でもこればっかりは譲れない。後戻りなんて……もう一年前から、しないって決めてるから」

 

 「一年前……? 一夏のことか? 後戻りが出来ないとはどういうことだ。確かに、無事ではなかったかもしれん。だが、生きているのであれば、いつか、必ず……」

 

 『……ちーちゃん。それ、本気で言ってる? あの子の傍にいて、わからないの?』

 

 「っ!!」

 

 ――――わかっているさ、当然。

 あの日から、変わってしまった弟。

 今までは将来のことなんて何も言い出さず、私と共に在ることに何の疑いも持たなかったあいつが、あの日を皮切りにいつまでも私に面倒掛けられない、などと抜かして急に中学を卒業したら自立して働くなどと言い出して。

 当然認めなかったが、それでも一年会わなかったあいつは気がつけば私よりも一足先に大人になってしまったような雰囲気を纏っていた。

 あいつ自身は、以前と極力変わらないよう振舞うように努めていた。だが未だに夜苦しんでいる時があるのは知っているし、何より稀に、一人になったときにふと見せる何処か遠くを見るような目は、生き急いでいるようにも、死に場所を探しているようにも見えて、無性に私を不安にさせた。

 どうすれば、傷ついたあいつを癒せるか。ずっと、考えてきたが、答えなんて出なくて。

 結局、面倒見のいいあいつが放っておけないような、駄目な姉で在り続けることであいつを縛ることしか、今まで出来なかったんだから。

 

 『ごめんね。嫌な事、言ったよね。でも、きっとそう遠くないうちに上手くいくよ。天才束さんに不可能はないもん。例え相手が、いっくん自身が抱えているものだとしても関係ない。ちーちゃん達を傷つける奴は許さない。私が、皆守ってあげる』

 

 「……意味がわからない。お前は今回守ると言ったあいつを、自分の手で傷つけたんだぞ」

 

 『うん、あれは束さんにとっても予想外だったんだ。当分はこういうのはやめる……ちょっと甘く見てたの、あの子の『傷』を」

 

 束がそこまで言い掛けたところで、急に音に雑音が混じり、束の声が遠くなる。

 前から普通の通信ではないと思っていたが、なにやらそちらに不調が出たのだろうか?

 

 『ああもう、煩い『ネズミさん』だなぁ……ごめんちーちゃん、もうあんまり長く話せそうにないから、用件だけ話すね。あの『VTシステム』の再現に使った、独逸の『人紛い』のことなんだけどさ。あんなことになったのは半分あれのせいだし、そもそも人形の分際でいっくんに手を上げようとしたからどう『処分』しようかなって思ってたんだけど……あれってちーちゃんのお気に入り?』

 

 「……束。人に対して『そういう』言い方をするなと一度私に説教されたのを覚えているか? 物理的に」

 

 『あー、『そういう』風にちーちゃんが言うって事はお気に入りか。それを確認したかったんだよね、オッケーオッケー。じゃああれは『処分対象』から外すよ。ついでに余計な火の粉が飛んでこないようにしてあげる、お気に入りを取り上げられるのはヤダもんね』

 

 「お前わかって……いや、今度は何をするつもりだ?」

 

 受話器に呼びかけるが束の反応はない。

 ザーザーと雑音も大きくなる一方だ、もう私の声は、向こうには届いていない可能性もある。

 

 『それと、もう一つ……ちーちゃんにとっては、耳にいれるのも嫌な話かもしれないけど。『あいつ』が動いたよ、十年ぶりに……今更何をするつもりかはしらないけどね』

 

 そして、反応の代わりに返ってきた束の声は、酷く冷たい響きを含んだものだった。

 束の言う『あいつ』に心当たりのある私も、反射的に手にした携帯を握り潰しかける。それはなんとか思いとどまるも、代わりに食いしばり過ぎた歯が奥歯を砕く音が口の中から響いた。

 

 「くたばっていなかったのか、あの男……! 何処だ束! 今『あいつ』は何処にいる?」

 

 『気持ちはわかるけど、落ち着いて、ちーちゃん……ごめん、居場所はわからない。今のところは、子飼いの駒を動かして潰れ掛けのIS関連企業を支援しようとしてるみたいってことしか……けど、もう私が尻尾を掴んだ以上は時間の問題。安心して、ちーちゃん。十年前はやり損ねたけど、今度こそ絶対見つけ出して……跡形も残さず消し飛ばしちゃうからさ』

 

 「! 待て! 切るな!」

 

 叫んだときには、既に遅く。

 いつになく物騒な言葉を残し、束は既に電話を切っていた。

 慌てて掛け直すが、当然のように繋がらない。あいつからの連絡は、基本的に一方通行なのだ。

 

 「早まるなよ、束……」

 

 束があの男を憎むのは当然だ。私もその原因の一端である以上、あいつを責めることはとても出来ない。

 だが……十年前。あいつがあの男を殺すためにやらかしたことは、流石に容認できなかった。だから私は、あいつから与えられた力で、あいつを止めたのだ。

 

 「お前は正しいからこそ、間違えてはいけないんだ。例えお前に責められても、何度でも止めてやるぞ」

 

 当時あったその力は、もう私の手元を離れた。立場から考えても、またあいつが行動を起こしたところで私に出来ることは限られる。かといって、他の人間では今のあいつに言葉すら届かせることが出来ないだろう。出来るのは、私しかいない。

 ……本当、嫌になる。いくら面倒は御免だと公言して止まなくても、結局厄介ごとの方が私を愛して離してくれないらしい。

 それも最近はひっきりなしときたものだ。正直やってられんと思うときも少なくないが。

 

 ――――発端が束となれば、仕方ない。いくら縁を切ったつもりでも、私には元々一生使っても返せないほどの借りがあいつにはあるのだから。

 

 溜息を一つ吐き、病院を後にする。

 しなければならないことは山積みだ。当面は完徹になることを想定して、せめて帰りのモノレールの中ででも、束の間の仮眠をとることにしよう。

 

 




 千冬姉ツンデレ、そしてこれから苦労しますよフラグ回をお送りしました。超個人的解釈ですが、千冬姉はツンデレでSだと思います多分。
 束さんは原作では何をするにも何処まで本気かわからないところのある人でしたが、少なくとも本作では自分の気に入っている人や物に対しては本気の愛情を注ぐ人として書いていきたいと思ってます。ただ、色々あってそれの形が若干歪んでる人でもあるので……

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