IS/SLASH!   作:ダレトコ

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第三十五話~暗躍~

~~~~~~side「???」

 

 

 『お掛けになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていません……』

 

 「くそっ!!」

 

 今日何度目になるかわからない悪態をついて、苛立ちながら携帯電話を切る。

 

 IS学園主催の『学年別タッグトーナメント』当日。

 それは実質実に三年ぶりとなる篠ノ之博士謹製ISフレームの初披露となり、私は非常に厳しい競争率の中、何とかその中の一つの椅子を勝ち取り、試合を観戦した。

 

 無論、これは仕事だ。

 『白式』のデータは、イレギュラー要素の塊である搭乗者の事も含めて喉から手が出るほど欲しい。

 そうとわかっていながら、この時私は。

 他のゲスト席の人間達が皆『白式』と、日本の訓練機で新入生とは思えないほどの健闘ぶりを見せる日本人の生徒に目を奪われる中、一人別のものを見ていた。

 

 ……元気でいたか、良かった。

 

 一週間程前から、毎日続けられていた報告の電話もメールも、急遽途絶えていた。

 エレーヌはこの事実に苛立ちながらも、所詮は泥棒猫の娘、物の役に立たないことなど分かっていたと嘲笑した。

 私も無表情のまま彼女の言葉を肯定したが、内心は穏やかではなかった。

 

 ――――何が役に立たぬ、だ。初めから役に立てるつもりなどなかったのだろう。

 ただお前があの子を、自分の視界に置いておきたくないだけなのだ。

 

 そんな自らの妻の小ささを嘲笑うことすら、私には出来ない。

 何処で、私はこんな人間になってしまったのだろう。そう考え、全てが変わってしまった『あの日』の事を思い出す。

 

 デュノアは元々、精密機械の修理や部品の製作を請け負う、個人経営の小さな工場に過ぎなかった。

 だが十年前。あの『白騎士事件』が起こる、三ヶ月前のこと。

 

 『『IS』の武器を、造ってみる気はありませんか?』

 

 それより五年前に父を亡くし、私が後を継ぎ経営していた工場に前触れもなくフラリと現れ、そんな話を持ちかけてきた、異国の男がいた。私は最初、人殺しの道具を作ることに難色を示したが、当時経営が行き詰まりつつあった工場にとって男が提示した金額と、引き受ける事によって得られるツテは余りに魅力的で、最後には男の巧みな口車に乗せられる形で私は首を縦に振った。それが、始まりだった。

 

 当初『IS』は宇宙進出を目的とするマルチフォームスーツとして発表されたものの、経済が衰退していき、日々生きていくのが手一杯で、青い空の向こうに思いを馳せる人間達が徐々に減りつつあった世界は、それにあまり関心を示さなかった。

 しかし、それに使用されている、オーバーテクノロジーと言っても差し支えない程の技術に、目をつけた

人間は決して少なくなかった。

 

 物質に掛かる慣性を緩和、消滅させ、翼が無くても空を舞うことの出来る『PIC』。

 質量や体積の法則を無視し、何も無い空間に物体を収納出来る『量子化』。

 世界の何処にいても互いの場所が分かり、意思の疎通が出来る『コアネットワーク』。

 どんな致命的な攻撃を受けても搭乗者の生命を維持する『絶対防御』。

 そして何より、未だに原理は解明されていないが、物質干渉を起こすものの人体には無害、様々な分野への転用が可能な万能エネルギーを無尽蔵に発生させる『ISコア』の存在。

 

 現在人類は、世界を滅ぼすことが出来るほどの火力を持った武器を手にしている。が、それの使用はすなわち、自らが住んでいる星そのものの死を早めることに繋がる。

 だが、人も資源も食い潰さないこの新しい『力』があれば。

 将来自分達に利益を与える、星の命を削らずに、世界の支配者になれるのではないか?

 

 ――――これ等『IS技術』を、軍事方面に転用できないだろうか?

 

 日本のとある世界有数の資本家が発した、そんな一言が発端だったという。

 そのような浅はかな考えに踊らされた人間達は、『IS』の発表から程なくして醜くその技術や知識を奪い合い、それを用いた兵器を次々と生み出した。

 私の工場にこのような話が来たのも、その時流の流れに沿ったものだったのだろう。

 

 しかし、『白騎士事件』の勃発によって状況は一変。

 日本の上空を時速六千キロオーバーの極超音速で飛行し、史上最悪のサイバーテロにより発射された二千を超えるミサイルを一瞬で全て打ち落としたのが『IS』だと判明。IS『白騎士』の搭乗者の正体は未だ判明していないが、『白騎士』は人類未曾有の危機を救った英雄として持て囃された。

 が、その影で。多くの人々は、『IS』が持つその余りに圧倒的な力に、『IS』によって甘い汁を吸おうとしている人間達の謳う『安全な戦力』という言葉に疑問を持たざるを得なくなった。

 

 その疑問は最終的に、『IS』の軍事利用に枷を嵌める『アラスカ条約』を成立させるに至り、これによってISの発表から半年足らずで生み出された多くの兵器は無用の長物と成り果て、私の工場で作成された、工場の命運を分ける品であるIS用対物ライフル『ソルティレージュ』も、それらと同じ運命を辿る筈だった。

 

 しかし、今となっては幸いな事か分からなくなってしまったが、そうはならなかった。

 その最大の理由二つ。まず、『アラスカ条約』が急場で作られたもの故に抜け穴だらけだったこと。

 『アラスカ条約』は、あくまでもIS技術の軍事利用を目的とした『使用』を制限するもので、『造る』だけならこれに抵触しないのだ。それに万一、『IS』が反社会的組織に渡った場合のことを考え、国家がISによる攻撃を受けた際にはISによる反撃を認める条文もある。よって、今まで造られたIS兵器の全てがスクラップになることはなかった。

 二つ目は、それを境に『絶対防御』によりどんな状況でも搭乗者が守られる性質を生かし、『ISコア』より配給されるエネルギーと出力に制限を掛けた機体フレームを作成、『競技』としてISを使用する案が広まり、普及し始めたこと。

 私達が造った武器は、私に例の話を持ちかけた男によってこの新しい流れを進めようとしていた資本家達のところに持ち込まれ、男の売り込みの上手さもあり一定の評価を受けることに成功。フランス初となる国家代表の標準武装として採用された。

 

 そこから先は、トントン拍子に話が進んだ。

 次から次へと新しい受注が引っ切り無しに舞い込み、明日作業員に渡す給料の為に食事さえ切り詰めていた時が嘘のように金が入るようになった。仕事が追いつかずに人を増やし設備を増やし、フランスきってのIS開発企業などとテレビで取り上げられた次の日には、フランスでも有数の資本を持つ大企業から業務提携の話が来た。

 こうして、ほんの五年も経たないうちに。街角にあった寂れた工場は、フランス国内でトップ、世界でも有数のシェアを持つ、一大企業へと躍進を遂げることになった。

 

 尤も、見ての通り、それは私にとって、必ずしもいいことばかりではなかった。

 立場や責任の重さが今までと比べ物にならないほど増したことは勿論だが、一番の頭痛の種は提携先の企業に嫁として称して押し付けられたあの女だ。

 容姿は悪くない、というより美人といっていい部類なのだが、非常に嫉妬深く陰湿な性格の為、過去に何度か結婚に失敗している私よりも十も年上の女性で、その時の連れ子まで連れてきた。

 彼女は提携先の企業でも親の七光りでそれなりの立場にいる人間であり、のし上がったばかりの時ならまだしも、第三世代型の開発に乗り遅れ、大企業の名前を得てから三年もしないうちに行く末が危うくなってきた今のデュノアでは、提携を切られる訳にはいかず、元々あまり気が強くない自身の性格も相まって、私は彼女に頭が上がらなかった。

 

 仕事でも家庭でも、身動きが取れないような息苦しい状況の中、私は苦しくも充実していた、昔に戻りたいと願った。

 だが、そんなことは不可能だと告げるように、現実は私に残酷な事実を押し付ける。

 

 イザベルの死。

 学生時代に知り合い、それ以降将来を誓い合った女性だった。

 しかし父が倒れ、父の志を潰えさせたくなくてやむなく継いだ工場は経営難で、何時潰れてもおかしくない状況。

 彼女に苦労を掛けたくなかった私は彼女に別れを告げたが、それでも彼女は私の傍に居続け、弱い私はそれに甘えてしまった。

 そんな私の本性を見て、情けない男だと、共に歩んでも未来はないと思われたのか。

 ある日とうとう、彼女は唐突に、私の前から姿を消した。

 

 その彼女が亡くなったという話を、古くから親交があった友人に聞き、私は心底落胆した。

 あの話が来るのが、後五年、早かったなら。そのようなどうしようもないことを、思わずにはいられなかった。

 そんな後悔を抱えたまま、例え死に顔でももう一度イザベルの顔を見たいと思った私は、時間をなんとか見繕って彼女の葬儀に参加し。

 その場で知らされた事実は、さらに私を打ちのめした。

 

 彼女は、私を見限ったわけではなかった。

 私と共に暮らしているうちに、自らが死病を患ったことを悟った彼女は、私が抱えているものを理解した上で、自分の為に私が自らの責任を投げ出さないようにと、こともあろうか私に迷惑を掛けたくないが為に、私の元を去ったのだ。

 私達が愛し合っていた証を、その身に宿したまま。

 

 シャルロット。

 それが、イザベルが彼女に、私達の子につけた名前だった。

 母が亡くなり、身寄りをなくした我が子を見放すことは出来ず、私は彼女を引き取ることにした。

 だが、臆病な私には、父として彼女と向き合う勇気が無かった。齢十二にもなるまで存在自体知らなかったその子には確かにイザベルの面影があって、私とってその事実は彼女を、自らが犯した――――罪の形であるように思わせた。

 

 そしてプライドの高い妻も、自分と血の繋がらない娘の存在を、面白く思う筈もなかった。

 シャルロットを家に置いておいても陰湿な妻のいじめを受けて気が滅入ってしまうだけだと感じた私は、彼女を私達の会社で進めている『第三世代機』開発の為のテストパイロットとして採用できないか検討した。幸いにも彼女は高いIS適性を持っており、その計画自体は滞り無く進み、代表候補の資格を取らせることまで成功した。

 その後は、他国ISの情報収集という名目で彼女を『IS学園』に送ることを考えた。

 家族として迎え入れておきながらなんとも無責任な話だと自分でも思ったが、それでも誰一人周りに味方のいない私の元に居続けるよりはいいと信じた。

 

 だが、その段になってテストパイロットの件は黙認した妻が、今更口を出してきた。

 

 ――――どうせ行かせるのであれば、現在IS学園に在籍している世界唯一のレアケース、織斑一夏と接触しやすくするよう、彼女を男として入学させないか。

 

 要は、そんな話だった。

 普段滅多なことでは妻に口答えなどしない私だが、この時ばかりは反対した。

 そんな浅はかな嘘など直ぐにバレる、そうなればデュノアは企業としての信頼を失うことになる、と。

 だが必死に言い聞かせようとする私に笑いかけながら、妻は一枚の紙を私に渡した。それは、恐らく彼女が医者に金を握らせて偽造させた、シャルロットが『性同一性障害』だと判定する診断書だった。

 

 それを見て、私は確信した。

 この女は、最初から直ぐにバレてしまうことなど百も承知で娘を留学させ、彼女に恥をかかせるのが狙いなのだと。

 

 我妻ながらあまりに惨いやり方に私は思わず吐き気を催したが、IS学園の入学審査で性別など誤魔化せる訳はないと私はたかを括り、苛立っていたのもありそんな事が本当に出来るならやってみればいいと言ってしまった。

 

 その結果が、今の状況だ。妻がどのような手を使ったのかは知らない。だがシャルロットは『シャルル・デュノア』という名前で、今までフランス政府に秘密裏に庇護されていた、二人目の男性IS適性所持者として『IS学園』に送られ、私は何も出来ないまま、不安そうな表情で住んでいた社員寮から連れ出されていく娘を、見送ることしか出来なかった。

 

 そうして娘がIS学園に在籍するようになってから、『定時報告』という形でも、毎日私に寄越してくれていた連絡はじきに途絶え。

 いても経ってもいられず、せめて様子を見れないかと、学園で執り行われたイベントに出向いたが、よりにもよって娘が出ている試合の途中でなにやらイレギュラーな事態が勃発したらしく、私は状況が良く理解できない内にIS学園から追い出された。

 私は現地で出来る限りの情報収集に努めたが、当時その場で何が起こったのかはIS学園外には一切漏れておらず、結局何も、娘がどうなったのかすらわからないまま、私は帰国を余儀なくされた。

 しかし本社に戻ってからもどうしても諦めきれず、未練がましくこうして、随分前から繋がらなくなった娘の携帯電話に電話を掛け続けている。

 

 報告の連絡が途絶えた時は、それでいいと思った。イザベルの血が流れているあの子の事だ、自分の意思ではないとはいえ、人を騙して情報を盗むような真似をする事に耐えられなかったのだろう。

 

 ――――こんな仕事のことなんて忘れてしまって、自分自身がしたいことをやりなさい。

 

 メールに対してそんな返信をしたいと思ったのは一度や二度ではない。だがメールや電話の内容は、一応重要な情報になるかもしれないということで必ず妻もチェックする。妻は娘が向こうで少しでも充実した生活を送っていると知ったら、躊躇わずに笑ってそれを壊しにかかるだろう。だから、結局それは最後まで叶わなかった。

 

 「いや……違う!」

 

 ――――最後になど、してたまるか。

 父親らしいことなど、一度も出来なかった。

 あの子は、さぞ私のことを憎んでいるだろう。そうされるだけのことを私はしてきた、言い逃れ等出来ようも無い。

 だが、それでも。最早あの子の親と名乗ることさえおこがましい最低の男に成り果てても、せめて。

 一人の人間として、幸せを掴んで欲しい。そう願う事は、許されないか。

 

 ……本当、今更だと、自分でも思う。

 あの子が例え形式上だけとはいえ、傍にいた時に遠ざけて何もせず、手の届かない遠い場所に行ってしまって、もしかしたら失ってしまったかもしれないという時に、こんなことを思うなんて。

 こんなことを今更やったところで、償いになるとは思わない。けれどもし、この電話が繋がってくれたのなら。

 ……今度こそ、後で妻になんと言われようとも、彼女を解き放ってやろうと、そう決めた。

 

 だから未だに尻尾すら掴めない、当時IS学園で起きた事件に関する情報を集めながら、もう一度携帯電話を手に取った、その時。

 

 「……おやおや、どうやらご多忙のようで。これは、とんだ時にお伺いしてしまいましたかね?」

 

 そんな言葉が何処からともなくそんな声が掛かった。

 ――――この一時間は、ここに誰も入れるなと通達していた筈だぞ!

 そう思い返し、私は苛立ちながら顔を上げた。が、

 

 「……! あ、貴方は……!」

 

 そこにいた人物は、少なくとも私の会社に所属する人間の中で、心あたりのある顔ではなかった。

 だが知っている。私は何処かで、この男と会っている。

 

 「お久しぶりです、マルセル・デュノアさん……今は、社長さんでしたっけ、いやあ、ご立派になられた。少なくとも、貴方に目をつけた昔の私の目に、狂いはなかったようですね」

 

 私のデスクの上に手をついて腰掛けていたその人物は、そう言いながら軽快に音を立てずに飛び降り私と向き合う。肌の色と黒い瞳と髪から東洋人なのは見て取れるが、身長は私と同じかそれ以上に高い。柔和な微笑みを浮かべているが目つきは鋭く、全体的に整った顔の造りと、申し訳程度に整えられたフワリとした長めの黒髪、黒で統一されたスーツに身を包んだ風体で、見かけからは私よりも大分若いように見える。

 身に纏っている雰囲気は気安いようで常にこちらを伺っているような剣呑さを併せ持っていて、例えるなら話の中の悪役の狼を連想させるような男だった。

 

 向こうもこちらのことを知っているような口ぶりから、私はとうとう記憶の中からこの男と一致する顔を見つける。

 忘れる筈も無い。私にISと関わらせ、今こうしてこれだけの大企業の社長の椅子に座らせるきっかけを作った男。十年前。私に、ISの武器製造を依頼した、あの男。確か……

 

 「ジャパンエレクトロニクスカンパニー、『月光』フランス支部、営業の……シンジョウ、様でしたか?」

 

 「おお! よく覚えておいでだ。正直、大企業とはいえ一営業に過ぎない私のことなどとっくに忘れているものと思っていましたよ」

 

 ……そんな訳無いだろう。あれだけ人の人生を劇的に変化させた人間のことを忘れられる人間など、そうそう居るものか。

 

 「……お久しぶりです、十年ぶりでしょうか……しかし、お一人でここまで? 警備の者に、見咎められはしませんでしたか?」

 

 一瞬そんなことを思ったのはなんとか胸にしまったが、そうした途端怪訝に思ったことが口をついて出る。時間は既に午前二時を回っている、ここはデュノア本社ビル最上階、当然業務は終了し社員は殆ど帰宅しているとはいえ全くいないわけではないし、警備会社のガードマンもいる。外部から面会の要請があれば、私のところに連絡がくる手筈になっており、それなしでここを目指せば間違いなく深夜の警備網に引っかかる筈なのだが……

 

 「……その件、なんですがねデュノアさん。警備会社を直ぐにでも変えることをお勧めしますよ。彼等、結局は警察に全部任せることしか出来ないみたいでして、誰も彼も通報することに忙しくて、誰一人直接侵入者を止めようなんて思う気概のある人間のいない能無しの集まりみたいですからね」

 

 「……!」

 

 男の言葉に私は思わず立ち上がる。

 それこそ世間話でもするような気安さで、この男はわが社が敷いているセキュリティを突破してきたと暗に言ったも同然だ。防犯ベルに手を掛け、少しでも人がくるまでの時間稼ぎになればと言葉を投げつける。

 

 「何が目的だ! 私をどうするつもりだ!」

 

 「落ち着いてください。貴方の会社の警備を抜けてきたのは事実ですけど、別に犯罪目的って訳じゃありません。私はむしろ、貴方を助けに来たんですよ? どうか昔の好で、軽いお茶目として目を瞑って頂けませんか? こればっかりは、どうも昔からやめられない悪癖でしてね」

 

 そう言いながら男は私を留めるように、軽く手のひらを見せるように両手を挙げてみせる。

 

 「悪癖だと?」

 

 「ええ。相手の大小拘らず、営業する時は『アポなしで』が私の信条なんです。非常識とお思いでしょうが、相手の本音が聞けますし、面白いんですよ」

 

 そこまで言って、何処からともなくポットを取り出し、まるで最初から何処に何があるか把握していたように近くにある戸棚を空けると、ティーカップを二つ取り出しポットの中のものを注ぎ始める。その様子を呆然と眺めながら、私はこの男に初めて会った時のことを思い出していた。確かあの時も、この男は事前に連絡もなくフラリと現れ、いきなりの来訪に困惑する私に先程と同じようなことを言いながら、

 

 「どうぞ……ご遠慮なさらず。いい豆なんですよ、眠気覚ましに一杯どうですか?」

 

 こんな風に、コーヒーを勧めてきたのだ。

 

 「……変わってないですね、貴方は。しかし当時も変わった方だとは思ってましたが、ここまで突き抜けた方だとは思いませんでしたよ。お言葉ですが『月光』の社員は、貴方のような方ばかりなんですかね?」

 

 彼の、侵入者というには余りに暢気な態度に呆れる余り私は防犯ベルを鳴らすのも忘れ、そんな苦言を口から漏らす。それを聞いた彼は自分の分のコーヒーに口をつけながら苦笑し、

 

 「私が変り種ってだけでしょうね、自分で言うのもなんですが。それに、十年は人を変えるには短すぎますよ。この嗜好に関しては死ぬまで治らない自信がありますね……尤も、僭越ながら私の私見ですと、貴方はその短い間に随分変わられたように見えます」

 

 私の目を真っ直ぐ見据えながら、そんなことを言った。

 

 「……!」

 

 「……どうやら心当たりがおありのようだ。まぁ、立場や環境が変われば人も須らく変わるものではありますが。それにしても、先程の貴方の様子は尋常ではなかった。どうにも、悩みが絶えないように見受けられるのですが?」

 

 「……貴方には敵いませんな。その通りです。どうやら私は……このような会社の社長を務める器ではなかったらしい。本当に大事なものもわからず、みすみすと取りこぼしてしまうような、そんな人間、では」

 

 「……心中、お察ししますよ。何、昔私にも似たような思いをした経験がありましてね。ですが、今もこうして仕事を続けています。塞ぎ込んでいるだけでは、前に進めませんからね」

 

 「ええ、仰る通りです。だから、私は……」

 

 「成程。ええ、わかっていますとも。諦めるにはまだ早すぎる。そうでしょう?」

 

 「え?」

 

 急に男との会話に齟齬が発生したような感覚に陥り、私は思わず俯いていた顔を上げ男を見た。

 男はそんな私の様子を見て心底楽しいといった様子で笑いながら、再び私にコーヒーを薦め、先を続ける。

 

 「いや……失礼。実を言いますと、既に私は貴方に関する情報をある程度手に入れた上でここに来てましてね。貴方が悩んでいる理由に関しては、ある程度は推測できているつもりです。だからこそ、先程は『助けに来た』と言ったんですよ」

 

 「? どういう事です?」

 

 「こういうことです」

 

 言葉と共に、男は私のデスクの上になにやら小さい電子端末を置くと、脇に付いているスイッチを押し電源を入れる。すると、その上の何も無い空間に緑色の小さな画面が投射される。

 ――――空間投影ディスプレイ。ISの発展に伴い可能になった最先端の技術が用いられたそれが映し出したものを見て、私は思わず息を飲んだ。

 

 「こ……これは!」

 

 「ええ。他欧州諸国が挙って開発中の、『IS第三世代型フレーム』の設計図一式です。これを貴方に進呈しましょう。どうか、お役立てください」

 

 目の前の機密情報の塊、そして宝の山を食い入るように見つめたまま、私はその場で固まってしまう。

貰えるというのであれば当然欲しい、これがあれば現在滞っている我が社の第三世代型開発も一気に進めることが出来るかもしれない。だが、

 

 「…………」

 

 これは、最初にこの男が私の工場に、分不相応な破格の仕事の話を持ち込んできたときと同じだ。

 話が上手すぎる。これだけの情報を企業相手に『進呈』しようなど、正気の沙汰とは思えない。普通に取引しようとしたら、それこそ私の会社が十度潰れて余りある額の金が必要になる程の代物だ。

 それにそんなものを、いくら日本でも屈指の大企業とはいえ、一営業職に過ぎない男が自由に出来るものか?

 そうであれば、この男の意思ではなく、この男のバックについている、『月光』本社の意思なのか?……ますます有り得ない。そんな情報をみすみす安売りするような企業が、あそこまで大きくなれるとは到底思えない。

 

 「貴方は……一体……?」

 

 「貴方の疑問は尤もだと思いますよ。ですが、ここはどうか何も聞かずに受け取って貰えませんか? 貴方の『娘さん』を、守る為にも、ね」

 

 「!」

 

 「ご安心ください。私が入手した情報によれば、娘さんは確かにあのトーナメントで起きた事態に巻き込まれたようですが、ご無事でいらっしゃいます。ですが……やはり、貴方の奥方の考えた稚拙な『嘘』は、既に彼女を追い込みつつあるようです。いざ嘘が暴かれたとき、貴方の築いた企業の足元が覚束ないようでは、彼女を守る後ろ盾は本当に何処にもなくなってしまいますよ? それにそれは、『形式上』貴方が彼女にとらせざるを得なかった行動を全く無意味なものにしてしまう」

 

 「で、ですが、これは……」

 

 「ふぅ……本当は、ここまで話すつもりは無かったんですが。貴方に肩入れするのは、実はそれなりの理由がありましてね。実を言いますと、私の娘もIS学園にいましてね。詳しい事情は話せませんが、貴方の娘さんの事情は、私の娘にとっても無関係ではない。ですから、親として少しでも、娘の役に立てないかと、少し危ない橋を渡ってでも、こうして自分に出来ることをやっているんですよ」

 

 「娘の、ため?」

 

 「ええ。貴方も娘さんの為に、行動を起こそうとしていたのでしょう? 親として……第三世代型の開発に成功すれば、この企業における貴方の立場はもっと強くなる。そうすれば誰にも憚ることなく、娘さんと向き合うことが出来るようになるかもしれませんよ?」

 

 ……駄目だ。

 やはり、十年前の繰り返しだ。怪しいと疑いつつも、男が提示するあまりにもこちらにとって魅力的な条件と、蜜のような甘い言葉に惑わされ、私は差し出された情報端末を、手にしてしまう。

 男はそれを確認し、顎に手を当ててニッコリと笑う。

 

 「交渉成立、ですね。そうですね、もし貴方にとって無償でこの情報を貰い受けることが納得できないというのであれば、一つ、お願いしたいことがあるのですが」

 

 「……なんでしょう?」

 

 「いえ、大したことではありません、そう構えないでください……その情報を使い、デュノアにおいて満足のいく『第三世代型』の開発に成功したら、その試作一号機のテストフレームを是非とも我々『月光』に譲って頂きたいのです。コアまでとは言いません、フレームだけで結構ですので」

 

 「それを、なにに?」

 

 「ご心配なく。貴方の企業の名前を傘に着て悪用するようなことはないと約束します。知っての通り、我が社は本来の電子工学技術を売りにした製品開発からシフトして、現在はこの端末のようにIS技術を用いた情報端末や生活家電の製作において一定の評価をお客様から頂いてましてね。今度の新しい商品開発は『イメージインターフェイス』がテーマになってますので、少しでも多くその情報が欲しいのです。私共は、デュノア社は基礎となる知識さえあれば何処よりも優れたイメージインターフェイス兵装を作成できると信じて疑っていません」

 

 「……わかりました、ありがとうございます。成功した暁には、必ず」

 

 「開発における技術提供を行った見返りということで、本社には既に話は通してあります……期待していますよ」

 

 「ええ……結果を出して見せましょう」

 

 男は私の返事に満足したように満面の笑みを浮かべると、コーヒーの入ったポットを私のデスクに残したまま、私に背を向ける。

 

 「夜は長いでしょう、迷惑でなければお召し上がりになってください……では、私はこれで」

 

 そしてそういい残し、十年前同様全く無駄の無い足取りで、音もなく私の部屋のドアから出て行こうとする。私はティーカップに入った、香りだけで高級品だとわかるコーヒーを言われるまま口にしながら、それをやはり十年前と同じように見送る。

 

 「おっと、そうだ、大事なことを忘れていました」

 

 「まだ、何か?」

 

 だが、ドアを開ける直前。男は振り返らないまま、急に何かを思い出したかのように唐突に口を開いた。

 

 「いえ……ただ、このような夜分遅くに貴重な時間を割いて頂いたお礼といってはなんですが、一つお耳に入れておいて頂きたいことがありまして……例の、娘さんに纏わる嘘についてですがね。『清算』は早いうちに済ませたほうが宜しいかと……そうですね、出来ることなら今すぐ、具体的には三日後の早朝にでも」

 

 「し、しかし! そんなことをすれば、娘は……」

 

 「ご心配には及びません。書面を用意しました、ここに書いておる通りに行動していただければ、恐らく現状考えうる限りでは一番いい形に収まりますよ……貴方にとっても、娘さんにとっても、ね」

 

 男はそう言って、また何処からともなく一枚の紙を取り出して手元でヒラヒラさせる。

 ……明らかに男は手ぶらだ、先程のポットといいあれもまた、あの男が所属している会社の技術なのだろうか?

 

 「貴方の言っていることが理解出来ません……三日後の朝に、一体何が起きるというのです?」

 

 「なに、ちょっとした『嵐』がきそうなんですよ。嵐の中じゃ、少しくらい淀んだ水の溜まった鉢が倒れた程度のこと、誰も気にしないでしょう?……まぁ、その日が来ればわかります。この機会を逃す手はありませんよデュノアさん……っと、長々と失礼を。今度こそ本当に失礼させて頂きます」

 

 振り返らないまま、男はピン、と手にした書面を指で弾く。

 弾かれた紙は宙を舞い、私のデスクの上にハラリと、滑るように的確に、まるで初めからそこにあったかのように着陸する。

 私がそれを確認している内に、男は気づけばまるでドアを開けずにすり抜けていったのではないかと錯覚するほど、静かにその場から立ち去っていった。

 

 「…………」

 

 私は、男が消えていったドアをしばらく呆然と見つめていたが、何とか気を取り直し、手にしたカップに入ったコーヒーを一気に飲み干した。

 上品で、それでいて頭を刺激する確かな苦味が、今起こったことが夢幻でないことを教えてくれる。

 時計を見れば、時間は午前三時を廻るか廻らないかとというところ。しかし、実際にはそれ以上に時間が経ったような感覚だった。

 

 「塞ぎ込んでいるだけでは、前に進めない、か」

 

 正直いきなり一度に色々なことが起こりすぎた、未だに頭は今の状況に追いつけていないが。

その言葉だけは、妙に胸に引っ掛かった。その何ともいえない感覚が嫌で、気を紛らわそうかと私は男が残していった、例の情報端末を手に取り、スイッチを入れて早速中の情報が確かなものを確認し、

 

 「……!!」

 

 そんなことをしている場合ではないと頭では理解していながらも、あっという間に夢中になった。

 私も元々は技術屋だ、今、私の企業が第三世代型を作り出すのに足りない知識、技術がなんであるのかは、それなりに把握している。

 その、『足りなかった』ものを生み出すに辺り、答えの出なかったいくつも疑問が、端末を操作していくにつれ、今までこんなことに煩わされていたのが嘘のように氷解していく。こんな晴れ晴れとした気持ちになったのは、何時以来だろうか。

 ……全く、他の企業の連中はよくこんなやり方を独自で発展させたものだ、だが、理屈さえわかってしまえば……

 

 娘のことを忘れた訳ではない。

 だがここでいつ得られるかすらわからない情報をただ待っているくらいなら、今は私に出来ることをするしかない。

 迷惑を掛けるのはわかっていたが、私ははやる気持ちを抑えられず、電話を手に取る。掛ける先は、今まで何度もかけようとして繋がらなかった、娘の番号ではない。『彼』であれば、きっと今も起きている筈だ……

 

 『……社長? どうしました、こんな時間に』

 

 私の目論見は正しく、どうやら今日も徹夜だったらしい開発部のシモンが、三コールもしない内に電話を取る。

 

 「夜分遅くすまない、だが……とうとう『糸口』を見つけた。私も直ぐにそちらに向かう、君のところの手持ちにあるだけで構わない、今から言うものを用意してくれ」

 

 『しゃ、社長?! それは……つまり!』

 

 「明日から忙しくなるぞ、シモン……久方ぶりに、私が陣頭で開発指揮を執る。造るぞ、我々の『第三世代機』を!」

 

 私が最後の言葉を吐き出したのとほぼ同時に、受話器の向こうから浮かれたような口笛が響く。

 

 『流石だな、マルセル! 十年前といい、お前はやっぱり『本物』だよ、あれだけ雑務に追われて、現場から遠ざけられた上でよく第三世代型の構想なんて練れたもんだ』

 

 「シモン、口調」

 

 『おっと、いけね』

 

 一応立場上注意はしたが、私は彼の浮かれっぷりを咎めるつもりはなかった。

 彼は寂れていた工場時代からここに在籍していた古株で、二人で色々なものを直したり、作ってきたりした関係だ。

 第三世代型の開発は、中々私が開発に携われない中彼が陣頭指揮を執って行っていた。開発に行き詰っていた現状で突破口が見えたことへの喜びは、情熱を傾けていた分私以上に強いだろう。

……しかし、だからこそ。この会社がここまで大きくなったのは私の力だと本気で思っている、この古くからの知人に対して私は罪悪感を覚える。

 だが、それも一瞬。私は気を取り直し、傍らに掛けてあった上着を身に纏い部屋の出口に向かう。

 

 ……今は、前に進む時だ。

 

 『しかし、社長。社長一丸になって本格的に開発に乗り出すなら、いよいよ決めとかないといけないことがありますよ』

 

 「……なんだ?」

 

 そんなことを思いながら必要な資材と時間を頭の中で計算していると、不意に電話口のシモンから声が掛かった。

 

 『名前ですよ名前。新規プロジェクトをいざ立ち上げるってのに、肝心のそれが名無しじゃ格好つかないでしょう』

 

 「それも、そうか。そうだな……」

 

 考えたところで真っ先に浮かべたのは、何故かイザベルのことだった。

 ……このプロジェクトが成功して、私が彼女の子を守ることが出来るくらい、力を得ることが出来たのなら。

 私は少しでも、彼女に顔向け出来るように、なるだろうか。

 そう思ったとき、初めて私が彼女に出会い、目を奪われた時の事を思い出す。

 私は彼女のあの笑顔に、何を見出したか。

 

 「……『ソレイユ』。『ソレイユ・リヴァイブ』、だ」

 

 それを考えたとき。その答えは、自分でも驚くほど自然に口から飛び出した。

 

 『『太陽の再臨』か。今の状況にまさにうってつけの名前だ、いいんじゃないですか。それでは……』

 

 「いや……後、『第三世代型』の要になる、イメージインターフェイス兵装の名前も決めておこう。即興だが、『La gachette de magie』ってタイトルはどうだ、シモン?」

 

 シモンは私の提案を聞いた途端、火がついたように笑い出した。

 

 『あはははははは! 『魔法のトリガー』、『ソルティレージュ・ガチェット』か! いいぜいいな、最高だ! また一から始めるのにこれほどいい名前はないや。もう一回、お前の『魔法』でデカい太陽をブチあげてやろうじゃないか、ええ?!』

 

 「ああ……この名前を出した以上、失敗はないさ。『イグニッション・プラン』なんて、むしろ始まりにしてしまおう……『彼女』の光で、私達は世界をとる」

 

 『言うようになったなぁ、お前も……おっといけないいけない。じゃあ、待ってますよ、社長』

 

 「ああ」

 

 ドアを開けて、シモンがいるであろう開発用のハンガーに向かう。

 ……こうなることは、十年前と同じくあの男の目論見通りなのかもしれない。

 行動を起こした結果、後悔することになるのかもしれない。だが、それでも。

 

 「……ええ、貴方の言うとおりだ。何もしなければ、事態が好転する訳じゃない。だから……また精々、躍らせてもらうことにします」

 

 そんな、独り言を呟いて、私は歩き出した。

 

 

 

 

 ――――それから、三ヵ月後。

 デュノア社が新たに発表した第三世代機『ソレイユ・リヴァイブ』は、IS学園で問題を起こし開発が無期限凍結されたドイツの『シュバルツェア・レーゲン』に代わりイグニッション・プランに参加し、『シュバルツェア・レーゲン』の後退により再び現行第三世代機最高傑作に返り咲くかと思われたイタリアの『テンペスタ』を、テスト対戦でものの十秒という歴史に名を残す試合時間で打倒。マルセルの言葉を早くも現実のものにするのだが、それはまだ先の話である。

 

 




 どうやら原作が再開するみたいですね。楽しみですが続投が決定した作品のSSを書くのもどうなんだろうというジレンマに襲われてる今日この頃です。
 オリキャラと言いましたが、なんだかんだで原作の人物と関わりのある二人でお送りしました今回。後から登場した男の方も近いうちに正体がわかるかと。というか、今回だけで大分ヒント出しちゃってるつもりなので何となくわかっちゃう方もいるかもしれません。

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