~~~~~~side「ラウラ」
勝てる、と思った。
意識も、体も、既に私のものではなかったが、構わなかった。
私は教官の機体、動き、技を手に入れた。憧れ続けた『強さ』そのものに私は為った、その事実さえ、あれば良かった。
なのに……
「何故だ……何故負ける? 私は教官に為った、為れた、筈だったのに……」
あの、最後の一撃。
教官の速さを以ってして、かわしきれない一閃は腕ごと私の首を刎ね。
その瞬間視界が断線した私は、気がつけばまた、真っ暗な闇の中にいた。
『教官は何故、そこまで強くあれるのですか?』
『そうだな……私はお前が思うほど、自分が強い人間だとは思っていないが、それでも敢えて今の私の強さの理由をあげるとしたら、『家族』を守らなければならなかったからだと思う……はは、今思えばそのために昔は大分無茶をしたような気もするが、何、人間心から守りたいと思える存在がいれば、案外なんでもできるものだな。無論、それも私一人の力ではないのだが』
今度こそはっきり、教官の言葉を思い出す。
あの時の教官は、普段見ることのない、険のない穏やかな表情で、少し照れたように笑っていた。
事実、教官はそんなやり取りをした数日後、度重なる私やドイツ軍の慰留要請を蹴り、祖国で待っている、彼女の『家族』の元へ戻っていった。
――――教官の、一番になれれば、まだ一緒に居られた筈。私が一番じゃないから、あの人は私の元を去ってしまった。そんな想いが募るほど、ただあの人の弟、家族だというだけであの人に愛されているあの男が認められなかった。憎らしかった……羨ましかった。
そして、こうしてIS学園に編入し、いざ会ってみた教官の弟は、本当にあの人の弟かと思わず
疑ってしまうほど情けない男で、その感情はますます募っていった。
だから、倒してやろうと思った。
そんなことをしたところで、奴に取って代われるわけじゃないことくらい、わかっていた。
しかしそうすれば、認めて貰えると思った。私のほうが優れている、私のほうが強い、私のほうが
想っていると、証明できれば。
もしかしたら、戻ってきてくれるかも、しれないと。
しかし、その結果がこの有様。
悪魔の声に耳を傾け、自分のものでない力に縋ってまであの男と戦い、挙句の果てに再度敗れた。
所詮、私はその程度の人間だった。
そう認識して、私はようやく悟った。
教官になろうとしたのも、教官に認められるために織斑一夏を倒そうとしたのも、全部欺瞞。
私はただ、怖かっただけだ。
あの日。
教官が私を見初めて、声をかけてくれたそのこと自体が間違いで。
私にはあの人に為るどころか、追いかけるにすら、足りない人間だと気づいてしまうのが怖かった。
だから強い自分を常に意識して、そのことを考えずに今まで走ってきた。
けれど、もうそれも出来ない。この無様な敗北で、それが事実であると、言い逃れようもないくらい、証明されてしまった。
結局、私は。
力を失い、存在意義を失って、一人で泣いていたあの頃の自分から、何一つ前に進めていなかったのだ。
「ひぐっ……うぐっ……」
この一年間、必死に頑張り続けた事は、全部無駄だった。
教官も、そんないつまで経っても実にならない私にとうとう愛想をつかして、私の元から去ったに違いない。
そう思ってしまったら、もう涙は止めようもなかった。
私は教官に出会う前までのように、闇の中で膝を抱え子供のように泣いた。
『なっさけないなー、嬢ちゃん歳いくつよ? いやー『戦女神』も思った程見る目がないというか、どうしてこんなの育てようなんて思ったのかね』
「……っ!」
急に何処からか頭の中にそんな声が響き、私は慌てて顔をあげる。
泣くところなんて、今まで教官にしか見られたことはないし、これからも見せるつもりなんてない。どんなに堕ちても、私は『ラウラ・ボーデヴィッヒ』であるということから、逃げる事なんてできない。
『つーかさぁ、黙って聞いてりゃ人のこと悪魔呼ばわりですかぁ? わかってないなぁ、悪魔っていうのは自分が愉しむために人に無責任にアレコレ与えて堕落させるものなわけよ。オレはさぁ、今回はあくまで仕事で愉しむもクソもあったもんじゃないから、そー言われるのは筋違いっていうか……まー尤も悪魔の流儀は嫌いじゃないんだケドね』
顔を上げ周囲を見て思わず愕然とする。
私は気がつけば、周囲の闇に浮かび上がるように現れた無数の薄気味悪いニヤニヤ笑いを浮かべる赤い口のようなマークに取り囲まれていた。
「誰だ!? 貴様は……!」
『ケケケケ! わりーけどマムのファミリー以外に名乗る名前はないんだわ。そもそもホントはこうやって嬢ちゃんと話すつもりだってなかったんだけど、まー今回こっちにとっても予想外だったとはいえちっとやらかしちまった感があるから、せめて迷惑料を払っていこうかな、って』
その言葉が終わるか終わらないかというタイミングで、私を取り囲む口の一つが、それこそ人一人飲み込めそうな位の大きさに拡大される。
『まー受け取るかどうかは嬢ちゃんの判断に任せるけど……知りたくない? 今回嬢ちゃんを負かしたぼーやの事』
「…………」
……興味がない、と言えば嘘になる。
最初に会ったとき。そしてずっと今まで見てきて、ただの腑抜けと判断した男が、どうしてあんなに
強かったのか。それを知れば、私にはまだ強くなれるチャンスが、あるだろうか……。
『……チッ、シロのヤロー復活しやがった、もうオレも長くは留まれねーな。ま、答えは出たみてーだし、さっさと済ませちまえばいーか』
真っ暗な世界に青白い閃光が走ったかと思うと、闇にひびが入りそこから光が漏れ始める。
それを眩しい、と思った瞬間。
私の目の前の、大きな赤い口がギザギザの牙を抉じ開け、私を包み込み。
私は、為すすべなくそれに飲み込まれた。
――――――――・・・・
あの正体不明の赤い口に飲み込まれ、闇の中から出された私は、気がつけば見たこともない場所にいた。木でできた床に、壁。IS学園にある『道場』と呼ばれる場所に似た造りと雰囲気のある場所だが、こちらの方が学園のそれより広い。それに何より、使っている人間が違うのだろう。学園のそれとは違い、空気が張り詰めていて、人の姿が認められなくてもここが厳格な修行の場だということが理解できる。
「千冬姉!」
私がそうしてこの道場の様子を眺めていると、不意に後ろから声があがり、それにつられて振り返る。そこにいたのは……
「織斑……一夏?」
剣道の装束を身に着けた、教官と織斑一夏。
教官はすぐに本人だとわかったが、織斑一夏は一瞬誰だかわからず思わず戸惑った。
容姿に今と大きな違いがあるわけじゃない。ただ、纏っている気配と、なにより目が違う。
いい意味で、『乾いている』目だ。『力』に飢え、強さを得るためだったら何にだって噛付いてやろうという気概が伝わってくる。
「これが、織斑一夏だと……?」
これは、私の知っている腑抜けではない。最初に会ったときからこの目をしていたら、やはり認めることは出来なかっただろうが、今のような嫌悪感までは抱かなかった筈だ。
「打ち合いに付き合ってくれるんだろ、坐禅なんてやってないでちゃんと観てくれよ」
「焦るな、全く帰ってくるなりこんなことに付き合わせやがって……まぁいい、約束だからな。そこに直れ」
戸惑う私を他所に、竹刀を構え打ち合いを始める二人。
見れば、織斑一夏が使っているのは先程の戦闘で私を追い詰めたあの『技』だ。竹刀でも掠っただけで致命傷になりかねないような教官の一閃を、竹刀の持ち手の絶妙な指と手首の力加減でいなすように受け流し、直後に持ち替えた竹刀を様々な角度から打ち込んでいく。
が、教官も竹刀の刀身、柄、石突、鍔等、様々な場所を使ってその小細工のこと如くを叩き落していく。
『これが一年ちょい前の『織斑一夏』……最初からあんな感じだと思ってたかい?』
「……なにが、あったのだ」
頭の中に響いた声に、呆然としながら問いただす。
一年前? あと数手合いも持つまいが、こうして教官と『戦えている』ほどの男が、そんな短い間に何があったら、あそこまで変われるというのだ?
『まぁ急激に変わったってわけじゃない。お嬢ちゃんみたいに表に出してないだけで、ああなっちまう下地自体は実はこん時からあったのさ。実際あったことの方は……ちょっと生々しくて嬢ちゃんにはちょいと薦められないから、心象風景で勘弁……ああもう、邪魔すんなってシロ、今いいとこなんだから』
先程と同じ、世界全体に、まるでこれ以上ここにあるものを見るなとでも言いたいように青いノイズが走り、景色が歪む。が、それに対抗するように黒いノイズがその上から上書きされ、景色を元に戻していく。
そうして景色が再び安定する頃には、私は既に先程とは違う場所に立っていた。
私が先程までいた、真っ暗な空間。その中に、私に背を向け、一人で走っている織斑一夏がいた。
「……!」
走りながら、手を伸ばして何か必死に叫んでいる。その先にいるのは……
「教官?」
もう豆粒ほどの小ささになってしまうほど遠くに行ってしまっているが、それでも尚、追い縋る弟を振り返らずどんどん前へ進んでいく教官だった。
織斑一夏は、必死に走っているにも拘らず、悠然と歩いている教官との距離は開く一方で、とうとう教官の背中は闇の彼方へと消えてしまう。
「……畜生!」
織斑一夏も、教官の背中を見失ってしまったのか、息を切らしながら悔しそうに叫ぶ。
……私と、同じだ。
思わず、そんなことを思う。
この男も……自分自身の弱さを痛感しながらも、それでも強くなれると信じて教官の背中を追いかけていたのだ。
「っ……!」
姿を見失ったにも拘らず、それでも教官の消えた方向に向けて、再び走り出す織斑一夏。
「そうだ、諦めるな、まだ追いつける……!」
そんなこの男を、気がついたら私は応援していた。
ああ、そうだ。どんなに追いつきたい相手が高みにいて、挑むこと自体が無謀に思えても。
諦めさえしなければ、きっと――――
『あはは、見てよ、あれ』
『『千冬様を守る』ですって。自分が守られてる癖に、よくもあんな大口が叩けるものね』
「!」
不意に、何処からかそんな声が響き。
あの姿を。例え見た目は無様でも、それでもひたむきな姿勢を侮辱されたような気がした私は、一度織斑一夏の背中から目を離し、周囲を見渡す。
「誰だ……!?」
そう、叫んだのも束の間。私は目に飛び込んできた光景を前に、思わず言葉を失う。
多くの人間が、走る織斑一夏を遠巻きに囲みながら眺めている。
あるものは嘲笑い。
あるものは罵倒し。
あるものは蔑視しながら。
織斑一夏は、そんな自分に向けられる負の感情を一身に受け、ボロボロになりながらも、それでも走るのをやめようとしない。
「ふざけるな……」
それがもう、過ぎ去った過去のことで。私が今更何を喚いたところで、何かが変えられるわけではないと、わかってはいたが、私はそれでも叫ばずにはいられなかった。
「ふざけるな! 何もしていない貴様等が、何故あの姿を嗤える!? いけないことか、例え無謀でも、追いつきたいと願うことが! そう願うことすら、嗤われなければならないほど、滑稽だというのか!」
まるで私のその問いを肯定するように、その叫びを皮切りにさらに声を憚らずに織斑一夏を嘲り笑う。その有象無象の様子にどうしようもなく腹が立った私は、思い知らせてやると奴等に向けて走り出し。もう少しで手が届くといったところで、織斑一夏を嗤っていた連中は、まるで最初からそこにいなかったように掻き消える。
「な……」
『落ち着けって、こいつらは『記憶』だよ。嬢ちゃんがなにをやったところで干渉なんて出来やしない……でも、わかったろ? 嬢ちゃんが羨ましがった、『織斑千冬』の家族であることって事実が、どんだけ『織斑一夏』をズタズタにしたのかって』
「…………」
周りから人が消えてただ一人残った、ふらつきながら走り続ける織斑一夏の背中に再び視線を戻す。ここからでは、目は見えないが……それでも、走り続けるその姿を見ればわかる。まだ、あの男の心は折れていない。
「そうか……強かったのだな、貴様は」
本当は有無を言わさず打ち倒された時点で認めざるを得なかった事実を、その姿を見て、私は漸く受け入れる。教官のような、才能はなかったのかもしれない。しかし、それも承知の上で、周囲の声も振り切り努力を重ねたのだろう。
しかし……
「それでも結局……折れてしまったというのか?」
今の奴は努力こそ続けてはいるようだが、少なくとも教官という目標を追いかけているようには見えない。周囲の目を気にし、諍いを避け、なんでもない、ただ一人の人として埋没しようとしている。私にはそう映ったからこそ、許せないと思ったのだ。
『まー結果だけ言っちまえばそーいうコト。ただ、そうなっちまう『きっかけ』はあった。嬢ちゃん、『織斑一夏』が、ああまで周りから言われても頑張り続けられた理由は、なんだと思う?』
「それは……」
自分の弟のことを自慢げに話していた、教官のことを思い出す。
教官は口では織斑一夏のことをこき下ろしているようで、内心はいつか弟が自分に追いつく程の器になるのを信じて疑っていなかった。
「教官が、信じていたから?」
『そ。ハニーにしてみりゃ、他の人間がどうこう言ってくるのなんてどうでも良かった訳。ただ織斑千冬が、自分を信じて待っている。その事実さえありゃあ、十分だったのさ』
「そうか……」
やはり羨ましい、と思う。
決して甘やかさないが、それでも弟を信じ前に進み続けながら待つ姉と。例えその背中が見えなくなっても姉が待っていてくれることを信じ、ひたむきに追いかける弟。その二人の、兄弟の在り方が。
『だけど、そいつは逆に言えば』
その声と同時に空間がまた歪み、周囲に光が戻り始める。
やはり今度も何かの建造物の中のようだが、先程の道場ではない。むしろコンクリートで固められた、近代的な建物の中のようだ。
『もしその『織斑千冬』の信頼すら、失っちまったとしたら。ホントに『存在価値』がなくなっちまう一歩手前まで、ハニーは追い詰められちまうってとこまできてたってコトだ』
空間が安定し、直ぐにここが見覚えのある場所だと気づく。
少なくとも、母国にいる時に私は何度かここを訪れたことがある。ここは……
「一年前の……モンド・グロッソ開催開場の選手控え室前の……廊下か?」
そして私の記憶が間違いじゃなければ、この近くに当時教官が使用していた、日本の国家代表の控え室があった筈だが……
「だから、織斑千冬の弟だっていってるだろ? 別に入れなくたっていい、試合前に一声かけてやりたいんだ! 千冬姉に会わせてくれよ!」
声が聞こえ、振り向く。
するとそこには、記憶通りのところにあった、教官の控え室の前で、恐らく教官と同じ日本の代表と思われる、ISスーツを身に纏った女性二人と揉めている織斑一夏の姿があった。
「冗談も大概にしてくれるかしら。織斑さんに弟さんがいるなんて、聞いたこともないのだけれど」
「そうよ坊や。織斑さんは試合前の準備で忙しいの、余計なことに時間をとらせないで」
織斑一夏に対応している二人の視線には、明らかに目の前にいる男に対する侮蔑の色が混じっている。こいつ等も先程の連中と同じだ。織斑一夏という人間個人について何も知らないくせに、ただ偉大な姉に守られているだけの取るに足りない男として彼を見ているのが直ぐに分かる。
こうして織斑一夏について知るまでむしろ連中の側だった私に奴等を責める資格はないが、そうわかっていても怒りを覚える。
明らかに必死な織斑一夏に対して、まともに取り合おうとしていないのだ。
「ああでも……聞いたことはあるかも。何でも言うことを聞く男の子を『飼ってる』って」
「ふーん、やるわね。そういう趣味なのね、彼女」
それどころか、目の前の織斑一夏を差し置いて、そんな許しがたい会話を始める。
「……貴様等!」
思わず激昂して掴みかかろうとするが、私の手は教官を汚す言葉を今も吐き続けている女達をすり抜ける。
「くっ……」
『……なぁ、オレの話聞いてくれてた?』
「知るものか、教官をあのように言われて黙っていられるとでもっ……!」
手を出せないことに歯軋りしながら女達を睨む。その瞬間、
「…………」
顔に絶望を張り付かせ、怯えたようにあのふざけた女二人を見ている織斑一夏が目に入った。
「っ……! 信じるな、何故分からない!? 教官は、貴様を……!」
叫ぶが、当然私の言葉は織斑一夏には届かず。
「そうそう、でも最近は『邪魔』だって言ってたわね」
「そりゃあそうでしょう。いくら素直だってこんな子が、あんなに『完璧』な織斑さんにとって必要だなんて思えないもの」
そんな悪意に塗れた、根も葉もない言葉だけが、織斑一夏を追い詰めていた。
「……っ!」
最後に「必要ない」と言われたのが、決定的だったらしい。
織斑一夏耐えられないように顔を女達から逸らすと、そのまま走り去っていく。
「待て!」
目を逸らす、直前。その目に確かに光るものを見た私は、別に放っておいてもこれが織斑一夏の記憶で、それを『見せられている』以上、続きが見れることを知っていながら、それでもその背中を追いかけた。
待っていてくれた方がいるかはわかりませんが、お待たせしました。過去編、というほど大層なものでもないですが、一夏の過去にとうとう触れていきます。予定では三話構成位の分量になると思います。次回は前に名前だけちょっくら登場した、完全オリキャラの登場になります。