箒の言った条件とは、たまにでいいから剣道の打ち込みに付き合ってくれ、というものだった。
というのも、子供のときからの癖で毎日竹刀を握っていないと感覚が鈍くなりそうで落ち着かず、素振りだけでもやっていたのだが、やはり実戦の方も疎かにはしたくないとのことで、相手を密かに探していたのだと言う。本当、こいつの剣道に対する熱意は見上げたもんだと思う。
「いや、剣道部あるじゃん」
とは思うが、俺は素直に思ったことを口にする。相手がいないはずはない、と。
「いや、そうなのだが……」
途端にしどろもどろになる箒。
ああ、なんとなく察した。
「私達はまだ入学したばかりだ。部活動の勧誘はまだ始まっていない。かといってこちらから押しかけるのもはしたなく見られるのではないかと思い……」
つまりこいつのお家芸人見知りが発動したわけだ。
こちとら周りが全員女なんて孤立無援の四面楚歌な状態でこれからやっていかねばならんことを顧みればなにこいつ温いこと言ってんだと言わざるを得ないが、まぁ性格は六年やそこらじゃ直らないということなんだろう。
「OKわかった。俺も約束した以上は付き合う所存だ。ただし剣道部にはちゃんと入れ。俺だって勉強しないとヤバいし、いつでもお前に付き合えるわけじゃない」
そう、本当にまずい。
今日は初日ということもあり授業というより基礎的な知識の説明で終わったのだが、はっきり言って何一つ理解出来なかった。わからないところがわからないという最悪のアレである。
日のために、何の準備もしてこなかったわけじゃない。千冬姉から山のように手渡された教科書、参考書にそれこそ何度も目を通し、入学早々お話になりませんと追い出されることのないよう努力はしてきたつもりだった。
ただ時間が圧倒的に足りなかった。せめて千冬姉に聞ければ良かったのだがあの人は多忙で滅多に家にいないし、他にISに詳しい知人なんてここに来る前は平々凡々な日々を送っていた俺にいるはずもなく、一人でやらなければならなかったのである。
そういうわけで、今日の事態はある程度想定はしていたつもりだった。
しかしいくら覚悟していたとは改めてその場に直面すると、男一人という孤独感も手伝い完全に俺の場違い感にこれでもかとばかりに飲み込まれアップアップだった。最後のほうは俺は自らを白い灰に変える作業に余念がなく、どうやら俺に話しかけてきているらしい時代錯誤な金髪縦ロールやその他大勢の女の子達を死んだ魚のような目で眺めていたような気がする。
俺がその時のことを思い出して若干トリップしているのを箒は少し引き気味に見つめると、
「あ、ああそれはわかっているつもりだ。だからそちらの方は私が面倒を見よう。たいした力にはなれないかもしれないがひとりでやるよりはマシなはずだ」
「本当か?!」
思わず箒に詰め寄る。ああ、ホントお前綺麗になったよ。それこそ女神かなんかと見紛うくらい。
「ああ、だからこっちにもきっちり付き合ってもらうぞ」
仕方のない奴だとばかりに首を振る箒。
そんな人を哀れむような顔はやめろこちとらほんとに死活問題なんだぞ。
「箒、ここ剣道部の道場だろ?部員でもない俺らが勝手に使っていいのか?」
「ああ、織斑先生から許可が出ている。防具も使っていいそうだ」
「いやでもこれ剣道部が普段使ってるやつだろ?男が使うのは不味いんじゃないか?」
「その右端のを使え。確か新品だったはずだ。お前用のに出来ないか後で私から先生に聞いてみる」
えーと箒さん。なんで部員でもないのに道場の備品の状況なんかに詳しいのさ?
大体やけに準備もいい。まさか千冬姉こうなることを予想して手を回していたんじゃないだろうな。そこまで考えたらなんか怖くなったんでやめた。
さっさと防具を身につけ、竹刀を掴んで箒と向き合う。
「……・」
うわ、凄いな。
昔とは漂ってくる気迫も集中力も段違いだ。
これがあの箒とは。こいつは本気で行かねば不味そうだ。
「行くぞ一夏。まずは一本とらせてもらう」
「ああ持ってけよ。ただし安くはないからな」
そんな軽口を叩き合うと、俺達は全く同時に相手に向けて踏み込んだ。
「うぉぉ……キツい。全身が痛い」
道場の床に防具をつけたまま倒れこむ。冷たい床が心地いい。
時間が許すなら、ずっとこうしていたかった。
箒との戦いは熾烈を極めた。
隙を見つけては面、胴、小手の全部を打とうと切り込むもののその悉くを叩き落され、返しの刃でこちらのそれを狙ってくる、そんな一進一退を繰り返し、とうとう俺の集中力がきれ箒の重い面を叩きこまれる頃には既に30分が経過していた。
やはり箒はとんでもなかった。剣道の試合っていうのは、真剣勝負ならそれこそ1分に満たない時間でも相当な集中力と体力が要求される。
俺も相当粘った自信はあったのだが、箒はそれの更に上をいった。悔しいが、完敗だ。
「鈍った、な、一夏……」
「そんなクタクタになって言っても格好良くないぜ。まぁ負けたのは確かだけどな」
箒は俺と違い倒れてこそいないが、未だに肩で息をしていた。ああくそ、もう少し粘れば勝てていたかもしれないだけに惜しい。やっぱ俺も相当な負けず嫌いだったようだ。
「なに、まだ、こんなものではないぞ……。まだ私はやれる」
「お前がやれても俺が駄目なの。明日に響くぞ」
さっさと面を外して放り投げ終わりを宣言する。こいつはこうしないといつまでたっても勝負をせがむ。変わらないのもいいがそういうところまで変わってないっていうのはどうなんだ。大体今回は勝ち逃げさせてやるってのに。
箒は残念そうな顔をしたが、俺に続ける意思がないのがわかったのか、渋々防具を外し始めた。
「全く……何が型の練習しかしていない、だ。剣は続けていたんじゃないか」
「剣道はやめたぜ。ただ俺の目標のためには剣は捨てるには些か惜しくてみっともなくしがみついてたってだけだ。お前程真剣に向き合ってはいなかった」
そうだ、真剣ではなかった。少なくとも、一年前のあの日から。
強くなりたい。もの心ついたときからずっと姉に守られてきたから、だからいつか、この誰よりも強い姉より強くなって、自分のこの手で守りたい。
箒に束さん。
二人がいなくなったのが寂しくて堪らなくなって、友達が欲しくて空回りしていた自分。
それでも、そんな俺に近寄ってきて、一緒に遊ぼうと言ってきてくれた悪友達。
そんな出会いと別れを繰り返して、その中で色んなものを得たり諦めたりしてきたけれど、その中でも決して変わらなかったその願い。そしてこれからも変わらないだろうと信じてきたそれを、俺はもうあの場所に落としてきてしまった。
「……一夏?」
俺の言葉に何か含みを感じたのか、箒の声に心配そうな気が混じる。
いけない、気持ちを切り替えなくては。
「部屋に戻るぞ箒。同室になる以上これからのことを色々話合わなきゃならない。まあなるべく早く出て行けるよう千冬姉に掛け合ってみるから、それまで宜しく頼む」
「あ、ああわかった」
防具をきっちり片付けて道場を出る。
部屋に戻った後は、本当は風呂の時間なんかを話し合って決めたかったのだが、ベッドを見た途端に凄まじいまでの睡魔が襲ってきたため、話もそこそこに交代でシャワーを浴びて床に就いた。
いや、女の子と同室で眠る、しかも最初の日とあっては、お互いにドキドキしてなかなか寝られないとか女の子の匂いがするシャワールームで変な気分になるとか、そんな微妙に甘酸っぱい話の一つや二つあっても良かったのではないかと我ながら思ったさ。
ただ箒との打ち込みは正直予想以上の体力を俺の体から奪っており、そんなことに気を配っている余裕は少なくともこの時の俺にはなかった。
っていうわけで、学園生活初日から俺は疲労困憊の体で泥のように眠った。
いやほんと、初日からこれでこれからどうなってしまいますやら。
~~~~~~side「箒」
「眠ってしまったか」
シャワールームから出てくるなり、おやすみも言わずに倒れこむようにベッドに横になると、数秒後には寝息を立てはじめた少年の顔を見下ろしながら、私は一人ごちた。
尤も、私も余裕がある訳じゃない。今日打ち合いは、六年前こいつと別れて以来久々の接戦だった。そのため私もだいぶ熱が入ってしまい、なんとか一本取った後は正直なところ腰が立たなくなりそうだったが、一夏の手前弱いところを見せたくなくてつい昔のように強がりを言ってしまった。
だから今も同じように横になればすぐに一夏と同じ世界に飛び立てる自信はあった。それでもぼやける頭をなんとか総動員させて起きていたのは、
「もう少し、お前と話したかったのだがな……」
偏にこれに尽きる。
本当に、こういった肝心なことに限って察してくれないのも昔からちっとも変わっていない。
剣のことといい、やはり私とこいつは基本的に宿敵という関係がしっくりくるのだろう。
「まぁいい。まだ話す機会はあるだろう。覚悟しておけ、一夏」
それは宣言。また出会った以上、これからまた張り合い続けるという一方的な約束。
これからきっと楽しくなる。だってそうしていた時間こそが、これまで篠ノ之箒が生きてきた人生の中で、最も幸せな時間だったのだから。
「106勝108敗。まだ私の負け分が多いが、これから取り返す」
そんなことを言いながら、気分はウキウキしながら横になって瞼を閉じる。
そうすると、今日彼に会った時のことを思い出す。
『よう。なにしてんだ』
『……姉を探していたんだ』
憶えていて、くれた。
それは初めて一夏にあった時のこと。
私を迎えにきたくせに「なんかあれ面白そう!」とふらりとどこかにいってしまった姉を見失い学校の屋上でべそをかいていた私に声を掛けてきた一夏。
そのまま私の手を引いて一緒に姉を探してくれた。
しかしお礼も言えず名前も聞けず、その数日後私の父の道場に千冬さんと一緒に尋ねてきて、その時初めて名前を知った。
当時から負けず嫌いだった私は、初めて男の子に泣いているところを見られたのが悔しくてやたらと彼に突っかかり、こいつの方も負けじと張り合い……そうしているうちに私達は同じ学校の中では一番気を許しあえる仲になっていた。
その時の思い出を……一夏も大事にしてくれていた。
そう考えると、体は本当に疲れているのに、なかなか眠れそうもなかった。
~~~~~~side「一夏」
頭の中はもうグチャグチャだ。
悲しみ、怒り、憎しみ。そんな色んな感情が入り混じってどうにかなりそうだった。
そんな頭でも、このままここにいたら千冬姉に迷惑がかかることだけはわかっていたので、必死に走っていた。
駄目だ、逃げるな戻れ!今ならまだ……
そんな言葉が届くわけがない。
これは既に終わってしまったことで、俺はそんなどうしようもない自分自身の背中を、夢の中で他人のように眺めているだけなのだから。
他でもない、自分自身の力で誰かを守りたいという願いがあった。
そのために、どうすればいいかなんて、考えたことなんてなかった。
俺には負うべき背中があり、待っていてくれる人がいた。
その人に追いついて、逆にその人を守れるくらいに強くなれば、それだけできっと皆を守れると信じていた。
――――しっかり見ていろ、一夏。お前が望む限り、私はお前が追いかけるに相応しい姉であり続けてやるからな。
その人は、俺を信じてくれた。
だからこそ、俺を置いてどんどん先に行った。
その距離が空くにつれ、周りの俺に対する態度は、その人の肉親から『お荷物』に変わっていった。
――――周りの声など気にするな。お前は、お前のペースで追ってくればいい。
そんなこと、言われるまでもなく気になんてならなかった。
いつか絶対追いつく気でいたし、なにより例えお荷物だったとしても、誰よりも強く輝くこの人の弟であることが俺の誇りだったからだ。
でも。
やっぱりお荷物になるのは嫌で。
このとき俺は、その人と周りの連中にくだらない見栄を張りたいなんて最低の理由で、守るべき人を放り出して逃げ出した。
「…………!」
俺が無様に逃げ帰っていった逆方向に全力で走り出す。
間に合わないのは判っている。何せ何回も繰り返した。それでも、走らずにはいられなかった。
「あ……」
駄目だ、やめてくれ。
どんな罰だって受ける。だから、
「ああ……」
あいつの。こんな姿を見せないでくれよ。
「うわあぁぁぁぁぁぁ!!」
恥も外聞もかなぐり捨てて、
それが許されないこととわかっていながら、泣き叫びながら許しを請う。
もう、何度、こんな夢を見たのか自分でもわからない。
俺が、千冬姉の背中を追う資格を失った日の、記憶だった。
「最悪だ……」
本当に最悪の気分だった。
ホント、花の高校生活一日目からなんと夢見の悪いことか。
一度神社でお祓いをして貰うというのも本気で検討すべきかもしれない。
尤も、結局は自分の問題であるため効果がある可能性は限りなく薄いというのが困りものだが。
「すぅ……」
叫んでいたのは夢の中だったらしく、隣のベッドでしどけなく眠る箒を起こさなかったのは僥倖だった。尤も仕切りのせいで寝顔は見えない。一瞬回りこんで覗きたい誘惑に駆られたが何とか思い直す。
なんだかんだで勘の鋭い奴だ。覗き込んだところを辻斬りではあまりに情けない最期すぎて千冬姉に顔向けできない。
「あーもー」
時計をみると四時。二度寝をしてもいいが、寝れば確実に今の気分を引き摺る。
そうじゃなくても過酷な環境で生き抜かなければならないのだ。せめてクラスメイトにくらいファーストインプレッションはいいものを持って貰わないと今後自分の首を確実に絞める。時間があるうちに切り替えておくべきだろう。
「え~、と」
トレーニング用のジャージを着込むと千冬姉が持ってきてくれた俺用の荷物を漁る。
ものがものだけにないかなとも思ったが、ボストンバックの底からなんとか出てきてくれた。千冬姉には後でちゃんと礼を言っとかないとな。
「じゃ、箒。行って来るから」
一応仕切りの向こうから起こさないよう小さく声をかけ、部屋を出る。
ドアを開けるときに小さな声で名前を呼ばれた気がした。
「ふぅ……」
俺がやってきたのはIS学園に隣接する小さな林の中だった。
ちゃんと定期的に整備されているのか草木を掻き分けて中に入っていく必要もなく、ジャージとはいえ服が汚れずに済んだのは大助かりだった。
やはり木立の中というのは空気がいい。これからもたまに利用させてもらうとするか……よし。
心を落ち着かせると、手にしたそれに手を掛ける。
握るだけでずしりとくるそれは、本物の業物……というわけではないが刃がついていないだけで限りなくそれに近いもの。
「――!」
十分に集中力が高まったところで、一気に振り抜く。
切れるものはないが、それでいい。どのみち刃はついていない。
「――――――……」
そのまま太刀を構え、見えない相手と対峙する。目の前にいるのは自分の最も得意とするこの型でさえ一度も通じたことのない、黒髪の戦女神だ。
―――尤も、得意としているのは相手も同じ。なにせ自分のこの型は、彼女の模倣から始まったのだから。
――――――……。
お互いの太刀は微動だにせず、ただ足で軸をずらしながら回るように相手を伺う攻防が続く。
それもまた必然。俺達の勝負は元来一瞬で終わるものだ。太刀を振るうのは、必中、必当を確信したその瞬間のみである。
――――――……。
ああ、くそ。わかってはいたが隙なんて全然見えない。
そのくせ、向こうはこの立会いの中でもう何回も「必殺」の瞬間を俺に見出しているだろうにも拘らず、敢えてそれを全部見逃し、こちらが「我慢」出来なくなるのを待っている。
――――――……。
冷や汗が吹き出る。
やはり無理だ。
あの前なら、同じ状況でも踏み込めた。いくら直感的に勝算はないとわかっていても、やってみなくちゃわからないと、踏み込んでみたらそれが見えるかもしれないと、そんな可能性を信じて踏み込めた。
だが、今は
――――――……。
憧れ続けた強さの完成型が、俺をこうやって待っていてくれているのに。
肝心の俺はこうして立ち尽くしていることしかできない。
「ッ……!」
とうとう耐え切れなくなり、ただこの場から逃げたいという一心で、俺はなんの心も宿っていない空っぽの太刀を振り抜く。当然そんな太刀が届くことはなく、俺の刃は千冬姉に触れることすら適わないまま相手の神速の斬撃が速やかに俺の首を両断した。
――弱くなったな、一夏。
俺を殺しておきながら、勝手に消えていくその人は、間違いなくそんなことを口にした、そんな気がした。
「よく考えてみたら逆効果じゃねーかこれって」
今更ながら、持ってきたタオルで汗を拭きつつそんなことを思う。
しかしこんな心の入らない修練にも関わらず、体の方はともかく頭の方は大分クリアになっていた。結局頭も体の一部、心が駄目になった時の解決法は大抵体が知っているものなのだろう。
ともかくこれで少なくとも精神的な落ち込みは今日に持ち越さずに済みそうだと安堵した。しかし、代わりにもう一つ心配の種が増えた。
箒のことだ。今日のこの「修練」ではっきりした。今の俺に、あいつが積み重ねてきた剣の道に拮抗できる程の強さはない。それにもかかわらず、俺達の戦いは拮抗した。それは即ち、
「あいつにも何か『迷い』があるのか……?」
少なくとも、俺と同じ期間か、それ以上。
あの強い幼馴染の手を鈍らせるような、そんな『何か』があったんだろうか。
「まぁこっちは今考えても仕方ない、か」
時間はあるのだ、おいおい世話話でもしながら上手く乗せてあらかた吐き出させればいい。
そんなことを考えながら、俺は林を出ることにした。
林を出たら、「本物」がそこにいた。
「うぉ!!」
先程までやっていた「修練」の影響もあり、その姿を認めた瞬間思わず腰の刀に手が伸びる。
「やってみるか?丸腰の私ならいかにお前が未熟とはいえ、届くかも知れん」
そう言って首の辺りを一指し指でトントンと叩く千冬姉。ああ、この反応は間違いなく「本物」だ。
「やめとく。そう言っといてどうせ当てらる気なんてないんだろうしな。で、こんな朝早く何の御用でしょう織斑先生?」
千冬姉の眉かピクンと動いたのに反応し俺の言葉は自動で敬語に切り替わる。いや、二人っきりのときぐらいいいじゃんよ、とも思うが口には出さない。なにせこの御仁はナチュラルに出勤簿で刀に勝てるレベルの達人であるからして。
「一応注意しに来た。この時間帯生徒が寮から出るのは禁止されている。以後気をつけろ」
「……入学初日から校則を破った生徒に対する注意としては甘いんじゃないですか、それ」
「……どうせ叱った所で止めないだろうからな、お前は。そして誰にも見られずにことを進めるには私もお前がとった行動以外の方法が正直思いつかない。私以外に見つからない限りは黙認する。ただし実行するときは事前に私に伝えておけ。2階の窓とはいえ鍵を開けたまま寮を抜けられるとセキュリティ上問題が生じる」
おおう、そこまでリサーチ済みか抜かりない。
まぁ千冬姉にはいつかはバレるとは思っていたが初日から見つかるとは。
「何年お前の姉をやっていると思ってる。そう簡単に私を出し抜けると思うな」
ええ、思い知りましたとも。
しかし許して貰えたのは有難い。尤も言われた通り仮に止めろと言われても止める気はなかったが。
「わかりました。織斑先生に迷惑をかけないようせいぜい精進するとしますよ。それでは」
そう言って立ち去ろうとすると、ポツリと声が掛けられる。
「まだ……夢にみるのか?」
うわぁ答えたくないなぁ。まぁ初日からこんなことやってる時点でバレバレもいいとこ、これも質問というより確認の意味合いが強いだろう。だから正直に答える。
「ああ。見た。でもなんてことない。俺は大丈夫だよ、千冬姉」
この人には甘えない。いや、誰にも弱音なんて吐かない。
それが、あの日を境に変わってしまったこの姉と、あの人に対する、俺なりのけじめだった。
「そうか……わかった」
安心させられたかなんてわからない。返ってきた千冬姉の声に感情はなく、俺は千冬姉の顔を窺うために振り返る勇気がない臆病者だったから。それでも、
「頑張れよ、一夏」
そんな俺を許してくれるだけじゃなく、力を貰える言葉をくれて、去っていく。
全く、俺にはもったいない姉貴だよな。ホントにさ。
部屋に戻ると、箒は既に起きており、部屋の隅で正座をしながら精神集中しておいでなすった。
朝4時に抜け出して林の中で刀振り回してた俺が言えた義理ではないかもしれないが、こいつもとことん武人気質というかなんというか。
当然朝いなかったことは問いただされたが、答えるまでもなく俺の腰に据えられた刀を見て勝手に納得していた。そんでもって次やるときは私を起こせときた。ここなんの学校だよホントに。
まぁその辺は余談。今は昨日に引き続き正直もう日本語かどうかすら怪しい授業を受け精神を絶賛すり減らし中だ。とはいえ、箒との約束があったので、一人ではないという安心感からか昨日ほど精神状態は逼迫していなかった。
しかしそれが却って災いし、昨日はガン無視を決め込んだ(というかそうするしかなかった)連中を嫌でも相手どらなくてはいけなくなった。今わざわざ俺の机の前にまで移動してきて偉そうにふんぞり返っている金髪縦ロールはその筆頭だ。
「昨日はよくもまぁこのわたくしを無視してくれたものですわね!」
そいつはピキピキと音がしそうなくらい綺麗な青筋をこめかみに浮かべて俺の前に現れた。なんてこったい、ファーストインプレッション最悪じゃんかよ俺ってば。なんとかフォローしなくては。
「悪い。俺のような凡人凡才にはここの授業はレベルが高すぎてついていのがやっとでさ。これでも飲み込みは早い方だって自信があったから落ち込んじまって余裕がなかった。やっぱ君等は優秀なんだな。そいつを改めて思い知ったよ」
「あら、今やっているのは本当に基礎中の基礎ですのよ。この程度にさえついていけないのは最早凡人の枠にすら収まりませんわ。ただの愚か者です。自分の程度を正しく理解することは大事でしてよ?」
おおう、キツい返しだ。こいつは相当頭にきてるな。どうしたもんかね。
「OK,言うとおりそうだ俺は馬鹿だ。だからまぁ、馬鹿ゆえに礼儀が足りずに粗相をやらかしちまったってことで、天才様の余裕でどうか目をこぼしてやってくれませんかね」
「……そうですわね。愚者は間違いながら学ぶもの。一度や二度のの失敗で一々目くじらを立てていては上に立つ者の器とは言えませんわね。いいですわ、昨日のことについては不問にして差し上げましょう」
おおし、いい感じだ。
やっぱこういういかにもプライドの高そうな奴相手の時は下手に出るに限る。
さっきから箒がお前にはプライドがないのかとでも言いたそうな顔で睨んでくるが知ったこっちゃない。こういうのはな、心の中で舌を出してりゃいいんだ。ってこの刺すような視線、昨日教室出る時に見てたのはお前か。
というか同じクラスなのに気がつかないってなにやってんだ俺。許せ箒、お前が変わりすぎちまったのが悪いんだ。男子三日会わざれば刮目して見よって言うし六年も会ってなければ判らないのは当然だ。うんそうなのだ。
「誰に何を言っているんですの……?」
ハッ!しまった。今は箒じゃないこっちだ。
「すまん独り言だ気にするな。で、まだ何か?」
「なにか、ではありませんわ。その足りない頭でよく考えて御覧なさいな。仮にもこのわたくしと同じクラスの人間に貴方のような程度の低い者がいるなど、到底許容できるものではありません」
「はあ。ならどうしろと」
「どうしても、と仰るのでしたら、このわたくしが面倒を見て差し上げても宜しくてよ。ええ、わたくしはエリートですもの。愚者の一人や二人、標準レベルまで押し上げるなど容易い事ですわ」
なんていうか、目障りだからわたくしの視界に入るなとかではなく面倒を見てやるとか言い出すあたりこれで意外といい奴なのかもしれない。まだ裏がないとは断言できないが、箒臭というか、そういう駆け引きはできなそうな印象が今のところ強い。
それに言葉使いこそ一々勘に触るが無能な奴が虚勢を張っている感じではない。実力が伴っているからこそのこの自信なんだろう。前者だったらやりやすかったのだが本当に面倒臭い。
「成程。そいつは有難い。え~と」
「その様子では、わたくしのことも知らないようですわね……はぁ、これだから愚者は。一年の主席、そして代表候補生である私を知らないなどと、恥曝しもいいところですわ」
「代表候補?」
「ええ。わたくしはかの大英帝国の代表候補生、セシリア・オルコットですわ」
イギリスの代表候補生か。道理で見た目が日本人離れしてるわけだ。日本語が流暢な割りに若干イカれているのはまぁ、教えた人間の問題だろう。
代表候補生っていうのがなんなのかくらいは流石に俺でもわかる。
現在ではスポーツとしての側面が強いISは、どの国にも原則「代表選手」的な搭乗者を育成する。いわゆる国の代表であり顔なので実力があるのは当然で高い水準の器量も要求される。言ってしまえば美人揃い。そんな女性達が金属の鎧を身に纏いド派手な戦闘を行って雌雄を決するというのだから、IS競技が世界中の注目の的となるのは至極当然のことと言える。
実際今目の前の少女も代表候補というだけあり相当レベルは高い。髪は天パなのか意図的にそうしているのかは知らないが、型が若干奇抜なの差し引いても色艶ともに申し分ないし、その整った容姿はモデル雑誌に載っているような外国の白人女性と比べても遜色ないくらいだ。
しかしそんな美人の最初に見た顔が青筋を浮かべながらピクピクしているところとは、なんとももったいない話ではある。
自業自得なんて言葉は俺の辞書にはない。
「織斑一夏だ。宜しく頼む」
とにかく、向こうが名乗ってきた以上こちらも名乗るが礼儀だろう。そう思いこちらも名乗る。
「知っていますわ。史上初となる男性のIS操縦者。全く、腐ってもIS操縦者ということであればもう少し知性的な方だと思っていたのですが、蓋を開けてみればこんなものですわね。尤も、期待はしていませんでしたけど」
そう言ってこちらを見る目には明らかに侮蔑の光がある。
初日無視されただけの割にはキツい態度だなぁとは思っていたが、成程そういうことか。
この世界におけるISの優位性が高まるにつれ、その特性のお陰で生まれたはた迷惑な基準。
すなわち、女は偉く、男は卑しいという考え方。
こんな特殊な環境にいるとつい忘れがちになるが、世の中に既にその考え方は根付きつつある。
卑しい側の立場としては、随分胸糞悪い思いをさせられたこともないわけじゃない。
今目の前にいるこいつも、男が女より劣ってるのは当然と思っているような、所謂今時の「風潮」に乗せられてる奴の一人なんだろう。
そういうことなら遠慮する必要ないか。
まぁ純粋に昨日無視したのは悪かったと思う。実力があるなら多少思い上がるのもいいだろう。
でも、それはちょっと認められない。
努力が足りないとか、考え方が至らないとか、そういうんだったら一向に構わない。
だが男だ女だの、若いだの年寄りだの、腕がないだの目が見えないだの、そういった本人にはどうしようもないことで人を見下す奴が俺は大嫌いだ。
「ま、俺個人が馬鹿なのは認めるけどな。俺が男って理由で馬鹿にしてるんだったらやめてくれ。俺は『俺』だ」
だから、そう念を押す。
あ、明らかにムッとした顔したな。でも同時に僅かばかりに自分を恥じるような色も伺えた。
客観的に自分を見る力はあるようだ、優秀なのはもう間違いないな。
「……随分言ってくれましたわね。誰が口答えをしていいと言いました?」
「あんたには一応言ったほうがいいような気がしてね。そんな剣呑にならずに仲良くやろうぜ。クラスメイトだろ?」
そう言ってほい握手と手を伸ばすものフンとそっぽを向いてしまわれる。
ううん、やっぱ扱い辛いなこの娘。
「……まぁ、いいですわ。いずれわたくしに対してそんな口を利けないくらいに教育してさしあげます。それでは、御機嫌よう」
そう言い残し行ってしまうセシリア。
うーん、可愛いし学年主席ってことは頭もいい、それに代表候補生ってことは恐らく「専用機」も持ってるんだろう。人脈を築くための人材としては申し分ないがあまりこちらにはいい感情を持ってないってところがネックか。
取り敢えずはしばらく観察かな、と自己分析を終えたところで箒とでも話すかと席を立つ。
しかしそれは叶わず、今度は先程までセシリアと俺のやり取りを遠巻きに見ていた娘達が寄ってきて取り囲まれてしまう。
「……OK。こうなったらとことん付き合う」
俺は覚悟を決め、再び椅子に腰をどっしりと落とした。
いや、男から見れば羨ましい光景なのかもしれないけどな。ここまでいくと却って気を遣うというか有難味も減るというか。もげろとか言うな。
二話目ー。