~~~~~~side「セシリア」
「――――座らないのかい?」
しばしの沈黙を破り、先に口を開いたのは、謎の甲冑の人物だった。
……男性とも女性ともとれる、不思議な音質の声だった。甲冑の人物はしっかり頭に兜まで被ってバイザーを降ろしているため、本当に顔も性別もわからない。
「……よろしくて?」
「ああ。椅子は見ての通り沢山ある。好きなところに掛けてくれ」
「では、失礼致します」
促されるまま、丁度甲冑の人物と向かい合える位置……円卓の反対側に腰掛ける。そして、このよくわからない現状を少しでも把握すべく、早速かの人物に話を聞かせて貰うことにした。
「その……つかぬことをお尋ねしますが、わたくしは先程まで公式のISの試合に参加し対戦中だった……はずですの。わたくしがいきなりこのような姿で、今この場所に呼び出されたことについて何かご存じでしたら、教えて頂けませんこと?」
「…………」
先程はあちらから話しかけられたので会話は出来るだろうと思っていたのだが、わたくしの問いに対し甲冑の人物は急に黙り込んでしまう。
「あ、あの……」
「……いや、ごめん。貴女にそのようなことを聞かれるとは思わなくて、少し戸惑っていたんだ」
「……? それは、どういうこと、ですの……?」
「貴女にとってもおかしなこと言うようかもしれないけど……私は、貴女に呼ばれたからここにいるんだと思っていた」
「わたくしが、呼んだ……?」
本当に思いがけないことを言われてこちらも戸惑うも、甲冑の人物に嘘を言っている様子もない。
少し考えてみた後、なんにせよまずお互いのことを知ることから始めるべきだと思い立った。わたくしの知るなかにあのようなフルアーマーを着ている方はいないが、名前を知ることが出来れば心当たりがあるかもしれない。
「わたくしは、セシリア・オルコットと申します。失礼でなければ、貴方のお名前をお聞かせ願えませんでしょうか?」
「セシリア。私の、名前……」
甲冑の人物はゆっくりわたくしの名前を呟いた後、何かを思い出そうとするように顎に手を当てて考え込むような体勢をとるものの、しばらくして首を横に振りながら、
「……貴女の名前は知っている。いや、『知っていた』よ。とはいえ、こうして女性に恥を承知で先に名乗って貰った手前、私としても応じたい所存なのだけど。私の名前は……ない。思い出せないんじゃない。『ない』んだ
「……?」
また、要領を得ないことを言う。名前が、ない……?
あの鎧の下からでもわたくしがその答えに訝しげな顔をしたのがわかるのか、甲冑の人物は心なしか恐縮するように体を丸めて小さくなりながら、兜のバイザー部分に指を掛けた。
「そうだね……こんな曖昧な話を続けるよりも、まずは私の顔を見て貰ったほうが早いだろう」
そして、カチリ、と金属同士が擦れる音を響かせながら、顔を覆っているバイザー部分を押し上げた。
「ヒッ……!」
兜の下の甲冑の人物の顔を見て、わたくしは思わず引き攣った悲鳴をあげてしまう。
――――そこには、顔が『なかった』。わたくしの前にいる甲冑の人物は、のっぺらぼうだったのだ。
「ご、ごめんよ……怖がらせてしまったかな」
わたくしの反応を見て、甲冑の人物は慌てたようにすぐさまバイザーを閉めて頭を下げたが、今見た衝撃的な光景はすでに網膜に焼き付き中々消えてくれない。
いっそ脇目もふらず逃げだしたい衝動に駆られるが、目の前の表情が見えなくとも俯いてしゅんとしているのがわかるかの人物を見て、なんとか辛うじて思いとどまった。
……確かに得体の知れない人物、いや、最早人物と言える相手なのかすらわからないが、少なくともあちらはちゃんとこちらに向き合い話をしようとしてくれている。そんな相手に礼を失するのは、オルコットの娘としての矜持が許さない。
何度も自分にそう言い聞かせ、思いっきり何度も深呼吸しながらわたくしは最低限の冷静さを取り戻そうとする。
「し、し……失礼、しました。お見苦しい、ところを、見せてしまい、申し訳、ござい、ません、でした」
「いや……いきなりこんな顔を見せられて驚くなというのが無理な話さ。無理に喋らなくてもいい。落ち着くまで息を整えてくれ」
「はいぃ……」
全然駄目でした。結局わたくしが落ち着くまでしばし経過し、漸くわたくしが喋れそうになったところを見計らって、再び甲冑の人物が話し始めた。
「本当に申し訳なかった。どうも貴女は本当に何も知らないまま、ここを訪れることになったようだね。順を追って話すから、聞いてくれる気があるのなら、どうか聞いて欲しい」
「……わかり、ました。お願い致します」
「ここは……IS搭乗者とISコアが共鳴することで、ISの自意識と搭乗者の深層心理を元に生み出される『仮想空間』と呼ばれる場所でね。一言で言ってしまえば、『ISの中』だ。現実とは完全に切り離された場所だから、今ここで一分一秒過ごしている間も現実では一秒たりとも経過していないことになる。ここまではいいかな?」
「はい……いえ、お待ちになって。ではここは……」
「ああ。貴女が普段『ブルーティアーズ』と呼んでいる、ISが見せている夢のようなもの。そして私は……ブルーティアーズの自意識、ということになるね」
「あ、貴方が……」
無論、学びの過程でISに自意識があり、それは実質殆ど人の意識のそれと変わらない、というのはわかっていたつもりだが……よもや、わたくしのISの自意識が、こんなのっぺらぼうの方だとは。
誰に文句を言えば良いかはわからないが、せめてもう少し心臓に良い見目には出来なかったのだろうか?
思わずそんなことを考えたのが顔に出たのか、甲冑の人物……ブルーティアーズその人は、表情こそわからないものの、兜の下で苦笑したような気がした……いえ、口もないのだけれども。
「うん、いや……今の私がこの姿なのはブルーティアーズそのものの在り方の問題なんだよ。だから、生憎私自身の意思でどうにかなるものではなくてね」
「……? と、言いますと?」
「貴女も知っているだろうけど、専用機であるとはいえ、第一形態までのISはまだ専属搭乗者以外の人も搭乗できるんだ。だから……貴女用にパーソナライズされながらも、ブルーティアーズにはまだ他の搭乗者を受け入れられる余地が必要だった。私は、『その時』が来るまで、貴女一人だけのための形をとるわけにはいかなかったんだ」
「……それで、顔も名前も『ない』と。そういうこと、でしたのね」
正直に言わせて貰えば、その答えは理屈は理解出来るし納得も出来るものの、わたくし個人にとってはあまり面白いものじゃなかった。わたくしは今日までずっとブルーティアーズを唯一無二の自分の機体だとずっと思っていたのに、ブルーティアーズ本人からは別に誰を乗せたって良かったのだと言われたような気がしたから。
本人が決してそのように言ったわけではないし、わたくしの我儘のようなものだとわかってはいるのだけれども。
そんなわたくしに、ブルーティアーズは今まで一番優しい声で諭すように続けた。
「……そんな寂しそうな顔をしないで欲しい。今まで私は最低限の、自身の義務を果たしてきただけという話だよ。私も、本音は同じ気持ちさ……セシリア。貴女以外に、私の主はあり得ない。それを今決定的なものにするために、貴女と私はここにいる」
「先程『その時』等と仰っておりましたが、そのことと関係ありますの?」
「よく聞いていたね。そう……『
「それは……?」
「名前だよ。機体名である『ブルーティアーズ』とは別に……貴女のために在るものとして。どうかこの『私』に、名前をつけてくれないだろうか?」
「えっ……?」
わたくしと、わたくしの専用機が、次の段階へ行くために必要なこと。そう聞いて身構えたものの……
ブルーティアーズが要求してきたものは、そんな思いがけないものだった。
「最早なんの呵責もない以上、私は貴女の一人のために在るものとして在りたい。けれど……私は所詮、人に近くても人とは違う『もの』だ。これだけ貴女と繋がって尚、貴女にとって最も必要とされる『形』がわからない。だから……失礼を承知で他でもない貴女に、私の形を定めて貰いたいんだ」
「名前……ブルーティアーズの、いえ、貴方の、形……」
……わたくしにとって、必要とされるものの形。それは、なんだろうと考える。
必要、というか、欲しいものは沢山ある。大事なものを守り抜くための力、誰もがわたくしをわたくしと認めるであろう程の栄誉、これから先オルコットの当主として世の中を渡っていくための度量、わからないことだらけで先が見えないとき、身を助けてくれる知識。他にも、いっぱい。
でも、どれも明確に形のあるものとはいえなかった。形のあるもので、わたくしが求めたものと、なると……
―――― 一つだけ、頭を過ぎるものがあった。
けれど、今更どの口で、という思いがその言葉を口にするのを躊躇わせる。いなくなった後も身勝手に見下して、それ故に馬鹿らしい偏見を引き摺って、直すことが出来ずに恥を晒す結果になって。そんなわたくしが、また、あの人に会いたいなんて……
「アーサー」
そんなことを言う資格なんて、ないと思っていた、のに。
一言だけでいいから、謝りたい。そう思った瞬間、躊躇いは消えて、気づいたら唇が言葉を紡いでいた。
「貴方の名前は、『アーサー』ですわ」
「アーサー。私……いや。『セシリア・オルコット』のために、在るものの名……」
ブルーティアーズ……いえ、アーサーは噛み締めるようにわたくしが告げた名前を呟くと、徐に立ち上がり、被っていた兜を脱いだ。
ああっ! やっと心の準備が出来てきたところなのに、またあの顔を見せられたら……!
と、わたくしは思わず身構えるも――――
「あっ……」
その兜の下は最早、先程までののっぺらぼうではなかった。立ち上がったアーサーの顔を見て、わたくしは先程とは違う意味で声をあげてしまった。
――――わたくしと同じ色の髪に、優しそうな青い垂れ目の男性。わたくしがアーサーの名を告げた時に思い浮かべた顔……『アーサー・オルコット』の。お父さまの顔があったからだ。
アーサーは両手を口に当てて驚いているわたくしに対し、まるでわたくしの知っているお父さまのように……照れたように指で頬を掻くような仕草をして応じる。
「気に入らなかったかい? ……貴女がその名で私を呼んだ時、思い浮かべた者の姿をとった。駄目ならば言って欲しい。もう一度、別の姿になってみる」
「い、いえ……驚いただけです。その姿で……結構ですわ」
「辛そうだよ? 大丈夫かい?」
「っ……!」
本当に、わたくしの身を心から案じるような、お父さまと同じ声に、思わず涙が溢れた。
みっともないから止めたいのに、止められない。
「セシリア……」
「大丈夫です、大丈夫ですから……そのままで、お願いします」
「……わかった」
今姿を変えられたら、別の存在だとわかっているのに、お父さまがまた手の届かない何処かへ行ってしまうような気がして、迷うアーサーを止める。
アーサーは戸惑っている様子だったが、それでもわたくしの意思が強いことを感じ取ったのか、やがて意を決した様子で兜を円卓に置き、円卓を回り込むようにわたくしが座っている席の近くまで歩いてくる。
そしてまだ涙が止まらないわたくしの頭に触れようとして……思い直したように首を振って寂しそうに笑い、手を引っ込めた。
代わりにその場で片膝を付き、わたくしの前に跪いた。その体勢のまま、鞘に収められた剣をどこからともなく出現させると、両手でわたくしに向けて差し出す。
「アーサーの名、確かに拝命致しました。この上、厚かましいのは重々承知。けれど、どうか……どうか、このアーサーに。貴女の騎士を名乗ることをお許しください。美しき君よ」
「えっ、えっ……? な、なんですの……?」
突然のアーサーのこの行動に、思わず止まらなかった涙が引っ込む。
そのまま目を丸くしているだろうわたくしを、アーサーは僅かに下げていた頭を上げて、悪戯っぽく微笑んで見つめた。
「偶然の一致かもしれないけど、
「いえ、そのっ、わ、わたくしはっ、そんなつもりじゃっ……!」
「言い訳は後でいいから。返事がまだだよ、セシリア」
「こ、このっ……! ふんっ、勝手に騎士にでも何でもなればいいですわ、もう知りませんっ……その、わたくしやったことがなくて、見よう見まねになってしまうのですけれども」
「構わないとも。最初は形からだけっていうのも私達らしいじゃないか、違うかい?」
「わたくし、一応本物の貴族なんですけれどもね……」
意外といい性格をしている我がISの自意識に半眼になりながら、差し出された剣を取る。
鞘から抜き放つと、透き通るような蒼い刀身が露になる。その美しさに少し目を奪われたが、気を取り直して昔お姉さまが儀式でやっていた叙任式を思い出し、剣を縦に構えた後、跪いたアーサーの両肩に軽く剣を置き、再び構え直す。
緊張でガチガチになってしまったけれど、確か、こんな感じだったはず。後は……
「――――その願い、聞き届けました。剣を取りなさい、我が騎士よ。わたくしの命運、貴方の剣に託します!」
「――――ありがたき幸せ。貴女の騎士の任、この生、我が全てを賭けて為し遂げるとここに誓います」
宣誓を互いに言い切る。それが、終わった途端――――
わたくしが手にした剣が、眩い程の蒼い光を放ち始めた。光は白い部屋を瞬く間に蒼く染め、部屋も、円卓も、目の前のわたくしの騎士でさえ、全てが蒼く溶けていく。
「アーサー!」
「大丈夫だ、セシリア――――また、すぐに会える」
ここへやってきたのも唐突だったが、終わるのもまた唐突で。
アーサーのそんな言葉を最後に、仮想空間は消え……わたくしは、現実に立ち返った。
次の瞬間目に飛び込んできたのは、フォルテ先輩の砲撃をわたくしに代わってその身で受け止め、装甲を砕かれながらひしゃげ、落ちてくビットの姿だった。
「ジブンを今まで守ってくれた武装をここぞってトコで盾にするんだ。ニンゲン、追い詰められたらホンショー出るねーコワイコワイ。そんなにイタいのヤなら、こんなトコにこないでお屋敷にでも引き籠もってりゃよかったんだよ、お嬢」
馬鹿にするようなフォルテ先輩の声が聞こえる。
……違う。わたくしは、ビットで自分を守るように操作などしていない。自律兵器による圧倒的手数を持つフォルテ先輩相手に、自分からそれを減らしにいくような、後先考えない行動は取れない。
なら、今、わたくしを、守ったのは――――
「……先程の言葉。信じますわよ、アーサー」
先程までの、今思い返せば信じられないような出来事を振り返り。そう、呟いた途端。わたくし……いや、『ブルーティアーズ』が、先程撃墜されたビットも含め、エメラルドグリーンに輝きだした。
「はえ……? せ、
光の中、面食らったようなフォルテ先輩の声が聞こえる。
正直ちょっと、気持ちはわかってクスッとしてしまう。最初一夏さんと戦った時、彼が戦闘中に
そうしているうちに光は収まり、第二次形態移行は無事に終了。
ブルーティアーズ第二形態は、心なしかわたくしの纏う本体は前よりもスラスターやフィンアーマーがコンパクトになり、一回りほど小さくなった印象を受けた。もう本当に、搭乗しているというより少し鎧っぽいパワードスーツを着ているといった感じだ。
ビットも同じで、余計な装甲部分をほぼ捨て去り四つの剣のような形状に変化している。見た目は以前よりも防御力が落ちていそうだが、実際は仄かに蒼い光を放つフォトンシールドでコーディングするように覆われており、防御にすら使える程頑丈になっているようだ。
さらに各ビットがそれぞれ
そして……この各ビットに既に収納されているものこそが、このブルーティアーズ第二形態を扱う上での肝となるのを、ハイパーセンサーの上部に常に表示されている『Knight bit:Ready to activate』の文字が教えてくれる。
さあ、ブルーティアーズ、アーサー。このわたくしを深窓の令嬢だとしか思っていないフォルテ先輩に、今こそ貴族のなんたるかを指南して差し上げましょう。
――――