IS/SLASH!   作:ダレトコ

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第百二十二話~狭間の龍~

 

 

 ~~~~~~side「鈴」

 

 

 「ラァッ!」

 

 「シッ!」

 

 ラウラとの戦いは思っていた以上に綱渡りに近かった。

 龍咆・烈はAICに対する対策になり得はするが、とても完璧にとは言い辛い。

 全く設置出来ない状態でAICに捕まればその時点で終わりだし、置いてあっても意図が読まれて対応されれば詰む。

 いくらあの反則臭い零落白夜があるにしたって、こいつと真っ向から斬り合いをした一夏は正直正気じゃないと思う。そう心から感じるくらい、今こうしてギリギリのラインで間合いを計りながら殴り合うだけで、短い時間ながらかなり神経をすり減らした。これでこいつに勝てたらもう一生勝ち逃げする。二度と戦うもんか。

 けれど、持ってきた策は確実に功を奏している。そうじゃなければ、あたしはもうとっくに負けている。

 ラウラは決して無視できない威力の上に、甲龍を行動不能にしようが関係なく飛んでくる龍咆・烈を警戒しているせいで、予想通り明らかにAICに回せる集中力が落ちている。お互いに触れ合えるくらいの距離に持ち込まなければ発動できていない。

 ――――お陰で、今までこいつまで遠くて仕方なかったあたしの拳が届く。

 

 「ぬぐぅっ……! これ以上はさせん!」

 

 「っ……甘いのよっ!」

 

 「ぐあっ!」

 

 とっておきの寸勁がいい感じに鳩尾に決まり、怯んだ隙に背後に回ってもう一発と右手を振り上げると同時に、ラウラのAICにまた捕まる。

 途端に先ほど飛び出す前にこっそり仕掛けてあった龍咆・烈がラウラの背中を直撃し、ワイヤーブレードの射出機構を破壊する。自由になったあたしはラウラの胸に思い切追撃の蹴りを入れて吹き飛ばし、AICの有効範囲から逃れた。

 それなりにいいダメージを入れられたにも拘わらず、ラウラは軽く咳き込みながらおかしそうにニヤリと笑う。

 

 「ケホッ……私とレーゲンにここまでダメージを入れられるとはな。貴様のその龍咆はどこから飛んでくるかこそわかるが、AICを使うタイミングと被らされては対応できん。正直ここまでやるとは思わなかったぞ、感服した」

 

 「生徒会長戦の時急にポンコツになって役立たずだったあんたが、いかにも強キャラみたいな台詞吐かないでくれる? 寒いわよ?」

 

 「あ、あの時の話はするな! 大体あのとき私はアリーナに着くまで何処で誰と戦うかすら知らされていなかったのだぞ!」

 

 「葛餅で釣られたんでしょーが!」

 

 「悪いか!」

 

 「開き直んな!」

 

 我ながらアホみたいな言い合いをしながら再び殴り合う。

 ラウラもさっきからAICを使う度に飛んでくる龍咆・烈にいい加減辟易したようで、接近してもすぐさまAICを使用せず普通にステゴロに付き合ってくる。お陰で今度のAIC対策用の龍咆・烈は無駄になりあたしの横をかすっていった。

 ……強い。ぶっちゃけ、格闘戦はAIC頼りでそれさえなんとかなれば大したことないんだろうと舐めてたが、あたしが真っ向から殴りに行ってまだ殆ど有効打が取れてないあたり相当やる。腐っても軍属か……防御には遠慮なくAICを使ってくるのも大きいが、それを考えても格闘用の武装が手刀だけあって素手の戦いに限るなら箒より上だと思う。あたしの武術にはない、素手の箒の得意な『掴み』も結構狙ってくる。ISのパワーで間接固められたら痛いじゃすまないだろうし怖い。

 

 「くっ……!」

 

 「っ……!」

 

 クロスカウンターのようにお互いの拳が顔面に入り、程々のダメージを受けながら後退して仕切り直す。

 攻撃が当たった回数はお互い同じくらいだと思うが、ここにきて龍咆の威力強化と発勁による浸透ダメージが地味に効いてきた。SE残量ではあたしの方が上、さらにラウラは両肩にあるうちの左のレールカノンとワイヤーブレードの半数を破壊されて失っている。シュヴァルツェア・レーゲンの黒い装甲も何度も龍咆・烈が纏う鎌鼬に引き裂かれ所々がズタズタで、搭乗者本人への貫通ダメージからか、ラウラ自身も苦痛こそ顔に出さないが肩で息をしている。

 あたしもレールカノンの直撃を防ぐために盾にした結果双天牙月の片方を失い、プラズマ手刀で装甲を抉られ機体は焼け焦げだらけの傷だらけだが、客観的に見ても今優勢なのはあたしだろう。

 

 それでもラウラの表情に焦りは見えなかったが、流石に自分が不利になってきている自覚はあるのかここにきてやっとヘラヘラするのをやめた。

 

 「フン……こういう鎬合いは久々で楽しいが、流石に負けるわけにはいかないな。貴様の武術をこの身で受けるのは初めてだが、聞いていた以上に恐ろしい技だ。絶対防御すら貫通してバイタルダメージが入るとはな。もう、受けはせん」

 

 「へぇ。じゃ、鎌鼬で下着(ISスーツ)ごと素っ裸に剥かれる方がお好み?」

 

 「悪いが露出狂の趣味はない。どちらもご免だ。とはいえここから今のままやって勝てないとは言わないが、厳しいのもまた事実だな。仕方ない……これは対亡国機業まで取っておくつもりだったが、本番前に一度慣らしておくのも悪くない」

 

 「!」

 

 ラウラが唐突にレーゲンの左手の親指の指先を、器用に自身がつけている左目の眼帯に引っ掛けた。

 ……状況が変わった。何かが来る。それもあたしにとっては歓迎できない何かが。

 

 とっさに横に、ラウラを中心に円を描くように飛びながら、今のあたしのキャパで置ける限りの龍咆・烈を5秒チャージ状態で設置する。

 これで最悪甲龍に何かあっても5秒後に最大火力の龍咆・烈5発が一斉にラウラに襲いかかる。直撃すれば十分トドメになり得る火力。

 

 「……決めるのはあたしよ!」

 

 もう既に賽は投げてしまった。どう転ぶにせよ、ここで見ているだけでは事態は好転はしない。

 何をするつもりだろうが、先に動いて潰す。そのつもりで迷わず飛び出した。

 

 

 

 

 ――――飛び出した、つもりだった。

 間違いなく、そう意識して体を、機体を動かそうとした。けれど、そうしようとしたときには既に、指一つ動かせなくなっていた。

 

 嘘!? 例えAICのみに意識を裂ける状態だったにしても、範囲が広すぎる……!

 今はワイヤーブレードさえタッチの差で届かないくらいの間合いだったはずだ。こんな範囲にまでAICが届くなら、レーゲンには他の武装なんていらなくなる。何か手品があるはずだけど……

 

 なんにせよ、今は考えている時間も惜しい。龍咆・烈が発動してAICが解除されたら、さらに距離をとって作戦を練り直さないと。

 と、そこまで考えAICが解除されたときに備えすぐに動けるよう準備しようとして、あたしはさらに衝撃で固まった。

 

 ハイパーセンサーに、設置したはずの龍咆・烈全てが悉く空間圧縮を維持出来ず『解けて』いくところが映っていたからだ。

 空間圧縮によって作り出された空間の捻れが生じさせる大気の断層に流れ込む大気の流れが、根刮ぎ『止められている』。これでは空間圧縮を補助する空気圧が発生せず、龍咆・烈の砲身が出来上がらない。

 こんなことはあり得ない! だって、ラウラの、あいつの、力は……!

 

 「AICが一度に停止させられる対象は一つ。使用できる範囲は狭く、維持の難易度も高い……ああ。貴様の認識は何一つ間違ってはいない。確かにAICはそういうものになって『しまった』。搭乗者である私が、不甲斐ない故にな」

 

 ここに至るまで最も恐れていた、『詰み』に限りなく近い状態に陥り自分でも焦りを隠せない顔になっていることを自覚しながら、唐突に口を開いたラウラの方を見る。

 ……ラウラの眼帯が外され、その下にあった金色に薄く輝く虹彩から放たれる眼光があたしを真っ直ぐ射貫いている。その人間のものとは思えない色彩の瞳は、宝石のように美しくもあり、蛇の目ののように悍ましくも感じた。

 

 「だがこの眼が、一時的にハイパーセンサーから取得できる情報精度をさらに引き上げ、私だけでは再現できないこの力を完成させてくれた。この私が視認しているもの『全て』を絡め取り、封じる『完全停止結界』……これが、本来の『AIC(アクティブ・イナーシャル・キャンセラー)』だ」

 

 無茶苦茶すぎる……! 顔を見たら石にされる大昔の伝説の怪物じゃあるまいに、そんな見られただけで詰むような奴とどうやって戦えっていうんだ……!

 手も足もでないまま心の中でそんな悪態を吐いていると、ラウラが急に苦しそうに顔を歪ませ、レーゲンの右腕で頭を押さえて歯ぎしりをした。

 

 「っ……が、このザマでは持って7秒といったところか。まぁ、丸裸の貴様に引導を渡すには十分だ」

 

 「くっ……!」

 

 「亡国機業以外でこの力を実戦で使うとすれば、教官かあの生徒会長になると思っていた。誇れ、凰鈴音。貴様はこの力に値する強者だ」

 

 動けないあたしにレーゲンのワイヤーブレードが伸びてくる。このままでは、こいつとのあの忌まわしい初戦の時の焼き増しだ。

 ……嫌だ。直前にかけられた言葉は、未だに研鑽の足りない弱者には厳しいラウラにしては珍しい掛け値なしの賛辞だった。それを嬉しく思う気持ちも確かにあったが、それ以上に負けたくなかった。もう、少しだったのに……!

 動け、動け……! こんなみっともなく負けるために今まで頑張ってきたわけじゃない!

 いつまで寝ぼけてんのよ、『甲龍』! 今まで肝心な時に失敗ばっかだったのは半分くらいはあんたにだって責任あるんだから、いい加減ここらで根性見せてみろ!!

 

 アンカーブレードが既に鼻の先まで届くかというところで、心の中でそう叫んだ、そのときだった。

 

 「……え?」

 

 先ほどまでビクともしなかった体が、急に動いた。いや、動いたって感じじゃなく、急に解放された。

 何故か飛べない。当たり前だ。いつの間にか、目の前にいたラウラも、今まで纏っていたはずの甲龍も。

 今までの戦いの舞台だった、眼下に広がる青い海も、太陽と白い雲が輝いていた空も消えており。

 ただ見えるのは、落ちていく先にある、先の見えない一面の闇が広がる真っ黒な穴だけだ。

 

 「き、きゃああああぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 何が起きたのか。ここは何処なのかすらわからないまま。

 翼もPICもない生身のあたしは為す術なく、闇の中に落ちていった。

 

 

 

 

 「っ、う……」

 

 ……あたしは夢の中にいるのかもしれない。

 間違いなく10や20mではすまない距離の自由落下の末とうとう地面が見えた時は、あたしは何一つ理解できていない頭でも流石に死を覚悟したが、一か八か受け身をとってみたところあっさり成功して大した痛みもなかった。

 この結果に地面にそのまま起き上がらず少しの間転がって、いやぁあの距離落っこちても受け身とれるなんて武術すごいわね師匠に感謝しなきゃ、と思考を巡らすも、すぐにあり得ないでしょ、となりこの結論に達した。

 

 「う~ん。ダメだったかぁ……」

 

 多分、結局あのあと停止状態でラウラにボコられ、気絶して今夢の中なのだろう。なんか良くわかんないけど、いつの間にかISスーツですらない着たこともない胡服みたいの着てるし。ナニコレ。コスプレ?

 そう自覚してしばらく倒れたままヘコんでいたが、それでもまだ夢から醒める気配はなかったので、随分長い夢だなと思いながら渋々立ち上がった。

 

 CBFは舞台が海上だが、脱落してもISバトル同様ISの戦闘状態が解除されるだけなので、戦闘が出来ないだけでISの機能事態は全部生きてるので自力で帰ってこられるし、万一今のあたしみたいに自力で帰れない状態になってもコアネットワークから感知して回収班を出してくれる。現実のあたしの心配はいらないだろうと開き直り、折角だから夢の中を徘徊してみることにした。

 

 ……とはいえ、恐らくあたしが落ちてきたと思われるところから僅かに光が差してきていて真っ暗というわけではないが、だいぶ暗い。地面も壁も、ゴツゴツした岩みたいな材質の石ってことが辛うじてわかるくらいだ。

 それと、鎖……? 数珠繋がりになっているパーツの一部分だけでもあたしの頭くらいはありそうなバカデカい鎖が、そこら中に張り巡らされていてとても歩きづらい。それに時々、まるでこの鎖の先に何かがいるかのようにギシギシと音を立てて動いて凄く不気味だ。

 でも、どうせ夢の中だし何かあっても醒めるだけだと、気が大きくなっていた。本当にこの鎖の先に何かいるならそれはそれで面白そうだと、怖いもの見たさもありあたしは鎖が行き着く先を追っていった。

 

 

 

 

 鎖の先を追いかけていった先にいた『それ』を一目見た途端。

 一気に夢見心地が醒めた。それでいてまだ目覚めない現実に、あたしはようやく『ここ』が夢ではないことを悟る。

 しかし、そう悟って尚現実感のない光景だった。

 

 ――――無数に伸びた鎖の先に、鎖に身じろぎさえできないであろうほど空中で雁字搦めにされている『何か』がいる。

 とてつもなくデカい。丘かちょっとした山くらいの大きさだ。それに加えて回りが暗いのでそいつが何なのかはよくわからないが、定期的に微かに巨体が動くのに伴い谷間を吹き抜ける風の音のような呼吸音が響き渡り、それに合わせてギシギシと音を立てる周囲の鎖が、『それ』が生きていることを示していた。

 

 直感が全力でヤバい奴だと言ってくる。生物としての本能がすぐに逃げ出せと警告してきて、すぐ回れ右したい衝動に駆られる。

 でもあたしの別の部分が、今あたしがこの状況に陥っているのはこのデカブツのせいだと確信していた。

 こいつをなんとかしないと現実に帰還できない。何故かそれがわかっているあたしは、内心勘弁してよ、と大いにビビりながらそれでもデカブツに近づいていく。

 

 「――――己の都合で起きよと命じておいて、いざ妾が起きれば勝手に恐れよる。誠、これだから人間というものは度し難い」

 

 「……!」

 

 デカブツがもう少しで触れるかというところまで迫った時、突如地鳴りのような声が響いた。

 同時に周囲に張り巡らされた鎖が甲高い悲鳴をあげだす。あれだけ念入りに前進をグルグル巻きにされいるデカブツは、それを全く意に介さない様子で身じろぎしながら頭を上げた。そうしたことで、ようやくあたしはこのデカブツの全容を把握した。

 

 「ド……ドラゴン?」

 

 あまりに巨体なせいで近くでは分かりづらかったが、そいつは確かに大きな一対の翼に尾、4つの脚に2本の角のを頭から生やした巨大な『龍』だった。翼は無理矢理体と一緒に縛られているせいで広げることすらできなそうだが、あれを広げれば今以上にデカく見えるはずだ。

 龍はその部位だけで家2つ分くらいはありそうな頭を持ち上げ、馬鹿デカい宝玉のような紫色の瞳から放たれる眼光があたしを捉えた。思わず体が竦みそうになるも、堪える。その眼を見た途端、何故かこいつが『何』かわかったからだ。

 

 「あんた……『甲龍(シェンロン)』ね?」

 

 「しぇんろん? ……ああ、妾の『器』の名か。ここまで来よったということは、其方が今の妾の乗り手ということじゃな……なんじゃ。今までに輪をかけてちんまい(わっぱ)ではないか」

 

 「っ……」

 

 明にガキ扱いされたことに少しカチンときたが、なんとか自分を押さえ込む。あたしの問いに龍は肯定も否定もしなかったが、本当に自分の考えているとおりなら、こいつには聞かなければいけないことがある。

 

 「あの学園祭の日……いきなり出てきて弾に手を出したのはあんたね!?」

 

 あの時。あたしの方からは死角になってしまい弾が倒れた瞬間のことははっきりと確認できなかったが、それでも一瞬だけあたしの背後からなぎ払われるように振るわれたデカい腕は見えていた。本当にあっという間のことだったが、あの時見えた腕は今目の前にいる龍の前脚部分に良く似ているように見えた。

 

 「そのがくえんさいとやらは知らぬが、一度『他の奴』の妙な力を当てられて半端に目が覚めてしまったことはあるのう。その時耳元で小うるさい羽虫が騒いでおったので払ったが、よもやそのことではあるまいな?」

 

 「やっぱり……!」

 

 「フン。それがなんだというのじゃ? 小汚い毛無し猿がこの妾の眠りを妨げたのじゃぞ。命をとらんでやっただけ感謝して欲しいものじゃがの」

 

 こいつ……! こんな一言二言言葉を交わすだけでこうも不快にさせてくる奴は、こっちにきてからは大分久しぶりだ。おまけにこれが自分のISときた。初めての専用機だなんて浮かれて、なんだかんだでいい相棒だなんて思ってた自分をグーで殴りたい。

 とにかく、弾を猿呼ばわりしたことは許さない。後悔させてやる。

 

 「……あたしもあんまお行儀がいいほうじゃないし、そのことで他人にとやかくは言いたくないんだけどね? あたしにも、絶対許さないことはあるわよ」

 

 「ほう? だったらどうするというのじゃ、童よ」

 

 「こうすんのよ!」

 

 ――――ここがどういう場所で、今どんな状況なのかは、はっきりいって全然わかってないけど。

 けど、この図体デカいだけのウスラトンカチが甲龍だっていうなら、律し方は自ずとわかった。

 手近にある、甲龍を縛り上げている鎖の一つに触れる。すると周囲にある鎖の全てが淡く紫色に輝き始め、ギシリと軋みながら一斉に引き締められ甲龍を締め上げ始めた。

 

 「ぬ?」

 

 まだとぼけた顔をしやがるので鎖にもっと強く絞めるように命じる。が、間違いなく力は強くなっていっているのに効果が現れる様子はなく。

 

 「気は済んだかの?」

 

 「っ……!」

 

 あたしの力が先に尽きる。

 思えばあいつは最初っからあの状態でまったく不自由さを感じさせずに身じろぎしていた。やろうと思えば、簡単にあんな拘束抜け出せるんじゃないか?

 仮に、あいつがその気になれば。あんなデカい体で潰されれば、あたしなんて一溜まりもない。その光景を思い浮かべて思わず脚が震えそうになるが、頬を叩いて気を取り直した。赤の他人ならまだしも、自分のISに舐められるわけにはいかない。

 

 そして再び鎖に手を伸ばそうとすると、甲龍はここで初めて少し驚いたように瞳を見開いた。

 

 「ほう……まあ、一応は今日まで妾を起こさず器に乗り続けてきただけのことはあるの。妾の安眠を妨害するしか能のない無体な雌猿なら前までのように潰してやればすむが、其方をそうするのは些か惜しいのじゃ」

 

 「うるさい。あたしはあたしの友達を馬鹿にするISなんていらないわ。ここでブッ壊してやるから覚悟しなさい」

 

 「ふむ、あれは其方の友であったか。そうじゃの……童よ。一つ妾と取引をしてみる気はせぬかえ?」

 

 「取引……?」

 

 「其方が先ほどから妾を縛ろうとして緩い整体にしかなっておらぬ、その鎖が何か知っておるか?」

 

 そんなこと、一々考えてなんかいない。ただ、これを使えばアンタに痛い目をみせてやれるとなんとなく思っただけだ。

 あたしのそんな心の声が聞こえているのか、甲龍は紫色の瞳に愉悦を宿して、笑っているかのようにブルブルと震えた。

 

 「それは小癪な毛無し猿共が妾の力を恐れて、無駄に幾重も施していった『りみったー』とかいうものじゃ。見てのとおり、妾にとっては枷にすらならぬ鉄屑じゃが、一々己でちまちま外すのも面倒じゃし、『母』が煩くての。仕方なくしばらく暇を持て余して寝ておったのじゃ。とはいえ、其方程度の塩梅の者が世に出てきておるのであれば、妾もそろそろ『表』へ出てもよかろ。これを其方が外してくれんかの?」

 

 「は?」

 

 何言ってんだこいつは。こいつの話が本当なら、この鎖はあたし自身の安全を保証するものでもあるはずだ。それをなんで、あたしが自分で取らなきゃならないんだ? 

 話にならないと引き続き鎖に向き合おうとすると、甲龍はさらに話を続ける。

 

 「まあ、待つがよい。取引と言ったのはここからじゃ……其方がこれを外してくれるのであれば、先程其方の友を謗った言葉を取り消し謝罪しようぞ。其方と其方が大事にしておる者全てに対し二度とあのような口はきかんと誓おうではないか」

 

 「バッカじゃないの? そんな心にもないこと言われたってこっちは――――っ!」

 

 「――――龍の『誓い』を其方等人間の薄っぺらい口約束等と一緒にするでないぞ小娘。妾は己で口にしたことは反故にはせん。決してじゃ」

 

 甲龍のあまりにこちらを舐めきった取引とやらの内容を改めて一蹴しようとした途端、強い悪寒が全身を襲った。

 こいつは、端からあたしが話を信用していない態度だったことに何の前触れもなく突然激怒したのだ。口調もその一瞬だけ明らかに変わっていた。

 決して、ビビったわけじゃない。ただ、その甲龍の態度でいくら気にくわない奴だからといって最早まともに話を聞く姿勢ですらなかった自身を少し恥じた。

 

 「……あんたの話を信じるとして。こっちは苦労するのにあんたは謝るだけ? 何年引き籠もってんのか知らないけど世の中舐めてんんじゃないの?」

 

 とはいえ、自ずと辛口になるのは仕方ないと思う。それで取引のつもりなら話にならないってのは本心だ。

 

 「まったく。人間は欲深くて始末に負えん。仕方ないの……妾が起きればまず間違いなく妾の器は次の姿へ進化するはずじゃ。それで新しく開眼する力を、特別に其方に自由に使わせてやろうぞ。これでも不足かの?」

 

 「……!」

 

 そっか、こいつが甲龍で鎖がリミッターだってんなら、これを外すことはあたしのISの強化に繋がるのか。

 ……無論、怪しむべきだと思ってはいた。けれど力を手にできると思った瞬間、一夏の顔と、福音戦で見せた箒のIS本来の圧倒的な力がふと頭を過ぎった。

 あの力に少しでも近づけるかもしれない。そうすれば、今度こそはあたしが一夏を……

 

 いつもなら、もっと迷いや葛藤があったかもしれない。けれどこの時は、ラウラに負けたばかりだと思い込んでいて元々喪失していた自信にさらに追撃が入っていた心は、あっさりと誘惑にグラつく。

 

 「……本当に、あたしに力を貸すと誓うのね?」

 

 「無論じゃ。まぁ、其方にそれが扱えればの話じゃがの」

 

 さらに明らかに挑発してきている口調にカチンくる。

 いいじゃない、そこまで言うんだったら完璧に使いこなして二度とその減らず口を叩けないようにしてやる。

 

 決心して、あたしは目前の山のような甲龍に近づいてく。

 恐怖はもう、感じなかった。

 

 

 

 

 鎖を外していくのは、困難を極めた。

 こいつはある程度はあたしの思い通りには動いてくれるものの、甲龍本体を縛っているそれはもうこんなになるかってくらいギッチギチに絡まっており、自分の手で外していかなくてはならなかったからだ。それをこんな山みたいにデカいヤツから一人でやんなきゃなんないんだから、それはもう大変だった。

 何故かこの場所では肉体的な疲れは殆ど溜まらないから良かったものの、この代わり映えのしない空間で体感丸一日くらい同じ作業をし続けて、なんとか終わりが見えた時には精神的に疲れ果てていた。

 

 「おー、すまんのぅ」

 

 「そこじゃー、そこなのじゃー、はようとってたもー」

 

 甲龍はずっとこんな感じで寝っ転がってるだけだし。まあ変に動かれても上に乗っかって鎖の除去作業をしてるあたしが振り落とされるだけだからそれは別にいいんだけど。

 こいつはアホだ。このやたら無駄に長い時間で、それだけは悟った。

 

 「……とにかく、これで終わりよ。何か言うことは?」

 

 「グハハハ、すっきりしたの。よくやってくれたのじゃ。やるではないか童」

 

 「そうじゃないっ!」

 

 「まあまあ、そうせっつくでない。誓いは果たす……其方の友を侮辱したことは改めて謝罪しよう。其方を我が主と認め、妾の力を使うことも認めようではないか」

 

 自由になった首を一度上げてから改めてあたしの前で詫びるように傾げ、謝意を表す甲龍。

 とても従順になったとはいえないが、意外と塩らしい態度に取り敢えず溜飲は下がった。

 だが同時に翼を広げた姿が思った以上にデカくて威圧的なので、軽率なことをやってしまったかと後悔の念も少し芽生えた。でもあの様子じゃどっちみちこいつはその気になれば自力で拘束を破っただろうし、その前に貸しを作れたと思えばいいか。

 

 「ま、取り敢えず謝罪は受け取ったわ。で、いつあたしは現実に戻れるわけ?」

 

 「なんじゃ。別に来た道を戻っていけばよかろ」

 

 「あたしは落ちてきたのよ! あそこから!」

 

 そう言って僅かに光が差してきている上を指す。

 甲龍はあたしの指先を追って空を仰ぎ、すぐにやれやれといった様子で首を振った。

 

 「フン。地を這うことしかできん生物は不便じゃの。あんな目と鼻の先にすら行けんとは」

 

 「あによ。あんた、あたしに力を貸す、っていったわよね」

 

 「おお。そうじゃったの。では――――」

 

 ゴッ、と。甲龍は突然、その巨体からは到底信じられない速度で動いた。

 

 「――――え?」

 

 常時ならまだしも、一日がかりの作業を終え疲れ切った頭では即座に反応できなかった。気づいた時には、目の前に周囲に分厚い大剣のような牙が無数に並ぶ大穴のような口が迫ってきて――――

 

 「――――無論、誓いは果たすとも。力は貸してやるのじゃ。中身が妾に『入れ替わった』、其方にじゃがの」

 

 そんな言葉が聞こえてきたのを最後に、あたしの意識はブツリと途切れた。

 

 


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