CBFスタート十秒前。
ハイパーセンサーに赤いランプが点灯する。この赤い光点が全て消え、緑色に変わったらスタートだ。
フライイングはスタートやり直しにこそならないが、最終ポイント精算時にペナルティとして重大なポイント減算が加えられ、その時点で好成績が望めなくなる。流石に出だしから負ける訳にはいかないので慎重に、だ。
周囲から一斉にスラスターの起動音が響き始める中、俺は一人事前準備として屈伸運動を開始する。近くにいる何人かが一人見るからに緊張感が足りない奴がいるみたいな視線を向けてくるが、俺の作戦にはこの黄金の膝が何より重要なのだ。決して遊んでるわけじゃ無い。
『『羅雪』、SE充填完了。5秒後に発動します』
白煉の準備も整ったようだ。よし、これで――――
『GO!』
ランプが緑色になるのと同時に、スタートを宣言する機械音声がセンサー越しに鳴り響く。
俺がそれを聞き届けるのと同時に、白式の背部羅雪ユニットから青い光が炎のように噴き出した。
『羅雪』は強大な力を持つISが機動時にかかる重力や摩擦力といった反作用をエネルギーとしてユニットに吸着し、全てを推進力に変換する機動兵裝だ。使用できる時間は一瞬な上、使用の度ユニットにSEをチャージする必要があるが、一時的とはいえスラスターのような推進機構を用いることなく
今回のCBFにおいては大いに活用したい兵裝ではあったが、いかんせんハイパーセンサーを以てしても自分の感覚が追いつけなくなるほどの高速機動は、未だ経験の少ない俺にはまだ手に余った。一応この日までに練習はしてきたが、まだ発動時間中に自由に動けるレベルに達し得なかった。
だが、単純に前に行くだけの推進力として使うなら何の問題もない。このスタートダッシュの瞬間ならば、瞬時加速さえ突き放す高速移動は他の何にも勝る最高の武器になる。
――――ただし。その力は、『前』には向けない。
「な――――!」
スタートと同時に驚く他出走者の声すら置き去りにし、一瞬で遙か上空にあった雲を突き抜ける。
下を見れば、あれだけ大きく感じたIS学園の人口島がみるみる小さくなっていく。最早先ほどまで一緒にいた出走者達はもう豆粒ほどの大きさに――――
ガシャン!
がしゃん? 妙な金属音が響いたと思ったらいくつかの金属片がバラバラになりながら周囲に散りあっという間に見えなくなる。
……やっべ、スタート地点のフロートセンサー頭突きで壊しちまった。まあこのレースの規模じゃ同じのが何百個とそこらに浮いてんだろうし、一個くらい勘弁してください先生。
『CBF開催海上対流圏の上限に到達。残り1秒で羅雪の効果時間が終了します。降下準備を。マスター』
と、いかん。気を取り直して――――
これが一つ目の作戦。いくら羅雪の力でスタートと同時に独走トップに躍り出たところで、瞬間的な移動機構しか持っていない白式では本当に『それだけ』で終わってしまう。羅雪の力が切れた途端に追いつかれてしまっては意味が無い。
だから、目先の有利よりも最終的に勝つためにこの力を使う。長期的に高速移動が出来ない白式だが、この星に質量を持って生まれ落ちたものの宿命として『落ちていく』ことはできる。
CBFの規定ではチェックポイントの横幅半径10m程の範囲の『上空』を飛べば通過として認められるとあった。つまり、『高度制限はない』。この辺りは大会前に先生にも確認した。ルール違反を咎められることはないわけだ。
後は上昇中を狙われるのが怖かったが、スタートを円滑に行う措置として規定でスタートから10秒以内は他出走者の妨害の禁止が定められていた。ルールの裏をかいた俺がルールに救われるってのも皮肉なもんだ。
『目標チェックポイント、捕捉しました。予測降下ポイントの補正開始……ルート構築完了。想定降下ルートをハイパーセンサーに表示します。ルートに沿い、『雪蜘蛛』で降下を開始してください』
最早ここからでは殆ど見えないが、先行していた処刑人達がこちらを捕捉しているのをハイパーセンサーが教えてくれる。
だが向かってくることはない。俺は上に向かって飛んだだけでレース内容としてリードしたわけじゃない。それを抜きにしても彼女たちからすれば専用機持ちである俺が、こうして悪目立ちしたってだけで狙う理由にはなるだろうが、いかにISの推力を持ってしても今俺がいるこの成層圏まで追いかけてくるにはそれなりに時間が要る。その間に他の専用機持ちに好き放題されたら彼女達が存在する意味がなくなる。
事実読みは当たったようで、ハイパーセンサーの動きを見ても誰もすぐに追いかけてくる気配は見えない。一部の処刑人の動きからしても、今すぐこちらに来るより俺が降りてきたところを狙い撃ちしようという意図が読み解けた。好都合だ。
「行くぞ」
白煉の指示に従い手を伸ばして雪蜘蛛を展開。羅雪の効果が切れ、星の引力に捕まりだした機体が来た道を落ち始める前に、チェックポイントまで落ちていくための道を『張る』。流石にここからだとチェックポイントの正確な場所まで詳しくは確認できないので、チェックポイント上空をピンポイントで通過していくルート構築は白煉頼りだが、実際に雪蜘蛛のPICストリングを形成するのはイメージインターフェイスの性質上俺自身がやるしかない。
だが白煉が青い光の線でルートを表示してくれるお陰で、初めての試みとなるこの長距離展開も大分イメージがしやすい。第三世代兵裝で独自形成したPICの上を滑って移動するというやり方も最初こそ苦戦したが、幸いこの手の能力の専門家である簪が味方にいたお陰で本番に間に合わせることが出来た。
イメージ通り道を形成。背中を重力に押されながら、俺だけが見えている青い光の橋の上を滑っていく。
しかし……本当に高いところまで来たな。ISがバイタルを保ってくれているお陰でなんともないが、本当なら人間が平然と生きてられる環境じゃないだろう。ハイパーセンサーの温度表示-40℃になってんぞ。直径200kmのCBFのレース区域も数字だけ聞いた感じだと広すぎだろうと思ったもんだが、ここから見る限りじゃちっぽけな穴みたいだ。あんなんすぐに回れちまうだろと一瞬思ったが、実際はそう上手くはいかないんだろうな。
まあ、ISのデタラメさは今に始まったことじゃないしここは置いといて……後はこの成層圏から、ゴールまで滑り落ちていくだけだ。
~~~~~~side「セシリア」
「くっ……まんまとしてやられましたわね」
スタートと同時に一瞬で音速の壁を突き破る爆音を響かせ、上空の雲に大穴を穿ち空の彼方に姿を消した一夏さんの白式を見送って、わたくしは思わずそんな呟きを漏らした。
レーダーで居場所こそ特定できてはいるが、最早ここからではレーザーも実弾も届くまい。白式の仕様上何か策を練ってくるのは勿論想定していたが、まさか規定に高度制限がないことを逆手に取ってくるとは……!
CBFに高度制限がないのは、普通ならそんな高高度を飛ぶ機体がそもそもいないからだ。こういった変則ルールではあるが、移動した距離に対するタイムが重視されるレースである点は動かない。他の出走者との戦闘中にたまたま高いところまで行ってしまうことはあるが、狙って高高度まで行くことは殆ど無い。高度を上げるにも時間が要るし、高度を上げすぎればチェックポイントの位置が判り辛くなり通過判定が取れなくなるリスクが発生する。普通なら上を目指すくらいなら、横に移動して少しでも多くのチェックポイント通過を目指した方が良いと考える。
だが、それはあくまで通常の出走者の場合だ。今回のわたくしたちのケースのような、全方位から狙われる立場であるなら、多少無駄な時間をかけることになったとしても狙う側の手の届かないところに逃げられるなら価値はある。
一瞬、追随しようかという考えが過ぎる。だが、この場が他でもないCBFの場であることを思い出して即座に取りやめる。
この試合はほぼ全国規模で放送されている。一夏さんはまだ機体の特殊性から言い訳のしようもあるが、わたくしが同じことをしては間違いなくオルコットの娘は勝負の前からコソコソ逃げ出す臆病者だと誹りを受ける。
それにわたくしは代表候補生だ。このような場なら、なおさら華のない戦いをするわけにはいかない。本国も恐らく、そちらの方を望んでいるだろう。
そう気を取り直し、妨害行為が禁止されるこのスタート直後10秒間の間にできる限り背後を突き放すことに集中する。レースのルール上出走者はある程度分散はするだろうが追ってくる者もいるはずだ。ストライクガンナーを装備したブルーティアーズは同期の専用機の中でも機動性は抜きん出る。元々瞬時加速が使えるラウラさんと最近になって習得した鈴さんが気になるところではあるが、それを考慮しても首位には立てる自信はあった。処刑人に目をつけられる可能性はあるが……そのときはそれはそれで、望むところだ。
事実、現状ではこのままトップに立てそうだ。後はこのまま先のチェックポイントを目指すか、妨害禁止時間が終わる残り後2、3秒後に反転し後続を狙い撃って得点を稼いでおくかだが――――
と、今後の方針を決断しようとしたところで、レーダーの異常に気づく。
……わたくしの後ろにピッタリとくっつくように追走してくる機影がある。いや、光点は殆どわたくしの機体の位置と重なっている。まるで本当にわたくしの機体にくっついているような――――
そんな、あり得ないような想像をしかけながら念のためハイパーセンサーで周囲を確認したわたくしは、あまりのことに思わず悲鳴をあげそうになった。
「な……何をなさっていますの!? 箒さん!!」
いつの間にか、箒さんがわたくしのブルーティアーズのウィング部分を、がっしりと掴んで高速で飛行中のブルーティアーズにしがみついていた。
わたくしたちよりも一回り小さい姿だったため、ストライクガンナーのウィングの陰にすっぽりと隠れており、気づくのが遅れた。
……一夏さんといい、いくら自分の機体がまともに飛べないからといって、この二人はいつもわたくしの度肝を抜くような行動に出る。
「すまない。生徒会長にはお前かラウラの機体が出走者の中では最も速いと聞いていた……そしてスタート地点で近くにいたのがお前の方だった。私はこの戦いに勝たなければならない。故に、こうさせて貰うことになった」
「……それで、わたくしについてこのまま得点を稼ぐと? それを、わたくしが許すとお思いで?」
公正さを尊ぶいつもの彼女らしからぬ図々しい物言いに少し戸惑いながらも、すぐさまスターライトを構える。箒さん相手にこの間合いではわたくしが圧倒的に不利なのは承知の上だが、このまま彼女に利用されるままという気はさらさらない。
既に開始10秒が経過した。もうこちらから攻撃を仕掛けてもルールには抵触しない。
「いや、流石にそこまでは頼れん。む……もう十秒経ったか。すまなかったセシリア。邪魔したな」
「……は?」
が、わたくしがいざ覚悟を決めた瞬間。
箒さんはあっさりブルーティアーズのウィングから手を離し。そのまま後方に吹き飛ばされながら空中で一回転すると、後続の集団に向けて金色に輝くブレードを抜き放った。
~~~~~~side「虚」
「な……」
蹂躙。一言で言うのであれば、そう表すに足りる光景がアリーナのスクリーンに映し出されていた。
『だ、ダメ! ムリ、やっぱ勝てない! 逃げ……きゃあぁぁ!!』
『さ、散開! 散って、散らないとこっちに……こっちにこないでえぇぇぇ!!』
多くの出走者達の悲鳴が響き渡る中、その中心に在るのは金色の嵐。
出走者の中ではトップクラスの速度を持つオルコットさんの機体を利用する形で一気に戦闘に躍り出た篠ノ之さんは、他出走者への妨害が禁止される10秒間の終了と同時にオルコットさんから手を離し彼女を追いかける集団の中に自ら飛び込んだ。
篠ノ之さんも今では専用機持ち、撃破点は高い。
他の一般枠の出走者達も彼女の実力はわかっていただろうが、自分達の数の多さと篠ノ之さんの専用機持ちとしては最も少ない実働時間からチャンスはあると考えたのだろう。自分から飛び込んできた彼女に一斉に襲いかかった。
――――その結果が、今の有様だ。
篠ノ之さんはPICすら最低限しか効かない機体を己の手足の如く駆り、パワーアシストのみで密集した機体と機体の間を縫うように『跳び』回り、その度に彼女が振るうブレードから金色の光が迸り一機二機と出走者が落ちていく。
機体から機体へ、敵のISの装甲を蹴って瞬時に飛び移っていくその様はさながら八艘飛びだ。倒される側も必死の抵抗を試みているが、装甲が最低限しかない篠ノ之さんのISが小さいのに加え高速かつ変則的に動き回るため、まったく狙いが定められないようだ。それどころか誤射による同士討ちまで起こり始める始末。何人かは手に負えないと見て逃走に打ってでようとするも、背中を見せた途端に篠ノ之さんの刃の餌食となる。
他の観客も先ほどまでの熱狂を忘れて呆然と言葉を失っている中、当代だけがウンウンと頷きながらスクリーンを満足そうに見ている。
「――――他の高速機を利用して一気にトップへ飛びだし、妨害禁止時間の終了と共に反転して密集している後続集団を叩く……今のところは、上手く出来てるわね。箒ちゃん」
「……やはり。あの彼女にしては悪辣な戦法は、会長が」
「ちょっと虚ー? ……ま、確かに教えたのわたしだし、あの子も最初聞いたときは思いっきり嫌そうな顔したけどさ。でも、まさかここまでとは思ってなかったな。他の一般枠の子には悪いことしちゃった」
「私も……彼女のIS適性が織斑先生と同じSなのは聞いていましたが、ここまでとは」
「だから大丈夫だって言ったでしょ? IS適性もそうだけど、なまじあの子自身のスペックが桁外れだから、IS自体の調整だって最低限『使える』ところまで持っていければ、後は非展開能力使用や部分展開での動き方を教えれば良かったってわけ。あの子の機体はそうすることすら難しいレベルだったんだけど、虚が作ってくれた『アレ』のお陰でなんとかなったわ」
篠ノ之さんは、手にしたブレードを時折手が空いた瞬間を見て鞘に戻すのを先ほどから繰り返していた。
そうしてから篠ノ之さんはブレードを再び抜こうとする度にまるで手の中で暴れる力を抑えつけるように、ギリギリと音を立てながら火花のような光を鯉口の辺りから迸らせる自らの剣を、鞘から少し抜いた状態で数秒間だけ止めてから抜き放っている。
「いえ……あれは本当にただの鞘のはず、なんですが」
「そうよ。でも、あの子の心理的にはあれがあるとないでは大分違うみたい。虚、紅椿のSE生成の特殊性についてはわかってるわよね」
「ええ。ある意味ではそれが、紅椿が機能不全に陥っていた原因ですから」
「紅椿が十全に動くには、リミッターで雁字搦めのコアから配給されるSEだけでは不十分。だけど逆に搭載されている全マイクロジェネレーターが完全に機能している紅椿を扱うにはまだあの子とISのシンクロ率が足りなくて、それが原因で発生する負荷があの子自身にもかかってしまう……なら、なんとかしてその『中間』を探るしかなかったの」
「成程……それで、あの最低限の装甲、ということですか」
「ううん。あの装甲も、紅椿自身のものでこそあるけど、篠ノ之博士の停止命令を解除できなくてジェネレーターは止まってるの。核になってるのは、まあ見ればわかるだろうけどあの『雨月』」
「あの近接ブレードが?」
「紅椿の機能と連動する武装だから、構成自体は近いだろうと予想してたけどビンゴだったわ。でもあくまで機体そのものから独立した武装だからジェネレーターの停止命令からは逃れてた。だからあの武装を構成している分子構造体内のマイクロジェネレーターと、紅椿のコアを連動させれば最低限は動けるようになるって踏んだ」
「先ほどから篠ノ之さんが取っている行動は、コアと武装内のSEの循環だったのですね」
「正解♪ あれを定期的にやらないとまた紅椿は動かなくなっちゃうからね。ホントは抜き身のままでもできるけど、剣がすっごくブルブルするし、余剰SEがああやって光になって溢れ出て無駄になるし眩しいから、押さえるためのものが欲しかったのよ」
「それであれを作らせたのですか……やっと納得しました」
「武装にSEが凝縮される性質上、予期してなかった副次効果としてSE循環後の10秒間は武装の攻撃力が50%向上するのよ、凄いでしょ! あのSE循環も必殺技の前の溜めっぽいし、折角考えついた方法だからそれっぽい名前もつけたのよ」
「な、名前ですか?」
「うん。わたしは紅椿本来の
『絢爛輝刀』。まさに名で体を表すいい名前だと思うけれど。流石に恥ずかしかったのかな? 当代はこれでまだちょっと子供っぽいところがあるし、このことで篠ノ之さんを困らせてしまっていたなら謝らないといけない。
と、私が考えたのが顔に出てしまったのか。当代は私を見て露骨に不機嫌そうにむくれながら、虚がまた早とちりをしていると文句を呟きつつ続けた。
「もう、ちゃんと聞いてよ。確かに『その』名前は断られたよ……でもその後、あの子自身がちゃんと名前をつけたの」
――――私達がこうして話をしている内に、篠ノ之さんは既に戦闘を終えていた。
流石に足場となる他の出走者が散り散りになり始めてからは撃墜数も落ちていき、最後の一人を落として周囲に脱落者以外がいなくなった後彼女は一人海上へと着水する。
先ほどの戦いで、一気に20人近くの出走者が脱落となった。同士討ち分も含まれるので全てが篠ノ之さんの得点になったわけではないが、それでも専用機持ちの撃破点は一般枠の半分になることを踏まえても相当のポイントを稼げただろう。
CBFのルール上、最低一つはチェックポイントを通過しないとゴール地点に到達してもゴールとはならない。けれど逆に言えば、どこでもいいから一カ所でもチェックポイントを通過して戻ってくればゴールは成立となる。
篠ノ之さんは最後にもう一度雨月を構えSEを循環させると、海の上を己の足で走り出した。目指すは恐らく今の時点で最も近場のチェックポイント。
「――――『
……なんということだろう。荒れることは予想していたとはいえ、これはあまりに早すぎる。
去年の当代の時も大概ではあったが……今年のCBFも、また。開幕して早々、今にも勝負が決まろうとしていた。
今回もまた、全て当代の思惑通りのまま。
空裂「ぼくは?」
雨月「お前広範囲攻撃できるけど威力低いから今回は採用見送りだってさ」
空裂「そんなー」