IS/SLASH!   作:ダレトコ

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第百十一話~それぞれの決意~

 

 

 ~~~~~~side「簪」

 

 

 ……わかって、いた。

 だって彼は何処か、かつてのあの人に似てるから。笑ったときの顔が優しいところとか、ちょっと意地悪なところとか。なんでも卒なくこなす天才肌のように見えて、その実こっそりと見えないところで汗をかいて努力してるところとか。だから――――

 

 ――――彼もあの人と同じように誰かを守るためなら、例え勝ち目が全く見えないような敵が相手だったとしても、迷わず死線に飛び込んでいってしまう人だという予感は、あった。

 

 その予感は最悪の形で現実のものとなる。彼はよりにもよって、『あの日』のあの人と『全く同じように』私を置いていった……たった一人で、あの時と同じ敵(くろいおばけ)に立ち向かうために。

 だけど今度は……結果だけは、あの日と一緒にならなくて。幸い怪我も大したことはなくて、無事に彼は戻ってきてくれた。

 

 嬉しかった。でもそんな気持ちも、今度のことの全容が見え始め……そして私の問いに対するあの人の返事を聞いて疑いが確信に変わった瞬間一気に萎んでいった。

 

 ……あの空間が出現する前。『藤』でよりにもよってあの『くろいおばけ』の姿を見つけてしまった私は恐慌状態に陥ったが、それでも直後に響いたあの人の全構放送は聞こえていた。丁度あの怪物が校内をうろついていた時期を見計らったかのように、お遊びとはいえあの人は彼を味方のほぼいない状況に追い込み、単独で行動することを強いた形になる。

 偶然だって思いたかった。けれど自体が収拾する段になって一番最初に現れたのはやはりあの人で……私の最後の無関係であって欲しいという願いさえ、あの人はあっさり否定した。

 あの人は彼を……織斑君を、敵を釣るための餌にしたのだ。いや、それどころか……あの怪物がここに来たことさえ、元はあの人が招いたことの可能性さえある。もし、そうだとしたら……私はあの人を絶対に認めない。かつておじいちゃんが私たちに語ってくれた、『更識』の在り方は、そんなものじゃ決して在り得ない……!

 

 あの人を許せなかったし、恐らくこれからも敵の標的であるのをいいことに囮にされ続けるであろう織斑君を止めたかったけど……出来なかった。織斑君は今度のことで出た被害の惨状を見て、もう自分の中で戦うことを決めてしまっていた。

 あの、眠っている人たちの前で手から血が滲むくらい拳を固く握り締めていた彼のことが忘れられない。織斑君はきっと、何も悪くないのに自分のことを責めてた。そんな彼にあの時、すでに姿すら見えない敵に怯えて彼に守られるだけだった自分が、戦わないでなんて言える筈がなかった。

 ……そして、もう諦めるべきだと言っている自分がいるのに未だ未練がある私には、彼に警告すらも出来なかった。全部、あの人のせいなのだと。

 

 ――――でも、このままじゃいけない。

 

 亡国機業。このIS学園に混乱を齎すべく襲撃をかけてくる敵ににして……恐らくは私とあの人にとっても、因縁の相手。その狙う相手として織斑君が絶好の標的だという理屈は私にもわかるけど……どうして。どうして、彼なのか。あくまで形式的なものなら、狙うのなんて誰だっていいじゃないか。それこそ……

 

 「……!」

 

 そこにきて自分が最低なことを考えているのを自覚して、思わず唇を噛む。

 四組には幸い、被害者はいない。けれど上級生や……多分、織斑君のクラスの娘で、クラスメイトが帰ってこなくて先生を問いただしたり、涙を流している人を何人か見た。

 大事な人を失う苦しみは良く知っている。だからこそ、誰に被害が降りかかろうと、こんなことがまた起こるのは耐えられない。だけど……かといって、また敵が来たときに私は、戦えるかといえば……きっと、無理だ。あの人の時のことも、織斑君の時のことも、こんなに悔しくて後悔してるのに、まだ……私はあの『くろいおばけ』の姿を思い浮かべただけで、震えが止まらなくて、動けなくなってしまうんだから。いくら織斑君を助けたいからって矢面に出て行ったって、そんなんじゃすぐに殺されるか、最悪昨日みたいに足を引っ張るだけだ。今だって、織斑君のことがなかったらまだベッドの中で震えていたかもしれないのに。

 でも、せめて何か。織斑君や、この学校を守るために、私にできることはないだろうか……?

 

 「あ……」

 

 廊下を歩きながら考え込んでしまいそうになったところで、思いがけない人と目が合った。

 ……昨日、あの事件が起きる前に私を第六アリーナに閉じ込めたクラスメイトの一人。彼女は顔を蒼白にして……まるで死人でも見たかのような目で、私のことを見ていた。

 

 「…………」

 

 私も彼女に対して思うところは、ある。

 あんな場所に閉じ込められなければ、私は藤を使って人を探そうとしてあの『くろいおばけ』を見つけることもなく、その後何故かあの場所に現れた茶髪の女性にあっさり捕まるようなこともなかった筈だ。

 ……とはいえ、それも結局は結果論に過ぎない。仮にあの時あの場所に私がいなかったら、あの茶髪の女性は違う生徒を人質として狙ったかもしれないし、そうして他のどんな生徒が巻き込まれたとしても織斑君はきっと助けようとしただろう。その可能性を思えば全く無関係の人を巻き込まずに済んだとも取れるし、何よりあのことがなければ私はあの人が織斑君を使ってやろうとしていたことに気づけなかった。

 

 だから、『もういい』。そんな顔をしなくなって、もうこちらは怒る気も咎める気もないのに。そもそも、他人と認識している人間に一々そんな感情を向けているような余裕だってなかった……この時、この瞬間までの、私には。

 

 「ちょ、ちょっと……!」

 

 彼女を一瞥だけしてそのまま通り過ぎようすると、後ろから肩を掴まれた。流石にここまでくると苛立ちがふつふつと湧き上がってくる。自分の中で納得できてるとはいえ危ない目に遭わされたのは確かだし、怪我をさせる気はないけど『和泉』を使って離れてもらおう、と右手の指輪に呼びかけようとした。

 

 「い、今までどこで何してたのよ! 緊急集会にくらい顔出したらどうなの、クラス代表でしょ!?」

 

 ――――ああ、もう、うるさい。そんなの最初からなりたくなかったんだ、あなたたちが押し付けてきたんじゃないか。口の利けない人間がクラスのまとめ役なんて、どう考えたって破綻するのは目に見えてただろうに。だいたいもしあのことがなかったら私はアリーナに閉じ込められていたままだったわけで、どっちみち集会になんて出ることは……

 

 「アリーナの様子見にいったらどんなに探してもいないし……し、心配したんだから!」

 

 いっそいい機会だ。この際もうクラス代表なんて……え?

 彼女は今……なんて?

 

 「昨日一日だけ……一日だけ『あそこ』に閉じ込めておいて、アンタが持ってきたあの企画を台無しにしてやろうって、思っただけなのに……急に目の前で人が倒れて、怖くなって第六アリーナにいってみたらアンタがいなくて、私もう、どうしたらいいかわかんなくて……!」

 

 驚くこちらを余所に、彼女はとりとめもなくそんなことを呟きながらいきなり泣き出してしまう。

 ……こ、困ったな。流石にこうなることは予測できなかった。これじゃ、私が泣かせたみたいじゃないか。私、何もしてないのに。

 

 『どうして、あんなことしたの?』

 

 迷った挙句、このままでは埒があかないと踏んでペンを走らせる。彼女はまだしゃくりあげていたが、何とか私のメモは確認できたようで顔を上げながら喋りだした。

 

 「だって、だって……私、日本の代表候補生と同じクラスになって、知り合いになれるかもって嬉しかったのに、アンタ全然、『私たち』を見てないんだもん! ……代表候補生が忙しいのはわかるわよ。でも放課後はすぐにどっかにいっちゃうし、今回の文化祭みたいなのだっていつだってアンタは一人でなんとかしちゃう! なんなのよ、そんなに私たちと一緒にいるのが嫌なの!? だったら最初っから学校なんかにこないで専用機の面倒だけ見てなさいよ!」

 

 「…………」

 

 畳み掛けるような、怒涛の言葉の嵐に私は何も反応も返せないまま、ただここに来たときのことを振り返る。

 ……あのときは、『あの人』のことしか見えていなかった。私の専用機(打鉄二式)の実践運用がいよいよ近かったのもあり、放課後は毎日倉持技研に通って機体の調整に努め、いずれISであの人と向かい会う日のことばかり考えて。

 

 『ねぇ、専用機持ってるんだよね? どんなのなのか聞かせてよ!』

 

 『代表候補生ってやっぱ大変なの? ……なにか、あたしに手伝えることってないかな?』

 

 学校で、そんな風に私に関心を向けてくる声には、悉く背を向けた。今はそれどころじゃない、って焦る気持ちが強かったのと、何より。

 

 ――――どうしたらいいのか、わからなかった。

 八年前のあの日から、学校になんて殆ど行っていなかった。必要なことは倉持技研で全部学んで、そのままIS学園に来た。

 倉持技研では私の事情を知ってる人が大半で、文字を使ったコミュニケーションでも嫌な顔をする人は誰もいなかったし、所長も本音も虚さんも今のままの私を受け入れてくれた。

 

 『え……?』

 

 『ちょっと……! そこを通るなら、一声くらいかけなさいよね!』

 

 その環境がどんなに得がたいものなのかわかるまで、そう時間はかからなかった。研究所から一歩出れば、『声が出せる』のは当然の世界。どうしても意思疎通をしたい時にペンとメモを取り出す私に相手が向けてくる困惑の表情。雑談なんて当然出来ず、どんなにこちらが急いでペンを走らせても勝手に向こうが気を利かせたつもりになって、話を切り上げて去っていく。そんなことを繰り返すうちに……私はいつしか、心を許した相手以外、自ずと『そう』することを、諦めるようになっていた。

 

 正直なところ、最初はいくらあの人が通うことになったからといって、そんな『他人』がたくさんいるところに飛び込んでいくのは怖かった。でもどうしてもこれだけは、今まで色んなことを諦めてきた私でも諦められなくて、IS学園に入学を決めた……ただその一心だったから、他のことはどうでも良かった。どうでもいいって……思ってたし、思うようにした。

 

 だから。

 

 『布仏簪。一応、日本の代表候補生をやっていますけど、守秘義務があるのであまりそのことについては教えられません。後、私はこの通り言葉を話せません。煩わしいと思った方は私に話しかけないでください。お互い、不毛なだけですから』

 

 四組の顔合わせ。当然のように各自その場での自己アピールが求められた時にはすぐに先生の横を通り抜け、ホワイトボードに大きくそれだけ書き殴って席に戻った。

 ……今までがそうだったから、今度も最初から『諦めた』。そのつもりだったのに、代表候補生っていう肩書きに興味を示す人は思った以上に多くて、戸惑って。今まで嫌なことからは尽く逃げてきた私は、対処法をやはり逃げることでしか導けなかった。

 

 ――――本当は、ずっとわかっていたんだ。彼女を含め、四組の一部の人たちがいつしか、私に嫌がらせのようなことをするようになったのは、私自身にも原因があるって。

 

 「…………」

 

 今更、って思いはまだある。こちらから歩み寄ったって、上手くいかないかもしれないって不安も。

 でも……それでもこのとき、私は目の前の、彼女のことを知りたいって思った。本当なら、人と人が触れ合うのなんて、大層な名目がなくてもそれくらいの動機から始まるもののはずだ。

 すぐには変われないかもしれない。けど、こんなことで今傍にいる人に甘えて、他の人の手を煩わせているままじゃいつまで経ったって変われっこないから。少しだけ……怖いけど、一歩前に踏み出してみよう。今の私に足りないのは他の人から見ればきっと取るに足りない、そんな小さな『勇気』だと思うから。

 

 『あなた、名前は?』

 

 「え……なによアンタ、知らなかったの?」

 

 『ごめん』

 

 「……あー、もう。いいわよ。今度はちゃんと聞きなさいよ。私はね――――」

 

 ――――『私だけのヒーロー』は、もういない。きっと、あの人はもう私がいくら願ったって私のとってのそれにはなってはくれないってわかった。だったら……私が。今は無理でも、いつか大事な人たち皆を守れる、ヒーローに、ならなくちゃ。

 

 

~~~~~~side「シャルロット」

 

 

 「……いいのか? よりにもよって皆の前で、あんなことを言って」

 

 寮の部屋に戻って、一緒にいた僕のルームメイトが開口一番言ったのは、そんな言葉だった。

 ……彼女の言いたいことはわかる。あの場で僕は話すべきことを全部話さなかったし、この娘はそのことをあの場にいた中では恐らく唯一しっていた娘だ。

 

 「……何か、不味かったかな? ううん、不味かったのは自分でもわかっているんだけど」

 

 「いや、そういうことを言いたいのではなくて……ただ、心配なのだ。シャルロット、お前はいざ『家族』と相対せねばならなくなった時、心を殺して戦えるのか?」

 

 「それ、は……」

 

 「軍人として恥ずべきことだとわかってはいるが、私には……きっと、出来ないと思う。教官や一夏に自分が銃を向けるような事態になることすら、考えたくない。今となっては、訓練ですら私は弟に対して武器を用いることを躊躇うようになってしまってな……情けないところを見られたくなくて、あいつとの模擬戦はクラスの者たちの手を借りて避け続けているんだ」

 

 「……ううん。それは、きっと普通のことだよ。自分にとって大事な人を自分の手で傷つけるかもしれないなんてこと、平気でいられるほうがきっとおかしいんだよ」

 

 「だが、その……言いにくいが、昨日の女は、その……」

 

 そう……イブさんは僕の家族だった人だ。ラウラは自分の境遇から、僕のことが心配になってるんだろう。

 だけど……

 

 「……そうだね。大事な人、だった。ううん、今でも多分、大事な人だって思ってる。でも……だからこそ、あの人の言っていたことが本当なら、許せないことがあるんだ」

 

 「一夏の、ことか?」

 

 ラウラの問いかけに首肯しながら、思い出す。

 忘れもしない、僕の正体が一夏にバレたあの夜のこと。あの時一夏が決して消えない傷から生まれる痛みを、ずっと噛み殺していることを知った。

 そして今回……彼にその傷を刻んだ事件に、イブさんがほぼ間違いなく関わっていることを、知ってしまった。

 

 「イブさんがまた一夏を傷つけにくるっていうのなら、僕は絶対に彼女を許さない。だから、その時がきたら戦うよ。でも……ねぇ、ラウラ。僕は、一夏の傍にいていいのかな?」

 

 思わず、そんな言葉が口から漏れる。彼にまた会いたい一心で戻ってきたけど……また、僕のせいで彼に迷惑をかけてしまうのは、絶対に嫌だった。もしかしたら、やっぱり僕は――――

 

 「――――逃げるのか?」

 

 「……え?」

 

 「また逃げるのか、と聞いている」

 

 そんな、以前の僕のような後ろ向きな方向に考えがいってしまいそうになった時。

 ラウラが急に厳しい表情を浮かべて、ベッドに座り込んだ僕の顔を覗き込むように問い詰めてきた。彼女の豹変に、僕は思わずしどろもどろになりながらも言い返す。

 

 「だ、だって! 僕の家族だった人が、あんなに一夏を傷つけたのに! なのに、そのことを知らない振りをして前みたいに彼と一緒にいるなんて……!」

 

 「……お前が何処まで一夏の過去のことを知っているのかは知らないし、あの亡国機業のパスカルとかいう女とお前がどれだけ深い関係だったのかも私には預かり知らぬことだが……そんな私でもはっきりと言えることがある。あの女が一夏の過去の一件に関わっていたところで、お前は今日までそのことを知らなかったのだろう? あの女が勝手にやったことだ。あの女とお前がどんな繋がりがあったところで、お前には関係がない」

 

 「だけどっ……!」

 

 「それに……間違いなく。お前がいなくなるほうが、弟は悲しむし、苦しむ。私はお前の事情には詳しくないが、一夏はお前が一度IS学園を去ってからずっとお前のことを心配していたんだぞ。自分に何も言わずにいなくなって、許せないとも言っていた」

 

 「っ……!」

 

 ……ずるい。それを言われてしまったら、何も言い返せない。

 だって、もう、本人にも同じことを言われてしまって。その時僕は、とっても嬉しかったんだから。

 

 「どんな事情があろうと、姉として弟から笑顔を奪おうとする輩は許せん。また逃げる気なら私もお前を許さないぞ、シャルロット。帰りの飛行機を撃墜してでも止めてやる」

 

 「それは流石に僕死んじゃうからやめてよ……でも、ありがとう。ラウラ」

 

 「な、なにを……礼を言われるようなことは言っていない」

 

 ちょっと、いつもみたいに物騒で、一夏みたいに真っ直ぐな言葉じゃなかったけど。この娘も僕に『ここにいていい』って言ってくれた。

 

 ――――あの時、『友達』って、言ってくれたもんね。

 

 それが嬉しくてお礼を言うと、ラウラは照れたようにそっぽを向いてしまう。が、次の瞬間。

 

 「っ……!」

 

 「ら、ラウラ!?」

 

 急に眼帯をつけた左目を押さえて表情を歪ませる。昨日の事もあって心配になり、とっさに立ち上がって駆け寄ろうとするも、僕がそうする前にラウラは空いた右手を僕を制するように突き出して止めた。

 

 「……大丈夫だ。昨日この『眼』を開放してから時折突発的に痛みが走るが、頻度も痛みそのものも次第に収まってきている。大事はない」

 

 「でも自己判断じゃ……念のため、お医者さんに診てもらったほうがいいんじゃない?」

 

 「原因が原因だ。普通の医者に診てもらうわけにもいかないし、仮に診たとしてもこの眼のことがわかるとは思えん……レーゲンのバイタルチェックでも異常はでなかった。単純に、錆付いた私の脳と体が未だにこの眼についていけていないだけだろう……はは、笑えるよ。あの女の言ったことは何一つ間違っていなかったわけだ。私はこんな自分の弱さを棚に上げて、未だに過去のことで苦しんでいる弟の弱さを責めたんだ」

 

 「ラウラ……」

 

 「強く、ならなければ。私に、私は弱いと、現実を叩きつけてきたあの女を倒せるくらい、強く。だから……」

 

 そうしているうちに収まったのか、ラウラは喋りながら左目を押さえていた左手を下ろすと大きく息を吐き、気を取り直したように僕に向き直る。

 

 ――――その右目に、強い決意と覚悟を灯しながら。

 

 「――――いずれ、この眼帯を頼るのもやめる。お前に逃げるなと言った手前、自分が逃げるわけにもいかないからな」

 

 「……!? 駄目だよ! 昨日、ちょっとだけ外しただけであんなに苦しんでたじゃないか! それに、君があの人と戦う必要なんて……」

 

 「ああ……これは、昨日奴の正体を知ってからずっと言わなければならないと思っていたことなんだがな。シャルロット」

 

 「何……?」

 

 「お前が『姉』だと言ったあの女は……私がこの手で必ず殺す」

 

 ラウラの、冗談や誤魔化しの一切ないどこまでも真剣なその言葉に、思わず息が詰まる。

 でも彼女はきっと、『家族』というものの重みを誰よりも理解した上で、僕の家族を殺すと言った……そんな彼女の覚悟を前に、逃げることもまた、出来なかった。

 

 「……それは、織斑先生や一夏のことがあったから? それとも、『あの時』あの人と話してたことと関係ある?」

 

 「どちらも、と言いたいところだが……ことが私の存在意義に根ざす問題、という意味では後者が近いんだろうな。私は奴の言うとおり出来損ないかもしれないが……それでも、『黒兎部隊(シュバルツェア・ハーゼ)』として産まれ、生きてきたことから逃げられないし、逃げる気もない」

 

 「…………どういう、こと?」

 

 「……ここまで話していいのかは、正直迷っていたのだが。あの女がお前の家族だというのなら、変に誤魔化すわけにもいくまい。シャルロット、『生ける屍(リビングデッド)』という名前に聞き覚えはあるか?」

 

 「うん。聞いたこと、くらいなら……」

 

 今でも稀にニュースなどでその名前を耳にする、主に中東を活動拠点としていた『過去最悪』とまで言われたテロ集団。

 事実かどうかはわからないけれど、活動地域に訪れた外国人を殺害、その遺体が祖国に搬送される際の棺桶の中に紛れて各国に侵入してテロ活動を行うことからその名前がついたと言われていて、僕たちが生まれるよりも前から活動していたらしい。彼等の活動が全盛期だったころは公に『暗黒の時代』と言われて、当時の頃のことは大人たちは皆口を噤んだ。

 とはいえ、かの組織は僕が物心ついた頃には既に縮小期に入り、やがて組織された国連軍によって壊滅させられなくなったとされて、僕が住んでいたのはずっと街外れの小さな家だったのもあって、そういった社会の移り変わりとはほぼ無縁で過ごしたため本当にそういう存在がいた、という話を人づてに聞いた程度の認識だった。けど……

 

 ここでどうして、そんな今は無き物騒な組織の名前が出てくるのか……もうなんとなく、予想はついていたけれど。

 

 「知っているなら話は早い。あの女は……かつて世界中で活動し数千はくだらない数の人間を殺害した、史上最悪クラスのテロ組織に関与……いや、それどころかかの組織で重要な役割を担っていた可能性が高い。奴自身も口にしていたが、恐らくお前の母親も奴に殺されたのだろう」

 

 だけど改めて、それを口にされると受け入れ難い自分がいた。

 

 「ち、違うよ! お母さんは病気だったし、イブさんは寧ろその治療のために薬を持ってきてくれてたし……それに、あの組織が出来たのはそれこそ二十年くらい前なんでしょ? それじゃああの人は、まだ子供だったじゃないか」

 

 「本当に病気だったのか? 病名を知っているのか? その女が治療という名目で持ち込んだ薬が遅効性の毒物だったという可能性は? それに当時子供だった、というのは否定する材料にならない。『生ける屍』はテロ工作員を『使い捨てる』性質上、子供も積極的に利用したと記録に残っているからな」

 

 「そんな……でも、あの人は……!」

 

 「……シャルロットにとって受け入れ難いことなのは私も理解しているつもりだ。だがお前の母親のことは兎に角、奴が教官や一夏……そして、私の母の仇であろうことは動かない。今尚、例え残党紛いだろうが奴等が存在しているのなら、見逃すことはできない」

 

 「え? ラウラのお母、さん……?」

 

 だからラウラの言葉をとっさに否定しようとしたものの、ラウラが零した言葉が気になって口が止まる。

 ラウラ自身も無意識のうちにこの言葉が出ていたのか、言葉にしてからしまった、といった様子で頭を抱えたが、すぐに気を取り直したように頭を振って続きを話し出した。

 

 「……私が『アドヴァンスド』と呼ばれている、遺伝子に改造を施された個体であることは知っていたか?」

 

 「……! それって、今ドイツで確立されてるっていう試験管ベビーの……」

 

 「ああ。とはいえ、私は少し事情が違ってな……私が生まれた頃、まだあの人口胎盤技術は完成していなかった。いや、理論としては完成してはいたが、装置の開発にその基盤……ベースとなる『胎盤』のモデルが必要だったらしい。それも中の胎児に手を加えた上で、その胎児を健全に育める母体のモデルが」

 

 「それってつまり……実際に生きてる、本物の母親のって、こと?」

 

 「そうだ。そしてそのベースモデルとして名乗りを上げたのが、当時の『黒兎部隊(シュヴァルツェア・ハーゼ)』の隊員の一人の、エルマ・ボーデヴィッヒだった。彼女は適性のある胎盤の持ち主かどうかを調べるための実験として人工授精によって妊娠し、一人の子供を産んだ……それが、私だ」

 

 思いもしなかったラウラの出自に、僕は思わず目を見開いて彼女を見た。

 ……技術の進歩の礎とする。そのためだけに求められ、生まれてきた子供……彼女の母親は、どんな気持ちで彼女を産んだんだろう。また、彼女はそれを知らされたときどんな気持ちになったんだろう……僕には想像もつかない。でも……血の繋がりがなくても彼女が『家族』に執着する理由の一端を、この時僕は垣間見た気がした。

 

 「……それで、その……ラウラのお母さんの仇が『生ける屍』って、どういうことなの?」

 

 「……当時の『黒兎部隊』は、ドイツ国内でも活動を始めていた『生ける屍』の対策として組織された部隊だった」

 

 「……!」

 

 「その様子では、もう理解できたようだが……そうだ。エルマ・ボーデヴィッヒは私を産み落とした二週間後に、軍上層の命令を無視して単身で出撃、『生ける屍』残党と交戦して死亡した、とされている。軍内部では命令違反まで犯し勝ち目のない戦いに挑んで犬死した女、果ては腹しか役に立たなかった等と嘯かれていてな。かくいう私も母ではあるが、先達としては敬えない人だと思っていたが……昨日、あの女の話を聞いて確信したよ。今では『当時の』黒兎部隊の隊員は全員、極秘任務中の事故で殉職したことになっているが、実際は母が身重の内に全員奴等の手にかかり……母は部隊の皆の無念を晴らすために、勝てぬとわかって奴等に挑んだのだと」

 

 「ラウラ……」

 

 「……もう、全ては私が赤子のときに終わってしまったことだ。母のことは名を聞かされているくらいで顔すらも知らず、私自身、教官や一夏に会うまではあまり気にしたことがなくてな。シャルロットがそのように気に病むことはない。だが……『黒兎部隊』を継いだ者として、先達の雪辱を、母の無念を晴らす。それが叶うというのなら、決して誰にも譲りはしない。それが例え教官でも……シャルロット、お前にも、だ」

 

 強い視線で見つめられる。

 止めないと、いけないんだろう。僕がけじめをつけないといけないことだし、折角ここで僕なんかと友達になってくれた彼女に危ない目になんて遭って欲しくない。昨日見た限り……どちらにしろ、今の僕たちじゃ束になってかかっていったところでイブさんにはきっと勝てない。彼女のISはそれだけ、異端で異常だった。

 

 でも、結局そうすることが出来なかったのは……まだ、僕が迷っていることの証だったのかもしれない。

 

 『こんなことくらいしか教えられない自分が嫌になるが……君は覚えがいいな。こう言ってはなんだがこちらについてはイザベルのセンスは壊滅的だから、余程父親の血がいいのだろう。しっかり訓練すれば、すぐに私よりも上手くなる』

 

 『え、えへへ。そう? わたし、上手かな?』

 

 『ああ……少し安心したよ。私がいないときは、君がその力でイザベルを守るんだ。頼んだぞ』

 

 『うん!』

 

 ――――僕の中では、まだ少し無愛想でぶっきらぼうだけど優しかったお姉さんだった人。日々弱っていくお母さんのことも本当に心配してくれていて、とても彼女がお母さんを害したなんて、今でも信じられない。

 けれど、次から次へと、彼女が今まで僕に対して隠していた闇が、昨日の事を皮切りに浮き上がってきて……昨日イブさんが僕に話してくれたこともごちゃごちゃになって、何を信じていいのかわからなくなってくる。

 

 「……済まない。シャルロットも昨日から色々あったというのに、自分のことばかり話してしまったな。CBFのこともある、学園祭は終わったがこれから忙しくなるのは変わらない。今日は一日休めるそうだし、心身ともに羽を休めておけ」

 

 そんな僕の心境を知ってか知らずか、ラウラは先程まで纏っていた覇気をあっさり霧散させると珍しく薄く微笑みながらそう言うと、踵を返して部屋の出口に向かっていく。

 

 「ラウラは……? 何処へ行くの? これからどうするつもり?」

 

 「私も休みたいところだが、生憎色々とやることが山積みでな……取り敢えずは、本国の私の部隊に今回の報告も兼ねて情報収集に当たってみるつもりだ」

 

 「情報……?」

 

 「『亡国機業』……あの生徒会長の話を聞いてどんなものかはわかったかと思うが、非公式とはいえ国家間の思惑で生まれた奴等が、目くらましとして抱え込むにしても『生ける屍』はあまりに危険すぎる……何かが引っ掛かる。生徒会長の話に嘘があったわけではないが、それが全てというわけでもなさそうだ。その辺りについて、もう少し亡国機業を洗ってみる」

 

 「そっか……無理しちゃダメだよ?」

 

 「シャルロットもな……迷うのはいい。私がお前の立場でも、恐らくは迷う。だが……恐らく敵は覚悟が決まるまで待ってはくれないだろう。その時になって後から後悔しないよう、せめて牙だけは研いでおけ。心が定まらなくても体は動く。真摯に磨いた、その分だけな。その気になったら私に言え。同室の好でつきやってやる、色々とな」

 

 「あ……」

 

 ほんの、一瞬だけ。

 振り返って僕に力強くそう言ってくれたラウラが、かつてのイブさんの姿と重なった。

 ……そっか。彼女と同室になってから少し経って、色々なことがあったけど。その時からずっと、彼女に感じていたものその正体がつかめなかった感覚の正体を、この時になってやっと僕は気づけた。

 

 この娘……ちょっとだけ、イブさんに似てるかもしれない。不器用でちょっと見た感じは怖そうだけど、本当は優しいところとか。

 

 「……?」

 

 そんなラウラを見て少し固まってしまったためか、彼女は不思議そうに首を傾げて僕を見つめ返してくる。

 こういう少し歳の割りに幼い仕草はちょっとあの人とは違うかも。でも、彼女のそういうところもまた、可愛いって思う。あのパジャマ、今日こそ着て貰おう。

 

 「……うん。わかった。その時は宜しくね」

 

 「あ、ああ……なんだ? 今、少しだけ寒気が……」

 

 が、そんなことを考えながら返事をしたところで、どういうわけかいきなり逃げるようにラウラは部屋から出て行ってしまった……まあいいや、本番は夜だ。

 

 でも……本当にあの娘には、感謝しなくちゃいけないな。彼女の言うとおり未だ、僕の中に迷いはあるけど……少しだけ、彼女のお陰で、前向きになれた気がするから。

 

 「そうだね。今のイブさんを知るにしろ、戦うにしろ……もっと強くならなくちゃ。そうだよね?」

 

 ベッドに腰掛けたまま、首から提げた僕のISの待機形態に問いかけてみる。

 もうここはあの不思議な量子空間じゃない。返事には期待していなかったけれど……その瞬間、ほんの一瞬だけ、ラファールは僕の言葉を肯定するように、優しく白く光ったような、気がした。

 

 


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