~~~~~~side「千冬」
「やはり貴様等の差し金か」
今までは必ずピットインの度に応援に来てくれた一夏が、ある時を境に急に私のところに来なくなった。
何の前触れもなくそんなことになって、怪訝に思わないはずがない。かといって今後の試合が控えている身としては下手に出歩くわけにもいかずやきもきしていたところに、今まで特に関心もなかった他部門で出場している私以外の日本の国家代表の奴等が少し気になる話をしていたため、少し問い詰めてみたところ悪びれさえせずに白状した。
「だって鬱陶しかったんだもの。いくら子供でも、ISには一切関われない『男』が私たちだけに許された場所に何度も出入りしてるなんておかしいでしょう?」
「……公に認められていることに今更ケチをつけられてもな。不服があるなら今からでも運営に直談判してきたらどうだ」
「っ……そもそも貴女、いくら優秀だからって年上に対する口の利き方がなってないんじゃない?」
「そうよ。戦女神だからって許されないことはあるわ。貴女一人の都合で躾のなってないペットを私たちのところに持ち込まないでよ。迷惑しちゃう」
「ペット……?」
ただでさえ、いるだけで不機嫌にさせてくれる連中なのに、よりにもよってここのところ最近では私の唯一の癒しまで取り上げるとは。いっそ一夏と過ごすためにピットインをギリギリまで遅らせてしまおうかと、聞くのも煩わしいこの女共の金切り声を半分聞き流しながら考えていた。流石にその聞き流せない言葉を私の耳が拾うまでは。
「……妙なことを言う。お前たちは肉親と過ごすことを『飼う』と言うのか」
「だって、ねぇ? ……ちゃんとした親がいるならまだしもあの子は貴女が一から全部養ってるんでしょ? あんな素直なだけで他に何も出来なさそうな子、何がいいの? 貴女ならより取り見取りでしょう?」
「血の繋がりなんて、そんなもののために尽くしてるの? 将来に期待したってどうせ、何もかえってなんかこないわよ。あんな私たちにちょっと言われたくらいで、ビービー泣いて逃げ帰るような弱虫じゃね……さっさと捨てちゃえば?」
「…………」
……もう、『たくさん』だ。
金と、束の夢のために今まで色々と我慢してきた。だが例の白騎士の件であいつの夢は頓挫し、残されたのはこのような勘違いした愚かな奴等だけだ。
こいつ等を生み出した責任は、確かに私たちにあるのだろう。だが私にとって最も大切なものをこうまで貶められてまで、それを負い続けなければならないのか? ……冗談ではない。まだ私自身に降りかかるだけならいいが、それにあいつまで巻き込むことになるのなら、私は例え世界中の人間に後ろ指を差されるようなことになっても一夏を取る。
「……一夏を探しにいく。そこをどけ」
「……何を言っているの? もうすぐオオトリ、戦女神を決める総合部門の決勝よ? 貴女が出場するのよ? わかってる?」
「私たち日本代表の顔に泥を塗るつもり?」
「肩書きに興味はないし、私がお前たちのためにこんな茶番に付き合っているとでも? 何が泥を塗る、だ。最新鋭の機体を与えられておいて今回一勝も出来なかった奴等の顔に今更泥がついたところで誰もクスリともしないさ。本当に
「……! 誰か来て! 『戦女神』が試合を放棄しようと――――」
私に本当のことを言われて勘に障ったのか、強い語調で攻められて臆したのか、あるいはその両方か。女共の一人がインカムを使って運営スタッフを呼ぼうとしたので、元々苛立っていたのもあり迷うことなく顔面を殴り飛ばして黙らせた。
他人のことを安易に何もできない無能呼ばわりしておいて、自分は窮すれば他人に頼るのか……心底くだらない奴等だ。私もこいつ等の一人として括られているのかと思うと不愉快でたまらない。
「あ……う……」
空中で一回転した挙句に泡を吹いて気絶した味方の惨状を見たもう一人もおびえた様子でその場にへたり込み、晴れて邪魔者もいなくなった私は奴等を一瞥することすらせずにピットから去ろうと歩き出した。
……試合を投げ出すことに後悔は一切ない。寧ろ遅すぎたくらいだ。思えば今まで背中に守るべき弟がいるから『負けることは許されない』という強迫観念の元ずっと戦ってきたが、それが原因で最近一夏の相手が出来なくなってきたのをはっきり感じていた。それでもあいつはわかってくれると自分勝手な信頼を託して、結果こうしてあいつの心を傷つけてしまった……だが、まだ取り返しは効くはずだ。一夏に会ったらまずは謝って……その後は、久しぶりによく、話し合ってみようか。
そんなことを考えただけで、自然とささくれ立った心が少しだけ落ち着いてくれた。それに気を良くして、今度は具体的にどんな話をしようか、と今度は考える――――もうその時にはすべてが遅すぎたのだと、考えもせずに。
私にその事実を告げる使者は、すぐに現れた。丁度ピットを出ようとしたところで、外からの来訪によってピットの扉が開かれたのだ。
「山田、か……どうしたんだ、こんな時に」
一瞬一夏が戻ってきたのかと期待したが、当てはすぐに外れる。そこにいたのは、戦女神と呼ばれるようになってから面倒を見てきた中でも、極度のあがり性で本番に弱いという弱点により代表入りこそ叶わなかったが特に真面目で筋が良く、今回の大会も勉強になるだろうと連れてきていた後輩の一人だった。
そいつは相当慌ててきたようで普段掛けている眼鏡はズリ落ち、息はあがりきっていて返事も出来なかったが、それでも手に握り締めた手紙のようなものを私になんとか差し出してきた。
「おい、なんなんだ……こういうものは試合が終わってから届けろといつもお前には……!」
最初はファンレターの類かと思いうんざりしながら注意するも、彼女のただならない様子からつい流し読みでその内容を確認し――――
――――拝啓ブリュンヒルデ様。貴女のファンより。
そんな書き出しから始まる手紙を最後まで読むことなく、私は手紙を握りつぶすと迷うことなく『暮桜』を展開。
『未だ試合規定時間、達せず。千冬、何事か』
「――――説明している暇はない。行くぞ桜火」
『……御意』
怪訝そうな桜火の問いにも答えず、ピットの外壁を突き破って外に飛び出した。
「……クソが! どうしてこんなことになった! 何故、今なんだ……!」
――――貴女の大事な弟君は預かりました。彼を無事に返して欲しいのなら今すぐに会いに来てください。待っています。
手紙には忌々しくなるほど丁寧な手書きでそれだけ書かれていた。正直腸が煮えくり返るような思いだったが、それ以上に一夏を失う恐怖が勝りいてもたってもいられず私は暮桜で空を飛びながら必死に一夏を探した。
しかし、程なくてしてプライベートチャンネルに通信が入る。
『ちーちゃん!』
「……束か、今は……!」
『状況はわかってる! ……昔、ひかるちゃんと一緒に作った『アレ』を久々に使って会場近辺のインフラを一時的に麻痺させたよ。いっくんを連れ去った奴等は少なくとも今は民間人に紛れて逃げられない。急いで探して!』
「…………!」
言われて地上の様子を見る。電車は駅についていないのに停車し、道路の信号はネオンのように滅茶苦茶に点滅して混乱した車の列によって大渋滞が起きている。
……はっきり言ってひどい有様だった。『また』、私の都合で束にこんな真似をさせたことに気が重くなるが、それでも、今は……!
『……! 何この反応! ちーちゃん!』
『……千冬!』
「……!」
一夏を見つけるべく、地上に意識を集中したその瞬間だった。猛烈な寒気を感じるのとほぼ同時、背後から悪魔のような黒い腕が、私の体の中心目掛けて突きこまれた。
場所は何の障害物もない空の上、何かが接近するような気配はいっさい感じられなかった。この『腕』は本当に、何もない場所から前触れもなく突如姿を現したのだ。
ISには絶対防御がある。いくら人体的急所を狙った攻撃だろうと一撃でやられることなどない。そのはずなのに、その一撃から久しく感じることのなかった明確な絶命の危機感を感じ取った私は己の感を優先し、この時剣を始めてから初めて己の剣を『防御』に使った。
「っ……!」
敵の鉤爪が雪平に接触して激しい火花を撒き散らす。振り返って漸く確認した襲撃者の表情に、驚きの色が浮かぶ。
――――墜ちろ。
「……!」
敵の腕を弾き飛ばし、一瞬無防備になった敵の体に零落白夜を纏った一撃を突き入れる。見たこともない、悪魔のような黒い翼を持つ敵ISはその翼で防御しようとするも間に合わず、心臓を捉えるはずだった一撃は私の迷いにより敵の右腕側に逸れたが、構わずスラスターを吹かし地上に向かい、
――――!
真下にあった、人の気配のない廃墟に落下。階層を幾重にも突き破り、轟音と瓦礫を撒き散らしながら、敵を地面に縫い付けた。
「成程、これが目的だったのか。随分と甲斐甲斐しい手紙を貰ってつい騙されるところだったよ……一夏は何処だ?」
「…………」
全く感情の篭っていない声で地面に押し倒した敵に尋ねる。
敵の右腕は突き刺された時の傷が落下したときの衝撃で広がり、最早骨ごと砕けて繋がっているのが不思議といった体を為していたが、敵は痛みに顔を歪ませることすらせず、可能な限りの殺気を叩きつけながら睨みつけている私を氷のような冷たい瞳で一瞥すると、
「――――すまない、ウェザー。私の力不足だったようだ」
――――直ぐに目を逸らし、私の『背後』……私が先程突き破って落ちてきた穴の方に目を向け声をかけた。
「――――いいえ。彼女の力を見誤った私にも責任がありますから」
「……!」
……何をしているのか、と思った直後。返ってくるはずのない返事が私の背後から響いてきて戦慄する。
振り返ることなくハイパーセンサーで背後を確認すると――――『影』が私たちを見下ろすように立っていた。どういう現象なのか、まるで人一人が収まる程度の空間にまるで光が侵入することを拒んでいるように不自然に闇が差し、帳のようにそこにいると思われる人間の姿を隠しているのだ。声からすると、恐らく女のようだが――――その異様な力の割には、感じる気は下手をすると一般人にも劣るのではないかと思うくらい弱々しいが、私のあらゆる感覚がこの目の前の敵に対して警鐘を鳴らして止まない。
何よりも、こうして相対しているだけで漂ってくる雰囲気がどこか母に似ているのが、一層私の不快感を助長させる……なんだこれは、こんな卑劣な真似をしてくる敵に対してどうして私は……一片の敵意も感じ取ることが出来ないんだ?
「織斑千冬さん、ですね。私の手紙を読んでいただけたようでとても嬉しいです。それも、こうして会いに来ていただけるなんて」
「……貴様のことなどどうでもいい。私は一夏を引き取りに来ただけだ」
「ああ、そうでしたね。では、こちらに来ていただけませんか?」
「言われなくともこれか、ら……!?」
最早今組み敷いている敵は片腕を喪失し私と戦えるような状況ではないと判断、新しく現れた今回の首謀者と思わしき怪しい影の元に行こうとして……違和感に気が付く。体が、『前に行かない』……?
「……! これは、単一仕様能力か……!?」
「……来てくださらないのですね。悲しいです。とても悲しいですから、私は貴女にも悲しんでほしいと思います」
「何を言って……!」
それでも何とか私の敵の元へたどり着こうと必死に体を動かそうとする中、敵が闇の中で何か、手を動かすような動作をしたのが見え、
――――!
まるでそれが何かの合図だったかのように、この場所の窓から見えるところにある廃ビルの一つから猛烈な爆音と火の手が上がり始めた。
何が起きているのかわからない。しかし、何か無性に嫌な予感がした。
「少し、惜しかったですね千冬さん。ここは貴女の弟君の監禁場所ではありません。さて、もう貴女ならおわかりでしょう、そこがどこなのか」
「ま、さ、か……」
「ええ。たった今爆破させて頂きました。貴女今まで後生大事にしてきた少年は、たった今壊れました。どうですか、悲しいですか?」
「キサマ……!」
どこまでも穏やかな、優しい口調で破滅を告げた敵の言葉に視界が真っ赤になった。この『敵』だけは生かしておかない。その想いで満たされ雪平を握りしめて前に出ようとするもやはり動けない。
「何をしている桜火……! スラスターを作動させろ!」
『……不許可。前方より、此方の実質量数千倍に相当する斥力を感知。防御が限界、無理すれば、千冬の体、先、潰れる』
「構うものか……! 奴だけは、奴だけはァ……!」
『千冬……』
「があアアアァァァァァ!!」
桜火の一瞬の逡巡のような間の後、スラスターに火が灯った。同時に前方の見えない壁のような力に押し付けられ、全身を押しつぶされるような苦痛に装甲が砕けていく音を聞きながら獣のような咆哮をあげる。
「おやおや……これで折れてくれば楽だったというのに。パスカル、役目を果たしてください」
「……ああ」
「……!」
気づけば、先程まで倒れていたもう一人の黒いISの女がISを再展開して立ち上がっていた。そして動けない私に向けて潰れていない方の腕を伸ばして迫ってくる。
……万事休す。そんな言葉が一瞬頭を過り、次に浮かんだのが、篠ノ之の道場で一人寂しそうに剣を振っている一夏の姿だった。
――――そうだ、私はまだ諦めない。もう手遅れだとしても、あいつを一人で死なせるものか!
『これ、は……!』
致命傷さえ避ければいい、仮に心臓が潰れても一夏の元に辿り着くまでは生きていられると黒い影のように迫ってくる敵の手を動けないまま睨みつけていた、その時だった。
粉々になり散らばった、暮桜の装甲や外装……いや、それどころかまだ残っている私のISの外装も一斉に光を放ち、やがて桜の花びらのようにさらに細かい光となって周囲に散り、その場に満ち始めた。この身に覚えのある桜色の光の中、その色に塗り潰されるように、私の視界が『裏返った』。
夕闇に染まる桜並木道……かつて愚かだった私が、止めてしまった足を再び動かすきっかけになった場所。
いつの間にか今はもうない、思い出の場所に立っていた私は、背後に気配を感じとっさに振り返ろうとしてやめる。『前に』ここを訪れた時のことを思い出したからだ。代わりに手元に雪平を手繰り寄せて抜刀、背後の気配に向けて後ろ向きのまま突き立てる。
白刃が私の首元に突きつけられたのは、それとほぼ同時。初めて向かい合った時と全く同じように、私たちは背中合わせのまま互いの命を握り合う。
「学ばない女だ。前にも警告したぞ、
「フン。前と変わらず、よほど自分の貌を見られなくないと見える。余程醜いのか?」
「莫迦が。逆だ……顔を突き合わせれば嫌でも貴様の醜い顔を見る羽目になるではないか。人間は総じて醜いが貴様はその中でもとびきりだ。全く、折角貴様のような醜女が『騎士』の剣を最初に賜る栄誉を授かったのだ。むざむざ棒に振って吾のような半端者と組むとは、いよいよ以って救いようがない」
……相変わらずの減らず口だ。そんなに見るのも見られるのも厭うのならばこんな呼び出すような真似をするなと言いたいが、恐らくそうもいかないのだろう。前に『ここ』にきた時、ほんの少しだけ、その後姿を見た……艶やかな黒髪と黒い着物を纏った女の姿をした『鬼』は、私が振り返る気がないのを悟って少し気を抜いたのか剣を鞘に納めて一歩私から間を取る。
「あれは『束の夢』だ。私如きが託されるには些か重過ぎる……それに、私に正道は似合わん。お前のような天邪鬼の方が性にあっている」
「ふざけるな。吾は御免だと言っている……チッ。だが吾にここまでさせておいてあの貴様以上に腐れた臭いのする奴等にむざむざ殺されるのも許さん。『仕方がないから』、しばらくは好きに使うがいい」
そしてそれだけ言って、手にした刀をこちらに投げて寄越す。宙をゆっくりと回りながら落ちてくるそれを振り返らないまま空いた左手で受け取ると、手の中の刀は桜の花と散って雪平の中に溶けていく。
「――――恩に着る。『暮桜』」
「煩い。用は終わりだ、とっとと出て行け」
心底から煩わしそうな暮桜の声と共に桜吹雪が吹き荒れ始め、周囲の景色を覆い始めた。桜色に包まれていく視界の中、黒髪の鬼は最後まで振り返ることなく、夕闇に沈む桜を眺めていた。
元々長い時間取り込まれていたわけではないが、自身のISと同調していた時間は自身の体感よりも遥かに短い。恐らくはほんの一秒にも満たない時間で、私は現実に帰還する。
「なに……?」
黒いISの敵は正体が掴めない謎の現象によって姿を変えたこちらのISを警戒したのか、とっさに突き出した腕を引っ込め後ろに下がる。
「ふふふ……搭乗者の危機と想いにISが応えましたか。なかなかままならないものです。これもまた、私の運命なのでしょうね」
一方の影の敵はまったく揺らいだ様子もなく静かに、どこか嬉しそうに呟きを漏らす。だが、余裕でいられるのも今だけだ。今自分に何が起きているのかはわからないが、装甲こそなくなったものの先程までとは比べ物にならない程の高まりを感じる……いや、これは元々のISが持っていた力。それが解き放たれ、同時にそれが完成するまでは護る殻のような役割を負っていた表面上の『IS』としての部分が今、剥がれ落ちたのだと今知った。
――――皮肉なものだ。私と束の夢も、勝利ももう捨ててしまおうと決めたこの時になって、花を咲かせるとはな。
『――――『
桜火の感慨深そうな声とともに、先程までかかっていた体を押し潰すような負荷も消え去る。結局束の言う『声』を一度も聞くことなく、暮桜は完全に私のものとなった。
「さて……覚悟はいいか、貴様」
「随分と強気なことで。目覚めたばかりのその力、貴女に扱いきれますか?」
「愚問だな」
敵の攻撃は相変わらず『見えないが』、私の勘は仕掛け時を間違えず、暮桜も自然に私の意志に答えた。桜色の光を伴った零落白夜の斬撃は、敵が私に掛けようとしてくる負荷を跡形もなく消し飛ばしていく。
「――――生まれ持った『手足』を自由に扱えない人間が、赤子以外にいるものか」
「……成程、確かに。ですがその『手足』の動きですら、学習によって培われていくものです。まだ精錬されていない貴女の力は、私にはまさに赤子のそれに見えます」
「っ……!」
『……千冬!』
――――消し飛ばした、筈だった。しかし雪平を振り終えた腕全体に急遽激痛が走り、ギリギリで雪平を落としてしまうことこそなかったものの、急に腕が鉛のように重くなる感覚から私は肩が外れたのを直感した。
ほぼ前の攻撃から間髪を容れずに次を仕掛けられた。今の暮桜の力を以ってして、防御はおろか視認すら出来ない。何だこの力は……!
だが、私のISの力ももう目覚めたと同時にどのようなものかわかっている。そのまま急に重くなり皮ごとちぎれそうになる腕に左手を添え、無理矢理骨を繋げた後に零落白夜を突き立てると、案の定私の腕を襲っていた鉛の塊が巻きつき縛り付けるような感覚が消える。
「おや? ……一度対象を捉えた私の『
……予想はしていたが、やはり敵も条件は同じということか。いや、奴の言うとおり目覚めたのが遅かった分だけ私に分が悪い。私よりも先に第三形態移行を成し遂げた者がいたこと自体信じがたいが、ここまでの力を見せられては認めるほかはないだろう……先を越されたことに思うことこそあれ、ただそうなった事実を知っただけなのなら自分の研鑽が足りなかっただけだと受け入れることはできた。だが奴は……何故これほどの力を持ちながら、道を違えてしまったのか……!
「無理をするなウェザー。体のこともある、それに君のISの力は代償が大きい。今君を失えば私たちに先はなくなる」
「いいえ。例え今私が力を使い果たしてここで干乾びたとしても、『私たち』の先は消え失せはしません。先はもう、決まっているのですのですから」
二機のISが私を屠るべく動き始める。第三形態ISに、やはり得体の知れない力を持つISの二機が相手……この世界で戦い始めてから一度も経験したことのないほどの窮地だが、諦める気はない。必ず弟に手を出した報いを受けさせ――――
『ちーちゃん! ……いっくんが! 早く、早く来て!!』
「……!」
ここで敵を纏めて屠るべく雪平を握りしめたその時だった。不意にプライベートチャンネルから響いた束の声、それに気を取られた時間はわずかだったものこの敵の前では余りにも致命的だった。
黒いISの敵が漆黒の翼を広げるのと同時に世界が凍りついた。ISの護りにより私自身に大きなダメージはなかったが、足元が凍結したことによる一瞬の足止めによって殴りつけるように上から放たれた影の敵の不可視の力への対応が遅れる。
「ご、ぶっ……!」
やはり防ぎきれない。体が内側から弾け飛ぶような激痛とともに体中の骨が砕けていく音が聞こえ一瞬気が遠くなる。
だが、まだ一夏に会えるかもしれないという希望が私を突き動かした。血の塊を吐き出しながらいくら零落白夜で斬っても立て続けに叩きつけられる『圧』を振り払い、建物の外壁を突き破って必死に逃げた。
「嗚呼……なんと雄々しい。希望を捨てず生きようとする人の意志はやはり美しいものです……しかし失態ですね、パスカル。首尾はどうなっていたのですか?」
「最早申し開きのしようもないな……『レイス』が役目を放棄した。兆候はあったが放置した私の責任だ。一応は万一に備えて後詰にエムを配置しておいたのだが」
「滞りはない、と。なら構いません。うふふ……良いではないですか。既に血と泪の雨は流れとなり、運命の環を廻し始めました。私は愉快でなりません。ですが彼女にこの先を見せるのは些か酷というものでしょう。必ず殺しなさい」
「……わかっている」
逃げ際に背後に敵の声を聞いた。
この時私が最後に聞いた、黒い翼のISの敵に私の抹殺を命じた影の敵の声は、結局最後まで感情が揺れることなく。
寧ろ私のことをどこか思いやるような、どこまでも凪のように穏やかで慈愛に満ちたもののままだった。
懸念した黒い翼のISの追撃は、幸いなことに一度きりで終わった。
『レイスが……そうか。死体の回収は必要ないと伝えろ。そちらには篠ノ之束がいる筈だ、撤退を急げ……私はウェザーのように甘くはないぞ。精々苦しめ、織斑千冬』
再びあの何処からともなく急に現れる力を用いて私の死角からの一撃を狙ってきた敵は、直前で唐突に何かを憎々しげに呟くと、まるで最初から何もなかったかのように姿を消しそれ以降現れなくなった。
「束! 一夏……!」
それでも安心などとてもできなかった。先回りされたのか。奴の口にした『死体』とはいったい誰のものなのか。そう思うだけで気が気でなかった。
だから既に瓦礫の山と化した一夏の監禁場所に辿り着き、そこで束の姿を確認して、漸く少し安堵した。
だが――――
「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ、ちーちゃん……!」
身も蓋もなく、泣きじゃくりながら何故か謝ってくる束と……その前に倒れている、自らのものと思われる血に塗れ目を閉じてピクリとも動かない一夏を見て、先程の絶対零度の空気を当てられた時さえ感じなかった、全身の血が凍るような感覚が私を襲った。
「一夏っ……!」
すぐさま駆け寄り、何より大事な弟を抱き起す。その体は冷たくなっていたが……その口から洩れる僅かな呼気と、触れた手から伝わる弱々しいが確かな鼓動が、最早闇に閉ざされたと思われた私の先に、僅かな光を差し込んでくれた。
「大丈夫だ束……まだ、間に合う。一夏! おい、一夏! ……絶対に諦めるな、私が必ず助ける!」
そこから先は……ただただ、必死だった。緊急時のために教えられていた地元の国立病院に一夏を担ぎ込み、どんな代償でも払うからと頼み込んで、一夏を預けて。
「意識を取り戻すまでは経過を見なければなりませんが、峠は越えました……初期対応があと少し遅れていたら手遅れだったと思います」
処置を終えて手術室から出てきた穏やかそうな医師のその言葉を聞くまでは、いつの間にかいなくなったあの場で協力してくれたはずの束のことすら忘れていたくらいに。
そして……自分自身のことさえも。
「織斑さん……? どうしたんです、織斑千冬さん……!? ……こ、これ、は……! この人はこの状態で今までどうして動けていたんだ……!? おい、誰か! 担架を持ってきてくれ、大至急だ!!」
一夏の無事を聞いた途端、全身の力が抜けるような感覚とともに立ち上がれなくなった。あの第三形態機と思われる影の敵から受けたダメージが、その時になって響いてきたのだ。我ながら間抜けだった――――手足が妙な方向に曲がっていることに、この時になってから漸く気が付くとは。
「いち、か……」
近くの待合室のテレビが、モンド・グロッソにおける私の不戦敗を緊急ニュースで流しているのを何処か遠くに聞きながら、意識が遠のいていく。こうして今までずっと勝ち続けてきた私の初の敗北は、本来守るべきものすら何一つ守れないまま、最悪の形で幕を閉じることになったのだ。