IS/SLASH!   作:ダレトコ

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第百話~黒嵐、静かに迫る~

 

 

~~~~~~side「???」

 

 

 暗くて、けれど温かい、どこか。

 丁度その真ん中に、『私』はいる。けれどその、安心できる場所からは、今次第に温もりが失われていっている。

 

 何が起こっているのかわからない。

 見たくても『見る』機能がない。

 何かしたくても動かせる手足がない。

 知りたくても……考える頭がない。

 

 「ごめんなさい……ごめんなさいっ!! こんな、こんなつもりじゃ……わたし、ただ、みんなの、ために……どうしてっ……!!」

 

 ただ、誰かの泣き叫ぶ声だけが聞こえる。

 知らない声だ。いつも優しく声をかけてくれる、だいすきな声じゃない……でも、そのひとがあんまりにもかなしいこえでなくものだから、わたしもかなしくなってきて、しまって、わたしは――――

 

 上も下もわからない、その場所で、『私』はただ、どこかに向かって必死に手を伸ばそうとする。

 けれど結局、叶わなくて、『私』の意識はもう、温もりが失われすっかり冷たくなってしまったその『海』の中で途切れる。

 最期に、思うことはいつも同じ。

 

 ――――わたしは、ただ。『うまれて』きたかったんだ。

 

 

~~~~~~side「シャルロット」

 

 

 「ここ、は……」

 

 ――――気がついたら全く身に覚えのないところにいるっていう経験は、やっぱりそう何度もしたいものじゃないって改めて思う。

 

 僕はさっきまで同室のよしみでラウラと一緒に一夏を探すのを手伝う……って名目で、その実更識生徒会長の密命でもし彼が困っているようだったらこっそり助けるために動いていた。まあ……僕が何か手を貸す前に、彼は自力で一組の皆を振り切って出て行ってしまったわけだけど。

 最初実質一年では最高といわれてる実力を持ってるこの子の足止めに徹するのも援護になるかな、とは思いはしたものの、やはり教室にいたままでは状況がわからないのと、もっとわかりやすい形で得点を稼いでおきたいというちょっと邪な感情に負けてしまい、教室を出た途端に急に緑色の強い光が見えてちょっと気が遠くなって……気づいたときにはこの有様だ。一時は正直、この突然の異常事態にパニックを起こしてもおかしくないくらいに取り乱しかけた。

 

 「…………」

 

 まあ、今回は……この、今僕の腕の中で静かに涙を流してる小さな女の子が一緒だから、何とか落ち着けているけれど。

 彼女――――ラウラは、いきなり校舎に走った緑色のノイズによって、この今までのIS学園に似ているようで違う場所に二人だけで隔離されてしまった際に、どういうわけかいきなり倒れてしまった。

 その時は大いに慌てたものだけれども、ISを少し部分展開してバイタルを確認しても異常はなく、本当に気を失っているだけだとわかって安心した……原因は多分、未だ彼女の足元で時折脈動するかのように定期的に赤い光を放っているISの待機形態(アンクレット)だろう。

 一見不気味にも見えるその状態だが、僕は不思議と嫌な感じがしなかった……彼女のISの光に呼応するように優しく白く光っている僕のISの待機形態(ネックレス)のせいだろうか。この特異な空間に来てから、僕も時折今腕の中にいる彼女を守らなければいけない、という理由のない強迫観念のようなものに強く駆られる瞬間がある。この状況に因るものもあるかもしれないが、僕も気を失ってしまったラウラ程ではないものの、ISの自意識との共鳴現象によって心理に影響を及ぼされていることは意識しだしている。この空間は多分、ISとの『それ』を引き起こしやすくする効果があるものなんだろう。どういうわけかISも一部の部分展開以上は出来なくなっており、ISの完全展開自体を封じる作用も併せ持っているらしい。

 

 ……と、なると、他の専用機持ちの皆も心配になる。ISの自意識が搭乗者に害を与える、なんてことは今まで聞いたこともないしそれはないにしたって、ラウラみたいにいきなり気を失って何処かで動けなくなってしまってるかもしれない。

 それに……この空間を展開したのが誰なのかも気になる。更識さんの話は聞いていたけれど、こんなものを使うなんてことは全く聞いていないし、サプライズの悪戯でやることにしても少し度が過ぎているように思う。何か、学園祭外で予定外のことでもあったのか……

 

 「んぅ……」

 

 「あ……」

 

 そんな風に考え事をしているうちに、ラウラが気がついたみたいだ。微かに声が漏れて、それを聞いて何故か、思わず気が抜けてへたりこんでしまいそうになるくらい安心した。

 

 「……シャル、ロット……?」

 

 「うん、僕だよ……大丈夫? ラウラ。体に問題がないのは確認したけど、意識の方になにか違和感が残ってたりしない?」

 

 「意識……? わた、し、の……?」

 

 「……ラウラ!?」

 

 でもそんな安心も束の間、僕の言葉を受けて急に肩を抱いて震えだしたラウラを見て、再び不安が再燃しだす。

 

 「ね、ねぇラウラ!? 平気なの!?」

 

 「だ、大丈夫……だと、思う。何か……懐かしいような、それでいて、酷く悲しいような、そんな……そんな夢を、見ていた、気がする。真っ暗で、冷たい場所にいて、出れなくて……あれは、一体……?」

 

 「……きっとISの自意識との共鳴で、本当なら忘れてるような……昔の記憶とかを見たのかもね。ほら、昔まだISが有名じゃなかった時、噂が流れてたじゃない? ISはタイムマシンじゃないか、って。その噂の正体って、これのことかもしれないね」

 

 「私の、記憶……? あれ、が……」

 

 見てられずに抱きしめてあげると、程なくして震えは止まったものの相変わらず心ここにあらずといった様子のラウラ。

 出来ればまだ傍にいてあげたいけれど……皆のことが心配だし、なにより彼女が悪いわけじゃないけど、どうにも彼女と一緒にいることで僕もISの自意識との共鳴が強くなっているような、そんな気がしてる。

 それによって掻き立てられ、湧き上がってくる感情は、特に不快になるようなものじゃない、けど……自分の『心』が、そんな意図しないもの塗り替えられているかもしれないという可能性はそれだけで色々と不安を禁じえないものだ。いっそISを外してしまおうとも思うけれど……何が起こるかわからない今の状況で安易に武装を解除してしまうのも不味い。なら、せめてもの抵抗としてラウラから離れた方がいいのかもしれない。彼女にも似たようなことが起こっていて、また気を失われるようなことになっても困る。

 

 「ごめん、ラウラ……君が混乱してるのはわかるけど、それは僕も同じなんだ。皆、いなくなっちゃって、気づいたらここにいるのは僕たちだけで……でもずっとこのままってわけにもいかないから、僕はとにかく先生を探してみるつもりだよ。この状況について何か知ってるかもしれないし……だから少しの間、ここで待っていてくれるかな?」

 

 そう思って、そんな口実をとっさに引っ張り出しながらラウラから離れようとしたが……とっさに制服の裾を掴まれてしまい、目論見は早くも失敗に終わる。

 

 「ラウラ……」

 

 「……すまん、シャルロット。お前の言っていることはわかるし、私もそうすべきだって、わかってる。わかって、るけど……もう少し、もう少しだけでいいから、一緒に……」

 

 「…………」

 

 ……彼女が、ISの自意識に何を見せられたのかは、僕にはわからないけれど。

 僕の覚えている限りでは、その一見幼い外見に対してちょっと冷たい印象を持った少女。しばらくぶりにIS学園に帰ってきてからも、何があったのかは知らないけれど、一夏の前や意外と少なくない弱点を突かれると外見相応の反応を見せたりするようになることもあるけれど、それでも普段は当初の印象通りの『強さ』を取り繕える子だった。

 そんな子が、まるで自分の中に湧いた感情を持て余して、どうしたらいいかわからないといった表情で怯えきり、その小さな体をますます小さくして震えている。そんなところを見て、いかにそれが自分にとっても不味い事態を招く可能性があるかもしれないとはいえ、放っておくことなんて、できるわけがなかった。

 

 「……うん、こっちこそごめん。ちょっと、僕も慌てちゃってたかも。大丈夫だよ、君が落ち着くまでは、こうしていてあげる。どこにも、行ったりしないよ」

 

 「ごめん……ごめん、なさい」

 

 「謝らなくていいって……はは、そっか。あの時、一夏が言ってたのはこういうことだったんだ。確かに、身に覚えのないことで謝られてもこっちは困ってしまうものだね」

 

 ラウラの言葉に、ふとあの、何もかも暴かれて自暴自棄になったとき、全部受け止めて笑ってくれた男の子と二人で星を見た日のことを思い出す。

 あの時の、僕にとっての彼に。今、腕の中で震える彼女にとってのそれに、僕は少しでもなれているだろうか。もし、そうなら嬉しいな。

 

 ――――ふふ。そんなに心配しなくたって、ここにいますよ。ほら、今も……

 

 「っ……!」

 

 一瞬。全く見覚えのない景色と声が頭を過る。誰か、知らない『誰か』の視線のまま、僕の右手が『何か』に触れようと手を伸ばして、そこに触れる前に何もかもが元に戻る。

 

 ……きっと、今僕も自分のISの『こころ』に触れた。それが何を意味するのか、今はわからない。けれど。

 何の確証もないけどこの子も、少なくともこの場でラウラを守ろうとする意思は間違ってないって、そう言ってくれた気がした。

 

 

 

 

 「本当に誰もいないね……」

 

 「一度校舎から出てみるか? この場所からはもう人の気配を感じない」

 

 「う~ん……それがいいかもね。って、そのワイヤーみたいなの何!? ダメだって、出る時はちゃんと昇降口からだよ! 下に降りよう!」

 

 あれから少し経って、何とかラウラは持ち直した……とはいえ、まだ完璧ってわけにはいかないのか足取りが酷くフラフラして危なっかしいので、まだ手を繋いだままだけれど。一見小さくて可愛らしい手は、いざ触れてみると掌の部分の皮がびっくりするくらい分厚くて固く、肉刺が潰れた後と思わしきゴツゴツがいくつもある。握る力も結構強くて、最近はつい忘れがちになるけど、ちゃんと訓練を受けてる軍人さんだってことを改めて意識させられる手だ。

 

 そんな彼女の手を引きながら、兎に角この校舎から脱出すべく下の階を目指す。携帯電話やISによる通信も沈黙したままだ、状況を確認するにも誰かに助けを求めるにも、今は足を使うしかない。

 けれど、それもいざ下へと降りる階段に差し掛かったところで阻まれた。

 

 「――――『候補』のうち、罠に掛かったのは二人……いざ見に来てみれば、よりにもよって君たちとはな……『彼女』に言わせれば、これも運命の導き、なのだろうな」

 

 ――――今まで誰もいなかった筈の背後から、突然投げかけられた声によって。

 

 「……!」

 

 とっさに振り返る……が、そこにいたのは僕にとっては思いがけない人物で、思わず一瞬思考が止まる。

 黒い瞳が覗く目を右側だけ固く閉じた、上から下まで黒ずくめのロングコートの女性……その鳶色の髪は僕が知っている頃のものより大分伸び、身長も高くなって雰囲気も大人びているが、彼女は、まさか……

 

 「誰だっ……!」

 

 固まってしまった僕に代わって、見覚えのない女性相手にラウラが僕を守るように前に出てくれる。

 対する女性は、そんなラウラを興味なさげに一瞥し、すぐに壁に腕を組んで寄りかかった体勢のまま視線を落とした。

 

 「そのように警戒する必要はない。君たちに直接用件があるわけではないからな……しかし、久しぶりだな。シャルロット」

 

 「……イブ、さん」

 

 名前を呼ばれたことで、確信を得る。それで思わず彼女の名前を口にすると、彼女はその無表情に、僅かに物憂げな感情を浮かべた。

 

 「……もう、私をその名前で呼ぶべきではないな。それは元々、イザベルの愛称を私が一時的に貰ったものだ。彼女亡き今、例えそれが名前とはいえ私が受け取るべきではない」

 

 「……シャルロット。知り合いか?」

 

 「う、うん」

 

 僕と彼女のやり取りを見ても、未だに警戒の色を解かないラウラの問いに、肯定を返す。

 ……事実、元々ものこころついた時から辺境に母と二人暮らしで、殆ど他の人に会うことがなかった生活を送っていた僕にとっては、母を除けば一番付き合いの長い女性だった。

 

 『あはは、やっぱり気になる? ……何を隠そう、あなたのお姉ちゃん!』

 

 『イザベル。子供の前でいい加減なことを言うのはやめろ。彼女が本気にしたら困るのはお互い同じはずだろう』

 

 一度彼女とどういう関係なのか母に尋ねたら、母は冗談めかしてそう答えていたっけ。

 その時イブさんはすぐにそう否定していたけれど……実際姉のようには思ってた。当時はきっと今の僕より少し下くらいの年齢だっただろうに働いていたみたいで、あまり家に顔を出すことはなかったけれど、その代わりにくる度に色んな食べ物やお菓子を持ってきてくれて来るのをいつも楽しみにしてたし、

 

 『イザベル……! 何故彼女にこんなものを見せた? 君は彼女をどうしたい! 親としてあまりに無責任だとは思わないのか!』

 

 『……あなたの言いたいことはわかってるつもり。でもお願い、イブ。先のことを考えたら、この子が進める道は一つでも多くしておいた方がいいと思うんだ。それが、どんなものであっても、ね』

 

 『だが……ふん。わかった、いいだろう。君が後悔しないというのであればそうしよう。一緒に来い、シャルロット』

 

 『え、でも……イブさんがいやなら、わたし……』

 

 『私の意志を、君が気にする必要はない……君の望むようにしよう。ただし、私に教わろうとは思うな。私は見せるだけ、学ぶのはあくまで君だ……あまり、こういうことには慣れていないのでな』

 

 一度、母と一緒に見たスパイ映画に感化されて自分もあの主人公みたいに戦ってみたいと駄々を捏ねたとき、銃の扱い方を教えてくれて……それ以来来る度にちょっとずつ色々と話をねだって、その度にちゃんと答えてくれた。

 その時得た知識や技術はISを扱ううえでの下地になって、お陰で僕はすぐにそれに順応できた。初めてISを扱った後の僕の実技成績を見て、いつも固い顔で僕を見ないようにしていた父が、その時になって初めて少しだけ微笑みながら褒めてくれたのは、今でも忘れてない。

 

 ……と、今までのことを振り返ればとてもお世話になった人だ。今回の思いがけない再会だって、こんな状況でさえなければ、きっと素直に喜べたくらいには。

 それを言葉にしたわけではないけれど、ラウラは僕の答えと目を見て、嘘を言っていないことはわかったらしい、少しだけ微笑みかけてくれる。けれど、それでも彼女はすぐにイブさんの方に視線を戻して、相変わらず強く警戒した様子で彼女に声をかけた。

 

 「成程、貴様がシャルロットと既知なのは理解したが……何故ここにいる? 学園関係者から学園祭の招待を受けたのか? 招待状は今も所持しているか?」

 

 「君自身悟っていることを態々聞くなど人が悪いぞ、『出来損ない』……招待を受けていたとして、こんな怪しい風体の女に入場許可が出るとでも?」

 

 「っ……!」

 

 問いに対し、イブさんは感情のない声で答える……今、彼女はラウラのことをなんて、言った?

 ……と、気になったものの、次の瞬間ラウラに向けられる昔の彼女からは信じられないくらい冷たい目に気づいてしまって、僕に向けられたわけでもないのに思わず息を飲んだ。けれどラウラは気にした様子もなく、寧ろその背中からもわかるくらい、イブさんに対する敵意を強くした。

 

 「……IS学園への違法侵入者に、この異常事態。因果関係がないと思うか、シャルロット?」

 

 そして、ラウラから今まで出来れば目を逸らしたかった事実を改めて突きつけられる。

 そんな、まさか。だって、彼女、は……

 

 「……やはり君は、彼女の尤も致命的なところを受け継いだようだ。君は人を『信じすぎる』……人によっては、それを『美点』と呼ぶだろう。だがイザベルはその美点を捨て切れなかった故に実に呆気なく私の手に掛かることになった。シャルロット、聡明な君のことだ。本当は気づいていたんだろう? 母は病死などではないと……くだらない、早く目を醒ませ。さもなくば、君も近いうちにイザベルの二の舞を踏む。今日、私は……君たちの『敵』として、ここにいるのだから」

 

 「あ……」

 

 けれど、欲しかった否定は得られず。代わりにイブさんが口にしたのはそんな言葉で。

 僕がそれを飲み込むよりも先に、ラウラが飛び出していた。

 

 「死に急ぐか、出来損ない……硝子の蜉蝣とはいえ、命には違いないだろうに」

 

 「黙れ……私のことなどどうでもいい」

 

 その突然のラウラの行動に、僕もとっさに追いかけて止めようとした。

 けれど、直後の彼女の言葉に、思わず足が止まる。

 

 「今、お前が裏切ったのは私の友達だ!」

 

 「っ……!」

 

 激昂したラウラの手刀が、イブさんの延髄を捉える。どういうわけか、彼女が最初から視界を閉じている右側からだ。

 対してイブさんは腕を組んだまま……間に合わない。ラウラは重心の移動によるインパクトの集中がとても上手い。見た目にそぐわぬ強烈な一撃は、体格に差はあれどイブさんの意識を一撃で刈り取るには余りある。

 しかし、結果はそうならず。

 

 「ぐぁ……!」

 

 「ラウラ……!」

 

 気づいた時には、飛び掛ったラウラが床に叩き落されていた。

 イブさんは組んだ腕を解いた様子すらない。彼女自身攻撃を受けたのが信じられない様子で、受身も取れずに床を転がり、僕は慌てて彼女に駆け寄る。

 

 「『この場所』に在ってその程度なのか……どうやら余程酷い教育を受けてきたらしい。ああ、その点は同情しよう『ラウラ・ボーデヴィッヒ』。篠ノ之束のあの薄汚い構想に踊らされた者たちが無責任に残した、哀れな遺物。君のその醜態は、あの計画がいかに無意味だったかを証明している」

 

 「お前、に……私の、なにが……!」

 

 「知っているさ。恐らく君が知っている以上のことを、私は知っているとも……だからこそ言おう。いつまで見えない『振り』をしている?」

 

 「……!!?」

 

 ラウラを抱き起こす……幸い、怪我はないようだ。

 けれど、それを確認した直後に発せられたイブさんの言葉を受けて、彼女は強い衝撃を受けたように右目を見開き――――

 

 「っ……!」

 

 「え……!?」

 

 今まで。寮で相部屋の僕にさえ一度も見せてこなかった左目。それにつけられた眼帯を、震える手で引きちぎるように外した。

 

 「わぁ……」

 

 綺麗……今まで見たことのない、彼女の左目。それを目にした時、一番最初に感じたのは、ただそれだけだ。

 現実では在り得ない、輝くような金色の瞳。彼女自身はもう光が戻ることはないと諦めた様子で話していたが、そんなことが信じられないくらい、強い光を放ちながら目の前の景色を捉えてるように見えた。

 

 「見え、る……? わたし、目が……」

 

 いや、実際に見えて、いるようだ。まさか、さっきまで妙に歩く時に距離感がつかめないようにフラフラしてたのは……

 実際、その事実に他ならぬラウラが一番戸惑っているかのように、キョロキョロと周囲を見渡し、

 

 「あっ、づっぅ……!!!」

 

 「ら、ラウラ……!?」

 

 直後、急に頭を押さえて苦しみだした。それでもラウラは駆け寄ろうとする僕を一瞥して遠ざけ、必死な形相でイブさんの方を睨みつける。

 

 「き、さま……! 私に、何をした……!」

 

 「何もしていない。ただ、気づかせてやっただけだ……シャルロットが現実を知っていながらも事実から目を逸らし続けたように、君にも今まで見ようとしていなかった現実があることをな」

 

 「なに、を……!」

 

 「その目から見えるのは、周囲の風景だけではあるまい。その『理解できない』情報の氾濫は、慣れない内は今君が感じているような激しい頭痛を伴う……少しでも考えたことはあるか? 今までの演習で常にトップの成績を収めてきた君が、手術が失敗し片目を失明した『程度』のことで出来損ないの烙印を押された『理由』……目を逸らし続けていたんじゃないか? 他でもない君自身が、心の底では誰よりも理解出来ていた故に。その後ろめたさから、そうなった後も必死になって努力を積んだのだろう? 自分の存在は間違いなく『出来損ない』でも、せめて『無価値』ではないと示すために」

 

 「ち、違う……! そんな、こと、は……」

 

 「君は最初から、『その目』を適合させるために生み出された素体であるにも拘らず……君自身が、その過程で生じる『痛み』を拒絶してしまった故に、当然のように君の一部になるはずだった『目』まで一緒に無意識のうちに受け入れられずにいた。最初から手術は失敗などしていない。にも拘らず見えるはずの目を『見えない』等といつまでも抜かし続ける素体を、『出来損ない』と呼ばずしてなんと呼ぶ?」

 

 「だ、黙れ……! 関係者でもない貴様に何がわかる……! それしか存在意義がなかった、それだけが全てだった私が、たかがこれしきの痛み如きで、『強さ』を手放した等、そんな、筈は……!」

 

 「……さて、な。『今』のことは、正直なところ私にもわからない。今の君のことを、私はよく知らないからな。たった今その目を解放しても激しい頭痛程度で正気を保てている君なら、もしかすると耐え得たのかもしれない。だが……これは確信を持って言える。『過去』の君は、間違いなく一度、その痛みに屈している。そうでないなら、今こんなに情けない姿を晒しているはずがない」

 

 「っ……! 黙れっ……!!」

 

 「だ、ダメだ! ラウラっ!!」

 

 激昂して再びイブさんに踊りかかろうとするラウラを止めようとする……けれど、叶わない。

 それくらい、下手をすれば視認できないくらいの速さで、ラウラは既に踏み込んでいた。校舎が一時遅れて、彼女が踏み込んだ時の衝撃で揺れ、彼女の目が放つ光が金色の軌跡を残しながらラウラを追いかけていく。

 ISを展開しているかのような、いや、仮にISを展開していてもかくやという動き。これがあの『目』が与えてくれる力なら、仮にISを展開すればどれほどスペックが向上するんだろう。

 

 しかし、そんな凄まじいラウラの突進も、

 

 「遅い」

 

 「があぁ……!!」

 

 イブさんの突き出した右腕にあっさりと受け止められた挙句、そのまま位置を入れ替えるようにして、ラウラが今まで彼女が寄りかかっていた壁に叩きつけられる。

 ラウラは必死に抵抗して抜け出そうとしているけれど、首元を完全に押さえつけられており抜け出せない……ダメだ、イブさんと戦いたくはないけれど、これ以上は見ていられない……!

 

 「イブさん……! ラウラを離してください!」

 

 「…………」

 

 ISを部分展開。小型化した今の愛機の搭載武器、アサルトライフル『シャンタージュ』をイブさんに向けながら警告を発する。

 けれど彼女はつまらなさげにこちらを一瞥するだけで、すぐにラウラに向き直ってしまう。

 

 「イブさんっ……!」

 

 「……私は昔君に言った筈だ。武器は見せびらかすものではない、『迷うくらいなら撃て』と。その程度のことも実践できない君にそんな玩具を向けられたところで一片の脅威も感じない。そうして何も出来ないまま立っていればいい。私は今、彼女と話している」

 

 「っ……!」

 

 完全に殺意がないことを見切られていることに、思わず歯噛みする。

 当たり前だ。いかに今敵対関係であるにしたって、かつての恩人を撃てる訳がない……そのまま拘泥する僕を尻目に、イブさんは再び、きっとラウラにとっては聞きたくないであろう言葉を口にし始めてしまう。

 

 「さて……君は先程言ったな。『関係者でもない貴様に何がわかる』、と……わかるとも。君はその目を手にする時、説明を受けたはずだ。『絶対に成功する』と。その自信の根拠はなんだ? ……簡単な話だ。『越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)』にはその前身になったテストケースがあり、そちらは確かな結果を出していた……君の祖国が虎の子としていた、『プランA』の最先端無機代替生体技術をふんだんに盛り込んだ兵士で構成した特殊部隊が、それを相手にして全滅するという、わかりやすく確かな成果だ」

 

 「……っ!!」

 

 イブさんのその一言で、抵抗していたラウラの動きが引き攣るように突然止まった。

 そしてその色の違う双眸で、信じられないものを見るように目の前のイブさんを見る。

 

 「ま、まさか……まさか、貴様……!!」

 

 「『私達』に敗れた君の祖国は、取引を申し出てきた。そのときにこちらから差し出したものが、『君の目』を生み出したというわけだ。結果は……この様のようだが。まあ、上手くいかないだろうとは思ってはいたがな」

 

 「あっ……」

 

 「……この『血戦の瞳』は、『天災』の破れた夢の一欠けらに過ぎない。君の祖国の研究者は勘違いをしたようだが、最初から後発のIS等とは何の因果関係も持たない代物だ。ISとのリンクを前提に作られた君の『目』とは、根本的な規格からして違う」

 

 イブさんが、今までずっと閉じていた右目を開いた。

 ……そこには血の色彩を思わせる、鮮やかなようでほの暗い真紅の瞳が光っていた。ラウラはその瞳が放つ光に魅入られてしまったかのように、最早完全に動けずにいる。

 

 「……嘘、だ。私達の部隊は……『シュヴァルツェア・ハーゼ』は、お前たちを、倒したと……」

 

 「それも全くの嘘ではない。私たちが例の部隊を殲滅した丁度その日、君の国が進めていた愚かな計画の被検体として協力していて難を逃れた隊員が一人いてな。私たちが取引を終えてドイツを去ろうとしたその日に、その女の襲撃を受けた……女は愚かにも死んだ他の隊員たちの全ての特殊兵装を無理矢理自分の体に結合させて最早人とも思えぬ異形と化していたが、これが中々に厄介でな、こちらにも相応の犠牲が出た。だが、私達は滅びなかった。その証明はたった今済ませただろう」

 

 「くっ……!」

 

 「私を殺したいか? ……だろうな。最早形骸化しただろうとはいえ、元はといえば君たちの部隊はそのために作られたのだから。だが、今は諦めることだ。いかにその目が解放されようが、『今の』君ではそれは叶わない」

 

 イブさんはそこまで言うと、ラウラを押さえつけていた手をあっさりと離した。

 解放されたラウラはその場にへたり込んでしまい、彼女が隠し持っていたと思われるワイヤーの射出機が、ズタズタにされた状態で大きな音を立てながら床に落ちた。

 イブさんはそんなラウラを、相変わらず冷たい瞳で一瞥すると、すぐに興味をなくしたように僕たちに向けて背中を向ける。

 

 「ラウラッ……!」

 

 「心配はいらない。破壊したのは武装だけだ。行動に支障はない筈だ……時間が掛かるようなら、少し待つ。彼女を連れてついて来い、シャルロット」

 

 「何を……僕が、それに……」

 

 「私は強制するつもりもない。ここで何も見なかったことにして去るのなら、止めはしない……尤も事が済むまでは、ここからは出さないが。ただこの無人の校舎の隅で丸まって時間を無駄にするくらいなら、久々に少し付き合ってみないか?」

 

 「……あなたは、自分自身を僕たちの敵だと言ったよ。イブさんは、『敵』と一緒に何をする気なの?」

 

 「その表現は、あくまで『君たちの立場から私を見た場合』の話だ。私からすれば、君たちの存在はそう呼ぶにすら値しない。脅威とするには無力に過ぎ、敵とするにはあまりに無知すぎる……これから君たちには判断するための材料を与えるつもりだ。せめて立場としてだけでも私の『敵』になるかどうかは、その後で君たち自身が決めるといい」

 

 「……そういうところ、相変わらずなんだね」

 

 そうだった。彼女はいつもそうだ。彼女はいつも僕にとって大事なことは、絶対に僕自身に『選ばせた』。色々判断するための材料は与えてくれるけど、最後の一押しをしてくれなかった。

 ……だから例え、僕の決断が結果的に見れば間違っていることだったとしても止めない。この場合は……どう、なんだろう。

 

 「その気があるなら、来るといい……私も全てを知っているわけではないが、今君たちが立っている世界の、『真実』の一端を見せてやる」

 

 僕が悩んでいる間に、イブさんは歩き始めてしまう。

 ……少なくとも、現状彼女から表立った敵意は感じない。彼女の性格を考えても、嘘を言っているようにも思えない。彼女がここに何をしにきたのかもわからない以上、目を離してしまうのも不味い気がするし、もう少しだけでも話を聞いてみるべきだと思い始めた。

 

 「ラウラ、立てる?」

 

 「くぅ……シャルロット、すまない……私、は……」

 

 「ちょっと短い間に色々ありすぎたもん。混乱しちゃうのは仕方ないよ……頭、まだ痛い?」

 

 「左目を閉じていてば多少は和らぐ、が……戦闘行為は厳しいと言わざるを得ない。先程から身を起こしても立っている感覚がない。レーゲンも、先程からずっと呼びかけてるのに応えてくれない」

 

 「それって重症だよ! ……それにISが展開できないのは君も、か。困ったな。僕はイブさんを追ってみるけど、君はここで休んでいるかい?」

 

 「……! ダメだ、それはいけない! お前は知らないのかもしれないが、あの、女は……!」

 

 「ラウラがあの人について何を知っているのは知らないよ。けど……それが良くないことだろうってことくらいはわかる。でも、僕はそれでも知らなくちゃいけないと思うんだ」

 

 「……何故?」

 

 「……家族だったから、かな?」

 

 「…………」

 

 我ながら、ちょっと疑問詞がついてしまうくらいには曖昧な答えだったと思うけど、何かその言葉に思うところでもあったのか、ラウラは頭の中で何かを反芻するように両目を閉じて少し考えるような仕草をすると、

 

 「……わかった。だが、私も連れて行け。いざという時の壁くらいにはなれるかもしれないからな」

 

 少し冗談めかすように微笑みながら、そう言ってくれた……さっき反対してくれたのも、僕を心配してくれてのことだってわかるだけに、この小さな友人が今この場にいてくれることを心から頼もしく、嬉しく思う。

 

 「絶対そんなことはさせないけどね」

 

 「ふん、そう願いたいな……済まないが、肩を借りてもいいだろうか?」

 

 「なんだったら負ぶっていってあげようか?」

 

 「不要だ! 子ども扱いするな!!」

 

 「あはは」

 

 ともあれ、方針は決まった……軽口を叩き合った後、言った通りこちらが遅れてもついてこれるくらい、ゆっくりとした歩みで先を歩くイブさんの後を二人で追う。

 

 ――――大丈夫。初めてここにきた、本当にひとりぼっちだった頃ならまだしも、今は心から一緒にいたい大事な人たちがいるから、この先にどんなことが待っていても……イブさんが語る『真実』というものがどんなものでも、きっと受け入れられる。

 ……この時までは、そんふうに思ってた。思って、いたんだ。

 

 

 




 イブさんの今の名前の原案は『ミリバール』だったんですけどちょっと語呂がよくないかなぁとなって今のになりました。

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