翌朝、何故だか一路はすっきりと目が覚めた。
とても、自然に。
朝日が昇れば目が覚めるといった自然の摂理を示すが如く。
その証拠としてはなんだが、本来起きる時間にセットされた目覚ましより早く起きるくらいには。
(珍しい事もあるもんだ。)
当の本人の方が驚いたくらいだ。
どちらかといえば、その驚きは母の夢も父の夢も、そして自分を取り巻く大人達の夢も、そのどれも視なかった事の方が大きかったが。
起きるには早くはあるが、一路は自宅を発つ事にした。
二度寝という甘い誘惑を振り払う行為はかなりの重労働であったが、何かが今の彼を後押ししている。
言うまでもなくそれは昨日の出来事だ。
「魎呼さん達に感謝だ。」
今度、何か手土産でも持って行こう。
魎呼だったら、やっぱりお酒かな?などと思考しながら歩いているとすぐに身体が空腹を訴えてきたので、そのままふらりとコンビニに立ち寄る。
ちなみにこのコンビニ、23時には閉まる。
24時間営業じゃないコンビニを見たのは一路も初めてだった。
だが、それを見た一路は何故だかクスリと笑ってしまった。
コンビニで緑茶とゆで卵を一つ、そしておにぎりを3つ購入して近くの公園のベンチに腰かける。
一路自身、料理はどちらかと言えば得意な方だが、如何せん一人分だけ作るという気はしなかった。
作った物を食べてくれる人間も、褒めてくれる人間もいない、それもある。
(食費が嵩むなァ・・・。)
つい先程まで手土産を何にしようかと考えていた人物と同一とも思えないが、一路はこれでも成長期なのである。
たとえ平均身長ギリギリ周辺の数値だとしても。
そして、成長期の少年は常に空腹、ハングリーメーターは何時もえんぷちぃ。
(ん?)
おにぎりの包みを開き、早速口に頬張る一路だったが、一口食べてぴたりとその動作を止める。
視線。
それを感じたからだ。
といっても、その視線の高さは一路より遥かに低く、人間ですらなかったが。
「・・・オマエも一人なのか?あ、一匹か。」
などと話かけても、その生物、猫は答える事はない。
じっと見てくる猫に一路は少々考え、持っていたおにぎりを一欠片猫に転がす。
転々と自分の前に転がる米の塊。
その物体を目にして、一瞬ビクリと飛びのいく猫。
しかし、恐る恐る一路のおにぎりの臭いを嗅ぎ、そして元々いた位置と姿勢に戻ると、再び一路を見つめる。
「お腹空いてないの?」
答えが返ってくるわけがないと解っていても、一路は再び問いかけてしまう。
人が猫を前にした時にニャーとついつい言ってしまうのと同じ。
「の、割には・・・。」
持っているおにぎりを動かすと、猫の視線どころか顔ごと動く。
(う~ん・・・。)
十数秒のやりとりの後、一路は再び思考する。
"相手の立場に立って考える。"
人間相手にする事が全て猫に通用するとは思えないが、それでも交流を行う上での初歩中の初歩だ。
もっとも別に目の前の猫と仲良くなりたいというわけではない。
たっぷりと考えた後・・・。
「うぅ・・・。」
小さく唸った一路は、おにぎりを先程より遠い位置、しかも草むらの中へ向かって丸ごと一個を放り投げた。
放物線を描くおにぎりの図というのは、それはそれはシュールで滅多に見られない光景だろう。
おにぎり一個の犠牲は痛かったが。
おにぎりが草むらに落下する様を見届けた一人と一匹だったが、やがて一匹の方はその草むらへ向かってゆっくりと歩き出す。
「誰かから施しを受けるのを良しとしない君のプライドは凄いよ。」
恐らく、自分が一路から貰ったおにぎりを食べる姿を見せたくなかったのだろう。
食事は、生物が無防備になる状態の一つだ。
しかも、一路は初めて出会う相手。
だが草むらの中なら別だ。
「・・・僕は貰っちゃったからなぁ・・・優しい言葉。」
昨日の出来事を思い出し、自分は軟弱者なのだろうかと自問自答する。
それとこれを同列に論じるにはあまりにも違いがあるような気もしたが、あえて同列に並べるとすれば、目の前の草むらに消えていく猫よりは自分の方が軟弱者と言えなくもない。
プライド。
それは猫だろうと人間だろうと生命を脅かす可能性もある。
果たして、そこまでして守らなければならないプライドって一体なんなのだろう?
そこまで考えて、猫の行動や考えが自分の憶測でしかないという事に気づいて思考を止めた。
それよりも今はあの猫と同じように生命の危機、といっては大袈裟だが、それを回避すべきだ。
二つ目のおにぎりの包みを開けるとそれを頬張ってゆく。
こうして一路の転入初日の朝食は過ぎていくのだが・・・。
「う~ん・・・やっぱり何度シュミレートしても・・・。」
様々なケーブルが横たわり(本人のとっては)規則正しく並べられた一室。
その主以外は全て無機質に囲まれた空間で、鷲羽は頭を掻きながら一人唸っていた。
「樹雷や遙照殿とは無関係だね、コリャ。」
そんな事は見ただけで解りきっていたのだが、それでも何度となく検証を重ねてみたのだ。
(だとすると・・・。)
「異能者か・・・。」
鷲羽しかいない研究室に、鷲羽とは違う声。
その声が鷲羽が口にしようとした言葉を先回りして呟く。
「あのねェ、親しき者にも礼儀ありだよ、訪希深(トキミ)。」
突然のように降って湧いた言葉の主に対する驚きはなく、至って当然のように呆れながら言葉を返す。
「特に問題ない少年と思われるが?」
鷲羽の注意も意に介さず、姿を現さないまま声は自分の見解を述べるべく言葉を続けるだけで、それは更に鷲羽に溜め息をつかせる。
「訪希深ちゃんや・・・。」
自分が座っていた椅子の上に胡坐をかきながら、器用に椅子を移動させて適当な機材に肘をつくと身体をもたれかけさせた。
「この世界は、私もそうだけれどね。津名魅もゆっくりと、そりゃあ生命の進化と言えるくらいの長い時間をかけて見守り、少しずつ変化をもたらしたんだよ?」
自分と訪希深、津名魅は、それぞれに独自の考えを以って生命体や次元へのアプローチを行い続けてきた。
時に友として、時に敵として、時に同化して・・・。
それもこれも大きな目的、課題の為と言っていい。
「そりゃあ、この世界を見回してみれば異能者くらいいるサ。でも、強い力には必ず"反作用"が存在する。」
だから、ある意味で世界は"丸い"。
もし鷲羽が、一路を仮に異能者という見地で見たとして、それはそういう事に繋がる。
「ならば尚更、天地の傍に置いてみればいいだろう。」
確かに一理ある。
天地はまさしくこの"三姉妹"の目的を叶える存在に今のところ最も近いのだから。
いや、ほぼ確定と言ってもいい。
しかし・・・。
「天地殿の反作用は彼じゃないし、ましてや"人柱"に決まっている弟君の方でもない。」
人柱とは穏やかではないが、鷲羽が口にする次元規模の因果律とはそういうものなのである。
水面を叩けば、反動で波立つ。
強い力なら尚の事強く。
そして、ある地点で必ず起こる事象Aを強引に取り去ったとしても、因果は必ず違う地点でAを求めるか、同じ地点でA'を求める。
因果律の強制補填、或いは修正、運命、どう呼んでもいい。
勿論、それ自体を書き換えブッチ切れる者も存在するが、それこそより強力な反作用を生む。
それすらも吹き飛ばすとなると・・・。
「どうであろう?少年も宇宙に上げてみるというのは?」
「宇宙に上げて・・・どうするんだい?」
「環境の劇的変化は刺激となり、適応力という武器を以って人は・・・。」
「進化でも促すってのかい?」
それこそ膨大な年月を費やす事になるか、新たな反作用を誕生させる事になりかねない。
「もしかすれば、本質を垣間見れるやも・・・。」
そこまでいって、ぺしっと突然に鷲羽が身体を預けていた機材を叩く。
単純に訪希命の言葉を遮る為にだ。
「よしておくよ。」
「何故だ?」
研究・実験・トライアンドエラーで惑星破壊の姉が、簡単にそれを放棄する事など有り得ない。
普段ならば、相手の自由を奪って磔にしても研究・実験を押し進めるというのに。
「環境ならもうとっくに変わってるよ・・・それも劇的にね。」
だから、"そういう能力"が発現したのか・・・いや、未だこれを能力と言い切る事は出来ないのだが。
「それに・・・・・・一度でも"母"と呼んでくれた子にそんな事は出来やしないのさ。」
自分を見つめる幼い男の子の視線・・・あれは酷く冷たく凍えるような寒さの中だったのを思い出す。
今はもう全てを全うした子の・・・。
「母・・・か・・・。」
「呆れたかい?」
嘲笑。
そんな笑みしか、鷲羽には作る事が出来なかった。
遠い遠い昔の出来事だったとしてもだ。
「・・・いや、最近、学習しつつある。」
「そうだったね。」
とある事件のせいで、今、訪希深の元には一人の赤子がいる。
その子を育てるという選択をしていた。
「・・・瞼の裏の母と子か・・・。」
なんとはなしにそんなフレーズを虚空に呟いた鷲羽だったが、もう訪希深の返事も気配も無かった。
(上手くやれてるといいね、一路殿・・・。)
今回はちょっと私的解釈が強いですかね。
一応、人柱とか反作用とか書いてありますが、特に深く掘り下げないと思うので、細かく解説はしませんでした。
って、この話、面白いですか?(ヲイ)