『一路、ごめんね。』
母のその一言から一路の人生は狂った。
しかし、母を恨むのは筋違いだと思っている。
全ては弱い自分のせい。
『
だから、そう述べる大多数の大人達の弁にも、不服や理不尽さは不思議と感じなかった。
自業自得。
この一言に尽きる。
世の中には、自分よりもっと辛い体験や苦しみを味わった人間が沢山いる。
それでもその人達はきっと日々をしっかりと生きている。
一部の人間は特別強い人だったのかも知れないが、大半はそこまで強くない人達だ。
つまり、自分が特別弱かった。
そう思う事で、一路は心を整理している。
ただ・・・。
『一路、すまなかった・・・。』
この父の言葉だけが一路には理解出来なかった。
一体、何がすまなかったなのだろうか?
母が死んだ事?
それとも息子が留年する程に傷ついていた事にだろうか?
でもなければ、父として何もしてやれなかった事?
それは同情とどう違うのだろうかとも思う。
しかし、よくよく考えたらそれは当然で、父と自分は別の人間で・・・。
とにかくその全てを推し量り、理解出来るわけがないのだ。
だから、一路はこの件に関して誰も責めない、文句も言わない。
たとえ生まれてこの方、ずっと暮らし続け住み慣れた街を離れる事になっても・・・。
「大丈夫だね、傷もたいした事ない。サービスでタンコブまで治療しておいてやったよ。」
「いやはや、お手数をおかけしますな。」
母が死んでから今に至るまでのダイジェストムービーが流れる中、意識の片隅で自分の意思とは関係ない会話が始まる。
両者共、何処かで聞いたような・・・と。
「どーってことないさ。聞けばこの少年が怪我したのは、魎呼のせいだって言うじゃないか。」
リョーコ?
知らない単語だ。
「だぁーって、鷲羽よォ~。あんなトコにジジィと男がいりゃあ、片方は天地だと思うじゃねぇか~。」
「あぁ~ら、魎呼さんは天地様と他の殿方との区別もつかないんですの?所詮、その程度なんですわね、天地様への想いなんて。」
今度は少々・・・大分高飛車で高圧的な声。
「なぁんだとォ!阿重霞、テメェ、ケンカ売ってンのか!売ってンだな?!」
「本当の事を言ったまでですわ。」
「こっのォ~ッ!」
これはヤバい。
話の雲行きが雷雨になりそうだ。
一路は必死に意識を完全に覚醒させようと
身体の再起動。
とりあえずは、まず視界を・・・と、必死に瞼を開こうとする。
次は声・・・。
彼の視界には、意識が途切れる直前に見た金眼の美しい女性。
「お?目が覚めたみたいだね。」
自分に向けられる声の主よりも、空から降ってきた美女に目がいく。
透き通るような髪。
「ん?」
自分の視線に気づいたのか、当の美女がこちらを見る。
「・・・天女?」
完全に意識が覚醒していないせいか、考えた事を脳のフィルターに通さずに口にしてしまっていた。
「はぁ?天女だぁ?アタシをあんなヤツと一緒に・・・。」
「リョーコちゃん。」
くわっと目を見開いて、自分に今にも食ってかかろうとした少女を嗜める別の少女。
赤い蟹のような派手な髪型に、緑色の瞳。
どことなく横にいる少女に面影が似ている。
「災難だったねぇ。でも、悪気はなかったんだよ。ほら、リョーコちゃんも。」
どうやら一路に激突して、今そっぽを向いて不貞腐れているのが魎呼という名前らしい。
それに対して、一回り小さい赤髪の女性の方が、力関係は上のように見受けられる。
「・・・悪かったよ。」
一言。
それも渋々。
渋々だが、その表情を見るに悪気は感じているような気がする。
正直な所、一路は特に怒ったりはしてなかった。
何があったのか良く解らないままに気を失ったという事もそれを助長していたが。
「いえ、大丈夫です。天女がお迎えに来たのかとも思ったけど。」
だとしたら母に会えただろうか?
ふと、そんな事をが一路の脳裏に過ぎる。
「だからアタシはっ!」
「魎呼、彼が言っておるのは、"個人名の天女"じゃなくてお天とさんの天女の事じゃ。」
「はぁ?」
「天におわします女神の事だよ。」
勝仁の言葉を引き継ぎ、くぃっくぃっと鷲羽は天井を指す。
"天女"という単語で噛み合っていなかったのは、"天女という個人名を持つ人物"がいるという事らしい。
「アタ、アタ、アタシが女神?!」
すっとんきょうな声を上げて顔を赤らめる魎呼。
(何、照れてんだか・・・"私の娘"なんだから、あながち間違ってないじゃないか。)
鷲羽は心の中で苦笑する。
しかし、目の前の少年、勝仁に聞くところ彼は勘が良いのだろうか?
鷲羽は推測する。
人間の中には稀にそういう突出した第六感的なものを有した者もいないわけではない。
はっきりとそれと自覚出来る者もいれば、非常に曖昧なものと千差万別だ。
もっとも、ただ思った事を言っているだけという事もある。
なにより魎呼の態度だ。
彼女のこんな殊勝にさせた。
それを含めて、ちょっぴり興味がある。
天地や、その周りにいる人間程ではないが、これはこれでアリだ。
なんだかんだいって、この辺りの人間は血が薄まっているとは言っても、純粋は人間は少ない。
何せ、"いずれ天地を産む"だろう可能性を孕んでいたのだから。
「魎呼さんが女神ねぇ・・・。」
先程、高飛車に魎呼を挑発していた人物が声を上げる。
紫の・・・相当な髪の量に桃色の瞳。
長いのは後ろ髪だけでなく、もみあげの部分も長く、ちょっと変わった着物を身にまとっている。
確か、阿重霞と呼ばれていた少女だ・・・。
「ところで一路殿?」
「はい?」
返事はしたが、そこではたと何故この赤髪の少女は、自分の名前を知っているのだろうと思い、あぁ、勝仁から聞いたのだと認識し直す。
どうやらまだ完全に復活していないらしい。
「魎呼が天女なら、そこな意地が悪いお嬢さんは何に見えるのかナ?」
ニヤニヤと笑いながら少女は一路に問う。
「わ、私?」
「えぇと・・・。」
「どうせミジンコか何かだろォ~。」
「お黙り!」
美○憲一も真っ青な剣幕の阿重霞に対して、にひひっとほくそ笑む魎呼。
多少なりと仕返しが出来て、溜飲が下がったのだろう。
そんな魎子を無視して、そそくさと身だしなみを整える阿重霞。
どう考えても今更である。
「ん~と・・・気の強いかぐや姫。」
(う~ん、惜しい。)
腕を組んだままニヤリと笑う鷲羽。
実際は皇子様を追っかけて地球に来た姫なのだが、あながちハズレてない事もない。
と、なると・・・。
鷲羽はいよいよ本題に入る事にした。
「まぁ、お姫様ですって。」
「オメェ、耳腐ってんのか?姫の前に"気の強い"ってついてんだろ?」
「えぇいっ、話が進みやしないじゃないか、アンタ達!」
ピッコオオォォーン♪
爽快な音が室内に響き渡る。
何処から取り出したかも解らぬピコピコハンマーが鷲羽の手にはいつの間にか握られていた。
その餌食になったのは、勿論、魎呼と阿重霞の二人。
一路の目には頭から煙が出ているようにも見えたのだが、とりあえず気のせいにしておく事にした。
理由としては先程から勝仁は茶を啜ったまま、意に介さないかのように見えない素振りをしていたからだ。
然るにこれが日常の光景なのかもしれない。
きっとそうに違いない。
それにしても、アクレッシブな家庭である。
「んではっ。おほんっ、一路殿?」
「?」
「この鷲羽ちゃんはぱっと見でどんなイメージだったりするのかなぁ?」
そう鷲羽に問われた時、一路はなぜこんな言葉を吐いたのか、この後に何度も思い出し何度となく悶えるハメになる。
のは、また後の機会にしよう。
「・・・母さん・・・かな。」
しぃぃーん。
鷲羽としては、だ。
今までの流れからして余程ブッ飛んだ、或いは
鷲羽はその分、ギャップにパチクリと目をしばたかせる。
「どんな答えが出てくるかと思えば・・・いやはや、まぁ、一路殿みたいな子がいるというのも感慨深げだネェ。」
立ち直りというか、切り返しも早かった。
「うへぇ~、鷲羽が母ちゃんだって?オメェんチの母ちゃんはどんだけだよ。
(そんなアンタは私の娘でしょうに・・・。)
自分の娘のあーぱーさ加減に、育て方どころか、創り方を間違えたかと呆れる鷲羽。
自分のいない間、一体、親代わりである
首を捻りたくなる。
「魎呼。」
「んぁ?」
「勝仁殿?」
ふと今まで完全に傍観を決め込んでいた勝仁が声を上げる。
勝仁の眼差しにたじろぐ魎呼。
どうも、この血筋の目には弱い。
「あはは・・・見せてあげたいけど・・・もうこの世にはいないんで・・・。」
「あ・・・。」
「おバカ。」
俯く一路の様子に勝仁の言わんとしていた事に気づいた魎呼は、もう癖にすらなっている感のある頬を掻く動作をする。
「すまないねぇ、デリカシーの単語のない天女に、口の減らないかぐや姫で。」
そのデリカシーのなさは、遺伝もあるのだが・・・。
「いえ、もう大丈夫ですから。」
大丈夫になってきたからこそ、一路はここにいて、新たなスタートを切るのだから。
初っ端から、気絶する事にはなったけれど。
「男のコだねぇ。」
鷲羽は、ぽんっと一路の肩を叩く。
自分が子供好きという自覚はあったのだが、一路までの年齢がその範囲に入るとは鷲羽とて思ってもみなかった。
ただイメージだけだったとしても、自分を"母"と呼んでくれる存在がいたというコト。
それが大きいだろう。
基本的に頼ってくる者を完全に切り捨てる事は鷲羽には出来ない。
厳しい事と、冷たいという事は全く別物なのだ。
「ふむ。どうじゃろう、今夜は夕食でも共にというのは。」
誰かと別れる。
それも永遠の別れというものを勝仁も知っている。
それがどんなに辛く哀しく、身を切られるのかも。
長い年月を経て、それなりに鈍感を装えるようにもなったつもりでも・・・。
それすらも麻痺してしまったら、最早
「でも・・・暗くなったら道が・・・。」
樹から家までの道のりの間、一路は気絶していた。
しかも、樹の元に来る時間はほぼ夢遊病者のようにして辿り着いてしまったので、暗くなってしまうと帰り道が解らなくなる。
特にここは山道だ。
街灯の明かりもない。
引っ越して早々に遭難なんてそれこそ情けなさ過ぎる。
「んな、気にスンなよ。アタシが送ってってやからさぁ~。」
ここぞとばかり、名誉挽回を試みる魎呼。
周りにいた誰もがそれに気づいていたが、あえて突っ込むような事はしなかった。
「いや、でも、魎呼さんは女性だし・・・。」
(女性というより鬼ですわ。)
「確かに!
(嘘つき。)
(熊だって一撃で倒せる癖に。)
(嘘はいかんのぉ。)
声には出さないが、皆の表情から脳内を検索するとおよそこのようなカンジである。
「あ~、コラコラ。無理には失礼だよ。今日は砂沙美ちゃんも帰って来てないし、また日を改めて招待しようじゃないのサ。」
「え、あ、いや・・・。」
それはそれで申し訳ない。
ましてや、会っていくばくも経っていない、それこそ初対面の相手に。
「失礼ばっかりしたお詫びだと思って受けておくれよ。」
「そうそう。」
鷲羽の発言にうんうんと頷く魎呼。
全く以って反省の色が見えない。
「魎呼さん、貴女が一番反省なさるべきです。」
「あ?んなははは~。」
すぐさま笑って誤魔化す。
これも彼女の常套手段だ。
「はぁ。」
「じゃあ、今度、好きな時に来なさいな。その時に日取りも決めればいいじゃないか。」
日取りを決めるのにわざわざ一度訪ねるというのも、何やらおかしな話である。
「まぁ、ここには誰かしらおるしの。」
どうやらこの家にはまだまだ他に人が住んでいるらしい。
少なくとも砂沙美という登場人物が控えているのだけは理解出来る。
ともかく大所帯だというのは、一路の頭でも把握出来た。
「じゃあ、お言葉に甘えて・・・。」
初対面からそう時間が経っていないのに、ディナーの約束とはどうかと思いもしたのだが、これ以上固辞し続けるというのも失礼な気がして、鷲羽の提案する妥協案に乗る事にした。
「お、じゃ、今日はアタシが下の道まで送ってってやるよ。」
全く帰り道が解らないので、どんっと胸を叩いて張る魎呼の提案にも乗る事にしたのだった。
義務教育であっても、その教育課程に問題がある場合
(昔は、出席日数が全体の3分の1を大きく割り込む場合等)
学校長の権限において卒業・進級を認めず、再度の教育を行う事が出来ます。
と、いっても、義務教育なので滅多になく、大体保健室登校とか長期期間中の補習で済みますが。
この辺りは目を瞑って下さいな。