クロスベル自治州。その中心であるクロスベル市。
ゼムリア大陸に数ある都市の中でも近年稀にみる発展を遂げつつあるこの都市の北西に、《月の僧院》と呼ばれる遺跡がある。
切り立つ崖に面し堅牢な外壁まで備えた、もはや宗教施設というよりは戦のための要塞と呼ぶべき威容を誇っている遺跡だ。
複雑に入り組んだ内部構造と訪問者を阻む罠の数々は、成程、要塞と呼ぶべきものに相違あるまい。
だが、それでもここは宗教関連の遺跡に違いなかった。
入口から入ってすぐの大聖堂。
そこに鎮座する女神らしき石像と並べられた長椅子の列は、かつてこの場所で多くの信者たちが礼を拝したことの証明であった。
――これが、この遺跡の表向きの姿だ。
女神像の直上。そこに目玉を模した彫刻が施されている。
これこそがこの僧院の真の姿であり、現在、この大陸を震撼させている禁忌の正体であった。
目玉の彫刻の裏側に存在する、この僧院の真の礼拝堂というべき大広間は茫漠とした明るさに包まれていた。
その光源は蝋燭。床一面に並べられた、儚くも不気味な光点である。
――――――――……。
細々とした音の集合体が薄闇に染み透る。
それは、老若男女入り混じった大人数の声だった。
床の間隙に跪き、血走った眼差しで彼らは何事かをブツブツと呟き続けている。
何とも怪しい風体の人間たちだ。
頭から爪先に至るまで、一切の隙間なく黒いローブを纏うその姿は魔術師か呪術師という表現が何よりも似合っている。
――――――――……。
再び声。
彼らが一声発すたび、この〝場〟が徐々に、しかし確実に変質しているのだ。
広間に根差す闇が色を増し、床の星々を押し返す。
広間にこびり付く血臭が、より一層の酸鼻を極める。
広間の奥。この僧院を象徴する大鐘が、歪な光と共に鳴動し始める。
彼らが行っているのは、太古から今日までに積み上げてきた秘蹟――その全てをもって魔縁の域を侵そうという試みに他ならない。
彼らの本質は
儀式場の中央。彼ら黒ローブの一団を象徴する目玉の紋章の上に設けられた祭壇に、悪魔に捧ぐ贄が安置されている。
黒髪の美しい幼い少女であった。外見から察するに、年は十にもならないだろう。
一糸纏わぬ姿で身を戒められた少女の白皙には、至る所に青痣が浮かんでおり、日常的な虐待を臭わせている。
黒ローブの一人――おそらく幹部クラスの人間だ――が、ゆらりと少女に近付いた。
その懐から取り出したのは、炎を妖しく照り返すナイフだ。
銀色の輝きを弄びつつ、身体の上で拘束された少女の手元に宛がって――一閃。
乙女の柔肌は鋭い刃を抵抗なく受け入れ、溢れる生命の赤がみるみるうちにその量を増していく。
相当な苦痛がある筈なのに、しかし少女の顔に苦痛の色はない。
ただ、茫とした眼差しが虚空を彷徨うのみ。
溢れだす血液はいよいよ洒落にならない量となっていた。
祭壇の縁を伝って床に滴り落ちては、まるで生きているかのように動き出して魔の方陣を描き出していく。
その光景を前に、儀式はついに大詰めを迎えようとしていた。
朗々と、鬱々と、謳われる文言の数々は、空の女神を厭い悪魔を拝する呪詛の類に他ならない。
一語一節とその呪詛が繰られるたび、より明白により強大に、この〝場〟がこの世ならざるものへ変質を遂げていく。
その侵食は、心臓の鼓動に似ていた。
一つ鼓動するたび、この世とは位相を異にする悪魔の住まう領域――すなわち《魔界》が大広間に重なって映る。
鼓動が速くなるにつれて、大鐘の響きもその間隔を狭めていった。
彼らの悲願の成就は、近い。
贄としての運命にある少女は、内からこみ上げてくる嫌悪と恐怖の渦に翻弄されていた。
ここに来る前に大量に呑まされた碧い錠剤の影響だろうか、身体の感覚が極端に鈍く、手首を切り裂かれたことがまるで他人事のようにしか感じられない。
その一方で、霊的な感覚――少女自身に自覚はなかったが――は異常なまでの高まりを見せていた。
少女は感じていた。
人の心にただ嫌悪と恐怖だけを植え付けるナニカが、すぐ傍で牙を噛み鳴らしていることを。
ぞぞ髪立つ悪意の奔流は、より一層の絶望を呼ぶばかり。
そんな少女の感情は儀式を加速させる促進剤となるのだ。
空間の鼓動の間隔が短くなる。広間の空気が腐り果てた臭気を帯びる。
〝その時〟を前に、黒ローブの下から覗く双眸が飽くなき妄執と我欲の果てに糜爛し始める。もはや彼らの姿は、少女の眼には人間には映らない。
彼らすべて、例外なく悪魔である。
今際を前に少女の胸に過ったのは悔恨だった。
何日、何カ月、何年。どれほど前のことかさえ分からないあの雪の日。
人とは思えないどす黒い〝力〟でもって、自分に襲いかかろうとしていた魔獣を惨殺した兄。
振り返ったその貌に貼り付いた鬼の笑み。
自分を守ろうとしてくれていたのに、別人に変貌した兄への恐怖から差し出されたその手を振り払って、背を向けて逃げてしまった自分。
そう、これはきっとその罰。もう自分はあの暖かい家に戻れない。
走馬灯のように浮かび上がった家族の残照が、少女の心に影を落とした。
――それが最後の一押しだった。
「――おおッ」
始めに感激に湿る吐息を漏らしたのは、一体誰だったか。
少女がいる祭壇の足元。そこに魔界に通じる穴が開いていた。
大きさはまだ人間の頭くらいだが、このまま時間の経過と共に大きさを増していくことだろう。
運命を告げる鐘の音のもと、彼らの悲願はついに成就したのだ。
そして――。
少女が堕ちていく。穴が大きくなるにつれてその速度が増していく。
少女が堕ちていく。常闇の彼方へ。
身体が半分ほど闇に飲まれたその瞬間に――。
(――リィン兄様!!)
轡を噛まされたまま最愛の兄の名を叫び、次の瞬間、少女――エリゼ・シュバルツァーはこの世から完全に姿を消したのである。
*
波止場に立ち並ぶ、打ち捨てられた倉庫の一つ。
カビ臭い空気を引き裂いたその一撃は、雷よりも激しく鮮烈だった。
絶死の威力を秘めた突きを前に、下級の魔など生き延びられはしない。
悪魔の群れの一角を、一撃のもとに削ったのは肉厚にして重厚の極致だった。
大剣。それも大の大人の体躯さえ上回りかねない巨大さだ。
柄に施された髑髏が特徴的なそれを、軽々と扱ってのける者がいることなど俄かには信じられないことだろう。
舞踏のような軽やかさで《反逆》の名を冠す大剣を振るう銀髪の美丈夫の名はダンテという。
この近くのスラム街にて、便利屋を営む男だ。
「ハッ、どうしたテメェら。ガッツが足りてねえぞ!!」
暮れなずむ茜色を吸って妖しく輝く刃が真一文字に振るわれれば、それだけで五体の悪魔が根こそぎその命を散らした。
砂へと還った同胞の残骸を踏みしめて、ズルズルと引き摺るように距離を詰めてくる悪魔たちは、一様に鎌を携えた死神の姿をしている。
《セブン=ヘルズ》。七つの大罪を司る地獄の刑吏たちだ。
一体一体の力は雑魚故に、こうして群れで攻めてくるのがこの種族の常套だった。
周囲を囲まれた死地と呼ぶべきこの場にあって、しかしダンテの蒼い双眸に怖れはない。
むしろ、その逆。
口角を愉しげに歪め、より一層の挑発を悪魔たちに投げ掛けた。
「C'mon.wimp」
その言葉に激発したか、丁度ダンテの背後に回り込んだヘルズの一体が無防備な彼の背中に踊りかかった。
会心のタイミングで上段から振り下ろされた大鎌は、しかし熱い血潮で潤わない。
空振り、思わずたたらを踏んだヘルズの直上で、夕日より赤い外套がさも愉しげに踊る。
重力に従いながら構えた黒白の二丁拳銃。エボニーとアイボリーの冷たい銃口が告げる号砲が、ダンテの反撃の狼煙だった。
轟音に続いて絶叫。
この瞬間、悪魔にとっての悪夢が幕を開けたのだ。
*
「……ったく。情けねえ連中だぜ」
憤懣遣る方ないという風情で、大剣《リベリオン》を納めるダンテ。
血腥いパーティは彼の好むところであったが、こうも張り合いがないと気分も萎えるというものだ。
ましてや、それが一月ぶりの仕事とあってはなおのこと。
彼らヘルズを従える《ヘル=ヴァンガード》という個体でさえ、たった一太刀のもとに消滅した。
次の依頼の時はもう少し歯ごたえのある奴が来てほしいもんだと独りごち、そのまま倉庫をあとにしようとした時のことだった。
「――あん?」
魔の者特有のどす黒い気配。
ダンテが〝臭い〟と呼ぶそれが、再び倉庫に充満し始めたのだ。
かなり――強い。
「ハハッ。いいね、メインディッシュのあとにデザートはつきもんだ。」
すっかりやる気を取り戻したダンテの美貌に、凄絶な狩人の笑みが宿る。
背負う白銀の刃を抜き放ち、天井の穴の向こうに広がる茜色の空目掛けていつものように挑発を飛ばした。
「ほら、来いよ!! 俺はここにいるぜ?」
茜色に一点、黒点が生まれ夥しい魔力が集まりだす。
渦を巻き、バチバチと帯電すら始める高密度の魔力が、黒点を擬似的な空間の穴へと変容させた。
一瞬にして、大柄なダンテでさえ余裕で通り抜けられるほどに肥大したその穴から、一つの影が飛び出してきた。
その影の姿を、彼の優れた視力が捉えて――。
「――あん?」
先程と同じ呟きを知らず漏らし、ダンテは小首を傾げた。その影が人間の姿をしている上にどうも意識がないように見えたからだ。
「ありゃ、子供……それも女か?」
人の姿を取る悪魔がいない訳ではないが、そういった存在は相当に希少だ。
何せ、悪魔という種族は総じて人間を見下す傾向にある。つまるところ、わざわざ劣る存在の姿を真似る必要などないだろうというのが悪魔の一般的な考えだ。
故に人型の悪魔というのは、変わり者か人間に取り憑いた弱小の種族がほとんどだ。
だが、それでは矛盾が生じる。
先程、空間に穴を開けた魔力の強さは断じて弱小のものではなかったし、取り憑くなら力の弱い子供ではなく大人を選ぶ筈だ。
ならば、大悪魔かと問われればこれも否だ。
現在封印されている魔界から
そういった事情故に、その慧眼をもってしても正体を測りかねているのだ。
「あー、何だろうな。前にも似たような光景を見た気がするぜ」
落ちてくる姿に既視感。
例えばミヤザキのジャパニーズカートゥーンか、はたまたテメンニグルの中腹か。
ともあれ、やることは決まった。
「可愛らしい雨を受け止められるなんて男冥利に尽きるな」
そんな諧謔を弄しながら、ダンテは己が内に眠る力を解き放った。
瞬間、ちょうど倉庫の天井から侵入してきた少女の落下速度が緩やかになる。
《クイックシルバー》。かつて時を操る馬から奪った力である。
久しぶりに使う力がうまく発動したことに内心安堵しつつ、コマ送りのような世界を変わらぬ速度で歩みだすダンテ。
羽毛のように軽やかに降りてきた小さな身体を、確と抱きとめたところでちょうど時間切れだ。
「う、おっと」
両腕にかかった負荷に顔を顰めつつも、抱えたものだけは放さなかった。
「Huh.食後のデザートにしちゃ、ちょいと刺激的過ぎるな」
その少女は裸であった。
曝された裸身は雪のように白く、しかし全身に浮かぶ青痣が痛々しい。
ダンテの脳裏にロクでもない考えが過るが、一先ず置いておいて自身の赤いコートで彼女の身体を包んでやることにした。
「…………」
腕の中で眠る少女は、見れば見るほど奇妙であった。
こうして直に接しているというのに、彼をして悪魔か人間か判断できない。
最も考えられる可能性としては、旧知の女デビルハンターの父親のように、後天的に悪魔の力を手に入れた人間であろうか。
見たところ十にも満たない子供が自ら黒魔術の類に手を染めたとも考えにくいので、おそらくはモルモットにでもされたか。であれば、先程見えたあの青痣はきっとそういうことなのだろう。
子供に過酷な運命を突き付けた下衆への怒りはあるが、先に考えるべきはそんなことではない。
この少女をどうするか、だ。
「それにしても……」
実に将来が楽しみな美少女だ。惜しむらくは
名も知らない少女の自我が悪魔のそれに染まっていないことを祈りつつ、ダンテは己が愛剣の柄に手を掛けた。
少女の口が動き、何事かを呟いていた。
「――――――――ぃ」
蚊の鳴くような声。
あまりに微弱過ぎてダンテでさえ聞き取れない。
「―――――なさい」
口元に耳を近づけても、まだ全容を聞きとるに至らない。
息を殺して、さらに身を屈めてダンテはその言葉に耳を欹てる。
「――ごめんなさい」
それは、謝罪の言葉。
意識のない少女が、しかしそれ故に混じり気のない想いを呟いていたのだ。
少女の、今は閉じられた両目の端から〝涙〟が一筋零れ落ちる。
「…………」
それを前に、果たしてダンテが抱いた想いは一体どのようなものだったのか。
「……まあ、たまにはこんな展開も悪くないか」
苦笑し、リベリオンを放した手が少女の小さな身体に回される。
そうしてダンテは、久方ぶりに一人ではない家路に着いたのである。
悪魔を崇拝する教団? デビルメイクライと相性がいいじゃないか!→エリゼいいなぁ。もっと出番があってもいいのに……よしヒロインにしよう→いや、ヒロインよりも主人公なら出番も増えるはず→よろしい、ならば魔改造だ(`・ω・´)
そんな意味不明な思考回路の果てに書いた作品です。
処女作なので、私自身の実力不足故に不快にさせるかもしれないことを、ここであらかじめ謝罪しておきます。
自重はしないがな!( ゚∀゚ )b
基本的に亀更新ですが、末長いお付き合いを。