【ネタ・習作】夢の欠片   作:へきれきか

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第06話 洛陽案内再び

「伯鉄さん…大丈夫ですか?」

「ええ、太守様。もちろんです」

 西平太守が心配そうに覗きこんでくるのに、大和は努めて笑顔で返した。

 しかし、その顔は五秒と保たずに苦痛に歪む。

「って……いてててっ! 菊音、もうちょっと優しくお願い……」

「そんな大げさな……普通にお薬塗ってるだけですよ。兄さんが痛がりすぎなんですっ」

 軟膏を塗り終わったのか、今度は腕に湿布をパンッと貼ってくれる。

「っつぅぅ……」

 幸いなことに妹・田豊は華将軍のように女性離れした力の持ち主ではない。よって、その小さい手で叩かれても全然大したことはないのだが、筋肉痛で苦しんでいる今の身体にはそれで十分。

「もう、だらしないわね。『上手くなってきたから大丈夫です!』なんて言ったのはそっちでしょ?」

 若干の呆れをため息に混ぜつつそう言うのは、西平太守第一の臣、賈文和。

 彼女の言は事実だけに言ってくところがない。

「そのとおりで……」

 大和は軽はずみな言動をした昨日の自分を恨みつつ、身体をさすった。

 四人がいるのは田家の居間。

 珍しく全員の予定が合ったため、今日はみんなで洛陽を観光しようということになっているのだが、田伯鉄のコンディションはすこぶる悪い。具体的にいうのであれば、身体のいたる所が筋肉痛になっている。

(……前に会談についてったときも体調悪かった気がする。というか、よくよく考えると結構いつもそうじゃないか? センター試験のときも腹の調子がよくなかったし、一年のときの合宿の初日も……まぁ、あれはあのふざけた先輩のせいだが。とにかくどうもイベントとなると身体のどこかが――っ)

「いつつっ」

「ったく、あんなちょっと走ったくらいで。こんな兄上さまじゃ元皓さんもいつも大変そうだわ」

「ふふっ。あっ、兄さん。まだ全部終わってないですから動かないでください」

(笑うんじゃなくてそこは否定してくれよ。……本当のことだからしかたがないか)

 西平の太守様はくすくすと笑っている。

 

 董仲頴と賈文和。

 この涼州からのお客様二人は算術においては田伯鉄の生徒であるが、別の分野ではその関係は逆転。彼の絶不調な身体の原因もそこにある。

 

 それは馬術。

 

 馬に乗る。

 元の世界では普通に暮らしている限り、そんな機会は滅多にない。大和もその例に漏れず、せいぜいが小学校の遠足で牧場にいったときに一回乗ったくらいだった。しかも、乗ったのは馬ではなくポニー。はっきり言って乗馬の経験など無きに等しい。

 けれどこれまで、そして“ここ”に来てからも馬に乗れないからといって何に困るということもなかった。

 住居兼仕事場である田家のお屋敷。その近くには商業地区があり、そこへ行けば大抵のものは揃えることが出来る。教師として生計をたてている田伯鉄は、洛陽どころかこの地区から出ることさえほとんどないのだ。

 それに、そんなことまで気が回らなかったというのもある。私塾を開いてから軌道に乗るまで、いや、乗ってからも毎日が多忙であるし、住まいを借りている身でのんびりお馬の稽古をするほど図太くはない。

 確かにこの世界において馬は重要な交通手段ではあるが、いざとなれば長安から洛陽に来たときのように馬車を使えばいい。

 生活する上で特に不便も感じなかったのでそのままにしていたのだ。

 ところが、ふとした会話の中で馬に乗れないことをバラしてしまい、『そういうことなら』ということで二人から馬術の教授を提案されてしまったのである。

 ありがたい申し出ではあるが、すでに結構な額を“授業料”という形で出資する約束をしてもらっている。大和はその提案を丁重にお断りしようとしたが、

 

『伯鉄さん、遠慮はしないで下さい。これは前の非礼のお詫びでもあるんです』

『前にも言ったと思うけど、人の厚意は素直に受け取るべきよ』

 

 などと言われてしまっては、無下にできない。彼女達はこの私塾・田算塾のパトロンなのだから。以来、算術の授業をするかたわら、馬術のプロである西涼の人達に乗り方を教えてもらっている。

 やはり餅は餅屋ということか、畏れ多くも太守様直々に教えてもらったりしたこともあり、大和の腕前は最初に比べたらかなり上達してきている。しかし、それで調子に乗って「結構上手くなりましたよ」などと言ってしまったのが運の尽き。

 

『じゃあ、ボクが腕前を見てあげる。明日は休みなんでしょ?』

 

 そしてこのザマである。

(文和様……やっぱりいきなり郊外への遠乗りはきついって……)

 

「はい、これで終わりですよ。兄さん」

 道具をしまいながら言う。

「ありがとう。菊音」

「どういたしましてっ。あの……文和さん。兄さんの腕前はどうですか?」

「確かに上手くはなってたわよ。とりあえず落馬の心配もなかったしね」

「へぇ、すごいですね兄さん」

 本当に感心した様子の妹を見て苦笑し、

「落馬してまた骨折しましたというんじゃ笑えないからな」

 わざと得意げに言う。

 実際のところ、その年で侍御史をやっていたり、馬にもしっかり乗れている妹の方が何倍もすごいと思うのだ。

「左腕、馬車にはねられたときに折ったんだっけ? 普通に乗れてるし、別に全部の馬に嫌われてるんじゃないって分かってよかったじゃない」

 

 相変わらず挑発的な顔が嫌に似合うなぁ。

 

 などと言えるはずもない。

「その点は私も安心しましたよ。あの件のせいでちょっと馬不信というか……馬恐怖症になりかけてましたので」

 大和は軽口をたたいて笑いかえした。

 その何度も繰り返された冗談交じりのやり取りに、つかの間筋肉痛特有の焼け付いたような感覚を忘れる。

 涼州から来たお客様二人は先の女将軍同様、身分というものを鼻にかけることがなかった。董仲穎はとにかく優しく、賈文和は若干キツめではあるものの、気軽に大和に話しかけてくれる。洛陽にも多くの知り合いが出来てきたが、友人という意味でならこの二人が初めてかもしれない。

「伯鉄さんは筋がいいですから、すぐに自在に乗りこなせるようになりますよ」

 湯のみを卓に置きつつ優しげに微笑む。

「そう言ってもらえると、やる気が湧いてきますね」

(馬術の稽古のときもそうだったけど、この娘はとにかくよく人を褒める。こんな風に褒められて悪い気がする人間はいないだろうし、自分も算術を教えるときに意識してやってみようかな)

 そんな事を考えていると、横から聞き捨てならない言葉が放たれる。

「可愛い娘に褒められてやる気も出てきたみたいだし。今度はもっとキツめでいってもいいわね」

 

「詠ちゃん、可愛いってそんな……」

「勘弁して下さいよ……」

 

 紅くなる親友と、肩を落としてうなだれる田伯鉄。両者の反応を満足気に笑いながら見て、

「資質はともかく、早く乗りこなせるようになるっていうのは月の言う通りね。なんたって涼州の人間が教えてるんだから。ボクたちの誇りにかけても一流になってもらうわよ」

 さらに続けた。

「責任重大ですね、兄さん」

 意地の悪い笑みを浮かべてプレッシャーをかけてくる眼鏡の女の子と、その様子を可笑しそうに笑っている妹。二人を見ていると、筋肉疲労とはまた違った疲れが出てくるのを大和は感じた。また、その疲労が不快なものでないのだから、困る。

 どうやら大分この世界にも慣れてきたらしい。

「お手柔らかに頼みますよ……? それと菊音。お前はどっちの味方なんだ」

「わたしはいつだって兄さんの味方ですよ」

 えっへんという感じで胸を張る。

「その通りね。無一文で職なしの人間の世話をここまでしてくれる娘はいないわよ。兄とはいえ一緒に育ったわけでもないのに」

 少しふざけた様子で妹が言えば、すかさず援護射撃。

(……この人には一生ニート時代をネタにされそうだ)

 女の子は口元に手を当てて笑っている。優しい太守様もどうやら今回は助け船を出してくれないらしい。

(女三人寄ればなんとやら……違うか。まぁ、こんな賑やかさは嫌いじゃない)

 三者三様の様子に目をやりつつ思う。

 

 筋肉痛ごときで今日の予定をキャンセルするのは馬鹿のすることだろう。

 彼女たちを楽しませてあげようじゃないか。

 

 洛陽の案内ルートを頭に描いていく。

 そしてそれに没入しすぎてまたツッコミを入れられたのであった。

 

 

 

―・―・―・―・―

 

 今回は身体を除いて万全の準備で臨むことができた。

 そのおかげか二人だけではなく、ここに住んでいる菊音にも楽しんでもらえている。二度目の洛陽案内は大成功しているといっていいだろう。

(そもそも前回は準備もそうだけど、情報が少なすぎたんだ)

 洛陽へは愛好会の冬合宿で来たことがあるので多少の名所は知っていたが、この時代にないものはどうやっても案内できない。この世界の洛陽には博物館類はもちろん、龍門石窟も白居易公園も関林堂も存在しない。中国最古の仏教寺院である白馬寺は存在するが、洛陽の城外、少し離れたところにある(昨日の遠乗りの目的地の一つだった)ので案内は不可能であった。

 苦し紛れに肉屋跡を紹介して引かれたのを思い出すと恥ずかしくなってくるが、今回は違う。政治的な情報ではもちろん勝てないが、洛陽についての総合情報ではすでに菊音にも負けない自信が大和にはあった。

 ここで暮らし始めて二、三カ月になるが、活動範囲の狭い彼だけではそこまでの情報通にはなれない。私塾の生徒達、特に商人クラスの皆が主な情報入手先である。

 彼らも伊達にこの街で商売をしているわけではない。名所はもちろん、注目すべきお店から最近の流行、ゴシップネタまで様々なことを知っている。大店になると仕入れの関係などから、洛陽どころか周辺地域、大陸の情勢まで詳しいのだから侮れない。おかげで各所を回る際の話題にも困らなかった。

 素晴らしい名所に美味しい食事。

 弾む会話。

 そう。洛陽観光は成功している。

 であるのに……。

 隣へと視線を移すと、そこにはぶつぶつと何やらつぶやき、少し不機嫌な様子の賈文和の姿があった。

「月、絶対に誤解してるわ。たぶんさっきのであんたの妹さんも……」

「ははは。まぁ、すぐに解けますって」

 予想通りの原因に、大和は思わず笑う。

 

 二人は並んで商店街を歩いていた。

 名所旧跡を回った後は、紅葉を眺めながらの昼食。その後は馬車観光をしながら屋敷の方へと戻ってきたが、まだ結構な時間もある。「それなら」ということで田兄妹馴染みの商業地区も見て回ることになったのだが、そのときの太守様の一言が、今の状況を作り出していた。

 

『せっかくですから二手に分かれて観光しませんか?』

 

 何がどう“せっかく”なのかは分からないが、案内するという名目上、田兄妹が組むわけにはいかない。となると……。

 

『私は元皓さんとまわるから……詠ちゃんは伯鉄さんと――』

『ちょっ! 月!?』

 

 彼女は露骨に田伯鉄と己の親友を二人にしようとしていた。算術を教授しているときの彼女たちのやりとりからも、薄々そうではないかと大和も思っていたが……。

 不思議そうにしている妹にそっと何やら耳打ちする西平太守。途端に挙動不審になった妹を見て、それは確信に変わった。

 

 太守様は文和様が俺に気があるのだと誤解してしまっている。

 

(……さすがにそれはないだろう)

 隣を歩く少女は確かに熱心な生徒ではあるが、おそらく興味があるのは田伯鉄ではなく、その算術。大体、第一印象が最悪だった。

 いい年して妹のスネをかじっている、そもそも本当の兄かどうかも疑わしいヒモ男。顔も並か並以下。

(……うん、自分で言うのもなんだけど、好きになる要素はないな)

 今は私塾も始めているし、己の算術も高く評価してくれている。嫌われてはいないと思うが、好意というのは行き過ぎという他ない。年も菊音ほどではないが離れていることもある。

(それに自分の好みは華将軍や管輅さんのような、こう大人の――)

「失礼なこと考えてるんじゃないでしょうね」

「いえ、とんでもない。こちらとしては光栄のかぎりというやつです」

「……何? その余裕。誤解と分かっているとはいえ、ちょっと腹立つわね。……言っとくけどあんたも当事者みたいなもんなのよ?」

「理解してます。妹には私から言って聞かせておきますから」

 向けられるジト目に、努めて真面目な顔で返す。

「分かってればいいのよ……でも、問題はどちらかというと月の方なのよね……」

「たしかに」

 額に手を当て大袈裟にため息をつく。大和は思わず作った顔を崩してしまった。

 

 短い付き合いの大和でもわかるくらい、董仲穎は心優しい女の子であり、そして初対面の妹のために自分のことを調べさせるくらいのお節介焼きでもある。

 今回のことも親友の恋路を応援しようとか、そんなとこなんだろうというのが大和の予想であった。

「けどまぁ、頑張って説得するしかないですよ実際」

 通り過ぎる顔見知りに会釈しながら自分なりの結論を述べる。

「やっぱりそうなるか……」

「そうなりますね」

「結局他人ごとじゃない。……まぁいいわ。よく考えてみたらちょうどいいし」

 

(ちょうどいい?)

 

「と、言いますと?」

「あんたと二人で話したいことがあったのよ」

 足を止め、真剣な顔をして大和を見上げる。

(これはまさか……いや、それはないだろ)

 頭を一瞬よぎった笑える冗談を隅へと追いやり、

「大事な話ですか?」

「そうよ」

「……」

 

(……いつもの仕返しにちょっとからかってみるか)

 

「文和様……ここは男の私から言わせて下さい」

「え?」

「実は私も前からあなたに伝えようと思っていたんですが……あなたのこ――」

「はいはい。冗談はそのくらいにしときなさいよ」

 

(あれ?)

 

「大方いつもの仕返しでもしてやろうとか考えてたんだろうけど、全然面白くないから」

 呆れをにじませた顔で鼻を鳴らす。

 そして、何か思いついたかのようにニヤリと笑い、

「あんたがもっとかっこ良かったら上手くいったかもね。『己を知る』っていうのは兵法の基本中の基本よ?」

「……キツいって言われたことありませんか?」

「どうかしら。で、伯鉄。ボク、そこの甘味食べたいんだけど」

 後ろを振り向くと、そこにあったのは見覚えのある飯店。

 顔を戻すと何やら笑顔の賈文和様。

「……えーと、どういうことでしょう?」

「あんたは口説こうとする相手にお茶の一杯も奢らないわけ?」

「さっき自分で冗談って言ったじゃないですか……」

「へー。ってことは何? 田算塾の先生は冗談で女の子口説いたりしちゃうわけね」

「ぐっ」

 

 ふふっと意地悪く笑う女の子を見て、

 

(この娘にもかなわんな)

 

 財布を取り出しつつ苦笑するのだった。

 

 

 

―・―・―・―・―

 

「なかなか美味しかったわ。ありがと」

「……お口に合ったようでよかったです」

 満面の笑みを見てため息をつく。

 

(自由にできる少ないお金が……。まぁ、自業自得なのでしょうがない、か)

 

 商業地区のとある飯店。

 商人クラスの生徒の一人が経営するこの店には、田伯鉄監修の甘味がいくつか置かれている。評判もなかなかのようで、協力した身としては嬉しいかぎりであった。

 目線を前に戻すと、少女は口元を拭い、服の乱れを整えている。

 

「ここで話してもいいかしら?」

「店主には言っておきましたから大丈夫ですよ」

 一目を避けるように衝立を立て、隣接する席には客を座らせないように頼んである。準備は万端だろう。

「前とえらく待遇が違うのね」

「この辺りは割りと顔が利くんですよ。生徒が多いですから」

「ふーん。……それで、話なんだけど、二つあってね。まずは一つ目」

 

(改まって一体なんだろう)

 

「月をしばらくの間、田家の屋敷で預かってもらえないかしら」

 

「……へ? 太守様を?」

 予想外の言葉に間抜けな声が出てしまう。

(田家の屋敷に? なんだってそんな……)

 

「慌てないで。順番に話すから。ボクたちが昇進のご挨拶と討伐行の報告で洛陽に来たのは知ってるでしょ?」

「ええ、覚えてます」

(……あれ? 両方とももう終わってるはずだ。よく考えてみればなんで二人はまだ都にいるんだ?)

 表情から疑問に至ったと気づいた詠は、

「用事はすでに終わったし、大将軍に使われたくなければそろそろ帰らなきゃいけないわけだけど……また用事が出来たというか作ったというか……」

 話し始めるも珍しく歯切れの悪さを見せる。

「その用事というのは?」

「北門の修理よ」

「北門……ですか」

 

 洛陽の北側は彼の言葉で表現するなら、かなり“ヤバイ”地区である。街並みは荒れ放題で廃屋も多く、治安も悪い。洛陽への入り口である門も壊れたまま。王城の裏側は正にスラム街の様相を呈している。とてもメインストリートのある南側と同じ街とは思えない。

 当然、今日の観光ルートからも除外されていた。

 

(けど北門の修理はたしか曹操が……いや、北門といっても彼が修理したのは北宮の門だったような気がする。曹操が都にいないことといい何進の台頭の時期といい、やはり知っている歴史とはズレがあるみたいだ)

「しかし、なんたってまたそんな面倒な仕事を? 前と同じで大将軍様ですか?」

「その逆。十常侍よ」

 うんざりした様子で答える。

 

(大将軍ではなく十常侍ということは……)

 

「傾きすぎた天秤を元に戻す、ということですか」

「……相変わらず本当に妙なところで回転早いわね……正解。先の呼び出しの件で完全に大将軍の一派と認識されちゃったから。ま、いろいろと大変なのよ」

「用事については理解しました。ですが、それがどうして太守様の話に?」

「月が洛陽にいる状況はよくないの。大将軍が呼び寄せた地方太守。追い払う口実で参加させた匈奴討伐を迅速に終わらせて、大将軍の口添えで中郎将に昇進してる。つまり……どういう意味か分かる?」

 一旦言葉を切った後、試すような目とともに質問が向けられる。

「……太守様が洛陽にいるだけで十常侍を刺激することになる」

「その通り。わかってるじゃない」

 答えに満足したのか、ふふっと笑い、

「月を洛陽にはいさせられない。でも、十常侍との関係は修復したい。そこでボクの出番ってわけ。匈奴の警戒の為に董仲穎は一度西平へ帰るのよ。大将軍には悪いけどね」

 悪戯っぽい表情でそう括った後、卓のお茶に手を伸ばした。

(なるほど。大将軍の期待を裏切って西平に一旦帰還することで十常侍の警戒心を解き、その間に接近するというわけか。だが……)

「しかし、それなら余計に太守様があえて洛陽に、ウチに留まる理由がわかりませんが……」

「それは月が……。ボクだけ残して帰ることは出来ないって言うから……」

「ああ」

(……あの人なら言いかねないな)

 大和は得心して頷いた。

 妹から話を聞くかぎりでは、宮廷は魑魅魍魎が跋扈する魔窟のような場所である。そこへ親友を一人放り込む。

 そんな案に素直に首を縦に振るとは思えない。

 

「もちろんそれだけじゃないわ。急な案件が出てきてもすぐに相談できるし。それにボクはこれからどんどん忙しくなる。そうなると伯鉄の授業は受けられなくなっちゃうでしょ? 西平に持って帰るためにも、月にはボクの分も授業を受けて修得してもらわないと。……もう一つ理由もあるんだけどね」

 大和は不覚にも嬉しいと思ってしまった。

 田伯鉄の算術にはそれだけの価値があると言ってくれてるも同然である。ひょっとすると一番評価してくれているのは、目の前の少女かもしれない。

「で、どう?」

「どう? と言われましても……大体あの屋敷は妹のもので……」

(……普通こういうことは家主である菊音にまず聞かないか?)

 

「…………」

 

(おいおい、ちょっと待て。

 彼女は用事が"出来た"、"作った"と言っていた。

 ひょっとして、もう確定してるんじゃないのか……?)

 

 恐る恐る顔を上げると、

「あれ? もう、バレちゃった?」

可笑しくてたまらないといった様子の賈文和様。

「ちょっと……まさか」

「明後日から月がお世話になるわ。先生」

 眼鏡の美少女は今日一番の笑顔でとんでもないことをおっしゃる。

「……勘弁して下さいよ。絶対三人で示し合わせて内緒にしてたでしょう。

 それに菊音に話を通してるんだったら、いちいちもったいつけて話すことなんかなかったじゃないですか……」

 大和はどっと疲れが押し寄せてくるのを感じた。

「さっきの冗談のお返しよ」

「いろいろ奢ったので帳消しになったはずじゃ……。それに前から内緒にしてた理由にはならないですよ」

「それはそれ。これはこれ。つまらないことにこだわってたらモテないわよ、伯鉄」

 ふふんと鼻で笑う。

 

(こ、この人は……)

 

「分かった?」

「……色々納得はいきませんが、理解は出来ました。でも、さっきの話ですけど西平は大丈夫なんですか? 太守様不在というのはまずいのでは……?」

「月のご両親、前太守様もご健在だし問題ないわ。あんたに心配されなくても、その辺はなんとかするわよ」

 

(討伐の間、領内の政治を見ていたのもそのご両親だったというわけか。まだいろいろと言いたいこともあるが、それは菊音の話を聞いてからにしよう。内緒にしてくれやがった件についても問い詰めなければならない)

 

「さっきのが一つ目の話。次が二つ目……こっちが本題なんだけど――」

 

「……何でしょう」

(もうどんな話でも驚かないぞ)

 

「そんな顔しないでよ。たぶん悪い話にはならないと思うから。お互いにね」

 詠は田伯鉄の顔を見て苦笑し、そして明日の天気でも聞くかのように切り出す。

 

 

「伯鉄。あんた何企んでるの?」


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