田兄妹と洛陽で会った“その日の晩”、占い師は南皮郊外の小川の畔に佇んでいた。明日は近辺の邑に対して噂を浸透させなければならない。つまり「力」の行使だ。本来であれば休息をとるべきだろう。
それはわかっている。
しかし、どうもその気にはなれないのだ。
「天の御遣いの噂を広める」
それは管輅という存在にとってのルーティン・ワーク。
数回行った時点で大体の手順は決まっていた。
第一段階として『対象』が外史に降り立つ■■■前から、大陸の主要都市に散発的に噂をばら撒く。
そして第二段階――仕上げとして「対象」が現れる少し前、いよいよ世が乱れ始めるとき、今度は「対象」が降り立つ地を中心に噂を広める。
繰り返し行われるこの作業は、すでに体に染み付いているといっていい。
その開始地点は洛陽。
何回目からそう決めたのか定かではない。二百回は超えていた、と思う。単に後漢の都だからという理由だったか、諸々を考慮して噂の拡大に効率がいいと判断したからだったか。
本人ですら憶えていないのだから、大した理由ではなかったのだろう。
それ以来、惰性でそうしてきている。
彼女が洛陽を開始地点にした後、そこで役目を果たしていると、きまって声をかけてくる少女がいた。
話を聞くに官職を務めているらしく、妙な噂を流さない方がいいと警告してくる。名前を聞いて照会すると、近いうちに死ぬ人間だと分かった。
だからどうというわけではない。
自分は自分の役割を果たすだけ。
二回目、三回目、四回目……それからはほぼ繰り返す度にその少女と出会った。
「対象」がココに降り立つ時期がほとんど同じだったからというのが、大きな理由だ。
出会う度にほぼ同じ言葉を交わし、そして毎回同じように彼女は死んだ。
『死相が出ている。西に災い有り』
数百回を繰り返した頃、少女に警告を試みた。
意味のない行為。
それは分かりきったこと。
管輅の占いはインチキだ。
起こることを知っているから百発百中なのであって、その未来を変えることは出来ない。決められた未来を変えるには外的要因――「天の御遣い」が必要になる。彼が登場して初めて、管理者の直接干渉も一部有効となるのだ。
はたして少女はいつも通りに死んだ。
以降、管輅は洛陽を訪れる時期を、彼女の死後にずらすことにした。
なぜ警告したのか。
なぜ「もう、会いたくない」と思ったのか。
自分にそんな感情が未だに残っていることには驚いたが、それを知ったところでどうなるというのか。
『私はすでに……当事者ではない』
川面に映る冷たい顔はそれを端的に表している。何年経とうが何度死のうが変わらないのだ。
「…………」
あれから幾度物語が過ぎていったのだろう。
今回も同じように役割をこなし、同じように傍観する……はずだった。
「生きていた……」
そう、生きていた。
本来であればすでに死んでいるはずの少女が。
要因となったのは恐らく隣にいたあの青年。
占いにかこつけて聞き出した名は田伯鉄。
少女の兄だと名乗ったが、そんな人間は存在しない。
なら一体何者なのか。
「天の御遣い」ではないことは確かだ。アレの出現時期を自分が見誤るはずがない。しかし、彼の発する雰囲気は天の御遣いの……。
(報告するか……?)
あの“少しばかり美意識が合わない同僚二人”を思い浮かべる。
(……いや、やめておこう。侵入を把握できなかったということは、外史が青年を異物と認めていないということだろう。
ならココが崩壊してしまうとか、そういう危機的なことにはまずならないはずだ)
それに「対象」とは違って、今彼女が広めている噂のようなお膳立てもない。
放っておいても死ぬ可能性は、大いにある。
「…………」
(気づかれたら気づかれたときだ。知らぬ顔で役割を果たし、後は傍観者らしく、いつも通り見物を決め込もう)
それはいつもと変わらない。
そう、いつも通りの退屈なルーティン。
だが月明かりに浮かぶその口元は、確かに笑みの形を作っていた。