では、どうぞ。
物心ついた頃には、すでに姉と一緒に紅魔館の内側にいた。
そして、幼いながらもすぐに気付いた。
今にして思えば、館中から漏れ漂う妖の気配に怯えていたのだろうと思う。
特にそれは夜に酷く、独り、部屋の中で震えていた。
時には朝まで、つまり太陽が昇るまで眠れない日もあった。
あまりに怖くて、泣いて過ごした夜も一夜や二夜では無かった。
「白夜」
そう言う夜には、いつも姉が来てくれた。
でも、ただ優しくされたという記憶はあまり無かった。
幼い頃からすでに、姉は「紅魔館のメイド」としての鎧を纏っていたように思う。
「泣くのはやめなさい。ここでは自分のために泣いてはいけないのよ」
姉に泣くなと言われてからは、泣かなくなった。
泣かないよう努力した、いつしか本当に泣かずに済むようになった。
それでも、少しは泣いてしまうこともあった。
「……でも、今日だけは一緒にいてあげる。そうすれば、怖いことなんで無いでしょう」
――そう言う夜には、姉が来てくれた。
そして叱られながら、穏やかに眠りについた。
そうして、また年が過ぎた。
5歳の春、初めて美鈴に会った。
紅魔館の気配にも慣れ、自分の足で歩けるようになり、危なっかしくも館の外に出た時のことだ。
ちょうど庭園の花々が満開の花をつけていて、自分はそれに目を輝かせていた。
怖さも忘れて、ただ夢中で花を見ていた。
そして姉にも見せてあげようと思って、花を茎の半ばから摘み取ろうとした。
「ダメだよ、そんなことしたら」
美鈴に声をかけられた。
綺麗なお姉さんだと思った、が、すぐに自分とは違う生き物だと気配でわかった。
ひゃっと悲鳴を上げて、逃げ出したのを覚えている。
後で、あれはなかなかショックだったと笑っていた。
「こんにちは」
それでも花が見たくて、毎日のように庭園に通った。
そんな自分を、美鈴はいつも笑顔で迎えてくれた。
日を重ねるごとに、距離が縮まっていった。
夏になる頃には、すっかり懐いていた。
特に何が出来るわけでは無かったが、一生懸命に庭園の手入れを手伝った。
一緒に苗を植え替えたり、水をやったり、季節ごとに咲く花が違うことも教えて貰った。
そうして毎日のように通っていたら、何故か姉が怒りっぽくなった。
以来、姉に叱られると思ったら美鈴の所へ逃げ込むようになった。
「あらら、今度は何をしたんですか? 私も一緒に行ってあげますから、ちゃんとお姉さんにごめんなさいしましょう。白夜ちゃんは良い子だから、できるよね?」
今にして思うと、姉が美鈴に小言を言うようになったのは自分のせいかもしれない。
それは、ちょっとだけ悪かったかもしれないと思う。
――ちょっとだけ。
6歳の夏、パチュリーと小悪魔に会った。
姉に連れられて図書館に行ったのが最初で、何でも勉強をしろと言う。
姉は1年前からやっていて、今年からは自分も、と言うことらしかった。
逃げ出した、捕まった。
「――――また、何か来たわね」
顔色の悪いお姉さん、それがパチュリーの第一印象だった。
あまり友好的では無く、怖くて姉の背中に隠れた。
「まぁまぁ、よろしいじゃありませんか。咲夜ちゃんたってのお願いなんですし」
「私が何故、人間の小娘の頼みを聞かないといけないの?」
「お嬢様もよろしくと言っておりましたし」
「私はレミィの部下では無いわ」
「ああ言えばこう言うんですから……」
むしろ、パチュリーと一緒にいた小悪魔の方が印象が良かった。
美鈴のおかげで妖怪慣れしていたことも理由だろうが、少なくとも表面上は、小悪魔は「優しいお姉さん」に見えたのだ。
ただ、姉は小悪魔から自分を隠すような位置に立っていた。
この頃から、危険度の高低を測るのが上手かった。
距離感を測る、と言うか。
空気を読む、と言うか。
自分の立ち位置を選ぶのが上手かった、器用だったのだろう。
子供の頃から、すでに<完全で瀟洒な従者>の片鱗を見せていた。
「はぁ……仕方ないわね」
心の底から面倒そうに、しかし放り出すことはせず、パチュリーは言った。
その言葉はどういうわけか、何年経とうと心の底から消えることは無かった。
「ようこそ魔女の
此処には世界の全てが在る。
此処には世界の真理が在る。
此処は魔女が蓄えた知識の泉、その水を飲めば貴女も叡智を得るでしょう。
けれど私はその水の飲み方を教えない。
その毒の処し方を教えない。
それは貴女が自分で探しなさい。
魔女の図書館から探しなさい。
此処には全てがあり、真理があり、名声があり、栄光があり、そして死と創造が在る。
せいぜい、図書館の一冊にならないよう気をつけることね」
それから、パチュリーの下でいろいろなことを教えて貰った。
読み書き、算術、語学、歴史、経済……様々なことを。
そのほとんどに白夜はついていけなかったが、姉の助けで何とかなった。
この頃から、姉はあまり褒めてくれなくなった。
7歳の秋、初めてレミリアの前に通された。
それまでレミリアは姉にしか興味を持っていなかったが、魔女や門番の話を聞いて少し興味を持ったらしかった。
玉座のような椅子に座り、尊大にこちらを見下ろすレミリアの前で。
「赤ん坊の時以来かしら。私が貴女の所有者、レミリア・スカー……って、え?」
一言で言えば、粗相をしてしまった。
仕方ない、一目見た瞬間から呑まれてしまったのだから。
何の力も無い7歳の人間の娘が、500年を生きる吸血鬼の前で平静を保てるはずが無いのだ。
吸血鬼はそこいるだけで人の魂を掴み、生殺与奪を思いのままに出来る。
それは大妖怪のみが持ち得る権利だ、人間には持ち得ない権利だ。
姿形を目にした瞬間から、滲み出る強大な妖力に呑まれてしまったのだ。
蛇に睨まれた蛙の心地とは、まさにこう言うものだろう。
「え、え? ちょ、ええ? えーと……咲、は不味いのか。じゃあ美鈴だな。美鈴、めーりーん!」
8歳の冬、身体がおかしくなった。
能力が発現したのだ。
最初に気付いたのは美鈴だった、姉でなかったのが意外かもしれないが、この頃は姉よりも美鈴と過ごす時間の方が長かったのだ。
「白夜ちゃん、危ない!」
美鈴と庭園の手入れをしている時だった、土を入れた袋の山が崩れた。
下敷きになって、すぐに美鈴が助け出してくれた。
怪我一つなくて、その時は良かった良かったで終わった。
ただ人間は脆いからと言う理由でパチュリーに診て貰った所、能力の発現が確認されたのだ。
そうなってくると当然、訓練をしようかと言う話になる。
「私がこれに教えます。同じ人間が教えた方が効率が良いはずです」
と言う姉の一言で、姉が能力の使い方を教えてくれることになった。
この頃すでに姉は「時間を操る程度の能力」を発現させ、しかも完璧に使いこなしていた。
館や図書館の空間拡張も始まっていたし、すでにして戦力に数えられていた。
姉の時はレミリア自らが鍛えたらしいが、白夜はその姿を見たことは無かった。
姉の訓練は長く、苦しく、そして厳しかった。
泣くことも許されず、そして褒められもしなかった。
何かにつけて白夜の行動を監視、もとい管理するようになったのもこの頃からだった。
そして、姉が自分に笑いかけてくれなくなったのも。
「白夜、レミリアお嬢様がお呼びよ」
そして、10歳の冬。
姉に連れて行かれ、レミリア――この頃には流石に慣れた、というより、レミリアが妖気を抑えてくれるようになった――の前に通された。
レミリアは、白夜に言った。
「白夜、貴女にフランの世話を任せるわ」
それは、運命の言葉だった。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
フラ白だと思った? 残念、白夜の過去話でしたー!
この私が似たような展開を繰り返すわけがありません、姉編と妹編は当然、違うのです!
というわけで、次回こそは白夜とフランドールのお話です。
それでは、また次回。