現実世界で忘れられた神妖と人間が暮らす理想郷、
その幻想郷で唯一の湖、その中島には
紅魔館には、2人の「吸血鬼」が住んでいる。
(……あー)
1人はもちろん、館の地下に住まう<悪魔の妹>フランドール・スカーレットだ。
十六夜白夜の直接の主人であり、つい1時間程前には殺されかけたりもした吸血鬼の少女――少女、少女? うむ、少女である――のことだ。
そしてもう1人の吸血鬼こそが、この館の主人にして夜の支配者と呼ばれる吸血鬼の王。
(き、キツいって……!)
だらだらと内心で汗を流しながら、白夜は食堂の壁際に立っていた。
もはや当然とばかりに紅で装飾された室内は、酷く重苦しい空気に包まれていた。
日の光など無い、そもそも午前4時、日の出前である。
それでいて照明も蝋燭の灯りのみなので、本当に薄暗く寒々しいのだ。
「――――咲夜」
反響。
冷たく、幼さの中に重みを加えたような、不可思議な高い声が反響した。
自分が呼ばれたわけでも無いのに、白夜は背筋を伸ばしてしまった。
だが、それも仕方ない……何故なら、声の主はこの館の主人だったのだから。
「はい、お嬢様」
「いつものことだけれど、今日の『夕食』は特に美味だったわ。下ごしらえが良いのでしょう、褒めてあげる」
「――――光栄の極み」
(い、息がしにくい……)
隣で姉が腰を折る気配を感じるが、白夜はそれ所では無かった。
何しろ今日の下ごしらえの当番は自分だったので、話が自分に及びやしないかと戦々恐々としていたのだ。
それ程の緊張感が、そこにはあった。
(や、やっぱり、ぱない。レミリア様のカリスマ、ぱないって……!)
食堂を縦に貫くマホガニーの長机、その頂点――つまり上座――に座る人間、いや吸血鬼の名を、白夜は思った。
レミリア、レミリア・スカーレットの名を。
<永遠に紅い幼き月>の異名を取る、齢500を数える夜の支配者の名を。
「咲夜」
「はい、レミリアお嬢様――――どうぞ」
レミリアが手を掲げて呼びかけた直後、本当に1秒にも満たない直後、彼女の手にはワイングラスが。
咲夜の手にあるヴィンテージ物のワインボトルも、いつの間にかそこにあった。
瞬間移動か手品のように現れたそれに、レミリアは真紅の瞳を満足気に細めた。
白の強いピンクのナイトキャップの下で、青みがかった銀髪が遊ぶように揺れる。
フラン同様10歳の少女にしか見えない容姿だが、背中の
赤をあしらったピンク色のドレスを着ていて、ふんだんに使われたレースが可憐さを演出していた。
短く膨らんだ両袖に、腰と袖口をきゅっと締める紅いリボン。
スカートの長さは
「――――白夜」
(ひゃいいぃっ!?)
可憐? 何だそれは新作のお菓子か何かか。
ココアに合うなら食べてやらんでも無い、そんな適当なことを考えながら、不意に自分を呼んだらしいレミリアへと顔を向ける。
その際には当然、レミリアの傍でワインボトルを持つ咲夜とも顔を合わせることになるのだが……こちらも怖かった、能面のような顔で、それでいて
「…………」
「……白夜。レミリアお嬢様に返事をしなさい」
(だが無理だ)
「白夜?」
返事をしない白夜に苛立ったのだろう、咲夜の声には棘があった。
一方で、内心では返事をしまくっている白夜の思考はと言えば。
(こわっ!? 声だけで怖いと思わせる咲夜姉こっわ!? もーやだこの姉、常に怖いってどういうことなの!? やっぱり嫌い、なのに何でか仕事ばっかり振り分けてくるし、フラン様のことだってさぁ……)
恐怖の表明から単なる愚痴へと移行し始めていた。
もしかしたら、かなり神経が太いのかもしれない。
「っ……白」
何故か顔色を青くした咲夜の前に、主の小さな掌が揺れた。
構わない、身体でそれを伝えたのはレミリアだ。
首を僅かに傾けて笑うその様は、幼い身体でありながらどこか妖艶だった。
「白夜、忌々しい子」
何故だろう、レミリアに名を呼ばれると脳髄が揺れるような心地に襲われた。
瞳が自分を射抜き、言葉が
口元に覗く鋭い牙と、その牙を舐める紅い舌先が強い色香を放っているように、白夜には思えた。
「今日もフランの相手をしてくれたのだってね、ご苦労様」
「…………」
「――――そう、優しい子ね」
白夜は何も答えない。
だがまるで答えを知っているかのように、レミリアは言葉を続けた。
そして言葉が耳に届けば届く程に、白夜は自分の足元が不安定になっていくような感覚に襲われた。
言葉自体は、館の外に出られない妹の世話への御礼のような何かなのに。
(あ、これダメだ。ダメなやつだ)
グワングワンと揺れる頭で、首筋から背中を指先で撫でられているかのような感覚に陥りながら、咄嗟に両腕を掴んだ。
二の腕を掴んで、強く握る。
そうしなければ、「堕ちて」しまいそうだった。
頭の中で、レミリアの声が反響する。
何度も何度も響き続けるものだから、今、新たに何を言われているのかもわからなくなってきた。
顔が、いや身体が火照るように熱を持ち始め、立っていられなくなりそうな……。
「レミリアお嬢様」
がくん、と、頭の中で音がした。
身体から力が抜ける、と言うよりは、精神から力が抜けるような音だった。
そしてその音は、咲夜の声のように思えた。
(あ、え?)
気が付くと、咲夜が目を閉じて溜息を吐いている姿が視界に映った。
傍らでレミリアが苦笑のような表情を浮かべているのが、何だか印象的だった。
感覚が戻ってくる中で、レミリアが苦笑のままに言った。
「白夜、私はもう休む。お前は次の仕事に行くと良い」
(は? え、仕事、何……なんだっけ? あれ?)
目を白黒させつつ、白夜は姉の顔を見た。
しかし咲夜の表情がいつもと同じ――つまり、刺すような冷たい視線――のままだったので、ぼんやりとした頭のまま腰を曲げて、食堂を辞さねばならなかった。
次の仕事は、さて何だっただろうか?
――――そして、今、自分はどんな状態だったのだろうか?
そんなことを考えながら、白夜は紅く長い廊下を歩き始めた。
灯りの無い紅い廊下は、まるで闇の底へ誘っているように見えた。
そしてそれは、つい先程までの自分に相応しい表現のように、白夜には思えるのだった。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
新年明けましておめでとうございます。
今年も皆様に楽しんで頂けるよう、一生懸命作品を作らせて頂く所存です。
どうぞ、宜しくお願い致します。
お嬢様のカリスマは、パない。
それでは、また次回。