東方従者伝―瀟洒の妹―   作:竜華零

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フランドール・スカーレット:表

 ――――紅い。

 血で塗装したのではないかと思えるくらいに紅い部屋を、十六夜(いざよい)白夜(はくや)は駆けている。

 広い部屋だ、むしろ空間と言った方が良いかもしれない。

 無理矢理に拡張されている、と言う意味で。

 

 

「…………」

 

 

 何かから逃れるように一歩を踏み込んだ後、着地しつつ後ろを振り仰ぐ。

 その際、一部を三つ編みにしたロングストレートの金髪が扇のように広がった。

 蒼銀の瞳が、物憂(ものう)げに細められる。

 

 

 服装はロングスカートタイプのメイド服、今はスカートの端を摘むようにして走っている。

 ワンピース部分は赤で、エプロン部分やフリルは黒だ。

 ちなみに頭の上に乗っているカチューシャは黒である、ここまで来ると執念すら感じるから不思議だ。

 そして腰のあたりに金の懐中時計が揺れていて、一歩走る度に音を立てていた。

 

 

「――――アハッ!」

 

 

 不意に、笑い声が聞こえた。

 振り向くとそこに、10歳前後の幼女がいた。

 

 

「アハハッ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!」

 

 

 見た目は、まさに子供だ。

 紅いリボンのついたナイトキャップの中には、サイドテールに(まと)められた濃い黄色の髪が押し込められている。

 紅を基調とした半袖とミニスカート、白のソックスに紅のストラップシューズと言う出で立ち。

 どこから見ても、お育ちの良いお嬢様だ。

 

 

 ただし普通の子供と言うには、異常な点が2つある。

 まず背中に生えた一対の翼、7色の宝石をぶら下げた奇形の翼が少女の人間性を否定している。

 だがもう一つに比べれば、それすらも霞む。

 瞳だ。

 血を流し込んだかのような紅い瞳は、どこか焦点が合っていない。

 

 

「きゅっとして~……!」

 

 

 自分をフランと呼ぶ幼女が掌を握りこむその瞬間、白夜の目尻が僅かに震えた。

 それを見たフランの表情が愉悦(ゆえつ)に染まる。

 その顔は、見る者の心に得体の知れない寒気を呼び起こさずにはいられなかった。

 

 

「…………」

「ドカーンッッ!!」

 

 

 白夜が足を止めるのと、宙を舞うフランがそうしたのはほぼ同時だった。

 握り込まれる掌、それを視界に納めながら白夜は奥歯を噛み締めた。

 空気が震え、「何か」が起こったことを示す。

 「(それ)」は<破壊の力>、何者も逃れられない<究極の現象>――――。

 

 

 ――――何も起こらなかった。

 

 

 強いて言えば掌を握り締めた瞬間、白夜が己の身を抱き締めたことだろうか。

 両掌で左右の二の腕を掴み、何かに耐えるように顔を顰めたのだ。

 その際、ギシリ、と、何かが軋むような音が確かに聞こえた。

 だがそれ以上の変化は無い、その何が面白いのか、フランがケタケタと嗤っていた。

 悪魔のような、嗤い声だった。

 

 

「スゴイスゴイ! また壊れなかった!」

 

 

 ケタケタ嗤うフランに対し、白夜はドン引きした表情で駆け出した。

 まったくもって冗談では無い。

 「アレ」を何度もやられては命がいくつあっても足りないのである。

 

 

「アハハッ、アハハハハハハッ! 待ってよ白夜、どうして逃げるの? ねぇフランともっと遊ぼうよ! ねぇってばぁ!」

「…………」

「ウフ、まただんまり。フラン、もっと白夜の声が聞きたいなぁ~!」

 

 

 だんまり。

 そう、ケタケタ笑うフランと異なり、白夜の表情はまるで動いていない。

 無表情、冷静、固定。

 まるで凍り付いてでもいるかのように、微細な変化以外の表情を作らない。

 

 

 声も同様だ、ケタケタと嗤い声を上げるフランと異なり、一言も発していない。

 無言、沈黙、やはり固定。

 まるで(ろう)で固められてでもいるかのように、微細な変化以上に唇を動かさない。

 

 

「……………………」

 

 

 では、思考はどうだろうか。

 表情のように動かず、唇のように無音なのだろうか。

 いやいや、そんなことは無い。

 彼女も人間であり、人外に追われる状況に思うことはあるはずだ。

 

 

 だから本来は不可能なことだが、彼女の心の内を覗くことにしよう。

 十六夜白夜の心の声に、耳をそばたてることにしよう。

 さて、無表情にして無言、彼女は心の内側で何を思っているのか。

 彼女はいったい、その静謐(せいひつ)の仮面の下でどんな――――。

 

 

(いぃぃいいいぃやあぁああああああああああああああぁぁ――――――――っっ!?)

 

 

 ――――おや?

 

 

   ◆  ◆  ◆

 

 

 冷静沈着? 何だそれは美味しいのか。

 氷の仮面? どこのお菓子ですかそれは。

 優雅な(たたず)まい? それより甘いココアが先だ。

 そんなもの、白夜はとうの昔に燃えないゴミとして処分してしまっていた。

 

 

「アハハハハッ、じゃあもう一回行くよ! きゅっとして~……」

(やぁめてぇ――――ッ!)

 

 

 悲鳴。

 再び掌を握るフランの姿に、白夜は心の中で悲鳴を上げた。

 表向きは無表情に見えるかもしれないが、その実、メイド服の下は嫌な汗でぐっしょりである。

 それも下着までだ、ちなみに性的な要素は何一つ無い。

 

 

(ああもうっ、最悪! 今日に限って当番の妖精メイドがサボ――急な休暇で! いや言い直す必要ないよだってサボりだもん実際! 畜生、妖精なんて嫌いだぁ――――ッ!)

 

 

 表と違い、心の内側はやたらに騒がしかった。

 傍目(はため)には、後ろを振り返りつつフランと追いかけっこしているように見えるだろう。

 こう、「子供のペースに合わせてあげてるお姉さん」的なイメージを持つだろう。

 

 

 だが! しかし! 白夜は声を大にして――無言だが――言いたかった。

 

 

 これは、そんな甘っちょろい状況では無いのだ、と。

 今この瞬間、自分がどれだけの生命の危機に陥っているのか、わかっているのか、と。

 誰彼構わず、白夜は吹聴(ふいちょう)して回りたかった。

 

 

(大体、フラン様わたしより年上だし!)

 

 

 事実である。

 見た目10歳実年齢495歳(多分)の、「吸血鬼」がフランだ。

 フラン、フランドール・スカーレット。

 白夜の、「主」だ。

 

 

(そして、やっぱり痛ぁ――――ッ!?)

 

 

 フランが掌を握る瞬間、白夜は再び己を抱き締める。

 ギシリ、と部屋中に聞こえる程の音が響く。

 それを身体の内側で聞きながら、白夜がさらに距離を広げる。

 何でもないような顔をしているが、実際は全身が捻じ切られるような痛みを感じているのだ。

 

 

 そう言う「能力」なのだ、それは。

 そしてそう言う「能力」なのだ、これは。

 まぁ、痛いものは痛いので白夜は心の内側で泣きそうになっているのだが。

 ちなみに、フランは相も変わらずケタケタと嗤っている。

 

 

「うふふふ、白夜は本当に頑丈だよね。でも逃げてばっかりだしだんまりのままだし、飽きちゃった」

(よしきた! 1時間逃げ続けた甲斐があった! どうかこのまま解放されますように!)

「だから今度はねぇ~……」

(ですよね! 畜生、もう1時間追加かなこれ!)

 

 

 心の中で膝の屈伸を始めた白夜だが、次の瞬間に目を剥いた。

 何故なら、一瞬前まで後ろにいたはずのフランが目の前にいたのだから。

 

 

「…………」

(はぁ!? どんな速度して……ッ!?)

 

 

 

 瞬発力! 「吸血鬼」! 人間には知覚することすら不可能な速度!

 白夜は咄嗟(とっさ)に自分の腕を掴んだ、そしてそれはどうやら正解だったようだ。

 次の瞬間、白夜の身体が部屋の壁にめり込んでいた。

 

 

 殴られた、吹き飛ばされた、叩き付けられた、そうされたことを白夜は理解した。

 かなり痛い、正直泣きたかった。

 特殊な方法で強化されているはずの紅い壁は、罅割れて陥没していた。

 幼女の膂力(りょりょく)で、そして少女自身の身体によって。

 

 

「…………」

 

 

 身体には怪我一つ無い。

 血の一滴も流さず、骨の一つも砕けていない。

 だが、起き上がることは出来なかった。

 己の身を抱き「能力」を防いでも、衝撃は残るからだ。

 

 

「ねぇ、白夜。お願いがあるの」

 

 

 壁に背中を預けて座る白夜、鼻先が触れ合うような位置にフランの顔があった。

 白夜の足を踏みつけ、その上にしゃがみ込むフラン。

 彼女は、白夜に懇願の眼差しを向けていた。

 大抵の者なら「コロリ」と落ちてしまうだろう、愛らしい顔立ち。

 だが三日月の形に歪んだ唇からは、愛らしさとは程遠い言葉が告げられる。

 

 

 

「白夜が壊れるまで――――タタカセテ?」

(すみません本当勘弁して下さいフラン様ぁ――――ッ!)

 

 

 

 楽しげな声なのに、背筋が凍りそう。

 そんな不思議な声音を発した後、言葉の通り、フランが両手を振り上げた。

 ゆっくりと、(なぶ)るようにだ。

 そして、2人の周囲を取り囲む色とりどりの光弾――弾幕(だんまく)

 

 

(弾幕まで出しちゃったよこの人! ……あ、人じゃなかったや)

 

 

 

 これは不味い。

 幼女に叩かれる程度で何を?

 馬鹿を言わないでほしい、フランは普通の幼女では無い。

 と言うか、普通の幼女が人を殴り飛ばして壁を陥没させるか?

 しないだろう、つまりはそう言うことだ、絶体絶命の危機的状況なのだ。

 

 

「アハァ……ッ!」

(ひぃっ、目がイっちゃってる怖ぁ――――ッ!?)

 

 

 掌が振り下ろされる直前、白夜は例によって自らを抱いた。

 しかしそれに笑みさえ浮かべて、フランが腕を振り下ろし――――。

 

 

 

 

 

 ――――血塗れで倒れていた。

 

 

 

 

 

 一瞬、理解が追いつかなかった。

 自分を抱いた姿勢のまま固まる白夜だが、倒れたフランの周囲に大量の銀のナイフが刺さっているのを見て、顔を上げた。

 

 

「――――何をしているのかしら、白夜」

 

 

 そこに、自分と似た顔を持つ女性がいた。

 深海の色の瞳が白夜を見下ろしている。

 銀髪のボブカットはサイドを三つ編みにして、衣装は丈の短い青白のメイド服である。

 頭のホワイトプリムが可憐だが、妙な凄みを感じてしまうのは何故だろうか。

 

 

「妹様のお相手を務めるのは良いけれど、もうすぐレミリアお嬢様の食事の時間よ。言いつけておいた下ごしらえは出来ているのかしら?」

(あ、忘れてた)

 

 

 それに対して、白夜は身を起こし、立つだけに留めた。

 そして何も言わず、現れたメイドの女性のことをじっと見つめる。

 しばらくして溜息を吐いたのは、メイドの女性の方だった。

 

 

「……下ごしらえは私がしておいたから、セラーからワインを持ってきて頂戴」

(あ、いや、でもフラン様……)

「ああ、もう。何を……妹様? 妹様のことは私に任せて、早く行きなさい」

(いやいや、でも一応ほら、わたしフラン様付きのメイドだし……)

 

 

 ちら、と視線を動かせば、倒れたフランの――「妹様」と呼ばれている――身体に異変が起こっていた。

 銀のナイフで滅多刺(めったざ)しにされていた身体は、穴だらけだった。

 だが今、まるで逆再生か何かのように傷が消えていっているのである。

 

 

 傷が消える――普通ならばあり得ない。

 だから、普通では無い。

 彼女達は、普通では無いのだった。

 まぁ、そうは言っても、僅かばかりの職務への忠誠というものが白夜の足を止めていたのだが。

 

 

「――――命令よ」

「…………」

「……はぁ」

 

 

 有無を言わせぬ口調でそう言われて、ようやく白夜は動いた。

 だがその際の表情を見た時、メイドの女性――十六夜咲夜(さくや)は、また溜息を吐いた。

 まったく、そう言いたげな視線で白夜の背中を見つめる。

 

 

「…………」

 

 

 別に、今に始まった話では無い。

 白夜が咲夜の命令を聞くのは、今に始まったことでは無い。

 

 

 それは何故?

 

 

 メイド長とメイドだから?

 白夜が防戦一方だった相手を、咲夜が苦も無く止めることが出来たから?

 それもある、が、それ以上に。

 

 

 ――――咲夜が姉で、白夜が妹だからだ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ちなみにこの時、白夜が何を考えていたのかと言うと。

 

 

(怖ぁ、咲夜姉(さくやねぇ)マジ怖ぁ、刺されるかと思った。フラン様は……あー、咲夜姉がいるなら無問題だろうし。と言うか太腿にナイフホルダー直差しで大丈夫なのかなアレ、実はスリル楽しんでるとか? 怖くて聞けないけど)

 

 

 そんなものである。

 この物語は、このように外見と中身の間に凄まじいまでのギャップを抱える吸血鬼の従者少女が、勘違いと勢いの中で過ごす一日を描く物語である。

 答えは全て、沈黙の仮面の内側に。

 これは、そんな物語――――。

 




最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
次にあなたは、「やっぱり妹様かよ」……と言う!(バァ――――ンッ)

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