IS 喜んで引き立て役となりましょう!   作:ゆ~き

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9.女は恋をすると変わると言うが、変わり過ぎて別人になられるとすごく怖い。

 

 

 

 女は恋をすると変わると言うが、変わり過ぎて別人になられるとすごく怖い。

 

 

 

 箱入りお嬢様のように手を口に当てて恥じらうオルコット見ていると寒気がしてきた。

 この女は地面へ激突した際に脳をやられてしまったのだろうか。

 それとも時々別人格の自分を演じるというかなり痛い人だったのだろうか。

 もしそうなら話は早い。症状に対応した病院に連れて行けばいいからだ。

 だが残念ながら俺はそうではないことを知っている。詳細は分からないが何が起こったのかは間違いなく正確に理解していると思っている。

 

「とりあえず山田先生寝かせたけど、大丈夫かな?」

 

 意識を取り戻した山田先生が今のオルコットのようになってしまっていたらどうしようか。

 俺のすぐ後に入ってきて一夏達を視界に入れた途端気絶してしまった山田先生が無事であることを心から祈った。

 

 

 

 

 

 別に驚くことではない。

 オルコットは全く悪くない。

 悪いのは、いや悪いというのは語弊があるが、全ての原因は目の前の男にある。

 この男にお姫様抱っこされて至近距離で優しく語りかけられて落ちない女などいないだろう。

 繰り返すが、オルコットには何の罪もない。

 

「やったぞ智希!」

 

 その上この状況で普通に会話してこられると、もう清々しささえ感じられてくる。

 そうじゃないだろとかもっと他に言うことあるだろとかいう突っ込み的台詞はもはや意味を成さない。

 今俺にできるのはそのまま普通に会話を続けることだけだ。

 

「被弾はしてなかったようだけど、一夏に怪我は?」

「ないない。我ながら完璧だった」

「それはよかった。後で先輩達にお礼言いに行かないとね。昼にでも行こうか」

「そりゃもちろんだな。でもやってる時は必死だったけど今思い出すと全てが想定の範囲内というかうまくいったというか何というかもうそんな感じだったぜ!」

 

 悲しくなってきた。

 模擬戦を思い出して興奮している一夏に対してでも、今の会話の内容に対してでもない。

 数時間前のオルコットなら突っ込まずにはいられなかったであろう会話なのに、今のオルコットは何も言わずただにこにこと一夏を眺め続けているのだ。この女はいったい誰だろう。

 

「篠ノ之さん来なかった?」

「見てないぞ。箒がどうかしたのか?」

「一夏のところにお祝い言いに走ってったから」

「いやー見てないな。入れ違いになったかな?」

 

 最悪の事態は避けられた。篠ノ之さんはきっとアリーナの入り口の方へと走って行ってしまったのだろう。頭に血が上って一夏がどこへ向かっているかを考えなかったに違いない。

 

「で、オルコットさんとどういう話をしたか聞いておきたいんだけど」

「ああそうだな……って、どうしたセシリア?」

 

 一夏の口から出た箒という名の冷水を浴びせかけられて、オルコットはようやく正気に返ったようだ。

 

 

 

 

 

「謝ったんだよ、セシリアが気を取り戻した後すぐに」

 

 一夏は最初にそう言った。

 突っ込みたくて仕方ないが、まだそこまで話は進んでいない。

 

「内容は分かるだろ? 先輩達にすげー怒られたけど初日にセシリアを侮辱したこと」

「うん」

 

 さっきまでのにこにこ顔はどこへやら、オルコットの表情は打って変わって厳しい。

 理由はもちろん篠ノ之さんという存在に思い当たったためだ。

 

「一週間訓練して俺がどれだけセシリアに失礼なことを言ったかほんと分かってさ、もう全力で謝った」

「それで許してもらえたの? オルコットさんの顔はとてもそうは見えないんだけど」

「えっ?」

 

 一夏に顔を向けられて、オルコットは慌てて表情を取り繕う。

 

「ああ、やっぱダメだったのか。そうだよな、ごめん。さっきは俺が無理やり言わせちゃったみたいだ」

「そんなことはありません! わたくしはもう一夏さんのことを恨んでなどいませんわ!」

「ありがとうセシリア……」

 

 ここで突っ込んでしまっては俺はもう生徒会長に対して何も言う資格はない。

 

「じゃあ仲直りしたってことでいいんだね?」

「もちろんだ!」

「もちろんですわ!」

 

 もちろんという単語がユニゾンし、二人は顔を見合わせて笑った。

 分かるか生徒会長、俺はこういう光景をずっと見てきたんだ。あなたは俺より年上かも知れないが、俺はこういう場を幾度となく乗り越えてきたんだ。綺麗に流せるようになればあなたは次のステージへと進める。いつか自分の力で気付いて乗り越えて欲しい。

 真に恐ろしいのはこれを恋愛感情など一切なく全て素でやっている一夏なのだけれども。

 

「それはよかった。じゃあ模擬戦の内容については?」

「それも話した。もちろんそのことについても謝ったぞ」

「驚きました。全てが計算し尽くされた作戦だったなんて」

 

 精神的に追い詰めると言えば何となく聞こえは良さそうだが、実際やった行動はひたすらにオルコットをおちょくることでしかない。

 納得いかないふざけんなと怒鳴られても仕方のない行為ではあった。

 

「そういうことだったんだ。実力勝負じゃ一夏は絶対にオルコットさんに勝てないから、プライドなんて全部かなぐり捨ててみみっちくて器が小さくてどこまでも情けない行動をするしかなかったんだ」

「いや、いくらなんでもそこまで言わなくてもいいと思うぞ?」

「いいえ、決してそのようなことはありません。あの時の一夏さんは勝利のために全てを受け入れる覚悟を決めて、笑顔という名の仮面を被っていましたわ。きっとわたくしはその気迫に最初から最後まで飲み込まれていたのでしょう」

 

 恋という病に冒されてしまった女は熱に浮かされている限り全てを良い方に脳内変換してくれる。

 だからこういうときはかえって大げさに言ってしまった方が相手も否定しやすくていいのだ。

 全くもって俺がどさくさ紛れに一夏を罵りたかったわけではない。

 

「じゃあ先輩達のことは?」

「あ、それはまだだな」

「何の話ですの?」

「それはね」

 

 俺はオルコットに向き直った。

 隣で眠っているように見える山田先生は顔を赤くして震えているが大丈夫だろうか。

 

「作戦その他オルコットさんに勝つための一切合切はね、全部三年生の先輩方に知恵を借りたんだ。ほら、アリーナの客席に知らない人達いたでしょ?」

「まあ」

「智希が一人で三年の教室に乗り込んだんだぜ。俺も行くって言ったんだけど一人で行かないと信用してもらえないってこいつ譲らなくてさあ」

「男子一人で行かれたのですか!?」

 

 確かにあの時はかなり後悔しかけたが、結果として最上だったので無理をした甲斐はあった。

 

「まあそういうのはどうでもよくて、聞いて欲しいのは結果的に三年生のほとんどの先輩が今回協力してくれたんだ」

「それは……!」

「つまりね、今回オルコットさんが戦ったのは一夏だけじゃなくて、一夏と一夏の後ろにいた三年生の先輩百人だったってわけなんだ」

「それは……わたくしが勝てるわけありませんわね……」

 

 オルコットが肩を落とす。この手の理論型は理不尽にはうるさいが、理屈が通っていると途端に大人しくなるのだ。そうやっておちょくったという事実をあたかもすごいことをしたかのようにすり替えるのに成功した。

 

「だから僕らはオルコットさんのこと全部分かってた。例えばビットは六つあるのにオルコットさんは四つしか同時に使えなかったとかね」

「そこまで知っていたのですか!?」

 

 種明かしして相手をびっくりさせるのはとても楽しいことかもしれない。

 

「あれ、それって……?」

「とにかく、オルコットさんが弱かったわけじゃ決してないんだ。僕らが勝つためになりふり構わなかっただけだって話」

「その通りですわね。実際何もできずにやられてしまってよく分かりましたわ。完璧に準備を整えていたあなた方と、全てを軽く考えていたわたくしでは始まった時点でもう勝負は決まっていたのですね」

 

 当初の予定を変更して俺はオルコットを持ち上げる。

 最初は噛ませ犬として地に這いつくばってもらおうと思っていたが、そもそも優秀であるし意外と話も通じる。

 それに夫婦漫才をやれるくらいだから一夏との相性も悪くはないだろう。

 晴れて勝ったことだしオルコットが受け入れるのであればこれからは仲良くしておくのもいいな、と俺は算盤を弾いた。嫁云々は本人次第だが。

 

「ううっ、いい話ですね……」

 

 いつの間にか山田先生が起き上がって涙ぐんでいた。

 そこは最後まで眠った振りしておこうよと思った。

 

 

 

 

 

「そういうわけで、セシリアにクラス代表を譲ろうと思います!」

 

 教室に戻って、一夏が得意気にバカなことを言い始めた。

 倉持技研のあの人を卒倒させる気か。

 

「えー」

「ちょっとそれはないよー」

「みんな応援してたでしょー」

「あれだけ先輩方の手を煩わせておいて何を言っているのか分かっているのか!」

 

 当然のごとく、ブーイングの嵐を浴びる。

 

「えっ!? だって、セシリアの方が俺よりも実力あるのはっきりしたし、俺は実力がないからああやって小細工なきゃ勝てなかったんだぞ」

「だから勝ったのは織斑君でしょ?」

「それじゃ何のためにわざわざ模擬戦をやったわけ?」

 

 俺が何かを言うまでもなく、集中砲火の雨あられ。

 この男は自分が支持されると思っていたのだろうか。

 

「だってクラスの代表だぞ? まさかみっともないところを見せるわけにはいかないだろ? 俺は実力がないんだから、ここは実力のあるセシリアに譲るべきだろう」

「だそうだが、オルコットはどう思う?」

「元々立候補してたんだし、やってくれるよなセシリア?」

「ふふっ、そうですね」

 

 オルコットはどこのお嬢様だと言いたくなるような優雅な仕草でゆっくりと席から立ち上がった。

 

「だよな! やっぱりセシリアが適任だよな!」

「いいえ、クラス代表は模擬戦での勝者が就任するという取り決めですわ。ですから先程模擬戦でわたくしから勝利を収めた一夏さんがクラス代表になるのは既に決まっていることですよ」

「そんな!?」

 

 なるほど、オルコットと仲良くなれたからすんなり譲れるだろうと甘いことを考えていただけか。

 確かにオルコットは立候補していたが、それは一夏への対抗意識によるものであって、別にクラス代表そのものに固執していたわけではない。そして今対抗意識まで消滅してしまった以上、オルコットのような人間がわざわざルールを破ろうとするはずはないのだ。今思い出したがオルコットは法律の国の人間だった。

 

「ねえ織斑君、オルコットさんと模擬戦をしてクラス代表にはなりたくないって思ったの?」

 

 ところがこんな時でも優しい鷹月さんが、一夏に救いの手を差し出した。相変わらずの委員長気質と言うべきか、いつまでもうるさいからもういい加減に解放してやろうという哀れみからか。

 

「ん? そんなん最初からに決まってるだろ。誰が好き好んでクラス代表になんかなりたがるかって」

 

 だが哀れな一夏はわざわざ理由を作ってまで救おうとしてくれた鷹月さんの思いやりをあっさりと踏みにじってしまった。

 嘘をついたり小賢しいことをしないのが一夏の美点ではあるが、相手の意図にも気づかないでやってしまってはただの馬鹿でしかない。

 オルコットと戦って己の実力の無さ愚かさを思い知りましたとでも言っておけば代表から逃れる目もあったというのに。まあその場合は俺が全力で阻止するわけだが。

 鷹月さんは深くため息をつき、それから顔を上げて無表情に、一夏への同情を一切捨て去って言い放った。

 

「それならそもそも模擬戦をするかどうかの時点でオルコットさんに代表を譲るべきだったわね。模擬戦の勝者が代表になるんだから、模擬戦をやったということは代表になりたかったからしかないんだけれど?」

「あれ?」

 

 一夏はようやくその根本的な矛盾に思い当たり、しばらく考えてから真顔で俺を見た。

 俺は今さら何言ってんのという目を一夏に返す。

 一夏は目を閉じて天を仰ぎ、それから机に突っ伏した。

 

「では織斑一夏を一年一組のクラス代表とする」

 

 織斑先生の締めの言葉が教室に響き、拍手と爆笑が湧き上がった。

 

 

 

 

 

「い、一夏……? 少し言っておきたいことがあるのだが……」

「どうした箒? さっきの教室で何かあったのか?」

 

 昼休み、俺達三人は三年生の教室へお礼を言って回った。

 今回勝てたのは最初から最後まで先輩方のおかげだ。先輩達に頼らなければたとえ専用機があったとしても一夏はオルコットに攻撃を当てることができないまま負けていただろう。

 百人もいるので全員の顔を覚えられたわけではないが、全ての教室に挨拶をして回った。一応あの写真が前払いの報酬ということにはなっていたが、礼儀は礼儀だろう。

 

 一夏は行く先々で褒め称えられていた。何しろ本番で完璧な動きをしてのけて、予想されていたよりも断然早く勝利してしまったのだ。まさか勝負に出てそのまま沈めてしまう展開になろうとは、先輩方としても驚きだったらしい。

 先輩達の間ではちょっとした賭けが行われていたらしく、結果は大穴に近いものであったようだ。それは一夏が勝ったからではない。一夏が想像しうる限りでの最速の勝利を収めたからだ。勝率六割というのはオルコットの技量が想定の最大値であった場合だそうで、実際には想定以下だったのだが、先輩方のほとんどは一夏が勝つと踏んでいたそうだ。調子に乗らせてはいけないので俺達には言わなかっただけで。

 

 そんな中俺にとってとても意外な事実があった。三年生の先輩方には、ぱっと見ではあるが一夏に惚れてしまうような人がいなかったのだ。

 一夏は年上であろうと年下であろうと関係なく魅了してしまう男なのに、先輩達はこの一週間一夏を口説こうとかそういう方面で寄ってくることがなかった。

 確かに一夏は初心者も初心者な姿ではあったが、代わりにその姿で母性本能を刺激して惹きつけていくのかなと思っていた。だから誰も引っかからなかったのは正直なところ不思議だった。

 先輩達は親身に指導してくれていたが線引はしっかりしていた。終わった後来るのかと思ったが今も結局何もなかった。

 やはり篠ノ之さんの存在があったからだろうか。

 行く先々で篠ノ之さんは一夏の彼女扱いされて、照れながらもとても嬉しそうだった。

 

「そのな……女に対してあまり勘違いをさせるような行為はよくないと思うぞ?」

「は?」

 

 当然一夏にその言葉が通じることはない。全てが無意識であるし、そういう方向に気を回せるような人間でもない。

 

「いや、もちろん私はお前にそういう邪な気持ちがないことを十分に理解している。だからこそこうやって言わせてもらうのだ」

「箒? お前さっきから何言ってんの?」

 

 こと一夏に対して遠回しな物言いはどこまでも時間の無駄である。そもそも理解できるようであれば最初から的外れな行動をしたりはしない。

 だがこの男が本当に厄介なのは、かといってストレートに言えばいいというわけではないことだ。相手にストレートにぶつかってこられると、一夏は全力で引く。

 押せば引き、引いたら気づかれない。口説く相手としては最悪の部類だった。

 俺の知る限りそれを乗り越えられたのはたった一人しかいない。とはいえそれも友達としてでしかなかったが。番犬鈴は元気だろうか。

 篠ノ之さんは一夏の幼馴染という絶好の位置にはいるが、離れていた時間が長過ぎる。理想化し過ぎて本当の一夏とのギャップに戸惑っているし、小学生レベルの感情表現しかできていない。今の立場がなければ一夏の視界に入ることさえなかっただろう。

 だが俺はそれでも篠ノ之さんを推す。それは一夏の本質を理解しているからだ。正確には、俺が一夏の妻に求めるものを持っているからだ。今後は分からないが今時点では俺から見える範囲ではそれは篠ノ之さんしかいない。間違いなく小学生時代の一夏に触れていたことが大きいのだろう。

 

「いや、だから別にお前を責めているわけではないのだ。お前に悪気などあろうはずもない。ただ、どうしても相手は勘違いをしてしまうのだ」

「あのさ箒、そんな回りくどく言わなくていいからはっきり言ってくれ」

 

 さっきは山田先生が邪魔だったので夜にでも聞こうかと思っていたのだが、篠ノ之さんは気が気ではなかったようだ。我も忘れて駆けて行ったし、当然と言えば当然か。

 アリーナから教室に戻るときに出くわしたが、その時は一夏の横に山田先生がいたので篠ノ之さんも自重していた。

 

「だから、オルコットのことだ。その気もないのに優しい言葉をかけてしまっては、相手も勘違いをしてしまうのだぞ?」

「セシリアが? 何を勘違いするんだよ? ちゃんと俺謝ったぞ?」

「だからそういうことではなくてな……」

 

 前にもそういうのがいたので今の篠ノ之さんの気持ちはよく分かる。要は怖いのである。自分の不安が現実だったらどうしようと、篠ノ之さんははっきりとそれを口にできないのだ。

 先輩達に一夏の彼女扱いされたことで勇気を出して話しかけたものの、いざ一夏を目の前にしてヘタレてしまっていた。

 そして篠ノ之さんは耐え切れず、ついに何とかしてくれと俺に目で助けを求める。先輩達にべた褒めされたその強靭な精神はどこへ行ってしまったのか。もっといい相手が出て来たら正妻の座から降ろすぞ。

 今後は篠ノ之さんの精神も強化していかなければならないようだ。

 

「一夏、オルコットさんと仲直りしたのは聞いたけど、お互いに名前で呼ぶくらい仲良くなったの?」

「ああ、それね」

 

 篠ノ之さんが息を呑んだ。

 

「セリシアがそうしてくれって。よかったよ、俺の気持ちがちゃんと通じたってことだもんな」

「えっ!?」

 

 たまにこの男はわざとやっているんじゃないかと思う時がある。

 

「どういうこと?」

「俺初日からセシリアにひどいこと言っただろ? ずっと俺のこと睨んでたから怒ってただろうし、さらに俺が模擬戦で勝ったもんだからもう絶対許してもらえないって思ってたんだよ」

「……」

 

 もう篠ノ之さんは小さく震えて言葉を発する気力もない。弱過ぎるにも程がある。

 

「でも先輩達にもしつこく言われてたんだけど、たとえ許してもらえなくてもちゃんと謝らないといけないと思ってさ、セシリアが気を取り戻したらすぐ謝った」

「それで許してもらえたんだ?」

「ああ! もう生きた心地がしなかったぞ。だってすぐ目の前にセシリアの顔があったし」

 

 やっぱりオルコットに罪はなかった。

 目を覚ましたらなぜか一夏が自分を抱いていて、自分の顔のすぐ前で真摯に謝り始める。吊り橋効果どころの話ではない。衝撃がそのまま恋心に変換されてしまったか。

 

「で、仲直りのしるしじゃないけど苗字じゃなくて名前で呼んでくれってセシリアが言い出して、確かにあっちってそういうのあるよな。だから俺は本当に許してくれたんだなって思えたよ」

 

 一夏が得意げに笑う。一方篠ノ之さんは理解が追いついていないのか、はたまた脳がこれ以上考えるのを拒否しようとしているのか、微動だにしない。

 俺が助け舟ばかり出していたら篠ノ之さんのためにはならないのだが、今は仕方ないか。

 

「なるほど。オルコットさんとはいい友達になれそうだね」

「そうだな。でも聞いたらあいつすごいお嬢様みたいだから、ちょっと住む世界が違う感じするけど」

 

 篠ノ之さんの目に光が戻った。

 

「ああ、確かにそういう感じはするね。貴族っていうか」

「そうそう。庶民の俺達にはちょっと手の届かない世界だよなあ」

「本当か!?」

 

 篠ノ之さんが復活した。

 

「どうした箒? 俺今本気でびっくりしたぞ」

「本当に、一夏はオルコットのことを何とも思っていないのだな!」

 

 散々ヘタレたくせにここにきて直球ど真ん中か。ホームランを打ってくださいと言わんばかりの投球だ。

 

「は? だから、本当に悪いことをしたとは思ってるけど、何ともも何もそれくらいだぞ? 他に何かあるのか?」

「オルコットに対して特別な感情はないのだな!」

「特別って……まあこれから友達になれたらいいなくらいは思ってるけど」

「そうか!」

 

 篠ノ之さんは全身で喜び、俺は自分がホームランを打たれたかのような衝撃を受けた。

 あの一夏が女子に対して友達になりたいだと!?

 

「箒、お前さっきからどうしたんだ? 何かあったのか?」

「気にするな。懸案事項が一つ解決されただけだ」

「は? まあ機嫌よくなったみたいだからいいけど、何かあったら言ってくれよな」

「ああ、任せておけ」

 

 上機嫌のあまり篠ノ之さんはもう自分が何を言っているか分からないようだ。

 一夏が俺にどういうことだと目で聞いてくる。

 俺はさあと両手を上げて返し、一夏はいつもの女の不可解な行動かと一人納得したようだ。

 

 無事篠ノ之さんの懸案は解決したが、代わりに俺には重大な事案が発生した。

 一夏に友達になりたいと言わせるオルコットとはいったい何者なのか調べなければならない。

 正直、オルコットのことは適当に相手をしておけばいいかと思っていた。

 一夏は自分に好意的な相手を無下にすることはないし、オルコットも相川さん他一夏派の一人になるのだろうなくらいの感覚だった。

 

 なんだろう、模擬戦を戦うことで一夏の方にも何か芽生えたのだろうか。

 昔の人は友情を確かめるために河原で殴りあったらしいが、それと同じようなことが起きたのか。

 一夏がどういう女子に興味を持つかは俺にとってとても重要な問題で、いくら俺がふさわしいと思ってもその人が一夏にとって苦痛な相手では全く意味がない。全員が幸せだと思えてこその一夏ハーレムなのだから。

 前から一夏に近づく女子を見てきたが、一夏はタイプとかフェチ的な嗜好を特に持っていない。

 また外面よりも内面を重要視するのは知っているが、女の内面のどういうところがいいのかまではまだ解析できていない。何しろ恋愛感情というものを全く解さない男であるが故に。

 姉の織斑先生やその影響を受けた篠ノ之さんのようなタイプには割合平気で接するが、同じようなタイプでも一夏が嫌がる女子はいたので、同じタイプを揃える的なことはできない。

 本人に聞いても優しい人がいいとか一般的過ぎて全く参考にならない返答しか戻って来ないので、一夏が興味を持つ女子が出て来たらその人を分析しようと思っていた。

 そして今オルコットが現れた。

 機会を見つけてオルコットと会話し、一夏が好む要素を見つけ出そう。

 そうやって把握していけば、ゆくゆくは俺がこれはと思った女子を一夏好みに仕立てあげることだって可能だ。

 

「なあ智希、女ってほんと分かんないな」

 

 完全に上機嫌となった篠ノ之さんがスキップするかのような軽い足取りで教室に入って行く。

 俺は一夏の方がもっと分からないな、と思った。

 

 


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