IS 喜んで引き立て役となりましょう!   作:ゆ~き

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30.タッグマッチ一日目 難題

 

 

 

 全く何もできなかった、というのはきっと目の前の光景のことを言うのだろう。

 

 

 

 アリーナの中でIS姿の彼女達が呆然としている。

 全力を出すどころではない。

 本当に何もできないままただ攻撃を受けただけで終わってしまったのだ。

 二人とも鈴とハミルトンによる開幕即イグニッション・ブーストの速攻で沈んでしまっていた。

 

「嘘でしょ……」

 

 俺の隣りに座る三組代表ベッティが呆然とした声を出す。

 

「いや……あいつらその可能性もあるって最初から分かってたんじゃないのか……?」

「甲斐田君が普通にあり得るって言ってましたよね……」

 

 五組の佐藤と菅原さんもそんな馬鹿なとでも言いたいようだ。

 

「ふむ……しっかりと気持ちを入れる前に終わらされしまったようだな。タッグマッチ最初の試合という緊張もあったのだろうが、地に足を着けられなかったか」

 

 そんな中、一人ボーデヴィッヒは顎に手を当てながら分析していた。

 試合の入り方に失敗したか。もちろんそれもあるだろうが、常時強烈なプレッシャーをかけてくるのが鈴にとっての正攻法だ。初見ではクラス代表であるベッティや佐藤でさえ飲み込まれてしまったのだ。

 いくら対戦相手の彼女たちがパイロット科志望の生徒とはいえ、初めての真剣勝負の場で敵が鈴というのは相手が悪過ぎた。しかも相方のハミルトンまでさすがは留学生という動きを見せて、鈴が落とすよりも早く自分の相手を沈めてしまっていた。まあ鈴はどちらかと言うと速攻型ではないが、それでも鈴は開幕即決めると言わんばかりの連打を繰り出していたのにだ。

 だがそれよりも先にハミルトンは相手を翻弄して一発も攻撃を受けないまま、かすらせさえせずに落としたのである。予想通りで当然のことかもしれないが、技術的にベッティや佐藤と同等以上で間違いない。

 スタイル的には一夏やベッティに近いだろうか。ブレード一本しか出していなかったし、一夏とハミルトンが試合をしたらさぞ一夏は楽しくて仕方ないだろうなというのが実際に見た感想だ。

 

「うーん、鈴がもうちょっと思慮深ければなあ」

「どういうこと?」

「鈴が開幕特攻なんて馬鹿なことしなきゃこっちもいい経験が積めたのにと思って」

「は?」

「どういう意味ですか?」

「実際相手に何もさせなかったわけであるし、戦術としてそこまで間違っているとは思わないが?」

 

 確かにこの試合を勝つことだけが目的なら、ふわふわしている相手に対しての奇襲攻撃は十分すぎるくらい有効だろう。

 だが優勝までの道のりとして考えれば、鈴はシード権なしの生徒の中で一番のアドバンテージをドブに捨てたとしか言い様がない。

 

「ベッティさんと佐藤さんもああいう馬鹿な真似はしないでよ?」

「あ、ああ」

「バカな真似? ……ああ、そういうこと」

「どういうことだベッティ?」

「要するにね、甲斐田君は一戦も無駄にするなって言ってるのよ」

 

 ベッティには伝わったようだ。そうでなければ意味がない。

 こちらは決勝までの道筋を立ててやっている。それぞれの試合に意味があり、やるべきことが存在する。

 たとえ速攻で沈めることができるような相手であろうと、連携の確認その他やれることやりたいことはいくらでもあるのだ。

 それをさっさと終わらせるなんて実にもったいない。

 

「そういう話か。だが体力的な話を考えれば速攻で終わらせるのがそこまで悪いことだとは思わないぞ。実際あたしはリーグマッチで連戦による体力の消耗があったのは否めない。ましてや今回は一週間の長丁場だ」

「あら、まるで疲れてなかったら私に勝てたかのような言い回しね」

「なんだと?」

「まあまあ。でも佐藤さん、それはコントロールが必要だという話であって、短ければそれでいいという話じゃないんだ。例えば長期戦になる場合だってあるんだし、試合後のコントロールだけじゃなくて試合中のコントロールだって必要なんだから。それに実際に試合の場だからこそ分かることもある」

「な、なるほど」

「だいたい鈴は明日試合ないんだよ? 一回戦は二日に分けられて行われるから今日試合した人は明日は休みだ。だから鈴は今からケチる必要なんてないはずなんだ」

「今日の疲れは明日で回復できますもんね」

 

 この分であれば鈴とハミルトンは戦術は考えていても戦略までは考えていなさそうだ。

 もちろん優勝を見据えて体力の温存などは考慮しているようだが、それは目の前の相手を順番に倒していけばいつかは優勝できる、程度でしかない。

 

「甲斐田智希君、勝者の二人がこちらに向かって手を振っているぞ? 応えてあげないのか?」

「鈴はよく見つけたな……ってほどでもないか」

「リーグマッチの時と違ってスカスカですからね」

 

 数千人も収容できるアリーナにせいぜい百人くらいなのだから寂しいものだ。

 と言ってもそれでも今の試合はタッグマッチ最初の試合で、おそらくこれから試合を控えている生徒以外はほとんどがこの場にいる。

 同時に別会場でも試合は行われているが、何と言ってもリーグマッチで準優勝だった鈴の初戦だ。自分に関係ない試合よりは普通に気になるだろう。

 アリーナの中にいる鈴は思い通りにいったおかげか、どうだ見たかとでも言いたげな得意顔だ。ハミルトンはテンションが上がっているのか、こちらに向かって激しく両手を振りながら満面の笑顔で飛び跳ねている。

 仕方ないので俺も手を振って応える。

 

「ま、この分なら一夏よりも鈴達が決勝に上がってきてくれた方が勝てるね」

「ほう、君にはもう勝ち筋が見えているようだな」

「と言うよりは今の試合を見て予想の範囲内だったって話なだけだけどね」

「それは頼もしいわね。甲斐田君が味方でよかったわ。ねえ佐藤?」

「否定はしないがあたし達が甲斐田の作戦を実行できるかはまた別の話だ」

「まあね。さてと、甲斐田君、この後はどうするの?」

「いやいや、負けた二人のところへ行くに決まってるじゃない。放っておく気?」

「おっとそうでした。じゃあ行きましょうか」

 

 アリーナの中でも放送で出場者は控室に戻るよう言われている。だが榊原先生の言い方は砕けていて、通常の授業の延長線のような感じだ。

 どうやら今回はリーグマッチの時と違ってそこまでかしこまった空気ではないようだ。まあ内輪の行事だと言うのもあるのだろう。

 俺達は立ち上がり二人が戻ってくる控室へと向かった。

 

 

 

 

 

 控室に着くと我に返ったであろう敗者の二人が抱き合って大泣きしていた。

 結果としては瞬殺されてしまったという形だが、技術的な話をするとそこまで絶望的な差があったわけではない。二人ともパイロット科志望だし、俺としても最初を乗り切れてさえいれば鈴達ともそれなりに打ち合えたと思っている。

 足りなかったのは経験値だ。それも真剣勝負の場の。

 篠ノ之さん的には覚悟とでも言うだろうか。

 

 面食らったのは二人が俺に対して泣きながらごめんなさいを連呼してきたことだ。

 もしかして俺が怒っているとでも思ったのだろうか。

 だが泣きながらなので途切れ途切れな単語を拾っていくと、どうやら二人は俺の言ったことを分かったつもりになって実際は分かっていなかったと言いたいようだ。

 マインドとハート、頭で理解することと心で感じることは別物だということなのだろう。

 

「これが甲斐田君の言ってる負ける意味か」

「ただ負けだけを言うならあたしもベッティは何度も経験してるけどな」

「リーグマッチのことを言ってるなら自分は負けから学んだって言える?」

「だから言ったんだ。ただ負けただけじゃ意味がない」

「……そうね。私もこの一ヶ月は甘かったなあ。リーグマッチで試合した相手に今やって勝てるか自信持てない」

「一ヶ月後に全員参加の個人戦があるのは最初から分かってたのにな」

「まあまあお二人とも。でも今は個人戦じゃなくてタッグマッチですよ。そして甲斐田君もいるじゃないですか」

 

 場の空気もあってしんみりしかけた空気を菅原さんが戻す。

 やはり菅原さんはそっち側だ。

 

「そうだな」

「甲斐田君よろしくね」

「もちろん僕にできることはやるよ。ただ試合をするのは僕ではないというのと、勝負なんだから相手もいるってことだ。なかなか思い通りにはいってくれないというのを覚えておいてね」

「まさに今見た光景だな」

「これはみんなに伝えておかないと。ええと、次にみんなが集まれそうなのは……」

「あ、じゃあちょっと抜けていい? 次に見る試合の場所で再集合ってことで」

 

 俺は手を挙げると周囲は揃って驚いた顔を見せた。

 いや、そんなにおかしなことを言った覚えはないのだが。

 

「甲斐田君……今度は一体何を始めるつもり?」

「は?」

「それは元々考えていたことなのか? それとも今の試合を見て思いついたことなのか?」

「はい?」

「さすがだな。君は常に自分のやるべきことを理解し先を見て行動しているのだな」

「ボーデヴィッヒさん?」

「このへんが私達との違いなんですねー」

 

 なんだかよく分からないがまた的外れな深読みをされている気がする。

 別に大した意味もなかったのだが。

 

「いや、鈴に一言声をかけてこようかなって思っただけだよ。後で無視したとか言われたくないから」

「なるほど、相手が一試合終えて一息ついたところで心理戦をしかけようって話なのね」

「え?」

「手伝えることがあればやるぞ? 話を合わせる程度ならあたしでもいいだろう?」

「いやいや、大所帯で行くとかえって警戒されるだけだし、ほんとに一言かけてくるだけだから」

 

 瞬殺とはいえ試合で体を動かして、鈴は気分が高揚しているだろう。なのにそんな中集団でぞろぞろと行ったら鈴の短い導火線に火を付けてしまうかもしれない。

 誰がわざわざ好き好んで虎の尾を踏むような真似をするか。本来であれば触りにさえ行きたくないのだが、後から文句を言われないためにやむを得ずなのだ。

 

「佐藤さん、甲斐田君は一人でやる必要があるから抜けるって言ったんですよ。私達にやって欲しいことがあったら最初から言うでしょうし、ここは甲斐田君にお任せするということで」

「まあ……それもそうか」

「邪魔となるのは我らにとっても本意ではないだろう。ここは甲斐田智希君のやりたいようにやらせるべきだ。ただ、いくらIS学園の中とはいえ安全上男子が一人で行動するのはいかがなものかと思う」

「またそれか」

 

 あれ以来、ボーデヴィッヒは一見俺の身を案じている発言をするようになった。

 もちろんドイツ本国の指示だろうが、いちいち口を挟んでくるので正直鬱陶しい。

 特に俺が一人でうろうろするのが気に入らないようだ。外の世界ならいざ知らず、ここはIS学園なのだからかえって安全だと言うのに。

 

「またなどと言わないで欲しい。男子が一人で出歩くなど本来はありえない行動なのだぞ。その上君は希少な男性IS操縦者。本来であれば四方を護衛で固めるべきなのだ」

「だからそれはIS学園だからこそだよ。ここ以上に安全な場所はないから僕もこうやって大手を振って歩けてるんだって」

「でも実際甲斐田君は一人でいたところをうちのクラスの杉山さん達に絡まれてますよね? 二三人ならまだしも大勢に囲まれて安全だって言えるかと言うと……」

 

 別にその程度……と正直思うところだが、口に出すのは止めた。

 ベッティと佐藤がしかめっ面になったからだ。どちらも一人でいた俺に絡んできている。

 その程度などと言ってわざわざ二人の気分を害することもない。

 

「はいはい、じゃあ専用機持ちのボーデヴィッヒさんについてきてもらおうかな」

「うむ、この私に任せて欲しい。君に害をなそうとするものは全力で排除してみせよう」

「いやいや、IS学園の中なんだからそこは穏便にね」

 

 結局こいつが言いたいのはこれである。言うまでもなく監視のためだ。

 デュノアが一夏に付いているので自分は俺に付くという話である。

 ついでに千冬さんの話も聞けて一石二鳥だとでも考えていそうだ。

 

「じゃあラウラは甲斐田君のことをよろしくね。でも邪魔はしちゃダメよ?」

「それは言われるまでもない。護衛が口を挟むなどあり得ないことなのだからな」

 

 ボーデヴィッヒが腰に手を当てて得意げに胸を張り、その頭を笑顔のベッティが優しく撫でている。

 そんな光景を見る見つけ、ボーデヴィッヒが俺の横にいても抑止力になる気が全くしないと思わざるをえなかった。

 

 

 

 

 

 まさか二十分近くも待たされるとは思わなかった。

 

 タイミングが悪かったといえばその通りだ。

 ノックして声をかけると、数秒の沈黙の後今着替え中だから待てという鈴の怒鳴り声が返ってきた。

 でもたかだかISスーツを脱いで制服に着替えるだけで二十分はないだろう。シャワーでも浴びていたのだろうが、それにしても俺が来るまでも時間はあったはずだ。負けた三組の二人がしばらく泣いていたように、きっと勝利の喜びではしゃいでいたに違いない。

 横にボーデヴィッヒがいてくれたので雑談して時間を潰せたが、危うく一人寂しく廊下に突っ立って待つ羽目になるところだった。

 

 そして今ようやくお許しが出たので中に入る。ボーデヴィッヒは顔見知りでもないし遠慮して廊下で待つそうだ。

 

「あんたねえ、来るつもりがあったなら最初から言っておきなさいよ。女の子には準備があるんだから」

 

 さらにこれである。

 出迎えは両手を腰に当てての仁王立ち。ただ同じ姿勢のボーデヴィッヒよりは子供に見えなかった。と言っても中学一年生と三年生程度の違いではあるけれど。

 

「準備って着替えるだけでしょ。これでも時間置いて来たのに、まさか僕が来た時もシャワーとか浴びてないとは思わなかった」

「は? あんた何言ってんの? 智希が来た時にはシャワーくらいとっくに浴びてたわよ」

「え? じゃあこの二十分近く何してたの?」

「だ、か、ら、準備があるって言ったじゃない。いい智希、女の子は男子と違って身だしなみを整えるの」

「でもさすがに二十分は……」

「それはシャワーとか浴びたんだから仕方ないじゃない。髪も濡れちゃうしいろいろ落ちちゃうし」

「にしても……」

「あーもう、じゃあ理解しなくていいからそういうものだって覚えておきなさい。それよりもあんた何しに来たのよ? なんかあたし達に文句とか言いたいことでもあるの?」

 

 勢いで無理矢理押し切ってきた。

 扉の向こうではやけにどたばたしていたようだったが一体何をしていたのだろうか。

 まあ別にどうでもいいか。鈴も言うのが面倒そうだし詮索するほどでもないだろう。

 

「別に文句とかないよ。単純に一回戦勝利おめでとうって言いに来ただけ」

「本当に!?」

 

 と横からハミルトンが入ってきた。

 これはさっきからのテンションの高さそのままだ。

 

「やあティナ、ほんとにすごかったよ。完勝だったじゃない。無傷どころか相手にまともに攻撃さえさせなかったね。正直びっくりしたよ」

「あ、ありがとう……」

「あら智希、あんたやけに素直じゃない。いつもならここで負け惜しみのひとつでも口にしてそうなのに」

「らしくないからやめろとか言うならそうしてもいいけど?」

「バカ、そういうことじゃなくて褒めてるのよ。いい智希、そうやって素直になれば周りの人もちゃんと受け入れてくれるんだからね」

 

 ニヤニヤしながら鈴が入って来て説教まで始めた。

 というかどこが褒めているのか分からないし、別に俺は拒絶されたりしてもいない。

 

「はいはい。でもティナはさすが留学生だね。ISの動かし方を分かってる。リーグマッチに出てても一夏以外には勝てたんじゃないかな」

「それは……どうだろう?」

「しっかり一夏を外すあたりが嫌らしいわね。自分がいるから一夏には勝てないよっていう自画自賛?」

「僕がいようがいまいが結果は一緒だったよ。リーグマッチに関してはね」

「全然そんなことないよ! 一組を纏めてたのは智希なんだし!」

 

 せっかく来たのでこの際一夏の強さを意識させようと思ったが、ちょっと失敗した。

 俺の方に矛先が向いてしまった。

 

「智希がいなきゃ一夏に勝てた気がしないでもないけど、まあ負け惜しみよね。でもティナが他のクラス代表とやっても勝てそうなのは同意するわ。もちろん留学生なんだからそうでないといけないんだけど」

「それもあって鈴とティナのペアに穴なんてないと分かってはいたんだけど、今の試合だからね。あの二人別に弱くはないんだよ」

「うん、動き方からしてこれは絶対に乗せちゃいけないと思った」

「最初パニクっててその後立て直そうとはしてたわね。でもそういうのをこっちに見せてた時点で逆手に取られる一択よ」

 

 考える暇を与えない、もしくはもっと混乱を誘う、という話である。

 完全に見透かされていてはいいようにされてしまって当然だ。

 

「だよね。でも初っ端から鈴が全力で突っ込んでくるかもしれないと言っておいたのにこれだからね。僕としちゃもうどうにもならなかった」

「智希は鈴がそうするかもしれないって分かってたの?」

「鈴の性格からしてあり得るって話ね。でもそれを正面から打ち破ったんだから二人はすごいよ」

「智希が褒めるとかかえって怖いわね。なんか裏がありそうで」

「鈴」

「まあ鈴がそう言うのは分かる。でも結果が出てるのに後からグチグチ言ってもみっともないから負けは負けとしても認めないと。それに今の話は本題に入る前の雑談みたいなものだし」

「じゃああんたはわざわざ何しに来たのよ?」

「忠告しに来た」

「へえ」

 

 訝しんでいた鈴の目に力が入った。

 一方ハミルトンの目にはなぜだか喜びの感情が見える。

 

「このままじゃ一夏に勝てないよ? シャルルとティナはいい勝負になるとしても、鈴が一夏に勝ち切れない。そもそも一回戦から試合する鈴はスタミナの部分で一夏にハンデがあるんだから、持久戦になったら鈴の方が崩れる」

「それくらい分かってるわよ。だからこうやって速攻で沈めたんじゃない」

「疲労は日々蓄積されるよ。それに二回戦はともかく三回戦以降は今以上の相手ばかりだ。はっきり言って初戦で速攻を使ったのは正直よくなかった。同じ手はもう通用しない」

「別に構わないわ。さっきみたいに正面から問答無用で叩き潰せばいいだけの話だし」

「待って鈴、だから智希はもうそれは止めた方がいいって言ってるの」

 

 要するに、鈴とハミルトンは一回戦から張り切り過ぎた、という話である。

 あんなものを見せられたら次以降の対戦相手は間違いなく対策を打つに決まっている。

 そしてその目指す先は泥沼の持久戦だ。

 

「さすがティナは分かってくれてる。今後の対戦相手は鈴とティナのやりたいようにやらせてくれないんだけど、それでも力押しの無理攻めをしようとしたら無駄に体力を消耗するだけだって話」

「それは……」

「相手の意図が明確なら対策も立てやすいよね。むしろやりやすい相手だ」

「ホントにそこまでしてくるの?」

「少なくとも僕はそうする。四回戦以降で三組の人が二人と当たった時は徹底的にやらせてもらうよ。さっきのお返しとばかりにね」

「ああ、智希なら確かにやるわね」

「つまり智希はもう少し考えて動けって言いたいんだよね?」

 

 同意を求めてハミルトンが笑顔で俺を見てきた。

 もちろん俺は頷く。

 

「うん。別に二人が馬鹿だとかそういうことを言いたいんじゃないよ? ただ仮にも優勝を目指すんだったら、それにふさわしい姿を見せて欲しいってこと。このままじゃ二人はは確実に、もう一回言うよ、確実に一夏から返り討ちにされる。しかも楽勝で。今の僕にはそういう未来しか見えない」

「い、言い切るわね」

「だからわざわざここまで来たんだ。どうせ鈴のことだから何か裏があるとか思って信じてくれなさそうだしはっきり言うけど、一夏が元気なまま決勝まで上がってこられたらこっちに勝ち目がなくて困るんだよ。ただでさえこっちは一回戦からの連日連戦で疲労困憊なんだから、決勝の相手が元気な一夏とシャルルなんて冗談じゃない」

「なるほど、そういうこと。智希が忠告とか絶対何か企んでると思ってたけど」

 

 鈴が腑に落ちたように深く頷いた。

 やはり俺のことを疑っていたようだ。

 もちろんそれは正解である。

 

「智希、つまりあたし達は決勝までは手を取り合えるんだよね?」

「いやいや、それまでにでも三組の人が当たったら当然勝ちに行くよ? ただABブロックで一夏と一番いい勝負をできそうなのが二人なわけで、その二人に簡単に負けられたら困るって話なだけだよ」

「うん、今はそれでいいよ。必要としてくれるのなら。でもそれならあたし達のことは見ててね?」

「別に頼まれなくても普通に気になるし見るよ」

「ありがとう! そ、それで、この後なんだけど、一緒に観戦しない?」

「あ、それは無理」

「えっ……」

 

 しまった、言葉の選択を間違えた。

 見るからにハミルトンへ大ダメージを与えてしまった。

 

「ちょっと智希!」

「ごめん、言い方が悪かった。この後二人が見たい試合って二回戦の相手になる人達の試合でしょ? どうせ二回戦で二人に負けるんだから正直僕にとっては見る価値がないんだ」

「あ、そういうこと……」

「別にそんな気は遣わなくていいわよ? 智希の見たい試合に合わせるから」

「鈴、今の本気で言ってる?」

「えっ?」

「あっ」

 

 ハミルトンは気づいた。もちろん気づくと分かって言ったのではあるけれど。

 真剣な顔になったハミルトンは鈴に向き直る。

 

「鈴、あたし達はそういうところから変えていかないといけないんだ」

「ティナ?」

「智希、そうだよね。試合なんだから相手がいるんだよね」

「そういうこと。がんばって」

「うんっ!」

 

 俺に向けられたハミルトンの笑顔を見て、不意に布仏さんの顔が浮かんだ。

 ああ、この花開くような表情は強度MAXの笑顔というやつだ。

 

「ティ、ティナ?」

「鈴、行こう。あたし達はまず相手のことを知らないといけないんだから」

 

 言いながらハミルトンは自分の荷物を持ち、扉を開ける。

 開いた先にはボーデヴィッヒが直立不動で立っていた。

 

「あなたは……」

「話をするのは初めてだな。ラウラ・ボーデヴィッヒだ。ドイツより今月からIS学園に編入している」

「……ティナ・ハミルトンです。カナダから来ています」

「誤解なきように明言させてもらうが、私が今ここにいるのは甲斐田智希君の護衛のためだ。それ以上の意味はない」

「はあ」

「そして、個人的には君の想いが成就することを願っている」

「!」

 

 そう言ったボーデヴィッヒの顔は普段からするとらしからぬ、優しさに溢れたとでも言えそうな表情だった。

 ハミルトンはこちらに背を向けているので、その表情は見えない。

 

「がんばってくれ」

 

 ハミルトンはそれには答えず、ただ頭を下げてから走っていった。

 

「あんた、いい奴じゃない。鳳鈴音よ」

 

 余計なことを言いながら鈴がハミルトンを追いかけて行く。

 

「さて」

 

 二人を見送ってから、ボーデヴィッヒがこちらへと向き直った。

 

「少々敵に塩を送り過ぎのように思えるが」

「そう?」

「いや、別に咎めているわけではない。説明してくれた通りその意図も分かる。だがそこまで奮起させる必要があったのかと疑問に思っただけだ」

「ああ、そういう話」

「もちろん君が確信を持ってやるからには必要なのだろうな。そうか、織斑一夏君は今やそこまでのものなのか」

 

 なるほど、ついでにボーデヴィッヒも勘違いしてくれたか。

 ならばあえて誤解は正すまい。

 

「試合になったら僕はもう何もできないからね。それまでに何ができるかってことだよ」

「全体を見据えられているからこそここまでできるのだな。将来の対戦相手の対戦相手にまで目を配るとは、これこそまさにお膳立てと言うのだろう」

 

 確かに、今やっているのはお膳立てだ。

 ただしそれはベッティと佐藤のためではなく、一夏のためのものである。

 そういうわけで俺は鈴とハミルトンのペアに弱点を作る。宮崎先輩の言った弱点とは最上級生である宮崎先輩から見た弱点であり、入学したばかりの一年生にとってはまだ弱点にならない。

 またその弱点とは俺が突くことのできる弱点でも足りない。試合をするのは俺ではないからだ。鈴ハミルトンと試合をするのは、またその作戦を考えるのは四十院オルコットのペアである。

 だから俺はここからの数試合で四十院さんとオルコットが作戦を立てられるような弱点として昇華させる。四十院さんもオルコットも俺と同じ指揮班だったのでどういう考え方をするのかは分かっている。終着点は既に決まっていてそこまではほぼ一本道だ。

 彼女達四人がIS学園の生徒として最善を尽くすのであれば、俺の思うように進んでくれるはずである。

 

「と言ってもみんなにとっては余計なお世話かもしれないけどね」

「そんなことは決してない。君のような優秀な指揮官なら安心してついていけるというものだ」

「いやいや、優秀なのはみんなであって僕じゃないよ。いつも学ばされてばかりだし」

「その謙虚な姿勢があるからこそ慢心なく突き進んでいけるのだろうな」

 

 別に謙虚して言っているのではない。本心だ。

 彼女達は優秀であるからこそ、俺が論理を示せば納得し、自分から行動してくれる。方向性さえ示しておけば逐一確認しなくていいというのは本当に楽だ。つきっきりになるまでもなく俺はまた別のことができる。

 それに学ばされているというのもまた事実だ。

 ただ一言褒めに行くだけのはずが、心理戦という言葉を俺に教えてくれたおかげでここへ来る道中に一連を組み立てることができた。

 さらにボーデヴィッヒに対するデュノアやドイツの上司の行動から、人を間接的に動かすことを学べた。俺を胡散臭い目で見てくる鈴を動かすなら、鈴の信頼するハミルトンを使えば直接鈴を言いくるめるのと比べて労力が数倍違う。鈴の拳が飛んで来るかもしれないという薄氷を踏む必要もなく、自主的にやってくれるので見張っておくまでもない。

 自分一人で何もかもやろうとしていたかつてからすれば天国みたいなものである。

 

「それでも結果どうなるかはまた別の話だけどね。さてと、かなり時間食っちゃったし行こうか」

「おお、もうこんな時間か。急いだ方がよさそうだな」

 

 ボーデヴィッヒは俺の護衛という意識からか、真剣な顔に切り替えた。

 

 

 

 

 

「うわー、くっきり差が出たねー」

 

 俺の出した今日の勝敗表を見て、田嶋が目を丸くした。

 

「五組がひどいね。クラス代表以外全敗はさすがに驚いた」

「んでその分三組が勝ったと。半分近くは三組が勝ったんだ」

「二組四組が五勝三勝だから、確かに五組の分を三組が取ったと言ってよさそうだね」

 

 今日行われたのは一回戦の半分強である十六試合。ABブロックの試合である。

 各クラス八チーム出場したわけであるが、実力が均等であれば各クラス四勝前後になるはずだ。

 ところが五組はクラス代表杉山しか勝てなかったという話である。

 大惨敗と言っていいだろう。

 

「三組は七勝……っていうか凰さんに負けたのはしょうがないとしてほとんど全勝じゃん」

「みんなに半分は負けるよって脅しといたんだけどそれがいい方向に行ったのかな?」

「そ、そんなことしてたの? 甲斐田君の脅しとかそりゃ必死になるよー」

「それどういう意味?」

「へっ? いやいや、悪い意味で言ってるわけじゃないですから!」

 

 夜竹さんほどではないにしろ、田嶋もたいがい考えなしに言葉を発する。

 もっともこの手の俺を貶める発言は今やクラス全員に共通する話か。

 

「はあ。まあいいけど五組についてはある程度予想できてたんだよね。だってクラス代表の杉山さんとその取り巻きで訓練時間を独占してたし」

「あー、そういう不公平あるとかわいそうだねー」

「でも明日は五組ももうちょっと巻き返してくるとは思う。三組と一緒に訓練してた人達が出るし、杉山さんの取り巻きも明日だから」

「ていうか甲斐田君の支配下にいる五組の人達って実質三組だし、五組がダメダメってことには変わりなさそう」

 

 支配下とかまた舌の根が乾かないうちにこの田嶋は、と言いたいが最近はもういちいち目くじらを立てるのも面倒になってきた。

 クラスメイト連中はもしかしたらもう無意識にやっているのかもしれない。

 

「でも三組も明日は今日ほどはうまくいかないと思う。今日は相手がよかった部分もけっこうあったから。明日は二四組のパイロット科希望者がそれなりにいそうだし、特にDブロックは厳しいかも」

「甲斐田君は今日の試合を見て明日の予想ができるの?」

「別に予想ってほどでもないよ。全体的なレベルは変わらないんだから今日弱めだったら明日はもう少し強そうとかその程度。誰でも考えるようなこと」

「いやー、普通の人はそこまで気にしないと思うなー」

「田嶋さんに普通とか言われても何も説得力はないね。さてと、今日の一組なんだけど」

「あっ、ちょっと待って。その前に……報告?」

 

 そんな疑問形で言われても困る。

 

「一組のこと以外で何かあった?」

「いや、甲斐田君の命令なのかもしれないけど、甲斐田君と一緒にいた五組の人で……ほらセミロングで人懐っこそうな顔してる人」

「その言い方からすると菅原さんかな」

 

 佐藤はどちらかなどというまでもなく姉御系だし、他の五組連中は佐藤か菅原さんを挟んで接してくるのできっと菅原さんのことだろう。

 

「うん、名前知らないけどきっとその人。で今日その人がなんか怪しいというか、コソコソした感じで話をしてる現場をちらっと見ちゃって」

「それで?」

「だから、なんか怪しいって話で」

「それは話の内容が?」

「周りを気にしてたから近づけなかったんだけど、いかにも怪しいーって感じでこうわたしの第六感がふつふつと」

「なるほど。話をしてた相手は分かる?」

「リボンの色で一年生だってことは分かったけど……」

「ふむ」

 

 まあ普通に考えれば五組のクラスメイトだろう。

 杉山のところから出てきた以上、自分のクラスメイトと話すにしてもあまり大っぴらにできなさそうなのは分かる。

 それだけなら特に気にするような話でもないが。

 

「それって甲斐田君の命令?」

「違うよ」

「こう誰かに聞かれちゃいけない的な真剣さがありましてね、わたしとしてはこれ絶対何かあるって感じなんですよ。いかにも裏で暗躍してますって雰囲気で」

 

 誰が田嶋の直感など信じるか、と個人的には言いたいが、この前のボーデヴィッヒについてはそう外れたものでもなかった。

 事件に対する嗅覚、という意味では田嶋の本質に沿う事柄でもある。

 

「あ、そうだ。それはいつの話?」

「ついさっき。ここに来る前」

「新聞部の部室に来る途中か……」

「それでわたし思ったんですよ。実はあの人五組のスパイで、こっちの情報を流してたんじゃないかって。そうだったらすごくおもしろいと思わない?」

「おもしろい……って田嶋さんにとってはそうか。じゃあそれは、本当に目撃したの?」

「いやいや、実際この目ではっきり見ましたって!」

「そうじゃなくて、あえて目撃させられたんじゃないの? って話」

「それは!」

 

 一笑と共に切り捨ててもいいが、この際あえて乗っかってみる。

 せっかく乗り気になっているのだ。

 五組関連の話なら田嶋にかき回させるのもいいだろう。

 

「だっておかしいと思わない? 周りを気にしてたのなら普通田嶋さんのことだって気にするよ」

「ま、まさか……わたしは泳がされていた……?」

「この前のごたごたで向こうは田嶋さんのことを知っててもおかしくないしね。例えば元々僕との関係を疑ってて、そういう場を見せて田嶋さんが僕に報告に行くのを確認するとか」

「そんな! もしかして尾行とかされちゃってた!?」

「かもしれないって話だよ。五組としては一組と三組の関係はすごく気になるだろうしね。一組にも三組にも喧嘩を売っている以上手を組まれたりしたら困るわけだし」

「そ、そういうことだったのか……」

 

 こっちが不安になるくらいあっさり乗ってしまった。

 まあいい。元々傍観者的な意識だったのだろうが、残念ながらお前も当事者の一人だ。

 本当に楽しみたければ自分も舞台に上がれ。

 

「と言っても今のは全部僕の想像だよ。実際どうかは分からないし、別に何かされたわけじゃないんだから放っておいていいかもしれない」

「そんなことできるわけないって! だってクラスのみんなが困ることになるかもしれないんだよ!」

「いや、さすがにそこまでは」

「甲斐田君を集団で取り囲むような人達だよ? 少なくとも何考えてるかはっきりさせとかないと危ない」

「田嶋さんちょっと落ち着こう」

「さゆか!」

「ほえっ?」

 

 いきなり呼ばれて、長椅子に寝転んで自分の撮った写真を眺めていた夜竹さんが顔を上げる。

 見るからに全く話を聞いていなかったようだ。

 

「行こう! クラスの平和を守るために!」

「な、なんかよく分かんないけど分かった」

 

 いったいどこへ行こうというのか。もう夕方だと言うのに。

 

「田嶋さんちょっと待って」

「大丈夫! もうヘマはしないから」

「そうじゃなくて、行く前に報告。今日の一組の様子は?」

「ああそれ。えーと……特に異常なし! 以上!」

「ええ!?」

「さゆか、行こう!」

「はーい」

 

 妙な使命感に目覚めた田嶋が部室から飛び出していき、夜竹さんがカメラを持って追いかけていく。

 新聞部の人達が気を利かせてくれて席を外してくれていた結果、俺は部屋に一人取り残された。

 そういえば前にもこういうことがあった気がする。

 

 

 しかしどうしよう。新聞部員でない俺は部室の鍵を持っていないのでここから動けない。

 

 

 

 

 

「よお」

 

 シャワーを浴びて明日のことでも考えようかとぼんやりしていた午後九時過ぎ、ドアを開けると立っていたのは一夏だった。

 珍しいことがあるものだ。いつもは鍵をかけていても合鍵使って問答無用で入ってくるくせに。

 

「どうしたの一夏? 何かあった?」

「ちょっと話をしに来た」

「話? 今日は全然話せなかったからとかそういうこと?」

 

 と言っても今更な話だ。

 俺と一夏が一日別行動を取るなんて別に珍しいことでもない。休日の検査やリーグマッチの訓練などこれまでも普通にあった。

 あえて言うなら今日は昼夜食事も別だったし朝会話をして以来ということだが。

 

「あー、それはそれで今日だけじゃなくてここしばらくについて言いたいことはあるんだが、今はそうじゃない」

「なんか真面目な話がありそうだね」

「まあな」

 

 頷くと一夏は首を動かして自分の後ろを指し示す。

 見れば一夏の体の後ろにデュノアが隠れていた。

 

「シャルル?」

「や、やあ……」

 

 返事をしたデュノアにいつもの笑顔はなく、むしろ強張って、緊張しているようだった。

 

「じゃあ入るぞ。やっぱり忙しいからダメだとかないよな?」

「そういうのは優先度の問題だよ。大事な話なら聞くから」

「お、おじゃまします……」

 

 聞きながらでも足を止めないあたり、一夏はいつもと変わらず問答無用で話をする気満々である。

 だが一夏は二人部屋につき余っている側の椅子に座り、デュノアをベッドの方に促した。

 俺はてっきり一夏がベッドの方に来ると思い込んで自分のベッドに腰掛けてしまったが、この配置では話をするのに微妙な距離だ。俺からは一夏よりもデュノアの方が近い。

 これはどういうことだろう。

 

「さてと、話があると言ったけど話をするのは俺じゃない。智希とシャルだ」

「シャルルが? 何か問題でもあった?」

「いや、それは……」

「大ありだよお互いに。お前ら、話をしなさ過ぎだ。最近ってことじゃなくて、シャルが転入してきてからずっとだ」

 

 それはあえてそうしていたことだ。

 デュノアのことは最初から疑っていたし、デュノアに一夏を頼らせる的な意味合いもある。

 そして疑いは予想通りで、デュノアも一夏べったりになって目論見はうまくいったはずだ。

 俺としては特に問題もない。

 

「そうかな? 僕も忙しかったし一夏がシャルルの面倒見てくれてたから別にいいかと思ってたんだけど」

「分かってる。お前があえてそうしてるってことくらいは。それに智希は智希で忙しくていろいろ大変だってのも見てれば分かる」

「まあね」

「智希がシャルに最大限気を遣ってるってことはじゅーぶん分かってる。その上でだ」

「うん」

 

 果たして一夏は何を言い出すのか。

 お前らもうちょっと仲良くしろよと間に入るにしてはもったいぶり過ぎだ。

 

「俺の目からは何かがよくなったようには全然見えない。いや、智希が俺の知らないところで何かをしてくれてるのかもしれないけど、少なくともそれはシャルにまで届いてない」

「い、一夏、だから」

「シャルはちょっと黙っててくれ。もちろん俺も反省してる。シャルがすごく言いづらそうだったし智希が突っ込んでこなかったから、俺も大丈夫かと思って甘えてた。でもそれは間違ってた」

 

 一夏が言っているのはおそらくデュノア家の事情のことだろう。

 俺としては一夏が聞いているようだし特に急ぐこともないと思って放置している。

 デュノアが薬を飲んでいたりと精神に変調をきたしているのは把握していたが、表面上デュノアは落ち着いていて特に問題があるようにも見えなかった。

 デュノアにはいつも一夏がついているし、何かあればすぐに分かるだろうとそこまで心配はしていなかったのだ。

 

 つまり、今一夏が来たということは何らかの問題が生じたということである。

 心当たりはもちろんある。一週間ほど前の出来事だろう。

 デュノアは俺に嵌められてボーデヴィッヒ共々俺に正体をバラしてしまっていた。

 もしかしたらそのせいで今デュノアは心身ともに調子が悪くなっているのかもしれない。

 

「そういうことね」

「俺も先月は変に踏み込んで智希に嫌な思いをさせちゃったし、正直遠慮がちになってた。でもこのままじゃマズいと思ったからこうして来たんだ」

「なるほど、一夏の気持ちは理解した」

「サンキュー。でだ、俺としては二人は一度きちんと話をした方がいいと思うんだ。智希は遠慮せずに、シャルはビビらずに」

「ビビらずに?」

 

 思わずデュノアの方を向くと相手は反射的に俯いた。

 待て、俺にビビるとはどういうことだ。

 

「ああそうだ。シャルはもう智希にビビりまくってるぞ。それも最近の話じゃなくて、転入してきてからずっとだ」

「えー……」

「その顔はやっぱ分かってなさそうだな。この一ヶ月でちゃんと話をしてればそういうこともなかったんだろうけど、智希が気を利かせた結果お互いビミョーな距離になっちゃったって感じなんだよな」

「ごめん、正直そこまでは意識してなかった」

 

 普段のデュノアはわりと完璧系の人間で、万事においてそつがなかった。

 取り繕っているのは分かっていたが、それを完璧にやれているならまだまだ大丈夫だろうと思っていたのだ。

 様子がおかしくなったりボロを出し始めたりしたら警戒しようか、くらいで。

 

「あ、だからって智希だけのせいだとかそういうことじゃない。もちろんシャルにだって問題はある。俺のことはともかくとして智希に対して後ろめたいから、及び腰になってるのは間違いない」

「へえ」

「どうせお前のことだから分かった上で黙っててくれてるんだろうけど、シャルにとっては相当きつかったみたいなんだ。いつ殺されるか分からない的な不安かな?」

「いや殺されるって」

「シャルにとってはそれくらいの感覚だったんだよ。智希からしたらそれくらいしてくるならそれ相応の度胸を持ってるだろうって考えたんだろうけどさ、シャルはそこまで強くないんだ。どこにでもいる普通の……人間だ」

 

 妙なところで間があったが一夏の言いたいことは理解できた。

 そうか、俺の存在がデュノアにプレッシャーを与えていたか。

 実に心外な話である。

 新聞部部長の黛先輩と同じで、俺に関する尾ひれの付いた噂を真に受けてしまったに違いない。

 

「うん、よく分かったよ。それならまずは誤解を解いておかないとね。きっと恐ろしい人間とか思われてそうだし」

「そうそう。そんな感じだ。あ、もちろん智希だけじゃなくてシャルにも話してもらうからな。もう智希は分かってるからいいじゃなくて、ちゃんと自分の口で言うんだ」

「い、一夏……」

「大丈夫だ。こういうのは喋ったらすごい楽になるんだ。なんでこんなにウジウジしてたんだろうって思えるくらいにな。それに話した後のことも心配しなくていい。智希なら絶対になんとかしてくれる。今までずっと智希に助けてもらってきた俺が言うんだから間違いない」

「いやいやいや、僕にだって無理なものは無理なんだけど」

 

 さすがにそれは買いかぶりにも程がある。

 大抵の場合において俺自身が何とかしたわけではない。クラス代表を決める模擬戦にしろリーグマッチにしろ、誰かに何とかしてもらっただけなのだ。

 俺自身に何かを成し遂げる能力はない。ことISに関してはなおさら。

 

「智希で無理なら他の誰にだって無理だ。いろんな人達からお前がこの二ヶ月でやり遂げたことがどれだけすごいかって聞かされたぜ」

「だから、それにも限度はあるわけで」

「あー……、要するにだ、智希以上にシャルの悩みを解決できそうな人はいないってことなんだ。それこそ千冬姉よりもだ」

「千冬さんよりも?」

「そうだ」

 

 一夏がまっすぐに俺を見て頷く。

 つまりそれは男性IS操縦者に関する事柄に他ならない。

 ということはこの一ヶ月のデュノアに対する態度は完全に失敗だった。

 問題を抱えたデュノアを宙ぶらりんなまま放置してしまったからだ。

 俺は一夏に任せず何を置いてもまずデュノアに対処すべきだった。

 

「そっか。それなら僕も楽観視して見通しが甘かったのは間違いないね」

「まあそのへんは後で話そう。まずはシャルが話しやすくなるように、智希からいろいろ話をしてくれないか?」

「また無茶振りを」

「こう言われてるけど実際はどうだったとかそんな感じでいいからさ。そういうのだったらいくらでもあるだろ?」

 

 笑顔でそんな簡単なことのように言われても困る。

 しかしデュノアの緊張を和らげられるような話題など……とりあえずはお互いにとって共通となりそうな話だろうか。

 そうだ、そういえばあれがあった。

 

「はいはい。じゃあ……シャルルは僕と初めて会った時、自分の名前を知ってるってびっくりしなかった?」

「う、うん。フランスの国民も知らないトップシークレットをどうして知ってるんだろうって」

「まあそうだよね」

「あ、でも智希にもすごく関係あるし話だし誰かから教えてもらってたのかなって」

 

 千冬さんですら存在を確認できていないのに、まして俺が名前まで知れるわけがない。

 ただ俺の場合は向こうから俺に会いに来てくれたというだけの話である。

 

「実はね、シャルルが来る一、二週間前だったかな、デュノア社の人と会ったんだ」

「えっ、誰!?」

「黒木さんと名乗ってたね。黒木……和海さんだったかな」

「あの人!?」

 

 デュノアは驚きと共に顔を険しくした。

 なるほど、知り合いか。そしてデュノアはその黒木さんを快く思っていない。

 

「ちょっと待て智希。いつの間にそんなことしてたんだよ?」

「先月に外出した時だよ。僕は三人の人と面会をしたじゃない。そのうちの一人がデュノア社の黒木さん」

「ああ、あん時か。じゃあどうしてそれを俺に言ってくれなかったんだよ」

「一夏は聞こうとさえしてなかったけど、帰りのタクシーで僕は言ったよ。まあ一夏は同じ男性IS操縦者がフランスにいることすら知らなかったんだから、覚えてなくて当然といえば当然なんだけどね」

「えっ!? そうなの!?」

「あ、いや、それは……」

 

 自ら地雷原に突っ込んでいくというもはや恒例行事とも言える一夏の自爆行為だが、さすがにデュノアにとっても予想外だったようだ。

 だがそれはそうだろう。まさか世界に四人しかいない自分の仲間の居場所すら把握していなかったとは夢にも思うまい。

 織斑一夏とは人格的にはこれ以上なく信頼できるが、相談相手としてはこれ以上なく信用ならない人間である。

 

「いちか~……」

「そういうわけだから、僕も一夏がなんとかしてくれるなんて最初から考えてない。一夏がどうにかしようと思ったら今みたいに相談に来るだろうって想像してた」

「ま、まあ実際そうだしな」

「一夏のきっとなんとかなるってそういうことだったんだ。ずーっと智希に相談しに行こうしか言わなかったけど、智希に全部丸投げするつもりだったんだ」

「いやだって、俺としたらそれが一番なんだし……」

 

 デュノアが頬を膨らませて抗議し、抗議を受けた一夏が動揺してたじろぐ。

 何かしらの考えを持った上で相談に行くのと、何も考えようとせず全部丸投げにしようとするのは天と地ほども違う。

 デュノアからしたらこの数週間はいったいなんだったのかとでも言いたくなるだろう。

 

「で、でも、シャルだってずーっと決心がつかないって先延ばしにしてたじゃないか。いくら俺が大丈夫だって言っても言い訳してさ」

「言い訳って、だから僕にだっていろいろ都合ってものがあって」

「あーはいはい。うまい具合に噛み合ってここまで時間が過ぎたのは理解できたよ。喧嘩の続きは部屋に戻ってやってもらうとして、とりあえず話を戻そうか」

「あっ、ごめんなさい!」

「そ、そうだな」

 

 俺の常套手段ではあるが、一夏を使って場の空気を和らげた。

 デュノアも少しは肩の力が抜けたようだ。

 

「それでその黒木さんから、フランスの男性IS操縦者はデュノア社の社長の息子だって教えてもらったわけなんだ」

「なるほど……」

「あとシャルルのお父さんが今大変なことになってるって」

「……それ、相当ひどい言い方してたよね?」

「そうだね。呆れてものも言えないって」

「その点に関してだけは僕も同意するよ。誰に対しても不誠実極まる話なのは事実だから」

 

 このあたりはデュノアも純愛主義国家フランスの人間か。

 隣のイタリアやスペインに行けばその程度で大騒ぎするのかという反応が返ってくるような話であるし。

 

「そのへん一夏はシャルルから聞いてるよね?」

「シャルのお父さんの話か? 愛人作ってて二つの家族があったんだよな。まあ確かにこそこそしてシャル達をいなかった扱いしてたのはよくないな」

「だから一夏、問題はそういうことじゃなくて」

「ストップストップ。その問題は文化の違いとかあっていろいろややこしいから今は置いておこう。それよりもう一つあって、その時黒木さんから言伝てをもらったんだ。シャルルのお父さんからの」

「言伝て?」

 

 危ない危ない。肩の力が抜けたはいいが今度は変な方向に熱が入ってしまうところだった。

 黒木さんの時も感じたがフランスの人間はこの手に話にはヒートアップしてしまいそうだ。

 幸いこの一ヶ月での一夏の言動に変化はなかったから、一夏がデュノアに毒されていないことは分かっている。俺も常々正反対の論理を一夏には言っているし。

 だがデュノアが一夏を純愛思想に教化しようとしているのは間違いなさそうである。今後は厳重な注意が必要だ。

 

「うん。確か、自分の息子が困っているから助けて欲しい、だったかな」

「ええっ!?」

「それ驚くようなこと?」

「う、うん……。智希に対して助けて欲しい……?」

 

 子を思う親の気持ちとして一般的にそこまでおかしな話ではないと思うが。

 ああ、デュノアが疑問に感じたのはなぜ俺に対してということか。

 

「伝言の形になったのはシャルルのお父さんは一夏に面会を申し込んで断られてたというのがあると思う。僕の方に来てた黒木さんの方は認められたからそういう形になったんだろうね」

「ああ、そういうこと」

「だから僕に対してというよりは、僕や一夏の後ろにいる千冬さんや日本に対してってことじゃないかな」

 

 もっともそれだと今度はその後千冬さんや日本から徹底して隠そうとする意味が分からなくなるが、黒木さんの態度を鑑みるに単純にフランスも一枚岩ではないということなのかもしれない。

 

「へー、俺にも来てたのか。まあ千冬姉が断ったんだろうけどさ」

「あの頃はシャルルのお父さんだからとかじゃなくて全部断ってたからね」

「でもあの人達がそんな危ない橋を渡るのかな……?」

「シャルル、あの人達って誰のこと? シャルルのお父さん? それとも黒木さん?」

「両方だよ」

 

 顔を上げたデュノアには明確に怒りの感情があった。

 

「智希も知っての通りこれはすごくデリケートな問題で、誰も責任を取りたがってないんだよ。だからあの人達がそんな自分にとって危険な行為をするのかって疑問なんだ」

「まあシャルルのお父さんには社長って立場があるからなんとなく分からないでもないけど、黒木さんも?」

「そうだよ。だってあの人は何もしてくれなかった。デュノア社の中じゃ問題解決に対して一番近い立場にいるはずなのに、今自分にできることは何もないとか何とか言って関わろうとしなかったんだ。責任取らされて自分の研究をできなくなるのが嫌だったんだろうけどさ。でもその裏で日本に来て智希に会ってる? ますます信用ならないよ」

 

 黒木さんがデュノア社でやっているのは男でも動かせるISの開発だ。

 一見男性IS操縦者とは深い関係がありそうにも見える。

 しかしデュノアが言うには黒木さんはデュノアに関わろうとしなかった。また俺に対しても協力を求めているわけではないとはっきり言っている。

 それは科学者としての見地からなのか、それともまた別に意味があるのか。

 

「でも黒木さんが僕にフランスの事情を教えてくれたのは事実だ」

「うん。つまりそこまでの危険を犯す価値があったってことなんだろうね。例えば僕が来る前に伝えておいた方が何かと都合がいいとか」

「どういうこと?」

「そのおかげで智希がいろいろ準備できたんだから、十分意味はあったよ。知っての通り僕達は最初から智希に警戒されてた結果何もうまくいかなかったじゃないか」

 

 デュノア的には反対勢力の仕業とでも言いたいのだろうか。

 デュノアやボーデヴィッヒ側と対立する集団があって、黒木さんはそちら側の目的に沿ってやってきたとか。

 だが向こうの事情を把握しているわけではないが、デュノアの論理には少々飛躍があるように見える。

 俺という外からは不確定要素の固まりにIS学園での大部分を投げてしまっているのは、いくらなんでも計画としてずさん過ぎる。俺はIS委員会から無能扱いされているくらいなのだ。たかだかリーグマッチのゴーレム戦だけ見てそこまで俺に委ねられるだろうか。

 どうもこのあたりはデュノアの私情が入っていそうだ。

 

「うーん、でも黒木さんてシャルルのお父さんに対して否定的な感じだったんだけど、実は仲良かったりするの? でも今回のことで幻滅したとか?」

「元々知ってたし、最初からいい感情は持ってなかったよ。むしろ僕達に対して同情的だった。でも自分の身に降りかかりそうになったらすぐ逃げたから、所詮はその程度だったんだろうけど」

「そっか。ということは今回のことは利害が一致したからとかそんな感じかな?」

「そうじゃないかな。責任を押し付けられる相手がいるなら喜んで握手するよ。誰も彼もみんなが責任責任と言って押し付け合いをしてるのが現状だし」

 

 吐き捨てるようなデュノアの発言には嫌悪感がありありと見えた。

 よく分かった。今のデュノアは信頼していた大人に裏切られた子供だ。

 横目で見ると一夏も難しい顔をしている。施設にはその手の連中がたくさんいたから、一夏も十分理解できるのだ。

 そこには何もできない無力な自分がいて、その苛立ちを誰かにぶつけずにはいられない。

 であるならば。

 

「なるほどね。となると何についての責任をたらい回しにしてるのかが気になるところだけど」

「それは……」

「あとシャルルがどうしてそこまで入れ込んで自分の力で何とかしようとしてるかも疑問かな」

「……」

 

 デュノアが言いよどむ。

 結局はそこだ。大の大人が揃って解決できない問題とは何なのか。そしてフランスから遥か日本までデュノアを駆り立てた動機は何なのか。

 

「シャル」

「一夏」

「自分の口から言うんだ。たとえ智希にとっては分かりきってることだとしても」

「……」

「シャルの口から言わないと、何も始まらないんだ。誰かに何かを助けてもらいたかったら、まず助けてって言うところから始めようぜ」

「……うん」

 

 折れ曲がっていたデュノアの首がまっすぐに伸びる。

 ようやくその目には決意の火が灯っていた。

 

「智希、智希も知ってることだろうけど、改めて言うね。まずフランスの男性IS操縦者は僕じゃなくて僕の弟、エミールだ。そしてその姉である僕は目くらましと時間稼ぎのためにエミールの身代わりとして日本のIS学園に来たんだ」

「うん……うん?」

「あ、目くらましの方は知らなかったのかな? 今フランスの男性IS操縦者が日本にいるって公式に発表することはしないんだけど、国内にリークして今フランスにはいないらしいって空気を作ろうとしてるんだよ」

「な、なるほど」

 

 いやいや、目くらましとかそんなことはどうでもいい。

 今俺の知らない情報が山ほど出てきてしまったではないか。

 弟? 姉? ちょっと待て。

 

「それでここからは智希も絶対に知らない話なんだけど、今エミールには大きな災難が降りかかってる。もう三ヶ月経つんだけど何も変わってない状態で、現状は一夏と智希、特に一夏のISデータから何かヒントになるものはないかって探してるところなんだ」

「そうか、そう繋がるのか」

「うん。そして僕は二人の言動から何か得られるかもしれないから全て記録しろって指示されてる。今はやってないけど二人といる時はずっと録音してた」

「回線は?」

「ああ、ISごと置いてきたから大丈夫だよ。今のこの会話は僕達三人しか聞いてない」

 

 デュノアの言う災難とはボーデヴィッヒの言っていた不利益と同じだろう。俺と一夏には言えないからぼかしてきたか。

 しかしこれはドイツをハブってフランスが動いたか、それとも一夏に説得されたデュノア個人の行動か。

 待て待て、そういうのはもう後で考えればいい。

 まずは情報を整理しなければ。フランスの男性IS操縦者はデュノアではなくてデュノアの弟。そしてデュノアはその姉。姉、姉、姉、つまり女。なんということだ。

 俺はIS学園に入学して以来最大級のポカをやらかしてしまった。

 

「なんかシャルが災難とか変な言い方してるけどさ、要は原因不明の病気みたいなもんらしいぜ」

「そうなんだ。だとすると僕には何もできなさそうだね」

「いや、それが精神的な病気なんだと。だから話を聞くとか……そうだ、カウンセリング的なことは俺達にもできるんじゃないかと思ってな」

「同じ立場である僕達だからこそか」

 

 デュノアを見ると頷いた。

 どうやらこれは一夏向けの説明のようだ。

 さすがにデュノアも最後の希望である一夏を危険に晒すような真似はしていないか。責任以前に本当に取り返しがつかないならそうするしかない。

 ということはデュノアは自分から正体をバラしたのではなく一夏にバレてしまったのだろう。あの織斑一夏なら着替えとかシャワーとかいくらでもその機会はある。まあ一夏にとってはよくあることだから、本人的にもまたやってしまった程度の意識しかないだろうが。

 それに男に化けられるくらいだしデュノアも鈴レベルで大して育っていないだろう。だからこの一ヶ月も施設時代の共同生活の延長線上で収まってくれるはずだ。

 いや待て、希望的観測だけで話を進めてどうする。デュノアのいないところできちんと一夏本人に確認しておかないと。

 

 ああもう駄目だ、さっきから思考が乱れに乱れている。

 考え直すことが多過ぎてどこから始めればいいか整理できていない。

 しかもこの状況で会話を続けるとか無理だ。

 よし、この場は切ってしまおう。

 

「でだな」

「待った待った。とりあえず状況は分かった。でも今すぐいい案を出せとか言われてもそれは無理だから。それに専門家じゃないんだし本人と話もできないのに対処を考えようってそれは相当に厳しい」

「智希こそ最後まで話を聞けよ。フランスにいる奴に今から話しに行けるわけないだろ。シャルが今困ってるのはそういうことじゃない」

「というと?」

 

 デュノアの方に顔を向けると、デュノアはさっきまでとは打って変わって弱々しい目になっていた。

 

「僕は、エミールに会いたいんだ」

「会いたい?」

「あれから、エミールが男性IS操縦者だって分かってから、僕は一度も会えてないんだ。最初の頃電話で数回話せただけ」

「会えてないって……発覚したのはけっこう前の話じゃなかった?」

「そうだね、そろそろ一年になるよ」

 

 なるほど、保護という名の下に家族から引き離されたか。

 だがそれもまたここ日本からは遠い話だ。

 

「そっか。でもシャルルは今フランスから遠く離れた日本にいる」

「うん。いつまでも埒が明かないから掛け合ったんだ。それで出された条件がこれ。日本に来て、エミールの身代わりをする。そして今ある問題に対して何らかの成果を出す。そうすれば僕とお母さんはエミールに会える」

「それはまた無理難題を飲んじゃったね」

「重々承知だよ。どの道問題を解決しないとエミールは自由になれないんだ。だったら僕がやる。誰もやろうとしてくれないのなら家族である僕がやるしかないじゃないか」

 

 そう話すデュノアの目には悲壮な決意とでも言えそうな厳しさがあった。

 全部背負って日本まで来たのか。

 確かにそれではプレッシャーに押し負けてしまうはずだ。

 いや、それどころかここに来る前から追い詰められていたのだろう。

 

「分かった。シャルルの事情は理解できた。でも『成果』かあ……。向こうの解釈次第でどうとでもなっちゃうのがなあ……」

「うん。だから誰の目から見ても、って成果じゃないといけないんだ」

「最低限解決のための取っ掛かり、事実上解決してみせろだね」

 

 正直なところフランス上層部から期待されているわけではないのだろう。

 藁をも掴むではなく、とりあえず今目の前をデュノアを使って誤魔化す程度の話だ。

 である以上いくらデュノアが成果を出そうと、誤魔化しが効かなくなるまでは認められることはないに違いない。

 難題どころではない。まともにやっては勝負にすらならない。

 

「ま、そういうわけだから智希にどうにかして欲しいんだ」

「簡単に言ってくれるね。まともにやるのはほぼ無理。可能なら諦めろって言いたいくらいだよ」

「えっ、それは……」

「おいおい、何言ってんだよ。まともにできないならまともじゃない方法を見つけてくるのが甲斐田智希だろ? お前が今までやってきたことだよ」

「はあ」

 

 何も理解していない一夏は気楽なものだ。俺としてはもう溜め息しか出てこない。

 だいたい災難とか不利益とかいう中身さえ知らされていないのに解決しろとかそもそも無理だ。本気でどうにかしようと思ったら俺はその災難とか不利益の中に突っ込んで行く必要がある。当然一夏にやらせるわけにはいかないわけだし。

 一瞬もういっそフランスとドイツを切り捨てるかとも思ったが、その災難とか不利益に一夏が捕まってしまう可能性が残っている。

 このまま放置しておいていいかというとそんなことは全くなかった。

 結局、最初から俺に選択肢などなかったのだ。

 

「智希?」

「うん、現状の再認識はできたよ。こうなったらもうやれるところまでやるしかないというのは間違いなさそうだ」

「ほんとに!?」

「さすが智希!」

「あ、もちろん今名案があるわけじゃないよ。それはこれから作っていくしかない。というわけで今日はもういいかな? 考えたいことが山ほどできたから」

「おう! 邪魔だって言うなら速攻で帰るぜ!」

「もう一夏は。でも智希、何か手伝えることはない? 何でもするよ?」

「何でもとか言っちゃ駄目だ。そういうのはひどい目に遭うって相場が決まってるんだから」

「えっ?」

「あ、ごめん何でもない。うん、一人で考えたいし大丈夫」

「それならこのまま帰るね」

 

 精神的に落ち着いたデュノアは微笑むと立ち上がった。

 一夏はもう既に部屋の外だ。

 

「あ、そうだ」

「どうかした?」

「大事なことを忘れてた」

 

 まだ何かあるのか。正直これ以上は勘弁して欲しい。

 そんな俺の気持ちなど知る由もなくデュノアは笑顔のまま俺に向き直った。

 

「僕の名前だけどね、シャルルじゃなくてシャルロット」

「ああ」

「改めて、シャルロット・デュノアです。よろしく」

 

 

 なるほど、これは確かにどこからどう見ても女子だ。

 仮面を被っていないデュノアは見た目も雰囲気も何もかも女の形をしていた。

 

 

 


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