目を覚ますと既に一夏は部屋にはいなかった。
今日も朝練に行ったのだろう。毎日よく続くというか、毎朝早起きしてご苦労なことだ。
我らが一年一組は見事リーグマッチを優勝した結果、特典として練習機を二台自由に使えることとなった。と言っても実際使えるのは授業で使われていない時だけだが。
そして最初は皆喜んで放課後順番に使っていた。しかしすぐに問題が生じる。
すなわち、どう考えても時間が足りないという事実だ。
全くやる気のない俺を抜いてクラス三十一人、一夏とオルコットには専用機があるにしても、残りが二十九人もいては練習機二台では一人あたりの時間など雀の涙。毎日乗るなどとても無理な状況だ。よくて週に二時間程度だろうか。
まあそれだけならリーグマッチ準備中の期間でも同じことだったのだが、あの時はまだ皆最低限の自制はできた。なぜなら全てはリーグマッチに出場する一夏のためという名目があったからだ。その上俺に強権発動までされてはしぶしぶでも従わざるをえなかった。
ところが今回はまるで事情が違う。今回は来月に行われる個人戦を見据えての話だ。つまりクラス全員が出場者でありすなわち当事者となる。だから自分自身が使いたいし簡単に譲りたくない。
リーグマッチ準備中に仲良くなって遠慮がなくなってしまったことも奪い合いの激しさに拍車をかけたのだろう。単純にローテーション化させようにも週一回でいいから纏めて二時間使わせろなどといった要望が飛び出したりして、一時は一向に纏まる気配すらなかったほどだ。
「そして夜が駄目なら朝があるか。執念だなあ」
ベッドから降りて冷蔵庫を開け水を取り出す。
六月を目の前にしてここのところ急に気温が上がってきた。四月はそうでもなかったが喉の乾く季節に入ったようだ。
最初、クラスメイト達は使用時間の延長を申し出たそうだ。夜にもうちょっと使わせてくれという話だったが、これは速攻で却下される。毎日夜に練習機の整備があるので駄目とのことである。まあこれはリーグマッチの時点でも断られていたことだ。
それで再び争奪戦の火が燃えかけたのだが、そんな状況を救ったのは篠ノ之さんだった。
この剣道部員は毎朝早く起きて竹刀で素振りをしていたそうだ。そして気づいた。今のこの時間なら整備の終わった訓練機が遊んでいるじゃないかと。
と言っても夜が無理なんだから普通は早朝なんてもっての他だろう、と周囲は揃って首を振る。常識的に考えればそうだ。整備士に朝早く起きてこいという話になってしまう。
だが篠ノ之さんはムキになったのか一歩も引かず、それなら認めさせてみせると鼻息荒く意気込んで申請に行ったのだが、なんとあっさりと許可が下りてしまった。申請の書式までしっかりあって、三日前までに申請をしておけば当日朝当直の整備士が訓練機を出してくれるとのことである。朝五時から七時まで二時間。たったではない。数が絶対的に足りない訓練機を使えるのだから貴重過ぎる時間だ。
宮崎先輩に話を振ってみると競争率が上がるし自分達が使いたいから言わずに隠していたそうで舌を出した。上級生は下級生に対して徹底的に隠し通す的な暗黙の了解があるらしく、ついでに口止めまでされた。一年一組の分は既に確保されているからいいが、朝の訓練機もまた競争だそうだ。リーグマッチの際あっさり予約を譲ってくれたなと思っていたが、朝の分をカモフラージュする目的もあったようだ。
本当にIS学園という場所はいやらしい。何がいやらしいってそういう情報を生徒に伝えようとさえしないのがいやらしい。ここにはコロンブスの卵がゴロゴロ転がっている。その程度ということさえもきちんと確認をしておかなければならないのだろう。
ちなみに鼻高々な篠ノ之さんに対してなぜそれをリーグマッチの時に口にしてくれなかったのかと言ってみたところ、俺に向かって竹刀が飛んできた。
「七時過ぎ……一夏は直接食堂に行ってるか」
パジャマを脱いで制服に着替える。
食事の時くらいパジャマでもいいような気もするのだが、TPO的に駄目だそうである。
男の俺は着替えるだけで済むが、髪型その他身だしなみを整えなければならない女子は大変だろう。
寝癖だけ鏡で確認して、部屋を後にした。
食堂に着くと一夏達は既に席についていた。
牛乳を口にしながら一夏が俺に向かって手を振る。
朝食のメニューをざっと見、やはり選ぶのが面倒なのでいつものAセットにした。
一夏の両隣に正面は既に埋まっていて、俺のために空けてあったであろう端の席につく。
「おはよう。今日はシャワー浴びた?」
「浴びた浴びた。つーか今日はもう汗だくだった。ここんとこ暑くなってきたよな」
「もう六月だからね。もうすぐ梅雨に入って蒸し暑くなるんじゃない」
「だなー。まあISスーツが汗は吸ってくれるけど、着たまま授業はさすがにもう無理」
ここのところ面倒臭がって横着していたようだが、自然の力には勝てなかったようだ。
「智希はまたAセット? あんた少しは食べる物に気を遣いなさいよ。というかそればっか食べてて飽きないの?」
「別に」
「何を食べるかは個人の自由ですが、せめて一通り食べてみてはいかがでしょうか? その上で選ばれるのであればそれが一番いいとは思いますが……」
「特にこれで困るとかないし」
「そういう問題ではない。いいか、食とは人が生きるのに不可欠な要素だが同時に人の心を豊かにする大事なものだ。その時何を食べるかというのは非常に重要な話であってだな……」
いつも通り篠ノ之さんの説教が始まったので目の前のAセットに集中することにする。
しかし今や篠ノ之さんの説教をまともに聞く人間などほとんどいないのによくやる。まあ説教をすること自体が快感というか趣味なのだろうけれど。
「お、おはよう甲斐田君。よく眠れた?」
「んーまあぼちぼち」
今日もハミルトンは時間を合わせてきたのか。一夏達は朝練のためにここのところ早起きだが、二組のハミルトンは一組の訓練機を使う権利はない。
身だしなみまで整えて、毎日ご苦労さまです。
「ここのところ暑いよね。あたし昨日の午後はIS実技の授業だったんだけど日差しが強くて……」
「そうなんだ」
ハミルトンが何事かを話しているが俺は一夏のように右から左に流す。
どうせいつもの女子特有な大して意味のない会話だ。
慣れないことを一生懸命やっているのは傍から見ればいじましいとでもいう感じなのだろうが、無理してがんばっているのを見続けていると正直うーんと思ってしまう。
まあ谷本さんの無理矢理な振りよりはまし……いや似たようなものか。
「ちょっと智希、あんた寝ぼけてんの? それとも何か考え事? とにかく人が話をしてるんだから、ちゃんと聞きなさいよ」
「ん? ああごめんごめん。ちょっとね」
「まったくもう。ティナ、あんたも聞いてないなと思ったら耳引っ張るくらいはしなさい。こいつはすぐ自分の世界に飛んでっちゃうんだから」
「ご、ごめん……」
「別に謝るようなことじゃないでしょ。一夏にしても智希にしても男子なんだから、あたし達の感覚のままでやってちゃダメだって話」
「なあそれだけ聞くと俺達は人間じゃないみたいだぞ」
「まあまあ。人それぞれという話ですわ。それよりも甲斐田さんは何か気にかかることでも?」
ほらオルコットが助け船を出してきた。こういう状況なら奴はそうするだろう。
またそれは狙っていたことでもある。
「うーん、気がかりってほどでもないけど、個人戦の話」
「個人戦ですか?」
「うん。もう一ヶ月を切ってるのに、まだルールが発表されてない」
「そういえば先週もそのようなことを言っていたな。それがどうした?」
篠ノ之さんまで食いついてきた。まあこっちは特に何かを考えての話ではないだろうが。
「だって明後日から六月だよ。六月最終週に行われるのは決まってるのに、レギュレーションが未だに発表されないのはおかしいでしょ。リーグマッチのルールは入学した時にはもう対戦順まで決まってたのにさ」
「確かにそうですわね」
「ただ単に甲斐田が見つけていないだけではないのか?」
「先週織斑先生に聞いたら『まだ決まっていない』って返されたんだよ」
自分で探せではなく決まっていないだった。
念のため山田先生にも確認をしたが、本当に決まっていないようだった。
「じゃあ……例年通りなんじゃないの? 毎年一対一の模擬戦でトーナメント形式なんでしょ? 勝ち負けなんかはリーグマッチと同じで、だったらルールの発表なんて別に直前でもいいんじゃない?」
「そんな単純な話で済めば楽なんだけどね」
「何よそれ。あたしが単細胞だとでも言いたいわけ?」
「そんなこと誰も言ってないよ」
「あ、俺分かった! 対戦表がまだできてないんだ! だって……何人いるんだっけ? 一年は?」
「僕ら含めて百五十二人」
「そんだけいれば……楽勝か」
自分で振っておいて自分で突っ込んでしまった。その通りではあるが。
しかし鈴もこんな簡単に乗ってしまうのだから単細胞は否定しなくていいかもしれない。自分最優先な人間だから他人に気を遣うにも限度があるという話なのだろうけれど。
「まあ極論紙で書いてもできるレベルではあるな」
「悪かったよ。でも智希の言う通り何かはあるんじゃないのか? だってあの千冬姉が決められないんだからさあ」
「あえて隠していたりするのでしょうか……」
「僕への嫌がらせならあり得るけどみんなにまで影響する範囲でやるかなあって」
「智希……あんたはそこまで自覚してるくせにちふ、織斑先生に噛み付くのをやめないわけ? あたしはもうここにいる間は絶対に逆らわないって決心したんだけど」
失礼な。
俺が噛み付いているわけではない。ただ向こうが俺の邪魔をしてくるだけだ。
「甲斐田は妙なところで骨があるとでも言うべきか」
「とばっちりを受けるのは主に俺なんだけどな」
「そんなこと」
「まあまあ。案外レギュレーションも既に決まっているのではないですか? 甲斐田さんが確認をされたのは先週だそうですし」
勇気を出して発しようとしたハミルトンの言葉は、オルコットによって遮られる。
さすがに鈴も気づいたようで、ムッとした顔をオルコットに向けた。一方のオルコットは気がつかなかったかのようなすまし顔で流す。
本当に鈴とは雲泥の差でオルコットは気を利かせてくれる。
もっとも、所変われば一転して敵となり変わってしまうのだけれど。
「そうだね。ホームルームの時に聞いてみようか」
「はい。もし決まっていないようでしたらこの際踏み込んでみるのもいいかもしれませんわね」
「甲斐田のお家芸だな」
「リーグマッチの時みたいにいきなり俺に振るとかそういうのはやめてくれよー」
「はいはい。じゃあみんな食べ終わったことだし行こうか」
篠ノ之さんと一夏は相変わらずの平常運転。
もう呆れを通り越して安心さえ感じさせてくれるレベルな空気の読まなさだ。
まあ、元々この二人に望むべきことではないので、むしろ流れに従い余計なことをしなかったことを褒めるべきなのだろう。
「まだ決まっていない。決まれば発表する」
織斑先生は先週と同じ言葉を繰り返した。
「まだですか。もう六月なんですけど」
「それがどうした」
「どうしたじゃないですよ。準備しなきゃいけないんだからさっさと発表してください。未だに公開されないとかそんなに複雑なルールなのかって思っちゃいます」
「ほう、熱心なことだな。ようやく甲斐田も学校の行事に真剣に取り組もうというのだな」
「ええ、このクラスのためにも」
「ふっ」
鼻で笑われた。さすがに俺の口から出る言葉としては嘘臭すぎたか。
「甲斐田君、先週も言いましたが別に意地悪をしているわけではないのですよ。本当に決まっていないと言いますか、まだ発表できる状況ではなくてですね」
「山田先生」
「え? どういうことですか?」
山田先生の言葉を織斑先生が遮った。つまり山田先生が余計なことを言ったあるいは言いかけた。
やはり出し渋っているのだろうか。
「甲斐田、お前が邪推してしまうのはある意味仕方のないことではあるが、今回に限っては別にお前にとって嫌がらせの類では全くない」
「それ裏返すと普段の行動が嫌がらせになってしまうんですけど」
「貴様の間違った行動を正す行為は貴様の立場からは嫌がらせに見えるという話だ。そして今回の発表が遅れているのは貴様に対する意思は何もないということだ」
「分かりました。色々と言いたいことはありますが話の筋ではないのでとりあえず引っ込めます」
「なんで智希はいちいち一言言わないと気が済まないんだろうな?」
「負けん気が強いということであろう」
「あのさ、僕を挟んでそういう会話はしないで欲しいんだけど」
本当にこの二人は話の腰を折ってくれる。
「心配せずとも直前になるようなことはない。近々発表する予定であるし、きちんと全員に教室で伝える予定だ。間違っても知らないままになるようなことなどない」
「近々っていつですか? 例えば一週間前とか二週間前は近々に入るんですか?」
「分かった。来週だ。これでいいか?」
「来週と言っても幅ありますけど。それに来週の金曜あたりに事情が変わって延期とか言い出すんじゃないですか?」
「貴様は本当に他人の神経を逆撫でするのが得意だな」
「智希、そのへんにしとけ。悪いことは言わないから」
「落ち着け甲斐田。こういう時は場の空気を読んでだな……」
「は?」
さすがに篠ノ之さんの口から空気とか言われたくない。
「甲斐田君もいい加減にしなさい。手段と目的が入れ替わりかけてるわよ。甲斐田君は個人戦のルールについて聞きたかったんでしょ。そしてそれは来週には教室で発表してくれると。織斑先生が今言えるのはそこまで。これ以上突っ込む意味はないわよ」
「鷹月さんナイス!」
「よくやった鷹月!」
「なんなの君らは」
結局この二人は茶々入れだけしかしなかった。本当に何なのか。
「鷹月、感謝する」
「いいえ、それよりも早く授業を始めてください。貴重なIS実技の時間なんですから、こんな不毛な言い争いとか勘弁して欲しいです」
「あ」
鷹月さんが俺を睨んでいる。
見渡すとクラスメイト達も似たようなものだ。
そんな中谷本さんがうんうんと頷き、布仏さんが爆笑する姿は珍しく俺にとって心安らぐ光景だった。
ISの実技は週一回、一組は土曜の午前中を使って行われる。
朝や放課後はあくまで自主訓練であり、新たな事柄を学ぶのはやはりこの時間だ。
今週は多くの生徒から強い要望があったということで、イグニッション・ブーストについて前倒しで指導してくれるとのことだ。本来は二学期に教わるものだそうだが、リーグマッチにおいて一、二、四組が繰り出したことにより一年生達はその存在を把握して個人戦に向けて必要だと認識したらしい。確かにこれがあるないで大違いなのは事実なので、知識だけで無理をされるよりはということになったようだ。
「それで加速の切り替えについてはどこまで細かくできるかだと思うのよ」
「ああ、一夏が四組代表から逃げる時やってたね」
「そうそう。あの時は普通に見てたけど、今やってみたら相当に難易度高いわ。加速停止加速の切り替えを瞬時でやってさらに相手の予想を外さなきゃいけない。それを集中力切れかけの状態でやってたんだからやっぱり相当なセンスよ」
「賭けてもいいけど今やったらできないよ」
「まさか……とは言えないのが織斑君ね。でも本番じゃきっとやってしまうんだろうなって思うわ」
さっきから鷹月さんが俺の側を離れてくれない。
自分の訓練もそこそこに俺のところへやってきて、こうやってイグニッション・ブーストの考察や活用について語り続けている。
右から左に流そうにも俺の返事を要求してくるのでそうもいかず、その上アリーナでは逃げ場もないのでやむを得ず付き合い続けている。まあこうやって真面目そうにしていればサボれるし変なのに絡まれないだろうというのもあるけれど。
「うわ、なんだあの動き?」
「確認するまでもなく谷本さんね。というかどうしてクネクネしたまま加速できるのよ!? 意味分かんないし気持ち悪いわ!」
「いやあ、これは意表をつけるなあ」
「あんなのは一回限りの初見殺しなだけよ。不気味なだけで動きとしては単純だから」
「言われてみればあれって明らかに無駄多いな」
ゴーレム戦では目の錯覚かと思ったが、やはり谷本さんのISにおける動きはおかしい。
ISとは金属の塊なはずなのに、谷本さんが乗るとクネクネグニャグニャした印象になってしまう。
制御がまるでできていないのかと思ったが、鷹月さんによれば完璧に制御できているからこそああいう動きができるらしい。ISを自分の体のように動かすというのはISを操縦する上で大事なことだそうだが、つまり谷本さんはそれができた上で余計なことまでしてしまっているようだ。ちゃんとすればできるのにやらない。まさに谷本さんそのものだ。
「ほんとあの人見てると腹立つわ」
「鷹月さんは谷本さんに厳しいよね」
「よりによって甲斐田君に言われたくないわね」
「ごもっともです。あ、落ちた」
「無理な動かし方して負荷が頭にきたと予想」
「大丈夫かな」
「あれで影響あるようなら甲斐田君なんてもう命がないわよ」
谷本さんは自分で落ちを付けたのだろうか、とどうでもいいことが浮かんだ。
「やっほー! アリーナデートは楽しいかなー?」
「はい?」
「何言ってるのこの人?」
ISに乗ったまま俺達のところへやってきたのは相川さん、とリアーデさん。
ISに乗れてテンションが上がっているようだ。
「ヘイヘーイ! デートならもうちょっとくっついたらどうですかー!」
「うわうっざ」
「リアーデさん、相変わらず声大きいね」
「オウこの美声を褒め称えるとはさすがでーす! お礼に一曲歌いましょうかー!?」
声が大きいと言っただけで褒めてもいないし美しいとも言っていない。
医務室でいきなり超大声で歌い出して医務の先生をブチ切れさせたくせに、やはり反省の色はまるでないようだ。
「ここじゃ声も響かないし遠慮しとくよ」
「甲斐田君は相変わらず謙虚ですねー! 奥ゆかしいでーす!」
「それはどうも」
「だけどもうちょっと情熱を持った方がいいですよー! 愛は我慢するようなものではないのでーす!」
「どうしようこいつ殴りたい」
鷹月さんはむしろ気に入らない人間の方が多いのではないだろうか。
「おっとごめん。マリアはそのへんにしておこうか。一応聞いとくけどデート中じゃないんだよね? もしそうだったらすぐに退散するけど?」
「授業中に衆人環視の中デートって聞いたことないなあ」
「バカバカしい。せっかくISに乗れてるんだからつまんないこと言ってないで真面目に練習しなさいよ」
「あ、ごめんなさいごめんなさい。真面目な話。ISの」
おや、テンションが上がりまくってノリでやってきたわけではないようだ。
「イグニッション・ブースト? それなら素直に先生に聞けばいいんじゃない?」
「いや、イグニッション・ブースト自体は前からできてたからいいんだけど、それを組み合わせた動きについてちょっと相談があって」
「へえ」
「さっきからマリアを相手にして攻撃の練習をしてるだけどうまくいかなくて、ことごとく躱されるんだ」
「情熱の国スペインから派遣された留学生ナメんなでーす!」
「リアーデさんはちょっと黙ってようか」
「それで?」
「ちょっとあたしの動きを見てほしいなあと思って」
本気で真面目な相談だった。
恋愛戦線を離脱するとこうなるのか。もはや一夏に見向きもしない。
「そういうこと。見て感想言えばいいのね?」
「できれば改善案も付け加えてくれるとうれしいかな」
「あんまり期待されてもなあ。正直パイロット班として一夏の訓練に付き合ってた人達の方がよっぽど分かってると思うよ?」
「いやいや、こちらは見て分析することにかけては学年一な方々だし」
「はいはい、私はおまけってわけね。じゃあ時間もないだろうしさっさと始めて」
どうも鷹月さんはリーグマッチ以降自分を下に置きたがる。
一歩間違えれば卑屈になってしまうのだが、基本的には俺から吸収して追い抜いてやるぜという下克上心満載に強気だ。その結果周囲からは力関係を認め合ったいいライバル関係のように思われているようだ。
正直に言えば迷惑なのだが、鷹月さんと四十院さんが織斑先生に働きかけて俺を放課後の作業から解放してくれたので頭が上がらず文句を言いづらい。この連中は全て計算ずくでやっているからなおさら質が悪いのだ。
「ありがとー! じゃあマリア、さっきと同じ感じでよろしくー!」
「まっかせなさーい!」
「相川さんはもうリアーデさんにまで辿り着いたのね。この人も成長速度が半端ないわ」
「そんなに?」
「ええ、リーグマッチで自分のことを不甲斐ないと反省したんでしょうね。人が変わったみたいに真面目にやってるのは甲斐田君も見てるでしょ」
「ああ、どっちかというと今の姿が本来の相川さんなんだろうけど」
見返してみせると言っていたが、本当にすっぱり切り替えたようだ。
あの明るさはそのままに勉強やISに熱心になり、元々対人スキルが高いこともあってか周囲は驚きつつも好意的に受け止めている。
元パイロット班の連中もそれに引きずられる形で自主的な訓練に取り組むようになっているし、意外とクラスへの影響は大きいようだ。
きっと個人戦でもそれなりの成績を残すのだろう。
「あら、あれは合図待ちのようね。甲斐田君よろしく」
「そこまで堅苦しくやることもないんだけどなあ」
苦笑しながら俺は合図のために手を挙げた。
独占禁止法発動である。
「捕獲完了でーす!」
「よし、このまま食堂へ!」
「智希! お願いだから助けてくれ!」
「甲斐田! 早くどうにかしろ! お前の仕事だろう!」
「甲斐田さんはこういう時のためにいらっしゃるのではないですか!」
「君らは僕をなんだと思ってるの」
一夏がズルズルと引きずられていき、篠ノ之さんとオルコットが羽交い締めにされている。
何も知らない人間が見たら白昼堂々行われる凄惨な誘拐現場だろう。
「相川! この裏切り者め!」
「わたくし達の友情はその程度でしたの!?」
「悪いね、約束なんだ」
ノリノリで悪役のように笑う相川さん。篠ノ之さんを抑えるのは一苦労だろうに、余裕の表情を保ったままだ。
一方オルコットを抑えているのは整備班の田嶋さん。こちらもニヤニヤと笑いながらだが、この二人の関係性はよく分からない。想像するに買収だろうか。あるいは悪乗りか。普段は夜竹さんとつるんでいるだけにロクでもない性格であることはよく知っているが。
「約束だと!? 貴様、どこの悪魔と契約した!」
「ああもうわたくし達の知っている相川さんではないのですね……」
「人は変わるんだよ。良くも悪くもね」
よく分からない小芝居が始まってしまった。
傍観するかそれとも見なかったことにして立ち去るかどちらがいいだろう。
「目を覚ませ相川! お前はそんな奴じゃなかったはずだ!」
「何があったのですか? きっとやむにやまれぬ事情を抱えているのでしょう。お願いですからそれを教えて下さいませ」
「というかさあ、原因というか悪いのは君達の方なんだけど。さすがに織斑君を独占し過ぎ。外から見てるとちょっとひどいよ」
つまりはそういう話である。
平たく言えば、この連中は調子に乗り過ぎた。
直接的な要因を言えばそれは鈴の加入だろう。
鈴は一夏との付き合いが長いだけあって、一夏の扱いを心得ているだけでなく周囲のあしらい方も手馴れている。
その結果、篠ノ之オルコットでは不可能だった一夏に纏わり付くクラスメイト含めた女生徒の排除に成功した。一夏と四六時中行動できるようになったのだ。
普通であればそのまま篠ノ之さんとオルコットも同じように排除されていたはずだが、鈴の方にはそれができない事情が生じていた。
まず、オルコットに対しては私怨でボコボコにしてしまったので後ろめたい。鈴が謝罪して和解はしたものの、自分の武器を理解しているオルコットに匂わされるともうそれ以上は踏み込めなくなってしまっている。よって一夏の側から排除するなど到底不可能になってしまっていた。
一方篠ノ之さんに対しては、鈴が恩義を感じているようだ。
謝罪を行う際取り持ったのが篠ノ之さんであり、その後も鈴が一組に来た時は話しかけたりして鈴が受け入れられる空気を作っていた。それまではオルコットの件によって一組内では敵扱い、ラスボス扱いされていたので、これは鈴にとって非常にありがたかったようである。篠ノ之さんは元々鈴に同情していたせいもあって他人事ではなかったのだろうが、この結果鈴は恩人を踏みにじるような真似はできなくなってしまった。
そしてここ二週間近く、篠ノ之オルコット鈴の三社カルテルによる一夏独占状態が続いているのが現状だ。
「別に抜け駆け禁止とかそういうのはなかったけどさあ、ちょっとやり過ぎじゃない?」
「そ、それは……」
「それは正当な行動による結果であって……」
「しかもそのへんは全部凰さんににやらせてるし。みんな事情は知ってるけど、だからってそこにあぐらかいて何もしてないのを見ちゃうとあれ何なのって思うのは自然な話だよねー」
別にそんなのは早い者勝ち囲んだ者勝ちでいいだろうが、篠ノ之オルコットの両名はそこに後ろめたさを感じてしまっているようだ。
なまじリーグマッチ中に仲良くしてしまったのがいけなかったのだろう。同志意識が芽生えてしまったので、面と向かって言われてしまうとだから何だとふんぞり返れない。
鈴の方はこれまでもそういう視線を浴び続けてきたので今さら気にしたりはしないが、篠ノ之オルコットはこれが初めてである。あの様子ではおそらくここ最近風当たりが強くなってきたのを薄々は感じ取っていただろう。
「ま、そんなの認められないというのならこれから奪い返しに行けばいいと思うよ。織斑君の前で毎回争奪戦をすればいいんじゃない?」
「う……」
「一夏さんの目の前で……」
「そうなるとどんどんエスカレートして最後はガチになっちゃうけどね」
やっぱり相川さんは二人と比べて精神的に上だ。
拳を振り上げるだけでなく落としどころまで用意してきた。
もちろん二人に自信があればこのまま突き進むの一手だ。耳を貸す必要などない。
だがこの二人がそんな段階にいるはずがない。そして孤立上等で突っ込む覚悟もない。
であるから選択肢としてはひとまず以前の状態に戻す一択であるのだが。
「……」
「……」
袋小路に追い詰められてもなお決断できない二人は俺を見てくる。しかもすがるような目で。
これが二人にとっての俺の価値か。
「さて僕は何を期待されているんだろうか」
「いや、甲斐田ならこの場を一発逆転する何かが……」
「甲斐田さんでなければこの進退窮まった場はどうにも……」
まだ望みを捨てていないようだ。
それなら俺としてはこうだろう。
「うーん、じゃあとりあえず一夏達を追いかけて食堂に行ってみれば?」
「だ、だが……」
「それでは問題は何も……」
「でもさ、一夏は攫われていったわけじゃない。心細くて泣いてるかもしれないし、その場合は救い出してあげないと」
「それだ!」
「さすがですわ!」
あっさり乗った。
「そうだな! 一夏が困っているのだから仕方ないな!」
「そうですわ! わたくし達は囚われた一夏さんを救わなければなりません!」
二人は勝ち誇った顔を相川さんに向けて、それから疾走して行った。
「甲斐田君」
「いやーうまくいくといいなー」
「どちらが……って聞くまでもないか」
「とっくに一夏の機嫌は直ってるだろうしね。それくらいは準備してるんでしょ?」
「多分」
「ま、一夏の方も最近クラスの人達と会話してない気がするとか言ってたし、大丈夫だと思うよ」
「あの二人は遠くから涙目かあ」
リーグマッチ当時は自分達の立場をわきまえていたのに、ここ最近一夏を独占して目が曇ってしまったのだろう。
差はあれど、他のクラスメイト達を引き離していようと、自分自身の一夏との距離の認識を見誤っているからこういうことになる。
「やっぱ甲斐田君を敵に回しちゃいけないなあ……」
「それはクラスの誰もが知ってること。問題はその行動が自分にとってどうなのか分かりづらいということだよ。お疲れ。助かったよ」
「いえいえ。またご贔屓に」
「報酬は例の口座に、じゃなくて明日ね」
「まいど~!」
時代劇の下っ端のような態度になって、ペコペコしながら田嶋さんは去って行った。
「相川さんはいったい何をやってるわけ?」
「いやー、ここのとこ自分のことでみんなに色々助けてもらってるからさー、機会があればこうやって恩返しをしてるんだよ」
「今おもいっきり田嶋さんを雇ってる感じだったよね?」
「あ、マリア達じゃなくてそっち? あれは田嶋さんの趣味だって」
「ごめんまるで意味が分からない」
「んーあたしもよく分かんないけど、そういうのが好きなんじゃないの? さっきの悪役風演技も田嶋さんの提案でやったんだけど、意外と楽しかったよ」
「オーケー。触らない方がいい世界だということは分かった。相川さんがそれでいいのなら僕としては何も言うことはありません」
これはあれだ、深淵に手を触れてはいけないとかそういう話だ。
「別になんでもいいよ。さてと、あたしもお昼にしようかな。甲斐田君は昼どうするの?」
「弁当とかないし普通に食堂かな。相川さんは弁当?」
「そ。今日は天気もいいし屋上で。じゃ」
手をひらひらさせながら、相川さんは去って行った。
この人は本格的に自由人になってしまったようだ。
そういえば鈴が出てこなかったなと思いつつ食堂へと足を進める。
あの場に鈴がいたら話は全く変わってきただろう。全員を取り押さえることができなくなるし、そもそも鈴はどちらに付くのかという問題も出てきた。
とまあ、あったかもしれない可能性について考えながら食堂に到着すると、あっさり答えが出てしまった。
食堂入り口の隅に三人いる。鈴、ハミルトン、そして夜竹さんだ。
あれは見るからに取り引きを行っている姿だ。これは許すまじ。
鈴には一夏の写真をタダで提供してやったというのに、それだけでは飽き足らぬか。
そして夜竹さんに至ってはやはり口約束なんて守れる人間ではなかったようだ。
現行犯逮捕をすべく歩みを早めると、何かを感じ取ったかのようにいきなりハミルトンが振り返る。そして目が合ってハミルトンの目と口が大きく開く。
続いて鈴に夜竹さんもこちらに気づき、特に夜竹さんはこれはやばいという顔に一瞬で変化した。
はい有罪確定。もはや神妙にお縄に付くしかないだろうと思い歩みを緩めたところ、既に意識の外にあったハミルトンがいきなり逃げ出した。
思わずそちらに気を取られてハミルトンの走って行った方向を見てしまう。だがすぐに夜竹さんから意識を外してしまったと目を戻すと、既に夜竹さんの姿はなかった。逃げられた。
場に残るは鈴ただ一人。こちらは一瞬の出来事に理解が及ばなかったようで、呆然としている。
鈴を見る。鈴も俺に気づき、目が合う。
やがて鈴はニコッと笑い、俺も笑顔を返す。そして鈴は脱兎のごとく逃げ出し、最後場に立っているのは俺一人となる。
こうして俺の頭の中に、鈴と夜竹さんの部屋を訪れて詰問を行うというスケジュールが追加されることとなった。