「感動しました」
と、初っ端からデュノア社の社員は目を輝かせた。
「まず何よりあそこで誰よりも早く反応したことがすばらしい。警備関連の通路は即座に封鎖されていたとのことですが、だからと言って時間があったわけでは全くありません。その後同じ場所から警備のISが出て来られなかったということは追って封鎖されたのでしょう。ですからほんの僅かな間隙をついてアリーナの中に入った。これは誰にでもできることではないです」
「いや、それは深い考えがあったわけでは……」
「もちろん何かを熟慮してのことではないでしょう。むしろあれは何だと考え始めていては絶対に間に合いません。考えるより先に体を動かすことができる。専門の訓練を受けていないのに簡単にやってのけるとはまずそれだけで賞賛に値します」
「それなら一夏だって同じだと思いますよ」
専門の訓練と言うのなら常日頃一夏のそういう姿を見てきたことだろうか。
拙速は何とやらだ。
むしろうだうだして行動を起こさない方が事態は悪化したりするものだし。
「はい、確かに織斑一夏様も動けるでしょう。ですが、織斑一夏様は一人で飛び込んだと思います。甲斐田様は部下を引き連れた上で入った。特筆すべきはここです」
「いや部下って。それに僕一人が飛び込んだところで意味ないのはさすがに分かっていますし」
「失礼致しました。クラスメイトのお仲間ですね。甲斐田様は考える暇もない一瞬でそこまで判断した。そして甲斐田様の呼びかけに周囲にいたクラスメイト達は素直に従った。躊躇さえせずに。甲斐田様が動けても周囲が躊躇ってはとても間に合わなかったでしょう。その後を見てもたった一ヶ月ですばらしい信頼関係を築いていますね」
「それについてはみんなに感謝したいですし、しました」
確かにクラスメイト達は何も言わずに聞いてくれた。一夏の名前を出したとはいえ、彼女達はISに乗って乱入しろというとんでもない無茶ぶりに応えてくれた。また一方で布仏さんと岸原さんは迷うことなく残る選択をした。誰かが迷っていたらそこに引きずられて俺は中に入れなかったかもしれない。
「指揮されていたことについては全体を通してうまくコントロールされていました。正直競技については詳しくないので具体的にどうのとは言えないのですが、少なくとも全ての事態に対応できていたのは分かります」
「いや、僕本人が思いっきりやられてますけど」
「それも計算通りと言いますか、故障機の使い方として想定の範囲内のように見えましたが。その上味方を奮い立たせる効果まで付け加わって、あの時は本当に舌を巻きました」
「それはさすがに過大評価ですね。そもそも故障機で出てくる時点で論外だと思いますよ」
偶然なのは間違いのないところなのだが、そういう効果があったのは事実なようだ。
俺のやられる姿を見てリタイアしていた谷本さんと相川さんは立ち上がったそうだ。
反省会の時鷹月さんがそう言っていた。四十院さんも一緒に熱く語っていて、偶然だと言っても謙遜しているとしか受け取ってくれなかった。
「その点については驕らない姿勢もまたすばらしいと申し上げておきましょう。故障機を引いてしまったのは不運でしたが、かえって自分は前に出ないと割り切ることができたので、それはそれでありだったのではないでしょうか」
「前向きですね。確かにその場ではそういう風に考えてやるのがいいんでしょうけど、後から評価するのであればそこはやっぱりマイナスだと思います」
「評価。IS学園内部において甲斐田様は評価されていないのですか?」
楽しそうに語っていた黒木さんが急に真顔になった。
何か踏んでしまったのだろうか。
「さすがに故障機に乗ったまま出てくるのはダメだろうといろんな人に言われましたね。特殊な状況なので仕方ない部分もあったとフォローはされましたけど」
「そもそも故障機がコアのついたままで放置されているという状況自体がおかしいと思いませんか? 機体に問題があったのならコアを入れ替えて予備機と交換しておけばいい話で、それはつまり整備士がその故障機を把握していなかったという事実に他なりません。大事な大会の時期にそういう状況を作ってしまうのは技術者としてどうなのかと思わざるをえませんね」
あ、これはまずい。
故障機も何も四組代表が自分の専用機をそう偽装していたというだけなので、IS学園の整備士が知らないのは当然の話だ。四組代表個人の機体なのだからIS学園の整備士は把握しているわけがないし、それどころか担当の倉持技研でさえ知らないことなのだ。
四組代表は木を隠すなら森の中くらいの気持ちでやったのかもしれないが、やはり無理があったか。
四組代表は大会期間中倉持の追求を躱すために偽装工作をやっていたようだ。どう誤魔化したのかまでは分からないがそれは成功したようで、一夏経由で聞いた話だと倉持は結局確証を掴めなかったとのことである。
さすがに未知の専用化技術ともなれば本人の単独犯行とは想像つくわけもなく、他企業に取り込まれたのだろうという認識なようだ。
もちろんそんな企業など存在しないので、哀れ倉持技研は見当違いの方向に突っ走って真実からは遠ざかってしまった。四組代表も全力でその方向に誘導したのは間違いない。
そのへんは俺にはよく分かる執念で、後から思えば怪しかった的な思わせぶりな態度を取ってみたり雨あられの小細工をやったことは想像に難くない。
かつての自分を思い出して実に気持ち悪い。
本当にあのウサ耳女は余計なことをしてくれた。
「そのへんの事情は僕にはよく分かりませんし、まして誰かを責めるつもりなんて一切ありません。むしろズタボロにしてしまってごめんなさいと平謝りですね」
「大変申し訳ありません。外部の人間が口が過ぎました」
穏やかに、だがこれ以上突っ込むなという空気を出してみたら素直に従ってくれた。まあ俺がお世話になってる人ディスるとか何考えてるの的な不快感なので、正当性も十分にある。
正直四組代表のことなどどうでもいいが、事実が明らかになってしまうとそこから芋づる式に俺のことまで表に出されてしまう。
博士は知られたって別にどうってことないと言った。が、考えるまでもなく俺がブリュンヒルデと同等の権限を持っているなどと知られては、どうってことないで済むわけがない。
専用機を動かせてしまうなど専用機の概念を根底から崩してしまう事実なわけで、つまりマスターキーを持っている俺は盗んだISで走り出すことが可能なわけだ。
世界中に警戒されないはずがない。実際にやるかという問題ではなく、そういうことが可能だという話で。
少なくとも、俺はこの事実を知っていてはいけない。
「そういう感じなので手放しで評価されているというわけではないですね」
「それは相応の評価ならされているということでよろしいでしょうか?」
「相応と言うか、まあ人によりますが。それが何か?」
「なかったことにされているわけではないですよね?」
ああ、そういうことか。
ようやく黒木さんが言ったエールの意味が分かった。
「僕に対する偏見とかで理解していない一年生もいますが、評価はさておき概ね理解はされています」
「それを聞いて安心しました。あれがIS関係者の総意などとは絶対に信じたくなかったので」
「あれですか」
言うまでもなく、もうお互いに言いたいことは分かっている。
今回の発端となったウサ耳女編集の一夏プロモーション映像だ。
「見た時は目を疑いました。まさかなかったとことにしてしまうのかと。織斑様がどうのという話ではありません。甲斐田様の存在意義を認めないというのです。こんなことが許されていいのかと」
「おもしろいくらい僕がいなかったですね」
昨日一夏と一緒に見たが、見終わる前から一夏は相当に怒っていた。その後も会見で全部ぶちまけるとまで激怒していた。
つまり、博士のやり過ぎである。
いや、俺自身に文句など一切ない。むしろ見終わって拍手したくなるくらいの出来栄えだった。
完璧に俺の意を汲んでくれて、一夏をこれでもかと前に押し出し俺をいたのかレベルにまで落とし込む。そして俺がやられるシーンは唯一の見せ場とばかりにきっちり映し、そのことによってなおさらその後の一夏が光り輝く。
最終的な意味であれば俺も博士も一夏を推すことに相違はない。だから目論見が失敗に終わった時点で博士は今回の件を一夏推しで進めることに切り替えた。俺を前面に出すという嫌がらせをしなかったあたり、博士も素直に負けを認める的な気分だったのだろう。
しかし、それを見た人がどう感じるかはまた別の話だった。
現場にいてかつ俺に対して好意的に見ていた場合、ああまで捻じ曲げられては目の前の人のように思うのはむしろ必然と言えそうだ。
数としては二人かそこらのごく少数にしても。
「……それでよろしいのですか?」
「いいも何も映像を作ったのは僕じゃないですし」
「不当な評価をされたままで構わないと?」
「突っ込みますね」
言いながら俺は後ろを見る。
入り口脇にはIS学園の警備の人が立っていて、会話が危険な方向に向かったら介入するはずだ。
だが、警備の人はニコッと笑顔を返してきただけだった。いつもの馴染みの人であれば一言くらい口にしてくれたかもしれないが、今いるのはまた別の人だ。警備室で見た記憶はあるがそんなに会話をした覚えもない。助け船はなさそうだ。
「お気遣いありがとうございます。ラインは心得ているつもりです」
「そうですか。じゃあ返答を言うと……ISに関する評価なんてどうでもいい、でしょうか」
「……なるほど」
「別に僕は上を目指してるとかないですし、そもそも望んでこっちに来たわけじゃないですから」
「そうですか……。では少し私の話をさせていただいてもよろしいでしょうか」
「え? はあ、どうぞ」
いきなり何をと思ったが、表情からして本題の一つではあるのだろう。
黒木さんは真っ直ぐに俺を見た。
「見ての通り、私は男です。それなのにISを開発する仕事に就いています。なぜだと思いますか?」
「実はISを動かせたとかじゃないですよね」
「もちろんISに乗ってもピクリとも動きません。ですがISに乗って空を飛びたいという夢を見てしまったのです」
俺を見る黒木さんの目はそれまでとは打って変わって澄んでいた。
「と言っても当時は素人同然だったので、勤めていた会社を辞めて勉強して工学系の大学に入り直しました」
「それは相当に思いきりましたね」
「そのまま会社にいて自分に何ができるかを考えると、どうせなら好きにやった方がいいと思った次第です。男なので将来を期待されているわけでもないですし、これは日本の制度上の問題でしたが」
「日本のですか?」
「日本の外に出て気づいたことですが、特にヨーロッパは意外と緩いですね。はっきり言ってしまえば形式上に制限があっても、実際はどうとでもなります」
「へえ」
「言い方が悪いですが、使えるのであれば使う、でしょうか。そのあたりはプラグマティックと言うか、抜け道はきちんと用意されていますね」
抜け目ないとか現金だということなのだろう。
イデオロギーは横に置いておいて、やる気があって使えるのなら男だろうと使うし使うことのできるようにしておこうという感じか。
「そういえばそちらも社長は男の人なんですよね。だからフランスに移住したんですか?」
「……実物はあれでしたが、実際問題ISを研究したい男が受け入れられるのはフランスくらいしかないでしょう。男にも動かせるISを開発しようとしている人間など、もしアメリカに行ったら生きては帰ってこれないかもしれませんね」
軽い冗談のようで黒木さんは笑うが、あのアメリカでそんなことを始めたらまず間違いなく糾弾されるだろう。まして男が。
アメリカとは日本をも超える世界最大の女性上位主義国家であり、そしてISに関しては二流以下と目されている。
黒木さんのような男が行っては死にに来たのかと言われそうだ。
「男にも動かせるISですか」
「無理だと思いますか?」
「できると思いますよ」
「それはご自身のことから?」
「いいえ、僕達のことは一切関係なく、誰にでも動かせるISは作れると思いますよ」
だって既に、ISを動かせない女が作り上げている。
能力云々の話ではなく、理論として実際の話として、可能は可能なのだ。
「それは……」
「黒木さんのことは全く知らないので、黒木さんが作ることができるかは分かりません。でも、そういうものが作れるか無理かと言われたら、できると思います」
黒木さんは真っ直ぐに俺を見る。今度は夢見る少年ではなく、科学者の目で。
いや、あの場を見ていたならゴーレムがどういうものかはさすがに分かっているだろう。
軽く誘導したつもりだが、この人は正直俺とか例外中の例外を相手にしてないでゴーレムを保持しているIS学園かIS委員会に突っ込むべきだ。
「……」
「あの……」
「今日は来て本当によかったです」
と、黒木さんは急に笑った。
「私の周りではですね、実際のところは無理だろうというのが多数派なのです」
「でも……」
「特殊過ぎて真似できない、実際は単なる誤魔化しであってそれっぽくしているだけだ、ただの茶番だ、そもそもISとは認められない、そういう声が非常に大きい」
「はあ」
もしそうなら博士の目論見が丸つぶれだ。
IS委員会が隠す以前にそもそも誰も乗ってこないでは。
これはイデオロギーの問題か、それともやはり博士が卓越過ぎるのか。
「でも、甲斐田様ははっきりできると言われた」
「いや、技術的なことは全く分からないので」
「だからこそです。世界で一番中立的な意見として、素直に受け入れられるのだという話です」
「なんですかそれ」
「ISという存在を理解していて、かつ思い入れが一切ないという意味です。男性では動かせないのでそもそもISを理解できません。女性はまず適性で弾かれて、かつ選抜されるので強い思いのない人は携われません。その上個人的な感情まで加わってくると中立的ではなくなります」
「だいぶ乱暴というか、そもそも僕のはなんとなくでしかないんですが」
世界一中立はさすがに大げさ過ぎる。
「表現力が拙いのは本当に申し訳ありませんが、ではクラスメイトの方々に聞いてみてください。あれをISと認められるかと。おそらくISの定義に始まっていろいろな意見が返ってくると思います」
「それ結局僕が無知だからって話じゃないですか」
「ISは理屈の部分で碌に解明されていない世界です。むしろ既存の思考法では正解から遠ざかってしまうとまで言われています。頭の中でぐるぐる考えるよりも、ISパイロットの口にする感覚を紐解いた方が断然早いそうです。世界に両手で数えられるほどしかいないSランクパイロットは、ISについて語ろうとすると急に感覚的になります。あの理知的な織斑千冬様でさえ言葉にするのは本当に難しいと常に言っています。少なくとも現状、感覚先行なのがISの世界です」
そんなことないと科学者の黒木さんには言ってあげたいが、残念ながら今のところはその通りだ。
もちろんこうやればこうなると経験的には分かっているのだから、解明されていなくとも理論自体はあるのだろう。
だが既存の物理法則に従ってくれないので、現在の人類の科学は通用しない。ISだけはどうにも説明できない。
発明者は本人しかできない生産に追われているという理由で基礎研究を進めなかった。そしてとどめに行方不明になってしまっている。
本来であれば誰も手を出すはずのない代物だ。だが、そのまま放置するにはISはあまりにも強力過ぎた。
核攻撃すら通さない絶対防御という理不尽な性能のおかげで、極端な話IS一機で既存の軍隊は相手にできる。
結果ISに手を出す出さないで世界のパワーバランスは大きく変わってしまう状況となってしまい、例えばいち早くISに手を付けた日本に単独で戦って勝てる国はないと言われている。
一方かつて世界の警察とまで呼ばれた軍事国家アメリカは、諸事情でIS参入が相当遅れた結果今やもう軍事的には二流とまで揶揄されるようになってしまっている。
「と言われても人のなんとなくを根拠にされても困るんですが……」
「もちろん盾にしたところで誰かを納得させられるようなことではないでしょう。先ほどの発言は本当にでき上がってこそ意味を持つものですから。単純に私の心構えのようなものです」
「僕のところに殴り込んでくる人がいなければそれでいいです」
「もちろんです。ですが甲斐田様も発言にはお気をつけ下さい。取っ掛かりの欲しい研究者達は何気ない言葉にも勝手に食いついたりしてきますので」
「今まさに食いつかれましたね」
「大変失礼致しました。ですが手探りな現状ではそうするしかないというのもあるのです。今後授業で学んでいく過程で出てくるとは思いますが」
言われて俺を研究対象にしているIS委員会の学者連中を思い出した。
俺の発言を一言一句メモったり録音したりしていて、そんなに信用できないのかもしかしてバカなのかと思っていたが、職務に忠実な結果だったようだ。
最初にそう言っておけばこちらも気を遣ったのに、先入観なしの状態で喋らせたかったのだろうか。
「勝手に勘ぐられるのはあまり気持ちのいいものじゃないですね」
「現実問題諍いに発展していますし、インタビューなどでは質問禁止事項となりつつあります。Sランクパイロット達はもう公の場でISについて語ることはないでしょうね」
言葉尻を捕えて追求されてばかりでは誰が話すかという気にもなるだろう。
「よく分かりました。ちょっと驚きましたけど」
「ですが今日のことについてはご安心ください。もちろん言いふらすような真似は致しませんので。正直に言えば、私が男性も動かせるISを完成させた暁には肩を押してくれた一つのエピソードとして語らせていただきたいですが」
「できあがった時には思う存分自慢してください。作り上げたからこそ言えることだと思うので」
「ありがとうございます」
別に成し遂げた後なら好きにすればいいだろう。
果たしてそれが何年先になるか分からないし、そもそも俺自身がその時この世に存在しているか知らないが。
「でもですね」
「はい」
「だからと言って僕が何か協力をできるかと言うと、まず無理だと思います。ご存知の通りIS委員会に縛られている身ですし、将来男性IS操縦者のいるフランス所属になることもありえないですから」
「それはご心配されずとも大丈夫です。本日私は甲斐田様とただお話をしたかっただけで、何かの便宜を図っていただくような期待など一切しておりませんし、もし万一甲斐田様がお気を利かせてくださったとしても遠慮させていただくつもりでしたから」
「そうなんですか?」
これは意外だった。
男にも動かせるIS開発をしているという時点でそのためにやって来たと思っていたのだが。
「当然の話です。そんなことをしてはじゃあ自分もと次から次に甲斐田様の元へやって来ることでしょう。私は自分の利益のために甲斐田様に迷惑をかけるような行為をするつもりは全くありません」
「いやまあ、そちらがそれでいいのならいいんですが」
「あの映像を見て甲斐田様が不当な扱いをされているのではないかということが私の一番の懸念でした。そうでないのであれば私から特に何かを言うことはありません」
「それはないので大丈夫です」
「何よりです。そうですね、ですがあえて願望を言うのであれば、十年二十年先になるかもしれませんが、私が完成させた時は一度そのISに乗っていただければ嬉しいという程度でしょうか。もちろん実験など抜きにして」
「その時になってみないと分かりませんが、特に拒絶するような話でもないと思うのでその時は言ってください」
「ありがとうございます」
むしろ一夏に何か利用できないかと一瞬思ったが、よく考えるまでもなく一夏は専用機持ちなのでそれ以外の機体には乗れなかった。残念。
「さてと、他に何かありますか?」
「いえ、十分です。甲斐田様と言葉を交わすことが目的でしたし、その上懸念まで解消できました。これ以上望むことはありません」
「それは何よりです。この後はフランスに戻るんですか?」
「仕事をしていなかったわけではないのですが、いい加減帰らないと私の席がなくなってしまいますので。またIS開発の日々に戻ります」
「そうですか」
「もしフランスまで来られることがありましたら観光案内致しますのでデュノア社までご連絡ください。男女同権の国ですから男だからどうだということもありませんのでご遠慮なく」
「そうですね。その時可能でしたら」
言いながら立ち上がる。
ようやくこれで終わりだ。
差し向かいで気を遣いながら話すというのはそれなりに疲れるものだと実感した。
「戻ったか。だいぶかかったな」
控室に入った時、一夏はいなかった。いたのは姉の方である。
「さすがに三件は疲れました。一夏はトイレとかですか?」
「いや、暇を持て余してホテルの厨房へ行った」
「厨房って……」
「想像した通りだ。料理の話を聞きたいらしい」
呆れたことだがじっと待っていられないのが織斑一夏だ。
なじみの警備の人もいないので一緒に行ったのだろう。なら大丈夫か。
「写真撮影の方はどうだったんですか?」
「それは万事滞りなくだ。一夏が愛想よく対応していたので撮影側も満足だろう」
「それはよかった」
「あれだけできるのであれば口さえ開かせなければそれなりにやれるな。一ヶ月でよく躾けてくれた」
「やったのは僕じゃないですけどね」
やったのは三年衛生科の先輩達であり、谷本さんだ。
先輩達は笑顔の作り方を、谷本さんは人前での立ち振る舞いを一夏に叩き込んでいた。
まあ谷本さんのはどこか偏りのある気がしたが。
「次までになどとは言わないが、きちんと会話もできるようにさせておけ」
「それは僕に言うことかなあ」
「一夏を自分の前に出したいのであれば避けて通れない道だ。どの道お前はそのつもりだろうし、私もそのことについては邪魔をするつもりもない」
それはつまり邪魔をするつもりの事柄もあるという話である。
「はいはいそうですね。おっしゃる通りですね」
「後は智希のことだ。会見はさておき今日三件受けてどうだった?」
「疲れました」
「そうか。だが耳に優しい言葉は聞けただろう。少なくとも気分が悪いことはあるまい」
「そりゃ初っ端から僕が不機嫌になるようなことなんて言うわけないです」
「そういう意味ではない。望んでいた言葉が聞けて、持ち上げられて、気持ちよく会話できたのではないかということだ」
千冬さんは笑った。だがその笑みは含みのある怪しい笑顔だ。
「どういう意味ですか?」
「そのままだ。言って欲しかったことを口にしてくれて、肯定してくれて、背中まで押してもらえる。気疲れはしても楽しいひとときだっただろうということだ」
まさか全てが茶番だったとは言うまいな。
「仕組んでたって話ですか?」
「そのようなことは一切していない。彼らには注意事項を伝えただけだ」
「じゃあなんでそういう言い方するんですか? 警備の人から聞いた感想ですか?」
「智希、お前も例外ではないという話だ」
「何の話ですか?」
さすがにそれだけでピンとくるわけがない。
「一夏に対して私は、自分の立場に自覚を持て、何もしていないのにうまい話が転がってくるとは考えるなと言った。それは智希についても同じことだ」
「それはどうでしょう」
「いいか、何度も言うがお前も希少な男性IS操縦者なのだからな。その点において一夏と差などない。それがお前の立場だ」
「それくらい分かってますけど」
「本当に理解しているのであれば無防備な行動などしない。お前は自分に対して甘い言葉でうまい話を持ちかけてくる人間がいるとは考えていないだろう? それこそ今も」
「そりゃあ僕自身が何かできるわけでもないですし」
あの映像に対する反応からしてそうだが、IS学園の外において俺の価値など正直ない。
それ以前に露出すらほとんどされていないのだから、何をどう利用するか以前の問題だ。
「やはりそうか。智希、お前は自分の価値判断を絶対のものとして考えているようだが、生憎それは人によりけりだ。分かり易い例を挙げよう。お前は一夏を口で言いくるめて従わせることができる。それは一夏を利用したい人間にとっては立派な価値となるのではないか?」
「そういう話ですか」
黛姉の話だと言いたいのだろう。
それは会話した時から感じていた。将を射んと欲すればなんとやらだと。
「であればお前を利用しようと甘い声で寄ってきてもおかしいことはないだろう。それは理解できるな?」
「はい」
「そうすれば今度は智希について調べ、智希に合わせて話をする。今日お前は全て雑談をしている程度の気分だったろうが、相手は暇な学生ではない。目的を持ち、きちんと準備をした上で智希に会いに来ているのだぞ」
「それは……」
「初対面な上に極めて情報の得にくい相手だ。認識の間違いも多々あっただろう。だからそれは会話をすることによって修正していく。どうでもいい会話ほど智希のパーソナリティを掴むための手段だ」
「それは……そこまで……」
四十院母の娘トークにそんな深い意味があったのだろうか。
「少なくとも私にはこのタイミングで一夏ではなく智希に向かってくるような人間を侮る理由などない。今回の三人は外出が決まった時点で智希と話をさせてくれと言ってきた。リーグマッチ終了時点でお前に対して何らかの価値を見出していたわけだ」
「何らかって何ですか。何となく想像つくのもありますけどこっちが知りたいくらいですが」
「自分のことなのだから自分で考えろ。直接会話をしたのだからそのための材料は十分にあるだろう」
「えー。それはちょっとスパルタ過ぎません?」
「別に考えなければならないということでもないのだぞ。その場その場で会話して判断してもいいのだからな」
「それ気がついたらがんじがらめにされてるパターンじゃないですか」
「相手に主導権を全部渡すのだ。それは相手の土俵で戦うことになるだろうな」
何となく言いたことが見えてきた。
弾と数馬のことといい、千冬さんは俺が何もしなかったことを問題視している。
「いいようにやられたくなかったらちゃんと準備をしておけって話ですね。でも今回については正直そんな時間もなかったと思うんですけど」
「智希、お前は普段ひねくれている割に思考停止すると途端に素直になり過ぎる。では聞くが、この一週間、お前がやってきたことは必要だったか?」
「結果的には必要なかったですね」
「そういう意味ではない。それはお前がやらなければならないことだったかという話だ」
「いやいや、やれって言ったの千冬さんじゃないですか」
「つまりお前はやれと言われたからやったのであって、特に意味はないのだな?」
「だから、一夏には無理だから代わりにって話ですよね?」
「それは智希でなければならないことなのか?」
「え?」
それを言われてしまえば、正直なところ俺が当てにされていたわけではない。
千冬さんが答えてもいいし俺の方が心証がいい程度の話だ。
「面談する相手について調べたいからそれはできないと言えば十分時間はあっただろう。私に全部任せるでもいいし、何なら一夏を引っ張ってきて無理矢理やらせればいい」
「え? いや、そもそもインタビューをやるかどうかすら決まってなかったじゃないですか」
「それは私に判断を投げてそれきりだからだな。智希は意思表示をせず結局どうなったかの確認さえしなかった。判断を迷うにしても三人のうち二人はその気になれば家族を通して連絡可能な相手だ。申請が必要だが電話で直接会話もできる。まあ軽く相手の家族と会話くらいはしたかもしれないが、お前はやりたいともやりたくないとも言わなかった。どうせ一夏と同じで断るだろうと勝手に考えていたのだろうが」
「そんなこと言ったって、たとえ希望を言っても聞いてくれなさそうだし」
「もちろんくだらない理由であれば却下はしただろう。だが意思表示すらしないのは論外だ。よって私はどちらでもいいと判断して一夏の写真撮影と合わせて交渉の材料に使った」
やはり会見後に言ってきたのはそういうことだったのだろう。
「うーん……。あのー、今回の件ってそこまでする必要あったんですか? いや、今後のことも考えてやってるというのは理解してるんですが」
「あるかないかと言われたら、ないな」
「ないんですか! じゃあなんでやったんですか?」
「まあ三者ともどうとでもなる相手だからな。お前が何を言おうがどういう選択をしようが、こちらでリカバリーは効く。であるからこの際お前に考えさせようと思った」
「考えさせるって何をですか」
「もちろん自分自身についてだ。お前は一夏については激しく執着するが、自分のこととなると途端に意思薄弱になる。だが一般人ならまだしも、お前は世界に四人しかいない男性IS操縦者の一人だ。望まずともお前の周囲には人がやってくる。そして自分の意思がない人間など鴨でしかない」
「それは……」
「もちろん、それでいい、流される人生でいいというのであれば特に言うことはない。一夏のように譲れない部分だけを抑えて生きるというのもそれはそれで一つの生き方だ」
極端なことを言えば、事が成った暁にはそれ以外のことは全部どうでもいい。
だが、そこに至る過程で自分の自由が効かないというのもまた問題だ。
俺が行動しなければ俺の望む一夏の姿は決して見られないのだから。
「言いたいことは理解しました。ちょっと僕に構い過ぎじゃないかって気がしないでもないですけど」
「頼まれたからな、私達の母に。いや、お前達にとっては祖母か」
「ああ、そういうことですか」
「他の連中と同じようにお前も自立するところまでは見ていくという話だ。年長者としての務めでもある」
「みんなは元気にしてますか?」
「ああ、智希よりもはるかに早く一夏から自立しつつあるぞ」
「それはこの前まで直に見てたから知ってます。でもまあバラバラでもみんな元気にやっているのであれば特に言うことはありません」
ある意味一夏に囚われた同志、とでも言えばいいだろうか。
「また会える日は来る」
「期待せずに待ってます」
「そうか。さて、大分遅くなってしまったが一夏を呼んでくるとしよう」
「ここで待ってればいいですか?」
「すぐ連れて戻る。そうだな、その間に今日あったことを思い返しておくといい」
「反省ですか」
「今後どうするかも含めて考えろ。それは智希自身の事柄なのだからな」
千冬さんが部屋から出て行き、俺は近くの椅子に腰を下ろす。
今日の三人への対応については俺に任せる、あるいは俺の意思を尊重するというところだろうか。
警備の人達から報告を聞いて問題ないと判断したのか。さっき終わった三人目については今まさに報告を聞いているのだろう。
さてどうしたものか。
黛姉については次の約束をしている。だから当然次回のことを考えなければならない。これはいい。
四十院母については本当にくだらない娘話であるのなら断ってもいい。だが真の目的が別にあるのであれば、断ってそれで終わりにはならないだろう。当然次の手がやって来るだろうし、やり方も変えてくるはずだ。まずは今日の会話を思い出して吟味し直すのが先か。
フランスの技術者については母国に帰るそうなので、今すぐ何かがあるというわけではないだろう。会話した内容は果たしてどこまで本当のことだったのだろうかという程度か。
もちろん夜竹さんではないので、事実とは異なったすぐにバレるような嘘をつくことはないだろう。例えば俺へのエールとやらがご機嫌取りのおまけで、デュノア社社長の言葉を伝えることが本命のような主客逆転。気にしないでは気にしろという話だ。
このあたりはきちんと紙に書き出して明確にしておいた方がいいだろう。無視するにしても理解した上でやらなければならない。
そうやって思考に没頭していると、扉がノックされ姉弟が入ってきた。一夏は上機嫌、というよりは興奮気味だ。何があったかは火を見るよりも明らかである。
「おう智希! だいぶ時間かかったな。俺暇だったからここのシェフの人達に話を聞かせてもらってさあ」
「それはよかったね。ええと、今日はこれで終わりですか?」
「後は帰るだけだ。車は裏に用意してある」
「そうですか。じゃあ行こうか一夏」
「お、おう」
「どうしたの?」
ご機嫌だった一夏が急に真顔になって俺を見る。
「いや、智希の方は大変だったのかなって」
「僕? 時間はかかったけどお喋りをしてただけだよ。半分以上は雑談だったね」
「そ、そうか」
「それがどうかしたの?」
「いや、なんか難しい顔してるしまた問題でも起こったのかと」
「問題? そうだね、まだ何が問題かを考えてる段階かな」
「そりゃまたややこしそうな話だな」
まだ何も起こってはいない。
俺が『何を』問題とし、それに対して『どう』行動するかだ。
何もせずにリアクションオンリーでは、欲しい物を得ることはできないだろう。後手後手に回ってせいぜいおこぼれに預かるくらいだ。
それなら自分から行動して好ましい状況を作った方が断然いい。
「話はまた車に乗ってからにしろ。改めて言っておくが廊下でベラベラ話をするのはなしだ」
「そうですね。じゃあ行こうか」
「お、おう」
言いながら俺達は歩き始める。
個人戦まで一ヶ月、仕込みの時間は十分にある。
俺自身に価値があるのなら、それを有効活用しない手はない。
意に沿って動かすという意味において、自分ほど使い勝手のいい駒はないだろう。
今まではできる限り自分を舞台の外側においてきた。だがそうではなく、俺も登場人物のひとりとして舞台に乗ればいいのだ。