有名税を払わなかったらその資格は剥奪されてしまうのだろうか。
一夏と共に全速力で逃げながら、なんとなく俺は思った。
芸能人や政治家といった人気商売ならそういうことはあるかもしれない。対応をおざなりにした結果、自身の名声を失う。そうなってしまえば過去の人なり有名税を支払う必要もなくなりそうだ。いや、今度は悪評という新たな分野で有名になってしまうかもしれないか。
「おい智希、いったいどこまで逃げるんだよ? このままじゃIS学園の外に出ちまうぞ? いやもう落ち着けるならどこでもいいけどさ」
「何言ってんの。生徒が、特に僕らがここから勝手に出られるわけないじゃない」
俺のどうでもいい思考は一夏の切実な発言によって断ち切られる。
俺としても少し現実逃避気味だったかもしれない。
「じゃあもしかして強行突破するのか? でもそんなことしたらむしろ追っかけてくる人が増えるぞ?」
「安全を求めて自らを危険に晒すとか本末転倒もいいところだよ。一般の人が入って来られない場所に匿ってもらう」
「どこだよそれ? あと誰が匿ってくれるんだよ?」
「もうすぐそこだ。そしてそこにいるのは僕らが強行突破した場合に追いかけてくる人達」
走りながら俺は目の前に見えてきた建物を指差す。
どうやら後ろから追いかけてくる肉食獣の群れから逃げ切れそうだ。
目的地のIS学園警備室まであと少しだった。
「はー。それは大変だったね」
「いやもうほんと、別に名前書くくらいいいかなと思って立ち止まったのは失敗だった」
「あの数に対応してたら日が暮れてたね」
アリーナを出た途端、俺達の周りに人だかりができた。もちろんお目当ては我らが織斑一夏だ。
IS学園の生徒もいたが、そのほとんどは服装から外の人達のようだった。目的は一夏のサインと握手、そしてあわよくば一緒に映った写真である。
最初は一夏もその勢いに押されていたが、すぐにこれは危険だと気づく。そしてほとんど茂みをかき分けるかのようにその場から脱出して俺達は逃げた。
なおその際衛生班の役割から一夏についてきていた谷本さんが犠牲となったので、後で黙祷を捧げておこうと思う。
「うーん、でもこの期間は一般の人もいるんだし、正面から出てきちゃダメだよ。きっちり隔離されてるんだから生徒用の方を使えって説明あったでしょ?」
「それはすみませんでした。一夏があっちから行ってみようと言うのでつい」
「はあ!? お前だって近道になるしいいかって言ってたじゃねえか!」
そして俺達は互いに罪のなすりつけ合いを始める。
確かに織斑先生から特に俺達は期間中注意して行動するようにと何度も言われていた。だがアリーナの中を真っ直ぐ突っ切って正面から出れば寮までの距離が近いということもあり、つい俺は横着してしまった。一夏も久しぶりにクラスの女子に囲まれていないということで、開放感に浸っていたようだ。
「はいはい、どっちもどっちなわけね。後で千冬様に思う存分怒られなさい。……いや待て……それってむしろご褒美じゃない!」
「ご褒美なのはあなただけです」
「俺達としちゃいい加減うんざりなんだけどな」
言うまでもなくこの警備の人は織斑千冬信者である。だがこの人が織斑先生の怒りの対象だった場合、そのままクビになってしまう恐れがあるのではないだろうか。
「おっといけないいけない。ついいつもの妄想が」
「おい智希この人大丈夫か?」
「僕らの安全という意味においては大丈夫なんじゃないかな?」
「はっ!」
大慌てで目の前の人はよだれでもたらしそうな緩んだ表情を取り繕った。
嗜好は人それぞれだ。俺達へ被害が及ばない範囲については特にどうこう言うまい。
「そ、それよりも、どうしてこんな時に限って二人で行動したりしてるのかな?」
「ごまかした。この人今思いっきりごまかした」
「それが女子だけで緊急会議をするからと追い出されて」
相変わらず空気を読まない一夏だったが、もちろん俺は乗ったりしない。
というか別にこの人の性癖など全く興味もない。
「緊急会議? 君達を外していったい何を?」
「それがよく分からないんですよ。なんか今後のこととか言ってましたけど、リーグマッチのことで今さら僕が外されるっていうのが」
「だよな。みんながいくら考えてもお前がダメって言えば全部ひっくり返るんだから、こっそり勝手なことはできないよな」
「何それ」
整備班が自白したが、連中は一夏に俺のことをいろいろ話している。その後の調べではどうも一夏の方から聞いているようで、一夏は一夏なりに俺を心配していたらしい。今まではいつも一緒だったのにここのところ別行動が多いせいもあって、知らぬ間に俺がとんでもないことをしでかして危ない事態に陥らないかと不安なようだった。
だが報告から上がってくるのは、クラスメイト達のフィルターを通した権力者像。元々俺が人に振り回されるよりも逆のタイプであることは自分がよく分かっている。今はもうそこまで心配はしていないようだ。
また三組代表にああいうことを言ったのも、一夏にとって家族カテゴリに入る俺に対して保護者気分的なものがあるのだろう。一夏は時々ああやって俺の保護者面をする。もちろん俺としては全く逆だと言いたいが。
「まあまあ。でもここに来て女の子だけでの緊急会議ねえ……。となれば、きっとあれかな?」
「分かるんですか?」
「そうだねー。きっとすぐ分かるだろうけど、甲斐田君に本気出させるにはどうしたらいいかってことかな」
「智希に?」
「一夏ではなく?」
どこの神に誓ってもいいが、俺は手を抜いたなど一切ない。ここまで俺は自分の立場でやれることを全部やってきているつもりだ。
能力不足については正面から認めるが、やる気云々については非常に心外だ。
「お姉さんさ、悪いけどそれだけは訂正してくれ。智希は今までずっと真剣にやってる。はっきり言って俺がここまで来られたのは智希の力が一番大きいんだ。本番の試合でうまくいかなかったことは全部俺の力が足りないせいでしかない。智希のことを言うならその前にまず俺について言って欲しい」
「ごめんね。別に甲斐田君を腐したいとかそういうことじゃないから。外から試合を見てるとね、きっと甲斐田君は周りの人達に遠慮しているんだろうなって思えるの」
「遠慮なんか全然してませんよ」
「だよな。むしろこれでもかってくらい好き勝手してるよな」
一夏の言い方が引っかかるが、その前に俺を庇ってくれたのでちょっと文句は言いづらい。
どちらも一夏の本心だとは分かるのだが。
「そうかな。ここまで織斑君の試合を全部見させてもらったけど、甲斐田君の姿は全く見えないよ。今の試合の最後でちょっと見えたくらいだね」
「僕の姿?」
「あー、それはきっと智希ならどうするだろうかって考えた結果だからだな。やっぱり分かるもんなんだ」
俺には意味が分からなかったが一夏には通じたようだ。
おそらくは一夏の後ろに俺が透けて見えるとかそういうことなのだろうけれど。
「ということはそれも織斑君のアドリブかあ。もしかして甲斐田君の仕事ってリーグマッチが始まるまでだったの?」
「それ僕が始まってから何もしてないって言ってます?」
「ああ、遠慮してるってそういうことか。意味分かった」
あからさまに挑発されたと思ったら一夏が納得してしまった。
ここまでの試合においてこうすると決定を出したのは俺だ。それが何もしていないように見えるということは、つまり俺には能力がないということに他ならない。
確かに今まで勝ってこられたのは一夏の機転や幸運によるところが大きい。なるほど、外から見れば何も役割を果たしていないというのその通りだ。
「あっ、違う違う! 今甲斐田君が思ってることとは全然違うから!」
「落ち着け智希。この人は別にお前がダメだったとかそういうことを言いたいわけじゃないって」
何が違うというのか。
一夏が勝ってくれたからこそ今も俺はふんぞり返っていられるだけで、もしどこかで負けていれば即更迭アンド断頭台行きだった。
「言い方悪かったから気を静めて。あたしが言いたいのは、甲斐田君はクラスの人達に気を遣い過ぎだから、もっと自由にやっていいのよってこと」
「全く意味が分かりません。自分で言うのもなんですけど、僕はわりと自由にやっていると思います」
「そういうことじゃなくてだな、いや、もちろん好き勝手やってるのはその通りなんだけど、みんなが言ってるからって自分の意見を引っ込めなくてもいいって話だ」
ますます意味が分からない。
確かに俺はクラスメイト連中に好き勝手言われているかもしれないが、それに対しては後でそれ相応の罰を落としている。言われっぱなしのままで済ませるつもりなど最初からない。
「やっぱりそうだったんだ」
「なあ智希、さっきの試合だけどさ、他のみんなとは違ってお前だけはあのやり方に反対だったんだろ? 俺に合ってないからって。実際その通りだったし」
「買い被り過ぎだよ。僕はあのやり方でも勝てると思ったからゴーを出したんだ。自分のせいじゃないとかそういうことを言うつもりなんて一切ない」
「『あのやり方でも勝てる』ってことは甲斐田君の考えは別なんだね」
だからどうしたと言うのだ。勝てそうなら採用するしそうでなければ却下するだけの話だ。
「智希、みんなが苦労してがんばってるから報われるようにしてやりたいって思ってるんだろうけど、言うべきことはきちんと言うべきだと思うぞ」
「甲斐田君、それってむしろ負けた場合の責任をみんなに押し付ける失礼な行為だとは思わない?」
「責任は全部僕にあります。誰かに押し付けようなんて最初から思っていません」
なぜだかイライラする。俺は自分が手を抜いてきたとは今も思っていない。
確かにもっといいやり方はあったのだろうが、その時その時では自分がベストだと思える選択をしてきたはずだ。
「そうだ、四組代表のときなんかまさにそうだ。こいつのことは任せろってみんなが言うからお前は口出ししなかっただろ。だけど実際の試合はあの通りで、しかもお前だけが試合中に分かってたそうじゃないか。甲斐田智希が遠慮せずに加わっていたらあんなことにはならなかったってクラスのみんなは言ってるぞ」
「そうだったの。甲斐田君が同級生相手にあそこまで裏をかかれるとかありえないよねって警備のみんなで話してたんだ。今すごく納得した」
「それこそ買い被りというか、結果論にも程があるよ。僕はあの時だって特に疑問もなかった。だから僕がいようといまいと起こったことは一緒だ」
イライラの原因が分かった。一夏も、警備の人も、俺のことを過大評価している。
第一IS同士の模擬戦において俺に何ができると言うのだ。IS学園に合格すべく努力してきた人達の方が俺より上なのは誰の目にもはっきりしているだろうが。
俺にできることと言えば屁理屈をこねて他人を惑わすくらいだ。事前の仕込みにおいては確かにうまくやれた。だが本番において具体的にどうするかなどという話はどう考えても俺の範疇ではない。事実俺はクラスメイト達の案に納得して決断をした。それ以外の、ましてそれ以上の案など俺の中にはなかった。
「智希って普段は自信満々な顔してるくせにミョーなところで尻込みするよな」
「はあ?」
「甲斐田君は結果さえよければ途中経過はどうでもいいんだろうね。だから自分の考えにはこだわらないと」
何を当たり前なことを。
今までの試合で見た通り優勢は勝ちと全く違う。九分九厘勝つ寸前だったとしても最後の最後でひっくり返されては意味がないだろう。それに自分のやり方とやらに固執していいのはそれが許される立場の人間だけだ。
そもそも俺の目的はまず何より勝つことであって、また勝利によって一夏の存在を世に知らしめたい。いい試合をしたとしても負けてはIS関係者から外へは広がらない。勝ったという事実だけが世に広がっていく。ある意味みっともなかった四組代表との試合も、時間が経てば一夏は日本の代表候補生にも勝ったという事実しか残らないだろう。
だからこそ俺は手段を問わず勝利を目指す。中身など追っかけでくっつけていけばいい。
「ま、なんでもいいから次で見せてくれよな」
「だから何をさ?」
「お前の本気? 実力? とにかく出し惜しみはするなよってことだ」
「だから最初から出し惜しみなんかしてないって……。というかそもそもクラスの女子が今何を話し合ってるのかって話で、そこから先は全部想像だよね」
「今こうやって会話しててきっとそういうことだと思ったよー」
他人事だと思って、この人も適当な事を言う。
だがクラスの女子のことはすぐに分かる話だ。俺としても話の種に出した程度で、別に真剣に答えを探そうとかいうつもりもない。
多少予定がずれたがそろそろ戻って鈴対策の会議を始めなければ。整備班も案は作っていると言っていたし。
「一夏、そんなことよりもう終わってそうだし戻ろうか。いい加減明日のことを固めてしまいたいんだ」
「おっ、もうこんな時間か。じゃあ俺も昼飯前にもう一汗かくかな」
「それならそんな君達に朗報だ。警備の車でアリーナの裏まで送ってあげようじゃないか!」
「マジ!? これからまた走るつもりだったからそれはすげー嬉しい!」
「ということはまだ外に?」
「うん。出待ちっぽい感じでいるみたいだねー」
実は俺一人なら簡単に抜け出せるんじゃないだろうかと思ったが、すぐ一夏に肩を掴まれる。
本当にこういう時だけは察しのいい奴だ。
「さあ智希、一緒に行こうじゃないか!」
「はいはい」
「ご主人様方、お車はこちらでございまーす!」
どんなプレイだと思いながら、俺は一夏と共に警備の人についていった。
「よかった! 二人とも無事だったんだ!」
「谷本さんこそ、大丈夫そうでよかったな!」
「あ、生きてたんだ」
「甲斐田君ひどい!」
意固地になっていたあの頃と較べて俺も成長したものだ。やはり振ってきたならきちんと応えてあげるのが正しいやり方だろう。
事実谷本さんも喜んで……いや涙目か。
「ともき~」
「でもさ、『ここは私に任せて先に行け!』とか言われたら普通は今生の別れだよね。それなのにそんな当たり前のように出てこられても特に感動はないというか」
「なるほど! つまり私は感動の再会を演出するべきだったんだね! ありがとう甲斐田君! 私はまた一つ賢くなった!」
俺はまた一つ余計なことをしてしまった。
「はいはい、つまらない漫才とか誰も興味ないから。みんな待ってるんだし早く入って」
鷹月さんに一瞬で断罪され谷本さんはショックの余り固まった。実に感情の変動幅が大きい人だ。
促されて入った部屋はアリーナの機材置き場のようだった。壁沿いによく分からない機械が置かれている。クラス全員が入れるくらいの広さはあるが、会議室ではないので机や椅子などない。さすがにここでいつもの会議はしたくないなと思った。
「お、みんないるな。話し合いはもう終わったのか?」
「ええ、全員一致で結論は出たわ」
全員一致とはまた怖いことを言う。
もしかして俺の解任決議が採択されてしまったのだろうか。
「そうか。で、何を話してたんだ? やっぱり智希のことか?」
「さすがに織斑君は分かってるわね。できれば織斑君にもここにいて欲しかったわ。でも甲斐田君を一人にすると何が起こるか分からないから、やむを得ず織斑君には一緒にいてもらったの」
「今のところIS学園で甲斐田さんを止めることができるのは織斑姉弟しかいませんので」
この連中は相変わらずの毒舌っぷりだ。
だがクラス全員の前という状況でそれをやるとはそれなりの覚悟はあるのだろうな。
「智希は普段ひねくれてるくせにミョーなところで素直だよな」
「何の話?」
「そりゃあ……いやなんでもない、忘れてくれ」
一夏が何かを言いかけて慌てて自分で止める。
どうやら周囲からお前余計なことを言うな的視線を感じた結果のようだ。
いくら空気を読まないと言っても、さすがに自分から見て数十人から返されたなら理解もできる。
とはいえ俺には一夏が何を言おうとしていたのかは分からなかった。
どうせ言わない方がましの碌でもないことなのだろうけれど。
「それで僕のことって何? 別にお役御免ってならそれはそれでいいけど」
「はい? この状況でどうしたらそんなことになるの?」
「あ、智希はさっきちょっとあってな。平たく言うと昨日今日俺が苦戦したのは自分のせいだと思ってるみたいで」
「それ普段なら嫌味言われてるかって疑うところだけど、その顔じゃ本気で思ってるみたいね」
「素でそう思われてしまうということは、いかに私達が情けないのかという話ですね」
指揮班の二人はそのまま口からため息でも漏れてきそうな顔になっている。
だがようやく俺も察することができた。この連中はまたも余計な責任感と生真面目さを発揮しているのだろう。
「鷹月、埒が明かぬからさっさと先に進めてしまえ。このままでは自分自身に腹が立つばかりだ」
「ごめん、本当にその通りだわ。甲斐田君、周りくどいのは好きじゃないみたいだから結論から言うけど、次の対二組戦、甲斐田君が作戦の骨格を考えて欲しい」
カチンとくるではない。俺にとってプチンと切れたくなる次元の暴言だった。
はっきり俺は怒った。この期に及んで責任放棄などあり得ないと。
多少の失敗があったからといってその程度で諦めてしまうとかどれだけ打たれ弱いのか。
むしろ俺達の失敗を乗り越えてくれた一夏に感謝し、次こそは報いてみせると努力すべきだろう。
普通なら失敗があった時点でアウトでもおかしくない。だが実に幸運なことに俺達はまだチャレンジをすることができる。ならば次こそは挽回してみせると脳をフル回転させるべきだ。本番は一夏に全てを託すしかないが、それまでのお膳立てを整えるのが俺達の役割。やれることはまだまだたくさんある。
俺はそういうことを目の前のクラスメイト達に向かって飛ばした。
「今甲斐田君が言ったことは全部分かってる。その上で、次の試合に勝つために最善を尽くそうと考えた結果がこれなんだから」
しばらく無音になった後、鷹月さんが搾り出すような声を出した。声を張りあげたいのを必死で抑えているような、一言一言に力のこもった声だった。
「他人に全部ぶん投げるのが最善?」
「他人じゃないし、投げるつもりもないわ」
「甲斐田さん、今までやってきた通りに進めても、凰さんとそれなりの試合にはできると思います。ですがそこから先は織斑君個人でどうにかしてもらうしかないのが現状です。機体その他、あらゆる面において織斑君には優位性がありません」
「エネルギー無効化攻撃があるじゃないか」
「そうですね、それはつまり今の時点ではエネルギー無効化攻撃のラッキーヒットに頼るしかないということになります」
そんなことは俺が一番よく分かっている。だからこそクラス三十人の脳みそを使って突破口を見出そうとしていたはずなのだが。
「整備班の人達はいろいろ案を持ってるよね。それは検討しないの?」
「既にやりました。ですがやはりこれといったものはありませんでした。そもそも鳳さんは基本的に穴のない相手なので、弱点を突くような戦い方ができません。奇襲の類も外した時のリスクが大き過ぎてとても採用できるようなものはありません。もちろん一つの策として持っておくのはいいでしょうが、それを本命としてしまっては通用しなかった場合に打つ手がなくなってしまいます」
すらすらと四十院さんは用意していたであろう答えを口にする。
自分達ではどうしようもないから俺にどうにかしろか。実に楽な身分だ。
「でもね、私達は一つだけ見つけることができたの。鳳さんに勝てると思える唯一の要素」
「へえ、それは?」
「甲斐田君。甲斐田君なら、鳳さんを上回ることができる」
「実際に甲斐田さんが凰さんをやりこめている姿を私達は見てきています。見る限り、聞く限り、凰さんにとって甲斐田さんは非常に苦手な相手だと言えるでしょう。織斑君?」
「ん? ああ、だいたい鈴は口じゃ負けてるな。かと言って手を出したらもっと負けだし」
それをやれるのが、理屈などぶっ飛ばして力づくで押し通してしまえるのが、今やっているISによる模擬戦ではないだろうか。
「だからっていきなり作戦を考えろとか無茶だよ」
「そうね、確かに十分無茶な話だと思う。でも今の状態で凰さんに勝とうと考えたら、この状況をひっくり返すことができそうなのは甲斐田君しかいないの」
「みんな僕のことを買い被り過ぎだ。そんな都合のいいものがあったら最初から出してる。ないからこそ僕はみんなの力を借りようとしてるんだ」
「甲斐田、私達はお前が誰よりも勝ちたがっているのは知っている」
と、いきなり篠ノ之さんが前に出てきた。
表情からして話の腰を折りに来たわけではなさそうだ。
「餌で釣ったにせよクラス全員を巻き込んだ手腕は見事だったと言えるだろう。だが本当に驚くべきはその速度だそうだ。この数年ここまで早くリーグマッチのための行動を始めたクラスはなかったとのことだからな。確かに他のクラスを見渡しても準備において私達は抜きん出ていた」
「ちょっと待った篠ノ之さん。その言い方は三年の先輩と話をした? 上級生は協力しないことになってるんだからあまりそういう行動はして欲しくないんだけど」
「別にアドバイスをもらったわけではない。以前宮崎先輩に甲斐田のことを頼まれた際軽く言われた程度だ」
「僕のことを頼まれた?」
「そうだ。甲斐田のやる気に応えてあげてくれと宮崎先輩から頭を下げられたのだ」
わざわざ頭まで下げるくらいなら素直に手伝ってもらえればそれでよかったのにと思わざるをえない。やる気も何も別に俺は自分の力でがんばりたいわけではなく、結果が欲しいだけなのだから。
「どうしてそこまで勝ちたいのかは分からない。お前が何も言わないからな。だが、甲斐田や一夏が男性であるという事実からなんとなく想像することくらいはできる」
「それが何か関係あるの?」
「甲斐田と私達の出発点は違うという話だ。そしてそれがはっきりと出てしまった結果今の状態になってしまっている」
「モチベーションの違いなんて人それぞれだと思うけど」
クラスメイト達にやる気がなかったとは全く思わない。特に整備班などは終盤俺よりも忙しくしていた。不満もあっただろうが嫌々という感じでは全くなかった。
思い通りに進まなかった原因をやる気に求めるのはさすがに違うだろう。
「大仰な言い方をすれば私達には覚悟が足りなかった。全てにおいて甘かった。それは本番の試合において顕著に現れている」
「反省は全部終わってからでいいよ。もう一試合残ってるし、今までがよくなかったとしても十分に挽回のチャンスはある。まだまだ手遅れなんかじゃ全然ない」
「ああ、そうだな。だからこそ手遅れとなる前に私達は素直に認めることにした。今の私達では甲斐田の期待に応えることは正直厳しい」
まさかの敗北宣言が出てしまった。まだ終わってもいないのに。
諦めてしまったらそこで可能性はゼロだ。それに絶望的な状況ならまだしも、今はもう十分鈴と渡り合えるだろうというところまで来ている。今足りないのは決め手であり、そこを突破できれば勝ちの目が見えてくる。
こんなことを絶対に認めるわけにはいかない。
「待って! 私達は何も勝つことを諦めたわけじゃない」
「どこからどう見ても諦めていると僕は思うよ」
「そうじゃなくて、勝つことを何より第一に考えるのであれば、今の私達は余計な口を出すべきではない、ということ」
「勝ち負けが問題でなければこのようなことは言いません。泣き言など言わず自分達にできる最善を尽くします。ですが、今甲斐田さんが勝ち負けが全てだと言うのであれば、私達に対して気を配っている場合ではないのです」
なるほどモチベーションの問題とはそういうことか。
彼女達はたとえ負けたとしても一位の特典を諦める程度で済むが、別の動機を持っているであろう俺はどうなんだという話だ。
どうしても勝ちたければ今の自分達では足手まといだから遠慮なく切り捨てろと言いたいのか。プライドの高い彼女達にとって自らを能なしに落とすなど苦渋の選択でしかないだろうに。
「そういうことね。言いたいことは分かった」
「さっきも言ったけど、そもそも次の試合についてだけは甲斐田君よりも適した人なんていないの。思考の対象が織斑君であり、対戦相手も凰さんで、どちらも甲斐田君がよく理解している相手。私達がやるよりも深く踏み込むことができる」
「こと次の試合に関しては、私達が一般論で余計な口出しをする方がむしろマイナスの効果となってしまうのです」
きっとそれが彼女達に苦渋の決断をさせてしまった大きな要因なのだろう。
普通ならこうだろう、一般論ならああだろうと考えた結果これまで失敗してしまっていた。だったらもういっそ汎用性など一切気にせずとことん突き詰めて、鈴にしか通用しないやり方でいい。そしてそれには誰よりも俺が適任だろうという話だ。
「うん、気持ちは分かる。だけど、それでも言わせてもらうと、今まで出てこなかったものがいきなり出てくると考えるのはさすがに都合が良すぎると思う」
「そうね、甲斐田君が今まで本気で考えてきたのならね」
「むしろどうして今まで何も出してこなかったのだろうかと私達は不思議に思っています」
まただ。また同じ単語が飛んできた。
一夏と同じように、この連中まで俺のことを過大に見てしまっている。
「どうしても何も最初からないんだから出しようがないじゃないか」
「別に完璧なものでなくとも、稚拙でよければ案を出すこと自体は誰でもできます。私と鷹月さんは一瞬で却下されるような案でも叩き台になればと思って出してきています」
「最近は整備班の人達まで頼まれてもいないのに口を突っ込んできてるじゃない。悪だくみ大好きなくせにどうしてこの方面には一切手を触れないのよ?」
そんなもの、自分が考えるよりクラスメイト達の出した案の方がましだからに決まっている。
「人間誰でも得意不得意はあるよね? 時間も限られてるし適材適所でいいと思うんだけど」
「誰がどう見ても甲斐田君の得意分野じゃない」
「他人の案を批評してその場で問題点を指摘し解決策まで示すことができるのに、何も考えつかないというのはむしろ不自然です」
ここにきて俺はようやく事態を理解できた。
俺は自分の役割は全体の統括であり何かの案を考えることは自分の仕事ではないと思っている。彼女達はやるべきことでかつやれることをやらないのはおかしいと言う。
もちろん俺には俺なりにやることがあり、一つの問題だけに引っかかっているわけにはいかない。だがうまくいっていない事柄に対して、全体を見る立場でありながらお前は何をしたかと問われると、確かに他人に期待するだけで流れに身を任せていただけでしかなかった。
「もちろん、甲斐田君には他にもやることがあるのは分かってる。だから一時的にそれ以外のことは全て指揮班で引き受けるわ」
「幸いにして指揮班にはもう一人います。それに残り一試合ですし何かが滞ることにはならないでしょう」
「甲斐田さん、これまでのことについての反省は行動で示させていただきますし、また終わりました後しっかり謝罪をさせていただきます。ですから甲斐田さんは今はご自分のことだけを考えていてくださいませ」
俺には他にやることがあるから無理だという言い訳まで使えなくなってしまった。
指揮班にオルコットを復帰させるとは、これはもう完全に外堀を埋めにかかっている。
いったい何を緊急会議していたのかと思えば、俺の反対意見を全部潰すためだったのだ。この分ではおそらく俺の逃げ場はどこもかしこも塞がれているのだろう。
だが、これだけは言っておかなければならない
「でもさ、もう勝手に決めてくれたとか今さらどうでもいいけど、一番肝心なことが残ってる。もし僕が何も思いつかなかったら、その後はいったいどうするつもり?」
「別に思いつかなくてもそれはそれで構わないわよ」
鷹月さんはそれが当たり前のことのように言った。
「その場合は今までやってきたことに戻るだけ。これから甲斐田君が抜けても戻ってきた時支障がないようにはしておくわ」
「元より甲斐田さんに無茶を言っているのもまた十分承知しています。そして私達も甲斐田さんに全てを任せて何もしないというわけではありません。もちろん自身の役割は果たしますし、自分達でも何かないか考えますので」
そうは言っても俺が抜けて本当に大丈夫なのだろうか。自分で言うのもなんだが。
このクラスメイト達は基本的に全員我が強い。だからしばしば、特にここ最近はよく衝突を繰り返している。
鷹月さんはあれをやれこれをやれと他人に押し付けるので反発をよく喰らう。特に整備班の鏡さんとはしょっちゅう言い合いをしていた。四十院さんは傍観者的に突き放した物言いをするのでパイロット班からは受けがよくない。
また整備班も改造の味を知ってからは自分達にもISを使わせろと要求するようになり、実技訓練が何より第一だとするパイロット班との間で訓練機の奪い合いが始まっている。
別に仲が悪い訳ではない。むしろこの一ヶ月半で仲良くなった結果、遠慮などどこかへ吹き飛んでしまったというわけだ。意見が対立してもそれを日常にまで持ち込まないあたり分別はきちんとついている。
それでも心配になって一度聞いて回ったが、自分も相手も真剣にやっている結果の衝突だと理解していた。ただ自分が最善を尽くすためには簡単に譲りたくないというだけで。
「そんな顔しなくても、たった一日くらいみんなうまくやるわ。甲斐田君がいなくても平気よ」
「大丈夫! なぜならみんな仲良しだから!」
谷本さんに太鼓判を押されても正直あまり信用ならない。というかそれ以前にここまで厄介事ばかり俺のところへ持ち込んでくれたのは紛れもなく今目の前にいる連中だ。
揉め事が発生するのであれば今度は仲裁役が必要になる。時間もリソースも限られているのだから、どこかで折り合いをつけなければならない。
そして誰がそれをやるのかと言えば当然俺だ。揉めている間は当然停滞してしまうので、責任者としてはさっさと決めて先に進ませなければならない。自分の意見を通したければもっと言い方に気を遣えと何度も言ったが、この連中は口論するのを楽しんでいるのではないかという次元で一歩も引こうとしなかった。
だが一方で、俺自身も立場的に第三者的な公平な位置にはいない。間違いなく指揮班側の人間なので、結果としてパイロット班や整備班を説得したり言うことを聞かせたりする場合がほとんどだ。時には強権を発動したりもするので、連中からすれば確かに俺は権力者的な存在に見えるのだろう。
だから俺も申し訳程度でも気を遣って一夏にサービスをさせたり、写真をあげたりしていた。
「フツーに大丈夫だよ。だって甲斐田君いなかったら喧嘩になってこじれるだけってみんな分かってるし」
「そうそう。それにどうせ結果は同じなんだから争うこと自体が時間の無駄だよね」
ちょっと待て。相川さんの言い方ではまるで最後俺に押し付ければいいから思う存分やり合っているようではないか。そして時間の無駄だと分かっているなら鏡さんはなぜいちいち文句をつけなければ気が済まないのか。
「そういうわけだから、甲斐田君は午前中考えることだけに集中して。それも具体的なところまで落とさなくていいから。何かしらのアイデアでも方向性だけでもいい」
「そこから先具体化して実現させるのは私達の方でやります。いえ、せめてそれくらいはやらせてください」
どちらにせよ、もはや俺には缶詰になるのを受け入れる以外の選択肢は残っていなかった。
本当に困った事態になってしまった。
勝手に期待されるのは百歩譲ったとしても、この二時間程度で何かを思いつくような自信など全くない。
いや、後一時間半くらいか。この二三十分ほど、どうしてこんなことになってしまったのかと自問自答をしていて時間を食った。
結論としては自業自得だ。出し惜しみするなという一夏の言葉を思い出して気づいたが、俺は戦術案などを考えることを周囲に任せきりにしていた。適当に案の一つも出して自分の力量を分からせておけばよかったのだが、それを怠ったがゆえクラスメイト達に『もしかしたら』という期待を抱かせてしまう羽目になってしまったのだ。
対四組戦や対三組戦でたまたま気づいてしまったこともそれに拍車をかけてしまったのだろう。四組代表のことは本当にたまたまだし、三組代表の時に至っては何となくでしかない。
それに俺だって自分以外の人間が同じことをやったとしたらこいつに考えさせようと思う。何より突破口が必要な状態で、可能性が見えればそれに賭けてみたくなるのは当然だ。
まして自信を失いかけている彼女達からすれば迷わず飛びつきたくなるのも無理はなかった。
だがしかし、何より問題なのは掛ける対象が俺であり、さらに俺の頭では到底思いつきそうにないことである。
もちろん俺だって出せるものなら出したい。しかしIS関係においてクラスメイト達ですらできないことをどうして俺にできようか。
できないと分かっているからこそ俺は先輩達に頼んだのであり、クラスメイト達を巻き込んだのだから。
「岸原さん今何時?」
「十時五十五分です!」
もうそんな時間か。ますます時間を無駄にしている。
顔を上げると俺から少し離れた先、威勢のいい声を出した岸原さんの横で、布仏さんが両手を振っていた。もちろんいつもの笑顔を添えて。
缶詰と言いつつ、部屋には俺一人ではない。岸原さんと布仏さんも同じ場所にいる。
一緒にいる理由は監視というのもあるのだろうが、俺が何かを考えるに際して情報が必要なら聞けという話だ。岸原さんは床に座って膝の上にいつものノートPCを乗せている。
布仏さんがいる意味はよく分からないが、この二人は仲もいいし付き添いとかその程度だろう。俺と二人きりなどビビリの岸原さんには耐えられなさそうだし。
事実岸原さんは布仏さんが横にいるおかげでそこまで緊張はしていないようだった。俺の邪魔をしてはいけないと、手を振っている布仏さんをたしなめている。
「あっ、すみません! 何かありますか?」
「いや別に。時間知りたかっただけだから」
「そうですか。何か知りたかったらすぐ言ってください!」
岸原さんは元々硬い人だが俺と話す時はいつも力が入る。そんなに俺は怖い相手だろうか。確かに整備班会議で何度も突っ込みを入れて毎回涙目にさせてしまっていたけれど。
いけない、また現実逃避をしてしまっている。早く案の一つでも考えなければ。
もちろん勝手な真似をされたことへの反発はあるのだが、それ以上に鈴をどうにかしなければならないのもまた事実だ。俺でも誰でもいいから思いついてここから何かを上乗せしなければ鈴には勝てない。
クラスメイト連中が俺に期待しているのは、鈴をよく知ることからの攻略の糸口だ。確かにISと関係ないところでなら俺にとって鈴は扱いやすい相手だ。後先を考えなければ鈴を騙すことくらい容易い。
しかし同時に俺は鈴の努力ジャンキーさや目標に対する執念も知っている。その上実際の成果をまざまざと見せつけられては、かえって他の連中よりも無理に思えてきてしまうのだ。
自分に対して妥協しないが故に、なおさら隙がないことも理解できる。俺が一番適しているどころではなく、むしろ一番不適当だと言えるのではないだろうか。
入学は遅れたが試験でもトップクラスの成績だと本人は言っていた。本当に全方位で優秀だ。欠点といえばその口の悪さとすぐ手が出ること、あとはいつまで経っても成長しない体型くらいか。だがISの模擬戦においては全く欠点とならない。
最初から思っていたが、俺は鈴を敵にしたくなかった。
本当に、鈴が一組であればよかったのに。それならば何が起ころうと、少なくとも敵に回らずに済んだ。
一夏も俺も知る相手なのだから、織斑先生の立場からしても鈴は一組でよかっただろう。ISを一から学ばなければならない一夏の立場としても鈴は心強い存在になれる。それなのに鈴を二組にしてしまうとは、まさか篠ノ之さんと鈴を一緒にしたら修羅場になってしまうなどと心配したのではないだろうな。だとすれば織斑先生は親友篠ノ之束博士の妹推しか。うん、どうでもいい。
だが鈴も鈴だ。早く一夏に会いたいのならどうして一緒に入学してこない。篠ノ之さんの予想ではもらった専用機をうまく扱えなかったからだそうだが、そんな訓練などIS学園で一夏と一緒にやればいいだろう。専用機の練習という一緒に行動できる大義名分までついてくるというのに。
それにすぐ爆発させてしまう程のフラストレーションを溜めていたくせに、どうしてそこで自分のプライドを優先させるのか。いくら一夏にみっともないところを見せたくなかったからといっても、そもそもIS学園に入学した時点では一年生はほとんどが初心者だ。その中で鈴は経験者ということでそれだけで上位に入る。オルコットや三組四組代表など同じ対場の人間が他にいるにしても、ここでもトップクラスであることに変わりはない。
鈴は一番を目指すが最初から自分が一番でなければならないとは思っていない。むしろ一番とは奪い取るものだと考えている。専用機をもらえること自体が相当なステータスなのだし、別に多少扱いが拙かったとしても情けないことではないだろう。それとも目も当てられない程ひどかったのだろうか。
と、そこまで考えて俺は何かがおかしいと感じた。
今考えたことの内容自体はただの俺の現実逃避でしかないが、俺の中で咬み合わない。俺の中における鈴像と一致しない。
もちろん一年間の空白期があるので、鈴の方が変わったということもあるだろう。しかも外国という全く違う環境に鈴はいた。環境に合わせて考え方も変化したということは十分にあり得る。
だが再会して以降の鈴は、俺の中でもよく知っている鈴だった。俺だけでなく一夏にとってもそうだった。このあたりの感覚において一夏は俺の何倍も優れている。少しでも違うと思えば口に出さずにはいられなかっただろう。だが一夏は鈴が全く変わらないことに安心していた。
つまり、鈴はやはり鈴だったが俺の違うと思った鈴は鈴ではない。
別に鈴が新たな人格を生み出したとかそういうことではない。もっと物理的な話だ。
そうだ、よくよく考えてみれば最初からここまでおかしなことだらけではないか。俺は誰かしらに説明を聞いたことで何となく分かったような気になって流してしまっている。
確かに篠ノ之さんの言葉を聞き鈴の反応を見て、俺は納得していた。鈴の様子から篠ノ之さんの言ったこと自体は間違いではない。だがそれが全てではなく、きっと一つの側面でしかなかったのだ。
であればどうなる。最初は? あの時は? あの事件は? どうして鈴はあんなことをした? なぜこうまで一直線に転がっている?
一つ見えればそこから先は芋づる式だ。どうして千冬さんは鈴の言い分を認めたのか。なぜ暴挙と理解していながらそれを通してしまったのか。
鈴は群れない。自ら望んで一人になろうとする。だから俺や一夏と違って周囲と正しさを確認することができない。安心することができない。努力とそれによる成果をもってしか自らを確かめることができない。
それなら努力の過程でどうやって方向性を確認する? 鈴にとって成果や結果はどのように決まる?
「岸原さん!」
「はいっ!」
「鈴の試合の映像見せて!」
「え、えっと、この画面でよければ」
「画質がよければ何でもいいよ」
「はい!」
岸原さんがノートPCを持って駆け寄ってくる。その後ろから布仏さんがまたしてもわくわくした顔をしてついてきている。
「最初の試合でいいですか?」
「うん」
「えっと……どうぞ」
試合の映像が始まりパソコンの画面に鈴の顔が移る。見ているうちに俺はおかしくなってしまった。
「ははっ」
「甲斐田君?」
そう言えばそうだ、確かに俺達だけの専売特許ではない。実に当たり前の話だ。
「かいだー?」
「そうだよね、そうするしかないよね。なんだ、とても簡単なことじゃないか」
「甲斐田君! 何か分かったのですか!?」
その通り、理解はできた。じゃあ次はどうするかだ。
方向性はもう見えている。あとはどう落とし込むか。
「智希ー」
「か、甲斐田君、どう……かな?」
鈴の試合の映像を見ながら考えていると、一夏と鷹月さん達が部屋に入ってきた。もう昼なのか。
「どうだ……って見つかったみたいだな」
「ほ、本当に!?」
人を缶詰の中に押し込んでおきながら今さら何を言うかという話だが、この連中にしても人に無理難題を吹っかけたという自覚はあるのだろう。
そうだ、確かにこのまま俺一人でやっていては時間的に厳しい。この後鈴の試合もあるし、それなりに準備が必要だというのもある。やると言ったしこの連中にもやらせよう。
「そうだね。でも勝つだけじゃ不十分だ。もうひと乗せしておかないと」
「はい!?」
「不十分も何も勝つことができればそれでいいのでは……?」
「それがいろいろあるんだよ」
さてこの連中にはどこまで説明をすべきだろうか。
やはりやってもらう以上は全開示すべきか。とはいえクラスメイトがボコられて鈴憎し状態の輩はどれだけ冷静に聞けるだろう。
まあいい、今回の俺は何かを決める立場にはない。そして全て俺の想像で客観的な証拠など何もない中決断をしなければならないというのは相当なプレッシャーだろう。
俺のことを権力者だと揶揄するのであれば、権力者の特権である『何かを決断する』という恐ろしさを存分に味わってもらおう。
「とりあえず説明はするからみんなを呼んできて。あ、ここってまだ使っていいの?」
「う、うん……」
「分かりました!」
珍しく四十院さんがアクティブに勢いよく飛び出して行った。
「智希」
「何?」
「やっぱお前ってそういう悪だくみしてる時が一番楽しそうだぞ」
「失礼な」
まったく、悪だくみをしているのは俺の方ではないというのに。