勝てば勝ったで負ければ負けたで常に問題という厄介事はやってくる。
待機室へと戻ってきた一夏の機嫌が非常に悪い。
かけられたねぎらいの言葉も遮って、苛立ちを隠せないでいる。
別に他人がどうだというわけではなく、自分に腹を立てていた。
「一夏、だからな……」
「いいから放っといてくれよ! 俺の負けだってのは自分が一番よく分かってるんだから!」
「いやいや、勝ったのは織斑君でしょ」
「あれ見て俺の勝ちだって思う奴は一人もいねえよ! 何もかも全部、どこを切り取っても俺が劣ってたってのは俺でさえ分かるから!」
「一夏さん落ち着いてください。内実はどうあれ、勝利をしたのは一夏さんで間違いありませんわ」
「あんなのは向こうがくれただけだ。最後勝手にパニクって自爆しただけで、俺のマグレですらない。何がかっこつけて勝ってくるだ。みっともない真似して恥晒して、挙句がおこぼれにあずかって、こんなの勝ったなんてとても言えねえよ!」
周囲の聞く耳など一切ない。何はともあれ勝ったんだからそれでいいだろうという俺の理論などとうに一蹴されていた。
一夏は自分の不甲斐なさに腹を立てていた。何一つうまくいかず、最後にはどうしていいか分からなくなってしまった自分に情けなさを感じているようだった。
それを言い出すのであればそもそも作戦から間違っていたので、むしろ俺達の責任だ。だが一夏はそこまで説明をさせてくれないでいた。
鷹月さんが謝りながら説明をしようとしても、変な慰めはいらないとはねのける。取り付く島もない。
「どうする甲斐田君?」
鷹月さんが困り果てた顔で俺を見る。他の連中もお前何とかしろという目を俺に向けていた。
一夏のことであるとはいえ、厄介な問題ほど俺に押し付けられているような気がする。
しかし完全に拗ねてしまっている以上今は何を言っても無駄だろう。
とりあえずは飯でも食わせて気持ちを落ち着けさせようか。午後一の試合だったので一夏は軽くしか食べていない。
俺は振り返って何か食べるものを持っているであろう谷本さんに目を向ける。さすがに栄養管理まではやっていないが、谷本さんはメンタルケアの部分で一夏の好きな食べ物飲み物を把握している。一夏の好物を出してくれるかもしれない。
俺の視線を受けて谷本さんは、任せろと自信ありげに親指を立てる。そしてそのまま何も持たずに俺の脇をすり抜けて一夏の側まで行き、膝を曲げた。
待て、別に俺は一夏を説得しろと言いたかったわけではないのだが。
「織斑君織斑君」
「もういいよ。だから放っといてくれよ」
「織斑君はさ、どうして勝ったの?」
「はあ? だから勝ったんじゃなくて向こうがくれたんだよ」
「そうじゃなくて、どうして織斑君は相手に降参しろなんて言ったの? 自分が負けたと思ってるのに」
「え?」
一夏が驚いてそれまで壁に向いていた顔を谷本さんの側に向ける。谷本さんは膝を曲げていて、椅子に座っている一夏と同じ目線だ。
「負けだと思ってたのならそこで素直に僕の負けですって言えばいいんじゃないの? どうしてそうしなかったの?」
「そ、それは……」
当然一夏は言いよどむ。
別に一夏も自分から負けたいわけではない。
「勝つことの方が大事だったんだよね? いくらみっともなくても、自分含めたみんなが相手の勝ちだと思っていても、それでも一組の勝利を相手に渡したくなかったんだよね?」
「いや、それは……」
確信して言うが、一夏は絶対にそこまで考えてやっていない。流れのままに口にしただけで、そこに特別な意図はない。余計なことを考え始めたのは降参した四組代表の姿を見てからであることに間違いない。
そもそもそこまで考慮して行動できる人間であれば俺はこんなに苦労していないだろう。
「だったら私達は織斑君にありがとうって言うよ。どんなに悔しくても勝ちを手放さずに持って帰ってきてくれた織斑君にありがとうって言うよ。織斑君の行動を間違ってるなんて言う人はこのクラスには誰もいないから」
「いや、その……」
今の谷本さんの姿は拗ねる弟を優しく諭すお姉さんだった。
過大評価を受けてしまったと感じているであろう一夏はかなりバツが悪そうだ。
というか、やっぱり谷本さんは普通にできるじゃないか。ならばいつものあれはいったい何なのか。
「そうだぞ一夏、私はお前を誇りに思えど恥とすることなど一切ない」
「一夏さん、誰が何と言おうとわたくしは一夏さんの味方ですわ」
「大事なことを言ってなかったね。織斑君、ありがとう」
ここぞとばかりにパイロット組が乗ってきた。
その顔には谷本さんの言ったことは自分が言うべきだったという悔しさが見える。
そして谷本さんが俺に向かってどうだと得意げな顔を見せた。俺はありがとうと目で返し、谷本さんはニッと笑った。
「ごめんみんな。だけど俺はそんな立派な人間じゃないんだ。今もそうだけど自分のことしか考えてない勝手な奴なんだ」
「そうだよね、一夏ってほんと勝手な人間だよね」
「そうそう……っておい!」
自分で言っておきながら一夏は心外だとばかりに俺を見た。
谷本さんが道をこじ開けてくれたのだ。ここを逃す手はない。
「というかさあ、勝ち負けを言う前に一夏って試合投げてたよね。最後突っ込んだ時もうどうでもいいやって感じに見えたんだけど」
「いや、それは、その……」
図星を突かれて一夏がしどろもどろになる。
周囲からはお前がどうでもいいから突っ込めと言ってたじゃないか何言ってるんだという視線が飛んできている。
今は一夏を平常心に戻すのが何より先決なのだ。
「やるからには勝敗以前に最後まで食らいついていってほしいよね。そもそも一夏が相手を技術的に上回って美しく勝つとか誰も期待してないし。まあどんなにボロボロでみっともなくても、勝ちを拾って帰ってきてくれればそれだけでいいから」
「いや、そりゃそうだけど、だからってそういう言い方はねえだろ。拾ったとはいえギリギリで勝って帰ってきたんだからさ、激闘お疲れとかお前はもうちょっと相手をねぎらう言葉を選んでだな……」
乗せられた一夏が立ち上がって俺に抗議する。それはいつもの一夏の姿だった。
「織斑君ごめん! 織斑君が苦戦したのは全部私達のせいだから!」
「へっ?」
聞く耳があると分かれば鷹月さんも躊躇はない。
一夏の前に立って深々と頭を下げた。少し離れて四十院さんも同じ動きをしている。
「織斑君が苦戦したのは、私達のリサーチと分析が不十分過ぎたから。悪いの全面的に私達なの」
「え? でも火力で来る可能性は聞いてたし、特攻して外したのも俺の問題だし」
「それが実はそうではないのです」
鷹月さんと四十院さんが一夏の隣りに座って説明を始めた。一夏も腰を下ろして真面目に話を聞いている。
よし、もう大丈夫だ。
安堵のため息を吐いて、俺は振り返る。
後ろで様子を見ていた倉持のリーダーの人が俺を見て頷いた。そして前に出てくる。
「織斑君、お話中悪いけど白式貸して。修理するから」
「あ、すいません。そうだ、こいつけっこうひどいことになってた」
「見た感じ修理すれば問題ないわ。今日はもう試合もないし」
「お願いします」
一夏が待機状態となった白式を外して渡す。あの大きなISが小さなガントレットに圧縮されてしまうのだから、本当にISの技術というものはよく分からない。同じく専用機持ちのオルコットなどは待機状態のISがイヤリングになってしまっている。専用化処理されたISでしかできないそうだが、待機状態になる時圧縮される様子はいつ見ても不思議な光景だと思う。
「あーあー。けっこうやられちゃったわ」
「背中はどのISでも弱いっすからねえ」
倉持の人は三人いたのに今一人いないなと思ったが、すぐに思い当たった。
一人は四組代表のところに行ったのだろう。触らせてもらえるかは分からないが、少なくとも技術者として謎をそのままにしておくわけはないだろうし。
俺としてはもう対戦も終わったのでどうであろうと構わないが。
「甲斐田君、今回私は自分の視野の狭さを思い知りました。今後はこのようなことのないように気を引き締めていきたいと思います」
「おー、がんばろ~!」
岸原さんが決意に満ち溢れた強い目で俺を見てきた。一方布仏さんは相も変わらずいつも通りだ。
さて布仏さんについてはどうするかなと考える。
最初は逆スパイだったかと思ったが、俺に対して嬉しそうな顔を見せたことで少なくとも単純なスパイなどではないだろうと感じた。それは四組代表の意を受けてというよりは、むしろ布仏さん個人の感情であるように見えた。分かってくれた、理解者を得られたという喜びだ。
おそらく四組代表は友人である布仏さんも信用しておらず、今回の布仏さんを一組のスパイだと見ていた。そして俺と同じ種類の人間であれば逆にそれを利用するのは間違いない。結果届いた情報は俺達を誤った方向に導くのに十分なものだった。
また布仏さんも自分が信用されていないのを感じていて、鷹月さん達に情報の信憑性について言っていたようだ。実際はそうではなかったが鷹月さんはきちんと裏も取ったと言っている。しかし四組代表は自分のクラスメイトすら蚊帳の外に置いていたので、本人が見せなければ誰にも分からない状態だった。情報の裏を取るにしても外から見た目でしか分からず、そして四組代表は俺達の目を意識して徹底的に隠していた。
「どうしたのかいだ~?」
あの時布仏さんが嬉しそうだったのは、おそらく俺が四組代表の内側に向かった感情に気づいたからだ。四組代表と会わないかと言ってみたり、自分ではどうにもできない状態なのだろう。それはきっと純粋に友人としての心配で、普段は一夏よりも脳天気な顔だがそれなりに気苦労はあるのかもしれない。
「いや、布仏さんは何をがんばってたかなと思って」
「むー! 私だっていっぱいがんばってるよー!」
「何てことを言うんですか甲斐田君! 本音さんは機体の情報集めでものすごく貢献してくれているんです! あのイグニッション・ブーストだって本音さんが探してくれた資料から見つけたんですから!」
「あ、そうだったんだ。それは失礼」
一番怪しくない人間が犯人だというのはサスペンスものの定番だが、布仏さんがそうならあっさり俺にバラしてしまっては意味がない。それに三流以下の犯人なら俺が何かしなくとも勝手に自爆するだろう。
万一四組代表の手先だったとしても、リーグマッチにおいては対戦が終わっている以上今はそこまで気にするようなことでもない。一夏には基本クラスの連中が囲んでいるので、そうそう変なこともできない。
今余計なことを言ってわざわざクラスの中に不協和音を作るのも何なので、ひとまず俺の中に留めておくことにする。怪しいようであればまた考えよう。
「かいだー! ちゃんと反省しなさい!」
「そうですよ甲斐田君! クラスのリーダーなんですから、みんなのことはきちんと見ていてください!」
「ごめんごめん。ちょっとした冗談だって」
二人の抗議を笑って躱しながら、クラス代表でもない俺の立場はいったい何なんだろうなと思った。
「お待たせ。あれ、こんなにいるの?」
「わざわざすまないな甲斐田。自由時間だというのに」
「いや、それは別に全然いいけど、何かあったの?」
「いいえ、何か問題があるわけではありません。甲斐田さんにお聞きしたいことがあるだけですわ」
寮の会議室まで呼び出されたと思ったら、また面倒な予感がする。
今日の一夏の試合は終わったということもあり、鈴と五組代表の試合が始まるまでは自由時間になっていた。気を張ってばかりいても仕方ないし、連戦という一つの山を越えたということもある。
「まあいいけど、一夏は?」
「クラスのみんなと食事中。谷本さんがついてるから変なことにはならないと思うし大丈夫よ」
鷹月さんの口から耳を疑う発言が飛び出してきた。
俺などは谷本さんを一夏と一緒にされるとむしろ不安なのだが、というか谷本さんを一番信用していなかったのは他ならぬ鷹月さんだったのだが。
「さっきのを見たらさすがに信用するわよ。きちんと織斑君をコントロールできてたし、むしろ私達がやるよりもいいって分かったわ」
「個人的に思うことはあるが、今日のところは信用することにした」
意外だと顔に出ていたらしい。鷹月さんが軽く笑って返してきた。
一方の篠ノ之さんはあまりおもしろくなさそうな顔だ。さっき谷本さんに持って行かれたこともあるのに、わざわざ一夏との食事を外してまでとはいったい俺に何を聞くつもりか。
「私達が甲斐田さんに聞きたいのは二つです。先ほどの試合はいったいどういうことだったのか。そして甲斐田さんは何をもってそれを理解することができたのか」
四十院さんが真剣な目で俺を見てきた。
そうだった。この人達は揃って優等生だ。疑問があったらきっちり解決しないと気が済まない人種だった。
「あの場で試合の中身を理解できていたのは甲斐田君だけだった。終わった後私達も話し合ったんだけど、断片的には理解できても全容が見えないの。だから教えてって話」
「なるほど、そういうことか。四十院さんには言った気がするけどあれじゃダメだった?」
「理解力が足りず申し訳ありません。どうしても文脈が繋がらず……」
「一夏が苦しむ原因を作ってしまったのは我々だ。二度とこのようなことがないように、しっかり反省しておきたい」
一夏が荒れていたというのもあり、責任まで感じてしまっている。
篠ノ之さんに限らず本当に真面目な人達だと思う。
岸原さんなどは一言も聞き逃すまいとしているような気迫さえ感じる。
「えーと、じゃあどこから話そうか。そうだ、何よりまず僕達は四組代表に完全に騙されていた。これはいいよね?」
「あんなもの持ち出されてしかもそれを知らなかったものね」
「もっと根本的な話。四組代表は一組が友人の布仏さんを使って自分の情報を集めようとしているのを分かっていた。逆にそれを利用して布仏さんを騙して誤った情報を僕達に送っていた」
「えっ?」
布仏さんがこの場にいないのを確認して、俺は口に出した。
少なくとも四組代表が布仏さんを信用せず偽の情報を伝えていたのは間違いない。
「そうなのか鷹月?」
「ちょっと待って。さすがにその可能性は考えてて、きちんとその裏を、布仏さんじゃない別の人に取ってもらってるわよ。それで確実でない情報は削った上での話なんだけど」
「うん、外から見える行動に関する部分だよね。確かに四組代表はこの一ヶ月ほとんど訓練らしい訓練をしていないし、趣味レベルで毎日自分のISをいじっていただけ、という話だった」
「じゃあ何が嘘なの?」
「訓練なんかしてないっていうのと、趣味が趣味じゃない」
「はい?」
四組代表のISが量産機ではなく専用機だと考えれば簡単に説明はつく。専用機なら待機状態にしてしまえばどこへでも運べるから、その状態で人に見られない場所へ行けばいい。趣味レベルのルーチンワークにも見えるIS改造もおそらくはひたすら改造バランスにおけるシミュレートだ。
スペックはどうあれあそこまで極端な改造をしたのだ。数字を変えるだけでは絶対に済まない。オルコットとの模擬戦の時先輩達は打鉄の改造をするのに相当な計算とシミュレートをしていた。四組代表だってそれ相応のことをしているはずなのだ。
「でも、布仏さんは四組の代表とかなり一緒にいたのよ。放課後一緒にいて寮に帰ってご飯食べて、相当な割合で一緒に生活してたんだけど」
「だからそれはいつも通りの毎日を送っていますという布仏さんへの嘘。実際はそれからこっそり訓練とかしてたんだろうね」
言いながら思ったが、もしかしたら動かないで戦うというのはそういう制限の中から生まれてきたものなのかもしれない。こっそりではどうしたって動きの訓練はあまりできていないだろう。
一夏はイグニッション・ブーストを含めた動きの訓練がかなりの割合を占めている。毎日放課後をフルに使っていた一夏よりも訓練の絶対量が少なくなってしまうのは間違いない。
精神的な部分もあっただろうが、動き始めてからの四組代表は明らかに精彩を欠いていたように感じる。
「この場に布仏さんがいなくてよかった……」
「だから別に布仏さんが悪いってわけじゃない。向こうの方が一枚上手だったって話」
布仏さんも信用されていないのは分かっていただろう。本当のことを言ってくれていないというのは感じていただろう。だがあの時の様子からして、普段通りと思っていた姿が嘘だとまでは疑っていなかったようだ。
俺が聞いた時、布仏さんは大丈夫だと言った。それは特別なこともなくいつも通りの日々を送っているから大丈夫という意味だった。
二人がどれくらいの間柄かは知らないが、今はもう四組代表の心が離れてしまっているのかもしれない。
もっとも、今の話は布仏さんが四組代表のスパイではないという前提だが。
「今布仏は?」
「本音さんは四組代表の方のところに行くと言っていました。悔しがっているだろうから慰めてくると」
「あんまり聞きたくないこと聞いちゃったわね……」
「これは伝えない方がいいでしょうか……」
クラスメイト達は気まずそうに話している。
布仏さんにスパイの疑いをかけるような方向にしないためでもあったが、少し被害者方面に針を振り過ぎたかもしれない。
とりあえずは疑いがかかっていないようなのでよしとしようか。
「甲斐田、お前は余計な真似をするなよ」
「何それ?」
「ストレートに言えばいいという話ではないということだ。お前は相手の心情を考えずに発言することが多いからな」
「そんなことしないよ」
俺だって本人がこの場にいないのを確認してから口に出したというのに、俺を何だと思っているのか。
だが俺としては本当のところはどうなのかを一応本人の口から確認しておく必要がある。
感覚としてはスパイどころか俺を厄介事に巻き込もうとしていそうなので、正直に言えば気は進まないのだけれど。
「まあまあ。それで甲斐田君、私達が完全に騙されてたというのは分かったわ。でもそれはあんな極端な戦い方を隠すためにしてはやり過ぎというかおかしいと思うんだけれど?」
「そうです。私達を油断させるために徹底したのは分かりますが、それならあのような戦術を取る必要性が全くありません。あれだけの操縦技術があれば、開始早々にありえないと思えるスペックを見せつけて織斑君を圧倒することができたはずです」
「うん。それについてはみんなが調べてきてくれたことから答えは出てて、そもそも四組代表はどういう戦い方をしてくるだろうって話だった?」
「それは……性格的に強気な方じゃないし、ヒットアンドアウェイなんかのどちらかというと逃げ回る消極的な戦い方?」
「ですが実際は火力重視で相当強気でしたが……」
確かに俺もあの目と火力で圧倒しようとしている姿を見て最初はそう思った。
だが四組代表のあの意思は目の前に恐怖に負ける程度のものだった。とすれば火力についても同様だ。
「あれってさ、強気に見せかけて超弱気な戦い方だよね。だって絶対に近づかせないじゃなくて、絶対に近づいて欲しくないだから」
「はい?」
「そういえば甲斐田さんは相手が怖がっているとか……」
「射撃の腕はすごかったけど多分接近戦がダメなんだろうね。ブレードも用意してなかったみたいだし、はなから打ち合う気なんてない。そして打ち合わずに済む方法を考えた結果があれだ」
一夏に対して個人的な負の感情を抱いているのは間違いない。そして自分が安全圏にいるうちはその感情を全開にできた。だがそれは俺が想像したほど重いものではなく、心の平静を失って以降は一気に恐怖で塗りつぶされてしまっていた。
「甲斐田さん、ですが特攻した一夏さんをあの方は綺麗に回避しましたわ。機動力も隠していましたし、むしろプランA、プランBのような形だったのではないでしょうか?」
「ああ、超弱気な人間が保険かけないはずはないよね。もちろん頭の中ではプランB的な部分があったと思うよ。それに確実に来ると分かっていれば超弱気でも覚悟決めて回避できると考えて、実際にやってのけた。これは素直にすごいと思う」
「ということは四組代表は何が問題だったの?」
「訓練でやってないから実際そうなった時にパニクったって話。こっそり訓練してたとしてもそれはどこまでも一人だから、訓練相手に特攻してもらって回避する練習とかできない。さすがにシミュレートはしてただろうからかろうじて回避だけはできたけど、その時の感情までは考慮に入ってなかった。そして一気に精神の均衡が崩れたと」
「確かに、ISに限らず剣道でも至近距離で打ち合うと相当に精神を消耗するのはその通りだ。慣れや経験に加えて正面から打ち合うという覚悟が必要だな」
基本的に訓練などで練習していないことはいきなりできたりしない。たとえ本番で初めてできたことがあったとしても、それ以前の練習における失敗の蓄積があってこそだ。初戦の一夏にしても要素は今までやってきたことの延長線上にある。
訓練と本番でさえ大きな違いがあったりするのだから、予習なしのぶっつけ本番というのは経験の多い熟練者でもなければ厳しいだろう。
「ということは……あの謎スペックについてはともかくとして、四組代表がこの戦い方をしてくることはある程度予測しておかなければならなかった?」
「そうですね、ただこれはあの高スペックありきの話ですから、第一の選択肢として考えるのはやはり厳しいでしょう」
「あ、そっか。これ打鉄とかラファールじゃ無理だものね」
まあ四組代表はそれを踏まえて相手の予想を外すことができると分かってやっている。
二度目はないが今回はまんまとやられたという話だ。
リーグマッチに興味がなく一夏を叩き潰すことだけが目的ならそれで十分だった。
「結局僕らは見た目やデータに振り回されて視野が狭くなってたってことだ。ルールで縛られていること以外は何でもありなんだときちんと認識しておかないとね」
「そもそも専用機を使っていいんだからルール違反でもなんでもないのよね。誘導されてたとはいえ思い込んでいたのは本当に反省すべきことだわ」
言いながら、これもまた先輩達に言われたことではないかと思った。あの時はこちらがルールの隙間を利用する側だったが、相手だって同じことをしてきても全くおかしくはないのだ。
自分だけはと思った瞬間に落とし穴に嵌る。教訓が敗北と引き換えにならずに済んだのは本当に幸運だったとしか言いようがない。
「とりあえずこれで謎は解けたってことでいいかな?」
「えーっと、後でもう一度復習してみようとは思うけど、ひとまず全容は見えたわ」
「うん。じゃあ質問があったらまたその時ってことで」
そう言って俺は会議室を出ようとした。だがすぐに篠ノ之さんに肩を掴まれる。
「待て。まだ重要なことが残っている」
「あ、何か質問思いついた?」
「そうではない。四十院が最初に言ったであろう。お前は何をもってこの事実に気づくことができたのかという話だ」
やっぱりダメか。
できれば有耶無耶にするつもりだった。
目を見て四組代表は俺と同じ種類の人間だと分かったからですなどとはさすがに言いたくなかった。
「ああ、それね」
「そうですわ。あの場で試合の流れを理解できていたのはこんなにもいて甲斐田さんお一人だけでした。わたくし達が不甲斐なかったのはもちろんですが、だからといってそのままにしておいていいなどとは絶対に思えません。お願いですから教えて下さいませ」
オルコットがこれ以上ない真剣な表情で俺を見据える。入学時はもっと傲慢な人間だと思っていた。だが今は全てにおいて自分を下回っている俺程度の人間に教えを請うことに躊躇もない。またそれでいて卑屈さなど一切感じさせないのだから、やはり別世界にいる上流階級の人間というものは違うなと思った。
「いや、別にそんな大したことじゃなくて」
「それすら気づくことができなかったのが我々だ」
「別に嫌味を言いたいわけじゃなくて、明らかにおかしかったんだ。思い出してみて。四組代表が一夏の特攻を躱して動き始めた後のことを」
そこで一度俺は言葉を切る。
最初四十院さんから嫌な質問が出てきた時点で俺も回答は考えていた。
「何かあったっけ?」
「前半あれだけ一夏を圧倒する射撃を見せてたのに、動き出してからは一発も当てられてないんだよ? すぐ近くに一夏がいて、ほとんど背を向けて逃げてるのを後ろから狙い撃つだけなのに」
「ああ……でもそれは織斑君がうまいこと逃げてたからじゃないの? あたし達必要だと思って逃げ回る訓練は相当にやってるから、織斑君も回避についてはそれなりのものだと思うけど」
「私もそう思ったぞ。それに一夏の機動性は相手を明らかに上回っていた。イグニッション・ブーストを駆使した回避は初見ではそうそう追いつけない。機体に負担も大きいがそれだけの価値があるものだ」
「わたくしもそこまでおかしいとは思えませんでしたが……」
いけると思ったらなんとパイロット組全員に否定されてしまった。
とはいえ俺の見解はその後の結果によって裏付けられているので間違いないはずなのだが。
「うーん、じゃあもう一度試合の映像を見直してみて。少なくとも僕の目からは手が震えてるんじゃないかってくらいのひどい射撃に見えた。そしてそこから紐解いて四組代表は恐怖で胸がいっぱいになっているという結論にたどり着いたんだ」
「そうか……。確かにその後茫然自失になった姿を見れば甲斐田の言うことが正しいのは間違いないが」
「ということはあの時のわたくし達の観察眼が曇っていたということになるのでしょうか……?」
「でも言い方悪いけど甲斐田君が分かるんならあたし達にも分かってないといけないんだけどなあ……」
目の前で頭を捻られて気づいた。
順番が逆だった。俺は外から見える現象からではなく、四組代表の心情から今の話を構築してしまっている。
あの時俺が感じたこと自体は正しい。四組代表の精神は間違いなくズタズタだった。
ひどい射撃だと思ったのは四組代表の心情を踏まえた上での話だ。
完全に説明の仕方を間違えた。
「まあまあ、それなら実際に映像を見てみればいいじゃない」
「私達はそれ以前の話でしたので恥ずかしいことですが」
準備がいいなと思ったが、俺に説明させるつもりなら用意もしておくか。
鷹月さんが会議室のスクリーンにさっきの試合の映像を映し出す。最初の部分は早送りで、一夏の特攻が回避されたところから始まる。そして愛の突進まで進んで停止した。
「分かった?」
「うーむ……」
「相手そんなにひどいかなあ?」
「一発も当たっていないのは事実ですが……」
「ではもう一度見てみましょうか」
これはよくない。このままでは深いところまで突っ込まれる。
この連中は基本的に根掘り葉掘り聞かなければ気が済まない連中だ。なぜなぜを連発して俺の中にまで踏み込んでこられると厳しい。
うまい言い訳はないものかと考えるも、思いつく前にまた映像が愛の突進まで来てしまった。
「どう?」
「なるほどな」
「分かりましたか?」
「教えて教えて!」
「目だ」
「目?」
あ、これはますますよろしくない。
篠ノ之さんはスクリーンに写っている四組代表を指差した。
「四組代表はその前から覇気もなく完全に敗者の目になっている。あと一息で勝てるという顔ではとてもない」
「目ですか」
「ああ、状況は断然有利だというのに、間もなく自分は負けるという顔をしている。これは明らかにおかしい」
「そういうことかあ。甲斐田君はこの目を見て感情移入しちゃってたんだ」
おや、勝手に風向きがよくなったかもしれない。
「理解できたぞ甲斐田、お前はこの目を見てから自分でも気がつかないうちに相手の視点になって見ていたのだ。手が震えていたなどというのはさすがに錯覚で、きっと自分をそこに重ねていたのだろうな」
「よく分かりましたわ。確かにわたくし達は一夏さんの視点でしか見ていませんでした。四組代表について考えるときも合理的判断以外の感情までは考慮していませんでしたね」
遠からず、いや、感情移入と言われればある意味その通りか。まあ納得して突っ込まれなければ何でもいい。
「ということはこのことについて私達反省する必要がありそうね。相手の心理状態の変化については完全に抜けていたんだから」
「織斑君に対しては考慮していましたが、片手落ちだったのは否めません。事前の四組代表の情報からも、この弱気な性格は把握できていたというのに」
「一夏には相手は気迫で押せるということをもう少し認識させておくべきだったな。そうすれば少なくとも途中で投げてしまうことはなかったかもしれない」
「投げたおかげで勝てたのですから勝負とは本当に皮肉なものですが」
「ほんと織斑君だから勝てたって感じ」
彼女達の間では疑問が解消されたらしく、反省を口にしつつも口調は軽い。
俺としても嫌なところまで突っ込まれずに済んでほっとしたが、この分ならどうであろうと深く突っ込まれることはなかったかもしれない。
俺は自分が過剰に反応して論理の組み方を間違えてしまったことを反省しよう。
「さてと、後はあの謎スペックだけど、これは打鉄に見せかけた別の専用機だったってことでFAね。大方倉持技研とは別の企業が入ってるってところだわ」
「近々倉持技研から離れるだろうという予想もありましたし、そのあたりでしょうね。ISの専用化技術は企業ごとの特許技術ですから、倉持技研の方々が知らなかったということは別の企業のものでしょう」
「まあ対戦も終わったしどうでもいいことだよね。あたし達には関係ないことだし」
内実はきっと違うだろうと思ったが、わざわざ口にすることはしない。
だが一夏に個人的な負の感情を抱いている以上、四組代表が今後も何かを仕掛けてくることはきっとあるだろう。とはいえクラスどころか友人すら跳ね除けている状況では、学内に味方が一人もいない。あえて言えば姉の生徒会長くらいか。しばらく見ていないが今度来た時に妹のことを聞いてみよう。
とりあえずリーグマッチの間は気にしなくてもいいだろう。
「じゃあそろそろ……あ」
「どうしたの……あ!」
俺につられて壁の時計を見た鷹月さんがしまったという顔をする。
今はもう三時半。鈴の試合の開始時間は三時だった。
「既に始まってしまっているという次元ではなかったですね」
「今から行くか……着く頃には終わっていそうだな」
「やってしまいましたわ」
「とりあえず行くだけ行こうか。さすがに織斑君達は行ってるだろうし」
完全に諦めたという風情で、走ることもせずぞろぞろと会議室を出て行く。
映像は鏡さんあたりが撮っていてくれているので、後で試合の内容を見ること自体はできる。
しかし今のが生で見るのを諦めてまでやらなければならなかったことかと言うと、全くそんなことはない。
本末転倒というか、一夏のことは細かく気にかけていても自分のことを疎かにしてしまっているのはなんとも間抜けな話だ。
アリーナに行ってみたら案の定、鈴の試合は既に終わった後だった。