うまくいきそうかどうか、始まる前から分かることもある。
まあ、そういうのはたいてい悪い方向だと相場が決まっている。
モニターに映った四組代表の目を見た瞬間、反射的に俺はまずいと思った。
前よりも増した大声援の中、一夏はアリーナに登場した。
そして言っていた通り走ってアリーナの中央へと向かう。
歩こうが走ろうが一夏が絵になることに変わりはなく、パイロット班の三人は床に座ったままうっとりとモニターを見ていた。
「よっ。よろしくな」
「……」
向い合って挨拶をした一夏に対し、打鉄に乗った四組代表は下を向いたまま返すことさえしない。
四組代表は大観衆に囲まれて気後れしているのかのように見えた。
「ん? おい、大丈夫か?」
「大丈夫とかあなたなんかに言われたくない……!」
四組代表はようやく顔を上げ、一夏を睨む。
それを見て一夏は目を丸くした。
「感じ悪いわね」
「先ほどの凰さんもそうでしたが、人前であのような態度はよろしくないですね」
鷹月さん達が感想を漏らしているが、四組代表は発した言葉以上に全身で一夏を拒否する姿勢を見せていた。
「悪かった。始めようか」
「……」
察した一夏は笑顔をやめて真顔になり、ブレードを出して構える。
四組代表は口で答えることもせず両手に銃を出した。
「あれ、織斑君ならあんなこと言われたら文句言うかと思ったんだけど」
「どうしたのでしょうね」
鷹月さん達はピンときていないようだが、俺や一夏に限らず男はああいう視線をたまに受けることがある。
それは会話どころか意思疎通さえ拒否する目だった。
女性上位主義者なんかによくある話で、話をするだけ無駄どころかむしろ悪化するため、即打ち切って逃げるのが最善だというのが俺達の中での結論だ。
しかし四組代表が男を嫌っているなどという話は全く聞いていないのだが。
「おい、始める準備はできたって宣言しないと始まらないからそれくらいは口にしてくれ」
「……分かった。いつでも始められるわ」
一夏に促されて、四組代表はしぶしぶ声を出す。
その声に合わせて始まりの鐘が鳴った。
そしてモニターに映った四組代表の目を見た瞬間、反射的に俺はまずいと思った。
今度の一夏は開始と同時に突撃することはなかった。
正確には、できなかった。
開始の鐘が鳴ると共に四組代表は両手の銃を一夏に向かって激しく乱射する。
一夏はためらいもなくすぐにイグニッション・ブーストを使い一気に離れて回避した。
「いきなりイグニッション・ブースト?」
またも頭がついていかなかった鷹月さんが疑問の声を上げる。
だが今度の俺は一夏の瞬時の判断が正しかったことを確信した。何が起こったかを理解しているわけではないが、四組代表が何かをしようとしていたのは分かった。
「危ないところだった」
「あれよけられるってさすがは織斑君だね」
「迷うことなく距離を取りましたわ」
パイロット組が我に返り立ち上がっている。さすがにこの連中には見えていた。
「どういうことですか?」
「一言で言うと罠。逃げようとした先々に銃弾が飛んでくる感じ。そして逃げきれずに蜂の巣」
「乱射のように見せかけて一夏の動きを誘導しようとしていたな」
「闇雲な乱射ではなく左右の銃を時間差までつけて使い分けています」
パイロット組が興奮した口調になっている。
どうやら相当に危なかったらしい。
「あっぶねえなあ。そうきたか」
「……」
四組代表に一切会話をするつもりはないらしい。
その場を動かずに無言で再び銃を一夏に向ける。
一方の一夏は旋回を始め、突撃するタイミングを窺っていた。
「どうやら火力を最も重視してきたようですね」
「一応その可能性も織斑君には伝えてあったけど、完全に外したわ。織斑君ごめん」
鷹月さんと四十院さんの顔が曇る。もちろん自分でも言った通り予想を外してしまったからだ。
可能性を考慮し皆を納得させた上での話ではあるが、そのことで自分を不甲斐ないと思ってしまうのは仕方ない。
「鷹月さん、相手が火力重視で来ないと判断した根拠はなんだっけ?」
「長期戦ができないから。対ISでは何よりシールドバリアーを突破するのが第一で、それには一発の威力より手数の方が重要。たいていの場合威力を上げて装甲強度以上の攻撃をするよりもチマチマと削ってシールドエネルギーを減らしてなくした方が早い。だからちょっと火力上げるくらいなら普通は機動か装甲に回す」
「火力で勝負するにはそちらへ大幅に回す必要があるのですが、そのためには他の何かをその分だけ犠牲にしなければならなくなるのです。とするとまず機動か装甲か、長期戦のために必要な要素を相当な部分失うことになります」
どうしても短期決戦仕様にならざるをえないのか。
「具体的な欠点は?」
「相手も回避したりするんだし、削りきれずに弾切れが最大のネック。そこまでに仕留められなかったら本気で勝ち目ゼロになるから、リスクが大き過ぎるの」
「ですから極論織斑君は弾切れまで逃げ回ればいいのですが、まさかそういう方向で来るとは……」
つまりそれまでに一夏を仕留めることができるという自信があるからなのだろうか。
やむを得ずとはいえ今一夏は四組代表から距離が開いてしまっている。
だから隙を見つけてイグニッション・ブーストで突撃する必要があるのだが、今のところは加速を始める前に銃弾が飛んでくる状況になっていて、全く近づけるような余裕はなかった。
「両手の武装は両方ともラファールの近距離系の銃ね。武装までは打鉄で縛らなかったか」
「さすがにそれはそうでしょう。ただおそらく銃の威力も改造して上げてあると思います」
「まさかそこまで火力上げる? そういうことしてると容量食い過ぎて本体へのしわ寄せがひどいわよ」
「打鉄では装甲も機動も犠牲にする必要があるでしょうね」
鷹月さん達も気を取り直して分析を始めた。
四組代表は射撃の技術に相当な自信を持っているのだろうか。一夏に一切近寄らせず、かつ弾切れする前に落とせるという。
確かに今のところ一夏が何とか近づこうとしても銃弾の雨あられに晒される。上下左右に振って揺さぶろうとしてもしっかり銃弾が追いかけてくる。結局一夏は逃げ切れなくなりそうになって、イグニッション・ブーストで射程圏外に脱出するしかなかった。
「別の意味での我慢比べだな」
「危険は分かっていても一夏さんは相手に撃ち切らせなければなりません」
「どっちが先に痺れを切らすかだね」
「でもさ、こういう展開ってある意味予想できてた話だよね?」
俺から見ても一夏のペースとはとても言えない状態だ。
だが相手が銃で距離を取ってくるであろうというのは、十分予想できて対策も立ててあるはずである。
「甲斐田君、相手が機動性で勝負してくる場合はね。最新型の専用機と渡り合えるだけの機動力と打ち合うためのブレードくらいは長期戦に備えて最低限用意してくるだろうと思ってた。そうすると自由にできる部分は限られてくるし、できることはたいして少ないの」
「ですが四組代表はあの様子から装甲どころか機動まで削って火力に注ぎ込んだようです。開始からほとんど動いていませんし、もはやISと言いつつ固定砲台ですね」
つまり四組代表は博打に出たということなのだろうか。
絶対に相手を近寄らせないという自信の元、火力を上げ弾数を増やしてそれ以外のものを全て削ってそちらに回したと。
五組も三組もそうだったが、普通は長期戦を考えて弾の必要ないブレードを用意し相手と渡り合うための機動力は最低限確保する。だが四組代表はそれさえも捨てて火力に費やし、圧倒的な火力で一夏を押し潰す作戦を選択したのか。
確かに今のところ一夏に付け入る隙がないように見えるので、その賭けはうまくいっているのかもしれない。
「じゃあこれって全くの想定外の話なの?」
「というわけでもないのよ。火力についても十分考えたけど、結局こういう場合は織斑君が被弾覚悟で特攻すればいいから」
「どんなに火力を上げようと、銃ではイグニッション・ブーストで突撃してくる織斑君が辿り着く前に落とすことはできません。そして近づかれてしまえば相手はもう逃げるどころか回避することすらできないのです」
「だからそんな勝算のない賭けはしないだろうと思ってたんだけど、まだ向こうには何かあるのかそれともただ単に思慮が足りないだけなのか……」
例えばイグニッション・ブーストの存在を計算に入れていなかったとか。
俺達は三十人で考えているが四組代表には頭が一つしかない。考えが及ばなかったという可能性もなくはないが、何か引っかかる気がした。鷹月さん達もきっと同じなのだろう。
「一夏もそれは分かってる?」
「もちろん。今織斑君が逃げ回っているのは様子見つつもまず弾切れを待つため。特攻しないのは私達と同じで警戒しているんだと思う」
「四組代表の考えが浅いだけであればそれはすぐに形になって出てきます。織斑君もそれを確信すればすぐさま特攻して一気に終わらせるでしょう」
傍目には一夏は無謀な突撃を繰り返しているように見える。
アリーナの中央に立っている四組代表の上ををぐるぐると周り、時にフェイントをかけながら少しの隙でもあれば突撃しようとして、その度に猛烈な射撃に晒されて大慌てで逃げる、という状況が続いている。
一夏が銃を持っていないのはさすがに丸分かりで、厳しくともこうするしかないんだろうな、という感じではあった。
「じゃあしばらくはこのまま我慢比べだとして、他に懸念点はある?」
「織斑君の集中力」
「一発の威力が大きくて一回あたりの弾数も多いですから、被弾した際のダメージが気になりますね。それなりの効果があるとなれば特攻できなくなるまで削られ続けてしまう可能性も十分にあります」
今のところ、一夏はまだ被弾していない。
その割り切りは見ていてもはっきりしていて、少しでも危ないとなったら一夏は迷うことなくイグニッション・ブーストを使って回避している。
そして射程の外に逃げられるのでほとんど動かない四組代表にはそれを捕まえることができない。
この状態がいつまで続くのか、ジリジリとした展開だ。
「厳しいな。弾切れが全く見えてこない」
「まだまだ向こうはケチってないね。これはしばらくかかりそうかな」
「一夏さんの集中力が心配ですわ。ああまでセーフティファーストになっているのはもう余裕のない証拠です」
このままいけるのかと思ったらパイロット班連中が難しい顔つきになっている。
模擬戦の場となるアリーナは有限の空間なので、相手が逃げ回るのであれば追い詰めることが可能だ。この場合相手の方に動き回る必要があり、長引けば実は追い詰める側の方が肉体的精神的に有利になっていくことが訓練で分かっている。
だが今四組代表は射撃だけに集中できていて、一方の一夏は動き回りながら突撃しようとしたり回避したりとかなり忙しい。
始まってからの疲労についてはどうやら一夏の方が大きいのは間違いないようだ。
「となるといよいよ特攻、特攻……。相手が対策してくるとすれば……」
「ああまで火力特化では他のことにつぎ込む余裕などないでしょうが、今この状況であえて探すならラファールの大砲系でしょうか」
「四十院さん、それどういうの?」
「イグニッション・ブースト対策という話ですが、自分に向かって来るのであれば小さな銃弾ではなく大きな鉄の塊をぶつけようという話です。うまくやればカウンター気味に織斑君に当たるかもしれません」
「それをやってくる可能性は?」
「言っておいてなんですがまずないと思います。大砲系は基本的に曲射なので真っ直ぐ向かってくる織斑君に当てようとすれば、本当にぎりぎりの目の前で発射しなければなりません。織斑君の特攻を確認してから武装を出すことも考えれば、それはいくら技術に自信があろうとリスクが大き過ぎます」
「じゃあ射線が真っ直ぐのレーザー系は?」
「被弾覚悟の相手に対しては威力が減衰する分特別な効果も期待できないですね。大砲系の鉄の塊のように勢いを止めることもできません」
まあ今この場で思いつくようなものはとっくに対応策まで考えられているだろう。
イグニッション・ブーストのことを最初に聞いたときは真っ直ぐ突っ込むのでは狙い撃ちされるだけだと思ったのだが、実際はそのへんの銃では加速の勢いを止めることができないと判明していた。
もちろんまともに受けるので大いに削られはするが、ブレードなど質量のあるものでなければダメージなどおかまいなしに突っ込んでくるのだ。反面横からの攻撃には非常に弱かったりするので高機動型には要注意だが。
「ということは固定砲台で一夏の攻撃を躱そうと思ったら……あ、イグニッション・ブーストを使って逃げる?」
「イグニッション・ブーストの加速速度計算値は機体の基本速度に対してのものなので、ある程度基本速度を持っていなければ意味がないのです。本来百のものを一時的に二百三百にする技術なので、元値が十では加速する効果などないに等しいですね」
聞けば聞くほど特攻すればあっさり終わりそうに思える。
打鉄という制限を受けた状態でさらに極端なバランス変更をしているのだ。大きな穴があるのは当然といえば当然の話ではあるけれど。
「だがもはやここまでくると罠だろうな」
「明らかに誘っていますわね」
「こっちがジリ貧になっているように見せた上でだから、絶対狙ってるよね。それが何かは分からないけど」
まあ、あまりにもあからさま過ぎて怪しいにも程がある。
ここまでの四組代表の戦いぶりからしても、甘い期待はとてもできそうにない。
「じゃあ罠には乗らずこのまま続ける?」
「実のところはありだな。罠を張っているのであればその分他の何かが犠牲になっている。であれば怪しいのはまず残り弾数だ。つまり弾切れになる前に一夏に特攻して欲しいのかもしれない」
「もちろん罠に見せかけたはったりの場合もあるよ。このまま織斑君に躊躇させて特攻ができなくなるところまで削るって作戦かもしれないし」
「一夏さんと四組代表の駆け引きですが、相手の方にも余裕があるというわけではないでしょうね。本当にぎりぎりのところだと思いますわ」
さて本当のところはどちらだろうか、と俺も考える。
可能性としてどちらもありえるのはみんなの言う通りなのだろう。
四組代表はどちらを選んだだろうかという話だ。
モニターの向こうでは今も一夏が必死に戦っている。誘われていると感じつつも、これまで通り隙を見つけての接近を試みている。
一見オルコットとの模擬戦の時と同じような形に見えるが、あの時は全てブラフであり、またこちらの作戦通りに事は進んでいた。だが今の一夏に主導権はない。だからその表情も作った笑顔ではなく全神経を集中させた真剣なものであり、そこには少しづつ精神的疲労の色が見え始めていた。
そういえば四組代表の方はどうだろうかとモニターへとじっと目を凝らして見てみる。そして四組代表の顔が映った時、俺は最初に覚えたまずいという違和感の正体に気づいて愕然としてしまった。
「あ」
「どうしたの?」
それはやはり女性上位主義者が見せるような、怒りや憎しみを通り越して相手の存在から否定する目だった。そして何もかもお前のせいだと人間の原罪すら押し付けるような、かつて鏡の向こうに見た目だ。
「罠だ」
「え?」
そもそも四組代表とはいったいどういう人間か。人見知りで、無口で、引っ込み思案で、根暗で、気が弱くて、でも成績は非常に優秀で、運動神経も抜群で日本の代表候補生で、それらは全て人から聞いた話だ。
だが目の前の実物は事前に聞いていた姿とは全く違う。積極的で、好戦的で、感情を全開にしていて、今一夏を正面からねじ伏せようとしている。
「甲斐田君?」
「甲斐田、何が分かったのだ?」
「甲斐田さん、いったい何が?」
男が嫌いなのか一夏が嫌いなのか、きっと一夏のことは好きではないだろうと思っていた。一夏と同じ倉持技研の管轄だが、一夏が現れたことによってかなり割りを食っている。
その懸念を会議で口にしたとき、もちろん気に入らないという感情はあるだろうと言われた。そして同時に、だが四組代表の更識簪は日本の代表候補生なのでむしろ妬まれる立場にあるとも言われた。クラスの代表を押し付けられたのも周囲のそういう心理が働いているとのことだ。
国の代表候補生とはまず自らが望んでなるものであり、それは激しい競争の中に身を置くことを意味する。だから普通は競争相手でもない一夏に構っている場合ではなく、気に食わなければ関わろうとしない程度だろうという話だった。
また代表候補生の肩書があれば倉持技研でなくとも支援してくれる企業は必ずいるらしく、嫌なら自分から出て行く選択肢も十分あるとのことだ。その上今の倉持の扱いでは出て行かれてもおかしくないそうで、現状の冷えた関係性からすればきっと近々そうなるだろうとクラスメイト達は予想していた。
そして今俺は、それらは全て一般論に過ぎなかったと確信した。
「甲斐田君」
「うわっ!」
背筋がぞっとして思わず俺は飛び上がる。
こともあろうに、隣の谷本さんが俺の耳に息を吹きかけてきた。
この野郎と思って横を見るとなぜか谷本さんが照れている。意味が分からない。
「甲斐田、思考に没頭する前に説明しろ。罠とは何だ?」
「おそらくそれは正しいと思いますわ。ですから教えて下さいませ」
「細かいことはこっちで補足するから、早く!」
パイロット組が詰め寄ってくる。
いや、俺は罠であることが分かっただけで、その正体まで見破ったわけではないのだが。
「えーと、ことごとく予想を外したこともそうだけど、僕らはそもそも前提から間違ってた。何よりまず四組代表は最初から一夏を叩き潰すつもりだった」
「は?」
「叩き潰すとは……それは凰さんのような?」
「そうだね、きっとそれは綺麗な感情ではない」
そう言って、俺は二つ隣に座る布仏さんをじっと見る。すると布仏さんは驚いたように目を見開いて、それから嬉しそうな笑顔を返してきた。
「甲斐田、いまいち話が見えないのだが」
「甲斐田さん、それはなぜですか? なぜ一夏さんはそこまで憎まれてしまったのですか?」
「というかそもそも面識すらないよね?」
パイロット連中が尚も詰め寄ってくる。
俺は布仏さんを横目に、きっとこの連中が余計に混乱するであろう一言を吐くことにした。
「一言で言うと、ただの八つ当たり」
自分向けの返答に、布仏さんは満足そうな笑顔で頷いていた。
かくしてこの空間をハテナマークで埋め尽くした俺だが、その説明をする時間はなかった。
こんな時でも空気を読まない谷本さんが、急に声を出してモニターを大きく指差したからだ。
つられて見ると、覚悟を決めたのか一夏がイグニッション・ブーストをかけて特攻している。
「まずい!」
もはや罠であることは百パーセント間違いない。
四組代表は一夏を叩きのめすのが一番の目的だ。はったりによる消極的な勝利など最初から目指していない。
だが待機室にいる俺の叫びなど当然一夏には届くはずもなく、一夏はこれで決めるとばかりに加速の度合いを強めていく。
そこに四組代表は両手に持つ銃でおそらく全力であろう射撃を叩き込む。一夏はそれを全身で受けながら、両手でブレードを握って前に出し攻撃態勢に入る。ブレードが光っていないのでエネルギー無効化攻撃は発動させていないようだ。そしてそのまま真っ直ぐ四組代表へと突き進む。
だが四組代表は尚も銃を撃ち続ける。段々と一夏が迫ってきても、実は隠していたなどというような武装を出すようなこともなく、ただひたすらに銃を撃つ。
もしかしてこのまま一夏が落とせるなんて考えてるんじゃないだろうなと思った頃、一夏が四組代表の目の前にまでやってくる。そして加速した勢いのまま両手で握ったブレードを相手の体に向かって振り下ろした。
しかし一夏のブレードは綺麗に空を切り、一夏の体は振った勢いで一回転してから地面へと突撃した。
「よけた!?」
一番最初に反応したのは相川さんだった。いや、声に出せたのはと言うべきか。
だが俺でも罠の内容は理解できた。それは至ってシンプルで、実は一夏の加速攻撃を躱せるだけの機動力を隠し持っていたのだろう。ここまで一切動かなかったことで一夏や俺達にロクに動けないという誤解を与えていたのだ。
そして四組代表は当然この隙を逃すはずがない。地面に激突した一夏へ向けて先ほどにもまして激しい射撃が叩き込まれる。着地失敗した蛙のような一夏の背中に攻撃が浴びせられ、みるみるうちに一夏の装甲が削られていくのが分かった。
しかし本当に幸いなことに、一夏の意識ははっきりしていた。もしかしたら地面激突の際の衝撃で飛んでいて、攻撃を受けて気がついたのかもしれない。攻撃を受けるとすぐさま転がって立ち上がり、それから全速力のイグニッション・ブーストでその場を脱出した。
待機室に安堵のため息が流れる。大ダメージを受けたかもしれないが、すんでのところで窮地は出したようだ。
「ありえない!」
鷹月さんが立ち上がって叫んだ。いきなり何を言い出すのか。
「あんなのありえないでしょ! どこをどうすればあんな機動力まで持てるのよ!」
どうすればなどと言われても実際出したのだから、やられたものは仕方ないとしか言いようがないと思うが。
「おかしいです……。打鉄でここまでの火力と今の速度は絶対に両立しえません。何をどうすれば……」
と思ったら四十院さんまで頭を抱えて悩み始めた。さっき篠ノ之さんあたりが言っていたが弾数をこっそり削っていたとかでは済まないのか。
「ぎりぎりのところで計算してたんじゃないの? 実際に出したし」
「それはありえないんです甲斐田君!」
「えっ?」
びっくりした。今まで一言も喋っていなかった岸原さんが急に大声を出した。
「あの段階まで火力を上げ弾倉も大幅に増やして、その上機動力まで確保するなんてどうやっても物理的にありえないんです! 打鉄どころかラファールにだって無理です! 総容量をはるかにオーバーしてるんです!」
ノートパソコンを膝に置いたまま、俺にまたも泣きそうな顔を向けてきた。
ずっと無言でパソコンをカタカタやってるなと思ったら、そういう計算でもしていたのか。
「打鉄の総容量からすればあの火力とそれに応じた弾倉の時点でもうギリギリもいいところで、それ以上他の何かをできる余地は全くないんです! そこに今の機動力をつけたら二割以上オーバーしてしまいます!」
そんな悲壮な顔をされても、技術的な部分で岸原さん達に解決できないことを俺にどうこうできるはずがない。
「でも実際今みんなこの目で見たし、どこかで誤魔化してるんだと思うよ? 例えば……あの火力は実は見た目だけでしたとか」
「さっきからそれはずっと計算し続けているんです! もし罠があるならどの程度のものを出せるのかと思って、そのために割くことのできる容量をずーっと調べていたんです!」
「そしてそんな余力はないはずだったと」
「そうです! あんなのは打鉄でもラファールでもメイルシュトロームでも無理です!」
ああ、そういうことか。
俺にしては珍しく、一発で分かってしまった。
「岸原さん、自分で正解言ってるじゃない」
「はい?」
「だから、打鉄でもラファールでもメイルシュトロームでも無理なんだよね?」
「はい」
「そういうことなんだと思うよ?」
「どういうことなんでしょう?」
岸原さんが真顔に戻って首を傾げる。
何の事はない。
「四組代表のISは、打鉄でもラファールでもメイルシュトロームでもない。打鉄によく似た別のISだって話」
「ええっ!?」
打鉄では絶対に無理なことをやっているのだから打鉄ではない。それだけの話だ。
手法としてはオルコットとの模擬戦で先輩達がやったようなことだ。あの時はオルコットがギリギリ気づかないレベルでの改造をし、改造打鉄Kを無改造の打鉄だと思い込ませた。
四組代表の罠とはこちらに打鉄だと思い込ませることだったのだ。
「じゃあちょうどここに倉持技研の人達もいるしはっきりさせておこうか。ですよね? あれは打鉄に見せかけた別のISなんですよね?」
俺は振り返り、後ろの方に座っている倉持の人達に声をかける。
倉持の技術者三人は、なぜか立ち上がって呆然とした表情でモニターを見ていた。
俺の問いかけに返答が戻ってこない。
「あの、企業秘密とか言われても実際にあんなことやられると隠しようはないと思うんですけど。それに戦ってる一夏にも聞こえないですし、特に変な協力とかそういうのはもう大丈夫だと思いますよ?」
しかし尚も返事はこない。
倉持の人は相変わらず呆然とした顔のまま弱々しく首を振るだけだった。
「あの……」
「違う……」
「はい?」
「あれはどこまで行ってももただの打鉄でしかないはずなのに……」
綺麗に解決したと思ったら、なんだか変なことを言い始めた。
だったら打鉄でなければいったい何なのだ。
「簪ちゃんにあげたのは確かに打鉄よ。それもここにあった打鉄。特別なことは何もないのに……」
「あたしたち隣の格納庫から引っ張り出しましたよね!? 全台調べて、せめて一番綺麗なのをって!」
「そうっすよ! 整備状態も確認して、しっかり拭いて、一番いい状態ではいどうぞって!」
「ちょっと待って。打鉄の総容量を一から考えるとして……」
なんということか、倉持の人達まで混乱し始めた。
彼らの言を信じるのであれば、四組代表の手に渡った時は何の変哲もない打鉄だったらしい。
だがそれでは目の前の現実とは一致しない。
「総容量を増やせる技術とかないんですか?」
「それを人は新型機の開発に成功したって言うの! そもそも総容量を増やすのがIS開発の至上命題なんだから!」
「そ、そうですか……」
適当なことを言ったら怒られてしまった。
だが俺としてはもうそれっぽい結論でさっさと終わらせたい。別に四組代表本人に興味があるわけではないのだ。
「じゃあもう更識簪さんが神の啓示を受けて謎の技術を得たってことで」
「甲斐田君、もしかして私達に喧嘩売ってる? 今なら喜んで買うわよ?」
「すみませんでした!」
「悪いけど簪ちゃんは整備については素人に毛が生えた程度の技術しか持ってないっすねえ」
「たった一ヶ月半でここまでできるようになったのは相当がんばったなって思うけど」
我ながらもっと適当過ぎた。
というかこの人達は自分のところの管轄なのになぜ把握していないのか。
確かによくない関係だとは聞いていたが、にしても放置状態とは……いや、逆だ。これは四組代表の方が拒否している。
自分に当てはめてみれば簡単な話だった。この人達も四組代表にとっては敵なのだ。
「そうですか。それじゃどうでもいいことは」
「どうでもいい!?」
「……今結論の出せないことはひとまず置いておいて、一番大事なことを」
「大事なこと?」
「そう。高機動高火力の相手に対して、ここから一夏はどうやって逆転するか」
そうして俺はモニターを指差す。
今モニターの向こうでは鬼ごっこが行われていた。
ただしそれは俺達の想定したものではなく、四組代表の方が追いかける鬼だった。
「なんなの? あれなんなの?」
「最新型並みの高機動と高火力。いくらなんでもあんなものを隠し持っているとは……」
鷹月さんと四十院さんが帰ってこない。
ありえないことが起こっているというのは俺も理解したが、目の前にある以上はもうどうしようもないと思うのだが。
「まずい、本当にまずい。高機動型から超高火力の攻撃を受けるなどそこまでの訓練はやっていない……」
「完全に想定外の話ですからそもそも無理ですわ。わたくしのブルー・ティアーズの装甲分を全て回せば可能でしたがさすがにそこまでは……」
「今織斑君が逃げ続けられてるだけで御の字だよね。イグニッション・ブーストさまさまだ」
かと言ってパイロット組の顔色もよくない。
今の一夏はほとんど常時イグニッション・ブーストを出している状態で、加速して逃げては方向を変え、また加速して別の方向に逃げることをひたすら繰り返している。
これまでに見た相手の射撃能力を考えれば一瞬の躊躇さえできそうもない状態で、少しでも止まったら蜂の巣にされてしまう。
そして四組代表もここで決めるつもりだ。やはり隠し持っていたイグニッション・ブーストを駆使して一夏を追いかける。それでも捕まらないのはきっと一夏の機動性の方がかろうじて上回っているおかげなのだろう。
だがイグニッション・ブーストが機体に無理をさせるのであれば、いつまでもこのままというわけにはいかない。
時間切れで詰む前に、どこかで一夏は勝負に出る必要がある。
「岸原さん、一夏のダメージって今どれぐらいだと思う?」
「えーと、シールドエネルギーは先程ので半分以上は持って行かれていると思います。下手をすれば七割くらいは。本体の方は三割まではいかないと思います」
「厳しいなあ。篠ノ之さん、ここから反転して被弾覚悟で特攻できる?」
「できなくはないが博打の要素が大き過ぎる。そもそも高機動型の相手に一夏が攻撃を当てるためには、まず相手の動き方に慣れなければならない。だが今の一夏では慣れるどころか回避するので手一杯だ」
「特攻して回避されては横から至近距離での攻撃を受けて一巻の終わりだと思いますわ」
「さすがに装甲はないに等しいと思うから当てれば一発逆転になるけど……いや、これも勝手な願望かな。ありえないことだらけだからもう装甲まで持っててもおかしくないや」
プロの技術者でさえ理解できない現象が起きている以上、きっとこうに違いないというような考え方はしない方がいいだろう。
今見えている現実のみで考えるしかない。
「というかそんなの持ってるなら最初から出せばいいじゃない。こっちの想定を上回っているのは自分でも分かってるでしょうに」
「装甲が全くないので安全に勝つことを選択したのかもしれませんが……。いえ、それなら最初から機体のバランスを考えた方が安全で確実ですね。そもそも最新型並みのスペックがあるのですから」
確かに、四組代表はわざわざ周りくどいことをしている。
鷹月さんと四十院さんの言う通り、機体の性能で一夏と同等以上であるのなら小細工をする必要は全くないのだ。操縦技術など全てにおいて一夏よりも上回っているのだから、普通にやれば十分勝てる。それに想像した通り一夏を叩きのめすのが目的なら、むしろ正面からやって潰した方が気持ち的にも満足できるはずだ。
俺と一夏がオルコットとの模擬戦でこれでもかと小細工をしたのは、そうしなければ勝てなかったからだ。それは弱者の戦い方で、四組代表は必要もないのに弱者の戦い方を選んだ。これはどういうことだろう。
勝てれば何でもいいのか。もしくは相手に敗北を思い知らさなければ満たされることはないという重要な事実を理解していないのか。
「篠ノ之さん、一夏さんが」
「ああ、一夏の集中力が切れかかっている。あれはもう投げやりになる一歩手前だ」
「でも無理もないよ。織斑君からしたら最初からずーっと訳分かんないことだらけで」
そして最悪の事態が近づいている。機体以前に一夏の精神がもたない。
本番における一夏の集中力は俺も信頼しているのだが、それにも限度はある。一夏からすれば事前に聞いていたこととはかけ離れている展開で、何一つうまく行っていない。それでもせめて何か指標があればそれを信じてやれるだろうが、今はそれすらない。経験が少ないので不測の事態で臨機応変に対応するなどとても無理な話で、まあそれは最初から期待していないが。だから訓練でいろんなパターンをやって体で覚えさせようとしていた。
だが今は俺達の想定をはるかに越えた状態で、外から見ている俺達ですら突破口を見い出だせていない。まして回避で手一杯の一夏にそれをやれるかと言うと絶対に無理な話だ。
気持ちが切れて考えるのも面倒になり、さっさと特攻してしまおうと思ってしまうのも仕方ない。
もういいかな、と一夏が切れかけているのが俺の目からも分かった。そういえば四組代表の方は今どうなのだろう。あと一息くらいに思っているだろうか。
「そうか」
「甲斐田君?」
しかしこんなときに限って、俺は道が見えてしまった。点と点が繋がってしまった。
違う、今余裕がないのはむしろ四組代表の方だ。
「一夏、今すぐ突っ込むんだ! ダメージとかもう気にする必要ないから!」
「甲斐田!?」
一夏に届くはずもないのが分かっていても、俺は立ち上がりモニターに向かって叫んでしまった。
精神が限界なのは、後一押しで落ちるのは四組代表の方なのだ。今四組代表は、一夏が怖くて仕方ない。
「ああそうか投げやりか。じゃあそれでいいや。もう何も考えなくていいからそのまま突っ込めばいい。相手はよけるどころか何もできないから。一発当てればそれで終わりだ」
「甲斐田、落ち着け!」
「甲斐田さん、何が見えたのですか!?」
「とりあえず抑えまーす!」
谷本さんに捕まって、パイプ椅子に座らされる。いけない、つい我を忘れてしまった。
だがもどかしい。勝ちが目の前に見えて、でも一夏がそれに全く気づいていないという事実が本当にもどかしい。
今すぐ一夏が反転して突っ込めば、四組代表は間違いなく恐怖に縛られて何もできなくなる。さっきから目が言っている。お願いだから早く終わってくれと。怒りの感情などもはやみじんもない。
きっと手が震えているのだろう、四組代表の視点で見れば射撃の精度がひどいという次元ではなかった。一夏が回避しているというよりはわざわざ外してくれているかのようだ。
今の四組代表は一夏の後を追うだけで精一杯な精神状態になっている。
「甲斐田君、だからどういうこと?」
「どうもこうもないよ。四組代表は接近戦もしくは一夏が怖かった。だからわざわざ近づかなくて済む戦い方を選んだ。でもさっき一夏にぎりぎりまで肉薄されて、かろうじて躱したけどもう恐怖で精神が限界に近い。今は一夏と向い合って、いや目が合っただけでも耐えられなくなるだろうね」
「すみません甲斐田さん、話が飛び過ぎてよく分からないのですが」
説明したのに分かってくれない四十院さんにまでもどかしさを感じてしまった。
今の俺は完全にはやる気持ちに支配されている。一から説明なんて面倒だしもう後でいいか。
それよりも今は目の前だ。こうなったら早く一夏の気持ちが切れて欲しい。足を止めて振り向くだけでいい。それだけで四組代表は固まってしまう。
そうすれば後は装甲があろうがなかろうが関係ない。一撃でも受ければ気持ちが完全に折れるから一方的に終わる。
「甲斐田?」
「今この場で理解できているのは甲斐田さんだけですか……」
「まあ織斑君が勝てそうだってのは分かったけど……」
そして一夏の集中がプチンと切れた。急に体の力が抜け、傍目にも切れた気持ちが伝わってくるくらいだった。
一夏は空中で立ち止まり、相手に対して無防備な姿を晒したまま振り返って、ブレードを両手で握る。そして四組代表に向かって全速力のイグニッション・ブーストで突撃した。
「危ない!」
思わず叫んだであろう誰かの声は全くの杞憂だった。
俺が確信していた通り、四組代表の体は完全に恐怖に支配され固まってしまっていた。反撃するどころか一夏に銃を向けることすらできない。
そして空中で棒立ち状態の四組代表に一夏が突撃する。
勝った、と俺は思った。
「えっ!?」
だがあろうことか、そんな四組代表の姿に一夏が驚いてしまった。ヤケクソで突っ込んだら相手が呆然として銃も向けずに棒立ちしているのだ。思考を放棄したにせよ完全に一夏の理解の範疇を越えていたらしい。
驚いた一夏は反射的に加速を解除しようとする。だが最速イグニッション・ブースト中に急ブレーキをかけても、もはや四組代表との距離が近過ぎる。
かくして一夏は体ごと四組代表に突っ込んでしまった。
「愛の突進だ!」
相川さんが叫ぶ。
愛の突進。それはクラスのパイロット班を軒並み陥落させてしまった一夏の恐るべき必殺技である。
と聞くとなんだかすさまじいことをしているようだが、ただ単にイグニッション・ブーストの制御に失敗しただけだ。
イグニッション・ブーストの練習中、一夏はしばしば制御に失敗して壁に激突していた。そしてそんな一夏の姿を見かねたクラスメイト達は、壁にぶつからずに済むようにと自分達の体で受け止めることを提案してやってくれた。またこれは一夏が距離感を掴むことにも役立つという二重の効果があった。
と、建前はそういう話だったが、要するにこれは合法的に一夏に抱きついてもらおうというクラスメイト達の策略だ。一夏は勢いよく突っ込んできて、自分の体を激しく抱きしめてくれる。それは連中にとって天にも昇る心地らしい。事実これによってパイロット班全員が完全に落ちた。またそれを聞きつけたオルコットは以降パイロット班の方に入り浸りになってしまっていた。
「まさかこんなところで実物を見ることになろうとは」
鷹月さんが呆然とつぶやく。
一夏は四組代表の体を抱きしめた形で勢いよく壁に突っ込み、それから地面へと落下して転がった。
「……あー、またやっちまった。おい、大丈夫か?」
「えっ?」
そして今の状態は一夏が四組代表に覆いかぶさる形だ。
まあ一夏を見ているとよくある、女子を押し倒した姿である。
「い」
「え?」
「いやああああああっ!!」
四組代表の絶叫がアリーナに響き渡る。
一夏は慌てて飛び起きた。
「あ、これやべえ」
本能が危機を告げたのか、一夏は即イグニッション・ブーストをかけて飛び上がる。
そしてその行為は正しく、四組代表は叫びながら一夏に向かって銃を乱射した。
そんな四組代表の顔は綺麗に真っ赤だ。つまり男そのものに恐怖や嫌悪があるわけではないのかもしれない。
まあそんなのはどうでもいいことだし、逆恨みされている相手にまで顔を赤くさせるとはさすがは織斑一夏ということなのだろう。
「おい、悪かったから落ち着け!」
模擬戦の対戦相手に落ち着けと言うのもおかしな話だが、このパターンは一夏によくある話なので本人も自分が原因なのは分かっている。全力で逃げ回りつつも謝罪の言葉を口にしているが、完全に我を忘れた四組代表の耳には全く届いていなかった。
「え……これなんなの?」
鷹月さんがさっきとは別の意味で呆然とした声を出す。
もはやこれまでの緊迫した空気は一切ない。傍目から見ればアリーナの二人の姿はカップルの痴話喧嘩のようだ。銃を乱射する恋人なんてどこの誰もがご免だろうけれど。
顔真っ赤の四組代表は完全に我を忘れていて、ついさっきまでの冷静さは欠片もない。一夏に向けて放つ銃も闇雲で、狙いや計算など何もなかった。
だがそんな無秩序なことをしていてはすぐに終わりが来る。しばらくというほどのこともなく、四組代表の銃弾が尽きた。
何度か空のまま撃とうとして、ようやく四組代表は我に返る。そして現実を思い出して青ざめた。いまだ、模擬戦の最中である。
その姿からブラフではないと一夏は判断し、だが一応は警戒してゆっくりと四組代表へと向かう。向かってくる一夏に対抗する手段が何もないことを自覚して、四組代表の体は敗北というさっきとは別種の恐怖に包まれ固まった。今度はその手から空となった銃が落ちた。
そして一夏は四組代表の前に立つ。もう四組代表にはその一言を口にする以外の選択肢は残されていなかった。
自分からは気が進まなかったのか一夏は相手から言ってもらおうと少し待った。だが一向に口を開く気配がないのを悟り、やむを得ずという感じでゆっくりとブレードを前に出して突きつける。
「終わりだ。降参してくれ」
その声に弾かれたように四組代表は一夏を見上げ、それから悔しそうな顔になって下を向いた。
「参り……ました……」
「そこまで!」
織斑先生の声と終了の鐘が鳴り響く。
それに続いて大きな拍手と歓声が沸き上がった。
そして四組代表は下を向いたまま走っていき、一夏も少しその姿を見てから自分の待機室へと向かって歩き始めた。
「本当に……心臓に悪い試合だったわ……」
脱力した鷹月さんの一言は、俺達全員の偽らざる本心だっただろう。