問題とは順に片付けていくべきものだが、山と積まれるとうんざりする。
目の前の一夏は布団を被って完全に凹んでしまっている。
なんだかんだで模擬戦にも勝ってしまっていた分、負けてショックを受けてしまうのは分かる。
だがそれよりも、自分は専用機を使っていながら量産機の相手になすすべもなくやられてしまったという事実が、一夏の精神を打ちのめしてしまっていた。
クラスメイト達はものすごいやる気を出してくれた。
出してくれたのはいいのだが、その結果、彼女達は全力を出して一夏と戦い、完膚なきまでに叩きのめしてしまったのだ。
俺はいつも通り織斑千冬第二秘書としての勤めを全うしていたので、最後の方しか見られていない。
だが少し見るだけでも何が起こっているかは容易に知れた。
確かに一夏の機体は高性能だ。全てにおいて相手をしていた量産機の打鉄など及ぶべくもない。
だがその動きに慣れてさえしまえば、剣一本しか持たない初心者の一夏など簡単に封殺できるのだ。
最初のうちは一夏が相手を圧倒する。何しろ当たれば必殺のバリアー無効化攻撃だ。当たるまいと相手は必死に逃げ回る。だが次第に相手が慣れてきてしまうと、一夏は攻撃を当てるどころか近づくことすらできなくなってしまった。
まさか一夏と正面から打ち合うバカはいないだろうということで、相手には射撃主体で戦ってもらうようお願いをしている。
そうすると、距離を取って射撃をしていれば安全に一夏に勝ててしまうようだった。
剣一本しかない一夏は隙を見て相手に突撃するしかない。だが相手もそれを理解していれば対応は容易だ。一夏の動きを阻害するように射撃を続けていれば基本は安全で、距離が縮まって少しでも危ないなと思えばすぐ離れてしまえばいい。一夏もフェイントをかけたりして自分が思いつく限りの行動はしたようだが、全て相手に見切られてしまっていて効果を挙げられていなかった。
その上一夏の機体の欠点まで発覚した。エネルギーの減りが早過ぎるのだ。一夏のバリアー無効化攻撃は自身の防御、シールドエネルギーを消費して行うのだが、燃費が非常に悪かった。相手に当たってもいないのにあっという間に減っていき、やがて使用不可能になってしまう。
そうすると今度は一夏の機体は無防備状態となり、あとは相手の攻撃が当たればそのままダメージとして蓄積されてしまうのみだ。
必殺の攻撃手段を失い、その上防御なしの紙装甲。この状態でどうやって勝てというのか。
回避については機体の性能のおかげもあってある程度射撃を躱すことはできるようだ。だがそれも相手が慣れて動きを予想できるようになってしまえば、複雑な動きのできない一夏にはいつかは当たる。
結果ジリ貧となってしまい、今日の一夏は全敗に終わったようだった。
「なあ智希、今からでもクラス代表をセシリアに変わってもらうことってできないか?」
亀のように布団から首を出し、一夏が情けない声を出してきた。
「無理」
「そんな……いや、でもこれ本当に勝つの無理だぞ? だってこっちの攻撃まるで当たる気がしないし」
「見てたから分かってるよ」
「だったらさあ……」
一夏は完全に弱気になっていた。
身を持って十分過ぎるほどの体験をしてしまった結果ではあるが、まさかここまで凹むとは。
中学時代しか知らないが、基本的に一夏は何でもそつなくこなす。
であるからここまで完膚なきまでにという状況はなかったのかもしれない。
「じゃあまた先輩達に頼るのは?」
「それもとっくに断られてる。この件について三年生は一切の協力を拒否するだって」
「はあ!? お前今度は何したんだよ!?」
「そういう意味じゃなくて、一年の行事なんだから自分の力でやれってさ」
「なんだそりゃ……」
一夏はがっくりと頭を落とす。
一夏は割と負けず嫌いなところがあるので、俺にとってこの光景は少し意外だった。
凹みはするだろうが、そのうちにじゃあどうすれば勝てるだろうかと闘志を燃やすに違いないと思っていたのだが。
「やけに弱気だね。オルコットさんの時とは大違いだ」
「あん時はさあ……結局自分だけの問題だろ。でも今度はクラス全員に関わってくるんだぞ。はい負けましたで済むようなことじゃないし、それに四回も負け続けるとかもうありえないっていうか……」
「やってもいないのにもう負ける気?」
「こんなんでどうやって勝てって言うんだよ……」
一夏は顔を枕に押し付けてぐりぐりと動かしている。その姿は芋虫のようだ。
やはり無知は強かった。オルコットのときなど正直今より状況は悪かったのだが、一夏は勝つ気満々だった。自信というのは根拠のない方がかえって精神的にはいいのかもしれない。
「なあ智希、やっぱりセシリアにー」
「ねえ一夏、そんなにみんなが信用ならない?」
「は?」
一夏が顔を上げる。
やはりぽかんと口を開けているこの姿はイメージ的によろしくないな。
「なんでこんなことしてるのかって言うと、リーグマッチで一夏が勝つためだってのは分かるよね?」
「うん」
「今のままで勝てるならそもそも訓練なんてする必要ないけど、そうじゃないからやってるわけだ」
「それはまあ」
「目標は本番で勝つことであって、今勝てなくたって別に何の問題もないよ」
「だからこんなんじゃとても勝てる気がしないっていうかさー……」
しかめっ面の一夏は顔をぐにゃぐにゃと動かした。笑顔の練習をした結果顔の筋肉を使えるようになり、一夏は顔芸をするようになった気がする。
「結局一夏は全部自分だけで考えるつもり?」
「は?」
「クラスのみんなが手伝うって言ってるのに、信用できないから全部自分でやるって言いたいの?」
「お前何言ってんだよ。俺そんなこと一言も言ってねえだろ」
「だってどうにも勝てる気しないって言ってるじゃない。みんながこれからそれを考えようとしてるのに、そんなのは信用ならないってことでしょ?」
「あ」
俺はあえて意地悪な言い方をした。
その方が一夏には効く。
「そりゃあさ、僕らは先輩達には全然及ばないと思うよ。でもみんなはがんばって考えようとしてるのに、今の一夏の態度を見たらさぞかしがっかりするだろうね。ああ自分達はこんなにも信頼されてないのかって」
「悪かった。そういうつもりじゃなかったし、そもそもそこまで考えてなかった」
バツが悪そうに一夏は顔を背ける。
俺はもちろん隙を逃さず畳みかける。
「それならクラスのみんなを信頼してよ。みんな一夏が勝てるようにって頭を捻らせてるし、きっといい作戦を考え出してくれるから。一夏のためだけど、それは同時にクラスのため、自分のためになるんだからいい加減なことはしない。戦うのは一夏の役割だけど、それ以外のことについてはみんなが全部引き受けるつもりでいるんだよ」
「そうだな。確かに自分が思いつかないからって別に悲観することもなかった。今からみんなで考えていけばいいんだよな」
「そうそう。それに今回は時間がある。三週間、実質この前の四倍以上だ。それだけあればどれだけのことができるか実感できるよね?」
「ああ。この前は一週間もなかったし、そんだけあれば相当できそうだな」
「それに先輩達だって一夏の動きを見てから作戦を立ててた。だから今日はまだスタートラインで、これから一歩ずつ進んでいけばいいんだ」
「だよな! よし、なんかいけそうな気がしてきたぞ」
ようやく一夏のメンタルが回復した。
正直悩むほどのない問題ではあったので、遅かれ早かれ一人で立ち直っただろうけれど。
「だから今の一夏で一番大事なのは、弱点を出しきること。そうしないとみんなが対策を立てられない」
「確かに」
「本番で見つかったらもうどうしようもないからね。だから今のうちに全部出してもらわないと、むしろみんなが困るんだ」
「おう、分かった」
「しばらく負け続けることになるのは本当に嫌だろうけど、一夏に本番で勝ってもらうためにはどうしても必要なことなんだ。訓練なんだからと思ってそこはぐっとこらえて」
「いやいや、よく考えたら俺前の時も先輩や箒にボコボコにされてた。お前の言う通り訓練なんだから、悔しがるとかそういう次元の問題じゃないよな。うん」
布団から脱皮して立ち上がり、一夏は強く拳を握った。
明日の夜はどうなっているか分からないが、少なくともこれから二十四時間は大丈夫だろう。
とりあえず、いつものごとく俺は大事な事実を誤魔化すのに成功した。
すなわち、オルコットなら一夏よりも簡単に勝てるんじゃないのという話である。
オルコット本人が一夏を推しているしクラスも今のところそういう雰囲気ではないが、勝つこと自体を最優先にしてしまうとこの問題はどうしても浮上してくる。
これはどうにも勝てなさそうだとなってしまったら、きっとクラスメイト連中はオルコットや技術の優れた誰かにした方がいいと言い出すだろう。
だから俺としては早いところ勝つ見込みを立てなければならない。
一夏に言ったほど余裕があるわけではないのだ。俺にとってはだが。
明日は昼にでも今日の成果を確認して、指揮班に方向性から考えさせる必要があるだろう。
俺が思いつけばそれに越したことはないのだが、確実にクラスメイト達が出したことの方がいい自信はある。
他力本願万歳ではないが、少なくとも自分の力を過信することはもうしないつもりだ。
「あ、そういえば今日は柔軟してなかった。けっこうひどくやられたし、怪我しないためにも大事だよな」
すっかり機嫌を直した一夏は床で柔軟を始めた。
ISは基本搭乗者の体を守ってくれるのでそういう心配はしなくていいのだが、わざわざ水を差すこともないだろうと思ったので特に何かを言うことはせず、俺は自分の思考に没頭することにした。
「これは相当厳しい状況にあると思う」
開口一番、鷹月さんはそう言った。
指揮班に名乗りを上げたのはたった三人だった。鷹月さんにオルコット、四十院さんの三人。
鷹月さんは絶対出てくるだろうなと思っていたが、オルコットが名乗り出たのは意外だった。理由を聞けば、もちろん自分はパイロット科志望だが、整備については自分の機体だけを見ればいいので、今回は指揮の方にするとのことである。
もう一人、黒髪長髪にタレ目でお嬢様系の四十院さんは指揮科を希望しているとのことだ。この人も上流階級っぽく、よくオルコットと優雅にお茶している姿を見る。入学当初から一夏に興味を持つこともなく超然としていて、最近はそうでもないがオルコットと行動することも多い。
「どういうことでしょうか?」
「このままでは一夏さんは何もできずに負けてしまうということですわ」
四十院さんもオルコットも敬語使いなので、この場がフォーマルな雰囲気になってしまう。
堅苦しいのはあまり好きではないのだが、二人ともそういうつもりはなさそうなのでとりあえずは気にしないことにした。
「銃の一つでもあればよかったんだろうけど、剣一本だけというのが本当に痛いわ。シンプル過ぎてこっちは作戦が立てづらいし、相手は対処がしやすい」
「昨日は当てられないどころか近づくことさえままなりませんでしたものね……」
鷹月さんが腕を組み、オルコットが顎に手を当てて難しい顔をした。
「ですけれど、セシリアさんとの模擬戦では十分戦えていたと思いますが?」
「あれはあんまり参考にならないというか、対オルコットさん専用みたいな部分がほとんどなんだよ」
首を傾げる四十院さんに対して俺は詳細を説明した。
あの時は先輩方がオルコットを完全に読みきったからできたことであって、俺達ではとても真似できないのだ。
「なるほど。そういうことだったのですね」
「やられてしまった側としては弁明のしようもありませんが、あの時わたくしは対戦する一夏さんのことを何も考えていませんでしたわ。ですが今回は相手も警戒してくるでしょうし、同じ手はまず使えないでしょうね」
「聞けば聞くほどオルコットさん用に立てられた作戦だから、一般化するのは私達ではちょっと無理そうね」
オルコットがため息をつく。
四十院さんも理解してくれたようだ。ちなみに鷹月さんには模擬戦の後でどうやって勝ったんだと聞かれたので既に説明してあった。
「今の話を聞く限りでは心理戦という部分は使えそうですが、どうでしょうか?」
俺が何度も思い返してやっとひねり出した要素を、四十院さんは一度聞いただけで拾い上げてしまった。
やっぱり俺が考えるより任せた方がよさそうだ。
「うん、心理戦は相手のことを十分理解した上でやれば有効なんだけど、じゃあどうやってそれを調べるのって話になる」
「あんまり大っぴらにやりたくないのよ。正直他のクラスにはできるだけ気づいて欲しくないからね」
「他のクラスの周辺を嗅ぎまわってはきっと怪しまれますわよね」
ここにいるのは、このクラスにいるのは忍者でもなく情報収集のプロでもない。さりげに噂話程度なら聞けるかもしれないが、果たして心理戦を仕掛けられるほどの情報を集められるかというと、まず無理だろう。オルコットの時は本人を指導したこともあってよく知っている二年の先輩の存在があった。
「確かにそうかもしれません。ですが、対戦相手の情報を得ることはどの道必要になってくると思います。どこまで分かるかはともかく、あるい程度は踏み込む必要があるのではないでしょうか」
「うーん、どこまでできるかしら……?」
「心理戦はともかくとして、知っているに越したことはありませんわよね」
言われてみれば最初から無理だと決め付けることはないかもしれない。知り合いがいたりして案外ポロッと出てくるかもしれないし。
「よし、まずはクラスの中で聞いてみようか。同じ中学とかで知ってる人がいるかもしれない。鷹月さん、他のクラスの代表の名前は調べたんだっっけ?」
「名前だけはね。じゃあ順に、二組代表、ティナ・ハミルトン。カナダから来ている。以上」
「それだけですか?」
「だってそれ以外に調べようがないもの。接点とか何もないし」
「うちのクラスのリアーデさんってどこから来てたっけ?」
「スペインですわ」
「知ってるわけないわね」
「基本IS学園に日本の国外からの各国枠は一つか二つしかありませんからね……」
調べようとした矢先にいきなり頓挫してしまった。
「こういうときに上級生から聞けないのはつらいなあ。とりあえず次行こう」
「三組代表、アニータ・ベッティ。イタリアの代表候補生ね。以上」
「またですか」
「代表候補生だからオルコットさん並の操縦技術はありそうだってことくらいかな?」
とても情報と言えるレベルのものではない。
「四組代表、更識簪。日本の代表候補生」
「さらしき?」
「甲斐田君知ってるの?」
「生徒会長と同じ苗字だ。もしかして妹とかな?」
「生徒会長さんの苗字を覚えていらっしゃったのですね」
実に失礼なことを言うオルコットだが、姉だとしても上級生相手では確認ができない。
こっそりできないかも考えてみたが、三年生にバレたときのリスクが大き過ぎる。
「でも日本の方ならどなたかご存知なのでは?」
「そうね。後で聞いてみましょうか」
「じゃあ次お願い」
「はいはい。五組代表、佐藤香織。特に国の代表とかではないみたい」
「今度は普通の名前過ぎる……」
「そうなのですか?」
「日本で一番多い苗字ですね」
逆の意味で調べづらい。日本には同姓同名がたくさんいそうだ。
「まあ一応聞いてみましょうか。IS学園に受かった佐藤さんならどこかで引っかかるかもしれないし」
「そうですね、やれるだけはやってみましょう」
名前だけは分かったが、なんとも先行き不安な話だ。
とても心理戦を仕掛けるどころの話ではない。
噂話から辿るにしても、まだ入学後一ヶ月も経っていないのでそもそも噂すら大してない。
知り合いから話を聞こうにも、IS学園は全国から集まってくるので同じ中学という可能性が基本低い。外国人に至っては各国一人くらいしかいないので、他のクラスからでは人となりなど全く見えない。
情報収集と言えばもっともらしいが、実際具体的にどうやって行うのかとなるとさっぱりで雲を掴むような話だ。
「後は寮で知り合ったとか部活くらいかしら?」
「あまり期待はできそうにないですわね」
「無駄かもしれませんが今はできることをやってみましょう。やらないよりは何倍もいいと思います」
この四人では四十院さんが一番ポジティブだなと思った。
まあ全員が同じ方向を向いているよりはいいだろう。
「まだ大した話はできなさそうね」
「そもそも判断材料がほとんどありませんわ」
「外のことはともかく、一夏のことを整備班にある程度固めてもらってからかな」
こうして第一回指揮班会議は、特に実りもなく終わった。
「整備班としては、打鉄をベースに考えていくのがいいと思います!」
整備班を代表してだろうか、岸原さんが最初に発言した。
「織斑君の専用機は日本製だけあって打鉄の性質に近いんです。だから打鉄の戦術を基本に置くのがいいんじゃないかと考えました!」
夜、寮の会議室に整備班の報告ということで俺は呼ばれていた。
今クラスのほとんどがここにいる。
篠ノ之さんもいつもの仏頂面で腕を組んでいた。
「もしかして打鉄を作ってるのって、一夏の専用機を開発した倉持技研?」
「そうです!」
別にいちいち語尾を強めなくてもいいのだが。
やけに張り切っている岸原さん、丸い眼鏡で赤いカチューシャをつけたクラスメイトは、一夏のすぐ後ろの席で俺も何度か会話をしたことがある。
この人は自分の机の上を教科書で要塞のように囲んでおり、俺がその机を指さして聞いてみたところ、すごいでしょ! となぜか満面の笑みで返されてしまった。
「ええと、その前に整備班のリーダーは岸原さんでいいの?」
「あっ! ごめんなさい! 言うの忘れてました!」
「りっこは私と同じで最初から整備科志望なのだ~!」
「ということは布仏さんも?」
「そうだよ~」
見渡すとみんながうんうんと頷いている。
なるほど、整備科志望の人間にリーダーを任せたということか。
整備科志望も多少はいるだろうが、ここにいるほとんどはパイロット科を目指している。
だから俺の前に出るのは専門家となる予定の人にやらせようという話なのだろう。
「話そらしちゃってごめん。それで打鉄の話だけど、確かに打鉄はブレードを主体としている前衛機だね。他の機体って射撃が基本だから、確かに一夏とは方向性が一緒だ」
「はい! ブレード、葵を片手に味方の盾となるのが打鉄の大きな役割です!」
「それなら確かに打鉄らしい動き方みたいなものはあるかもしれない。でもそれって後ろから攻撃してくれる支援機の存在ありきの話で、今回は一夏一人だしそうはいかないよね」
「は、はい。通常はラファールが遊撃を行ったりメイルシュトロームが遠距離攻撃を行ったりして打鉄を支援します。特にメイルシュトロームは打鉄のとの連携における相性の良さで有名です」
打鉄は前に出て自身に攻撃を引き付け、強力な防御力で相手の攻撃を十分に耐えることができるのが強みだ。だが今回は前に出なくとも一夏一人しかいないので、当然攻撃は全部一夏に飛んでくる。
だからわざわざ耐える意味は全くない。
「ということは支援がない以上は打鉄単体での動きってことになるんだけど、それはどういう動きなの?」
「え、えっと、アサルトライフル、焔備(ほむらび)をもう片手に持って、牽制を行いながら距離を詰めるのが常道です」
「でも一夏には射撃武器がない。そうするとどうやって距離を詰めればいいんだろう。訓練すればどうにかなるものなのかな……」
結局はそこだ。相手の攻撃どうの以前に、こっちの攻撃をどうやって当てるかだ。
オルコット戦では平常心を失わせた上でルーチンワークの攻撃パターンから変化をつけ、オルコットを混乱させようとした。だがそれが集中している相手に通用するかはちょっと疑問だ。
「甲斐田くん甲斐田くん」
「なに鏡さん?」
「もしかして甲斐田くんって一人で調べてた?」
「はい?」
急に話しかけてきた相手は本気で驚いた顔をしている。
鏡さんとあまり会話をした記憶はないが、この場で俺に話しかけてくるくらいだから整備科志望なんだろうか。
ふと見渡すと、クラスメイト連中がポカンとしていた。
特に間違ったことを言った覚えはないのだが。
「私達の調べたことはもう全部当たり前に知ってるみたいなんだけど、みんなで手分けした作業を一人でやったの?」
「いや、今話してることってカタログスペック的な話だよね? まだそこまで深い話はしてないよ?」
「だからそのカタログスペック的な情報を自分で調べたの? ISって基本は軍用で情報規制が厳しいから、そういうのは少なくともIS学園や関係企業でないと分からないんだけど?」
「あれ?」
そういえば俺はどうして当たり前に知っていたのか。ああ、この前模擬戦をやったからだ。もちろん俺は自分で調べることなど一切なく、情報など全部先輩方からもらっている。
「甲斐田くん、もしかして調べたんじゃなくて知ってた?」
「えっ」
鏡さんにジト目で見られて気づいた。よく考えたら俺は彼女達に情報を渡していなかった。
周りが俺を白い目で見ている。もちろんてめえ何隠してるんだよという抗議だ。
「まあ待て、甲斐田はきっと我々を試していたのだろう。どれほどの情報を調べてこられるかと図っていたのだ」
「じ、実は……」
「などと言うかと思ったか馬鹿者が!」
篠ノ之さんからまさかの裏切りを受けてしまった。昨日の昼は自分から庇ってくれたのに、何という背信行為だ。
「だいたいお前は前からそうだ。自分の中だけで何もかも全てを進めてしまう。自分だけのことならまだしも、他人が関わってくるのだからもっと人とコミュニケーションを取ってだな……」
久しぶりに篠ノ之さんの説教が始まった。ここ最近フォローをせずに放置気味だったので、どうやら鬱憤が溜まっているようだ。
というか前からなどと言われてもまだ入学して二週間ちょいで、そこまでお互いを分かり合った覚えはないのだが。
「まあまあ篠ノ之さん、そういうのはまた後で。それよりも甲斐田くん、情報、持ってるの?」
「はい……」
「どこでそれを手に入れたの?」
「前の模擬戦のときに三年生の先輩から……」
今の俺は警察から取り調べを受ける容疑者だ。いや、既に罪は確定しているので、むしろ裁判長から事実確認を受ける被告か。
「私達がここ二日で調べたことはこれなんだけど、ぱっと見でいいから甲斐田くんの知ってる情報と比べてどう?」
「ええと……僕の方がちょっと多いかな……」
「ちょっと?」
「いや、だいぶ……」
俺の立場は総指揮を取る最高責任者ではなかったのか。今の俺は白い目に晒されて、お飾りですらない。
「よろしい。では甲斐田くんはこの後自分の部屋に戻ったら、即私達に資料をメールすること」
「はい」
「有用無用は考えなくていいから、あるものを全部出しなさい」
「はい」
今の俺に許されているのはイエスと答えることのみだ。
イエスと答えることでゴルゴダの丘へと連れて行かれないだけ幸運だとでも言えばいいだろうか。
「まったく、これに懲りて自分勝手な行動をするのではないぞ」
「あれ、そういえば篠ノ之さんって同じ情報持ってなかった?」
「は? ……持ってなどいないぞ」
今一瞬間があった。一瞬間があって、一瞬間があって、篠ノ之さんは笑顔を返してきた。
この女、間違いなく嘘を吐いた。
よく考えれば篠ノ之さんも同じ情報を持っているはずだ。勉強用と、通常の打鉄と改造した打鉄Kとの差異を意識させるため、先輩達はIS関係の情報を一夏との篠ノ之さんにきちんと送っていたはずだ。
一夏がその資料を開いてすらいないのは知っている。きっと篠ノ之さんも同じで、今の今まで忘れていたな。
「篠ノ之さん?」
「知らんぞ。知っていれば皆に渡しているに決まっているだろうが」
「本当に?」
鏡さんが疑わしく見ているが、この場で他人事にしてしまうなど、甘い。
一枚岩にヒビが入ってしまっては後は崩壊するのみなのだ。
「それもそうか。みんな調べる前に情報交換くらいはしただろうし、最初から分かってたらもちろん言ってるよね?」
「えっ?」
よくよく考えれば俺が忘れていようと誰かが俺に聞いていれば済む話なのだ。
俺が三年生を巻き込んでいろいろやっていたのは周知の事実で、何かしらの情報を持っていたとしても全然不思議ではない。
調べ始める前に俺が何か情報を持ってないのかとか、どういう調べ方がいいのかとか一言でも声をかけていればよかったのだ。
別に俺が悪くないとは言わないが、俺だけが悪いとも言いたくない。
「そうだよね。知らなかったのなら仕方ないよね」
「勿論だとも。知らなかったからこそ聞かれても答えられなかったのだ」
お前らにも罪はあるんじゃないのと暗に言った俺に対して、なんとこの連中は保身に走った。
笑顔でお互いに庇い合って、これが組織の腐敗という現実か。
昨日の決意はどこへ行った。罪を認めなければ人は未来へと進めないのだぞ。
「じゃ、じゃあ今日はこれ以上話もできなさそうだし、このへんでお開きにしようか」
「そ、そうだね。明日もあるし、先は長いんだから」
「メ、メールはよろしくね」
言いながら、そそくさと連中が出て行く。
というかお前ら、忘れてるかもしれないが俺は一応責任者だ。このままで済ますと思ったら大間違いだ。
「あ、明日からは間違いなくみんな本気出すから!」
「それじゃ会議終わったって言っておくね~」
最後に片付けをしていた岸原さんと布仏さんが出ていき、会議室は俺一人となる。
こうして第一回整備班会議は、俺が組織の綱紀粛正を誓って終わった。
そしてこれで最後なのだが、気が重い。
衛生班など誰もいないだろうと考えていたのだが、出て来た。もとい、出て来てしまった。
いや、もちろん誰か手を挙げてくれればいいなとは思っていた。だが、よりにもよって手を挙げたのがあれとは、全く想像すらしていなかった。
部屋の前に到着し、俺は一呼吸置いてからドアをノックした。
はーいという声と共に、ドアが開いて彼女が顔を見せる。
「やだ、夜這い?」
俺は何も言わず即ドアを閉めた。
「ごめんなさい! 冗談です! 冗談ですから!」
再びドアが開いて、俺の前にはまたも涙目となった谷本さんがいた。
「どうぞ、入学前にスーパーの大安売りで買ったティーバッグの粗茶ですが」
「これはわざわざどうも」
部屋の中、丸いテーブルを挟み、俺と谷本さんは向かい合って床に腰を下ろした。
ベッドの上では同室の布仏さんが正座して、わくわくした目をこちらへと向けている。
衛生科。
IS学園の生徒の中でも少数の物好き、変わり者が進むというこの学科、最初聞いた時はひどい言われようだなと思った。
だが変わり者と言うのはその通りだ。厳しい競争を勝ち抜いてIS学園に入学しておきながら、ISではなくISに搭乗する人間の方に興味が行ってしまったおかしな連中である。お前わざわざここまで何しに来たの、素直に医療系に進んでおけばよかったんじゃないの、と普通は思う。
本人達に言わせると、ただの人間に興味があるんじゃない、ISに乗っている人間に興味があるだけだとのことで、彼女達の中では大きな違いがあるらしい。
そして実物はというと、確かにどこか変な人達だった。
一夏の生活管理はいいとしても、そこに笑顔や発声の練習を盛り込んでくるとは、どこからその発想を持ってきたんだろうかと思う。
俺は最初に説明を聞いた時、絶対にこの理由は後付けだとすら考えていた。
だが理屈は通っていて、しかも実際にはっきりとした効果まで出てしまった。
なので俺はもう一ミリも文句を言うことなどできない。絶対に俺に真似は無理だと思うくらいだ。
もしクラスに一人でもいてくれれば、俺にはとても出せない奇抜な発想を見せてくれる得難い人になるだろうと期待していた。
しかし、目の前に出て来たのがこれである。
普段は俺に突っ込みをさせようとあの手この手で奇妙な言動を行うこの女、谷本癒子だ。
彼女は入学初日にあった俺と生徒会長のやり取りに感銘を受けたらしい。
それ以来自分の進むべき道に向かって日々奮闘中とは本人の言だ。
もちろん自分の人生なのだから好きにすればいいと思うが、だからと言って毎回俺のところに来なくてもいいんじゃないだろうか。
相方が欲しければ自分に合った相手を探せと声を大にして言いたい。間違いなく言っても聞かないだろうから実際に言う気はないけれど。
「さっき本音ちゃんが楽しかったって言ってたけど、整備班会議でおもしろいことあった?」
「布仏さんなら何を見ても楽しめるんじゃないかな」
「いいなー。衛生班になったはいいけど私一人で寂しいんだよねえ」
「ゆーこには私がいるから大丈夫!」
「ありがとう我が親友よ!」
布仏さんを見ると笑顔で手を振ってきた。
側にいるのがストッパーではなく煽る輩では、暴走が止まることなどとてもありえないか。
「じゃあさっさと衛生班会議を始めようか」
「相変わらずクールビューティだねえ甲斐田君は」
クールビューティは男に使う言葉ではない、などと決して言ってはならない。
この女は布仏さんのような天然系ではない。全て計算をした上で発言している。
まあ計算だけなら俺だってそうなのだが、問題は、それがことごとくつまらないのだ。センスがないのだ。どこまでも微妙なのだ。
別に俺にはセンスがあるとか言いたいわけではない。だけれども、突っ込みさせたいならもうちょっとおもしろいこと言えよ、とは思ってしまうのだ。
日々俺は生徒会長と熱い闘いを繰り広げている。生徒会長もきっと手応えを感じているだろうが、俺だってそうだ。
だからもう少しレベルの高いやり取りをしたいのであって、こんな取ってつけたような無理矢理な突っ込みなどやりたくもない。
そういうわけで、俺は徹頭徹尾谷本さんをスルーし続けている。
「とりあえずはさ、衛生班と言っても実際何をするつもり? 僕にはちょっと思いつかないんだけれど」
「私も衛生科ってそもそもなんだろうと思って、資料室行って調べてきたんだ」
「最近できた分野らしいしね」
まさかこの女は衛生科が何かも知らずに手を挙げたというのか。もちろん突っ込まないが。
衛生科の目的とはISパイロットを身体的精神的にパーフェクトな状態でISに搭乗させることだそうだ。
ISパイロットは一夏や俺という数名の例外を除いて全て女で、女とは肉体的に強い生き物ではない。月のものなどがあるし、身体に引きずられて精神も不安定さを示してしまうことだってある。
だからそれらを個々人の問題として放り出すのではなく、全体として集団として対処し知恵を蓄積していこうという話だ。
ISが普及するにつれて現場でよく起こるようになった問題だそうで、たとえ普段が優秀でも肝心な時にその力を発揮できなくては意味がない、ということで最近語られるようになった分野だ。
「へー。甲斐田君は詳しいんだねえ。もしかして衛生科希望だったりするの?」
「この前の模擬戦の時に先輩から聞いただけだよ。全部受け売りだから」
一夏の訓練中が暇過ぎて、無駄に知識ばかり得てしまった。出番のない先輩達もそうだったのだろう。自分の科を自慢したり、他の科をけなしたり、お互いに罵り合いを始めたりとやたら騒いでいた。
まあ傍から見て、この人達はIS学園での日々を楽しんでいるなと思った。
「で、調べながら私も何をするべきかいろいろと考えました。その結果!」
「うん」
女の子座りをしていた谷本さんが膝を正し、背筋を伸ばして真剣な表情になる。
「織斑君に対して何をすればいいか分かりませんでした!」
俺は何も言わず立ち上がり、谷本さんに背を向けた。
そうだ、衛生班なんて最初からなかった。
「待って! これは冗談じゃないの! 真面目に考えた結果なの!」
なお悪い。質の悪い冗談でも論外だが、真面目に考えてそれではもはや存在する意味もない。
「だって衛生科って女の人のことしか考えてないから! 織斑君は男子だから全然当てはまらないの!」
言われて俺はドアノブにかけようとしていた手を止める。
一夏と衛生科の先輩の間で一悶着があったことを思い出した。
一夏の生活を管理するにあたって、衛生科の先輩達は当然食事にも注文をつけた。
模擬戦の日までの食事メニューを考え、リスト化までして渡してくれたのだが、それに対して一夏は大きな不満を露わにした。
曰く、こんなんじゃ全然足りない、とのことである。
確かにこれは少ないなと俺も思ったが、その時は食べ過ぎてはいけないんだろうと解釈した。そして一夏をそう説得したのだが、空腹については一夏も我慢ができなかった。
初日からこっそりと間食を取るもあっさり篠ノ之さんにバレて、速攻でチクられる。
そしてすぐに先輩達が飛んできたのだが、一夏は一歩も引かなかった。女子ならそれくらいで過ごせるのかもしれないが、男子としてはとても足りる量ではない。男子と女子は違うのだから一緒に考えないで欲しい、と堂々と主張した。
質はともかくその量だったら俺としてもちょっと嫌だなと思ったので、これは一夏の我がままではないと口添えをした。すると先輩達は男子と女子の違いをきちんと考えていなかったと素直に非を認め、食事メニューを作り直してくれた。
相変わらず野菜を食わされることにブツブツ言ってはいたが、それ以降一夏が空腹に悩まされることはなくなった、という話だ。
つまり、ISに関するあらゆるものは、男の存在が全く想定されていない。
身近なところではIS学園には男子トイレがほとんどないなどの実害があるが、おそらくまだ表面化していないことが山ほどあるのだろう。
何しろ俺と一夏が経験するまでは誰も実感できないのだから。
そして今話題の衛生科などその最たるものだ。
「確かに、それは前例がないどころじゃない。本当の意味でゼロから考えていかないといけないんだ」
言いながら俺は再びテーブルの前に戻って腰を下ろす。
谷本さんがほっと胸を撫で下ろした。
布仏さんはいつも通り爆笑している。
「一応ISパイロットに対して気をつけることみたいなのはあったんだ。でもそれって全部女の人向けで、織斑君には当てはまらないし無理矢理当てはめるのもどうかと思ったの」
「うん。それは間違ってない。こういう問題があるからこうこうしようって話だから、結論だけ無理に当てはめたって本末転倒でしかない」
「ということは問題を見つけることから始めないといけない?」
谷本さんが首を傾げる。
さすがに発生してもいない問題は見つけられないだろう。
「いや、問題っていうのは不都合があって初めて分かるものだから、その時まで存在していないものを見つけるのはちょっと厳しいと思う」
「でもこういう問題が起こりそうだからって先回りすることはできるんじゃ?」
「想像は対象に対する確かなイメージや経験がないと的外れになるよ。三年生の先輩達でも間違ってしまったくらいだし、入学したばかりの谷本さんじゃかなり難しいと思う」
俺が言うと、谷本さんはまたしても涙目になった。
「ということは、私はクビですか?」
「別にそんなこと言ってないよ」
まあさっきはほとんどクビにしかけたが。
「で、でも……できることが何もなさそうだし……」
「別に今すぐ解答出せとは言わないよ。指揮班だって整備班だってまだ何も決まっちゃいないし」
「でも……これから出せるかと言われても無理そうだし……だから私最初分からないって……」
これくらいしおらしくしていてくれれば俺にとって害がなくていいのだが、別に俺は谷本さんを潰そうとか思っているわけでもない。
「何もできないってことはないと思うよ。この前の模擬戦で衛生科の先輩達はいろんなアイデアを出してきた。実際に効果があったのも確認したし、きっとできることはあると思う」
「それは何!? それは何!? 教えて甲斐田君!!」
谷本さんがテーブルに手をついて前のめりに俺へと迫ってくる。テーブルを挟んでいてよかった。
自分の体を後ろに引きながら、俺は前の模擬戦のときの衛生科の先輩達について説明をした。
谷本さんは怖い顔をして頷きながら俺の話を聞いていたが、やがてちょっと待ってと言い自分の机から手帳とペンを取り出した。
俺の話を確認しながら、忙しくメモを取っている。今どき電子手帳を使わず紙に手書きとはアナログな人だなと思った。
「こんなところかな。他に思い出したらまたその時は言うよ」
「ありがとう! おかげで今私の前に道が開いた!」
「そ、それは何より。一人で大変だと思うけど、がんばってね」
本当は一夏と同じ男の俺が考えるのがよさそうだが、今の状況では俺がそこまでやれるかというとちょっと厳しい。
指揮班はまだ雲をつかむような状態だし、整備班にはまず制裁を加えるところから始めなければならない。
全体が見えてしまった分、他の人達と違って何か一つのことに集中するのは難しそうだ。
それに何より俺には主役のケアという重大な役割がある。
不安しかないが、この分野は谷本さんに任せておくしかない。せめてロクでもないことをやらかさないように監視くらいはしておこう。
「ありがとう! 私がんばるよ! がんばって、織斑君に尽くすから!」
「うん、期待してる」
超意外なことに、谷本さんが最初に気づいてしまった。
主役の一夏を立てる、つまりそれは、一夏に尽くすということである。
これがリーグマッチにおいて密かに俺がクラスメイト達に期待していることだ。一夏に尽くして、そこに楽しみや喜びを見出してくれればもう言うことはない。
「ならば十二分にその期待に応えてみせましょう! 一年一組唯一にして最強な衛生班の誇りにかけて!」
「そのへんに落ちてるゴミ程度のホコリだね」
言ってから、俺はしまったと思った。谷本さんを見ると、目を大きく見開いて、信じられないようなものを見る目で俺を見ている。
なんということだ。俺はやってしまった。
「本音ちゃん!」
「はいっ!」
なぜだ、なぜ俺は口に出してしまったのか。
「私、やったよ!」
「うん!」
悔しい、今はただ悔しい。
「ついに、ついに甲斐田君に突っ込みをさせたよ!」
「おめでとー!」
完全に油断をしてしまっていた。谷本さんの尽くす発言で気が緩んでしまっていた。
誇り、ほこり、ホコリ。たまたま目に入った塵とプライドをかけてしまった。
それがおもしろいとかつまらないとかそういう次元の話ではない。重大なのは、つい谷本さんに突っ込んでしまったという最悪の事実だ。
この女を調子に乗せてはならないと徹底していたのに、俺はなんという未熟者だろうか。今の俺はとても生徒会長に顔向けなどできない。
「よかった、よかった、よかった……」
「よしよし~。ずーっとがんばってたもんね~」
谷本さんは布仏さんに抱きつき、感極まって泣いている。
布仏さんは優しく谷本さんの頭を撫でている。
こうして第一回衛生班会議は、俺が敗北に打ちひしがれて終わった。
「どうだった智希!?」
部屋に帰ってくるなり、出迎えた一夏が真剣な顔で聞いてきた。
会議とか面倒だからパスなどと言っていたくせに、結果だけは気になるらしい。
「みんなすごいやる気出してたよ」
「本当か!?」
ここで別に嘘を言うつもりはない。というかクラスメイト達のやる気は一夏だって見ているだろうに。
「別に一夏が見てないからってサボったりしないよ」
「いや、そういうことを言いたいんじゃなくて、いい作戦はできたのか?」
「そんな一日や二日で出てくるわけないって。先輩達だって模擬戦の前の日まで悩んでたくらいだよ」
「そ、そうだよな。すまん」
別に嘘ではない。ただ今日は何も進展がなかっただけだ。
「俺の弱点とかそのへんについては?」
「整備班の人達がいろいろ相談してるみたい。一夏の専用機は打鉄と性質が似てるから参考にできそうだとか言ってた。でも一夏のデータがまだ少ないから、具体的にどうするっていうのは決まらないだろうね」
「そうか。俺もまだメイルシュトロームとはやってないしな」
全くもって嘘ではない。ただ情報の問題により最初から考え直しになっただけだ。
「俺の対戦相手とかはどうなんだろう?」
「やっぱり国の代表候補生はいるみたい。でもオルコットさんのような専用機持ちはいないから、相手の機体は量産機のどれかだろうね」
「うん。今俺のやってることは全然無駄じゃないな。でもそいつらがどういう戦い方をしてくるかは気になるぞ」
「そのへんの情報はまた今後だね。リーグマッチの価値に気づかれて相手にやる気出されたんじゃ本末転倒だし、慎重にやろうと思ってる」
「た、確かに。セシリアのときみたいに相手がナメててくれた方が俺もやりやすそうだ」
俺は嘘を言っていない。ただ情報の調べ方に全く見当がつかないだけだ。
「それからさあ……今回は衛生班とかいるのか? 前の時に変なことばっかさせられたけど、ああいうのはできればやりたくないんだよ」
「あの時はあそこまでやらないと勝てなかったというのが大きいんだ。普通にやって勝てるのなら別にしなくていいと思うよ」
「だよなあ……結局は俺次第か」
「少なくとも今回は無理にやれとは言わないから。谷本さんと相談して嫌なら嫌で全然いいよ。このあたりはプラスアルファの部分で、必須というわけでもないし」
俺は事実を述べている。ただ今は谷本さんが信用できないだけだ。
「まだまだこれからって感じだな」
「そうだね。でもまだ時間はある。一歩ずつ進んでいけばいいと思うし、少しずつではあるけど実際に進んでる。焦ることは何もないよ」
「悪い。俺ちょっと焦ってたかも。漫画とかじゃある日必殺技を思いついたりするもんだけど、そんな都合のいいことはそうそうあるわけないよな」
「あればいいなあとは思うけど、ないものねだりしても仕方ない。だから今できることを一つ一つね」
「おう! 俺も模擬戦やって自分のやったことに意味があるってのは分かったからさ。クラスのみんなを信じて努力する」
「その意気だ」
俺はどこまでも事実のみを語っている。ただ今日は進み具合が一歩分もないだけだ。
「よし、安心したところで今日はもう寝るか。待ってる間に宿題も終わらせたし」
「一夏もやる気だね」
「いや、正直言うと何かしてないと落ち着かなかっただけだ。この寮ってテレビとか休憩室くらいにしかないし、部屋の中は何もないからな」
一夏はそう言って笑った。
他の全寮制の学校がどうだかは知らないが、少なくともIS学園は学ぶ場所であって遊ぶ場所ではないという話だ。娯楽の類はないこともないが、普通にそのへんに転がっているというわけでもない。
ダラダラとさせないよう置き場には気を遣われているようだった。
「智希はどうする?」
「今日のまとめとかあるから少し作業して寝るよ」
「手伝おうか?」
「会議に出てないと意味分からないだろうからいいよ。気持ちだけ」
「そうか、じゃあ電気はつけておくな。俺はどこでも寝られるから気にしなくていいぞ」
「もう知ってるから最初から気にしてないよ。ありがとう」
「おう、おやすみ」
一夏はそのままベッドに入って布団を被り、俺は机に向かった。
まずはメールで資料を送って、それから整備班の連中への制裁を考えなければならない。
と、メールが大量に届いているのに気づいた。
送信者を見るとクラスメイト達だ。というかこれは整備班の連中だ。
言い訳でもするつもりかと一つ開いてみると、それはさっきの件の謝罪文だった。
まさかと思い他のも開いてみると、それらは全て謝罪のための土下座メールだ。
どうやら連中は逃げて部屋に戻った後、良心の呵責に耐えられなくなったらしい。
もちろん明日の朝ちゃんと面と向かって謝ると書いてあるが、今日中に言うだけは言わないと眠れないとのことだ。
消灯時間もあるので直接押しかけるのは自重したか、あるいは怖かったか。
篠ノ之さんに至っては謝罪に加えてやはり持っていた資料を配布していた。
顔を合わせるのも恥ずかしいと俺に向かって書いてあるが、だったら最初から誤魔化すなと思う。
悪人になりきれないというか、つい出来心でやって後悔しましたというか、こんなところでも生真面目さを発揮している。
改めて一つ一つ土下座メールを読んでみる。
謝罪の仕方一つでも性格が出るものだなと思った。
思いの丈をそのまま勢いでぶつけてくる者、推敲して綺麗な文章で書いてくる者、シンプルに明日きちんと謝りますとだけ書いた者、十人十色だ。
俺はこれから復讐の刃を研ごうと思っていたので、正直肩透かしではある。
だが別に復讐をすること自体が目的でもないので、自分で反省するならいいかと思い直した。
そんなつまらないことに構っているくらいなら、リーグマッチのあれこれに時間を使った方が何倍もマシだろう。何しろ考えなければならないことは山ほどあるのだ。
だからささやかな復讐として、返信はしないでおくのみにすることにした。今日の夜は悪夢にうなされることを罰とでもしようか。
というか二十人以上に返信するとか俺の方が罰じゃないか。
いや、俺の方も罪はないとは言えないので、それくらいはしておくべきだろうか。
どうするべきかメール画面とにらめっこをしていると、またメールが届いた。
誰かと思えば谷本さんだ。お前は関係ないだろうが。
開いてみると、それは俺に対する勝利宣言だった。やはりこの女は調子に乗ってしまったようだ。
とりあえず他のことはさておき、俺は真っ先にそのメールを削除した。