「大ちゃーん」
大妖精が森の中をさまよっていると、一人の妖精が近づいてきた。
近くの霧の湖を縄張りとしている、氷の妖精チルノだった。
その実力は妖精の中でも屈指であり、『冷気を操る程度の能力』を持っている。
「チルノちゃん。どうしたの?」
「大ちゃんにおもしろいものを見せたくてねー」
「おもしろいもの?」
「いいからあたいについてきてよ!」
そう言ってチルノは湖の方に飛んで行ったので、慌てて大妖精もついていく。
季節はいよいよ春を迎えようとしており、少し暖かくなった風が大妖精の黄緑色の髪を揺らす。
大妖精とチルノは住処が近いこともあり、昔からよく一緒に行動している仲だった。
しかし、今日の友達は少し様子が違った。本来、氷の妖精は冬が最も活動的になる時期である。もうすぐ苦手な春がやってくるのに、どうしてあんなに興奮しているのだろうか。
数分もしないうちに、二匹は霧の湖に辿り着いた。
その名の通り、昼になると霧に包まれる湖で視界は常に悪いが、大妖精にとっては慣れた景色である。
大妖精は周囲をきょろきょろ見回す。
「おもしろいものって、どこにあるの?」
「ここらへんにはないわよ。水中の上には置けないから、奥のほとりに置いてあるの」
「ほとり?」
意図がよく分からなかったが、大妖精はとりあえずチルノの後を追いかける。
二人は湖の奥まで飛んでいき、やがて小さなほとりが見えてきた。
ほとりの周りは木々に囲まれており、チルノが住処としている場所からかなり離れている。まさか、こんな場所にほとりがあったとは大妖精も全く気付かなかった。そして、そのほとりに広がっている光景を目にして、彼女はぽかんと口を開けてしまった。
そこには、十本の巨大な氷の柱が置いてあった。高さは二メートルほどの円柱の形をしており、まるで巨大な丸太をそのまま立てているようだった。
――そして一本一本の柱の中には、息絶えた人間が埋め込まれていた。
「うわーっ。すごーい。人間がみんな固まっちゃってるー」
「どう? これ、みんなあたいがやったのよ。すごいでしょ?」
湖畔に辿りついた大妖精は、じっくりと氷の柱を観察する。
氷漬けにされている人間たちの性別、年齢はまちまちで、服装からしてどれも外からやって来た人間のようだった。そのうちの一本は、泣いた表情のまま固められている小さい女の子だった。
「ねえねえ。このおじさんを見てよー。すごい体がぐしゃぐしゃになってるでしょ?」
チルノが指差した氷の柱には、一人の壮年の男が全身血だらけのまま氷漬けにされていた。彼女の言う通り、原形はあまり留めていなかった。
「この人間ったらさー。あたいが襲いかかってきたら、『命だけは助けてください』とか『家に帰らせてください』とか言ってきたのよー。だから、あたいの氷の玉を全部避けられたら逃がしてあげるって約束したんだけど、あっさりあたいが勝っちゃってねー。そのまんま氷漬けにしちゃったのよ。やっぱり、そこらへんの人間だと手ごたえがないよね」
チルノの氷の弾は本気を出すと非常に強力で、固い木ですら貫通させる威力を持つ。きっと、氷の弾で全身に穴を開けられて、瀕死の状態のまま氷漬けにされたんだろう。
「でも、どうしてわざわざこんな場所に人間を置いてるの?」
「実はさー。ちょっと前に、この近くで人間をいっぱい食べる妖怪がやってきたのよ。で、もし死んだ人間を固めてくれるんだったら、あたいのことを『最強の妖精』って呼んでもいいよって言ってくれたから、聞いてあげることにしたの」
「ああ……。なるほどね」
人間は死ぬと、すぐに腐って食べられなくなってしまう。
つまり、人間を冷凍保存するために、妖怪はチルノの能力を利用することにしたんだろう。単純な性格のチルノは、その妖怪の口車にまんまと乗せられたわけである。
「でも、どうして今日まで私に教えてくれなかったの?」
「ええとさー。何度も大ちゃんには教えようと思っていたんだけど、大ちゃんに会うたびについ忘れちゃってねー。ごめんっ!」
「えーっ! ひどいよチルノちゃん」
氷の柱の死体に囲まれながら、二匹の妖精は無邪気に笑い合う。
「ちょっとー。チルノー」
その時、上の方から声が聞こえてきた。
見上げると、やってきたのは三匹の妖精だった。
サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイアという名前の光の三妖精であり、チルノたちともそれなりの親交があった。
「なに、いきなり。どうしたの?」
サニーミルクは、氷の柱をチラっと見ながら言った。
「実はちょっとめんどくさいことが起こっちゃってねー。これはあんただけにしか頼めないことだから、ちょっと来てくれないかな?」
「めんどくさいことって何よ」
「来れば分かるから」
チルノと大妖精は、お互いに目を合わせて首を傾げる。
普段は明るく振る舞っている三妖精が、妙にたどたどしい態度を取っていることも気になった。
とりあえず三妖精についていくことに決めて、チルノたちはほとりから離れる。
三匹が案内してくれたのは、湖からさほど遠くない森の崖の下だった。
そこはごつごつとした岩場で、その先には湖へ続く川が流れている。
――その岩場で、着物を着た一人の青年が頭から血を流して倒れていたのだ。
「おおーっ。死んでるわね」チルノが呟く。
青年の近くには食べ物が散乱しており、おそらく商売の帰りだったのだろう。近くには青年が履いていたらしき草鞋が放置されている。
「で、どうしてこいつが死んでるの?」
これはスターサファイアという妖精が答えた。
「サニーとルナがイタズラでこの人間を道に迷わせたんだけど、そうしたら勝手にこいつが崖から落ちちゃってね。そのまま倒れて動かなくなったの」
「ちょっとー。わたしとサニーのせいだけじゃないでしょ」
スターの説明に反論したのは、ルナチャイルドという妖精だった。
「そもそもスターが人間を見つけたからイタズラしちゃおう、って提案したからでしょ? わたしたちだけのせいにしないでくれる?」
「私はイタズラしようと言っただけで、ここまでしようとは言ってないわよ?」
「でも、スターがあんなこと言わなかったら、こんな面倒なことにはならなかったのよ!」
「みんな! ケンカしないでよ!」
慌てて大妖精が二人の間に入る。
スターは『生き物の気配を探る程度の能力』を持っているので、おそらくこの人間を見つけたのは彼女だろう。
そして、サニーの『光を屈折させる程度の能力』で周りの景色を変えさせ、ルナの『音を消せる程度の能力』を併用すれば、人間を森に迷わせてそのまま崖から落とすのは可能である。
普通の人間が、こんな草木の生い茂った森に迷い込むことはない。
おそらく、この近くの道を普通に歩いていた時に、スターの能力に捕捉されてしまったのだろう。
ようやくケンカが収まった後、チルノが呆れたように言った。
「で、話を戻すけど、あたいに頼みごとってなによ」
「この人間を氷漬けにして、さっきの場所に置いてほしいのよ」と、サニー。
「さっきの場所?」
「とぼけないで。さっき、湖のほとりに氷漬けにされた人間たちがいっぱいいたじゃん」
「あー。あのほとりね」
そう言ってから、チルノは首を傾げる。
「んっ? でも、どうしてあたいにわざわざそんなお願いをするの? 別に死んだまま放っておいてもいいと思うけど」
「この一帯は近くに住んでいる魔法使いがよく通る場所なのよ。そいつはわたしたちの知り合いでね。万が一、わたしたちがやったってことがバレたらいろいろとめんどくさそうじゃない? だから、こうしてあんたに頼むのよ」
「ふーん。別にそこまで気にする必要はないと思うけどさー」
チルノは倒れた人間に目を向けてから、うんうんと頷いた。
「まあ、いいわ。別に難しいことでもないし。こいつを氷漬けにして妖怪たちにプレゼントすれば、このあたいの名誉もさらに大きくなるだろうしね」
チルノは人間の目の前まで歩み寄ると、勢いよく両手を広げる。
それと同時に、周囲の気温がどんどん下がっていった。大妖精も常々感じているが、チルノの力は妖精とは思えないほど強力である。
「じゃあ、まずは中身の方から凍らせないとね」
彼女の手が人間の足に向けられた直後、チルノの体に青い光が纏う。
そして、ゆっくりと男のひざから下が凍っていった瞬間――。
青年の絶叫が響いて、妖精たちはびくっと体を跳ねらせた。
チルノも思わず動作を止める。
「あっ……あっ、足、おれのあし――」
青年は血だらけの顔を歪めながら、自分の足の惨状を眺めている。
まさか、崖に落ちたはずの男が生きているとは予想外だった。
そもそも妖精は死なない種族なので、どんな状態で人間が死んだとみなされるのか分からなかったのだ。
青年の目がぎょろりとチルノに向けられる。
「あっ、あ、あああううう……」
「もー。なんで死んでなかったのよ」
「うあ、あああああ!」
声にならない叫びをあげながら、青年は這いつくばってチルノに迫る。血塗られた顔は醜く歪んでおり、こいつは本当に人間なのかと思ってしまった。
チルノは上に飛んで難なく男の手から逃れると、すかさず氷の弾を青年の足に向けて放つ。
勢いよく放たれた氷の弾は、完全に凍結している男の両足を粉々に砕いた。
耳が引き千切られんばかりの絶叫が響いた。
粉々に砕かれた足は、まるで冬のダイヤモンドダストのように赤く美しく輝きながら岩場に散った。
膝から下が消失した青年はうずくまりながら、憎しみに満ちた目をチルノに向けてくる。
「あ、ああ、あしぃ……」
「ちょっとー。せっかく全身丸ごと氷漬けしようと思ったのに台無しになったじゃない!」
チルノは上空から、追撃の氷の弾を発射する。
そのうちの一つが青年の首を貫通して、びしゃっと血しぶきが舞った。
◇
今度こそ息絶えた青年を氷漬けにしたチルノは満足そうに言った。
「ふーっ。予想外のこともあったけど、無事に任務は完了したわ!」
氷漬けにされた青年は、虚ろに開いた目をチルノに向けている。それ以外の部分は、先ほどの氷の弾のせいで完全に潰されていた。
一部始終を見ていたサニーは氷の柱を見上げながら、困ったように言った。
「そういえばさ……。今、気づいたんだけどね」
「なに?」
「この氷、誰がほとりまで運ぶのよ」
「えっ?」チルノの目が点になる。
「だって、こんな重たい氷……わたしたちだけで運べるわけないじゃない」
チルノはぽかんと口を開けながら、ここで初めて死んだ男と目を合わせる。
その目は、まるで妖精たちを嘲笑っているように見えた。
その後、五匹の妖精たちは方法を必死で考えたが全く思い浮かばなかったので、やむを得ずにその場で男の死体を念入りに砕くことした。
妖精たちが去った後、その岩場付近は氷が溶けた青年の無数の肉片と血だまりだけが残った。
これからは作品が完成次第、不定期ですが更新させていただきます。書きたいネタはいくつかありますので、今後もどうぞよろしくお願いします。